ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2011年07月02日
 その役、あて書き

 大鶴義丹、十四年ぶりの小説作品というインフォメーションにいったいどれだけの価値があるのかは知らないが、じつはこの『その役、あて書き』に関しては、『en-taxi』に連載されているのを欠かさずに読んでいたのだった。話の筋だけを取り出せば、どうということもない。B級ホラーの映画監督が、業界に倦んだ生活を送るなかで、売れていない若手女優と関係を持ち、やがて魂の再生を果たしていく(いやいや、まあね)このような段取りになるだろう。おそらく、私小説とはいかないまでも、作者自身の経験をベースにした部分もあると思わせる。じゃあそこがとりわけ魅力的だったのかといえば、しかしそうではない。ノヴェルにおける設定とは、おおよその場合、リアリティであるようなパートを担っているのだけれど、それを通じ、プライドとキャリアのあいだで板挟みになった中年男性の憂鬱が、いささかメロドラマティックなきらいはあるものの、ある種の確かさを持っているあたりに、しみじみしてしまう。すなわち、設定のどうしようもなさが、作品の説得力へと転化されているのだ。妻子に離縁され、これから名声を手に入れるにはトウの立った主人公が、一抹の理想にしがみつく惨めさ。自らに課した潔癖さなど、単なる言い訳に過ぎず、表現者の苦悩といったところで、それすらもステレオタイプの域を出ない。この、あまりに身も蓋もない現実が、たとえかろうじてであろうと、何かしらの物語に支えられるためには、相応の、きわめて安っぽいディテールが必要であった。恋人同士が、たった二人きりで映画を撮るべく、機材を用意し、沖縄に渡り、スピリチュアルなイベントをこなしていく終盤に、もちろん、まったくのこと感動しない。むしろ、あらかじめの計画が頓挫していくその、なし崩し的なプロセスに、生々しいフラストレーションを見られたい。吊しのロマンティシズムにすがるよりほかなく、決してハードボイルドには及べない。残念な中年男性の像がくっきりと浮かび上がる。
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2011年05月18日
 メルカトルかく語りき (講談社ノベルス)

 さすがはメルカトル鮎であって、常人には及びもつかないことを易々とやってのけるわけだ。あるいはこう言い換えてもいい。さすがは麻耶雄嵩、それをやったらお終いだよ以上のことを平然とやりおおせてしまうのだった。感動も感嘆もいっさいない世界がいかにひどいものであるかを覗き見せられることにもう、にやにや、とするよりほかない。『メルカトルかく語りき』は、名探偵ならぬ銘探偵のメルカトル鮎と推理小説家の美袋三条がコンビを組み、数々のミステリに挑んでいくシリーズの、最新の事件簿にあたる。無論、それは次のようにも言い換えられるだろう。『メルカトルかく語りき』は、美袋という常人がメルカトルという奇人に振り回されながら散々な目に遭わさてしまう、その記録の最新ヴァージョンである。この短編集において、おそらくは唯一、『メルカトルかく語りき』なる題名だけが出鱈目ではない。つまり、聞き手であるところの美袋に対して語り手であるところのメルカトルの圧倒的な優位が、次々と明るみに出される。そして、美袋とメルカトルの対照は、正しく読み手と作者の関係に置き換えられる。実際、多くのパートで語り手の役割をつとめているのは美袋なのだったが、それはあくまでも主観を負わされているにすぎず、眼前の物語に対して圧倒的に不利な立場にしか回れない、という意味で、美袋と読み手は、等しく、無力さを舐めるばかり。収められている五篇のうち、「死人を起こす」と「九州旅行」、「収束」の三つは初出の段階で目を通していたのだけれど、あらためて読み返してみても、生真面目にトリックを見破ろうとすれば結末を恨みたくなるような仕掛けを徹底している。しかしまあ、そこが痛快でもあり、最大の魅力でもあるのだから、なんて迷惑な話なんだか。こう思わされるなかでも、とくに好きなのは「収束」である。少しほど『夏と冬の奏鳴曲』を彷彿とさせるシチュエーションを用意しながら、すべてがせこく小さな動機に陥っていき、合理的に不条理を迎える物語は、完全にネジの一つや二つ、外れている。もしかしたら最初からネジなんて締められていないのかもしれない。いや、それならまだまし。じつは穴なんかどこにもないのに無理やりネジを締めなければならない、と作者の自信たっぷりな調子に乗せられてしまっているだけなのかもしれない。いっけん青春小説をイメージさせる苦さの「死人を起こす」にしたって、メルカトルが登場したとたん、ぶち壊しになる。当然、「答えのない絵本」や「密室荘」に関しても一筋縄ではいかない。ともすればネタを割ってしまうことになるのだが、犯人探しは絶対によしておけよ、あらかじめ忠告したくなる裏切りのみが、満載してある。

・その他麻耶雄嵩に関する文章
 『神様ゲーム』について→こちら
 『蛍』について→こちら
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2011年04月18日
 私たちが星座を盗んだ理由 (講談社ノベルス)

 「いなくなった人間のことは、忘れなきゃいけないのよ」

 北山猛邦の短編集『私たちが星座を盗んだ理由』に収められた「終の童話」において重要な意味をなしていく発言であるが、しかしてそれは他の四篇にもテーマの上で大きな重なりを持っているのではないかと思われる。「いなくなった人間のことは、忘れなきゃいけないのよ」というのはつまり、失われてしまったものはもう戻らない、手に入れられなかったものは手に入れられなかったものとしてしか残らない、そのようなせつなさをいかに引き受けるかを、おそらくは問うている。

 本質的には、どの小説も、去っていくもの、損なわれるもの、やがて消えてなくなってしまうもの、を題材にとっていると見なしてよいだろう。少なくとも、物語のなかでエモーショナルなパートを担っているのは、それを激しく思い知らされるような一撃にほかならない。たとえば「終の童話」は、怪物に襲われ、石になってしまった女性を、それでも想い続ける少年の、長い月日を簡潔にしたファンタジーであって、ついに主人公へ委ねられる判断に「いなくなった人間のことは、忘れなきゃいけないのよ」という言葉の深さを考えさせられ、ひじょうに悩ましく、心を動かされる結末を迎えることとなるのである。

 すべての篇で、ミステリの手法は、謎解きの展開とはべつに、とてもシビアな条件を主人公たちに突きつける、かのような構成を用意する。どんでん返し、といって差し支えのない落差が、ラストの段あるいは最後の一行によって生じているのだけれど、そこで得られる驚きとは、現実の救いがたい側面に酷似している。青春のすれ違いを装った「恋煩い」では、あまりにも直接的で誤解のしようもない絶望が最後に投げ掛けられるのだし、作品の舞台そのものが秘密めいた「妖精の学校」にしても、拾った携帯電話から奇妙なコミュニケーションがはじまる「嘘つき紳士」にしても、主人公のポジションは希望の名から程遠いところに置かれていってしまう。

 表題作にあたる「私たちが星座を盗んだ理由」は、幼い頃の誤りが、大人の視点を持つことで改められ、ある種の免罪が訪れてくる。いっけんすれば、やさしさを胸にともす。しかしながら、時間の過ぎゆくことが後悔を洗い流しうるのと同様、時間の過ぎゆくことはまた新しく取り返しのつかない因果関係をもたらす。この痛み、せつなさ。主人公の目の前に現れる無念は、もちろん、具体的な様態は異なれど、誰の身にも間近なものだといえる。ああ、この世界はやり直しのきかないことばかりで溢れているみたいだ。

 「恋煩い」について→こちら
 「妖精の学校」について→こちら

・その他北山猛邦に関する文章
 『密室から黒猫を取り出す方法』について→こちら
 『踊るジョーカー』について→こちら
 『少年検閲官』について→こちら
 『「ギロチン城」殺人事件』について→こちら
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