ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2011年11月21日
 Set the Dial

 ああ、獣の数字は皆に勇気を分けてくれる素敵な掛け声なんだぞ。フラストレイトして死にたくなるぐらいだったら、悪魔のような自分を全力で出してやるべきなのだ。何をしても駄目ってことは、結局、何でもありってことだからね。さあ、こい。きた。米ジョージア州サバンナ出身のトリオ、BLACK TUSKのサード・アルバム『SET THE DIAL』であるが、無論、その、汗はかいてもベソをかきそうにない握り拳のヘヴィ・ロックは相変わらず。いや、もしかすれば2010年の前作『TASTE THE SIN』以上に荒ぶり、押しの強さにフックを噛ませたサウンドは、野性ならではの魅力を満載にしていて、轟々燃える。確かにMASTODONやBARONESS、KYLESAなどに近しいタイプといえるけれども、大作主義やプログレッシヴな展開、サイケデリックのアプローチをほとんどかえりみることのない直情こそが、ずばり、BLACK TUSKの妙だ。ざっくばらんなほどに噴きこぼれるエネルギーが生々しい。冒頭、インストゥルメンタルの「BREWING THE STORM」で、ぶいぶい弾みをつける低音は、不確かで曖昧なものはこれから先全部蹴散らしてやらあ、という狼煙であろう。そして2曲目の「BRING ME DARKNESS」で、一切の躊躇いもなく引き上げられた振り子が、粉砕の軌道を描きはじめる。最高なのはそこで即座に畳み掛けてくる〈six, six, six〉の叫びである。ジャストのタイミングでそれが〈sick〉のワン・フレーズに切り替わる瞬間にほかならない。もうこの時点でカタルシスの9割が達成されているも同然、完璧でタイトな修羅場にせこいスタンスは滅ぼされてしまう。3人のメンバーが少しずつ個性の違ったヴォーカルを入れ替わりながら立ち替わりながら、あるいは同時に聴かせるのが、BLACK TUSKのマナーだが、ドラムのタイミングに合わせ、その本領が発揮された直後、ギターとベースに怒濤のリフ、リフ、リフは刻まれていく。練り上げられたグルーヴがスコアを倍増し、カタルシスはより徹底的なものとなるのだった。必ずしもスピードに溢れたナンバーばかりではなく、テンポのチェンジを加え、ぐっとスローに落ちる楽曲もあるにはあるけれど、こちらの体感速度に鈍りをきたさないのは、血の気たっぷりの演奏がぬかりのないスリルを突きつけてくるためだ。クリアーとは方向が逆なジャック・エンディーノのプロデュースも功を奏し、全体の印象をざらつかせ、語義矛盾するようだが、フレッシュなどとめ色を偲ばせる。汚れなき穢れの濃い清さ。

 『TASTE THE SIN』について→こちら
 『PASSAGE THROUGH PURGATORY』について→こちら

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2011年11月15日
 Nippon

 ENDLICHERI☆ENDLICHERI(06年)以降における堂本剛(Tuyoshi Domoto)のキャリアをダイジェストにし、ヨーロッパでリリースされたのが本作『NIPPON』である。ならば、日本のリスナーにはまったく用のない話だろうか。いや、そんなもの熱心なファン向けのコレクターズ・アイテムでしかないじゃんね、と口さががない人は言うかもしれないけれど、違う。むしろ、これまで堂本のソロ・ワークに触れたことのない向きにこそ聴かれるべき作品だとさえ思うのだった。すなわち、ハードなテイストのファンク・ミュージックでいて、オリエンタリズムなニューエイジ・ミュージックであるのと同時に、エレクトロなダンス・ミュージックでもあるという一種異様なスタイルの、その、とくに代表的なところが克明な記録として報告されている。新曲はなし。既発表曲ばかりの内容がアルバムの性格を明らかにしているわけだ。

 新曲はなし。とはいえ、後半に収められたライヴ音源は、日時等の詳細なクレジットをブックレットに見つけられなかったので、おそらく、と留保しておくが、おそらくレアなヴァージョンではあるのだろう。京都の平安神宮で録られた7曲目の「時空(Time and Space)」、8曲目の「Love is the Key」、10曲目の「Help Me Help Me…」では、渋く決まったギターと神秘的なキーボードのコントラスト、そしてジャム・セッションを彷彿とさせるアレンジが、さまざまに名義を変えながら堂本剛の辿ってきた音楽性の本質を、スタジオ音源以上に再現してみせる。インストゥルメンタルの「時空(Time and Space)」はともかく、〈Love is the Key…〉というフレーズが繰り返し歌われているにすぎない「Love is the Key」の、しかし変幻自在なバンドの演奏を伴い、静寂のなかから沸沸と込み上げてくるエモーションの熱っぽさ、この説得力は何なのか。堂本の非凡なヴォーカルは、残酷な世界と相対するためのラヴ・ソングである「Help Me Help Me…」や、「Live in Sendai」と記された9曲目の「ソメイヨシノ(Yoshino Cherry)」へ、パセティックに張り詰めながらも絶望にしぼんでいくことのない空気を吹き込む。とりわけ、キーボードのみをバックに配した後者の、ああ、澄み切った悲しみは生きることの正しさを代弁しうる。奈良は天川神社での公演を聴かせる11曲目の「縁を結いて(Cherish Our Fate with Others)」で、やさしいメロディは、生きることの長さに壊れかけ、絶え絶えとなった希望に降り注ぐ慈愛であるかのよう。ライヴ音源とは信じられぬほどの清廉な響きを通じ、〈溢れ出した涙に沈んだ・街をいま拭わないで・見つめる愛で生きていたい〉という願いが強く、儚さを忘れるままに強く、結ばれる。

 それにしたって、だ。いずれも過去のスタジオ音源をパッケージし直したものなのだろうが、今回のタイトル・トラックにあたる3曲目の「NIPPON」や4曲目の「Blue Berry -nara Fun9 Style-」、5曲目の「Chance Comes Knocking」を縦横無尽にするしなやかなグルーヴときたら。このアーティストが、ジミ・ヘンドリックスやスライ・ストーンを信奉の古典派であったことを改めて教えてくれる一方で、1曲目の「美 我 空(My Beautiful Sky)」と6曲目の「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」のテクノロジーを応用したデザインは、非常に現代的なコンポーザーでもあることを再確認させる。とまれ、いまだに「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」の格好良さはちっとも減らねえな。相変わらず。やばいくらいに痺れるのだった。打ち込みを主体にしたインストゥルメンタルだけれど、堂本剛のキャリアにおいて屈指のナンバーというよりほかない。ビートの高鳴り、ギターは鋭く、幾重にもレイヤー化されたダイナミズムが執拗なまでに反復される。近年の作品にこの手のエキサイトメントを見つけられないのは悔しいが、裏を返すなら「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」の1曲でそれは補ってしまえるのである。

 初期の2作、『ROSSO E AZZURRO』(02年)と『[si:] 』(04年)からのセレクトがないのはさもありなん。それらJポップ的なアプローチとは異なったベクトルの楽曲を集成しているのが、つまりは『NIPPON』というアルバムなのであって、ハードなテイストのファンク・ミュージックを、オリエンタリズムなニューエイジ・ミュージックを、エレクトロなダンス・ミュージックを、まさかの同一線上に掴まえたサウンドがこう、余すことなく鳴り渡っている点に最大の魅力のあることは、あらかじめ述べたとおり。

・その他堂本剛に関する文章
 「縁を結いて」について→こちら
 コンサート『ENDLICHERI☆ENDLICHERI LIVE 「CHERI E」』(2010年8月24日・国立代々木競技場第一体育館)について→こちら
 DVD『薬師寺』について→こちら
 『RAIN』について→こちら
 コンサート『ENDLICHERI☆ENDLICHERI CHERI 4 U』(09年8月19日・国立代々木競技場第一体育館)について→こちら
 『空 〜 美しい我の空』『美 我 空 - ビ ガ ク 〜 my beautiful sky』について→こちら
 『I AND 愛』について→こちら
 『Coward』について→こちら
 「ソメイヨシノ」について→こちら
 [si:]について→こちら
 『僕の靴音』について→こちら
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2011年11月13日
 K album(初回限定盤)(DVD付)

 DREAMS COME TRUE、武部聡志、松本隆、林田健司、CHOKKAKU、吉田拓郎、筒美京平、船山基紀、岩田雅之、馬飼野康二、吉田健、山下達郎、織田哲郎、YO-KING、秋元康、伊秩弘将、堂島孝平。無論、各個の作詞や作曲、アレンジを豪華にしたからといって必ずしも最高のものが出来上がるというわけではないのだったが、しかしKinKi Kidsの通算12枚目となるフル・アルバム『K album』は、中身の方も十分それに見合っているぞ、と思わせる。確かに良質な楽曲が取り揃えられていることの功績は非常に大きいけれど、自らプロデュースを買って出、ある種のトータリティと見事な完成度を実現しえたKinKi Kidsの批評性とでもすべき辣腕もまた高く支持されるべきであろう。言うまでもなく、堂本剛と堂本光一のヴォーカルは、長いキャリアを経て、さらに頼もしさを増しており、9曲目「もっと もっと」の歌詞がちょうどぴったりなので引用するが〈明るく輝く・光になって・闇のなかでも・ひと際輝く〉

 KinKi Kidsのディスコグラフィに縁故のある人物たちをソング・ライティングに迎えて制作されたのが、今回の『K album』である。新機軸を打ち出すより、マイルドな味わいのなかに足どりのきれいな成熟が刻まれている。そのような意味では、ここ数作の延長線上を決して逸してはいない。いやあるいはだからこそ、クオリティのレベルで追求されている点の多いアルバムだといえる。とにかく、全編を通じ、気を抜けないのとは異なった充実が、揺るぎない貫禄のエンターテイメントが、堂々と果たされているのであった。

 濃さで測られたい内容だが、まずは序盤の「同窓会」「危険な関係」「ラジコン」の3曲が強力だ。松本隆が作詞した「同窓会」は、題名のとおり、同窓会での再会をモチーフにしており、いかにも作曲は林田健司といった感じの跳ねたリズムが、青春の日々と現在の追憶とを軽やかにシャッフルしていく。これを現在32歳になったKinKi Kidsの二人が歌うことは、実年齢の等身大に近しいイメージを彼らなりに演じることでもある。〈あの頃君には嘘ついて・友達でいようと・本音をかくした〉と盛り上がるコーラスでは、そこにあるはずの後悔が瑞々しいきらめきへと変わる。ノスタルジーのせつなさに落っこちていかないときめきがある。吉田拓郎が提供した「危険な関係」は、アップなテンポに施されたムーディなアレンジがそうさせるのか、はたまたストーリー仕立ての歌詞がそうさせるのか。古い歌謡曲を彷彿とさせる。そしてそれが悪くはない。ああ、〈君だって・僕が・淋しい夜に・一緒に・泣いたりは・しないだろう〉〈君だって・僕が・落ち込んだ時に・他の・誰かと・会ってるだろう〉という断念が、愁いを帯びたメロディとなって、心の奥に響き、行き場がない。「ラジコン」に関しては、さすが松本隆と筒美京平のコンビ、の一言に尽きるし、伸びやかなコーラス、光一くんと剛くんのハーモニーが、恋の駆け引きと幸福なワン・シーンを鮮やかに彩った。

 バックのサウンドはゴージャスでありながら、大人び、落ち着いた印象を持ったアルバムだ。そのなかでは、井手コウジの若々しい筆が映える11曲目「2nd Movement」と先行シングルの12曲目「Time」が、デジタルな仕様のダンサブルなトラックを含め、引きではなく、押しの力強さを顕著にしている。しかしそれらが全体のバランスにおいては浮いていない。むしろ『K album』というカラー、統一感をいじることなく、終盤まで飽きることのないヴァラエティを獲得するのに成功しているのであった。おそらく、曲順までを考慮し、すべてのパートに最終的な決定を下したのは、KinKi Kids本人たちであろう。オーダーし、集まったマテリアルをただパッケージにするにとどまらない。最良の結果を追求するその責務をプロデュースというのであれば、指揮をとった二人の誠実さは、ほら、このように、間違いなく、実を結んでいる。すでに述べたとおり、ある種のトータリティと見事な完成度を実現しているのである。

 YO-KINGが提供した9曲目「もっと もっと」にしても、松本隆と織田哲郎による「ヒマラヤ・ブルー」と秋元康と伊秩弘将による「破滅的Passion」のJポップ的なラインの間に挟まれては、いくらかミスマッチな空気をまとってしまったって本来なら仕方のないところだが、そうはなっていない。正直にいって、同じくYO-KINGがソング・ライティングした「Hey! みんな元気かい?」が02年の『F album』に収録された際には、まあタイアップ・ナンバーだったことが関係しているのかもしれないけれど、他の楽曲とトーンの齟齬が見られた。だが、ここではKinKi Kidsサイドのマナーがそれを御し、絶妙なアクセントにまで持っていっている。明るいメッセージを〈もっともっと〉とリフレインするコーラスが、ウェットなタッチの楽曲が並ぶ後半に、完璧なタイミングで滑り込まされているので、アルバムの性格が、表情が、より豊かなものになっているのだ。またKinKi Kidsとは旧知の堂島孝平がアレンジに加わっているのも「もっと もっと」をもっとベストなかたちにするのに必要だったに違いない。

 初回限定盤のラストは、その堂島が手掛けた「きみとぼくのなかで」で締め括られる。これまでにも堂島は、「こたえはきっと心の中に」や「カナシミ ブルー」、「永遠のBLOODS」や、そして堂本剛のソロ・ナンバーであるものの「黒い朝・白い夜」など、KinKi Kidsのディスコグラフィですぐれた楽曲に関わってきたが、「Time」のハードなアプローチのあとに置かれた「きみとぼくのなかで」のやわらかさは、正しくツボを押さえている。楽曲の質感は、痛みを題材にしつつ、かなりライトなのだけれど、それが剛くんと光一くんの歌声を、二人のコンビネーションを、何よりも魅力的にし、未来へとまっすぐ届くだけの希望を映えさせている。過去のタイトルを意識したと思しき歌詞も〈いつだって不確かで・硝子のような世界を・ずっと歩き続けてきた・ふたり〉には相応しく、とてもよく似合う。

・その他Kinki Kidsに関する文章
 『スワンソング』について→こちら 
 『Secret Code』について→こちら
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2011年11月06日
 Sea of Memories

 そもそも90年代に90年代リヴァイヴァルのようなグランジをプレイしていたバンドである。それが90年代リヴァイヴァルの気配漂う今日に当時を思わせるアプローチで復帰したからといって、何ら不思議ではあるまいよ。かつてのビッグ・ネームであるBUSH(ブッシュ)の10年ぶり、通算5作目のフル・アルバムとなる『THE SEA OF MEMORIES(ザ・シー・オブ・メモリーズ)』だが、いやいや、これはもしかすると99年の『THE SCIENCE OF THINGS』や01年の前作『GOLDEN STATE』を上回る。94年のデビュー作『SIXTEEN STONE』や96年のセカンド作『RAZORBLADE SUITCASE』の、つまりは全盛期に匹敵しうる内容なのではないかと思う。オリジナルのメンバーで、初期の要でもあったギターのナイジェル・パルスフォードが今回の再結成に応じなかったのは非常に残念だけれど、明らかに後任のクリス・トレイナーが持ち込んだものは少なくないし、それが90年代ヘヴィ・メタルのシーンで名をなしたボブ・ロックのプロデュースと相まって、抜群の効果をあげている。過去にORANGE 9mmやHELMETなど、ニューヨークのハードコア・アクトと深く関わってきたクリス・トレイナーのギターは、テクニカルな面、叙情的なパートを含め、意外と主張の激しいタイプで、構成自体は極めてシンプルな楽曲に厚みを与え、さらには派手ともとれる局面を、大変ダイナミックな響きをそこへプラスしているのだ。もはやグランジというより、メジャー指向のハード・ロックに近しいバランスとなっているのだったが、この、マナーはどうであれ、後ろめたさのない堂々とした手つきこそがBUSHだろう。ギャヴィン・ロスデイルのソング・ライティングも、BUSHというブランドを意識したためか、クリスとともに活動したINSTITUTEやソロ・キャリアの頃に比べ、 ぐっと照準が定まっている印象であって、ミドル・テンポを主軸にしながら、スケールの大きなサウンドを聴かせている。まあ、作品の出来がいいだけに日本盤ボーナス・トラックの3曲がまったくの蛇足になってしまうのは仕方がない。

 INSTITUTE『DISTORT YOURSELF』について→こちら

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2011年11月05日
 People & Things

 なにせ筋金入りのロマンチストだから若くして愛のために死にたかったのだが、そうはいかないので人生はせつない。だけど、いずれ悲しみが美しく花開いて喜びに見える日だってあるのかもしれない。JACK'S MANNEQUIN(ジャックス・マネキン)の楽曲は自分にとって大変ロマンチックなものだ。ピアノ・ロックとしか言いようのない装飾のシンプルなサウンドがどうしてこうも切々と響くのか。もちろん、やわらかでセンチメンタルなメロディが一切の気取りもなしにまっすぐと編み出されているからにほからない。しかしそれは決して寂しさのみを連れてきはしない。黄昏のなかにぬくもり、励まし、一条のきらめきをもたらす。そして、それこそがこのサード・アルバム『PEOPLE AND THINGS(ピープル・アンド・シングス)』にもしっかりと備わった魅力なのであって、小さな躓きも大きな敗北も人生を完成させるのに必要なテーマでありうる可能性を確かに教えてくれるのだった。

 たとえば『ロッキング・オン』11月号で小池宏和が『PEOPLE AND THINGS』を〈自分自身を救済するためのポップな感性が遠く、広く伝播してしまうというこのメカニズムは実に個性的で面白く、それ故に誰も真似することが出来ない。口当たりが良いだけの計算されたグッド・メロディと、ナチュラルで即座に琴線に触れるグッド・メロディとの違いはなんなのだろう。ポップの魔法を何度でも突きつけられ〉るとレビューしているのは、おそらく的を射ていると思う。すでに述べたとおり、JACK'S MANNEQUINの、つまりはアンドリュー・マクマホンの奏でる楽曲には、ことさら奇をてらったところがない。にもかかわらず、どうしてか耳目を引くのは、やはりポップ・ミュージックならではの魔法がかけられているからだろう。ラヴ・ソングを基礎としたものがほとんどを占めるのに、惚れた腫れたにとどまらない深さ、パーソナルな射程を越えるだけの感動が、ああ胸に届いて褪せない。まざまざと立ち現れてくるのである。

 他方、これまでとの違いを端的に述べるとすれば、バンド編成であるがためのドライヴが増した。跳ねるようなリズムを持ったナンバーがアルバムの中核に来ていて、それは明らかに05年のファースト・アルバム『EVERYTHING IN TRANSIT(エヴリシング・イン・トランジット) 』におけるポップ職人的なソロイズムとは異なっているし、また08年のセカンド・アルバム『THE GLASS PASSENGER(グラス・パッセンジャー)』よりもコンパクトにシェイプアップされている。『THE GLASS PASSENGER』に収められていた「HAMMERS AND STRINGS(A LULLABY)」や「CAVES」などに顕著な、あの長篇指向のドラマが後退したかわり、いかにもライヴ映えしそうなアプローチが前面に出ているのである。もちろん、SOMETHING CORPORATEでも遺憾なく発揮されていた熱量のひときわ高く、メロウなフィーリングをポジティヴなラインに引き戻すことができるほどに確信の定まったヴォーカルは今も変わらない。

 1曲目の「MY RACING THOUGHT」の軽快さ、そして暗みの入った演奏が孤独なシャレードを思わせる2曲目の「RELEASE ME」から、徐々に開放感を押し広げていく3曲目の「TEREVISION」へ。タイトルどおりのリフレインにたっぷりの慕情を託した4曲目の「AMY, I」はハイライトに相応しく、冒頭に『THE GLASS PASSENGER』の名前を登場させる5曲目の「HEY HEY HEY (WE'RE ALL GONNA DIE)」では、誰かにあてたラヴレターのようにツアーの情景が綴られる。「HAMMERS AND STRINGS(A LULLABY)」に近しいロード・ムーヴィーの手法ではあるのだけれど、三人称の比喩ではなくて一人称の憂いがそれとは別種の表情をのぞかせているのだった。7曲目の「AMELIA JEAN」と8曲目の「PLATFORM FIRE 」で極まったセンチメンタルは、9曲目の「RESTLESS DREAM」を経、たおやかにゆるめられるだろう。11曲目の「CASTING LINES」は、これぞアンドリュー・マクマホンなバラードのなかに、たっぷりの報いと許しを、祈りと願いを、躊躇わず溢れさす。寂しさが新しい一歩に裏返る瞬間だ。信じられる。

 『THE GLASS PASSENGER』について→こちら
 『EVERYTHING IN TRANSIT』について→こちら

 アーティストのオフィシャル・サイト→こちら
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2011年11月02日
 Fault Lines

 ああ、ひりひり横滑りしていく性急さに取り込まれてしまうみたいなのだった。スコットランドはグラスゴー出身の4人組、UNITED FRUITのファースト・アルバム『FAULT LINES』である。大まかにいうなら、とてもオーソドックスにロー・ファイでポスト・グランジなサウンドを披露しているバンドなのだが、しかしそれが、エヴァーグリーンな焦燥と衝動とを再現するのに何より適していることを、いま正に証明している。海外ではSONIC YOUTHやFUGAZI、AT THE DRIVE-INなどを引き合いにされる機会が多いみたいだけれど、個人的にはもっとマイナーでイギリス寄りの、たとえばUNION KIDやYOUR CODE NAME IS:MILO、そしてMCLUSKYを思い出した。いずれも短命に終わったアーティストだ。あるいは初期のIDLEWILDあたりを彷彿とさせるかもしれない。掻き鳴らされたギターのノイズに、そこはかとなくポップなフィーリングを散らし、ヴォーカルはメロディをぶっきらぼうに叫び、パンキッシュという形容を正しくなぞらえる。はっちゃけたエネルギーそのものが、楽曲のなか、重要なパーツの一部となり、ヘヴィ・メタルともハード・ロックとも違うアグレッシヴさ加減、じたばたとした体感の速度を作り出しているところが、最大の魅力だと思う。イディオムとしての新しさは全くないかもしれない。だけれど、ロック・ミュージックでなければならない若々しいテンションが、やりたいことをやりたいようにやっているだけの確かなモチベーションを伝えてくる。トップの「KAMIKAZE」からラストの「WRECKING BALL」まで、わずか9曲しか収められてはいないものの、結果的に一切のぶれはない。どう考えてもこのモードで活動し続けられるのは限られた年数だろう。そこに刹那に近しい輝きが生まれているのであって、藻掻きながらつんのめり、失敗をおそれないステップの潔さに、もちろん、心惹かれる。

バンドのBandcamp→こちら
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2011年06月11日
 Ascension

 元NAPALM DEATH、そしてGODFLESHという来歴を持ちながら、そもそもが極めてポップなサウンドを実践していたアーティストだけれど、さすがに3曲目の「SEDATIVES」には、ぬおお、と驚かされる。場合によってはコマーシャルとさえいっていいぐらい。とにかくキャッチーに響いてくる。タイトでいて上向きなドラムのアタックがそうさせているのだ。いや、もちろん、これまでのディスコグラフィにもアップ・テンポなナンバーがまったくないわけではない(たとえば06年のEP『SILVER』に収録されていた「STAR」を思い出されたい)のだったが、「SEDATIVES」における大胆なはじけ具合は、従来の路線を踏まえた上でなお新鮮な魅力を放っているだろう。ジャスティン・K・ブロードリック率いるJESU(イエスー)のニュー・アルバム『ASCENSION(アセンション)』である。根本は、以前までと何ら変わっていない。確かに、09年の『INFINITY』みたいな大作指向ではなく、07年の『CONQUEROR』を彷彿とさせるようなグッド・ミュージックの集成になっているが、ヘヴィなグルーヴが、ずううん、と波打ちながら地を這う一方で、フィードバックのギター・ノイズが眩いばかりのハレーションを起こし、決して声を張らないヴォーカルがやわらかなメロディに命を与えていく。非常に濃度の高い透明性とでもいおうか、幻想的ではあるもののメルヘンと形容するにはあまりにも生々しい。曇天と霧雨が見せるファントムなのかもしれないし、終焉を受け入れた瞬間の恍惚なのかもしれない。こうしたイメージは、結局のところ、微塵もぶれていないのだった。無論、キャリアを積むにつれての洗練が、あるいは持ち前の才気を音楽性の広がりに変換してきた結果としての熟練が、『ASCENSION』の類い稀な厚みを出しているに違いない。各曲のヴァリエーションもそこに準じているのであって、先ほど挙げた「SEDATIVES」のスウィートネスもそうだし、静かに奏でられていた空漠がディストーションの渦に飲み込まれる冒頭の「FOOLS」や、天使の輪のごとききらめきを発しながら深淵に果てていく2曲目の「BIRTH DAY」、スローであるにもかかわらずダイナミックに展開される5曲目の「BRAVE NEW WORLD」に6曲目の「BLACK LIES」等々、タイトル・トラックにあたり全編をインストゥルメンタルで締め括る「ASCENSION」に至るまで。色彩を欠いていることが、どうしてだろう、神秘に満ちたせつない情景を浮かび上がらせる。JESUならではのトリックに関心は奪われてしまう。美しく、儚い。憐憫を含み、それでいて埋まることのない孤独を溝にメランコリーが流れる。

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2011年05月21日
 WHITE(初回限定盤)(DVD付) WHITE(通常盤/初回プレス仕様) WHITE

 我々は一人でいるかぎりは孤独だが一緒にいられるなら孤独ではない。単純な真理は、それが単純であればあるほど、心を励ますことができるし、ときに傷つけたりもする。なぜならば、手を取り合える距離や関係を常に持てるわけではないからだ。しかし君を信じられること、そして君が信じてくれることからは、たとえ共にいられなくとも不安に負けないだけの強さが分けられてくる。こう、KAT-TUNの通算15枚目となるシングル『WHITE』の通常盤(初回プレス)の3曲目に収められた「勇気の花」は教えているかのようだった。

 好きな楽曲であるし、実際に今回のなかでもとくにすぐれたナンバーであろう。まず何よりそこに託されたメッセージが、KAT-TUNというグループの現在を通し、かけがえのないイメージを得ているところに大きな魅力を感じられるのだけれども、もちろんのことそれは、歌詞やメロディにあてられている詩情を、メンバー5人のヴォーカルが、余さずにすくい上げているためであって、エモーショナルと言い換えてもいいデリケートな揺らぎが、せつなさを決して暗いものとはしていない点に自然と胸を打たれる。

 あくまでも直感で述べさせてもらうと、「勇気の花」には『喜びの歌』(07年)にカップリングされていた「Your side」を彷彿させる部分があると思う。無論、当時の状況を考えるに当初は5人編成で想定されていた可能性のある「Your side」と現実的に5人編成で制作された「勇気の花」とのあいだに何かしらの近づきが立ち現れていることは、ある種の必然だといえるかもしれない。スローなバラードとは異なったリズムとテンポに三日月や雨音が抱くのにも似たせつなさが刻まれているのだったが、そのとき、「勇気の花」においては、イントロに端を発して鳴り響くピアノのループが、静かな、しかし確かな孤独をバック・グラウンドに用意していくのである。

 ああ、だからこそ、田中くんによって〈もし君が笑うことを忘れたなら・そばに行って隣・ピエロのふりではしゃぐ〉と、おそらくは彼のペルソナにかけてつくられたフレーズが歌われる出だしには、もうそれだけで痛みに喩えられる印象が備わっているのではなかったか。だがすでに述べたとおり、「勇気の花」はやがて、せつなさが悲しみに止まらない場所へと物語を運ぶ。

 コーラス以外のパートは、田中くんからはじまって、上田くん、亀梨くん、中丸くん、田口くん、の5人にけっこうはっきり割り振られている。5人が入れ替わりながら、勘所を押さえていく。ここで重要なのは、それまで各人が一人で負っていたいくつもの願い、祈りが、コーラスに至って重なり、ユニゾンを為していく楽曲の構成であって、あの特徴的なピアノのループが消えると同時に〈聞こえるかい?〉という問いかけ、そして〈WE WILL MAKE YOU SMILE 笑って・少しずつ優しさ集めたら・ほら、勇気の花が咲く・そう、君のため・そう、遠くまで・届くように・笑顔(はな)を咲かそう〉という励まし、支えをもたらしてくることだ。

 正直な話、現在の、つまりは5人編成のKAT-TUNのヴォーカルは、上手い下手とは完全にべつのレベルで、線が細い。それが全員の声質に起因する問題である以上は免れようがないのだったが、むしろその線の細さが「勇気の花」では、インパクトの弱さを覚えさせるものではなく、一人であることの寂しさをよく浮かび上がらせる役割を果たしているので、ついにユニゾンの厚みを得た瞬間、正しく一度目のコーラスの直前に亀梨くんが懸命なファルセットで〈独りじゃないよ・仲間がいるよ・立ち上がれ今・振り向かずに〉と表明しているのを受けるのに相応しいハーモニーが生まれる。

 はたして「勇気の花」はラヴ・ソングであろうか。いや、おそらくはラヴ・ソングでもあるだろう。一方で「WE」の主語で括られる詩情には、たとえば「Your side」における「君と俺」に限定された物語とはまた違う親しさ、慈しみ、せつなさの肯定形がシェアされていると確かに実感される。そう、〈そう、君のため・そう、遠くまで・届くように・笑顔(はな)を咲かそう〉すべての伴奏が鳴り止み、透明でいて誠実な響きとして残される決心は、他人に譲るのみでは済まされない。間違いなく、我々一人一人のものである。

 個人的には、リード・トラックにあたる「WHITE」よりも全部の仕様の2曲目に入っている「PERFECT」の方に好意を抱いた。どちらも現代的なジャニーズ・ポップスのアップデートなヴァージョンだといえるけれども、「WHITE」では、パワフルなドラムと(事前の情報ではヌーノ・ベッテンコートが担当していると聞いていた)ハード・ロック調のギターが、本来ならKAT-TUNの持ち味にベストでマッチするはずのそれらが、楽曲のアレンジに対してはマッチしていないせいか、いささか大げさ、そぐわっていないと思われてしまう。比べるに「PERFECT」の勢いづいたBPMが、春の色に合わせたかのような爽やかすら追い抜いていくそのはじけっぷりには、KAT-TUNのキャリアの連続性が紛れもなく汲まれている。

 もっとも、通常盤の3曲目に置かれた「SILENCE」の、ゴージャスなヘヴィ・メタルこそが、おそらくは従来のカラーに一番近しい。だいたい、今どきだよ。〈GOIN' DANGEROUS GOIN' DANGEROUS〉と繰り返してさまになるグループがKAT-TUNの他にどれだけいるっていうんだ。もしかすれば「Going!」よりもゴーインしてらあ、であろう。

・その他KAT-TUNに関する文章
 「CHANGE UR WORLD」について→こちら
 『NO MORE PAIИ』について→こちら
 「Going!」について→こちら
 「Love yourself 〜君が嫌いな君が好き〜」について→こちら
 『Break the Records -by you & for you-』について→こちら
 「RESCUE」について→こちら
 「ONE DROP」について→こちら
 「White X'mas」について→こちら
 『KAT-TUN III - QUEEN OF PIRATES』について→こちら
 「DON’T U EVER STOP」について→こちら
 「LIPS」について→こちら
 「喜びの歌」について→こちら
 『Cartoon KAT-TUN II You』について→こちら
 『Live of KAT-TUN “Real Face”』DVDについて→こちら
 「REAL FACE」について→こちら

 DVD『KAT-TUN LIVE Break the Records』について→こちら
 DVD『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』について→こちら

 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2010 PART2:WORLD BIG TOUR』(2010年・東京ドーム)
  7月24日の公演について→こちら
  7月17日の公演について→こちら
 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2010 公開リハーサル』(4月28日・さいたまスーパーアリーナ)について→こちら
 コンサート『不滅の10日間ライブ KAT-TUN TOKYO DOME 2009』(09年・東京ドーム)
  6月15日の公演について→こちら
  5月22日の公演について→こちら
  5月18日の公演について→こちら 
 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』(08年8月5日・東京ドーム)について→こちら
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2011年05月06日
 Chariot: Long Live

 いや、すげかったね。ときにハイ・エネジーなパッションは胸をすかっとさせてくれるのだったが、そんな気分に久々なれたのはつまり、昨日(5月5日)に渋谷CYCLONEでジョージア州アトランタ出身のラウド・ロック・バンド、THE CHARIOTのライヴを観たからなのだけれど、いや、これがすごかったぜ、という話である。

 豪速球のサウンドが、アルバムのヴァージョンよりもさらに激しく、アグレッシヴにプレイされるのは当然のこと、その荒々しさを体感のレベルに直接押し上げ、一層引き立てながら、軒並みならぬインパクトをもたらしていったのは、メンバー5人の、とにかく全員が全員、自分自身の自己アピールを前面に繰り広げているかのようなアジテーションでありパフォーマンスであろう。

 ステージ狭しどころか、ギターやベースが入れ替わりでステージを飛び出し、観客のすぐそばで楽器をぶんぶん振り回すその見境のなさ、フォーマットの枠という枠を取っ払っていく我が儘なダイナミズムからもう目が離せない。薄汚いファッション、フロントマンが小太りなのも含め、動きが止まった瞬間のルックスは決して映えていない。しかし楽曲がけたたましく演奏されるなか、あたり構わずはじけまくる姿には、こいつら只者じゃねえな、と唸らされるほどのポテンシャルが、まず間違いなく、宿されていた。

 眼前の光景に吹っ飛ばされる。シャープでいてパワフルなドラム、びりびり響くギターのリフ、フィードバックのノイズに耳を奪われてしまう。そして、必死の叫びでもって畳み掛けてくるヴォーカルが、重低音のグルーヴと競り合い、いっけん野放図にも思われる構成を何ともストイックな印象へと裏返してみせるのだった。

 全てのネジが超フル回転の状態で怒濤のごとくライヴは進むのだけれど、衝動、と簡単には言われない。またありきたりに、混沌、とは形容できない魅力が、THE CHARIOTの背骨にはあると思う。

 ラストのナンバーで大盛り上がりからエンディングに向かう最中のあの熱狂ときたら。実に百戦錬磨で千載一遇なものだった。ベースは勢い会場の出口にまで行きかけるし、片方のギターは暴れまくり、スピーカーの上によじ登る。まだドラムが激しいアタックを叩き出しているにもかかわらず、ヴォーカルはハイ・ハットやらをステージのワキに片付けていく始末である。はちゃめちゃだ。

 予測不能にも程度がある。だがもちろん、そこが素晴らしかったんじゃねえか、と述べるよりほかない。常軌を逸しかねないアクションの一つ一つがアーティストの個性に連結され、ウルトラ級の度合いに達していったときの興奮は正しく期待以上のものであって、いや、すげかったね。まさかポジティヴですらある気分がとどめを刺す。

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2011年04月12日
 Empty Days & Sleepless Nights

 米マサチューセッツ州ボストン出身の5人組、DEFEATERがフル・アルバムとしてはセカンドの『EMPTY DAYS & SLEEPLESS』で相も変わらずタフで勇ましいハードコアを掻き鳴らしている。しかしながら、以前にも増して叙情性が高まり、せつないと感じ入る部分がひじょうに大きくなった。このコントラストがひじょうに憎い。それはまるで、たくさんの悲しみや空しさに押し潰されそうな胸を代弁しているみたいであって、あるいは滅茶苦茶になりながらも決して崩れ落ちてしまわないためのガッツを漲らせている。やっぱりストロング・スタイルのバンドなのにアコースティックのセットでも堂々とプレイできちゃうところが強いんだろうな、と思う。全部で14曲の収録だが、ラストの4曲は完全にアンプラグドの仕様である。しかもそれが実にさまになっている。アメリカン・ルーツ・ミュージックを彷彿とさせるアプローチで、たおやかなメロディがしみじみ、そしてやわらかに響き渡る。演奏のアンサンブルは見事だし、あくまでもウェットなヴォーカルはハードコアのそれであることをすっかり忘れさせる。ここのパートだけでも高く買えるという向きがいてもおかしくはないだろう。だがもちろん、猛り狂うエモーションをぶちまけたヘヴィ・ロックこそがDEFEATERをDEFEATERたらしめている本領であって、いやただ激しいばかりじゃない、人の感情は一枚岩で成り立っていないことを、ごうごうと燃えさかり、ときには黄昏れた表情さえも組み込んだサウンドが、正しく体現しているのだった。ああ、誰の心にも浮き沈みがあるのなら、そのアップとダウンはこうも逞しいグルーヴを練り上げることができる。確かに生きていることの実感となりえる。すべての試練を前に脆くも倒れ込んでしまわないだけの気迫を分け与えてくれる。最高に好きナンバーは3曲目の「WAVES CRASH, CLOUDS ROLL」だ。もっといえば「WAVES CRASH, CLOUDS ROLL」から続く「EMPTY GLASS」への流れが良い。アルペジオの印象的なギターが両者を繋ぐ。カタルシスをともなった叫び。祈るような静寂。拳を握る手に怒り。

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2011年04月07日
 縁を結いて

 その歌声から伝わってくる、やさしさやせつなさ、つよさに撫でられ、呼吸を確かにしていく自分を信じて止まない。込められた意図を過剰に解釈するまでもないだろう。シンプルに受け取りたい。照れたり臆することなく〈きみがいてくれるから / 孤独も愛せてしまうけど / 嘘をはぐれよう… / ぼくらが / 愛のメロディであることを / 偽りない / 愛のメロディであることを / いまにも始めよう…〉そう述べてみせる通常盤3曲目の「赤いSinger」は、とても素敵な、そして魅力的なラヴ・ソングなのだと思う。おだやかにピアノの調べをたゆたわせながら、ストリングスがひとしきりの盛り上がりを奏でたバラードである。ソウルフルなアプローチはそのまま、リズムを主体にした構成を後ろへ下げることで、堂本剛というメロディ・メイカーの資質が、ひさびさ、さんさんと輝いている。アレンジはまったく異なっているけれど、しかし「街」(02年)や「ORIGINAL COLOR」(04年)にも通じる世界観が、いや確かに戻ってきている。〈きみ〉と〈ぼく〉イコール〈ふたり〉である〈ぼくら〉の、身近さゆえに切実なイメージからだんだんとカメラを引いていき、時代と名指される遠景のなかに愛の広がりを描写しようとする。この点にある種のカタルシスがもたらされているのだったが、やはりそれを具体化し、十分な成果をあげている歌声がめざましく、めざましい。バックの演奏はかなり控えめだ。かわりにヴォーカルが、どこまでも伸びやかでいて独特な節回しのエモーショナルに響くヴォーカルが、いくつもの憂いとたっぷりの晴れ間を作り出しているのである。楽器パートが最も扇情性を帯び、その激しさを通じて〈立ちはだかる / それが雨だとしても / 立ち尽くしている / ここじゃ終われないだろう…〉と刻まれるクライマックスにすべては集約される。無論、「赤いSinger」における〈きみ〉とは、オープニングとエンディングに置かれたSEや歌詞の詳細からうかがえるとおり、堂本剛自身の心臓を指しているに違いない以上、他の誰かとの関係をテーマにしているのではないのかもしれない。そうだとしたら〈ひどく息づいた傷みは / 時代のなかでもがくけど / 迷いを解くよ… / ぼくらの / 愛のメロディが好きだよ / きみとぼくの / 愛のメロディが好きだよ / 重ねた鼓動を駆け上がるよ〉このようなコーラスはたいへん孤独で寂しげなものにほかならない。だが、すでにいったように、きらめいたメロディに注ぎ込まれた歌声の著しい印象がそれを、深い悲しみに対立しうるラヴ・ソングへと変えているのであって、ねえ〈赤いSinger / いまを歌おう / 眩しいくらいの / たったいちどの愛を〉というフレーズに、肯定されるべきたくましさを見つけられればよいのである。タイトル・トラックにあたる「縁を結いて」は、剛紫名義(09年)以降のオーガニックなプロダクションを、よりスケールの大きなところにまで持っていっている。「えにをゆいて」なる言葉の連なりが、あるいはそれを発見した喜びが、抽象性の高いシーンを焦らずゆっくり紡ぎ出しているみたいだ。通常盤2曲目のインストゥルメンタル「時空」では、前シングルの『RAIN』に顕著であったバンド編成のファンクではなく、幽玄なシンセサイザーがニューエイジ・ミュージックとの接近を思わせる。

・その他堂本剛に関する文章
 コンサート『ENDLICHERI☆ENDLICHERI LIVE 「CHERI E」』(2010年8月24日・国立代々木競技場第一体育館)について→こちら
 DVD『薬師寺』について→こちら
 『RAIN』について→こちら
 コンサート『ENDLICHERI☆ENDLICHERI CHERI 4 U』(09年8月19日・国立代々木競技場第一体育館)について→こちら
 『空 〜 美しい我の空』『美 我 空 - ビ ガ ク 〜 my beautiful sky』について→こちら
 『I AND 愛』について→こちら
 『Coward』について→こちら
 「ソメイヨシノ」について→こちら
 [si:]について→こちら
 『僕の靴音』について→こちら
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2011年04月05日
 swampthing.jpg

 握り拳で、ガッツよこせよ、おらあ、と顔面をヒットされるような轟きがある。ヴァージニア州リッチモンド出身、SWAMP THINGのニューEP『SWAMP THING』には正にそれがある。08年の『THE YOUTH IS SICK』も、09年の『IN SHAME』も、すさまじいテンションに圧倒される激動のハードコアであったが、そのヴァイブレーションは一向に衰えることなく、たったの4曲ではあるものの、彼らが凡百のバンドには止まらないであろうことを知らしめるのに十分なものとなっている。組み合ったとたん、はじかれそうな気合いに、何がなんだかわからないけれども負けた、と思わされる。窮鼠が猫を噛むほどの衝動を重低音化、突き刺さるほどにささくれ、捲し立てるスピードが焦燥を煽るあまり、行方不明になりかねない勢いでクラッシュしまくったサウンドである。小難しく考える仕組みを必要としない。基本の構成はストレートかつシンプルで、ヴァイオレント、ヴァイオレント、とにかくヴァイオレントにあたうかぎりヴァイオレントなイメージを叩きつけてくる。メタリックなギターのリフが鋭くはためけば、ヴォーカルはひたすらアングリーに叫ぶ。それはまるで、この一瞬しかない、という主張を著しくしているみたいであって、どこかで折れねば、の妥協点を探る隙もない。はにかまない。プライドの高さすら感じさせる。結局のところ、胸ぐら掴まれ、勝てる気がしねえ、という気にさせられるのはそこの部分なんだよな。御託よりも態度の問題であろう。おまえらがくだらない誤りを述べるかわりにおれはガッツを信じる。「I NEVER KNEW」にみなぎるパワーが、「OUT OF CHARACTER」からあふれるグルーヴが、「CLOUT」をふくれさせるダイナミズムが、「I KNOW YOU」のまっすぐなカタルシスが、そう言っている。

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2011年03月28日
 Pedals

 誤解をおそれずに述べるなら、RIVAL SCHOOLSの(なんと!)およそ9年ぶりとなるセカンド・アルバム『PEDALS』は、たとえばR.E.M.の最新作『COLLAPSE INTO NOW』がそうであるように、たいへんひらかれた内容になっていると思う。それはつまり、自分たちならではのスタイルをキープしながら、旧いや新しいの尺度とはべつのレベルで、じつにアメリカのバンドらしいキャッチーさを、一定のスケールをともない、正確に再現しているということである。いささかマイルドに収まっているふしもあるにはあるのだったが、その大人び、リラックスしたテンションのなか、しかし一過性ではないエモーションを鮮やかにコントロールし、ミドル・テンポの基本形に緩急を織り交ぜ、力強くロックしているところが、まるで誠実さのあらわれにも聴こえてくる。間口の広さ、親しみやすいまでのクオリティは、もしかしたら01年の前作『UNITED BY FATE』を上回っているのではないか。少なくとも、フロントマンのウォルター・シュレイフェルズをはじめ、ごりごりのハードコアから出発したメンバーたちが、さまざまな道のりを経、かくも普遍的なサウンドを得るに至ったこと、メロディ、アレンジ、演奏のすべてが、成熟と判断するのに相応しい域へと達していることに、ある種の美徳を見出せるのであって、外圧に惑わされないだけの余裕が、各曲をひじょうに映えるものとしているのだ。経験は間違いなくその人を逞しくさせる。フットワークは軽やかだけど、あやふやじゃない。堂々とした軌跡のサウンドが頼もしい。まったく。頼もしいとはこういうことであろう。憧れさえ抱かせる。

 来日公演(2010年4月13日)について→こちら

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2011年03月01日
 SONS OF THE NORTH

 不確かなものばかり。どんな意見にしたって所詮は流行りの消耗品にしか思われないようなとき、他人の目を気にしないぐらいに趣味だけを貫いている姿が、やたら眩しく見えることがあるんだ。BLACK SPIDERSのファースト・フル・アルバム『SONS OF THE NORTH』が出た。以前にも述べたとおり、元GROOP DOGDRILLのピート・スパイビーが、FUTURE EX WIFEを経て、現在稼働させているバンドである。ヘヴィなブルーズを基調とし、ダイナミックに展開されるロックン・ロールが、たいへん潔い。ずばり迷いのなさが鉄腕の強度を備えさせているのであって、そこに惚れ惚れ、魅力的なピークを宿している。しかしなるほど、EPの単位ではさほど気にならなかったが、こうして全体のデザインがはっきりとした作品を前にすると、かつてGROOP DOGDRILLで狙っていたのとは意外に違った方へ音楽性を向けているのがわかる。アップ・テンポなナンバーを揃えてはいるけれども、パンクであったりジャンクであったりの印象はかなり薄まった。もしかすれば、WHITESNAKEあたりのブリティッシュ・ロックをアップデートしていった先に置かれるべきサウンドなのかもしれない。ところどころLED ZEPPELINの影響もうかがえる。ギターのフレーズが色気をたっぷりにうねり、ヴォーカルのメロディがしばしばセクシーな調子になるのは、その証拠だろう。昨年の『NO GOATS IN THE OMEN』EPに収録されていた3曲目の「JUST LIKE A WOMAN」をはじめ、女性ヴォーカルがデュエットに参加している4曲目の『EASY PEASY』や、タイトルに似つかわしい派手なロールでエンディングを飾る10曲目の『WHAT GOOD'S A ROCK WITHOUT A ROLL?』などは、たとえばAIRBONEやTHE DATSUNSがそうであるならば、ハード・ロックの文脈に相応しいスタイルを持っている。ただし、いささかタイトでストレートすぎるか。個人的にはもっとジャンクに大胆なカオスを溢れさせていてくれてもよかったが、もちろん、先行でリリースされていた1曲目の「STAY DOWN」や6曲目の「ST. PETER」における猛々しさ、アグレッシヴなフィーリングが損なわれていないのは好ましい。7曲目の「MANS RUIN」における気怠さを引きずったグルーヴには、90年代のグランジやストーナーと相通じるニュアンスがしかと含まれている。いずれにせよ、タフでいてガッツを盛り沢山にした作品である。好きなことを好きなようにやる。明け透けな、俺たちにはこれしかないもんね、の態度に愚直さと誠実さの詰まった。

 『CINCO HOMBRES (DIEZ COJONES)』EPについて→こちら

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2011年02月19日
 Long Live the Chariot

 ああもう面倒が臭いほどに溜まったら大声で叫べよフラストレーション、である。轟々としたガッツに不安も憂鬱もいっさい砕かれてしまえばいいのだった。そんなにうまくいくかな。いくよ。THE CHARIOTの『LONG LIVE』がそれを証明している。ジョージア州アトランタ出身の5人組で、05年にデビューしたバンドだけれど、通算4作目のフル・アルバムとなるここでも、初期の衝動を損なわないまま、激しいテンションのサウンドを撒き散らしているのだ。今日的なハードコアのマナーに則って拍子の落差に楽曲の展開を任せていたりもするが、そこが第一印象となっていないところに高ぶり、強く引っ張られるものがある。端的にいえば、直情。超剛猛速球のオンパレードだろう。ギターのノイズが不機嫌に響き渡るなか、ドラムが無愛想なリズムを叩きつけまくる1曲目の「EVAN PERKS」から先、まったく息つく暇がない。ヴォーカルは太い声を荒げ、ナイーヴな主張とは正反対のエモーションをさらけ出す。こんなにも怒りに怒り、切羽詰まっているんだぞ、心に本当でいたいなら躊躇いや戸惑いなど知ったこっちゃない、の態度を剥き身にしているのである。2曲目の「THE AUDIENCE」で起爆させられるスリルに体を震わせよう。もちろん、徹頭徹尾ストロングなスタイルを貫いているため、場合によってはワン・パターンに近しいイメージを免れない。しかしそれがネックにならないだけのエネルギーが全編に満ち溢れている。いや、突然ラジオフレンドリーなポップスが盛り込まれる3曲目の「CALVIN MAKENZIE」であったり、デジタルな触感でフレーズをエディットした4曲目の「THE CITY」や9曲目の「THE HEAVENS」に顕著なとおり、ユニークなアクセントを随所に置くことで、楽曲毎の存在感がくっきり、決して飽き飽きとしないまでの抑揚がつけられている点に、あ、と息を漏らすのに十分な独創性が見られるのだし、そこがまた作品の新鮮な魅力ともなっているのだった。おそらくアーティストの企画力とポテンシャルがよく出ていて、すなわちハイライトに挙げられるべきは7曲目の「DAVID DE LA HOZ」だと思う。ごり押しのスピードではじまったナンバーが、エキセントリックな変調を経て、スローなドゥームを孕み、やがてピアノとハープの調べに辿り着く。いくつもの山場が正しく一連なりにされているのだ。ホーン・セクションを導入した10曲目の「THE KING」その軋んだグルーヴも侮れねえ。混沌にまみれた世界を意識させるが、一方でそうした有り様に対する極度の抵抗がクリアーにあらわされている。要するに、主体性が音源としてきっちり確立されているのである。フラストレーションを我慢しない。不安も憂鬱もいっさい砕いてくれるかのようなガッツを轟々と放つ。

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