ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年12月20日
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 はたして『Kis-My-Ftに 逢える de Show』か、といえば、もちろん逢える、逢えたよ。というわけで、昨日(19日)の夜は、ジャニーズの新鋭である7人組、Kis-My-Ft.2(以後、キスマイ)の初となる単独ツアーに参加するため、横浜アリーナへと行ってきたのだが、そのコンサートの内容は、なるほど、未デビューのグループでありながらもジャニーズJr.として場数を踏んでいる経験が、フレッシュであることとソツのないこととを適度なバランスでキープし、今できるかぎりのアトラクションを今できるかぎりのポテンシャルでアピールするのに相応しいものとなっていた。

 光GENJIよろしく、ローラースケートの滑走を一つのトレード・マークとしているのがキスマイなのだけれども、アリーナ席をぐるりと取り囲むかたちでロード状に組まれたセットに、バンクありSの字あり、かなりユニークなデザインが施されていたのは、必然それを生かすための工夫であって、じっさいパフォーマンスのほうも、中央に設置されたメインのステージにこだわることがないほど、縦横無尽なものであった。いやつねにローラースケートを履いているのではないのだが、ステージの特殊な構造は随所で演出上の変幻自在さを高めていたように思う。

 さて、勢いよくキスマイが飛び出し、オープニングを飾ったナンバーは、アップ・テンポなミクスチャー・ポップといえる「Kis My Me Mine」で、その爽快な出だしがたちまち気分を盛り上げる。基本的に、バックのサウンドはすでにレコーディングされているトラックでしかなく、要するにそこにヴォーカルが載るだけのカラオケに近い仕様なのだが、なぜかドラムのパートのみQuestion?の淀川くんが生で演奏していて、リズムにアタックの強さが加わっていたのは、ライヴのシーンに即し、跳ねるような勢いを効果的に加速させていた。続いて「千年のLOVE SONG」に「Kis-My-Calling」と、ファンにはお馴染みの楽曲が次々繰り出される。コミカルな自己紹介を歌詞に盛り込み、テーマ・ソング的な意味合いを持つ「Kis-My-Calling」の一節は、のちほどのゲーム・コーナー(大喜利)で何度も繰り返されることになる。

 中盤、ソロ・コーナーで宮田くんがNEWSの「恋のABO」を、そして先ほど触れたゲーム・コーナーを挟み、先輩グループのナンバーを借りたメドレーに入ってゆく。滝沢くんの「ヒカリひとつ」、KAT-TUNの「喜びの歌」、嵐の「WISH」、このへんはキスマイ自身がそれらのバックで踊った過去があることを踏まえるなら、キャリアを振り返るような意味合いを持っていただろう。そうした流れを受け、もっと旧いところへと、今度はジャニーズの歴史がプレイバックされはじめる。SMAPの「らいおんハート」、V6の「太陽のあたる場所」、光GENJIの「太陽がいっぱい」ときて、光GENJIの「パラダイス銀河」と自分たちのオリジナル・ソングである「Endless Road」を、マッシュ・アップというか、ミックスし、ルーツから現在までの連続性をあきらかにしながらさらには光GENJIのナンバーである「STAR LIGHT」を繋げ、先般「ミュージックステーション」でも披露された最新の楽曲「テンション」を持ってくる趣向は、じつにおもしろい。ひじょうにコンセプチュアルなものを感じさせる。

 また、MCの後ほどにはメロウな「雨」や「祈り」などをクッションとし、少年隊の「仮面舞踏会」をカヴァー、その少年隊の役割を継ぎ、今年に主演したミュージカル「PLAYZONE'09 〜太陽からの手紙〜」の内容を一部分引っぱってくるのも、まだ曲数が十分とはいえないグループにとって、同じナンバーを何度も繰り返すより、有意義な構成になっていたと思う。ミュージカルで共演した屋良くんや内くんがVTRでキスマイとコメントのやりとりをする演出にしたって悪くない。個人的には、「PLAYZONE'09 〜太陽からの手紙〜」の楽曲はともかく、せつなさを潤わせるぐらいにメロディのやさしい「雨」に、そうそうこれを聴きたかった、と肩を震わせられてしまった。

 たしかMCで、後半はクールなキスマイを見せる、みたいなことをいっていたが、このグループにおいてクールとはすなわち、ハードでありヘヴィでありセクシーな方向性であることが、「Hair」や「FIRE BEAT」、「街角DEEP BLUE」の、KAT-TUNの後継ともとれるアグレッシヴな、今ふうの言葉でいうならオラオラ系のアプローチにより示される。しかしすでに「FIRE BEAT」は完全なアンセムではないか。フロントを兼ねる2人、北山くんがラップ調のヴォーカルで煽れば、藤ヶ谷くんがやはりラップ調のアジテーションで応える出だし、そこにはキスマイの若さと躍動、今ここを逃してはなるまいとする負けん気が、はちきれんばかりに漲っているだろう。うんうん、大好きだよ。

 本編を締めくくったのは、ラヴ・ソングのなかに感謝と別れの気持ちを織り込んだ「Good bye, Thank You」であった。その、甘く、たしかに黄昏れてはいるが、しかし伸びやかなバラードは、ラストのワン・シーンにはぴったりとくる。メンバー一人一人が最後の挨拶をし、ステージを去っていったあとには、たっぷりの余韻が残る。アンコールでは「千年のLove Song」などが披露されたおよそ2時間半は、他のジャニーズのグループが行う公演に比べ、決して長いとはいえないものの、とかく盛りだくさん、満足のいくアトラクションがぎっしりと詰まっていて、ああ、ほんとうに楽しかった。
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2009年12月04日
 Lost Ground

 BRIDGE NINEというハードコアを主とするレーベルには、ベテランから若手までやたらガッツの盛んなバンドが揃っており、かなり頼もしいと感じられるわけであったが、なかでもボストン出身の5人組であるDEFEATERが、けっこうお気に入り、ファースト・アルバムにあたる08年の『TRAVELS』も、最高潮にヒートがアップする作品だったのだけれども、この6曲入りの新作ミニ・アルバム『LOST GROUND』は、その、勇ましく、逞しく、はち切れんばかりの熱気をまとった印象に、さらなる箔をつけるかのような内容になっている。いや、たしかに音の出方は太いし、すっごく硬い。ストロング・スタイルの取り組みでフラストレーションをねじ伏せる。しかし、豪快に放射される音、音、音の単純な圧のみが、興奮の切っ先を鋭くしているのではないだろう。たとえば、リズムはどかどか鳴り、ヴォーカルは叫び、ダイナミックなうねり、波長はささくれ立ち、とかくアグレッシヴなオーラを全編に漂わせてはいるが、展開のある部分で、ギターが、それまでと太さや硬さの質を違えることなく、凪ぐ。メタリックな憂いを孕む。そうして、怒りと悲しみとが、まったく位相の異なった根を持っているのではなく、入れ替わるのが不自然ではないほどに近しく育ったエモーションであることを、表現している。サウンドの、すばらしく強烈なカタルシスの、濃い説得力も、そこに宿っているのである。果敢に攻めてゆく印象のナンバーはもちろんのこと、スローなテンポの荒涼と激情とが満ち欠けし、やがて〈no hope. no hope〉というコーラスを繰り返しながら、沈黙する3曲目の「A WOUND AND A SCAR」とか、たいへん、かっこういい。

 『TRAVELS』について→こちら

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2009年12月03日
 Signs of Infinite Power

 しかしFU MANCHUは裏切らねえな。うんうん、裏切られたためしがない。より正確を期すなら、FU MANCHUというバンドに求めるものが、つねにそこに、つまりどの作品にも備わっているのであって、不十分であったり残念に感じられた記憶がない。もちろんそれはこの、前作の『WE MUST OBEY』からおよそ2年ぶりとなるニュー・アルバム『SIGNS OF INFINITE POWER』にもいえるわけで、ぶるぶる震えるほどに低音をひずませたギター、そしてずっしりと構えたリズムが波打ち、太くヘヴィなグルーヴがとぐろ巻くなかから、最高にハイなロックン・ロールが噴き上がってくることのかっこうよさは、もう、絶対に間違いないだろうね。スコット・ヒルの、独特な節回し、少々ぶっきらぼうにアクセントを区切るヴォーカルもあいかわらず、雰囲気たっぷり、男らしさとはこうあってもよい、といったところを聴かせる。たしかに、ある種マンネリズムの境地には入っているのだけれど、むしろスタイルの一貫性を保ったまま、ソング・ライティングの質をまったく低めていない点が、そらおそろしいわ。リフのパターンにしたって、きわめてオーソドックスであるぶん、アイディアは限られているだろうに、どれもが目覚ましく決まっているんだからな。1曲目の「BIONIC ASTRONAUTICS」をはじめ、2曲目の「STEEL.BEAST.DEFEATED」や5曲目の「EL BUSTA」等々、アップ・テンポなナンバーは、当然のごとく、燃えるし燃えるし燃える。他方、スローなブルーズがドゥームのクラウドをふんだんに孕む4曲目の「WEBFOOT WITCH HAT」や6曲目の「SIGNS OF INFINITE POWER」あたりも、たいへん魅力的なハイライトなりえているだろう。さらには、ミドル・テンポの馬力に任せ、直感的なフレーズをプッシュ、いっけん単調ではあるものの、いつの間やらパワフルなうねりに巻き込まれてしまう8曲目の「GARGANTUAN MARCH」も、じつにナイスで。いやいや、このバンドはほんとうに裏切らねえな、と思わされる。

 『WE MUST OBEY』について→こちら

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2009年11月29日
 BANDAGE【期間限定盤】 BANDAGE【初回限定盤】

 たしか事前のインフォメーションでは、80年代頃のブリティッシュ・ロックを意識したサウンド、というような話だったが、いやまあ、しいていえばそういうふうに聴こえなくもないのだけれど、抑揚に乏しいメロディとリズムとをリフレインさせることで、良くも悪くも平熱的なエモーションを練り上げてゆく構成は、My Little Loverの一部にも通じるところがあり、要するに、小林武史の手癖、でしかないと思う。日本人としてのアイデンティティをJの語で括られるような音楽のフォーマットに喩えたかのような歌詞の内容はともかく、パターンの狭い語彙を淡泊に反復させるあたりも、だよね。いずれにせよ、そういったソング・ライティングの粋と、我が愛すべきシンガーである赤西仁のあいだに、いかなるマジックが生まれるのかこそが、同名映画の劇中バンドにあたるLANDSの名義でリリースされた「BANDAGE」にかかる最大の関心であったろう。しかし結論を述べるのであれば、あまり大きなワンダーは得られなかったかな、という気がする。両者のマッチングが悪かったとは言わない。単純に1足す1が2になる以上の魔法を見つけられなかったのである。裏を返すなら、期待値を派手に上回ることはなかったものの、双方の相応の雰囲気のよく出た仕上がりとなっている。

 正直、クリスタル・ケイとのコラボレーションを果たした「WONDER」や「Helpless Night」の、あの衝撃を越えるものではなかったが、それはつまり、赤西くんの歌声が、ロック調のナンバーよりもR&Bの路線のほうに合っているということなのか。いや、必ずしもそうではないだろう。これまでのKAT-TUNの活動のなかでも、赤西くんがソロをとったりメインを張ったりするロック調のナンバーはいくつかあった。そこではたとえば、「care」の透き通るほどにナイーヴなラインよりも、「BUTTERFLY」の奔放なほどにパワフルなラインのほうが、強烈であったように、あるいは「Real Face」における〈アスファルトを蹴り飛ばして〉から〈すべって空振り〉までの彼のパートに迸る熱情や、さらには「Will Be All Right」の出だしで〈頑張ってる・君の目が・世界中に輝いて〉と力強く告げてくるヴァイタリティが、何よりも魅力的であるように、ロック調のナンバーにはロック調のナンバーに適したモードがある。それがむしろ、「BANDAGE」では、クールに抑えられている印象がある。もちろん、このことを低く見ているのではない。おそらくは、小林武史の意図した点であるに違いないし、どこか冷めた視点を持った歌詞のイメージには合っている。ただ、赤西くんのポテンシャルを圧倒的に引き出す、もしくは引き上げるだけのインパクトが有されていないことを、惜しい、と思うだけだ。

 でもね、やっぱり赤西くんのことが大好きな人間であるから、繰り返し繰り返し耳にするうち、うれいやせつなさの屈託を含みながら高く飛翔していくふうな声の伸び、ヴォーカルの立ち方には、いかんせん惹かれてしまう。

・その他KAT-TUNに関する文章
 『Break the Records -by you & for you-』について→こちら
 「RESCUE」について→こちら
 「ONE DROP」について→こちら
 「White X'mas」について→こちら
 『KAT-TUN III - QUEEN OF PIRATES』について→こちら
 「DON’T U EVER STOP」について→こちら
 「LIPS」について→こちら
 「喜びの歌」について→こちら
 『Cartoon KAT-TUN II You』について→こちら
 『Live of KAT-TUN “Real Face”』DVDについて→こちら
 「REAL FACE」について→こちら

 DVD『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』について→こちら

 コンサート『不滅の10日間ライブ KAT-TUN TOKYO DOME 2009』(09年・東京ドーム)
  6月15日の公演について→こちら
  5月22日の公演について→こちら
  5月18日の公演について→こちら 
 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』(08年8月5日・東京ドーム)について→こちら
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2009年11月14日
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 理屈じゃねえんだ。いや、結局は方法論にすぎないのかもしれないけれど、何よりも直感ではじけ、盛り上がっているかのような気分を、音楽といっしょに、味わえたら、うれしい。90年代半ばに活動し、本国スウェーデンのみならず、世界中に多くのシンパを得たREFUSEDの元ヴォーカルであり、現在はTHE (INTERNATIONAL)NOISE CONSPIRACYやTHE LOST PATROL BAND等々の活動で知られるデニス・リクスゼンのあたらしいプロジェクト、AC4が、そのグループ名ままのファースト・アルバムで聴かせるのは、ひじょうにまっすぐな激情であった。シンプルなビートが、あ、という間に、跳ね、勢い任せ、名残なんて惜しんでたまるか、と言わんばかりのスピードを、はたはた、ひるがえらせてゆく。それはたとえば、REFUSEDのポスト・ハードコアとは違っているし、THE (INTERNATIONAL)NOISE CONSPIRACYやTHE LOST PATROL BANDのロックン・ロールともまた違っている。もっとずっとクラシックなパンクのかたまりを炸裂させているのである。あくまでもワン・アイディアを基本とした構成、足し算の展開を盛り込むのではなく、ハイでフルなエネルギーを出力、見事な掛け算を成立させる。簡潔なフレーズを繰り返し繰り返し、ひたすら熱気を込めながら、ゆるめず、繰り返すことで、余計な口をいっさい挟ませないほどの激しさを実現しているのだった。すべての楽曲が2分に満たないというのも、迷いをうかがわせない。そうしたあらゆるは、たしかに、選び採られたサウンドのスタイルにそった方法論、マナーでしかないのだろうが、兎にも角にも先走ったガッツに一撃を食らわされるのであって、ぬおお、だれるのはもうやめよう、しゃきっと奮い立っては、うずうずしてくるな。アイキャンドゥイッアイキャンドゥイッアイキャンドゥイッアイキャンドゥイッゴー。いっしょになって、叫んでやった。

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2009年10月31日
 スワンソング【完全初回限定盤】 スワンソング

 KinKi Kidsのニュー・シングルとなる「スワンソング」は、「硝子の少年」をはじめ初期の代表曲にいくつも関わってきた松本隆が詞を提供しており、絢爛なストリングスと打ち込みのリズムがバックのトラックを盛り上げていくのに反して、歌われるメロディはせつなく、綱引きが幻想的に響くなか、今にも壊れそうな関係性をイメージさせる。じつにこのユニットらしいナイーヴさのよく出たナンバーとなっている。が、それにしても「スワンソング」のみならず、今回のリリースのために揃えられた楽曲の数々からは、まるで少年時代に別れを告げているかのような儚さを感じてしまう。あるいは、三十歳代に入り、かつての幼さとは異なるベクトルを持ちはじめた堂本光一と堂本剛の表現力が、そのように受け取らせるのかもしれない。初回盤と通常盤の双方に収められた2曲目の「サマルェカダス 〜another oasis〜」は、しっとり、落ち着いた抑揚とアレンジが、クラシックな歌謡曲を彷彿させる。二人のヴォーカルが何よりも前にき、光一くんの力み、剛くんの伸び、いま現在におけるKinki Kidsというコントラストが、コーラスの箇所に〈幼い僕なら裸足で行けた・憧れと喜びがあふれだす世界〉とあるとおり、過去からはセパレートされた場所と心情を描く。正直、自分の好みでいえば「スワンソング」よりもぐっとくる。作曲も手がけているマシコタツロウの詞は、ひじょうにまっすぐな悲哀を孕んでいて、〈僕が生まれたその日から季節は巡り・地図も持たずにここまで歩いた・絵具が足りなくなるほど描いた夢なら・額に飾ってばかりじゃ意味がない〉と書きつけられた出だし、そこをソロでとっている剛くんの、さすがに上手い、艶っぽさもあり、とたんに引き込まれる。初回盤、3曲目の「深紅の花」も、アップ・テンポでダンサブルなナンバーだが、基調はやはり、物悲しい。ところで初回盤に並んでいる3曲はどれも、詞に盛り込まれたフレーズはもとより、林部直樹のギターがそうさせるのか、どこか異国めいた情緒を共通して持っている。まあ、アイドルのポップスによくあらわれる抽象性にすぎないのだけれども、それがある種の距離感をつよく表象するふうになっていることが、じつは重要だ。むろん、一つにはラヴ・ソングのニュアンスで主体と相手のあいだの隔たりを意味しているわけだが、もう一つ、自分自身をかえりみた主体の過去と現在とに区切られてしまった感傷を肩代わりしているのだろう。すこしずつ遠ざかる景色がうつくしく見えるのは、もしかすれば二度とは戻れない予感を含んでいるためであって、おそらくは「スワンソング」の収録曲に聴こえる印象、少年時代に別れを告げているかのような儚さも、そうしたあたりに起因している。通常盤の3曲目である「面影」は、タイトルからしてもう、パセティックなバラードで、「サマルェカダス」と同じく、アレンジはクラシックな歌謡曲を思わせる。光一くんと剛くんとが、前半と後半のハーモニーで主旋律を入れ替わる、はっきりとわかれてゆく両者の個性が、しみじみ、余韻に繋がる。

 『Secret Code』について→こちら

・その他堂本剛に関する文章
 『RAIN』について→こちら
 コンサート『ENDLICHERI☆ENDLICHERI CHERI 4 U』(09年8月19日・国立代々木競技場第一体育館)について→こちら
 『空 〜 美しい我の空』『美 我 空 - ビ ガ ク 〜 my beautiful sky』について→こちら
 『I AND 愛』について→こちら
 『Coward』について→こちら
 「ソメイヨシノ」について→こちら
 [si:]について→こちら
 『僕の靴音』について→こちら
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2009年10月29日
 Axe to Fall

 とにかく、アタマの4曲が強烈だ。最高潮に燃える。血気が盛んとはまさしくこのことかよ。初期の頃のイメージからすると、ぐしゃぐしゃに歪んだカオスのごとき想念は鳴りを潜め、かわりにヘヴィ・メタリックな構築性が増し、ひじょうに聴きやすくなった、ともとれるので、おや、と思わされるところもあるにはあるが、そこを含め、結局はその、音塊をぶんぶんと振り回すような勢い、アグレッシヴなアプローチに圧倒されてしまうのである。ねえおまえさん、おまえさんがねえ、しょげたり、愚図ったり、うんざり、膝を折りそうになって、いっそのこと粉砕の衝撃に何もかもを忘れてしまいたくなるとき、まあこれを耳にしたまえよ。と、CONVERGE(コンヴァージ)の通算8作目となるニュー・アルバム『AXE TO FALL(アックス・トゥ・フォール)』は、そうしたオーダーにちょうど答えているみたいだった。すでに述べたとおり、アタマの4曲によって、ほとんど作品のインパクトは決定されている。ハイ・スピード、高速で繰り出される重低音、矢継ぎ早な展開、のっけから扇情性をフル出力する「DARK HORSE」、ぎりぎりの緊張でスリルをつよめる「REAP WHAT YOU SOU」、激しいモッシュ・ピットを想像させる「AXE TO FALL」、瞬くギターのノイズが鮮明な「EFFIGY」、テンションというか、集中力を一点に張ったナンバーが連続するのだけれど、どれも同じパターンには陥っておらず、細やかなヴァリエーションのなかで、個々の存在感をアップさせながら、途切れることもなしに急襲をかけてくるのだから、たまらない。息つく間も与えてはくれないほど。アドレナリンの値をがんがんあげる。そして特筆すべきは、ベン・コラーのドラムだろう。たとえばそれは、SLAYERの傑作においてデイヴ・ロンバードの叩きっぷりが象徴的な印象を持っているのに似て、各曲のヴァリューを高めている。すばらしくパワフルな打撃が、躊躇いもなく、修羅の道に立ち塞がるぜんぶを薙ぎ倒してゆくのである。しかし過剰なクライマックスの連続は、ドゥームを装ったスローで摺り足の「WORMS WILL FEAD / RATS WILL FEAST」を5曲目に迎え、いったん食い止められる。これ以降、スピードとエネルギーをたんなる加算式に積み重ねるばかりではなく、度々、意識の暗がりを深く掘り下げるかのようなセクションを設けながら、アルバムは構成される。そうした局面が一種のバランスとなって、作品の全体像には、今までになかったぐらいのまとまりがある。まとまりがあるというのが、CONVERGEにとって褒め言葉になるかどうかはわからない。が、アタマの4曲は、やはり刺激的、舌を巻かざるをえない。もちろん、6曲目の「WISHING WELL」を筆頭とし、後半にもハイパー・アグレッシヴなナンバーが揃えられている。しかし、このバンドならではのすさまじさが、まぎれもなく実感されるのは、冒頭だ。幕を開けたとたん、いっさいを灰燼に帰してしまうつもりか、轟々と灼熱があふれ出す。あたかも絶望に達しそうなフラストレーションが凝縮され、翻り、うなっているんだ。と思いながら、身を乗り出す。

 『NO HEROES』について→こちら
 『YOU FAIL ME』について→こちら

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2009年10月19日
 ジ・ウィンドアップデッズ

 洗練されたメロディはあまりにもたくさんあって、たとえば「美メロ」なるキャッチ・コピーを目にしただけで白けてしまう時代を生きられることが、はたして幸か不幸かは知れない。が、触れたとたん自然と心が開かれてしまう旋律というのは、たしかに、ある。それこそ自分にとっては、スウェーデン出身の4人組、THE WINDUPDEADS(ジ・ウィンドアップデッズ)のファースト・アルバム『THE WINDUPDEADS』によって聴かれるサウンドなどが、まさしくそう。パセティックにしなり、ドラマティックにうねり、適度なハードさをもって響くバンドの演奏、展開はストレートだけれども、音色は暗がりをつくりながら、ひずみ、センシティヴであると同時に端整なヴォーカルが、キャッチーともとれるラインを起伏させる。おそらくはTRAVISやCOLDPLY、初期MUSE等のブリティッシュ・メランコリーに通じるところのあるエモ系のアプローチと解釈してしまっても構わないだろう。だがやはり、先達にはKENTがいて、さらにはLAST DAYS OF APRILがいて、というスウェディッシュ・メランコリーの新しい系譜であるような感慨がつよい。とはいえ、それらに比べると大味にも受け取れるからか、個人的には、バラード・タイプのナンバーよりも(いやいや決して悪くないのだが)、ポップな印象のなか、躍動する調子を前へ後ろへ、胸騒ぎのせつなさを高鳴らせたナンバーのほうに抗えないものがある。4曲目の「THE END」が、最高潮に好き。2曲目の「OPTION」や6曲目の「NO DENIAL(MURDERER)」、9曲目の「REVERSE SHADE」もよい。それから11曲目の「NO ACTION NO REGRET」、タイトルどおり、素朴にひねられたクリシェが屈折した心境をあらわしているにすぎないのだが、しかし、コーラスがそれを繰り返すたび、不思議と昂揚してくるし、奏でられる叙情は、瑞々しく、クライマックスへさしかかって、哀切を振り切るほど勢いをよくしてゆくアンサンブルに、思わず共鳴する。

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2009年10月05日
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 かつてGROOP DOGDRILLというバンドがあった。本国イギリスのみならず、ここ日本でも、ミュージシャンや評論家から高く買われていたトリオだったが、わずか2枚のアルバムを残し、消えた。その元メンバーであり、ギターとヴォーカルをとっていたピート・スパイビーが、FUTURE EX WIFEでの活動を経、あらたに取り組んでいるのが、BLACK SPIDERSという5人組で、この『CINCO HOMBRES (DIEZ COJONES)』は、昨年末にリリースされた『ST. PETER』に続く、2枚目のEPにあたるわけだけれど、ガレージィでジャンクなロックン・ロールをダイナミックに掻き鳴らす素振りは、GROOP DOGDRILLの頃と何も変わっちゃいねえんだ。すなわち、かっこういいし、気合いが入る。しいて差異を挙げるとすれば、ブルーズのフィーリングがややつよまっていることだろうか。LED ZEPPELINとMC5をミックスし、BLACK SABBATH の重みを加え、パンキッシュなマナーを施したうえで、サウンドのエッジをモダンに尖らせているようなところもある。5曲目の「Kicked In the Teeth」は、言わずもがなAC / DCのカヴァーであって、ぶりぶりとこすれる低音が、見事にはまっている。と、喩えてゆくと、いわゆるストーナーの系を思わせてしまうかもしれないが、ちょっと違う、ぎらぎらとしたエネルギーを照射し、一点突破の勢いで前のめり、フィジカルな旋律をダイレクトにしていることが、最大限の魅力となっているのである。ギターのリフひとつとっても、自然とこう、燃えてくるものがあらあ。はげしいアタックのなか、ピートのやさぐれてダンディな歌いっぷりが、うずうずとする衝動を体現した1曲目の「STAY DOWN」と2曲目の「JITTERBUG」も良いが、振るわれる鉈のようにヘヴィなグルーヴを轟かせた4曲目の「MEADOW」も良い。じつにフル・アルバムを楽しみにさせる。MySpaceによると、秋から冬にかけ、THE WILDHEARTSやTHE ANSWERのツアーをサポートするらしいが、うんうん、そりゃあもう絶対に間違いのない組み合わせだいね。

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2009年10月04日
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 米ニュージャージー出身の4人組、RED LIGHT GREEN LIGHTのことは、07年にSABOTEURやTHE MOCKINGBIRD NIGHTMAREなどのハードコア勢とリリースしたスプリット盤を耳にして以来、そのユニークなアプローチが気になっていたのだが、ようやく完成させられたファースト・アルバム(全7曲だからフルにはならないのかな)、『EVERYTHING HAS GONE WRONG』を聴いてみると、よしよし期待どおり、と思えるだけの内容になっていたので、うれしい。最大の特徴は、GLASSJAWに似たタイプのエキセントリックなヘヴィ・ロックに、ダンス・ミュージック式のガジェットを引っ張ってき、一瞬、ぎょっとさせられるようなインパクトを打ち出しているところで、ひょっとしたらENTER SHIKARIに対するアメリカからの返答と述べることもできそうなサウンドではあるけれども、エレクトリックなビートのパターン、テンションの持っていき方、ダイナミズムの様式は、あきらかに別種の参照項を持っており、個人的にはこちらのほうが好みである。トップを飾る「EAC23」は、以前にMySpace上で発表されていたデモのヴァージョンに比べ、電子音の印象が薄まっているものの、あくまでも、比べてみれば、の話で、やはり、はげしい狂騒のなか、アグレッシヴで果敢に攻め込んでくる勢いの向こう、うねうねとプログラミングされた旋律が、チャーミングでポップなアクセントを担っているあたりに、はっとするヴァイブレーションがある。もちろん、そのことは他のナンバーにもいえる。おだやかな叙情から一気にスロットルをあける2曲目の「SHE'S A CARNIVORE」であったり、ギターとキーボードのリフレインがミドル・テンポのグルーヴをカラフルに彩る3曲目の「CODE RED, ALMOST DEAD」であったり。ラストを飾る「SNAPS NOT CLAPS」なんかは、これ、シンガロングのエモ・ソングとしても十分なメロディをたたえながら、バックの演奏はきりきりと舞う、いっしょになって拳を振り回してもいいし、ライヴのシーンでは大盛況だろうね。

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2009年10月03日
 ブラック・トゥ・ブルー

 もちろん、誰も死者をメンバーに加えることはできない、とはいえ、こうして再結成されたALICE IN CHAINS(アリス・イン・チェインズ)のアルバム『BLACK GIVES WAY TO BLUE(ブラック・トゥ・ブルー)』に、故人となったヴォーカル、レイン・ステイリーの存在を見つけられない事実は、必然、多くのファンを戸惑わせるだろう。たしかに後期の活動において、すでに薬物の影響が深刻であったレインからの音楽的なインプットが、はたしてどれだけあったか、定かではないものの、メインのソングライターであり、ギターであるジェリー・カントレルのソロ・アルバムを知るかぎり、そこにはなくてバンドにはあるもの、つまり、ALICE IN CHAINSのカリズマ的な魅力を支えるのに不可欠な支柱であったことは、あきらかなとおり。レイン抜きにして、独特なサウンドの再現は絶対ありえないと信じられた。はたして、『BLACK GIVES WAY TO BLUE』はそのような、思い入れ、思い込み、を覆せたか。結論を述べるなら、心中の葛藤は決して消えずに残されたまま、それでもこれが現在のALICE IN CHAINSなのだといわれれば、納得せざるをえないラインを越えてはいる。もしかしたらではあるが、作曲の段階で、レインの、声、が意識されていた部分がすくなからずあったのでは、と感じられるぐらい、パブリックなイメージにそったナンバーが並ぶ。そもそもジェリーが、フロントでヴォーカルをとることの珍しくなかったバンドだから、楽曲のスタイルさえ復帰してしまえれば、そこからはもういくらでもフォローを入れられるのであって、今回よりメンバーとなったウィリアム・デュヴァールの歌唱も、プラス・アルファの軸をあたらしく持ち込んでいるのではなく、ほんらい損なわれても仕方がなかったマトリクスにあたる部分の補強に、おおきく貢献している。そのことがもっともよくあらわれているは、やはり、コーラスのパートにおけるハーモニーである。重低音のグルーヴがスローにとぐろ巻き、ヘヴィ・メタリックなギターのフレーズが鮮明に響きる、まっただなかで、不吉さをたたえたメロディを、あやしくもうつくしく変えてゆくハーモニーのマジックこそが、まさしくALICE IN CHAINSならではの、しるし、であったことを、つよく実感させられる。もしも『BLACK GIVES WAY TO BLUE』によって果たされるべき計画がそれだとすれば、間違いなく、成功している。ウィリアムの声質は、なるほど、前任者を彷彿とさせるところがあるものの、かつてレイン・ステイリーをレイン・ステイリーたらしめていた、あのどこか苛立ったニュアンスはまったく聴こえてはこない。基本的には達者なのだろうが、ちょっとばかり熱と力みがオーヴァーすぎ、エモーショナルなのとはべつのロジックが働いているふうに受け取れる場面もけっこうある。しかし、すくなくともそれが、マイナスにばかり作用しないレベルで総和へと加算されているため、ほとんどストレスはない。あるいは、そうか、病んだ魂にモチベーションを見ようとするグランジの時代はもう、終わっていたな。そこにリアリティや説得力を認められるかどうかは、90年代が遠く過ぎ去った今、むしろリスナーの側に突きつけられている問題なのかもしれない。でもね、ときどきは、ネガティヴであるあまり行方知れずになりそうなテンションが、恋しくなることもあるよ。こちらの感傷をよそに、クオリティは、ブランクをうかがわせぬほど、高い。フックは十分であるし、繰り返しになるけれども、持ち味はしっかり出ている。ともすれば、パワー・バラードふうに展開する10曲目の「PRIVATE HELL」などは、『JAR OF FLIES』(94年)や『ALICE IN CHAINS』(95年)を経たのち、こうきてもぜんぜんおかしくはない可能性を有している。すべての音色が豊かで撓わをなしているのに、昂揚する気分とは無縁、突き抜けていかない。ハーモニーの印象が深くなればなるだけ、救いがたさを手渡されてしまう。〈この住み慣れた独房を前に、おれは自分自身にうかがいを立てる。すまないね。個人的な地獄を楽しむしかできない人間なんだ(意訳)〉。タイトルに示されているような根の暗さが、ALICE IN CHAINSには合っている。

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2009年10月01日
 エンドゲーム

 それこそ『ロッキング・オン』10月号(先月号ね)、遠藤利明のレビューにおける〈タイトルは『エンドゲーム』だが、デイヴにとってのメガデスはエンドレスゲームなのだ、と実感する〉という一節が、レトリックにほかならないとしても、じつに奮っているし、決まっている。また、日本盤のライナー・ノーツで、前田岳彦の〈これでもまだ納得出来ないファンは、そろそろMEGADETHの許を立ち去った方がいいかもしれない〉といっているのも、おべんちゃらではないのだろう。自分にとって、MEGADETH(メガデス)というバンドはもう、昔好きだったアーティスト、以外の何者でもなくなっていたのだが、いやしかし、活動が続いていればこういうこともあるのか。通算12枚目となるアルバム『ENDGAME(エンドゲーム)』は、超超超超ひさびさにエキサイティングな一作であった。もしかしたら94年の『YOUTHANASIA』以降、もっとも冴え渡った内容だとさえとれる。とにかく、ヴォーカルのメロディには、キャッチーといってもいいようなフックが備わっており、ツインのギターによる盛りだくさんなソロ・パートが、各楽曲の印象を深く、するどく、鮮やかなインパクトに変えている。基本は、あくまでもヘヴィ・メタル、スラッシュ・メタルの様式に則ったサウンドであって、キャリアの再生産的な部分はすくなくないものの、種々のエッセンスには、轟々と押してくるエネルギーとパワーとが満遍なく、漲っているのである。中心人物であるデイヴ・ムステインに対し、まだまだやれんじゃん、と思う。かつてのマーティ・フリードマンがそうであったように、新しく加わったクリス・ブロデリックのプレイが、多くのインスピレーションをもたらした可能性も高い。ギター、ギター、ギター、スピードをあげさげ、抑揚をつけてゆく展開のなか、特徴的な場面のほとんどは、デイヴとクリスのギターが奏でるハーモニーによって、はげしくきらめている。クリアな音響を指向するため、どうも豪快な面を削いでしまうように感じられるアンディ・スニープの仕事(プロデュース、ミックス)も、ここではMEGADETH本来のソリッドさを際立たせるほうに貢献していて、アルバム全体の構成もよくできているが、なかでも個人的にフェイヴァリットなナンバーを挙げるとすれば、3曲目の「44 MINUTES」がそれにあたる。楽曲の終盤でギターのソロ合戦になる4曲目「1,320'」もたしかにかっこういいし、9曲目の「HEAD CRUSHER」みたいなピッチのはやいチューンにこそ本質を見るべきなのかもしれないが、こういう、ヘヴィなグルーヴをばきばきうならせ、キャッチーなリフレインを込めてゆくアプローチには、不思議と掻き立てられるものがある。MEGADETHならではの閃きがある。綱渡りの不安で逆にテンションをおさえきれなくなるのにも似たスリルがある。

 『THE SYSTEM HAS FAILED』について→こちら
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2009年09月18日
 American Rock 'N' Roll

 いやはや、『AMERICAN ROCK 'N' ROLL』だなんて、ずいぶん威勢のよいタイトルではあるけれども、じつにそれが相応しい内容となっているのだから、辻褄は合っている。米カリフォルニア州、サンディエゴ出身のトリオ、THIEVES & LIARSのセカンド・アルバムは、08年のファースト・アルバムと同様、レトロスペクティヴともとれる、どっか古くさい、つまりモダンな要素を極力排したロックン・ロールのクリシェを鳴らしているが、違いを述べられるのは、長尺でゆったりとした部分は控えめに、ほとんどの楽曲が3分程度にまとめられ、そのコンパクトさのなか、キャッチーな響きがおおきくなっていることだろう。じゃかじゃか刻まれるギターのリフと熱のこもったヴォーカルがそのまま、むろんある程度のキャッチーさを兼ね揃えているからこそ、フックの役割を果たしている。まずタイトル・トラックを1曲目に、2曲目の「LET'S ROCK」、3曲目の「WALKING BY MY SIDE」、4曲目の「FIGHT SONG」と、前半の曲名を並べていっただけでも、だいたいの感じがわかっちゃう、じっさいイメージを裏切ることのないサウンドであって、AC/DCとLED ZEPPELINを参照していた80年代のアメリカン・ハード・ロックを思わせるところもある。現在のバンドでいうなら、オーストラリアのAIRBOURNあたりが持っているフィーリングに近しいかな、ただしこちらのほうがLED ZEPPELIN的なエッセンスがつよい。ラストのナンバーである「CHARLIE」は、AC/DCふうのブギーであると同時にLED ZEPPELINふうのブルーズでもあるような出だしから、アップ・テンポな展開に入っていき、THE DOORSふうのアシッドで締め括られる。たしかに既存のマテリアルをミックスしているにすぎないのかもしれないし、今日において目新しいパフォーマンスとは言い難いかもしれないが、なかなかかっこういい。こういうの好きなんでしょ、と訊かれれば、けっこう好き。

 『WHEN DREAMS BECOME REALITY』について→こちら

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2009年09月15日
 フツパー

 90年代の『EARTH VS THE WILDHEARTS』や『P.H.U.Q』と比べてどうというのはさておき、この『CHUTZPAH!(フツパー)』は、間違いなく、00年代におけるTHE WILDHEARTS(ワイルドハーツ)のキャリアにとって最良の、そして最高の一作といってしまっていいだろうね。いやはや、まだこれだけのポテンシャルを残しているとは思わなかったな、というやつである。それこそ、『ロッキング・オン』10月号のレビューで中込智子が「いわば彼らの集大成的な作品と言える」と述べていて、『BURRN!』10月号のレビューで小澤明久が「初心回帰的でもあり集大成的でもある」と評してるとおり、ほとんど意見が一致しているのもじつに納得がいくのであった。うんうん、たしかにそのようなタッチのアルバムだといえる。かつてイギリスでブリット・ポップが盛んであった頃、その裏でメロディアスにアップ・テンポかつハードなサウンドを極めたアーティストであったが、同時代のアメリカにおけるポップ・パンクとも異なっていたのは、基本的にスリージーなロックン・ロールでありながら、たとえばTHE BEATLESからSEPULTURAまでといった具合に幅広い参照項を、旧いも新しいも関係なくミックスし、ほんらいなら散漫になってしまいそうなところを、すぐれたソング・ライティングのセンスとフレキシブルなプレイをこなす演奏力でまとめ上げ、一種独特なサウンドを具体化することに成功していたためであるが、そのような特徴を十分思い出させる内容に『CHUTZPAH!』はなっており、すくなくともここ数作、アルバムの単位ではもうちょっとと感じられた部分を、余裕で上回っている。メンバーのラインナップは、07年の前作『THE WILDHEARTS』(もしくは08年のカヴァー・アルバム『STOP US IF YOU'VE HEARD THIS ONE BEFORE, VOL 1.』)から変わりないので、おそらくはバンド自体のモチベーションとコンディションがぐっと高まり、充実していることが、よくあらわれているのかもしれない。じっさい、中心人物でありフロントをつとめるジンジャーではなく、ベースのスコット・ソーリーがメインで曲を書き、ヴォーカルをつとめた4曲目の「THE ONLY ONE」は、つまり従来のフォーマットに則ってつくられているわけではないにもかかわらず、アーティストのカラーに見事フィットしているし、そう、そしてそう、ちょうど97年の『ENDLESS NAMELESS』に収められていた「ANTHEM」がそうであったのと同じように、パワフルな響きを持ち、重要なトピックとなりえていることで、いかに現在の体制が万全であるかを教えている。スコットの歌いっぷりは無骨だが、そのぶんガッツが入って聴こえ、シンプルなメロディをいっそう伸びやかに、ドラムの痛烈なアタック、ギターのリフがタフなグルーヴを描くなか、コーラスで重なるハーモニーはやたら輝かしい。たいへん誇らしげな響きを持っているけれど、もちろん「THE ONLY ONE」のほかにも、じつにTHE WILDHEARTSらしいと感じられる手応えの備わったナンバーが揃っているからこそ、そういう見方ができるのだ。先に小澤明久の「初心回帰的でもあり集大成的でもある」というレビューの一節を引いたが、自分なりに言い換えるならむしろ、ソロ・ワークスも含めてジンジャーがこれまでに関わってきたプロジェクトや、ギターのCJが過去に参加していたHONEY CRACKやTHE JELLYSのエッセンスをも汲み取っている形跡が節々にうかがえるのであって、それをあくまでもTHE WILDHEARTSのイメージになるたけ忠実なフォーマットに合併させていることが、たぶん『CHUTZPAH!』という実績をもたらしているのである。日本盤のみのボーナス・トラックにしたって、そりゃあこれぐらいのクオリティに仕上がっちゃったものを落としたら、もったいない。バチが当たらあ。ある意味、わがままでごった煮の作風を貫いているが、そこかしこで待ち構える大胆なフックに、いつの間にか、はまってしまう。盛り上がる。とてもいい調子だ。

 『THE WILDHEARTS』について→こちら
 ライヴ盤『STRIKE BACK』について→こちら

 ライヴ評(08年11月23日・赤坂ブリッツ)→こちら

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2009年09月13日
 RAIN【初回盤】 RAIN【通常盤】

 さしあたり名義の違いはともあれ、堂本剛のディスコグラフィとは要するに、Mr.Childrenや椎名林檎という同時代のソング・ライティングに影響を受けたアイドルが、ジミ・ヘンドリックスやスライ&ザ・ファミリー・ストーンなど洋楽の古典に傾倒する一個のミュージシャンへと変質してゆく過程であった。そのことはまずリズムのタイプとなってあらわれた。ファンク・ミュージックのアプローチが、音楽性のなかで主体化していったのである。本格的といわれれば、たしかにそうだろうと説得されるような。しかし同時に、日本語ポップスならではのとっつきやすさは、ずいぶん後退されたように思う。今回リリースされた『RAIN』という音源は、ENDLICHERI☆ENDLICHERI、244 ENDLI-x、剛紫ときて、ふたたび堂本剛にクレジットを戻しての制作となるが、サウンド自体は、決して『ROSSO E AZZURRO』(02年)や『WAVER』EP(04年)の頃には帰っていない。むしろ、剛紫の、ギミックを取り払い、ロー・ファイともとれるスタンスのまま、バンド・サウンドの志向を高めている、という意味で、やはり、今までのディスコグラフィの延長線上に置かれるべき作品にほかならない。また、複数人でプレイするバンド・サウンドに比例してか、詞のレベルにおいても、剛紫の内向性とは異なり、外へひらけるふうな印象がつよまってもいる。基本的にはシングルの扱いではあるけれど、タイトル・トラックは初回盤のみに収録のインストゥルメンタルであって、もしかすれば初回盤と通常盤ともにトップを飾っている「Sunday Morning」がメインにあたるのかもしれないが、たぶんもっとも注目すべきなのは、初回盤、通常盤、双方の2曲目に入っている「音楽を終わらせよう」である。「音楽を終わらせよう」は、すでにコンサートではジャム・セッションのなかに組み込まれていたナンバーで、いや、より正確を期すなら、おそらくはそのジャム・セッションのなかから派生したナンバーで、つまりは、おおきな流れの一部を切り取っているにすぎないといえる。12分以上もある演奏の時間は、ポップ・ミュージックの構成からすれば、もうすこし練られる必要があったのではないかと感じられる一方、だが違う、この長尺なフィーリングこそが「音楽を終わらせよう」の本質なのだとも受け取れる。先(9月11日)の『ミュージックステーション』では、3分程度にまとめられたヴァージョンが披露されたけれども、メロディよりもグルーヴを聴かせる、という点では、当然、インパクトは弱まっていた。通常盤の3曲目であり、13分以上ある「FUNK-SE○SSION」も、「音楽を終わらせよう」と同じく、コンサートのジャム・セッションでうかがえたものの一部だと思う。〈Funkyな・Spaceyな・Lovelyな・Funk Music〉というフレーズには、〈奏でろ〉というフレーズには、〈愛を犯しに行こうか〉というフレーズには、たしかに聞き覚えがある。ところで「音楽を終わらせよう」というのは、否定的な、ネガティヴなニュアンスを含んでいるだろうか。そうではない。いつまでも音楽が続き、それに身を浸しているかぎり、現実からは遊離した時間が流れる。尊く貴重な夢の最中にいるのにも似た。だからこそ〈ずっと終わりたくない…終わりたくない〉、そうヴォーカルはうたうのだし、楽曲はいつまでも引き延ばされる。しかし、現実を忘れてはならない。この決意が〈音楽があるけど・終わらせよう・未来の為に〉というリフレインを呼び、転調、解放のダイナミズムによって、エンド・マークを導いている。

 コンサート『ENDLICHERI☆ENDLICHERI CHERI 4 U』(09年8月19日・国立代々木競技場第一体育館)について→こちら

・その他堂本剛に関する文章
 『空 〜 美しい我の空』『美 我 空 - ビ ガ ク 〜 my beautiful sky』について→こちら
 『I AND 愛』について→こちら
 『Coward』について→こちら
 「ソメイヨシノ」について→こちら
 [si:]について→こちら

 『僕の靴音』について→こちら
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2009年09月02日
 PLAYZONE2009 太陽からの手紙 オリジナル・サウンドトラック

 ミュージカル『PLAYZONE2009 太陽からの手紙』のショー自体は未見のため、ボーナス・トラックの扱いであるKis-My-Ft2の音源「Hair」をほとんど目当てにそのサウンド・トラックを聴いてみた次第なのだけれども、いや、これがなかなか、ジャニーズ・ポップスのコンピレーションとして十分楽しいアルバムであった。とりあえず、そのことは序盤の4曲によく出ているし、とくに、携帯電話という装置の利便性を、あえて軽薄な歌詞であらわしながら、陽気なアイリッシュふうのトラックに乗せた「ケータイ天国」は、単純にキッチュかつファニーなナンバーとなっており、好き。〈大事な連絡さえ・メールですむ時代・「好きだよ」も「さよなら」もたったの4文字〉なのであって〈だから・好きさ好き・大好き・ケータイが大好きさ・なんだって・出来ちゃう・便利やヤツ・ケータイ天国〉というコーラスは、ひじょうに軽薄だが、今ふうの言葉でいうならリアルだろう。メロディもじつにキャッチーである。おそらく実際のショーの進行にそっていると思われるのだけれども、「ケータイ天国」のあと、大げさな悲哀が大げさなギターと大げさなオーケストレーションに合わせて響く「若者よ何処へ行く」が続くのは、まあね、ちょいとトゥー・マッチな構成ではあるが、決して悪くはなく、中盤に入ってくるラップに、(嵐の、初期の)櫻井くん、(KAT-TUNの)田中くん、そしてKis-My-Ft2へと継承される若者の、大人が気に入らねえ、粋がり、つっぱったトーンが生かされている。反対に、2曲目の「Tell Me Why」は、いかにもアイドル歌謡な演奏のなか、ヒップホップふうのテイストを盛り込み、この手のミクスチャー路線におけるポップ性を前面化するのであった。おもなヴォーカル・パートを担当する面子を、屋良朝幸、内博貴、藤ヶ谷太輔、北山宏光と並べていったとき、もっとも特徴的なのは、やはり北山くんで、9曲目の「オ・シャ・レ」において、しばしば(演歌などでいうところの)こぶしがきいているようにも受け取れる彼の資質が、ダンサブルなムードを盛り上げてゆく。その、北山くんと藤ヶ谷くんの、ラップもありのツイン・ヴォーカルがひじょうにセクシーなのは、当然、Kis-My-Ft2の「Hair」で確認される。「Hair」、正しくKis-My-Ft2のイメージどおり、ヘヴィなギターをうならせたロック調のナンバーではあるものの、同様の趣向でグループの代表曲となっている「Fire Beat」とは違い、テンポを落とし、ダイナミズムを濃くすることで、グラマラスな側面を強調するかっこう。先行するKAT-TUNとの差異を明確に打ち出しているとは言い難いが、楽曲そのものの激しさ、インパクトは、抜群に決まっている。「Hair」と同じく、ボーナス・トラックの扱いで収録されている「3ピース」は、内くんとQuestion?のコラボレーションである。個人的に、内くんの甘いヴォーカルはたしかにアイドルらしい魅力を持っているのを認めるが、あまりハード・ロックしている楽曲には向いていない気がする(関ジャニ∞の「Heavenly Psycho」ぐらいの案配がちょうどいい)。自身のライブはもちろん、数々の大舞台でバックをつとめてきたQuestion?の演奏はさすが、中盤、ギターとキーボードの織り成すコントラストが、まばゆいほどのスリルをつくり出していて、いやもう、バンド体制ならではの見せ場をほんとうによくわかっている。
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2009年09月01日
 Sleep Walkers

 あんまりにも残念なことが多いから苛つく。ほんとうはフラストレイトなんかしたくないし、できればアドレナリンをサージさせて、ぜんぶのストレスをやっつけちゃいたい。ぴったりのBGMが必要なんだと思う。ところで、DEAD SWANSの『SLEEPWALKERS』はどうだろう、ということなら、いいね、こういう激しくアグレッシヴなサウンドを耳にしたとたん、堪らずかっとなるのだった。DEAD SWANSは、イギリスから出てきた5人組で、『SLEEPWALKERS』は、彼らがアメリカのレーベルであるBRIDGE NINEと契約を結んだのち、発表されたセカンド・アルバムにあたる。基本的には、BRING ME THE HORIZONあたりに続け、といったラインで評せられるかもしれず、やはり同じイギリスのARCHITECTSなどに近しい傾向を持っているようなバンドであるが、それらに比べ、ハードコアのニュアンスを生々しく保っている印象がつよい。たしかにエクストリーム・ミュージックの観点からすれば、とくに目新しい手法を編み出しているわけでもなく、既存のジャンルでは計測不可能な域にまで振り切れるほどの極端さはないのだけれども、ありったけのエネルギーを一点に集中、溜め込み、はじけ、つんのめる勢いで鋭さを増してゆく様子には、紛れもない興奮が宿っている。08年のファースト・アルバム『Southern Blue』は、もしかするとその、いかにもクオリティの低い録音が、これから打って出ようとする新人さんのぎらぎらとしている部分に似合っていたが、おそらく環境が整ったのもあるだろう、ここへきて格段に音響が良くなり、何よりもドラムのアタックにずしりという重たさが加わった。おかげで、あきらかに迫力が高まっているのは、絶対にプラスだ。たとえば6曲目、『Southern Blue』収録曲のリテイクである「20.07.07」を聴かれたい。スピーディに幕を開け、ギアをダウン、スローに締め括られる展開のめりはりがはっきりとし、強烈なインパクトを残すぐらい、存在感がおおきく仕立て直されている。いやはや、有無を言うより先に燃えるであろうよ。『SLEEPWALKERS』の発表に先立ちリリースされた『IT'S STARTING』では、BLACK FLAGの「FIX ME」の息巻くカヴァーを披露していたのに対して、MY BLOODY VALENTINEの「WHEN YOU SLEEP」のカヴァーはちょっとへんてこになっていたけれど(興味深いといえなくもないが)、DEAD SWANSの本領は、やはり、ストレートな直情をストレートな直情で上書きするような、激しさ、アグレッシヴさにこそあるに違いない。そうしたチェック・ポイントを最良のかたちで切ったのが、この『SLEEPWALKERS』であって、雪崩れるサウンドに身を任せているうち、気に入らなかったことの一つや二つ、いとも容易く踏みつぶせる気になっちゃう。錯覚だとしても構わないよね。ただうんざりしているより、だいぶいい。

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2009年08月20日
 endli.jpg

 いやはや、侮ってたわ。まったく。ぜんぜんアイドルのそれじゃねえんだ。いや、アイドルのコンサートを観に行ったつもりが、まさか延々とジャム・セッションが繰り広げられるという、異様な光景を目の当たりにするとはな。ぶっとんだし、感動したし、あらためて惚れ直した。惚れ直した。惚れ直したよ。完全に。

 かねてより堂本剛というありようにはすごく関心があって、一度はそのライヴ・シーンを目撃したいと思っていたのだが、いよいよ、ようやく、とうとう、昨日(19日)、国立代々木競技場第一体育館で行われた「ENDLICHERI☆ENDLICHERI CHERI 4 U」で、じっさいに体験することができたわけだれど、これがまた、予想をはるかに上回っていたね。

 つい先日まで活動していた剛紫ではなく、ENDLICHERI☆ENDLICHERIに名義を戻しての公演、ここでの主役、つまり堂本剛は、ケリーというペルソナを頂く一人の、マルチなミュージシャンである(したがって以後、基本的にケリーと表記する)。ENDLICHERI☆ENDLICHERIは、とくにファンク色のつよいプロジェクトであったが、そのスタイルを間違いなく誇示するパフォーマンスは、エレクトロニックなアプローチを高めた244 ENDLI-xや、スタティックな情緒とスケールの大きさを同居させた剛紫などの取り組みを経たこともあるのだろう、ちょっとびびるほどのインパクトを持ち合わせていた。

 あらかじめ全体像を述べてしまえば、3時間強のショーにおいて、本編の半分ほどがバンド演奏によるインストゥルメンタル、うちアンコールの1時間はさらにフレキシブルさを増したジャム・セッションとなっており、披露された曲数自体は、たぶん、10に足りるか足りないかぐらいではなかったか。要するに、ほとんどが楽器の演奏で占められているのだ。

 もちろん、その中心点はあくまでもケリーにほかならない。ギターをプレイしつつ、アドリブのヴォーカルを入れながら、バックのバンドと連携をはかる。そこにマッシヴでファンキッシュなグルーヴが生じている。こうしたステージ上の形態は、おそらく、彼が敬愛するスライ&ザ・ファミリー・ストーンにヒントを得ているに違いない。

 オープニング、ENDLICHERI☆ENDLICHERIのマスコットであるSankakuの、電子的に加工された声のアナウンスを受け、重低音の強烈なダンス・ビートが響き渡る。06年のアルバム『Coward』の、まさしくトップを飾った「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」で幕を開けた。いやはや、大音量で耳にする打ち込み、リズムの、何ともテンションのあがることよ。プログラミングされたサウンドに合わせ、バンドが登場するとそのまま、演奏を引き継ぎ、よりはげしく、高揚の衝動を引き出す。このときのメンバー紹介によれば、パーカッションやホーン・セクション、女性のバック・コーラスを含め、メンバーのだいたいは、堂本剛のソロ・プロジェクトに所縁のあるミュージシャンたちであり、ドラムの屋敷豪太やギターの竹内朋康等々、銘々が相応に名を知られている。それが一個の巨大な出力をつくりだしているんだから、自然、こちらの体も動くし、当然、盛り上がらあ。レーザー光線のようなライティングもじつに効果的で決まっていた。

 そして続くのは、うおお、244 ENDLI-xのアルバム『I AND 愛』において、柔軟にハイパーなリズムを轟かせていた「Let's get FUNKASY!!!」である。「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」のアップ・グレードなヴァージョンともいえるナンバーだが、初っぱなからこの2連発は、やばい、であろう。すくなくともその瞬間は、これが現在最高のダンス・ロック・アクトですよ、と言わてもまじで信じてしまいそうだった。

 演奏の最中、あるいはMCの場面で、ケリーが何度も「ファンク」と声を出し、強調するとおり、躍動感あふれるダイナミズムが、またすでに述べたように、インストゥルメンタルにおおきく置かれた比重が、ショーの輪郭を象ってゆく。しばしばケリーが弾いてみせるのは、ジミ・ヘンドリックスふうの、ひずんだギター・ソロである。それが後ろのスクリーンに映し出された自作であるというサイケデリックなCGともマッチしている。

 しかし、やはり圧倒されるのは、その、声量のすばらしいヴォーカルであった。どこまでも伸びやかに通るそれは、ワン・フレーズ、ワン・センテンスの発音がもう、奇跡みたいなきらめき、アップ・テンポな局面では、扇情の意志をすみやかに波及させるし、本人のピアノで弾き語りされたバラード「ソメイヨシノ」におけるエモーショナルさ加減ときたら、〈ソメイヨシノきみは・この季節抱くたび・どんな想いを僕らに・ピンクのはなびら・美しく・身に纏って・風にもたれて・叫ぶ声がまた・墜落した〉という抽象性に、あざやかなメロディの、祈りにも似た印象を与える。

 たとえば「ソメイヨシノ」直前の転換におけるMCのコーナーで聞かれたような、さすがの話術を生かしたおもしろトーク以外の、ともすれば大げさに過去と現在や生と死について述べるメッセージは、人によって興味が分かれるだろうし、必ずしも胸揺さぶられるとは言い難いかもしれないが、それが音楽化されたさい、なるほど、こうも力を持つのか、もしも歌や声に力があるとしたら、そうか、このようにあらわれるのか、と信じるよりほかないと思う。個人的な話をすれば、感激屋さんなのもあって、じつはすこし、泣いちゃいそうだった。

 むろん、全編がシリアスなのではなく、先ほど述べたけれども、MCにはおもしろトークもあり、曲間ではパーカッション用のドラム缶に頭を突っ込んだまま叩かれるコント的なやりとりもあり、たしか『I AND 愛』からの「Love is the key」の間奏だったかな、ジェスチャーと火薬の演出を使って手の込んだジョークをやったりしていた。07年のアルバム『Neo Africa Rainbow Ax』に収録されていた「Blue Berry -NARA Fun9 Style-」のリズム・パートで、観客に指示を出し、何度も何度もジャンプさせていたのは、まあ大勢の女性がぴょんぴょん跳ねる姿はとても可愛らしく、楽しかったな。

 本編の最後は、『Coward』のラストでもある「これだけの日を跨いできたのだから」だった。ゆるやかだがはずむ速度を、旺盛なアンサンブルが織り成すなか、ずっとずうっと力強いヴォーカルが〈悲惨な出来事なんて・あるのが当たり前じゃない・これだけの日を跨いで来たのだから・あたしたちはね・歩んでいるの・一歩一歩と人生って道を・あたしたちはね・歩んでいるの・一歩一歩と人生って輝きを〉と、泣き笑い、ポジティヴなフィーリングを高らかに宣誓する。気持ちの暗く重たく堅い部分が、ふわり、さわやかになれたエンディングを、おおきな拍手で送る。

 いったんステージを去り、ふたたび姿を現したケリーが「あと1時間」と言う。これが、1時間のジャム・セッションをやるよ、という意味だとは、正直、思わなかったよね。とにかく、ファンクをベースにしながら、うねり、またたき、浮き沈みするグルーヴの、きわめて活発な演奏が展開されたのだった。

 各プレイヤーのソロ・セクションを組み込みつつ、中心点であるケリーは、ギターやアドリブのヴォーカルばかりではなく、ドラム・セットに腰をおろしたりしながら、部分部分にあたらしく変調を付け加えてゆく。周囲の客席を眺めるに、置いていかれている向きもすくなくはなかったみたいだけれども、アーティストのマスターベーションとは決して見なせないだけの手応えが、たしかに生じていた。一方で、リズムに合わせた観客のハンド・クラップは鳴り止まない。あれだけの規模のハンド・クラップであれば、もはや演奏の一部といっても差し支えがないだろう。エネルギーは失われずに膨らみ続ける。ぐんぐん熱が高まる。

 やがて、即興のヴォーカルが、メロディに詞を入れはじめる。それはつまり、「きみとぼくと愛と幸福」についてのテーマを、具体化したものである。繰り返すが、声量がたっぷりで、果てなく通る歌声は、聴く側の心を動かす。生きている、そのことの温度が、わずかの虚偽すら持たず、まっすぐ伝わってくるかのよう。ここはとても感動的であった。

 そうして、あらかじめ1時間とアナウンスされたアンコールは、予定をすこし回ってしまてから、ようやくおしまいを迎える。どこがいちばんの絶頂であったか、といえば、すべて、と答えても惜しくはないほど、よどみなく。まさか、こんなにもの興奮を得られるだなんて。ENDLICHERI☆ENDLICHERI かあ。いやはや、侮ってはいけなかった。

 ステージを去るときの大げさなスピーチと感謝でさえ、全部を見届けたあとでは、やたら清々しく、すっかり気持ちを持って行かれてしまったので弱るよ。たとえどれだけ悲しい日に遭っても自分に懸命であろう。

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2009年08月08日
 会場に入るのが遅れてしまい、オープニングを見逃してしまったのが最高に悔しかったのは、MCのコーナーにゲストで出てきたV6の井ノ原くんが、それを指して「超かっこいい。超セクシー」と半ば冗談混じりに、つまり半分くらいは本気であるふうに連呼していたからなのだが、たしかに序盤、目の当たりにすることのできたパフォーマンスは、いよいよ30歳代になろうとするComing Century(以降、カミセン)の、三人の、男の色気というものをつよくつよくアピールしてくるかのような感じだった。昨日(7日)、国立代々木競技場第一体育館へ、カミセンの6年ぶりとなる本格的なコンサート・ツアー「We are Coming Century Boys LIVE TOUR 2009」を観に行くつもりになったのは、先般リリースされたミニ・アルバム『Hello-Goodbye』が、やたらナイスな内容だったからなのだけれど、いやじっさいにショーのほうもその期待を裏切ることはないものだったように思う。たまたま二日前に同じ会場で体験していたテゴマスのコンサートとは、ひじょうに対照的だったのは、歌って魅せる、というより、動いて魅せる、といったスタンスを前面に押し出していたことである。あらかじめレコーディングされたトラックに合わせ、プロのダンサーを従えながら、リップ・シンクであることも隠さず、とにかく、動き回るし、踊る。それが打ち込みのビートを多用する楽曲の数々とじつにマッチしている。個人的には初期のナンバーにそれほどの思い入れはないとはいえ、ダンサブルなサウンドのなか、わかりやすいメロディであったりラップであったりがびんびん飛び交う、そして、森田くん、三宅くん、岡田くんが、それぞれのスタイルで個性を際立たせようとし、さまざまなアクションを決めるのを見、自然と体が揺れた。「手のひらのUNIVERSE」で、ステージ上の展開を事前に明かし、観客参加型の、ペン・ライトを使った演出を実現したことが、一つのハイライトとなっていたのに顕著なとおり、いかに予定調和を成功させるかが最大のテーマだったともいえるだろう。この場合の予定調和は決して悪い意味ではない。だってそうだろう。アーティストとオーディエンスが、正しくコミュニケーションを通じて一体となり、暗闇に青い光のひろがってゆくシーンを描いた「手のひらのUNIVERSE」は、楽曲が持っているイメージを何倍にも膨らますほど、感動的で、うつくしかったじゃんね。テレビのバラエティ番組に似せたVTRを挟み、「Theme of Coming Century」が披露されてからが後半戦といったところで、初期の若々しくフレッシュなナンバーが次々連続する。「Theme of Coming Century」のユーロ・ビートなアレンジは、今どき派手すぎて照れるし、「夏のかけら」における屈託のないあかるさは、まるで懐メロのように響く、が、そのすべてがコンサート開始時点の「超かっこいい。超セクシー」なのとはまた異なるカミセンの、チャーミングなサイドを引き出していた。やがて大団円が近づく。本編ラスト、生真面目な挨拶とともに歌われた「ファイト」の、まっすぐ、折れないメッセージには思わず胸を叩かれてしまったし、アンコールに組み込まれた「Hello-Goodbye」の、アップ・テンポな勢いにはもちろん大盛り上がり、最後の最後まですっごく楽しかったな。

 『Hello-Goodbye』について→こちら
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2009年08月06日
 ファースト・アルバム『テゴマスのうた』のタイトルが教えるとおり、テゴマスというグループの核心はあくまでも歌、ゆったりなメロディをやさしく重ねてゆく美声こそが最大の魅力であって、ロックやダンスのモードに頼らない楽曲がほとんどなため、これはコンサートなんかだとマイルドすぎるんじゃないかなあ、十分に盛り上がれるのかい、と思っていたのだったが、いやいや、すまん、自分が間違っていた、舐めてた、完全に侮っていた、と猛省せざるをえない。昨日(5日)、国立代々木競技場第一体育館で行われた「テゴマス1stライブ テゴマスのうた」(夜の部)を観に行ったのだった。するとまあ、なんてことだろうね、そのハイなパフォーマンスに見事やられてしまったのである。

 いちばんの特徴は、ふつうジャニーズのショーであったなら、ときにはあらかじめレコーディングされたトラックを用い、場合によってはリップ・シンクも辞さないのに対し、全編、プロのミュージシャンによる生のバンド演奏、そしてメインの二人が目いっぱいに声を張り上げ、スタジオ音源以上に、伸び伸び、熱の入ったヴォーカルとサウンドを聴かせ続けたことで、ほんとうにそれが油断のならないぐらい、内容を抜群にしていたのはあきらかだった。

 テゴマスとしては、今回が初となるフル・スケールの本格的なツアー公演を象徴するみたいに06年のファースト・シングル「ミソスープ」で幕を開けたその時点で、動いて魅せる、というよりも、歌って魅せることに焦点を合わせていることがうかがえた。先ほど触れたように、バックの演奏の贅沢な支援を受け、舞台の上に姿をあらわした手越くんと増田くんの二人は、おどろくほど堂々としている。つねづねシンガーとして達者だとは思っていたが、まさかここまで立派だとは思わなかったぜ。いくつかのナンバーは、率直に言って、アルバムの印象を越えている。第4弾シングルである「七夕祭り」に収録されていた「はなむけ」の、あの中盤で響き渡るギターのソロ、そしてテゴマスのハーモニーはたいへんうつくしく、『テゴマスのうた』のなかでもっともロック調のアレンジで奏でられる「POWER OF EARTH」は、そもそものハードさにも増して力強いイメージで固められている。

 おそらく「POWER OF EARTH」の前あたりだったか、空中を移動するブランコにそれぞれ乗って、中央のステージに移動してきたのは、なるほど、のちのちの構成を踏まえるのであれば、アコースティックのコーナーへのうまい繋ぎになっているわけだ。ギターの二人と四角形になるようストゥールに腰をおろすと、「くしゃみ」と「サヨナラ僕の街」のじつにせつないムードたゆたうナンバーが披露される。あわい余韻がかたちづくられる。そしてこのあたりを一つの区切りとし、じょじょにコンサートのテンポはアップしてゆくのである。二人が左右にわかれ、特殊な装置の上に立つと、2階席のほうの観客にまで笑顔が届く位置にまでアップするしたり、移動式の馬の乗り物にまたがって、アリーナの、まさに客席のあいだを一周したり、そういうところは正しくアイドルのショーといった感じであって、とてもキュートな魅力を振りまく。とはいえ、やはり、アトラクションはプラス・アルファのサービスだと受け取れるレベルで、ヴォーカルはしっかり、はっきりとしている。

 一日に二公演をこなすという条件のせいかもしれないが、途中で息を切らしてしまうこともしばしば、歌詞を間違えてしまう場面もあったけれど、原曲に忠実であるよりは勢いの大切なライヴのシーンにおいては、必ずしもマイナスなっていない。むしろ生々しさがダイレクトに伝わってきさえした。

 にしても、ほぼ唯一のダンス・ナンバーとして組み込まれたトラジ・ハイジのカヴァー「ファンタスティポ」は、すっごくインパクトがあったな。「ファンタスティポ」、超ひさびさに耳にしたけれど、バンド・スタイルのヴァージョンもなかなかいける。一気にテンションが高まった。が、やたら若々しい手越くんにくらべ、増田くんがけっこうへたばり、ふたたび馬の乗り物を使い、後方のステージに移動したときには、当初は予定になかったという注釈付きのトークを挟むかっこうで一休み、しかしながらそれも仕方がないぐらいのパフォーマンスを繰り広げたことが、ラストのラストまで途切れない盛り上がりへと作用していったのは間違いなく、「僕らしく」と「終わらないで」の、ポジティヴなメッセージを含むアップ・テンポな2曲には、まじでちょっと感動すらしてしまった。

 アンコールも合わせ、終盤のハイライトに挙げたいのは、はかない情緒のしみじみ響き渡る「片想いの小さな恋」である。ああ、〈この片想いに・終わりがないのなら・それでもいい〉が〈この片想いに・終わりがあるのなら・教えてよ〉と、ラヴ・ソングのエモーションを、テゴマスの、二人のヴォーカルが、抑揚の内にひたむきな願いを込めながら、どこまでもどこまでも繊細に描き出す。『テゴマスのうた』のなかでもとくに好きなナンバーだったが、さらによけい好きになった。スウィートなメロディにゆらり揺られ、自分の気持ちが動くのを、たしかに感じた。
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2009年07月31日
 Hello-Goodbye(ジャケットC)

 先行するV6のシングル『スピリット 初回生産限定(MUSIC盤)』に収録の2曲を聴いた時点ですでに、予感されていたことではあったけれども、このComing Century(以後、カミセン)のミニ・アルバム『Hello-Goodbye』は、おそらくファンのあいだで傑作の呼び声を高めていくことになるだろうね、という内容に仕上がっている。いや、自分自身がそうだから言うのだが、熱心なファンでなくともいい、それでも十分に届いてくるぐらい、すべての楽曲に凝らされたアイディアが功を奏し、カラフルに、とても鮮やかな世界を切り拓いている。

 ひとまず、タイトル・トラックにあたる「Hello-Goodbye」からして、その印象をつよく押し出しているだろう。『スピリット 初回生産限定(MUSIC盤)』の「Desert Eagle」と同じく、SpontaniaとJeff Miyaharaの提供によるナンバーである。しかし、低音のラップを主体に、シリアスなトーンを前面にしながら、ネガティヴな空気のなか、希望のメッセージを込めた「Desert Eagle」とは違い、ギターのカッティングと打ち込みのビートが軽快なリズムを刻むイントロ、親しみやすいメロディでもって「きみとぼく」の世界観をコーラスに、フックをつくり、やんやテンションをアップさせる曲調は、まあ、くるりの「ワンダーフォーゲル」以降、この国のポップ・ソングに根付いたフォーマットの応用にすぎないけれども、ヴァリエーションにラップを加えたトリプルのヴォーカルが、幾重ものイントネーションをともない、そして響き渡る様子は、純粋に楽しいし、盛り上がる。

 続く「Black-out」は、ピッチがはやく、モダンで大味なハード・ロック、発音のあやしさを選んでまで全編が英語詞であることの特徴は、かっこうのよさよりもむしろ、メロディの乗せ方にプラスの成果を与えている。もうすこし、バックのサウンドがパワフルなほうが嬉しかったし、いささか、ダイナミズムに物足りなさを感じるものの、アルバム全体のバランスを考えたとき、ここで得られる勢いが、貴重なアクセントになっていることは間違いない。じっさい、わりと単純な構成の「Black-out」のあと、「手のひらのUNIVERSE」のようなナンバーを出してきたのには、びっくりした。「手のひらのUNIVERSE」、もしかしたらいちばんのハイライトである。

 女性アイドル・グループ、Buono!の「恋愛ライダー」や「ゴール」のソング・ライティングで、才気走ったところを見せていたAKIRASTARが、作曲で携わった「手のひらのUNIVERSE」は、スローなテンポを用いたスペーシーなトラック、ときおりヴォーカルにエフェクトをかけ、ひじょうにドラマティックで、ユニークな音のひろがりを聴かせる。ミックスを寺田康彦(元Scudelia Electro)が手がけているかいもあってか、電子音のうにうにとうねるバックのサウンドが、たいへん心地好い。Buono!の「ゴール」がそうであったように、洋楽をダイレクトに参照している雰囲気もあるけれど、わりと大胆なアプローチを、日本のポップスの機能にうまく落とし込んでおり、良い意味のけれんに溢れ、もちろん、カミセンの三人が、それぞれの声質で、先に述べたとおりエフェクトがかかっていたりするにもかかわらず、ナイーヴな心象を拾い上げ、エモーションをあらわしているのにも、マッチしている。

 4曲目の「Forget it all」は、作曲をJazztronikに任せたナンバーで、調べたら、作詞の為岡そのみもJazztronikに所縁のアーティストなんだね。とにかく、小気味よいビートの運動が、ダンサブル、の一言に尽きる。

 それにしてもこうして耳を通していると、森田くん、三宅くん、岡田くんのヴォーカルには、別個であっても重なり合っても、カミセンならではの、しるし、となるようなチャーミングさがあることに気づかされる。5曲目の「想いのカケラ」などは、とくにそれがよく出ている楽曲だと思う。ギターのリフとドラムのアタックによって展開される、いかにもパワー・バラード・タイプのナンバーだが、せつないフレーズを、リレーしながら、ハーモニーしながら、ラヴ・ソングの輝きをつくってゆく。

 たぶん、全曲中、もっともアイドルらしい表情をうかがわせるのが、6曲目の「Precious Song」である。これもまたダンサブルなナンバーだが、クラブ・ミュージックに架橋する「Forget it all」とは異なり、あくまでもさわやかなコーラスをメインに、派手なステップの似合いそうな点に、正しくアイドルらしい、と認識させる特徴がある。あるいは反対に、これ以外の楽曲がいかにチャレンジであったかを実感させられるのであって、それをラストに持ってきたのは、あきらかに、狙い、だろう。

 DVDもしくはソロCDの付属する初回限定盤は、以上の6曲で終わる。が、通常盤にはその次に、ソナーポケットが提供した「ファイト」が入る。コードのはっきりとしたアコースティックのギターをループ状に、アンサンブルの厚みで、ゆるやかな起伏が、じょじょに膨らみ、膨らみきったあたりを目安とし、ポジティヴなメッセージが主張的になり、フィーバーするという、じつにスタンダードなダイナミクスを採用している。オーソドックスであるがゆえに、ヴォーカルの個性が、そのまま楽曲の熱量に換算されることになるのだけれど、ここでもカミセンの三人は、十分に力強い魅力をうたう。三宅くんと岡田くんの、キーの高低によるコントラスト、森田くんが、両者の合間をとるかのよう、調和的なバランスで、まっすぐ。そしてユニゾン。

 すべてのナンバーにいえる。彼らの存在とともに、アイディアは生かされ、カラフルで、鮮やかな世界を、切り拓き、届けようとするのだった。

 V6『スピリット 初回生産限定(MUSIC盤)』収録曲について→こちら
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2009年07月03日
 New Again

 俗に、エモ、と呼ばれるサウンドは今や、一時のムーヴメントというより、一種のスタンダードになっており、歴史の縦線で見ても、ジャンルの横線で見ても、これだけ広い範囲に伝播、普及し、リアルタイムのかっこうを維持したまま、廃れていない音楽性は、そうあるもんじゃない、と思うのであったが、しかし同時に、インパクトや新鮮さの面で考えるなら、とくに驚くものは聴かれなくなってしまっている。共感のメロディを軸足にしながら展開してみせるかのような基本線は、ある意味、保守的ですらあるだろう。こうした事情を、TAKING BACK SUNDAYの、通算4作目となるフル・アルバム『NEW AGAIN』も違えていないのだけれど、その、青くさいエモーションのドライヴ、男のロマンティシズムをにおわせたドラマの高まりには、随一の輝きがあって、やはり魅せられる。今回から元FACING NEW YORKのマット・ファジーが、サイドのヴォーカルとギターでバンドに加わっているため、彼のインプット次第ではもしかしたら、プログレッシヴ・ロックふうのアプローチなど、多少のモデル・チェンジはあるかな、と事前に踏んでいたのだが、じっさいには従来のイメージを覆すほどの変化はない。なかった。ただし、ギターのリフを含め、リズム全体の表情が豊かになり、02年のファースト・アルバム『TELL ALL YOUR FRIENDS』とはまた異なった激しさをもって、ダイナミズムが盛り返してきている。一方で、だ。繊細なタッチの多くなっていることが、メランコリックな翳りを、より深く主張的にしているというか、サウンドの総和からは、以前にも増して、こく、が出てきているような印象を受ける。

 『LOUDER NOW』について→こちら
 『WHERE YOU WANT TO BE』について→こちら

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら
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2009年06月26日
 スピリット【初回生産限定】<MUSIC盤>ジャケットA

 正直、V6についてはあまり熱心じゃないのだけれど、知り合いのshooter(Vinylism)くんが、7月にリリースされるComing Century(言うまでもなく、V6の年少チームによるグループ)のアルバムに楽曲を提供しているアーティストの顔ぶれがけっこう興味深いよ、と言っていたので気になっていたところ、このV6名義のシングル『スピリット』の、初回限定(MUSIC盤)に付属しているボーナスCDが、20th Century(言うまでもなく、V6の年長チームによるグループ)とComing Centuryにわかれ、2曲ずつを収録しているのだが、それらのナンバーもまた、へえ、と思わされるようなアーティストたちによってソング・ライティングされているのを知り、さっそくチェックしてみた次第である。しかし予想以上に、手応えがあった。とくにComing Centuryの2曲が、好ましい。そのうちの1曲「Desert Eagle」は、Spontaniaが手がけたラップ・ソングになっており、岡田くんと森田くんが、まあ用意された詞を指示のとおりやっているだけなのかもしれないが、あんがい器用に韻をおさえている。また、陰湿ないじめの風景を、急な速度、低いトーンでなぞらえる森田くんのパートから、三宅くんの、高い声でメロディアス、ゆったりとした調子のパートに入っていくところのコントラストは、けっこう、あざやか。アコースティック・ギターのループがリズムを刻み、いったんフェード・アウトし、ふたたびフェード・インする終盤、三人のリレーもなかなかで、最後の最後を、森田くんが、ばっちり、かっこうよく決めているじゃない。もう1曲の「Are you ready tonight?」は、スケボーキングのShigeoの手による。スケボーキングといえば、嵐の「a Day in Our Life」が思い出されるけれど、同じミクスチャーの路線でも、「Are you ready tonight?」の場合、もっとずっとエレクトロでダンサブルなテイストに仕上がっている。曲調も相まって、近年のスケボーキングに、かなり近しい。というか、岡田くんはともかく、森田くんと三宅くんが、ハイ・キー、ハイ・テンションで、イエー、と盛り上げるあたりは、そのままスケボーキングみたいであって、逆にもうちょい工夫が欲しかった気もするが、ポップな楽しさに溢れている。
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2009年06月16日
 kat0615.jpg

 残念ながら「SIGNAL」を聴くことは叶わなかったが、しかし「YOU」をやってくれたのがうれしかったな。〈あなたのために生きていいかな〉という印象的な問いかけを、やわらかなビートに乗せ、伸びやかなメロディで彩ったナンバーは、「SIGNAL」がそうであるのと同様、KAT-TUNの、もしかしたらありえたかもしれないもう一つの方向性を、想像させる。結局、そのような清潔感のつよいシティ・ポップスの路線を採らず、バッド・ボーイズのイメージ(もしかすればオラオラ系ってやつだろう)をまっとうするのに適したハード・ロックを、グループのおもな持ち味にしてきたわけだが、それも現在は、一般のレベルに対する訴求力を見るに、やや頭打ちの感があり、今後の活動を模索していくうえで、違ったステップを踏むために必要なヴァリエーションとして残しておいてもいいことを、あらためて実感する。

 しかしまあ、どれだけのスペクタクルだろうが、同じ仕様のコンサートを何度も体験すれば、さすがに興奮も薄まるだろう、と思っていたのだけれど、いやいや、そんなことはなかった。イントロにうながされ、無数のジャニーズJr.が縦横に並ぶ巨大なセットが、どどーん、と登場するオープニングを目の当たりにしたとたん、圧倒され、ふたたび、めくるめくエンターテイメントの最中へと召喚されてしまうのだった。

 東京ドーム10日間公演、記念すべき最終日となった昨日(6月15日)のそれも、基本の構成は、5月のときとおおきく変わらないが、記録的なステージをこなしてきた余裕か貫禄か、ファン・サービスもしっかり、その様子は堂々としたところが増しているふうにも受け取れた。嫌がる中丸くんにバンジー・ジャンプをさせる余興がなくなったおかげだろう、へんに中だるみしてしまうことはなくなっていたし、たしかに個々が責任を持っているソロ・タイムの緊張に比べ、6人が揃ってのパフォーマンスは、あいかわらず、どこかルーズではあったものの、いやいやそれこそKAT-TUNという着地点が会場中に共有されているので、必ずしも悪手にはなっていない。とはいえ、もしも無謬の完成度でこれをやり遂げたとすればどうなってしまうのか、あともう一歩先が知りたくなってしまう。

 バンジー・ジャンプのかわり、中丸くんによるヒューマン・ビート・ボックスのコーナーが設けられたわけだが、そうそう、これがよかった。中丸くんの素養、ひいてはグループの音楽的な資質の生かし方としては、まったく正しい。たとえば、最初に述べたことと重なるのだけれども、赤西くんのソロ・ナンバーである「WONDER」のような洋楽指向の楽曲に、田中くんのラップも含め、こういう部分が合わさっていったとしたら、驚くべき新展開もあるのではないか、と待望させる。いずれにせよ、バンジー・ジャンプがよっぽど耐えがたかったんだろうね、MCの調子からして中丸くんがたいへんリラックスしているのが如実に伝わってきたのは、ショウの全体においても確実にプラスだったんじゃないかな。

 過去にも述べたとおり、クライマックスに選びたいポイントはけっこうあるのだが、サポートに従えたA.B.C-Zの「Vanilla」とKis-My-Ft2の「FIRE BEAT」を挟んで、過去の映像を流しながら、デビュー曲の「Real Face」に入っていくくだりも、あんがい、好き。後輩であるKis-My-Ft2が激しいギターに合わせて〈壁を蹴飛ばすんだ / 夢を引きずりだせ / いますぐ手に入れるんだ〉とうたう「FIRE BEAT」は、あきらかに「Real Face」における〈ギリギリでいつも生きていたいから / ここを今 / 飛び出して行こうぜ / このナミダ・ナゲキ→未来へのステップ / さぁ / 思いっきりブチ破ろう〉という躍動のなかに迸る若気と通じるものがある。そういえば、「Real Face」の、JOKER(田中くん)のラップ・パート、前半はこのあいだと同じく亀梨くんへのパスだったので、じゃあ後半はやっぱり田口くんに振るのかい、と油断していたら、違った。マイクを向けられたのは、中丸くんである。だが、まさかのアドリブだったのかしら、当の中丸くんもまるで驚いた様子であって、あたふたトチってしまったのも、らしい、といえば、らしい、のだろう。

 じっさい、そういうファニーなモードのまま、亀梨くんが担当したという日替わりのセット・リストに入っていき、「I LIKE IT」や「離さないで愛」など、初期の楽曲が次々披露されはじめると、前半のシリアスな雰囲気とは異なる賑やかさに、会場中がはしゃぐ。途中で、亀梨くんがテレビ・カメラを肩に担ぎ、他のメンバーの、どアップな表情をバックのスクリーンに映し出すたび、声援はすさまじく、盛り上がるばかり。後半のステージに十分な勢いをつけた。

 本編のラストをバラードで送る「NEIRO」の、深々とした余韻のあと、アンコールも等しく、アップ・テンポなナンバーが続くなか、オーディエンスとの垣根をなるたけ崩してゆくような振る舞いが、客席を煽った。赤西くんなんて、わあわあ沸くアリーナのど真ん中をショート・カットして歩きながら、ファンにタッチしたりされたりしてたもんな。あれは羨ましい。赤西くんが目の前にきたら、そりゃあ嬉しいだろうよ。やばい。自分だったら眩暈してしまうかもしれない。かくして熱狂は渦巻き、我らがアンセム「ハルカナ約束」と、さらには〈頑張ってる君の目が / 世界中に輝いて / 未来さえ変えてゆく / 今ここで〉という励ましが、高らかなコーラスとなって響き渡り、掲げられる「Will be All Right」で、すべてのショウの幕は閉じられたわけだが、結論をいうなら、うん、とても楽しかった、の一言に尽きる。

 だからまたいつかいっしょに、終わりのない日々を経て、ささやかな、名もない遙かな約束を刻める日を待ちましょう。

 5月22日の公演について→こちら
 5月18日の公演について→こちら

 『Break the Records -by you & for you-』について→こちら
 「RESCUE」について→こちら
 「ONE DROP」について→こちら
 「White X'mas」について→こちら
 『KAT-TUN III - QUEEN OF PIRATES』について→こちら
 「DON’T U EVER STOP」について→こちら
 「LIPS」について→こちら
 「喜びの歌」について→こちら
 『Cartoon KAT-TUN II You』について→こちら
 『Live of KAT-TUN “Real Face”』DVDについて→こちら
 「REAL FACE」について→こちら

 DVD『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』について→こちら

 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』(08年8月5日・東京ドーム)について→こちら
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2009年06月05日
 New Distances

 CONVERGE等とともに、00年代的なエクストリーム・ミュージックの礎の一つとなったBOTCH、その元ヴォーカルが、THESE ARMS ARE SNAKESのギターやSOME GIRLSのベースたちと何やらバンドを組んだと聞けば、がぜん期待すらあ、といったところであって、このファースト・アルバムにあたる『NEW DISTANCES』には、ナナナNARROWSすげえええ、の一言で済ませてしまえるぐらいのインパクトを求めるのであったが、まあ、さすがに既成の概念を粉々に打ち砕いてしまうほどの野蛮な革新性までは持ちえておらず、そこはちょっと惜しい、のだけれども、いやいや、しかし、演奏の縁からみるみる噴きこぼれてゆく音の、激しくかさんだ勢いが、情緒不安定なうねりをつくり、やわな態度で接しようとすれば、ひどい目に遭いかねない、そういうアンチ・エレガントなアグレッシヴさは、やっぱりいいよね。結論を述べるなら、おおむねメンバーの出自から想起されるとおりのサウンドになっている、と思う。とかくけたたましく、うずうずとした衝動を喚起する1曲目の「CHAMBERED」や、2曲目の「SEA WITCH」には、まさしくBOTCHの、動的なアプローチの、残響を感じとることができるし、3曲目の「A RESTORATION EFFORT」みたいな、スローな調子のなか、アンビエントでクールな面が、楽曲のトーンをまったく覆ってしまう展開も、反対にBOTCHの、静的なアプローチの、延長線上に置けるだろう。あるいは全般的に、上下運動のリズムが、重低音のしなり、柔軟なグルーヴとなって轟くさまは、THESE ARMS ARE SNAKESやSOME GIRLSにも通じる。だが、幸福にもその総和が、もちろん、濁った声をいからした叫びの果たしている役割もおおきく、NARROWSならではの固有性を引き出しているのである。ことによったら、インストゥルメンタルで構成されたパートは、やや怠い、が、ハイパーなテンションではりきるモードは、躊躇なしにかっこうよい。

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2009年06月03日
 kanjani.jpg

 しかしあれだよ、男性のエイター(関ジャニ∞のファンのこと)に歓声を呼びかけるワン・シーン、あそこで、うおお、とか、ハッスルできればいいのだけれども、たいへん気が弱い人間なので、いつもしゅんとなってしまい、申し訳ない。だって仕方がないじゃないか、見渡せば女性客ばかりのなか、ただでさえ場違いな感もあるのに、声を張り上げるのは、けっこう勇気がいるぜ。まあ、それはともかく、つまり昨日は『関ジャニ∞ TOUR 2009 PUZZLE』を観るべく、東京ドームへ行ったのであったが、じっさいには男女の性別関係なしに盛り上がれるほど、あれこれ趣向の凝らされたパフォーマンスに、わくわく、胸躍る。

 まず、オープニングのムーヴィーが流れ、照明が落ちる、アリーナの中央に設置されたメイン・ステージの幕が降り、巨大なスクリーンの貼られた天井部から八方(正確には七方か)を向くかたちで、個別のゴンドラに乗り、あざやかな光線をおびたメンバーが「無責任ヒーロー」をうたい、登場してくる、その演出が見事であった。そうして地上にまでくだったなら、「イッツ マイ ソウル」や「関風ファイティング」といったシングルのナンバーを次々に披露しつつ、観客とのコミュニケーションを試みる、のっけからクライマックスの勢い。「Heavenly Psycho」や「一秒KISS」のハード・ロックなアレンジもかっこうよかった。

 ショウの最中、とにかく思わされたのは、ああ、関ジャニ∞って、ほんとう器用なグループだよな、ということである。歌や踊りに加え、愉快なコントやトークまでをもばっちりこなしてしまう点のみを指して、そう述べるのではない。もちろん、たしかにそれもある。が、どこか一点でもバランスを欠いたら駄目、どこか一点でもテンションをしくじったら駄目、という絶妙な手綱さばきで、ショウをコントロールし、完成度を高めてゆくような才覚のありようを言うのである。

 個人的には、後半に入って、「アカイシンキロウ」から「ブリュレ」へ、炎があがるステージの真ん中で、ダンサブルな曲調に合わせ、メンバーがフォーメーションを組むくだりが、とくに素敵であった。「アカイシンキロウ」も「ブリュレ」も、今回のツアーに冠されているサード・アルバムの『PUZZLE』に収録されている楽曲で、このグループに特有の、要するに全般的にファンク歌謡ふうな方向性にあって、きらきらとしたポップのトーンを前面に打ち出しており、とくに後者は、ピッチのはやい打ち込みのリズムとギターの旋律が、せつない印象のメロディを、はげしく、はげしく盛り上げる、ハイ・センスな佳作である。それが、まさにジャストなタイミングだろうという抜群の演出、構成を得、出てくるのだから、たまらない。

 また以前に観たときも感じられたが、安田くんのギター、丸山くんのベース、大倉くんのドラムによるジャム・セッションのパートも、やたら本格的で、織りなされた重低音のグルーヴは、ちょっと馬鹿にできないよ。終盤のハイライトは、彼らの演奏がそのまま、他のメンバーのバックとなり、「Do you agree?」など、ヘヴィなスタイルのナンバーになだれ込んでゆく展開に尽きるだろう。こうした点も込みで、じつに器用なグループだと言いたい。

 余談になるけれども、前半に嵐の櫻井くんが、そして後半にはKAT-TUNの亀梨くん、田口くん、中丸くんが、顔を見せたのはさすがに豪華すぎだ。中丸くんと一緒に姿をあらわしたKAT-TUNのKとTの着ぐるみに、まさか、亀梨くんと田口くんが入っているだなんて、すこしは思いもしたけれど、ほんとうに入っていたら、おどろくに決まっている。

 コンサート『関ジャニ∞ えっ!ホンマ!? ビックリ!! TOUR 2007』(07年8月5日・東京ドーム)について→こちら

 『KJ2 ズッコケ大脱走』について→こちら
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2009年05月02日
 Break the Records -by you & for you-【初回限定盤】 Break the Records -by you & for you-【通常盤】 

 つくづく『KAT-TUN III -QUEEN OF PIRATES-』は傑作であった。越える作品をつくるのは難しいのではないかと思わされるほどであった。しかしその後、「White X'mas」に、「ONE DROP」、さらには「RESCUE」と、すばらしいインパクトのシングルが連発されたので、もしかしたらKAT-TUNならやりうるかもしれない、次のアルバムは『KAT-TUN III -QUEEN OF PIRATES-』を越えてしまうかもしれない、と予感させられる気持ちがあった。

 はたして、『Break the Records -by you & for you-』は、そうした期待に応えるものであったか。結論からいえば、前述したシングルに「DON'T U EVER STOP」を含め、一曲一曲の単位は、『KAT-TUN III -QUEEN OF PIRATES-』に匹敵している、いや、凌駕さえしているやもしれぬ。だが、作品をトータルで測るならば、『KAT-TUN III -QUEEN OF PIRATES-』のほうに分がある。全体のバランスよりも、ハイなパワーの楽曲をとにかくワン・セットにパッケージすることを優先させているかのごときは、06年のファースト・アルバム『Best of KAT-TUN』が持っていた性格に近しい。

 まず前半に、ゴージャスなタイプの、同じような質感、プロダクションの楽曲が、立て続けに並べられているため、ともすれば一本調子になっており、後半に、メンバー各人のソロ・ナンバーをまとめて配置していることが、逆に、焦点の定まっていない、散漫とした印象を与えるに至る。すなわち、こうした構成の面に関し、いくらかの難を覚えるのだけれども、しかし、である。すでに述べたとおり、一曲一曲の単位で考えるならば、その内容は十分に濃い。

 いきおいよくアルバムの幕を開ける「DON'T U EVER STOP」に続く、2曲目「SADISTIC LOVE」の 、デジタルにロックしている演奏のなか、メロディは妖艶で刹那的なドラマを描き出し、田中くんを中心にして総員、ひじょうにエロティックな語彙のラップを演じるくだりを経、じょじょにテンポをアップ、走ったままカタルシスに突っ込んでゆくところに、このグループのコントラストがとてもよく出ており、クライマックス、赤西くんと亀梨くんのハーモニーも、抜群に決まっている。スローなペースの4曲目「WATER DANCE」は、リフレインの魅力的な応用によって、静かに盛り上がる。3曲目「ONE DROP」と5曲目「RESCUE」の、ホットでありヒートなテンションは、もはや言うに及ばないだろう。

 6曲目以降に持ってこられたソロのナンバーは、それぞれに特徴的な工夫が凝らされ、どれもが意外なほどのヴォリュームを感じさせる。個人的には、9曲目、ラウドでアグレッシヴな田中くんの「PIERROT」が、いささか英語詞がクリシェすぎるとはいえ、そこもそこで燃えるし、11曲目、ジャズ・ピアニストの小曽根真を招いた田口くんの「WIND」に、へえ、と驚かされるような新鮮さがあったのだけれども、8曲目、亀梨くんの「1582」が、いちばんのフェイヴァリットである。タイトルが何を意味するのか、寡聞にして知らないが、中世的な吸血鬼のイメージか、シアトリカルな、どこかバロック・ミュージック的なアニメ・ソングを思わせる曲調へ、儚いような心象が託されている。

 バンド・サウンドで送られる12曲目「君道」の、軽やかなギター・ロックは、前作でいうなら「un-」の位置、いま、ここ、での瑞々しさ、若々しさを、溢れ出さすパレードだろう。14曲目の「White X'mas」は、アルバム・ヴァージョンになっており、シングルの版にはなかった田中くんのラップが挿入されている。ここでのそれはしかし、まるで女性シンガーと組んだときの男性ラッパーのささやきであって、とくに個性的なアプローチにはなっていないのを、いささか残念に思う。初回限定盤のラスト、「NEIRO」は、ストリングスに彩られたバラードで、まさしく感動的なフィナーレを飾るのに相応しい。

 そして通常盤では、その後に収められている「MOON」が、ここにきて、ヘヴィ・メタリックなモードを全開にしたミドル・テンポであった。クレジットを確認してみたら、リズム隊が、ビリー・シーンとジョシュ・フリーズじゃねえか。どおりで。琴の旋律をイントロにし、するどいギターに交えながら、はげしいグルーヴがうなる。これぞKAT-TUNとでもいうべき、せつなかっこういいイメージが、フルに出力されたナンバーであって、拳握るほどに漲る滾る。

 「RESCUE」について→こちら
 「ONE DROP」について→こちら
 「White X'mas」について→こちら
 『KAT-TUN III - QUEEN OF PIRATES』について→こちら
 「DON’T U EVER STOP」について→こちら
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 「喜びの歌」について→こちら
 『Cartoon KAT-TUN II You』について→こちら
 『Live of KAT-TUN “Real Face”』DVDについて→こちら
 「REAL FACE」について→こちら

 DVD『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』について→こちら

 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』(8月5日・東京ドーム)について→こちら
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2009年04月30日
 恋のABO【初回生産限定盤】 恋のABO【通常盤】

 来いよ! 恋よ! 恋の! ABO! いやはや、ディスコティックな曲調が〈恋をしようよ〉と誘う「恋のABO」は、まさしくNEWSにとってのニュー・アンセムと呼ぶに相応しいハイなテンションのナンバーで、とにかく気分が上向き、賑やかになるのだ。じっさい、このグループのディスコグラフィに並べていったとき、間違いなくトップのレベルに入るアッパーさ加減だと思う。まあ、たしかにミラー・ボール・ポップというか、かつてトラジ・ハイジがそうであったように、こういうタイプのサウンドにユニゾンのコーラスを合わせていけば、否応なく決まるよね、というのはあるにはあるが、その、ある意味でお約束に守られているなか、冒頭における小山くんのユニークなコールやブレイクを兼ねるふうに手越くんが喉をきかせる個所も含め、メンバー6人が、それぞれの個性を貫き通している反面、一丸となったさい、これまでになかったほどはっちゃけて聴こえるところに、最大限のチャームを感じる。2曲目の「ラビリンス」は、NEWSの過去のナンバーや「恋のABO」にも関わっているzoppが、歌詞を手がけ、女性のアイドルや声優系のシンガーの楽曲でよく名前を見かけられる藤末樹が、曲を書いており、バックのテンポは速めだがメランコリックなメロディはゆるやかな流線を描き、どちらかといえば、こちらのほうが従来のNEWSのイメージに近しいかもしれない。そして、裏の目玉はやはり、通常盤の4曲目に収められた「share」のライヴ・ヴァージョンである。ライヴ・ヴァージョンとはいえ、スタジオ・ヴァージョンが現時点では存在しない以上、ほぼここでしか耳にすることができない。メンバー6人が詞を持ち寄って出来たというナンバーで、昨年末のコンサートですでに披露はされていたけれど、まだどこにもパッケージされていなかった。それがついに、となれば、がぜん注目せざるをえないわけだが、「share」、いいね。とてもいい。先に述べたコンサートを観に行ったさい、ああ、いい曲だなあ、とは思っていたものの、再度、こうしてじっくりあらためると、その良さがつよくつよく実感される。打ち込みのビートとストリングスに導かれて、各人が各々の自作詞を、入れ替わり、メロディにのせる。言葉数も抑揚のつけ方もまったく違っている6つのパートが、一個一個別々のフックとなりながら、不思議とちぐはぐではない調和を結ぶ。〈Just only stars…〉と歌いながら、一点に集中するクライマックスは、にわかに感動的ですらある。このままでも音質等に不備はないのだけれども、せっかくの内容なのだから、ぜひスタジオ・ヴァージョンもつくられて欲しいよ。ところで、初回限定盤に付属されているDVDにも触れておきたい。昨年12月31日、東京ドームで行われたコンサートのアタマのほうとMCの部分のみ収録されており、さすがに見所がぎゅっと詰まってはいるにしても、さあ盛り上がってきたぞ、といったところでフェイド・アウトとなってしまうのは、物足りない。以前に嵐がアルバム『ONE』を出したときも、こういうダイジェスト版を用意していて、その後にフル・サイズのリリースはスルーされてしまったと記憶しているが、もしも今回のNEWSの場合もそうなのだとしたら、歯痒い。

 『color』について→こちら

 コンサート『NEWS WINTER PARTY DIAMOND』(12月30日・東京ドーム)について→こちら
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2009年04月24日
 Paranoid Delusions, Paradise Illusions

 PULLING TEETHというと、日本のバンドのことを頭に浮かべる向きもきっと少なくはないと思うが、まあ、ジャンル的にもそう遠くはないラウドでヘヴィなサウンドをプレイしてはいるのだけれども、これから書くのは米メリーランド州ボルチモア州出身のトリオであるPULLING TEETHのことであって、そのサード・アルバム『PARANOID DELUSIONS / PARADISE ILLUSIONS』が、ひじょうにかっこういい。リリース元のDEATHWISHレーベルは、主宰者となっているジェイコブ・バノンのCONVERGEで知られるような、重低音のぐしゃぐしゃにひずんだ激情型のハードコアが一種の目印となっているが、このバンドがユニークなのは、ヴォーカルやギターのスタイルに、オールドスクールなスラッシュ・メタルふうのイディオムを、ふんだんに持ち込んでいることであった。楽曲のスピードや展開は、しばしば初期のSLAYERを彷彿とさせる。しかしながら『PARANOID DELUSIONS / PARADISE ILLUSIONS』では、ちょっとしたパラダイムのシフトが行われているみたいだぞ、と感じられるのは、まず1曲目の「RITUAL」が、いやたしかに、ぶっきらぼうに叫ぶヴォーカルと細やかなリフを刻むギターとが、性急すぎるほどに加速を高めてゆく、そのようなくだりは中盤のあたりで用意されてはいるものの、まるでドゥーム調のごとき、暗い音色の深くて濃い、さらには太くてスローなグルーヴを、マキシマムに渦巻かせているからである。そしてそれは、ほかのナンバー、作品全体に支配的な特徴ともいえるし、ラスト・トラックの「PARADISE ILLUSIONS」では、これまでになかった叙情性をみせていたりもするわけだが、そうしたすべてに、ざらざらとした手ざわりのノイズがあふれ、絶えず緊張の昂ぶっているところが、最初に述べたとおり、ひじょうにかっこういいのであった。それにしても、全5曲で約25分という収録時間に、最初、あれ、これ、EPかよ、と勘違いしてしまったのだが、ちがう。PULLING TEETHなりにコンセプチュアルな内容を目指した結果、フル・アルバムでもこのサイズにまとまっているらしかった。でもそらそうか。06年の『VICIOUS SKIN』が、全11曲(日本盤は12曲)で約15分、07年の『MARTYR IMMORTAL』が、全12曲で約25分なのだから、比べるならもう、立派な大作主義ですらある。

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2009年04月19日
 Crooked Timber

 そこらへんの坊ちゃんが演じているような疑似ルサンチマンなんて簡単に蹴っ飛ばしちゃう。これがまじもんのパワーってやつなんだぞ。何の話かといえば、北アイルランドはベルファスト出身のトリオ、THERAPY?の通算10作目となるフル・アルバム『CROOKED TIMBER』のことなのだが、その、相変わらず多幸感とは縁遠そうな、無愛想にやたら強張ってひずんだサウンドには、にひひ、という下卑た笑いを、そしてとても嬉しくさせられる。80年代の終盤に登場し、およそ20年のキャリアは、十分ベテランの域であるのに、根本的なスタンス、つまり恨めしや、と歯ぎしり、イーヴルで根暗なアティテュードは、折れ曲がらず、いやそもそも折れ曲がっていたそれは、決して矯正されることもなしに、いまなお全うされていることが、音によって伝わってくるのである。同世代もしくは同時代のアーティストのほとんどが、リタイアするか、さもなくば以前とは様変わり、マイルドになっていきがちななか、このバンドの、とくに中心人物であるアンディ・ケアーンズの、ルックスも含め、はなはだごつごつとしているところは、一貫して一周して、抜群にかっこうがいい。とはいえ、ここで採られているのは、90年代後半の『INFERNAL LOVE』や『SEMI-DETACHED』みたいなグランジ・ポップでもないし、最近の数作において顕著だったガレージィなロックン・ロールともまた違う。しいて述べるなら、THERAPY?式のドゥームといおうかゴシックといおうか、どす黒い情念があたかも、ヘヴィで分厚いグルーヴとして渦巻き、あらわされているかのようなアプローチだと思う。1曲目の「THE HEAD THAT TRIED TO STRANGLE ITSELF」からしてあきらかなとおり、リズムのありようにかなりのインパクトが預けられている。まあ、リズムに関しては、元来クセのあるグループではあったが、その特徴的なセンスを前面に出し、ビルド・アップ、フルに稼働させることで、さらに強力なアンサンブルをつくり上げているのだった。03年の『HIGH ANXIETY』でメンバーに加わったニール・クーパーがドラムで果たしている役割はおおきい。もともとはTHE BEYONDというイギリスのバンドで、プログレッシヴなパターンを叩いていた人物だけあって、手数の多さもさることながら、激しいアタックを次々、ジャストなタイミングで決める。ギターのリフ、ベースのラインも、マッシヴなノイズを支援する一方でシンコペーションを細やかにしており、おそらくGANG OF FOURのアンディ・ギルがプロデューサーに呼ばれたのも、こうした方向性に関係してのことであろう。きわめてパーカッシヴな成り立ちをしているため、ハードコアをジャンク化させた初期の頃のイメージに近しい部分もあるにはあるけれど、線の太さ、禍々しいまでの迫力に、歴然の差がある。ソング・ライティングの完成度もそうだし、憎しみであれ何であれ、負のエモーションを技術的に高めていくと、なるほどこうなるのか、という気もする。たしかに、以前の作品にはあって、ここではなくされてしまった良さもある。が、すくなくとも、うつくしさやあたたかさ、やさしさのレベルでは判断されない表現の質、濃度、密度は高まっている。ブックレットにあるように、アルバムのタイトル『CROOKED TIMBER』は、カントの引用である。そしてまさしくサウンドは〈From the crooked timber of humanity, no straight things was ever made〉だということの産物になっている。

 『MUSIC THROUGH A CHEAP TRANSISTOR THE BBC SESSIONS』について→こちら
 『ONE CURE FITS ALL』について→こちら
 『NEVER APOLOGISE NEVER EXPLAIN』について→こちら

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2009年04月12日
 空 ~美しい我の空 美 我 空 - ビ ガ ク ~ my beautiful sky 【完全初回限定盤】

 この空は皆のものであり皆が同じ空を見ていると信じることができる一方で、この自分によって見られている空は一つしかないとも信じられる。人の認識において、こうした二つの想念は必ずしも矛盾しないし、対立しない。ただ、南からのものであろうが北からのものであろうが季節風のざわめきが感情を揺らすように、生きていることの哀歓を入り混じらせる。

 堂本剛の新しいソロ・ワークである剛紫(つよし)には、「堂本剛」名義のそれともENDLICHERI☆ENDLICHERIや244 ENDLI-x時代のそれともまた違った世界がひらけているのだけれども、これが一種異様な境地であって、なかなか他に類を見ない。シングル『空 〜 美しい我の空』とアルバム『美 我 空 - ビ ガ ク 〜 my beautiful sky』で聴かれるのは、きわめてスケールは大きくありながら、しごくパーソナルかつスタティックに響き渡るという、この、いっけん相反した二つの印象が、不思議と同居したサウンドなのであった。

 リズムに関しては、たしかにENDLICHERI☆ENDLICHERIや244 ENDLI-xの活動で学んだファンクの色が生かされているにもかかわらず、高揚感に直結する部分は極度に後退させられており、総体的にメロディアスといえばいえるなか、そのセンスであったり、歌詞にあてられた言葉は、ひじょうに内向的で、バラードのスタイルといおうか、テンポをアップしないナンバーが、おおよそを占める。躁と鬱の二極で捉えるなら、間違いなく、後者に近しいと判断されるが、しかしそれが、暗い、や、重たい、に変換されない。もっとずっと、あわく、ナチュラルに、せつなく、うれい、そこから迫り上がってくる情緒への信頼を、表現の強度、うつくしさに持っていっている。

 あえていうなら、シック、な作風である。初期の頃のようなSICKさもあり、大人びて得たCHICさもある。

 アルバムには未収録な「空 〜 美しい我の空」は、ゆるやかなピアノの伴奏と東儀秀樹による雅楽器が、メロウに寄った旋律を設けていき、そこにオーケストレーションが薄く被さる。堂本のヴォーカルは、あいかわらず、堂々として、伸びがいい。通常のシングルとして考えるなら、もうちょいのポップさ、キャッチーであること、フックのつよさが欲しいところではあるものの、ENDLICHERI☆ENDLICHERI以降、このアーティストは、そうした観点でシングルを編んではいないと考えられる。7分もある大作で、どかん、とくるダイナミズムは用意されていないのに、ヴォーカルとバッキングの絶妙な案配が、だれない起伏をつくっている。

 同じく東儀秀樹を招いての、しかし今度は堂本が歌うかわりにギターを入れ、ジャム・セッションふうに展開されるインストゥルメンタル「美 我 空」で、アルバム『美 我 空 - ビ ガ ク 〜 my beautiful sky』は、幕を開ける。244 ENDLI-xとの連続性を感じさせるファンキッシュでエレクトロニックなアプローチだが、そのまま動的なモードにはなっていかず、続いて2曲目の「TALK TO MYSELF」は、たいへんシンプルなバンド演奏の、スロー・ソングだ。〈リアルを… / 光を… / 真っすぐに / 君に捧げたいんだけど / 時代はそうさせないかも知れないな…〉というフレーズが、エモーショナルにうたわれる楽曲の題が「TALK TO MYSELF」であるのは、どことなく意味深でいて、アルバムの方向性を暗示しているかのようでもある。

 やはり激しさとは無縁の、凪いで、スローな歌うたう3曲目の「愛詩雨(あいうたう)」が、じつはマイ・フェイヴァリットである。〈愛は優しいから / 僕に黙って死んだよ / さよなら云わずに / そっと胸で死んだよ〉、こういうフレーズが、もったいつけられることもなく、一語一語のはっきりとした発声、メロディによって告げられる出だしからして、たまらない。アンチ・クライマックスな進行の内に、〈癒えないで / 癒えないで〉と〈死ねないで / 死ねないで〉と紡がれ、重ね合わせられるイメージは、ともすれば空漠としているが、〈愛は優しいから / 僕に黙っていたよ / さよなら云わずに / そっと胸で / 生きていたよ〉と反転するラストに、やさしく、前向きな意識を感じたい。

 初回限定版のみに収められた5曲目の「雨の弓 〜Ameno-yumi」では、ストリングスが劇的なドラマを描いており、クラシックな弦楽器の合奏とエレクトリックなギターのソロが、おおいに盛り上がる中盤の展開が、とてもかっこういい。そして繋がれる〈この悲しみ降る場所から / 陽を打てば / あなたまで / 架かるのかしら〉という願いの、なんてセンチメンタルなことかよ。

 6曲目の「NIPPON」や7曲目の「叶え Key」で、前者ならば〈NIPPON〉が、後者ならば〈NIHONJIN〉が、といった具合に、やたら半径のひろげられたアイデンティティをコーラスに用いるのは、個人的にあまり好むものではないのだけれど、リズムの柔軟さ、愛嬌と差し引き、心地の好いグルーヴに包まれる。あるいは〈NIPPON〉や〈NIHONJIN〉といった依り代を前にしたことで、ようやくこの、踊り、祝祭のためのギア・チェンジが導かれたのか。いずれにせよ、アルバム中、もっとも躍動にあふれた場面であるのは間違いない。

 堂本自身のピアノの弾き語り、9曲目の「歴史」も、タイトルだけなら大げさだが、赤い糸の挿話をモチーフとし、〈キミ〉と〈ボク〉のあいだに置かれた小さな関係性を、深く、歴史に喩えられるまで、深く、記憶を掘り起こすように、深く、デリケートにラヴ・ソング化している。しっとりとしていて、〈指先〉の個所で、〈君が云う〉の個所で、〈好きだよと〉の個所で、ファルセットになるヴォーカルに、うっとりとしてしまった。

 以前にくらべ、実験的な性格は低まり、音楽的なキャパシティが狭まったぶん、とっつきやすくなったかといえば、いやいや、そうでもない、ないか。楽曲のアレンジのわりとストレートであることが、翻って、堂本剛とそのソング・ライティングに独特のレリッシュを濃くしている。ラストの「Purple Stage」は、作品全体のプロセスが、あたかも大団円として集約されているかのような、スローなソウルに任せたナンバーであるが、必ずしもハッピー・エンドには思われない、何か、いわく言い難い悲壮さを満たす

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2009年04月04日
 Young Desire

 1曲目のタイトルが「THIS IS AGGRESSIVE MELANCHOLY」っていうのは、なるほど、言い得て妙だ。LAPKOはフィンランド出身の3ピースで、どうやらサード・アルバムであるらしい『YOUNG DESIRE』によって、その存在を知ったのであったが、たいへんせつなはげしいギター・ロックにたまらなくなる、とても酔いしれる。耽美なセンスでグランジ的なスタイルにアプローチしたかのようなサウンドは、たとえばイメージとして、イギリスのMUSEやアイルランドのJJ72などに近しいものだろうか。しかし、それらのアーティストと比べたさいに楽曲は、コンパクトかつポップにまとまり、エッジのするどく尖っていることが、LAPKOの特性だと思われる。憂いに満ちたメロディが、ハードなピッチでドライヴする演奏をまとい、黄昏色の彼方から感情のひどくささくれだったところへ、ダイヴ、急降下してくる、そうした表現のどこか、くらくらとする眩暈のなか、スリルと叙情とが深く交わっているみたいだ。ハイ・トーンで中性的なヴォーカルは、ときおりRUSHのゲディ・リーにも似ていて、それがいかにもYOUとIの刹那的で感情的なフレーズを迫真の呼び声に変えている。呼ばれたのか。胸の奥で動かされるものがある。いやはや、すべてのナンバーが、正しくアグレッシヴ・メランコリーと喩えるのにジャストな響きを持っているけれども、とくに3曲目の「MIAMI VICER」や5曲目の「HUGGING THE PHONE」、6曲目の「DEAD DISCO」、10曲目の「PARANOID」あたりが、痺れるほどに、うつくしく、悲しく、荒々しく、厳しく、鮮やかだ。

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2009年04月03日
 Animal

 さあきた、おい、これがロックン・ロールの力瘤なんだ。ガッツ漲るとは正しくこのことかよ。フィンランドの3ピース、SWEATMASTERの、フル・アルバムとしては(おそらく)3作目にあたる『ANIMAL』は、07年の時点でリリースされていたらしいのだが、じつは最近になって、ようやく聴いた。しかしまあ、消費期限が決して尽きることのないストロング・スタイルのロックン・ロールは、相変わらず、流行の傾向に伺いを立てることとはまったく無縁で、そのインパクトが目減りするということもなく、ひらすらかっこういい。ハイ・パワーであることを一義に貫くサウンドはまちがいなく、かっこうよさは時代に左右されてしまうので、式の物怖じよりも、いや時代に左右されないかっこうよさは必ずやある、的な断言を選んでいる。ギター、ドラム、ベースのシンプルな構成が、極力それ以上のギミックを必要としない、にもかかわらず音はぶっとく、はげしく、うねり、ずしんずしんと大々的に響いてゆくさまは、じつに痛快である。ベースのラインを中心にして練り上げられるグルーヴの質は、ファンキーと喩えるのが相応しく、ダイナミックに跳ねたドラム、するどく切り込んでくるギターのリフが、とても魅力的な抑揚をつくる。もちろん、ベースのプレイを兼ねるヴォーカルの、その、ソウルフルと呼んで偽りのない歌い回しも、じつに見事に決まっていて、力強く発声されたメロディが、ただ盛っているんじゃない、豊かな表情を描いていることに引きつけられる。たとえばそのことは、メロウなミドル・テンポのアンサンブルを、せつなさに堪えきれないテンションで盛り上げる5曲目、「CUT UP IN HALF」に顕著であるし、いやまた全体を通じ、すぐれたフックの役割を果たす。そしてリズムだ。3曲目の「DEAD LEGS」や6曲目の「I HAVE YOUR EYES」、10曲目の「BLISTER」等々、ガレージィな勢いにあふれ、疾走感のすばらしいナンバーも多いけれど、パンキッシュである以上にファンキッシュであることが基調となっているため、ひじょうに厚みがあってタイトな、それでいて緩急の自在なビートを聴かせる。タイトル・トラックの2曲目、「ANIMAL」なんか、あきらかに「アニモーアニモー」ってキャッチーなフレーズのワン・アイディアから出発しているが、リズムの巧みなアクセントがそれを単調なパターンに陥らせず、自然に心と体が踊るようなリフレインに変えている。間のとり方がよい。絶妙である。それは8曲目の「CALLING SATAN, LET ME IN」にもいえて、「コーリンセイタン・レッミーインナウ・レッミーカムイン」のコーラスが、力み、たくわえられたタイミングを吐き出すのを見計らい、バックの演奏は、はじける剣幕のロックン・ロールを展開する。そこがクライマックスだぞ、というぐらいにかっこういい。ガッツ滾っている。漲ってくる。漲っている。

 『TOM TOM BULLET』について→こちら 

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2009年03月30日
 〈とんでもなく甘い気象予報 / 曰く俺らは異常気象〉「Re(mark)able」

 あのときの興奮がよみがえる、というのは、いかにもクリシェであるけれど、当日、会場に居合わせた者からすれば、あのときの興奮がよみがえって仕方がない、というのは、まぎれもない事実である。

 DVD『ARASHI AROUND ASIA 2008 in TOKYO』には、昨年(08年)の9月6日、東京は国立霞ヶ丘競技場に、むんむんと充ち満ちていた歓喜に歓喜と歓喜が、余すところなくパッケージされている。超が付くほどに大スケールなコンサートの、見事に映像化された模様は、おそらく、居合わせることのかなわなかったファンにも、十分に追体験の感動を与えると思う。

 嵐(ARASHI)の5人によって繰り広げられるハイパーなパフォーマンスに7万ものオーディエンスが沸く、ちょっとしたロック・フェスティバルをはるかにしのぐ光景は、全編がクライマックスというに相応しい。しかし、やはり、最高の瞬間として挙げたい、はげしく圧倒されるのは、2枚組ディスクのうち、DISC 2の冒頭、ショーの中盤、いったんのブレイクを挟み、聖火の燃えさかるなか「Re(mark)able」が炸裂、そして続けざま「truth」へとなだれ込んでゆく場面であろう。

 尋常じゃない。ほんとうにやばい。こうしてふたたび、そうして何度観返しても、心のヴォルテージが、マックスを超えて上がる。過去にもさんざん述べてきたが、90年代のラストに登場し、そのまま00(ゼロ)年代を突っ走り、まさしくタイトなパイオニアとして、時代の寵児にまで昇り詰めたグループの、そのキャリア、勢い、ポテンシャルが、驚愕のワン・シーンにおいて、遺憾なく発揮されている。

 そのようなハイライトが、どうやってつくられていったか。あたかも、プロローグのごとく、ドキュメントのように、DISC 1の最初に置かれている今回のコンサートのメイキングで、あかされている。メンバーの一言、スタッフの協力、リハーサルの最中にも、アイディアは密に練り上げられ、完璧が目指されている。さらには、ショーを設計する段階にあって、松本くんがどれだけキーの役割を果たしているのかが、よくわかる。

 また、本編との関係性でいうなら、オマケにあたるパートであるけれども、国立霞ヶ丘競技場での公演を含む2度目のアジア・ツアーのために用意されたナンバー、「Re(mark)able」のレコーディング過程が記録されているのも、貴重だ。

 バックのトラックを聴きながら、ノートのパソコンでエディタの窓を二つ開き、ラップ詞の作成に頭を悩ませる櫻井くん、そこからじょじょに楽曲が、完成へと近づいていく様子は、歌を吹き込むさいの苦労、工夫に各人の個性もよく出ていて、へえ、こんなふうになっているわけかあ、裏側をのぞけることができるのは、たいへん興味深い。

 コンサートの終盤、「言葉よりも大切なもの」が披露されている途中、櫻井くんが天を仰ぎ、歌い終わり、そのことを伝えられた二宮くんが、マイクを通さずに、え、という表情で「雨」と口を動かすのを見、そういえば、たしかにあのとき、雨が降り出してきたんだったな、と思い出す。

 最初は気のせいかしら程度の降りが、だんだんとつよまっていたのだった。野外のイベントで雨天になってしまうのは、ふつう、残念でしかないが、しかしそれがちょうど、最後の最後になってやって来たのは幸運である以上に、嵐という語の字義、そしていくつかの楽曲にあらわされた歌詞のイメージも込みで、このグループのアンコールにぴったりなシチュエーションとなりえていたのは、まさしく奇跡のよう。

 まさか、それを予想していたわけではあるまいね。締め括りが、アップ・テンポなミクスチャー・ロックのテンションで、〈Rainy Cloudy Fine Today〉とうたわれる「五里霧中」であったのは、今こうして振り返ってみても、できすぎである。

 雨のはげしくなっていくことが、天すらも味方につけているみたい、すぐれた演出となって、ステージ上、ありったけの声援を受け、手を振る5人の魅力に還元されてしまう。あのときの、信じられないぐらい、すばらしくすばらしかった興奮が、まざまざとよみがえる。終演後の雷。すべての印象を、たぶんずっと、忘れることがない。

 『Believe/嵐|曇りのち、快晴/矢野健太 starring Satoshi Ohno』について→こちら
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 『truth / 風の向こうへ』について→こちら
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 9月6日『arashi marks ARASHI AROUND ASIA 2008 in TOKYO』について→こちら
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2009年03月18日
 Keep Me on Your Side

 長引く不況という言いは、まあ常套句であるけれども、そのような世相においては共感性の高いメロディが欲されるのか、エモ・ポップ時代にもなかなか終わりが見えないねえ、といったところである。たしかにシーン自体は、いささか供給過多であって、飽和状態にも感じられるが、それでも次々と新人さんが登場してくるのだから、アーティストにしてもリスナーにしても、まだまだそのスタイルに求めるものがあるのだろうし、勢力のでかさは、依然としている。しかしなあ、さすがにちょっと、飽きないかい。キモであるメロディのラインは、半ば類型的、パターン化していて、アコースティックやディスコティックのヴァリエーションも、ユニークなアイディアというより、ひとたび発見されたとたん、さっそく右にならえの汎用性で、各バンドの固有性を埋没させてしまう。もちろん、みんな同じがいい、の連帯が、ジャンルの美学であるようなとき、それは決してマイナスにはならないのかもしれないけれど、個人的には、やっぱり、熱くなれない。とか述べつつ、だよ。ニュージーランド出身の4人組、GOODNIGHT NURSEによるセカンド・アルバム『KEEP ME ON YOUR SIDE』は、ひさびさにヒットであった。正直、飛び抜けた個性というのは、ほとんど、ない。いかにも、エモ・ポップ(ポップ・エモ)でござい、式の、メロディ、躍動、リズム、コーラス、ハーモニーの総和で、すべて楽曲はこしらえられている。日本盤の、MEY-Eのライナー・ノーツがそうしているとおり、容易く、比較対象のあれこれを挙げられる。だがしかし、その、屈託のなさによってクオリティの引き上げだけを目指されたかのようなナンバーがどれも、すぐれて響くのである。ギミックというほどのギミックは用いられず、感情の、前向き後ろ向き、アップとダウンとを表現したドラマが、たくましいバンド・サウンドのダイナミズムによっているのも、たいへん気持ちよく、決まっている。エモ・ポップのみではなく、一線級のパワー・ポップにも届きそうな射程がある。へたに抗ったらもったいない。いや、抗えないね。「UNTIL SUNRISE WE ARE THE NIGHT」という、そしてそれはつまりバンド名にもかけてあるのだろうフレーズが、どこまでもロマンティックな弧を描く2曲目の「THE NIGHT」など、ああ、これ、かなり、好きだ。

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2009年03月13日
 RESCUE (初回限定盤) RESCUE (通常盤/初回プレス仕様) RESCUE (通常盤)

 なるほど、こうきたか、という感じもする。前シングル「ONE DROP」は、KAT-TUNというグループの、ハードでメロウなイメージを、バンド・サウンドの、短いインパクトのなかに凝縮してみせたナンバーであったけれど、この「RESCUE」では、同様のイメージを今度は、打ち込みのリズム、ダンサブルでピッチのはやいビートに落とし込んでいる。バラードである「White X'mas」を除き、「喜びの歌」よりこちら、ハード・ロックもしくはスピード・メタルな路線をアピールしていただけに、ある種のマイナー・チェンジが行われた印象を持てる。根本のせつなかっこういい部分はそのまま、曲調にあたらしいヴァリエーションをもたらしているのである。とはいえ、個人的には、「DON'T U EVER STOP」初回限定盤の、赤西くんと田中くんのソロ・ナンバーを収めたヴァージョンの、延長線上に、これを置きたい。耳当たり、ダークなトーンがそうだし、いかにもデジタルな時代のアレンジもそうだが、何より英語で歌われるコーラスの、そのメロディの、節の終わりが、どこか似ているふうにも響いているからだった。以前にも述べたとおり、LINKIN PARKのポップ性にも相通ずる。とすれば、今日的にモダンだということでもある。一方、反復を繰り返し、ワン・フレーズを繰り返す構成において、ポイントをわけて挿入される田中くんのラップと中丸くんのヒューマン・ビート・ボックスとが、とても効果的なアクセントとなっているのも見逃せない。ハード・ロックもしくはスピード・メタルな路線のナンバーにとって、後付けされたオマケ程度の魅力でしかなかったのに対し、ここでは必要不可欠な要素のごとく、立派に生かされているのだ。ところで、赤西くんによって歌い出され、亀梨くんがあとを続けてゆき、ハーモニーとなる〈誰かのためになんて / 生きれないと思った / こんな愛しくて / 大切なものを / 初めて見つけた〉という歌詞からは、たとえ作詞者が違えども、「YOU」の〈あなたのために生きていいかな〉という個所や、「喜びの歌」の〈生きてる / ただそれだけで / 君と走って行こう〉、そして「Lovin'U」の〈Lovin'U / 君がいないと / I miss U / ダメになってた〉などと同じく、すべてが「君と僕」に集約されるドラマを受けとれて、いや、それがもしかしたら、このグループに託された主旋律なのかもしれないが、だからこそ、ここで聴かれる〈I don't wanna cry alone〉という、感情の寂しさから取り出されてきたかのような力強さに、たまらず、胸が熱くなる。そう、誰だってひとりぼっちになってしまう可能性を生きている。でも、誰だってひとりぼっちにならない可能性をもって生きている。

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 『KAT-TUN III - QUEEN OF PIRATES』について→こちら
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 『Live of KAT-TUN “Real Face”』DVDについて→こちら
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 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』(8月5日・東京ドーム)について→こちら
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2009年03月06日
 Believe│曇りのち、快晴【通常盤】

 嵐(ARASHI)の「Believe」は、スピーディなテンポのなか、力強さにあふれ、肯定のニュアンスを伝えてくるナンバーであるが、しかし最大のチャームは、再生時間でいうなら、3分より先の展開にこそあるのではないか、と思う。グループが大成するにつれ、じょじょに薄れていったふうにも感じられる焦燥が、櫻井くんのラップに合わせ、変調のステップを踏むためである。楽曲の基本線は、前々シングルにあたる「truth」の路線を受けたかのような、打ち込みとストリングスの合奏が、ドラマ性を高め、盛り上げるタイプのものだといえる。もちろん、リズムやメロディのパターンがぜんぜん違うのだけれども、「Believe」にあって「truth」にないもの、おおきく異なっているのは、やはり、そのパートだろう。おそらく、編曲を担当した吉岡たくの手腕も、そこに生きている。吉岡の、嵐に関する仕事といえば、たとえば「COOL&SOUL」や「Re(mark)able」等の、ラップ主体型のナンバーを挙げられる。「Believe」のソング・ライティング自体は、100+によるものだが、櫻井くんがラップに入り、押韻を激しくすると同時に、エレクトリックなギターがじゃきじゃき鳴り、ループ構造であったバックのトラックが、ジャジーともとれるスリルな表情を見せはじめるところに、「COOL&SOUL」や「Re(mark)able」の展開にも相通ずるスタンスがある。そして重要なのは、そこに預けられている焦燥の質であって、すでに「COOL&SOUL」で〈そして幕開け 第二章〉と宣誓されていたとおり、決して初期の頃へとは回帰していない。02年のセカンド・アルバム、『HERE WE GO!』に収録されていた「ALL or NOTHING Ver.1.02」のような、世間や大人に苛立った態度は、もはや、あらわれていないのである。たしかに「Believe」において、櫻井くんが自作したラップ詞は、〈一体何をしているんだろう 一体何を見ているんだろう 一体何に生きているんだろう〉と憂い、〈“僕はもう…” 嗚呼もう 走馬灯のよう〉と嘆いてはいる。ひとまず〈昨日も今日も今日もそうだろうが 今日は今日でどうかしよう〉とするしかないみたいだ。が、しかしそれでも視線は、過去を振り返り、今だけにすがって終わることもなく、前向き、〈あの頃の未来向かい 時代に期待せずも進むmy life〉と定められている。〈時代に期待せずも〉というあたり、櫻井くんの詞に特有のシニカルさを受け取れるが、初期の「言葉より大切なもの」や「五里霧中」のそれとくらべるなら、昨日よりも何とかおおきくしていようとしていた今日の比重よりも自然と明日の比重のほうがおおきくなっていることが、わかる。これを、ある種のテコにし、メンバー全員がうたう〈そう 僕らはずっと待ってる いつまでだって待ってる どこまでも続いてゆく道で 心にずっと抱いてる この夢きっと叶うはず 泣いて笑って進んでゆく〉というコーラスは、さらに上昇の気流を描いていく。はたして現在、嵐がデビューした99年よりも、世のなかはよくなかったか。いや、たぶん、そんなことはないに違いない。けれども、これが最低の時代だって、もう何十年も言われているようなとき、それを変えていくために変わらなければならないのは、結局、自分自身でしかないのだろう。〈頭上に悠然とはためく 漠然とした夢を掲げ この道の先まだまだ見えず 失敗からしか何一つ学べず〉だとしても、あるいはそうであるがゆえに、だ。ところで、嵐の楽曲には、必ずしも作詞者は一致しないのに、なぜか人生の成り行きを列車に喩えるものがすくなくはないが、通常盤にカップリングされている「トビラ」も、そうした一つに数えられる。この点や、メンバーそれぞれが入れ替わり、ポップなラインをうたい繋ぐさまも含め、じつに、らしい、ウェルメイドなナンバーだといえる。「Believe」とともに、両A面ということになっている「曇りのち、晴れ」は、周知のように、大野くんの、タイアップ・ドラマの役柄名義によるソロ・ナンバーである。そもそも嵐というグループにおいて、大野くんがヴォーカルのメインを張る機会が多いわけだから、どうしてこういうピック・アップをしたのか、諸事情はよく知れないけれど、いやいや、ピアノの旋律にのって、きらきらときらめくあかるさが、独唱で伸びていく声のうちにうまく表現された、なかなかナイスなナンバーだと思う。

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 9月6日『arashi marks ARASHI AROUND ASIA 2008 in TOKYO』について→こちら
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2009年03月05日
 Xo

 MY CHEMICAL ROMANCEというバンドに関しては、たとえば「I'M NOT OKAY (I PROMISE) 」のポップさは決して嫌いじゃないのだけれども、やはり、02年のファースト・アルバム『I BROUGHT YOU MY BULLETS, YOU BROUGHT ME YOUR LOVE 』の、初期のIRON MAIDENにも似たふてぶてしい勢いが好きであって、じょじょにドラマを洗練しながら、シアトリカルになっていくサウンドには、すこし、歯がゆさを覚えてもいた。そのような聴き手にとって、ギターのフランク・アイエロによるサイド・プロジェクト、LEATHERMOUTHのデビュー・アルバム『XO』は、まさに我が意を得たりの一作となっており、うれしい。ゴリゴリとしたギターのリフとギャアギャア叫んで回るヴォーカルを基調に、パンキッシュなスピードもしくはハードコア的な荒々しさを、つよく押し出している。すなわち、アングリーであり、アグレッシヴである、が、キャッチーなポイントも十分にある。フランクが、MY CHEMICAL ROMANCEのソング・ライティングにどれだけ貢献しているのかは、くわしく知らないのだけれど、ここで聴かれる楽曲の結構は、メリとハリの印象がそのままフックとなって響くほど、かっこうよく決まっている。もしも、ずぶの新人であったなら、大プッシュしているよ。ただなあ、惜しいと思われるのは、じつはフランク自身がつとめているヴォーカルで、いまやスクリームは、どれだけ喚こうが一つの定式でしかなく、それだけではインパクトとして弱い、薄い、ともすれば絶叫のうちに、深み、表現力さえ求められる、そうしたとき、強烈な個性を持てず、その他のエレメントが大胆かつパワフルにはじけているぶん、やや力量足りずにも感じられてしまうのである。

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2009年02月24日
 Killer
 
 おうおう、こいつははりきっているなあ、といった感じを、VICTIMSの、DEATHWISHレーベルよりリリースされた通算4作目となるフル・アルバム『KILLER』からは受けるのであったが、いやいや、じつはこのバンドを耳にするのははじめてのことなのだけれども、なるほど、巷では同じスウェーデンのDISFEARあたりが引き合いに出されるのも納得がいく、超剛速球型のハードコアをぶんぶん鳴らしている。何はともあれ、かっこういいですぜ、旦那、と言いたい。どうやらメンバーにはACURSEDやNASUMの面子が参加しているらしいが、それらに比べると、印象は、圧倒的にシンプル、かつパンキッシュであり、轟々とロックン・ロールのロールを回す。その無骨であるスピードにMOTERHEADやDISCHARGEのエッセンスを聴きとることも可能であろう。どのナンバーも1分、2分程度で駆け抜けるなか、響き渡るギターのフレイヴァーは、あんがいオーソドックスにロックしているのであって、奇抜な発想なんて知ったこっちゃないよといわんばかり、質実剛健と喩えるのに相応しいダイナミックなうねりを、がしがしと叩きつけてくる。要は、ガッツにあふれている。そしてそれが、たいへんさまになっているのである。こういうサウンドは、結局のところ、ファースト・インプレッションですべてが決まる。一瞬で、おお、と引き込まれたなら、もうほとんど最後の最後まで裏切ることがない。まさしくそのとおりの、実例の一つとして、これを数えられる。

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2009年02月23日
 Common Existence

 ねえ、この頃、どうしてかわからないが、ひどく悲しい、悔しいし、無性に腹が立つんだ。すぐれた音楽はしばしば、その、正体不明な感情にかたちを与える。たとえば自分にとって、THURSDAYの通算5作目となるフル・アルバム『COMMON EXISTENCE』なんかは、そうだといえる。ここ最近、フロントマンのジェフ・リックリーが、ゴリゴリにとがって叫びまくるプロジェクトのUNITED NATIONSに参加したり、バンド本体は、音響叙情派としてふるう日本のハードコア・アクトENVYとのスプリットをリリースしたりと、ビッグ・ネームになったあとも決してアンダーグラウンドの気質が失われていないところを見せていた、米ニュージャージー州出身の5人組であったけれども、所属のレーベルを、モダンなパンク・シーンの重要な拠点、EPITAPHに移し、そしてついに発表された『COMMON EXISTENCE』において、これまでの指向を突き詰めながら、そこからさらに敷衍したかのような、狭いジャンルの内部評価にとどまらぬほどキャパシティのでかい、深奥で強烈に満ちた存在感を発揮している。とにかく、全方位に向けられたナイーヴさと全方位に向けられたアグレッシヴさとが、虚無のずっしり重たくなりそうなムードのなか、パッションとは何だ、リリカルとは何だ、いちいちうるさく問うてゆく勢いで、攪拌され、あたかも絶体絶命の手ざわりを身近に察知したからこそ、生き生きとして振る舞いたくなるさまを描くのである。わっと出たテンションではっちゃけ、ギターの旋律は細やかに激しく、幾重にもふくらむことで複雑化した展開に、ダイナミックなドラマを盛り込んでゆく1曲目の「RESUSCITATION OF A DEAD MAN」からして、じつにスリルあふれるよね。そうしたインパクトをキープしたまま、終盤にメロウな余韻を重ね合わせる2曲目の「LAST CALL」や、先述したENVYとのスプリットにも収録され、めまぐるしいぐらいの性急さが自然と寂しげな印象へとスライドする3曲目の「AS HE CLIMBED THE DARK MOUNTAIN」にも、思わず身を乗り出し、たいへん胸騒がされるものがある。プロデューサーは、06年の前作『A CITY BY THE LIGHT DIVIDED』と同じく、デイヴ・フリッドマンが担当しており、まあハードな部分はもうちょい硬く鳴ったほうが個人的に好みかなという気がしないでもないが、触感は、緻密であることと生々しくあることが同時的に加工されていて、アップとダウンの落差のあいまがカタルシスとなる表現に対し、存分な説得力をつくっている。バックの演奏は、いかにもTHURSDAYでござい、といった力みがクライマックスを連続する場面のみならず、リズムのとり方がキャッチーな5曲目の「BEYOND THE VISIBLE SPECTRUM」や、アコースティックではじまりシアトリカルに孤独を述べる6曲目の「TIME'S ARROW」、一時期のDEFTONESやFARを彷彿とさせるモードからモダンにメロディアスになる8曲目の「CIRCUITS OF FEVER」など、ミドルやスローなナンバーにあっても、以前にも増し、陰影を濃く描き、そこに被さるヴォーカルは、うたうだろう、叫ぶだろう、嘆くだろう、ときには囁くだろう、ありったけ心の裡をぶちまける、傾斜をのぼるにしてもくだるにしても、速度をゆるめない緊張で、もしも魂というものがあって、もしも死んでいるのならレクイエムに、そしてもしも生きているのならエールに、デジタルもシグナルも関係なしに、そのように聴こえるように。はてしなく、せつなく、つよく、だ。

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2009年02月12日
 ONE DROP [初回限定盤] [CD+DVD] ONE DROP [通常盤] [CD]

 デビュー時より、せつなかっこいいハード・ロックのモードをいくKAT-TUNだけれども、バラード・タイプの「White X'mas」をアクセントに置き、ふたたびこういう、「ONE DROP」のような、はげしいアタックを全開にしたナンバーをシングルとして繰り出してくるのだから、まったく、ぶれがない。冒頭のSEを抜きにして考えたら、約3分の程度にまとまったナンバーは、たとえばブレイクとなる箇所に、おおげさなギターのソロ・プレイを差し込み、中丸くんのヴォイス・パーカッションを入れ、さらにはJOKERこと田中くんのラップをもうちょい長めに設定することもできたろう、が、あえてそうせず、まるでエディットのヴァージョンみたいにばっさりと、メインのパート以外は切り捨て、編成されている。そうしたアプローチはもしかすると、ギミックを盛りだくさんにゴージャスでグラマラスな路線をとった「DON'T U EVER STOP」の真逆だとさえいえる。しかし、そのシンプルさが、ソリッドなタイミングを生み出し、テンポはハイでありながらも、爽快な勢いで跳ねる「喜びの歌」やスピード・メタル的な疾走の「LIPS」とはまた異なった質感の、じつにこのグループらしい展開をもたらす。ハーモニーを裏で支える赤西くんのヴォーカルが、要所要所で、前に出てくるところも良い。この、エキサイティングな表題曲に加え、カップリングの「D-T-S」も、なかなかに侮れない内容である。Sean-Dというライターに提供された歌詞は、あきらかに、スキャンダリズムを撃っている。それがギターのダイナミックなバンド・サウンドにのって、たそがれ、憤り、うたわれる。マスコミのネタにされがちな立場からしたら、ある意味で、リアル系のエモーションであろう。〈もうちょっと You ちゃんと 準備して出直して 安くないぜ〉というあたり、皮肉がきいているよね。ここにきて、JOKERのラップが、ふてぶてしい。いかにもハード・ロックの様式美ふうなキーボード・ソロから、HaHa、と声荒げたラップを決めてゆく、このようなくだりはアイディアとして抜群であり、他に類をあまり見られない。「ONE DROP」も担当しているha-jのアレンジは、グループの特性をよくわかっている。正直をいえば、昨年にリリースされた『KAT-TUN III -QUEEN OF PIRATES-』が傑作すぎて、あれを越えるものはもうつくれないんじゃねえか、という気がしてた。だがしかし、である。「DON'T U EVER STOP」を、「White X'mas」を、「ONE DROP」を、そして来月に予定されているシングル「RESCUE」を、おそらくはぜんぶ含めるに違いない次のアルバムも、いやいや負けず劣らず、とんでもない作品になるのでは、そんな嬉しい予感が、ひしひしとしている。

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2009年02月11日
 The Animals Still Run This City

 イギリス出身の5人組、SCREAM!SHOUT!SAY NOTHINGの、5曲の収録だがデビュー・アルバムにあたるらしい『THE ANIMALS STILL RUN THIS CITY』で聴かれるのは、ゆったりとした尺をプログレ的もしくはポスト・ハードコアふうに展開するさまや、エモっぽく力んでエネルギーを発散させていく演奏とヴォーカルとが、ちょうどOCEANSIZEとHELL IS FOR HEROESの間をとったかのようなアプローチで、サウンドのスタイルとしては、ぜんぜん好きだ。例に出したOCEANSIZEやHELL IS FOR HEROESもそうだけれど、ラウド系の、こういう独特な叙情を持ったバンドは他の国にあまり見られないと思う。ワン・セクション、ワン・セクションの回転数をめまぐるしくあげ、どかん、と一気に落とすインパクトではなく、かといって共感のラインをスウィートなメロディでコーティングし、ライト・ポップなセンチメンタルをつくるのでもなく、ローなテンポから、こんもり熱を高め、躍動と繊細をない交ぜながら、ひろまる音響の内に、若々しいヴィジョンを託している。11分の、もっとも長いタイムで成り立つ3曲目の「EINSTEIN I AIN'T」が、やはりハイライトになるだろうか。勢いを激しく、滾るままに叩きつけられた衝動が、2本のギターの、注意深く、そして穏やかで、きらびやかに、フレーズを積み重ねる印象によって、異なった表情をし出すところに、クライマックスたっぷりのドラマが詰まる。

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2009年02月05日
 エヴリデイ・ディーモンズ(初回限定盤)(DVD付)

 アイルランド出身の4人組、THE ANSWERのセカンド・アルバム『EVERYDAY DAMONS』は、なるほどなるほど、ほうぼうの音楽誌でなかなかの評価を得ているのも納得がいくような、とてもよく出来たハード・ロックであり、きっちりとした安心感のある、じつに優等生的な内容だけれども、翻って、クセになってしまうポイントのすくない気がしてしまうのが悔しい。まあ、06年のデビュー・アルバム『RISE』で示された方向性を違えず、迷わず、完成度に向けて、仕上げていったら、こうなるだろうね、という意味では、さすがのラインを越えている。しかし総体的な印象は、もっぱらヴォーカルの歌いっぷりによっていて、それ以外の部分が、あまりチャーミングには思われない。せめて強烈なリフが一本でもあれば、という物足りなさがある。たしかに、演奏力、ソング・ライティングの能力ともに高いレベルにはあるのだろう。サウンドに一体感もある。たぶんガッツもある。だが、ブルーズやブギーを基調とし、グルーヴのねられたハード・ロックの枠組みから、こう、溢れ出して堪らないものがない。スタイルの旧いや新しいをいっているのではない。そのスタイル自体を見直させるほどのスイッチが、クオリティ以外のどこにも備わっていないのである。と、これはそのまま前作のときの感想といっしょになった。

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2009年02月01日
 Ghost of the Salt Water Machines

 演奏技術や音響技術にとどまらぬ、おっかなくて、いかつい情念が、楽器のするどいうねり、ぎざぎざのノイズ、そして憤怒の叫びから聴こえてくるとき、おののきながら、揺さぶられ、自然にこう、突き動かされるものがある。血が騒ぐ、そればかりではない。首根っこを引っ掴まれて、おい、おまえ、と荒げられた声に、つよい意志をあてられたかのよう、しゃんとした気分にさせられる。米ニューヨーク州、シラキュース出身のヘヴィ・ロック・バンド、ARCHITECTのセカンド・アルバム『GHOST OF THE SALT WATER MACHINES』は、まさしく、そうしたインパクトを宿す。擬音化して言うなら、ごりごりであって、ぐらぐらであり、がしがしである。いや、07年の前作『ALL IN NOT LOST』も、かなりの迫力に満ちた内容であったが、これもまたその印象を違えない。どころか、もしかすれば、さらにしのぎ、力み、盛っていて、気圧される。しびれる。楽曲の構成は基本的に、はげしいリズム・チェンジをバネとし、夥しいまでに荒れ狂うエネルギーをないまぜ、驀進、繰り出すことを主眼にしており、テンションはすさまじく高いけれど、それらは必ずしもテンポの速さと結びつき、あらわれているものではない。冒頭の「CAMELOT IN SMITHEREENS」からしてあきらかなとおり、禍々しく重々しいグルーヴを引きずるなか、けわしい不協和を凝らすことに、大部分、費やされている。おそらくは『ALL IN NOT LOST』にも増して、スローなパートの比重はおおきくなった。反復するリフのパターン、ベースのラインには、ところどころ、ドゥームやスラッジにも近しい手ざわりがある。にもかかわらず、体感としては、まるで急かされているみたいだ、ひどく緊張を強いられる。ベクトルはあくまでも、粉砕と破壊のアートに傾き、攻撃のイメージをいっさい、ゆるめることがないのである。そして、フラストレーションをぐしゃぐしゃに、たえず絶唱するヴォーカルも、すばらしく、訴えるね。全編、がつんとくる。突き動かされて、脈打ち、たまらなくなる。

 『ALL IN NOT LOST』について→こちら

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2009年01月23日
 Travels

 ああもう、ちくしょお、いらっとする、そのようなときには轟々とうるさいものを聴いていたいよ、カタルシスするからだ。けれども、ジャストなのは、なかなかなあ。結局のところ、叫ぶからやかましいだけ、テクニカルだから騒がしいだけ、という気が、すくなくはないバンドにしてしまい、それだって近頃じゃあインパクトがつよいわけでもなく、いまいちこう、がっとこない、要するに、カタルシスしないのだった。が、ボストン出身の5人組、DEFEATERが昨年(08年)にリリースしたファースト・アルバム『TRAVELS』は、そんなことなかったな。燃えた。かなり燃えた。パッケージに貼られた英語の惹句によれば、MODERN LIFE WARやCOMBACK KID、VERSEのファンにどうぞ、であるらしいが、言わんとしていることはわかる。ざっくりとした印象を述べれば、芯のぶっといハードコアで、熱のたっぷり入れられたストロングなスタイルで押す、合間合間にスローでメロウなパートのアクセントを噛ませ、青臭いといってもいいような情緒を、うねりのうちに設けてゆく。スピードの激しい展開は、たしかに、ある程度の複雑さを備えた演奏によって、押さえられ、支えられてはいるのだろうけれど、何よりもそこから生まれてくる怒濤に圧倒される。心惹かれる。メリとハリの、どかどかと目まぐるしいなかに、ちゃんとドラマが聴こえてくる。ガッツにあふれている。テンポをダウンし、重量のあるグルーヴを響かせながら、アジテーションがすごむ6曲目、「PROPET IN PLAIN CLOTHES」の半ば、いきなりアコースティックで弾き語りふうになるのは、いい声で男らしい哀愁のあるメロディを歌っているのも含め、ちょいとびっくりした。やあ、かっこういいね。

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2009年01月05日
この『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』は、KAT-TUNが昨年(08年)に行った同名ツアーの、8月5日の東京ドーム公演を収めたDVDで、おお、自分がちょうど観に行った日の模様だぜ、ということになるわけだけれど、全体の印象は、そのときの感想と変わらず、ショー自体の完成度はたしかに高いとは言い難いのだが、荒削り、勢い頼みであるようなところが、グループのパブリック・イメージには相応しく、うん、まあ、これはこれであり、とも思えるのだった。いずれにせよ、演出、カメラ・ワークともに臨場感あふれるも内容であることは間違いないし、総体的に、柄の悪いというか、バッド・ボーイふうのパフォーマンスは、アイドルというよりも派手なロック・スターのそれみたいであり、その、魅力となるべき個所は余すことなく捉まえられている。しかしながら、こうしてじっくり鑑賞すると、やっぱり、赤西くんと田中くんの二名に、すこしもったいなさを感じてしまう。音声には、おそらく、補正が加えられていないのだろう、赤西くんのヴォーカルは、たしかにシンガーとして他のメンバーよりも秀でているのは認められるのだが、そのせいで余計に、不安定な面が、悪いほうに、目立つ。裏からハーモニーを合わせるのが、ばっちりと決まっているところは、最高潮にかっこうよく、しびれるばかりなので、ともすれば苦し紛れにも見える部分は、なおのこと、そういうふうに受け取れてしまうのだ。また、もう一つの難をいうなら、田中くんのラップであるが、ライムスター宇多田丸が『マブ論』で「ジブラばりのコワモテなダミ声でサグい自作リリックをキックするメンバー」と評したそれは、残念ながら、ここでは聴き取り不能の押韻を、ぶれたリズムのなか、ただがなっているだけで終わってしまっている。そのような二点は、十分に瑕疵となりうる。だが、ラフであるようなスタイルをラフに貫き通してしまうまでのパワーが、マイナスをプラスに持って行っている場面も、少なくはない。田中くんがソロ・パートで、自らが走らせるバイクのエンジン音を、バックで演奏するFIVEのドラムとぶんぶん競わせるあたり、こういう、ヤンキイッシュなアピールをやり、見事なさまになるアーティストは今や他にいないのではないか、というぐらい、堂々としていて、じっさい釘付けになる。それから終盤、「僕らの街で」を、赤西くんのアカペラで入っていって以降の展開は、アンコールまでをも含め、絶対的な、圧倒的な一体感のインパクトがある。とくに「喜びの歌」の、田中くんの「止まらねえ」という叫びのあと、ゼロ秒のタイミングで赤西くんがもうワン・フレーズをすかさず被せ、亀梨くんが歌うコーラスへと繋げていく、そこの一瞬に、すばらしく、興奮させられるものがある。何度も繰り返しリピートするたび、ああ、ここ、好きだな、大好きだよ、まいってしまい、息を呑む。
 
 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』(8月5日・東京ドーム)について→こちら

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