ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2025年07月19日
 2025年、3月31日、KAT-TUNのキャリアにピリオドが打たれた。

 解散である。

 KAT-TUNとは、革命の前夜に見続ける終わらない夢のようなグループであった。

 革命は永遠に起こらず、夜は永遠に明けない。それでも革命に対するロマンを片手に、夜明けまで醒めないロマンスをもう一方の手に、塞がってしまった両手によってヒロイックなまでの美しさと残酷さとを持て余さず、抱えながら生き続けることの是非において是だけを引き受けたアイドルの像だった。

 抜けてしまったメンバーがどう、残っていたメンバーがどう、とかいう話ではなく、KAT-TUNというグループに託されていたイメージがそう、そうだったのではないか、という話をしたい。

 先に述べた「革命の前夜」という印象は「RAY」という楽曲の歌詞、冒頭に置かれた一節からの引用にほかならない。

 一般的にどれだけ「RAY」が知られているのかはわからない。いや、ほとんど知られていないのかもしれない。シングル「KISS KISS KISS」(2015年)のカップリングに収録されたナンバーにすぎず、音源を購入した人間でないかぎり、耳にする機会をほぼ得られない。それでも10周年を記念したベスト・アルバムである『KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY BEST "10Ks!"』(2016年)の3枚組に組み込まれたファンの投票による「Hyphen Selection」に選ばれた一曲である。リリース当時の感覚でいえば、新しく出てきたナンバーになるのだけれど、それがかねてからのファンにとって、お馴染みのナンバーやアンセムに並ぶほどに届き、響いていたわけである。

 なぜファンに届き、響き、選ばれたのか。楽曲の出来はもちろん、裏付けの一つを推測するなら、前年(2015年)に行われた「KAT-TUN LIVE 2015 "quarter" in TOKYO DOME」における「RAY」のパフォーマンスが素晴らしく、そこにKAT-TUNという何かしらかの具体性が投影され、強く心に残ったからなのだと思われる。

 2013年から4人編成になって最初の、そして、4人編成になって最後の東京ドームで行われたコンサートにおける一幕だ。「RAY」というタイトルの通り、莫大な暗闇のなかを飛び交う光線にマッチした完璧なフォーメーションや何種類ものパイロ(特殊効果)を炸裂させるステージが、グループの真髄とでもすべきものを射抜いていた。あるいはKAT-TUNが司会を務めていた時期の2015年、6月放映の「ザ少年倶楽部プレミアム」で披露されたパフォーマンスがTVの前のファンに鮮烈な記憶を残したというのもあるだろう。しかし、そこに再現されたKAT-TUNらしさとは必ずしもKAT-TUNというグループにとって、ア・プリオリ、先天的に備わっていたものではない。

 希望が置かれている方向へとまっすぐに伸びながら折れない指先は果たして希望に届くのか。ちゃんと届かなかったとしたら、どこにどう辿り着いたのか。希望に達することは疑うべくもなく正しい。ただ、どうしてかその正しさだけが近くにきて、すぐ横をすり抜けていってしまう。ハッピー・エンドになれない。顔を前に上げても首を横に回しても頭を後ろに振り返ってみても希望は確かに見えている。なのに、希望に辿り着くという結末だけが折れないように伸ばした指先のさらに先にいつも存在してしまう。あと少しの間合いで触れられない。手のひらのなかに掴めない。収められない。

 これを悲劇と呼ぶのは容易い。これを絶望と断じ、未来を諦めることはあまりに短絡的だ。もしも希望が描かれたままの形でオートマティックに叶うことにのみフォーカスがあてられ、価値が与えられるのだとすれば、そのようになれなかったものは爪弾かれ、およそ意味を奪われる。簡単に否定される。たちまち忘れ去られてしまう。これを裏返すことでしか顕現されないロマンティシズムを、儚さや美しさを、いつしかアイドルのグループであるKAT-TUNを通し、目にしていたような気がする。KAT-TUNをKAT-TUNたらしめるものとして見ていたような気もする。数多ある他のアイドルには肩代わりできない固有の魅力として求めていたような気がしている。

 繰り返しになるけれど、2015年に発表された「RAY」に委ねられているイメージは、KAT-TUNが6人で結成された2001年(ほとんど四半世紀前だ)そして、その6人がデビューした2006年の段階では、グループにとって必ずしも目印となっていなかった。

 むしろ、デビュー以前の時期をも含め、若き日のKAT-TUNに委ねられていたイメージは、いま、ここから自分たちが足を踏み出した瞬間、世界は変わる、世界を変えられる、世界が新しくなっていくことの予感、次々にページがめくられ、すべてを奪っていくかのようなときめきを満載にしたスペクタクルであったはずだ。

 デビュー以前の楽曲が中心となったコンピレーションを兼ねたファースト・アルバムの『Best of KAT-TUN』(2006年)やデビュー・シングルである「Real Face」(2006年)におけるハード・ロック、ヘヴィ・メタル、ラップ・メタル、ミクスチャー・ロック等々を基調にした鼻息の荒いサウンドは、思春期特有の向こう水で反抗的な刹那とワイルドでワンダフルなバッド・ボーイのコンセプトとを接着するのにちょうど適していた。

 デビュー・シングルである「Real Face」の作詞を務めたのはスガ・シカオである。有名な話ではあるけれど、小説家の村上春樹は『意味がなければスイングがない』でスガ・シカオを高く評価しており、その一部を要約すると村上は〈いわゆるJポップの歌詞とか、連続テレビ・ドラマの台詞とか(略)は、一種の「制度言語」だと〉認識しているが、スガの歌詞における文体は〈「ま、こーゆーもんでしょ」みたいな制度的なもたれかかり性が稀薄〉だとし、この点を優位と見なしている。もちろん、こうした評価は村上春樹があくまでもスガ・シカオにあてたものであり、それ以上の意味を含まない。

 が、プロフェッショナルなソング・ライターの仕事として新人アイドルのデビュー曲をヒット・チャートの一位に相応しくすることを至上命令のごとくオーダーされ、実際にそれを達成した役割にこそ留意されたい。これは同じくスガが作詞を担当したSMAPの「夜空ノムコウ」(1998年)における功績とは少々意味が異なる。2006年、KAT-TUNの「Real Face」で、松本孝弘とスガ・シカオによって振るわれたのは、どちらかというと、飛鳥涼(チャゲ&飛鳥)が光GENJIのデビュー曲である「STAR LIGHT」(1987年)を手がけ、松本隆と山下達郎とがKinKi Kidsのデビュー曲である「硝子の少年」(1997年)を手がけ、双方、ちゃんと売ってみせたという手腕に近いものだろう。

 率直に述べれば、「Real Face」におけるスガの歌詞は、マスを対象にメジャーでデビューするアイドルへあてることを前提としているからか、村上春樹が『意味がなければスイングがない』が論じているような制度言語にいくらかもたれかかっている。もたれかかりながらも独自の嗅覚で半歩ほどのずれを生じさせている。そのずれが「STAR LIGHT」や「硝子の少年」が持っている普遍性と共鳴しつつ「STAR LIGHT」や「硝子の少年」とは異なった時代のシステム下におけるフラジャイルであるような若者の姿を描き出し、それが松本孝弘ならではのエネルギッシュなハード・ロックと相まって、ワイルドでワンダフルなバッド・ボーイのコンセプトに思春期と呼ぶべき向こう水で反抗的な刹那とを00年代の時点できつく結び付けていた。

 それは同時に KAT-TUNというグループが、とりあえずファースト・インプレッションだけを頼りに語られる上で課せられた枷でもあった。

 たとえば〈ギリギリでいつも生きていたいから〉という「Real Face」の出だしは、今日、KAT-TUNの攻めたスタンスや舐めた辛酸についてネタ消費のように扱われることもあるけれど、よくよく耳を澄ましてみると光GENJIの「STAR LIGHT」で歌われる〈夢はFREEDOM FREEDOM / シャボンのように〉やKinKi Kidsの「硝子の少年」で歌われる〈ぼくの心はひび割れたビー玉さ / のぞき込めば君が逆さまに映る〉に託されていた壊れやすさ、青臭さ、蒼い季節の残響として聞こえてくる。「硝子の少年」に置かれた〈舗道の空き缶蹴飛ばし / バスの窓の君に背を向ける〉というフレーズを「Real Face」の〈アスファルトを蹴り飛ばして / 退屈な夜にドロップキックしたつもり / すべって空振り〉というフレーズは明らかに拡張している。1990年代から2000年代へ時代が下ったことのその時代性に適したものとしてパラフレーズされている。もちろん、ここで デビュー以前のKAT-TUNがKinKi Kidsのバックを務めていたというキャリア(さらにいうとデビュー以前のKinKi Kidsが光GENJIのバックを務めていたというキャリア)を参照し、何かしらの伝統を受け継いでいることを鑑みても良い。

 しかし、看過してならないのは、あくまでも初期のKAT-TUNが体現していたものとは、わがままでフラジャイルな思春期の造形をまとったアイドルなり、いとも容易く壊れてしまいそうな心象を生きる若者の偶像化なりが、高く固い障壁に激しくぶつかっていき、爪痕を残すより先に砕けてしまうかもしれないのに、あえて逆らってみせることの強さ、正しさ、美しさではなかったか。

 少年や少女は強く正しく美しい。清いかどうかは知らない。知れない。知られてはいけない。ただ、少年や少女は強く正しく美しい式の算段を、ひとまずは間違っていないと皆が暫定したがる。がゆえに、古びて汚れ、凝り固まった大人の価値観にヒビを入れられる。これはほとんどの若いアイドルに、ごく当たり前のものとして備わっている素養である。しかし、年月やスキャンダルはそういうごく当たり前であったはずのものを削いでいってしまう。

 30歳や40歳を越えてもアイドルの肩書きでマネタイズをしようとする中年が少なくはなくなった昨今では、アイドルだって排泄もするしセックスもするよ、もしかしたら犯罪すらもしでかす、人間だもの、というロジックに何かしらの正当性を与えようとする。アイドルを背負うのがきついならアイドルなんかやめればいいのに、で済む話を幾重にもねじ曲げ、身一つで財をなした実業家のような顔をさせようとしたりする。1970年代に発せられた「普通の女の子に戻りたい」というキャンディーズの引退ですら、もはや現代の社会とは関係がない遠い神話のようだ。

 アイドルであるよりも人間的でありたい。アーティスティックでありたい。グループの一員でいるよりも個人的な方向性や欲望を優先させたい。プライオリティの揺らぎは、子供から大人になりかけたほとんどのアイドルに、ごく当たり前のものとして訪れる契機である。KAT-TUNもこうした摂理と決して無縁ではなかった。結果、徐々にメンバーを減らしていくこととなる。

 結成時のモチベーションを基本にした際、各々の個性は色とりどりに溢れながらも成功に向かい一丸だったグループが、次第に足並みを乱し、メンバーに欠落を生じさせるなか、それでもKAT-TUNが一貫させたのは、日々の営みや生活に喩えられるような持続性を描いたドラマではなく、このすぐにも消えてしまいかねない一瞬がどうか永遠でありますように、というアンビバレンスな願いを常に手放さない。諦め、膝を折る格好だけは絶対に引き受けまいとする。ストイックなほどにまっすぐな立ち姿であろう。

 再度述べると、KAT-TUNとは、革命の前夜に見続ける終わらない夢のようなグループであった。

 いや、KAT-TUNこそが革命だったと主張する人たちは少なからずいるかもしれない。たとえば、デビュー前(なのに)の東京ドーム公演(2006年「KAT-TUN SPECIAL TOKYO DOME CONCERT Debut "Real Face"」)あるいはデビュー後の8日間連続東京ドーム公演(通算10日間の東京ドーム公演、2009年「KAT-TUN LIVE Break the Records」)などは前人未到であり、なるほど確かに革命的だった。しかし、結果的にKAT-TUNは革命そのものにはならなかったグループだといえる。

 デビュー・シングルのクレジットにプロフェッショナルなミュージシャンと並んで自作のラップを書いたメンバーを加えることは「STAR LIGHT」や「硝子の少年」にはなかったことだし、その後も同じマネジメントのグループはやっていない。この意味でKAT-TUNは革命的ではあった。が、東京ドームでの様々な公演を合わせ、それらの実績は結果的に異例であり、例外であるようなアイドルが記録の更新を果たしたにすぎなかった。所属する会社や所属する社会、この世界の構造を一変させたわけではない。近年のサブ・カルチャー史では、ジョーカーと名乗れば(良くも悪くも)既存の価値観を打ち破るテロリズムの表象として受け取られる機会は増しているけれど、「Real Face」のソング・ライティングにクレジットされているJOKERは、少なくとも革命に至れなかった。

 考慮するのであれば、そのようなプロセスやキャリアの積み重ねが2006年にデビューしたKAT-TUNのバック・グラウンドとして培われていき、2015年の「RAY」にはグループにとっての通奏低音に近いものとなっている。

 日々の営みや生活に喩えられるような持続性が描かれたドラマにうまくハマれない。身を費やすべき場所はここではない。だからこそ、世界を変えよう、と願えど、世界は変わらず、それでも、世界は変えられる、と願ってやまない。

 抽象的であるあまり容易く論破されかねない敗北と隣り合わせの青春を、紆余曲折な活動を通じ、具体的なメッセージにまで昇華してみせていったのもまたKAT-TUNであった。

 世界を変えよう、と踏み出した一歩をいくら重ねても、世界は変えられない。そうした敗北をよそに、時代がくだるたび、世界はそのありようを勝手に変えていく。正しさや誤りの基準は新しさの評価でいつの間にか書き換えられる。聡いとされたい人たちは、そこに何らかの不具合(バグ)が発生していようとアップデートの名のもとに肯定する。かつては正しく今は誤りになろうと、もしくはかつては誤りで今は正しくなろうと、それでも変わらず信じられるものはあるべきなのではないか。核や芯として信じられるものは残るべきなのではないか。ロマンやロマンスのコアは決して揺らいではいけない。その集約を、2006年にデビューしたKAT-TUNが活動を続けるなか、シングルではない楽曲ながらファンからの支持を得たのが2015年の「RAY」なのだと思う。

 メンバーの離脱や休止期間、音楽性の変化を含め、KAT-TUNの活動歴にどういった区分を設けるのかは諸々の解釈となるに違いない。本文では一つの参照点に「RAY」を置いているが、「RAY」には『KAT-TUN III -QUEEN OF PIRATES-』(2008年)に収録された「HELL, NO」の残光が届いている気がする。「HELL, NO」には、戦争や内戦のイメージが背景となり、開戦の前夜、夜の色彩に儚いロマンティシズム、それこそ「あなたと私」や「君と僕」の一人称及び二人称で成り立つロマンやロマンスが入り混じっている。ここに革命の前夜を歌った「RAY」との共通項を見られるのだ。

 今も昔も「白雪姫」や「シンデレラ」等々のメルヘンにおける王子様の比喩でアイドルの意義や意味を語ろうとする向きは少なくない。

 他方、KAT-TUNが選び取ったのはウィリアム・シェイクスピアの戯曲である「ロミオとジュリエット」の物語に現れているようなヒーローの像であり「ロミオとジュリエット」を翻案した「ウェストサイド・ストーリー」に表されているようなヒーローの像であって、それはつまり「ウェストサイド・ストーリー」を元ネタにした「DREAM BOYS」で演じられているようなヒーローの像であった。「DREAM BOYS」の舞台と初期のKAT-TUNは決して切り離せない。こうした解釈の仕方については、おそらくレオナルド・ディカプリオの主演で「ロミオとジュリエット」を現代風にアレンジした映画『ロミオ+ジュリエット』(1997年)の路線を念頭に置くと理解しやすい。

 権力や欲望を正当化した大人たちの対立、戦争や紛争、内戦のイメージを背負い、敵対関係を乗り越えるためのラヴ・ストーリーを描きながら、若い恋人たちの口づけによるハッピー・エンドだけが訪れない。いわずもがな悲劇の構図だが、その悲劇をサヴァイヴすることの容易でなさをKAT-TUNは踏襲したのである。

 そもそも「ロミオとジュリエット」を単純化するなら、若い恋人たちの自殺や犠牲を通じ、戦争や紛争、内戦に終止符が打たれるという筋書きである。若い恋人たちの自殺や犠牲によって、和解がもたらされる。革命に近い椿事が果たされる。しかし、KAT-TUNのキャリアとは、上述の意味で「ロミオとジュリエット」を底本としているにもかかわらず、死を連想させない。愛している人を苦しめるこの世界をできるだけ退けたいというロマンを引き受けつつ、愛している人を死なせてしまったこの世界に復讐をしよう、もしもリヴェンジに挫折するなら自分も死のうというロマンスを引き受けない。戦争や紛争、内戦や革命のために命を落としてしまうのもやぶさかではないとする強制力とは別種のロマンティシズムが成し遂げられること、生きること、生き残ること、死なないこと、どれだけこの世界が理不尽であろうともサヴァイヴし続けることを、KAT-TUNは紆余曲折の足どりを経るなかに刻み込んでいたのではなかったか。

 今日のポップ・カルチャーで、よく目にするようになった言い回しの一つに「世界線」なるものがある。本来の意味はともかく、そしてスケールのでかいフィクションに対する適用を別にすれば、大抵は経験に沿ったミニマリズムにおいて複数のパラレル・ワールド(並行世界)が存在し、そのうちに含まれたルートの一つがこれ、という使われ方をする。ほとんどの場合、安売りされたメタ・レベルを自明とし、いくつもの分岐が過去にあったはずだとの推量によって生じた架空のログ(記録)が、たとえ現実には起こらなかったとしても、身の回りには幽霊のごとく偏在していることを前提に、この、いま、ここ、を「世界線」と名づけ、優劣をつけたり不満を述べたりするための方便や思いなしにすぎない。

 かつてのKAT-TUNが「NEVER AGAIN」(2006年)で歌っていたとおり〈運命は? No Fake〉であり「DON'T U EVER STOP」(2008年)で歌っていたように〈運命は / Don't Stop / 誰もみんな / かみしめている〉のであって、結局のところ、運命は一個でしかない。

 過去に遡った際、可能性は無限の分岐を提示していたとしても、未来に到達したとき、果てして自分は正しく選べたのか。選び間違えたのか。立ち向かっていたのか。逃げていたのか。問いはいくらでも並べることはできる。が、いずれにせよ、たった一つの回答に収束される。

 やり直しがきく(時間は巻き戻せる)というエキスキューズを少なくともKAT-TUNのキャリアは搭載していない。もちろん、あのときこうであったなら、というIFの仮定法でKAT-TUNのこれまでを回想することはできる。多くのファンが惜しむのは、やはり元々は6人であったオリジナル・メンバーの減少だろう。6人のまま活動を続けていたら、5人のまま活動を続けていたら、4人のまま活動を続けていたらetc エトセトラエトセトラ。わかる。わかるよ。しかし、それは本質的にプロダクションやグループの内部で処理されるべき問題であり、出された結論がメンバーの脱退であった以上、いってしまえば、人災のようなものであって、当人たちがいくつもある分岐のなかから選び取った運命にほかならない。

 たとえば、もしも、という可能性の広がりで考えるとしたなら、2011年に構想だけは大々的にぶち上げられながらも頓挫したコンビナート公演を挙げたいと思う。5大ドーム・ツアーを含め、5周年、5人編成になったKAT-TUNの新たな門出を飾るはずだった。幻のスケジュールである。野外での開催や実際の工業地帯を活用するというプランは明らかに規格外であって、具体的にいかなるものであったのか。目にすることこそ叶わなかったけれど、前代未聞のイベントを成し遂げようとしたことが既に革命的であり、実現し、成功しさえすれば、本当にKAT-TUNは革命や伝説になりえたかもしれない。いや、少なくとも現在とは異なった未来が拓けていたのではないかと思いを巡らせたりもする。

 だが、周知の通り、同年(2011年)3月に発生した東日本大震災の影響により延期されたのち、白紙化する。

 この国や社会の規模で訪れた困難は、その圏内で生きる人々の数多ある運命を違えてしまった。率直にいえば、KAT-TUNの岐路もその一部でしかない。自然災害で多くの命が亡くなり、原子力発電の危機に直面し、知的を装った人間ですら頭のおかしなことを言いはじめる。あまりにもたくさんのものを失った。あまりにも大きな傷を負った。不安の最中、理不尽なほどの勢いで悲劇を描きながら世界が変わった。自分の預かり知らぬところで世界は新しくされた。それでも死ななかったこと、生きること、生き残ったことには必ずや意味がある。そこに対応したのが「勇気の花」(2011年、シングル「WHITE」のカップリング)であり「RUN FOR YOU」(2011年)である。どれだけのダメージを受けたとしても「RUN FOR YOU」で歌われているように、日が昇らない朝はないし、夢を見ることを止めてはいけない。

 夜に似た深い闇の底からでも、希望はある、と断言しなければならない。たとえこの運命(今風の言葉でいう世界線)が自分の求めるものではなかろうと、この現実を生きるこの自分がこの運命の主体である限り、諦めや絶望を引き受けることだけは決してしない。たったそれっぽっちのことであろうと、たったそれっぽっちのことぐらいは選べる。選び間違えない。その頑なな姿勢をKAT-TUNは一貫して崩さなかった。

 KAT-TUNが、これ以上の痛みはいらない〈NO-NO-NO MORE PAIN〉と歌ったのは、6人編成から5人編成へと転換した2010年の「N.M.P. (NO MORE PAIN)」(アルバム『NO MORE PAIN』収録)である。とはいえ、それ以後もさらなる痛みを背負いながらグループとっては唯一無二の運命とひたすら格闘し続けていくこととなる。

 ここで、1940年代、第二次世界大戦の最中にウィンストン・チャーチルが行ったスピーチにおける「We Are The Masters Of Our Fate」という一節を引用しても良い。我々は誰もみな自分自身の運命を司っている。

 一人また一人とメンバーの脱退を繰り返したがために充電期間という活動休止の土壇場に際して発表されたベスト・アルバムである『KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY BEST "10Ks!"』(2016年)には、デビュー・シングルの「Real Face」で歌詞を任されていたスガ・シカオが、作詞ばかりか作曲を務め、書き下ろされた「君のユメ ぼくのユメ」というバラードが収められている。結果のみを見れば、3人編成のKAT-TUNにとって最初の楽曲であると同時にKAT-TUNという総体における総集編のようでいて、もしも再開の機会がなかったなら、フィナーレになりかねなかったナンバーだ。そのなかに次のようなフレーズがある。〈もしも神様がいて / 過去を変えられるとして / "なにも変えませんよ"って言える日々にしたいんだ / このナミダ・ナゲキ→のみ込んで / デカイ×セカイへ〉

 そう、「Real Face」でありあまる前途に目先の全部を預けていた無謀な若者によって宣言された〈デカイ×セカイの先へ〉と進もうとするその足どり〈未来へのステップ〉が、「君のユメ ぼくのユメ」では様々な苦難を踏み越えてきた道程として再現され、一筋にしかなれなかった運命の正しさとは、つまり過去と現在と未来の総和を、他の誰のものでもない、ただ自分のものとして背負い、生き抜くことと暫定してみせるような視座が生じているであった。

 立ち向かい、敗北し、呪われた、の形式で編まれる物語は、この瞬間をサヴァイヴし、生き生きと生きてみせること、生きてみせたことの延長線上に改めて勝利の条件を定め、ようやく現れた未来に眼差しを向け、信じなければ、反転できない。朝日を望まなければ、過去にも呪いにもずっと束縛されるよりほかない。

 革命は起こらず、夜もいまだ明けない。過去や呪いにずっと足元をすくわれている。その哀しみが、他の誰のものでもない。この自分にこそ所与されているのだとしたら、切ないし、儚い。裏返していうなら、とどのつまり、この自分だけがその哀しみにノー、NOという否定を突きつけられる。手が届かないままの希望を諦めきれない。切ない。切ないがゆえに切なさのなかで絶対に消えることのない強さ。儚い。儚いがゆえに儚さのなかで永遠に霞むことのない美しさ。切ない願いや儚い祈りにも似た線の細さを全身にまといながら絶えずスタイリッシュな格好の良さで踊り続けたのが、KAT-TUNであった。

 確かにKAT-TUNはダンスのパフォーマンスを売りにしたグループではなかった。それでも他の誰もが真似のできないステップで、様々な不運をパートナーとしながら、すごく素敵なダンスを、キャリアや歌声に変え、踊ってみせた。最後の最後まで魅せてくれていた。この事実は揺るがない。

 その輪が大きかろうが小さかろうが(半径が何百マイルに及ぶ社会的な規模であろうと半径が数メートル程度の身辺的な規模であろうと)当人のがんばりが通じない歯車の回転に巻き込まれ、従うほかないことを運命と呼ぶとしよう。目を開けば苛烈な現実が広がり、目をつむれば残酷な悪夢が訪れるような逆境を悲劇と呼ぶとしよう。さしあたり、そう呼ぶこととしよう。

 そして、その運命の真っ只中で闇雲に生きる自分たちに降りかかってくる悲劇はこの自分にしか変えられないと膝を折らず未来に挑み続けたアイドルの像が、KAT-TUNなのである。

 ここでオリジナル・メンバーの6人が作詞し、デビュー・シングルの「Real Face」に収録され『KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY BEST "10Ks!"』の「Hyphen Selection」にも選ばれた「Will Be All Right」(2006年)における〈簡単にはいかないよ / わかるだろ?/ 誰よりも / 積み重ねた日々が / 最後には輝いて / 俺達をつないでく / この先へ進もう〉という箇所や〈It's All Right / ありのまま / 限りない夢を乗せて / 羽ばたくよ今ここで / 頑張ってる君の目が / 世界中に輝いて / 未来さえ変えてゆく / 今ここで〉という歌詞の一部に目を配っておきたい。

 さらにそこに6人編成のKAT-TUNにとっては最後のシングルになった「Love yourself 〜君が嫌いな君が好き〜」(2010年)の〈まわりはどうでもいい / 大切なのは君の“ここ”だけ / 決まりの“頑張れ”なんて今はいらない / それが一番 / 傷つくから〉というフレーズや〈Love yourself / そう響き合う / 二人奏でる / 小さなNoise(中略) くじけそうな毎日も / 消えてしまいそうな夜も / 空を超え聴こえてくる / 遠く遠くほらこの胸に〉というコーラスを対比されたい。

 およそ4年のあいだにサウンドのスタイルは趣を変えていて(特に後者はテレビ・ドラマのタイアップであり)響きや触感に明かな隔たりがあるものの、本質は別のものとなっていない。

 少なくとも「Will Be All Right」と「Love yourself」においては、頼む、がんばってくれ、もっとがんばれ、がんばらないといけない、という何かしらの責務を強いるような応援歌やアンガージュマンは、共通して、わきに退かれている。

 あなたのがんばりを知っている。

 踏ん張り続ける苦しさをわかっている。

 だからこそ、この、いま、ここ、で目の前を遮っている困難に対し、ささやかであろうと力強くであろうと抵抗してみせる意思が未来に確かな差異を育む。可能性を覗かせる。今日以降の世界、明日以降の世界に分岐を作る。期待を持てなかったはずの未来に決して収まりきることがない展望を広げるのだ。

 2020年、新型コロナ・ウィルス(COVID-19)の流行に際して当時のマネジメントによるエンタテイメントにおける社会的な貢献の意味合いで行われた無観客の有料配信(チャリティを兼ねたある種のフェスティヴァルといえる)「Johnny's World Happy LIVE with YOU Day2」で、自分たちのファンではない人間が目にする可能性もあるなか、オープニングに「Will Be All Right」と「勇気の花」とがリレーで組み込まれているあたりに、正しくKAT-TUNならではの、この世界に対する憂慮や屈託と、その憂慮や屈託を逆さまにしたいという力学からしか芽吹けない明るい光に向けた眼差しとが両立している。

 上記の「Johnny's World Happy LIVE with YOU Day2」で、セット・リストのラストに披露されたのは「Dead or Alive」(2015年)である。シングルになっている楽曲だけれど、なぜここで選ばれたのか、と思わされる一方〈時が終わるまで / I'LL NEVER LET YOU GO ALONE / 挑んだGAMEはリセットできない / 背負う闇を連れて / I WILL FLY TO HOLD YOU / 舞い落ちる光 / この手で掬って / 明日照らしていく / MY LIFE'S A SECRET〉であって〈THIS WORLD OF ENDLESS NIGHTS〉なのだと歌われる。

 運命という歯車の回転に巻き込まれ、繰り返される敗北の悔しさを手放さないことが、同時に、いま、ここ、この日から次の日々へと至っていくストーリーのとば口になるという視点をKAT-TUNは外さない。

 どんな不幸が眼前に広がっていようと希望にピントを合わせること。真夜中のあまりにも長い時間に身を捧げてもなお必ずや朝は訪れると願うこと。先が見えないトンネルの暗がりをずっと走り続けていながらいつしか新しい光景に辿り着けると信じること。その途中で哀しみが常に道連れになったとしても行く先を見失わず、虚しさを通じた無感情への墜落ではなく、足掻き、這い上がることによって(たとえ刹那であろうと)成り立ったロマンやロマンスの情動性に正しさや美しさ、強さを見出そうとするその活躍が、KAT-TUNというグループの在り方に一本筋をつけているのである。

 2001年の結成を始点にするなら25周年を待たず、2006年のデビューから数えるとしたら20周年に満たないまま、2025年に解散を遂げたKAT-TUNのヒストリーにとって、2016年の4人編成から3人編成へと移り変わるデビュー10周年と充電期間とを経、2018年に活動を再開して以降(もしくは充電期間を含めた2016年以降)のキャリアは、グループの全体の後期に分類される。

 2018年から(つまりは3人編成になってから)のディスコグラフィをKAT-TUNの後期としたとき、「Ask Yourself」(2018年)や「Unstoppable」(アルバム『CAST』収録、2018年)「A MUSEUM」「DANGER」(ともにアルバム『IGNITE』収録、2019年)「Roar」(2021年)等々は、かつて若者だったアイドルがベテランと評される領域に入った時期にリリースされた代表曲に値すべきものであろう。曲調に各々のヴァリエーションがあるにもかかわらず、あらかじめ参照点として挙げてきた「RAY」(2015年)はもとより、4人編成になってはじめて発表されたシングル「In Fact」(2014年)との通奏低音を探し当てることができる。

 たとえば「Roar」で歌われる〈願ったって / 願ったって / 変わりゆく運命ならば / 守るべきものは何か? / 生まれて / 散るまで / すべてを灼きつける眼が / 明日を見据えていた〉というフレーズは「In Fact」における〈そして / 君には / 君しか描けぬ場所へ / 僕は / ただ / そこでこの手伸ばす / ずっと / 堪えた両の目の奥底で / 未来が目を醒ます / 時間を越えて〉の言い換え、オルタナティヴなヴァージョンにも思われるのだった。

 あるいは「Unstoppable」の〈瓦礫の中ふたり / いつしか辿り着いた奈落 / 鎖に繋がれた / 遠い日の記憶 / いっそ全て捨てればいい / 錆び付いた過去など抱き合えれば / 幻影に変わる〉という箇所に 「RAY」の〈あの太陽燃え尽きて / 世界の時計止まったら / 永久凍土の中 / 奈落までへとフリーフォールで / カタストロフを描いて / 肢体重ね / 儚く / LOVE'S PRAY LIFE'S PRAY 囁いてる〉という一節を重ね合わせたところで不躾じゃない。

 以上のような関連性、リンク、もしくはシンクロニシティを、プロダクションのチームや楽曲の製作陣、メンバーのいずれもが気づかなかった(まったく意図していなかった)とは考えにくい。

 率直にいって、こうしたハッピネスであるよりはサッドネスな色彩のイメージがぴったり似合う。ばっちり決まっている。かっちりとしたスーツを着こなしてみせるみたいに、たとえいくらかの窮屈があろうとそのスタイルを身にまとい、光源に向けた眼差しや指先をまっすぐ、研ぎ澄ませていった姿形のアイドルがKAT-TUNであった。

 哀しみが決して陰鬱ではない。惨めさを意味しない。元気いっぱいな直線では把握されないロマンやロマンスを経由し、失敗の曲線を描くパセティックな筆先でしか達せられない希望の明るさを表面に向けようとし続けたアイドルのグループがKAT-TUNにほかならなかったのである。

 哀しみは必ずしも暗いものではない。

 たったそれっぽっちのことを、KAT-TUNは、結果論にすぎなかろうと(おそらくは本人たちの願ったままに物事が進んでいかなかったのだとしても)音楽性やキャリアの全部をかけることで、テーマやメッセージのごとく、軌道の上に乗せ、走り続けた。

 結果的に、ああ、こうなってしまった今日から見るとあくまでも結果的な話でしかないのだけれど『Fantasia』(2023年)をKAT-TUNにとっての最後のアルバム、最後の音源に位置づけられる。『Fantasia』 には、初回限定盤などを含め、いくつかの形態、収録曲の異なった仕様が存在している。が、すべてのヴァリエーションに共通している点を強調し、述べるのであれば、エンディングの位置を占めているのは「Kissing your hurts」というナンバーである。ある場合にはKAT-TUNのラスト・アルバムにおけるラスト・トラックであり、KAT-TUNのキャリアにとってのラスト・ソングと仮定することができるかもしれない。

 もちろん『Fantasia』 がリリースされ、それに伴う「KAT-TUN LIVE TOUR 2023 Fantasia」 が行われた段階では、グループの終焉は一切考えられていなかったはずだ。にもかかわらず、「Kissing your hurts」には、KAT-TUNをKAT-TUNたらしめる実にKAT-TUNらしいKAT-TUNならではの魅力的な要素が溢れている。

 裏を返すなら、2006年のデビューからKAT-TUNというストーリーのどの文脈、どの文節やどの段落にどんな句読点をどんなタイミングで打たれようとも、革命の前夜に見続ける終わらない夢のようなロマンとロマンスだけは絶対に取りこぼさなかったことの証左だといえよう。

 注意されたいのは「Kissing your hurts」(2023年)が、先述した「君のユメ ぼくのユメ」のようなモニュメントやフィナーレに似つかわしいバラードでは全然ない。それでいて、切なさや美しさ、しなやかなビートの逞しさとセンティメンタルなメロディとを掛け合わせた楽曲に気持ちを動かされるインプレッションが与えられており、参照点として散々見てきた「RAY」(2015年)との類似性を感じさせる。

 歌詞の水準で読んでも「RAY」の〈RAY その視線を感じて / RAY 本当の名を呼ぶよ / AWAKE オリオンの風 / 願いを翳して / RAY まだ答えは閉ざされ / RAY たとえそのすべてパンドラだろうと解き明かしてあげる〉という宣誓と、以下に引用する「Kissing your hurts」のリリックとは容易く同期されるだろう。

〈輝いて / Kissing your hurts / 辛くて零れた blood and blue tears / 世迷いなパンドラの棺 / 閉じても終えれない / 駆け巡る Hate 道すがら erase"I mean it" 過ちを奏でて / いつか貴女を甦らせる / I wanna kiss you〉

 こうした接続には、明らかに恋人同士の口づけでハッピー・エンドが訪れないことを悲劇と判ずるような「ロミオとジュリエット」の哲学が潜んでいる。その意味で「RAY」が「KISS KISS KISS」というタイトルのシングルにカップリングされていたのは、ある種のアイロニーでもある。とはいえ、それが実際にアイロニカルだったのか、という疑問符もまた付け加えておきたい。

 2015年の3月にリリースされた「KISS KISS KISS」が、どのタイミングで準備されていたのかは不明だが、2014年の12月に放映された「ザ少年倶楽部プレミアム」で司会を務めていたKAT-TUNがKinKi Kidsのバックだった頃の印象深い楽曲として「雨のMelody」を取り上げ、両者のコラボレーションが果たされていることに着目されたい。おそらく「KISS KISS KISS」は「雨のMelody」からインスピレーションを得ている。この仮説を前提とするなら、KAT-TUNにとっては原点への回帰をうかがわせるし(オールド・スタイルな規格でいう)そのB面に配置された「RAY」が上記したようにファンからの支持を集めていたことも見逃せない。

 アイドルのサイドとファンのサイドの指向性を総和としたとき、メルヘンの王子様じゃねえんだ、というレジスタンスが、パンドラの挿話を経由しながら、この現実で戦い、残酷なリアリティを前に敗北を喫しても簡単に死なず、泥にまみれようと生きることによってのみ果たされる可能性の眩しさが、KAT-TUNの成功と挫折の繰り返しには立ち現れているのであった。

 とどのつまり、それがKAT-TUNの全部から目を離せなかった理由なんだよな、と思う。

 我々はKAT-TUNが好きである。大好きである。だから、ファンなのである。大ファンなのである。それで良い、

 しかし、KAT-TUNは解散に至った。

 残念だし、哀しい。率直にいえば、それだけで良い。

 なぜ解散したのか。本当のことは知らない。知れない。知ることができない。関係者や当事者の証言をワイドショーや週刊誌、WikipediaやSNSなどで取りまとめてみたところで、所詮、真実には辿り着けやしない。芸能界の裏の話に興味はない。

 ただ、我々はKAT-TUNの大ファンであった。もしも真実に価値が宿るなら、それは疑うべくもない。

 そもそもの初期からKAT-TUNは〈運命は? No Fake〉と既に引用した「NEVER AGAIN」(2006年)で〈I never understand 若過ぎたのさ / 優しさだけじゃ愛せないから / Easy come easy go 本当のことは / そう簡単に話せないよ〉と歌っていた。そもそもの初期からKAT-TUNはファンとの結びつきを基礎としながらアンセムのごとく培われてきた「ハルカナ約束」(2006年)で〈あふれる愛が空に羽ばたいて / 回る / 終わりのない日々が / 信じるキミがついたウソなら / そっとココロにしまうよ〉と歌っていた。

 時代がどうであろうと、この、いま、ここ、で刻んだ差異が、未来へ明るさを預けられる根拠になる、という断言や可能性の幅の広がりを、KAT-TUNはデビューの前から「ハルカナ約束」で〈流れる汗が風に揺れている / 走る / キミが待つ場所へ / あの日 / 俺たちが信じた夢 / 刻む / ハルカナ約束 / 回る / ハルカナ約束〉と歌っている。歌い続けていた。

 その約束が、解散をもって完全に破棄された。無効になった。と、たぶん、解散のそのときまでずっとKAT-TUNを追ってきたファンの多くは考えていない。

 2025年、3月31日、KAT-TUNのキャリアにピリオドが打たれた。

 グループとしての最後の露出は、同日に行われたファン・クラブ向けのインターネットでの生配信である「Thanks to Hyphen 2025」だ。ファン・クラブ向けの生配信がパブリックなものとしてカウントされるのかどうかは不明だけれど、以降、おおやけとしてはKAT-TUNの姿を見た人間はいない、ということになる。およそ1時間の「Thanks to Hyphen 2025」で歌われたのは、たったの3曲で、オープニングが「Real Face #2」であり、悲喜こもごものトークやスピーチをあいだに挟んだのち、グループ全体の最後のシングルとなった「We Just Go Hard feat. AK-69」(2021年)を置き、クローザーが「ハルカナ約束」の冒頭を飾る〈ナ・ナ・ナ・サ・ク・カ・ナ・ハ・ル・カ・ナ・ヤ・ク・ソ・ク / マ・ワ・ル・ナ・モ・ナ・イ・ヤ・ク・ソ・ク〉というワン・フレーズであった。

 3人編成になって第一弾のシングルである「Ask Yourself」(2018年)のシングルにカップリングされ、デビュー曲の「Real Face」をJOKER抜きのラップ入りヴァージョンで再構築した(単なるラップ抜きのヴァージョンは4人編成になってからも存在していたが、ラップのパートを刷新し、上書きした)「Real Face #2」では〈そうさ勝ち負けさえも通過点 / 全てヒストリー / 繋ぐ点と線 / I'm a special Ha Ha / 軽く突破 / とっくの前から超えてるボーダー〉というセルフ・ボースティングがあらためてなされている。セルフ・ボースティングでありながら、一般的なリッチ・アンド・フェイマス式の算段によったわけではない。KAT-TUN流の主義主張は「We Just Go Hard」で〈言い訳や正当化ばかりの俺じゃ / 到底は / I can't even be a challenger / 「ここまでなのか」と負け犬のパートナーの / 遠吠えにうなされ…〉というメロウなヴァースで反転し、躓きも抗いも表裏一体の美学へと同調されている。そこに継がれているのが「ハルカナ約束」のワン・フレーズである。

 これまで論じてきたように、KAT-TUNというアイドルのキャリアは絶えず未来へと注がれた視線を代替している。いつかの過去に交わされた約束が、いつかの未来で守られて欲しい。この目が、世界や社会の炎上によって焚かれたスモークのスクリーンに覆われ、曇らされても、それが晴れる場所へと進み続ける勇気を自分の心から切り離さないでいたい。どれほどの困難に踏みつけられても消えない。抽象度の高い祈りや願いは、子供心に蓄えてきた純粋さに似ている。大人になるにつれ、誰もが消耗し、当たり前みたいに裏切っていく小さな約束を、だからといって偽とは見なさない。「ハルカナ約束」を作詞したSPINが、どこまでの射程を意図したのかはわからない。けれど、希望を目印に、絶望に乗り上げず、回転を止めない名もなき約束の歯車が、幾重にも揺れ動き、どこかで脱線しかねなかったKAT-TUNというキャリアの序盤から終盤までに整合性を満たしてきたのは確かだ。

 現時点では最後の局面にあたる「Thanks to Hyphen 2025」のなかで、生配信とは別個にファンと直接会える機会を作る、とKAT-TUNは述べていた。こうした言いが履行されようと履行されまいと、それは過去や現在、未来とを繋ぐ「約束」に少なくともなる。

 シミュレーションですべてが測られ、そのとおりにうまくやれなくても、やけくそになってはいけない。希望が約束されていない未来に対して約束を希望として紡ぐというアンチ・トートロジーのずれにおいて、約束とは、自分と自分以外の誰かとを繋ぐ点と線であり、楔であり、絆でありうる。諦めきれない「未来」を意味している。

 こういうリアリティとファンタジーの軋轢を、KAT-TUNは、一つのアイドルやアイコンとして具体的あるいは実存的に生き抜いてみせた。

 当人たちがそれを望んでいたか望んでいなかったかは知らない。が、しかし、そのような運命を延々と歩んできた。走り続けてきた。他人からどう扱われても自分たちだけは自分たちの歩んできた道のりを決して否定しない。歩み、走り続けることで偶像でありながらも虚像ではないKAT-TUNならではのフォームに宿る素晴らしさを発信してきたのである。

 最後に、個人的にフェイヴァリットで、KAT-TUNをよく象徴していると思われる楽曲の一節を記しておく。先にも挙げたアルバム『NO MORE PAIN』(2010年)に収録された「FARAWAY」に表されているものだ。少年期に終わりを告げ、青年期に入ったアイドルが同時にメンバーの脱退などのトラブルを経験としながら、それでもまだ遥か遠くに夢を抱き、これを歌う。名誉と傷跡とが綱引きを繰り返す過去をどれだけ引き受けようとKAT-TUNは「約束」と「未来」とに差す光=RAYを常に見失うことがなかったと信じてやまない。

〈離れても / 夜明けは / 光を連れて来るから / 涙をとかして / 想い伝わるまで / 生き急ぐことさえ / 君のためだと思ってた / もし世界の裏 / 離れても / 途絶えない絆 / 感じて〉
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