ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2026年01月13日
DREAMS OF BEING DUST (輸入盤) [Analog] - THE WORLD IS A BEAUTIFUL PLACE & I AM NO LONGER AFRAID TO DIE
DREAMS OF BEING DUST (輸入盤) [Analog] - THE WORLD IS A BEAUTIFUL PLACE & I AM NO LONGER AFRAID TO DIE

 年間ベストなどというものは単純に面倒がくさいので、頼まれないかぎりやることはないが、しかし、昨年、よく聴いたものの中から一つ挙げるとすれば、それは米コネチカット州出身のThe World Is A Beautiful Place & I Am No Longer Afraid To Dieによる通算5枚目のフル・アルバム『Dreams of Being Dust』である。そもそもは2010年代にEMO(イーモ)リヴァイヴァルの一種として登場してきたバンドだったから、冒頭に置かれた「Dimmed Sun」のあまりにもあまりにもなNu Metal(ニュー・メタル)式のアプローチに、ぎょっとしてしまう。2曲目の「Se Sufre Pero Se Goza」以降も、その作風は全編を貫くトーンをなしている。しかし、2017年のサード・アルバム『Always Foreign』や続く2021年の『Illusory Walls』を経、徐々に強まっていった硬質なギターの音色からすると、これは唐突に感じられながらも意外と自然な変化だったのか。と思わされる一方、2013年にTigers JawやSelf Defense Family、The World Is A Beautiful Place & I Am No Longer Afraid To Dieとともに4ウェイ・スプリット・シングルを発表したCode Orange(Code Orange Kids)が2020年の『Underneath』で、インダストリアル・メタルやニュー・メタルの素養を過渡にしていったのと同様、この現代にバンド・サウンドの仕様で適応しようとした特定の世代ならではの進化であるのかもしれなかった。とはいえ、4ピースや5ピースの構成にとどまらない多数のメンバーによって編み出され、入り組んでいくアンサンブル、そして、男女混声の滑らかなメロディを通じ、暗がりから明るみへと昂揚を増していくヴォーカルは、正しくThe World Is A Beautiful Place & I Am No Longer Afraid To DieをThe World Is A Beautiful Place & I Am No Longer Afraid To Dieをたらしめている個性にほかならず、比較の対象を探してみるなら、ありそうでありえない。他に変え難い一作となっている。
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2005年12月30日
 1位にメアリーJブライジさん、2位にジェイミー・フォックスさん、3位にノートリアスB.I.G.さんがインで、エミネムさんが4位にダウン。ロック系はあんまし振ってない感じ。KORNが17位→28位。ま、そんなとこ。今年の更新はこれが最後になるかな。年末年始はスクライドのDVDを観ながら過ごす予定。今の僕には燃えが足りないんだ。ところでSUM41のライヴ盤が思いのほか良かったです。
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2005年12月28日
 Alive Without Control

 僕的に、05年、バッド・ボーイズ系ロックン・ロールの本命は、アメリカのBUCKCHERRYでも、スウェーデンのHARDCORE SUPERSTARでもなく、カナダのTHE BLACK HALOS(ブラック・ヘイローズ)であったかもしれない。いや、彼らのサード・アルバムにあたる『ALIVE WITHOUT CONTROL』は当りだっただろ。日本盤も出たセカンド『THE VIOLENT YEARS』から4年もの月日が経ってしまい、レーベルはSUB POPからBACKYARD BABIESやHELLACOPTERSのアメリカ配給を手がけるLIQUR AND POKERに移っている、その間に、バンドの中心人物でもあったギターが脱退し、それとベースもメンバー・チェンジした模様であるが、しかし、パンクとグラムをシャッフルしたかのようなサウンドの基本線に変更はなく、びしばしとエネルギーの鋭角に入ったロックン・ロールを走らせている。まあ、クリシェといえばクリシェなんだけれども、それを徹底することで、けっこうな麗しさを獲得しているのであった。プロデュースは、前作同様にジャック・エンディーノが担当しており、ドラムの乾いた響きに象徴的な、感覚先行型のラフな音録りが、演奏の粗い部分を、旨味として、うまく引き立て、しゃがれ気味な声質でうたうヴォーカルも、相変わらず雰囲気があって、よろしい。まさにレッツゴー!ではじまる1曲目「THREE SHEETS TO THE WIND」からして、アクセルをベタ踏みの勢いである。全体の印象でいえば、すこしばかり、ダークなトーンが増した気がしないでもない。それこそ、憂いと影を帯びたパラー・バラード調の5曲目「MIRRORMAN」などは、これまでになかった新機軸だろう。しかし、それが結果として、濃くと深み、タフさとハードさの度合いを強めているみたいだ。メロトロンの憂鬱な音色をキックし、やがて「おーおーお・お」というコーラスのはじける8曲目「TIGHT」や、続く9曲目「BROKEN」の、攻撃的なギターのリフは、焦燥と切迫のなかにあって、退屈なテンポを脇に払いのける。

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら(音出ます)
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2005年12月23日
 とくに言うことはないなあ、といった感じ。エミネムのベストが1位キープ。KORNが3位から17位にダウン。いいアルバムだと思うんだけどね。誤解されてるのかもしれない。ま、そんなとこか。
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 ラヴ(LOVE)

 前半部分がつまらないというのは致命的であるけれども、7曲目ぐらいからよくなってくる。9曲目以降は、まずまずの聴き応えだろう。とはいえアルバム単位でみると、ぎりぎりで及第点といったところで、ちょっと困った。ヌーノ・ベッテンコートという人にかける、僕の期待値はけっこう高いのである。それはべつにEXTREME(エクストリーム)のハードコアなファンだったというのではなくて、とりたててヌーノ・イズ・マイ・ギター・ヒーローと崇め立てているのでもない。むしろソロ・キャリアをスタートさせてからの執心で、メロウなポップ・ソング・メイカーとしての秀逸さには、ほんとうに惚れ惚れする、一目置いてきたのであった。97年のNUNO名義での作品『SCHIZOPHONIC(スキゾフォニック)』に収められた「CRAVE」や「PURSUIT OF HAPPINESS」、「CONFROTATION」、98年にバンド体制となったセカンド『MORNING WIDOWS』なら、「HOTEL ASYLUM」とか「TOO LATE」なんかが、僕にとってはジャストの線で、ひどくそのサウンドに浸る、そういった意味でいうと、このDRAMAGODS(ドラマゴッズ)としてのニュー・スタートである通算5作目『LOVE』は、やや面白味に欠ける、総体的にフックが弱いというか、ゴツゴツとした感触の、適度にヘヴィでグルーヴィーな、反復するリズムを生かした楽曲のつくりと演奏さ加減は、たしかに「らしく」あり、ライヴ映えしそうではある、身体への訴えかけを狙ったものだろうけれども、メロディの語彙が著しいほどに乏しく、ぐらんと心が揺れるようなカタルシスが見当たらない。展開を追いかけていった先に、コーラスの部分でついに感情移入できない点が、痛し痒しなのだ。制作時に出来うるかぎり他者を介在させなかった前作『POPULATION 1』から、複数人でのプレイにこだわる本作への移行は、『SCHIZOPHONIC』と『MORNING WIDOWS』の間にあったシフト・チェンジを思い起こさせるが、『MORNING WIDOWS』ぐらいにキャッチーさをヴォーカルに託しているわけでもなく、しかもリフやリズムの面においても、バンド仕様という部分が逆に災いしたのか、ヒネリが足りなく、引っ掛かりにくい、ドラムとベースがちょっと、補助線としてはオーケーでも、それ自体のインパクトが、単調さのなかに、存在感を薄めている。そのせいで、多くのナンバーが、すこし冗長に感じられた。ただ曲単位でみると、「HEY!」といったアジテーションがメロウなトーンのなかで跳ねる9曲目「FEARLESS READER」、浮遊感を煽るキーボードを基調にきわめてシンプルな装いのバラードである10曲目「SOMETIMES」、あくまでも楽器隊が歌の裏側に回った11曲目「SO'K」あたりは、すっごくいい感じにフィットする。そこまで待って、こういうのが聴きたかったのだと、やっと思える。要するに並びがいかんのかもしれないね。
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2005年12月20日
 そういえばお知らせし忘れていたので、告知をしますが、今週末つまり24日の土曜日にDJやりますです。いつもやっているロックンロール・オーヴァーナイト・センセーションな「Bring the Noise!!!」というイベントです。場所は三軒茶屋です。今回も音楽評論家の石川真一さんなど数人のゲストDJを迎えるほか、スペシャルとしてmiamiの方々にも参加していただけるそうです。くわしくは↓のURLをチェックしてください。24日といえば、俗物どもが賑わうアレなわけですが、いやいや僕などもかなりの俗物なのであって、逆に素敵な出会いを求めていく感じである以上、その漢ぶりを誇示すべく、ブラインド・ガーディアンとマノウォーをかける意気込みです(えー)。

 http://d.hatena.ne.jp/bringthenoise/20051224
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2005年12月18日
 Love Many, Trust Few

 髪をあげて、アコースティック・ギターを手にうたわれるのは、まるで漢(おとこ)の背中が魅せる、豊かな表情なのであった。90年代にはワイルド・アンド・ワンダフルで鳴らしたイギリスのバンド、ジ・オールマイティ(THE ALMIGHTY)の中心人物リッキー・ウォーウィック(リッキー・ウォリック、RICKY WARWICK)による、ソロ・アルバム第2弾である。何よりもまず『LOVE MANY TRUST FEW』というタイトルが、愛するものはたくさんあるが、頼れるべきはすこしだけといったところだろうか、渋く、決まっている。そうした実直な言い切りを反映したかのような、素朴であることが、演奏の、骨の部分を為し、肉づきは、たゆたうメロディをつかみ取る、強い握力によって、引き締めらた、うるささのない、シンプルでホットな内容となっている。02年の前作『TATTO & ALIBIS(タトゥーズ・アンド・アリバイズ)』同様、ジョー・エリオット(デフ・レパード)とローナン・マクヒューが、全面的なバック・アップにあたっているようだ。当然、サウンドのほうも前作の路線を引き継いだ、アメリカのアーシーなシンガー・ソングライター系を踏み台に、ハード・ロック的にクリアな音像を使うが、極力派手になることを避けつつ、ヴォーカルとアコースティカルな響きがガイドとなって全体を引っ張る、かくしてドライであることをウェットに表現したものである。個人的に『TATTO & ALIBIS』の、アット・ホームすぎる空気は、ヘヴィでアグレッシヴだったオールマイティ時代の反動でしかなく、そのリラックスしきったムードにリタイアの印象を覚えたものだが、もちろんそれは僕の狭量な受け取り方のせいであるのかもだけれども、これはといえば、おお、熱かった、ぐっときた、心を動かされたのであった。数曲でソロを弾いているヴィヴィアン・キャンベル(デフ・レパード)のギターを含め、総体的にエレクトリックの比重が増えたというのもあるのだろうが、それよりも歌が格段にうまくなっている、声の震わし方に説得力が備わり、ヘタったところがなく、強弱の「強」の部分が「弱」の部分を際立たせるエモーションとなって、じつに聴かせる。男前の度数があがっている。続いていく人生の最中に、壮年期の堂々たる佇まいだろう。こういうところを見せられると、歳を重ねるごとに得るものはあるな、と思う。ストーリー・テリングの調子でゆったりとフレーズを連ねる6曲目「COMBACK TO HOME」と、小気味よいリズムで颯爽としたステップを踏ませる12曲目「RICH KIDS」における、フィドルの配置は、対称的であるけれども、ともに効果的であり、アーティスト当人がアイルランドの生まれであることを思い出させる、明示に違いない。けっして現代のシーンに深く関与するものではないが、96年オールマイティ『JUST AD LIFE(ジャスト・アド・ライフ)』以降のキャリアのなかでは、もっとも良い作品である。

 アーティストのオフィシャル・サイト→こちら
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2005年12月16日
 ANNNI.jpg

 『II』を聴き、すっかりと気に入ったので、さっそくそれ以前の作品である、バンド名ままの『ANNIHILATION TIME』(02年)を取り寄せたのだけれども、むーん、これはけっこうハードコアのテイストが強い。どうやらヴォーカルも違う人であるようだった。たしかに『II』に繋がる、ハード・ロッキンなリフ・ワークは、この頃からしてすでに確立されてはいるが、それはあくまでもパンキッシュという形容の定型に収斂されてゆく。なるほど。『II』は、喩えるのであれば、ちょうど『BLIND』あるいは『DELIVERANCE』頃のCORROSION OF CONFORMITYみたいなもので、こちらは、それ以前の硬質に尖ったアンダーグラウンド・アグレッシヴに値するわけだ。サウンドのプロダクションも、かなりゴリゴリとしている。けっして悪くはないのだが、とくに突出したところもなく。嗜好の問題か、聴いた順のせいなのかもしれないが、何か物足りない。

 『II』についての文章→こちら
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 1位はエミネムでした。KORNは3位。KORNの新作はけっして悪くないと思いますよ。個人的には、それなりのリピートさ加減。ただ、ま、もうアチコチで言及されている作品なのでレビューは書かないかもしれない。システム・オー・ア・ダウンは10位から14位にダウン。粘ってるほう? リンジー・ローハンが20位にイン。女性シンガーは2枚目の売り上げが芳しくない法則発動ってところかしら。
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2005年12月15日
 ANI.jpg 

 遅ればせながら、ANNIHILATION TIMEというバンドのものを聴いたのは、本作『II』がはじめてのことなのだけれども、これがこれがとてもオーケーだった。一発で気に入った。燃え燃えではないか。あはは。焼ける。セカンド・アルバムになるのかな。サウンドの指向は、ややストーナーの入ったガレージィなロックン・ロールといった感じである。もしかするとQUEENS OF THE STONE AGE以降といったカテゴライズでくくれてしまうのかもしれないが、この騒然としてダーティーな物腰は、一朝一夕の修練で身につくものではないので、本質的に、ガチンコ・ロック至上主義なのだろう。または阿呆に違いない。聴きようによっては、初期のTHE HELLACOPTERSとFU MANCHUをミックスしたかのような趣もある。ある意味レトロスペクティヴなトーンで音は響き渡るが、とにかく放射されるエネルギーの緩慢ではないことが、生き生きとした、リアルタイムで吹き荒ぶ、そういう突風を成り立たせているみたいだ。どの楽曲も、2〜3分程度の短さを、激しく疾駆している。サバティカルなリフを速く走らせる。ずぼらな発声でいきり立つヴォーカルが、またよく似合う。ラフでルーズな演奏が、ジャストなタイミングでびしっと決まっている様もナイスである。インストであるラスト・ナンバー「BLAST OFF」で、次々と連鎖してゆくフレーズのかっこよさといったら、頭空っぽになるほどだ。うっとりとした。スピーカーの前で、体を動かしつつ、おい、僕のエア・ギターはどこだ? と尋ねたくなったりもするのであった。ロックン・ロールなどというものは、「オー」といえば「イエー」なのであり、その阿吽の呼吸がばっちりと整えられていれば、どんな無様さも「ウッ!」という掛け声で万事全てうまく収まる。間違いなく、そういう域で繰り広げられる爆音だろう。はっとしてグッドになる。

 レーベルのサイト→こちら
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2005年12月13日
 yoyo.jpg

 デビュー・アルバム『UPPERS AND DOWNERS(アッパーズ・アンド・ダウナーズ)』からカウントすれば、THE YO-YO'Sにとって約5年ぶりの新作となる『GIVEN UP GIVING UP』である。全7曲という収録数はミニ・アルバム扱いになるのかな。まあ、すったもんだがあったんだろうが、メンバーはベースのDANNY MCCROMACK(ダニー・マコーマック)とギターのTOM SPENCER(トム・スペンサー)がそのままで、新しいギターとしてRICH JONESが加わっている。クレジットやブックレットの写真を見る限り、正式なドラムはまだ所属していないようだけれども、ここではGAFFという人物が叩いている。ヴォーカル部分は、以前と同じく、メンバー全員が持ち回りで担当しているみたいだ。と、そのように編成に関しては、若干のチェンジが見られる。だが、サウンドの基本線は、もちろん良い意味で、ぜんぜん変わってねえや、こりゃ。ワン・アイディアのリフとコーラスを中軸に置いた、シンプルかつストレート、そしてタフでラフでポップなロックン・ロールが元気いっぱいに演奏されているのであった。余計な解釈を施す必要などいっさいない、とにかくプリミティヴな反応だけを期待した、すごく、すごおく気持ちのあがる噪音だろう。そのあまりにも直球であることが、潔い。曲もいい。まあ、曲がいいといっても、このバンドの場合、けっこう参照項をダイレクトに引用しているところがあって、ある種のイミテーションに過ぎないわけだけれども、その内訳は、ロックン・ロールに対する100パーセントの恋愛感情なのだから、それを批判したりするのは野暮ってもんである。粋じゃない。恨み言も悔しさも涙もぜんぶ呑み込んで、笑顔に裏返してゆく、至上のビートとテンポこそが、THE YO-YO'Sにとっての大事であったことを知らしめる。作為よりも、純粋さを伝えてくる熱、それが一点で焦げるにおいに、ガッツ湧く。

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2005年12月10日
 正確にはNEW END ORIGINALやGRATITUDEのメンバーが在籍するATTENTIONがメイン・アクト、それのサポートというカタチで、ようやく果たされたONELINEDRAWING=ジョナー・マトランガ(JONAH MATRANGA)の来日公演なのだけれども、これがまじですげかった。世界でもっとも尊い歌声に触れた。聴きながら泣けてきてしまって、とてもとても困ったほどである。ああ、エモーションっていうのはほんとうのほんとうはこういうものなんだよ、と思った。演奏の体裁自体はものすごくシンプルであった。ひとり椅子に腰掛けたジョナーは、出来合いのバック・トラックをスイッチでオンにして、それに合わせ、アコースティックのギターで弾き語るだけである。身ぶり手ぶりを交えながらも、ただ滔々と歌うのみである。しかし、それがなぜか、まるでメロディは、真実から切り取られてきた断片のように、生きる意味を、押しつけがましさのない、自然な言語として、教えてゆく。声質、歌唱、そして表情、それらのすべてが、過不足なく、喜びも悲しみも含めた一個の命を、真っ正面から謳う。それぐらいのことでついに、がーん、ってなった。奇跡を信じた。感動した。感動という現象を、ここまで素直に受け入れられたのは、たぶん生まれてはじめてのことであった。大げさではなく、他に言いようがないほど、つよく胸を打たれたのであった。FARの「REALLY HERE」も演奏されるなど、基本的には、ジョナーのこれまでのキャリアからピックアップされたナンバーが、つぎつぎに披露されたわけだが、どの楽曲からも、息づかいのひとつひとつが、真心を込めたしるしであるかのような、そういう説得力を受け取ることができた。観客からのリクエストなのかな、即興でプレイされたDEFTONESのカヴァー「BE QUIET AND DRIVE(FAR AWAY)」のスタティックなヴァージョンでは、もしかすると原曲よりも鮮明な孤独が、しかし自己憐憫ではない、怖れを斥ける態度として浮かび上がる。真っ直ぐに歩くのは難しい、でも、その難しさのあることが、おそらく、ここまでに辿ってきた軌跡を価値のあるものに変えてゆくのかもしれない、そんな想いがふと湧く。前向きな気分だ。そのあとのATTENTIONのライヴは、ああ比較対象は本当にFOO FIGHTERSなんだなあ、という向きで、正直なところ、まあね、といった感じではあったのだが、サプライズというか、アンコールで、左腕を吊った(どうやら肩の調子が悪かったらしい)ジョナーが合流する。ATTENTIONのフロント・マンであるジェレミーのギターといっしょに、ひとしきりうたったあと、ラストに演奏されたのは、来日公演といえば定番のひとつ、CHEAP TRICKの「SURRENDER」であった。どこかロビン・ザンダーの物真似風味なのが微笑ましい。拍手喝采。大好きな「14-41」をやってくれなかったのは、ちょっと残念であったけれども、体の芯から、ほこっ、とあたたまる大団円を迎えて、にっこりする。
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2005年12月09日
 『FOR ONE NIGHT ONLY』は、再結成テラーヴィジョン(TERRORVISION)の、今年4月15日、ロンドン・フォーラムでの公演をまるごとパッケージしたもので、同内容のDVDもあるが、これはCDの盤である。僕は、好き好きテラーヴィジョンな人間であるのだけれども、うーんちょっと期待値をオーヴァーするものではないかな、という印象だった。代表曲の万遍なくセレクトされている点はオーケーだ。が、いかんせん演奏がけっこう粗い、や、粗いというのとは違う、いったん解散したバンドに対してピークを過ぎたというのもどうかと思うが、やはり機を逸しているというか、全体的に大味に過ぎる、けっこう細かいところが決まっていない感じがする。オーディエンスの盛り上がり具合からして、たぶん会場に居合わせたならば、かなり燃えるのだろうと思う。ただ、このアルバムを通じて、それを追体験するのは難であるということだ。これならばオリジナル作を聴くよなあ、という感想に着地してしまう。ライヴならではの勢いというのではなくて、根幹のしっかりとしていないせいで、勢いに頼らなければならなかったのではないか。ギターはけっこういいふうだ。でも、ベースとドラムがうまくタイム感をつかめていない気がする。それにヴォーカルである。最初の数曲は張っているのだが、中盤以降、かなり発声がカツカツになってくる。そうした不満は「SOME PEOPLE SAY」や「BAD ACTRESS」、「MIDDLEMAN」などのスローに聴かせるナンバーで顕著になる。コーラス部分を観客に振れば、合唱は起るとしても、スタジオ作にはあった感動が、完全に、死んでいる。キーボードの音が侘びしく響く。また初期のミクスチャー調の楽曲では、ラップっぽい箇所が、ただがなっているだけになってしまっており、テンションが上がってこない。リズムが不調を訴えている。個人的にアンセム認定の「DISCOTHEQWRECK」ぐらいは、せめてかっちりとまとめて欲しかった。
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 HER.jpg

 これぞ、これこそが、ヘヴィ・ロックの、いや、ハード・ロックの力瘤だろう。HERMANO初となるライヴ盤『LIVE AT W2』である。クレジットをみると、セカンド作『DARE I SAY…』リリースにともなう、「ANGRY AMERICAN」ツアーの行われた昨年、つまり04年の12月4日の公演を録音したもののようである。それが一年後の今、ついにパッケージングして届けられたというわけだ。これがかなり決まっている。音質もなかなか良好で、演奏のシーンを鮮明に切り出している。サウンドそのものの重たさ、迫力ということであれば、じつはオリジナル・アルバムのほうが、圧倒的ではあるのだけれども、そのかわりに、生々しいエネルギーと強靱にはねるグルーヴが随所に代入されており、楽曲をただ再現したのではない、その空間内において、気を練り込むようにして、あらためて作り出している感じだ。9曲目でAC/DCのカヴァー「TNT」を披露しているが、最初の一音からして、他バンドとの基礎体力の違いを、まざまざと思い知らされる。ギターのはじくリフの、その屈強さに、ドラムもベースも追従し、みごと競っていることによって、それは実証されている。ただし惜しむらくは、といっても、それはそれで贅沢な悩みではあるのだけれども、ジョン・ガルシアのヴォーカルが、ハンサム過ぎるのである。「TNT」に限った話ではない。全編に渡り、彼の声は、よく伸び、きれいに通り、熱をしっかりと伝わらせ、ふつうに巧い、とくにスローでややブルーズな「MY BOY」で披露される男前さ加減には惚れる、また激しく疾駆する「QUITE FUCKED」においてさえも、「ゴーマザファッカマザファックァッゴウ!」という破竹のコーラスを、勢いに任せ叫ぶのではなくて、艶やかに歌いこなしている、とてもとても二枚目に聴こえる。その一線級のシンガーであることが、ストレートに出る凄みを、すこし、削いでしまっている。もちろん、それはあらかじめ言ったように、過分に贅沢な悩みに違いない。なぜならば、その声でもって「カモン」などといわれれば、即座にハートに火が入るのを感じるだろう。気合いが点る。元KYUSSというキャリアを問えば、個人的にはQUEENS OF THE STONE AGEよりもなぜか感情移入を催しがちなHERMANOであるが、その本質が、骨太の、岩をも砕く最硬度なロックン・ロールであることをかっちりと示した、かっこういい内容だ。超燃えソング「ANGRY AMERICAN」をプレイしていないことが、唯一のマイナス・ポイントであるけれど、それでも余計な曲の入っていないという事態がすごいではないか。

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら(音出ます)

 ミスナビさんところのレビューがジョン・ガルシアに詳しいのでそちらも併せてチェックしてください→こちら
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 いやっほう。年末だからなのかどうかはしらないけれど、みんなの大好きなオムニバス『NOW20』が一位に返り咲きだぜ。ニッケルバックが9位にアップ。システム・オー・ア・ダウンが10位にダウン。新ヴォーカルを加えたインエクセスの新作が17位。これはがんばったのかがんばってないのか、正直よくわからない結果。デイヴ・マシューズ・バンドのライヴ盤が37位にイン。ライヴが売りなバンドだけに逆にあれなのかな。ダークネスは58位。イギリスのバンドにしては、そこそこ。ところで97位のガンズのベストなのだけれども、これ、もしかしたら一年以上、トップ100以内をキープしてる?
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2005年12月06日
 ハードコア・スーパースター

 98年のデビュー作『IT'S ONLY ROCK N'ROLL』の、ハードチャージでパンキッシュな佇まいは、もはや望むべくもないが、しかし、ディスコグラフィを振り返ってみれば、あの勢いというのは、要するに、若気の至りみたいなものだったのかも、と納得する。かくしてハードコア・スーパースターが、セルフ・タイトルの通算5枚目にあたる本作『ハードコア・スーパースター』で到達したのは、完成度の高く、マイルドで、グッド・ヴァイブレーションなロックン・ロールなのであった。ヴィジュアルのイメージはじつにバッド・ボーイ風であるけれども、サウンドはといえば、ひじょうに行儀良く、丁寧に、まとまっている。ヴォーカルの声質のせいかもしれないが、ところどころで僕は、90年代に活躍したテスラというアメリカのハード・ロック・バンドを思い出してしまった。いや、6曲目の「ヘイトフル」における緩急のつけられ方や、バラード調の11曲目「スタンディン・オン・ヴァージ」でのアコースティカルでドラマティックな響きなどは、かなり近しいのではないだろうか。派手な押しではなくて、地力の強さによって、ハイなポジションに聴き手を持っていくよう、楽曲を展開させている。ソングライティングのスキルとプレイヤビリティの確かさ、それに参照項となるアーカイヴの充実が骨盤にあって、そこから全体の音が造型されている印象だ。総体のクオリティをみれば、ファン層がややかぶってそうな、バックチェリーやダークネスの新譜を凌ぐ内容となっている。8曲目「マイ・グッド・レピュテーション」の陽性なテンポとか、往年のモトリー・クルーを彷彿とさせ、たしかに気持ちがいい。いえい、やっほう、元気いっぱいに声を出せ。うずうずとして体を動かしたくなる盛りである。とはいえ、100パーセントの満足かどうかと尋ねられたならば、個人的には『IT'S ONLY ROCK N'ROLL』あたりの線がやっぱりジャストだったなあ、と思う。自意識を完全に吹っ飛ばす、ガッツとブギーが欲しいんだ、きっと。というか、それはこのバンドに限らず、90年代の終わりあたりに沸いた、北欧のロックン・ロール勢全般にいえることで、結局のところ出来不出来ではなくて、好みの問題になるとしても、モーターヘッドフルで阿呆みたいな一本気とパワーの失しられていることこそが、どこか物足りなく感じられるのだった。
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2005年12月05日
 Pale As Milk

 だいたいのところカール・ラーソン(KARL LARSSON)こそが、ラスト・デイズ・オブ・エイプリル(LAST DAYS OF APRIL)というバンドの頭脳であり、声であり、タレントそのものなのであるから、はじめてのソロ・ワークであるこの『ペイル・アズ・ミルク(PALEAS MILK)』が、本体と大きく違える指向性を有しているはずもないのだけれど、いや、しかし作品全体から発せられるトーンは、もっとずっと軽やかで、あかるく、ときめきの色合いが強い。凝ったアレンジの極力抑えられ、プロダクションのシンプルに施されていることが、その大きな理由であると思うが、メロディというかフレーズのつくり自体も、ラスト・デイズ・オブ・エイプリルの、あの広く穏やかに流れるエモーションが進路の狭まったことで緊急性を増したかのような、そういう圧の過敏にかけられたものではなくて、リラックスした抑揚を行使しながら、透過率を高めたものになっている。もちろん歌唱も、それに基づいている。結果、センシティヴであったりロマンティックであったりする部分よりも、コンパクトにキュートでキャッチーな部分が前面に出た。たとえば2曲目「OFF THE CLIFF」のような心地よいギター・ポップは、ラスト・デイズ・オブ・エイプリルでは、なかなか成立しなかったナンバーだろう。そのことはアルバム『アセンド・トゥ・スターズ(ACEND TO STARS)』収録の「TOO CLOSE」あたりと聴き比べてみればわかる。テンポの刻まれ方は似ているが、コーラスの伸びやかさが、ちょうど明と暗のように、楽曲の表情をまったく異なった風に輝かせているみたいだ。ナイーヴさに押し潰されそうなところもあるが、屈折めいた印象はなく、とてもとても空気の澄み渡ったサウンドになっている。明け方の蒼さに君を想いながらうたう鼻歌。僕の心が愛しさで満たされた。
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2005年12月03日
 ワン・ウェイ・チケット・トゥ・ヘル…アンド・バック(初回生産限定)

 けっこうきっちり手堅い内容に仕上がっている。ザ・ダークネスのセカンド作『ワン・ウェイ・チケット・トゥ・ヘル・・・アンド・バック』である。プロデュースは、結局、マット・ラングではなくて、ロイ・トーマス・ベイカーが担当することになった。なるほど、そういう音の響きである。とはいえ、楽曲のつくり自体は、クィーンよりも、デフ・レパードを彷彿とさせる、やけにウェルメイドなものになっている。デビュー・アルバムで集めた注目が大きすぎるだけに、そのすべてを満足させるのは難しいところであるが、すくなくともリスナーの過半数は、ちゃんと引きつけたままにしておくのではないか、というぐらいのクオリティは成立させている。が、しかし正直なところ、僕はこれは、あんましぐっとこなかった。というのも、やはり仰々しさに欠けているのだ。あるいは、すでにこちらがダークネスというインパクトには慣れてしまっているため、想像を飛び越えるような跳躍が見受けられない。ポップかつキャッチーではあるのだけれども、前作からのシングルにはあった、嫌でも耳につく、シンプルにわかりやすく、馬鹿馬鹿しい部分が減退しているのである。アンセムに結びついてゆく、とびきりのワン・フレーズが足りない。いや、まったくないというわけではなくて、即効性が低いんじゃないかな。引っ掛かりが弱りともいえる。それが何よりも残念に思える。あと何度か繰り返し聴けば、また違った表情にも気づくのだろうか。この手のいっけんハイプくさい系のバンドにとって、成功したあとの2作目というのは難しいものなのかもしれないが、もうちょいギラギラにノリノリ(両者ともに死語であるとしても、それが似合う、様になるぐらい)であってもいい。
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2005年12月02日
 システム・オブ・ア・ダウン『ヒプノタイズ』が1位。この結果を、マドンナを引きずり下ろして、とか言う人がいそう。いや、しかし、それらを予定調和だと思ってしまう卑しい心の持ち主である僕のようなやつこそが死ぬべきなのかもしれない。で、呼応してか、『メズマライズ』が87位に再浮上してるな。60位にフォート・マイナーがイン。そんな感じで(つうか、なんか荒んでるので、もうすこしやさしい気持ちになれるよう頑張ろうと、自分で自分に言った)。
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2005年11月30日
 Son of Sulphur

 燃えるというのは、僕におきましては、かなり上等な部類の褒め言葉なのであるけれども、要するに、CROWPATH(クロウパス)というバンドのこの『SON OF SULPHUR』なるアルバムは、とにもかくにも燃えるのであった。スウェーデンの変則的なブラスト・ビート・マニアというかブリリアントなグラインドコア・アクトである。かなり頭のオカシな人たちだと思う。ワン・テンポにどれだけ手数を繰り出せるか、ワン・フレーズにどれだけの音数を詰め込めるか、そういった部分に対する病的なほどのこだわりが、そのまま過激にカッティング・エッジなサウンドへと結びついている。たとえばDARKANE(ダーケイン)のような北欧デス・メタルの見晴台に立って、左手側に初期STRAPPING YOUG LAD(ストラッピング・ヤング・ラッド)の姿を、右手側に初期THE DILLINGER ESCAPE PLAN(ディリンジャー・エスケイプ・プラン)の姿を眺めながら、そこからふいにダイヴする、その超高速な落下スピードのなかに、圧倒的な破壊力が生まれている。ギターはジャギガシガシガシと不協和音を連ね、ドラムはドガドコビシバシとすべての面をフル連打しまくる。忙しなく、やかましいこと、この上ない。が、しかし、けっして無造作かつ無軌道にアンバランスというのではなくて、その乱暴であることが、複雑なテクニックによってコントロールされている。いや、コントロールし切れているのか。どうだろう。そのギリギリのラインが、未曾有のスリルに繋がっているというわけだ。鼓膜を掻き乱す騒音は、まさに、驚天動地の領域である。燃え尽きる。

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2005年11月29日
 Hypnotize

 本質的には2枚組である(らしい)前作『メズマライズ』と本作『ヒプノタイズ』を通じて思ったのは、システム・オブ・ア・ダウンというバンドは、ラディカルやエキセントリックであることよりも、ドラマを指向するサイドに移行しているのかな、ということであった。もちろん、この場合のドラマというのは、たとえばグリーン・デイが『アメリカン・イディオット』などでやった、ああいう物語への回帰を指さない。現実をディフォルメすることで、あたかも全体性が回復したかのように見せるのではなく、断片的なエモーションを、断片的なまま、現実の起伏に沿わせ、上昇と下降のダイナミズムを描く、そういう手つきである。まるでブラインド・ガーディアンが、6分も7分もかけ、構築してゆく大仰なヘヴィ・メタルを、システム・オブ・ア・ダウンは、わずか2、3分の枠のなかに圧縮してしまう。その分、秒単位のサウンドは、密になり、濃くなっている。そのようにして成り立つ過剰なドラマをもって、ラディカルであったり、エキセントリックであったりと見なすことはできる。が、しかし、まあぶっちゃけて、残念ながら、僕はこれを聴いて、興奮などはしないのであった。理由はシンプルで、ドラマはどのようなものであれ、結局はドラマにしか過ぎず、ある程度の予定調和に終わる宿命だからである。いや、それはそれでぜんぜんオーケーなのであるけれども、システム・オブ・ア・ダウンに対して、そんなものは望んではいませんでした、というわけだ。ただ、タガの外れた阿呆さ加減に、あはは、という風に笑っていたかっただけなのである。そして今回、それは果たされなかった。欠点をふたつ。ひとつには、初期の頃のミクスチャーかつクロスオーヴァーの様相が大幅に損なわれ、直線的な運動に終始するようになった。たしかに、部分部分においては、トリッキーなのではあるが、そういった細部自体が、しかしフックとして機能しているのではないだろう。もうひとつには、ヴォーカルのサージ・タンキアンを措いて、ギターのダロンがかなり歌っているのだが、それがひじょうに萎える。ハーモニー風になっているところは、それほど気にならないのだけれども、単独でうたう場面になると、とたんに冷める。それはちょうど、アリス・イン・チェインズでジェリー・カントレルが、俺は歌もイケるんだぜ、ってな具合に振る舞う、あの、寒々しい虚栄心の反映を思い出させる。つうか、ごめん、ダロンの声質があんまり好きじゃないんだ。とはいえ、クオリティはさすがに群を抜いて高いので、べつにこれが売れることに関しては、否定するつもりもない。個人的には、システム・オブ・ア・ダウンのキャリアのなかで、いちばん低い点数をつけたくなる作品ではあるけれども、それはそれ、趣味の問題といえば、そのとおりである。
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2005年11月28日
 Head Wound City

 ロカスト(THE LOCUST)にブラッド・ブラザーズ(BLOOD BROTHERS)、それにヤー・ヤー・ヤーズ(YEAH YEAH YEAHS)のメンバーなどを含む、ヒステリック・ハードコアのスーパープロジェクトという位置づけになるのだろう、HEAD WOUND CITYのデビューEPである。7曲で約9分という収録時間からして、その内容は推して知るべしといったところだ。サウンドの造型を簡単に述べれば、やはりロカストのJUSTIN PEARSONがやっているサム・ガールズ(SOME GIRLS)に、ブラッド・ブラザーズの甲高いヴォーカルが載っている、といった感じになると思う、つまり、ハイ・テンションでハイ・エナジーでトラッシュなロックン・ロールとしても機能している。が、しかし、こちらのほうがややジャンク度が高い。びりびりびりと痺れるエレクトリック・ノイズなどは、じつにロカストしている。しかしギターを担当しているのは、ヤー・ヤー・ヤーズとブラッド・ブラザーズの人たちなのであった。へえ、そうか。いわゆるサンディエゴまわり、というか、31Gレーベルのカラーに則ったフォーマットだといえば、ある種の予定調和として受け取れなくもないけれど、この痛快無比なパフォーマンスの前にあっては、そんなことどうでもいいじゃんね、と吐き捨てたくもなる。一瞬の芸。ポップさと刺し違えるアドレナリンの高まりさ加減には、頭を垂れたくなる勢いだ。

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2005年11月25日
 1位はマドンナさんでした。でもってグリーン・デイのライヴ盤が8位にイン。ニッケルバックが9位にダウン。ブルース・スプリングスティーン『明日なき暴走』の30周年エディションが18位。アラニス・モリセットのベストが51位。今のアラニスってこんなもんか。僕は未だに「アイロニック」と「ユー・ラーン」を聴くと泣けてきて困ります。インセイン・クラウン・ポッシの未発表曲集かな、が88位にいるな。
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2005年11月24日
 El Buzzard.jpg 

 冒頭、サバティカルなトーンのギターが、どぅどどぅうぅーん、と唸れば、ふつう流れとしてはドゥームかストーナーかといった暗黒低音の様式世界が繰り広げられそうなものだが、このカリフォルニア出身の4人組EL BUZZARDの場合、それをぐしゃぐしゃに歪んだジャンク・サウンドに持っていく、その手つきが、グランジ以前のグランジを彷彿とさせる、すばらしい、あるいはスラッジ。要するに、衝動や感情を、定型化しないノイズに託しているのだ。いや、しかし『GRINGA』と題されたこのアルバム、これは凄まじい破壊力である。反復するリズムの作り出す、ぐるぐるとした、濃厚なグルーヴの海に溺れ、助けを求めるかのように、ヴォーカルが叫ぶ叫ぶ、叫ぶ。あえて騒然としているのだろう、くぐもったプロダクションが、その足下をすくう。整合性ゼロの殺伐とした勢いのせいで、何をうたっているのかさっぱりわからない。進行は、わりかしスローなテンポだというのに、エネルギーは四方八方に飛び散っている。演奏それ自体は、かなりしっかりとしているのだけれども、けっして聴き易さに奉仕しているわけではない。反対に、全体の輪郭がぼやけているというのでもない。明確な像を、ジャストな筆致で、描いている。そう、だから、つまり、散漫さのない態度でもって、混乱と混沌を、控え目なしに、製造しているのである。不協和で、うるさくて、ひどく気分が悪くなる。もちろん、それがいい。とてもいい。

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2005年11月23日
 Fielding

 奇を衒ったところのない、素朴な演奏と真っ直ぐなメロディが、とてもとても心地よいサウンドである。いわゆるエモというより、ギター・ポップ寄りのアメリカン・オルタナティヴといった感じだし、あるいはデス・キャブ・フォー・キューティー以降というタームで掴まえることができるかもしれない。ギターのアルペジオが、センシティヴな音色を揺らし、その放物線を追いかけるようにして、歌声は響き渡る。ヴォーカルの声質は、とくに個性的なものではないけれども、しかし微熱を孕んだトーンは印象的で、楽曲の起伏をうまくコントロールしつつ、おだやかな憂い顔をイメージさせる。それにあわせて、キーボードとストリングスを担当する女性メンバーが澄んだコーラスを重ねれば、複雑に絡まった感情の糸は、ゆるやかに解けてゆくようであった。5曲目「OK,ALRIGHT」とかの、そこはかとなく切なげな情景には、ほんとうに参る。それにしても、ここ最近のMILITIA GROUPは、いっけん地味で渋いんだけれど、しっかりと胸を打つような、そういう丁寧な作品作りが出来るアーティストの宝庫となっている。このFIELDINGも間違いなくその線で、たぶんレーベルが充実期に入っている証拠なのだろう。

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 Hefty Fine

 もはやこの世界の常識なんてのは、ほとんどが非常識と同義なのだから、どれだけバカでいられるか、そのリミットの外し方にブラッドハウンド・ギャング(BLOODHOUND GANG)の本分を見ていた僕のようなリスナーにとって、この、約6年ぶりの4枚目となる『ヘフティー・ファイン(HEFTY FINE)』は、ややマイルドな趣きに聴こえる。だけど、それもけっして悪くはなかった。前作『フレー・フォー・ブービーズ(HOORAY FOR BOOBIES)』において、それこそサンプリングのネタ的に用いられていた80年代ニュー・ウェーヴのセンスは、ここでは、サウンドの方向性を左右するベタな扱われ方をしている。ヒップホップやクロスオーヴァー的な、脱力のコントラストは、かなり後退している。時代の趨勢に合わせたみたいに、ネタからベタへといえば、たしかにそのとおりの変容である。が、しかし、それは明らかに意識的なものだろう。上辺のメロディは、やけにメロウでシリアスなのに、うたわれるフレーズの一個一個は、相変わらず思慮の欠いた、下品なものばかりである。ファックとかディックとかゲロとかクソとか。考えようによっては、内容と表現の間に埋めがたいギャップがあるということになるけれども、その本末転倒の素振りこそが、翻って、根暗なアイロニーのように機能している。ソング・ライティングは上々なのに、中身の空っぽであることが、工学的にすぎるこの時代への手痛い批評となっているのだ。6曲目「一家下痢心中」や10曲目「新・ペンシルヴァニア州歌」、12曲目「激烈バカ一代」などは、いやしかし、すごい邦題だなあと思うけれど、パワー・ポップとして、ふつうに楽しい。ひじょうにマトモな仕上がりである以上、アルバム・ジャケットの酷さ、底の抜け方は、ひとつの騙しだとして、欺かれたほうが悪い、負けである。
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2005年11月21日
 クール・キッズ・オブ・デス

 かっこいいじゃないか。クール・キッズ・オブ・デス(COOL KIDS OF DEATH)。とはいえ、本ワールド・ワイド・デビュー・アルバムを聴くまで、ぜんぜん知った存在ではなかったので、日本盤ライナー・ノーツを参照すると、ポーランドはワルシャワ出身、アート指向の6人組だということだ。ポスト・ラプチャー、ポスト・マキシモ・パークと喩えられることもあるらしい。たしかにニュー・ウェーヴ風でダンサブルなビートを使用したギター・サウンドは、そういうニュアンスを含んでいなくもないけれども、このバンドの場合、もっと無愛想で尖っている。個人的には、インターナショナル・ノイズ・コンスピラシーとプライマル・スクリームのミックスというか、チェコのポスト・ハードコア・アクトであるサンシャインをよりキャッチーにしたかのような、エレクトロニックなパンクに聴こえる。歌詞には、ちょっとポリティカルな匂いが含まれていて、バンド名がそのまま冠された6曲目などは、ループするテンポをともなって、ワン・フレーズが反復される、その淡々としたなかに、ギターの苛ついたノイズが混じると、おまえが気に入らないんだおまえが気に入らないんだおまえが気に入らないんだ、という、くっきりとした苛立ちの感情が浮き上がってくる、クール・キッズ・オブ・デス! オブ・デス!! かなり挑発的な印象を残す。アルバムをトータルでみると、やや一本調子である感じもするが、いや、しかし、けっして興は削がれることなく、むしろ、その殺伐としたイメージに取り込まれてゆく仕掛けだろう。初回限定には、ボーナスとして、13曲のライヴ・テイクを収めたディスクが付いている。そちらを聴くと、本質的に、かなりアグレッシヴであることがわかる。線は細いが、その音は、なかなかにふてぶてしい。

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2005年11月18日
 更新が滞ってるのは、文学フリマ用の原稿を書いているからです。まだ書いているからです。まだまだ書き終わらないからです。文学フリマは20日です。今日は18日です。ええっと。今週のビルボード・チャートです。1位は、ケニー・チェズニーです。カントリー(?)の人です。でもってニッケルバックが5位にダウン。ビースティ・ボーイズのベストが42位って低すぎないか。これ、日本盤はCCCDなので、僕はアメリカ盤を買いました。リンプのベストが47位、これはまあ、こんなものなのかな。ケイト・ブッシュの新譜がその下、48位。ニルヴァーナのあれは70位にダウン。ファン以外が買っても意味のない、間口の狭いアイテムなので、順当でしょう。マーズ・ヴォルタのライヴが76位。僕は、はやくオマー脱退しないかな、と願っております(えー)。そんな感じ。ひどいな。
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2005年11月12日
 Won't Bleed Me/Failed Society

 瞬殺のハードコア・パンクを披露するF-MINUSは、バンドの状況が今どういう感じなのか(解散しちゃったのかどうか)は知らないのだけれども、98年に発表された2枚の7インチをカップリングしたのが、本作『WON'T BLEED ME / FAILED SOCIETY』である模様だ。これまでのレーベルEPITAPHやHELLCATではなくて、ジェロ・ビアフラのALTERNATIVE TENTACLESからのリリースとなっている。いや、しかし、この頃の彼らは猛烈にかっこういい。燃えるなあ。速いし。最長で2分、最短で11秒。猛スピードで走るビートのなか、ワン・フレーズを早口で吐き捨てるヴォーカルが勇ましい、ときおり女性メンバーががなっている、余韻はゼロ、さっきまでの騒がしさが、次の場面では、すぐさま切り捨てられ、新規のエネルギーが注入される。潔いとは、こういうことか。近作においては、1曲の最中を維持するため、反復の要素が強くなってきただけに、この転換の早さには、思わず舌を巻いてしまう。そういう勢いだ。
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2005年11月11日
 年末商戦っぽいムードに突入してきた今週の1位はオムニバス「NOW」の20。2位がサンタナ。ニッケルバックは3位にダウン。ブリンク182のベストが6位にイン。ライヴが詰まらない(えー)スリップノットのライヴ盤が17位。ニルヴァーナのあれが21位。と、そんなところでしょうか。
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2005年11月10日
 Bagged and Boarded

 サンディエゴのポップ・ユニットPINBACKの片割れ、ROB CROWによるサイド・プロジェクトであるGOBLIN COCKの、ファースト・アルバムになるのかな。PINBACKといえば、ヒネリ系のローファイ・センスと聴かせ系のメロディ・ラインが作り出す浮遊感が売りであるわけだが、しかし、この『BAGGED AND BOARDED』にて繰り広げられるのは、それとは、まったく毛色の異なる音世界なのであった。アコースティカルなイントロに導かれ幕を開けるのは、イーヴル色の濃いアートワークをまっとうするかのように、ドゥームというかストーナーというかサバティカルな重低音を主軸に置いたサウンドである。そこにROB CROW(どうやらここでの名義はLORD PHALLUSであるようだ)の線の細いヴォーカルが載っている。そういったコントラストは、聴きようによっては、ゴシックっぽくもある。まあ、趣向としてはおもしろい、と思う。が、音楽的なクオリティは、そこそこのレベルに止まっている感じもする。本式のヘヴィ・メタルと比べれば、やっぱちょっとリフが詰まらないのが欠点だろう。そこらへん、この形式が、アイロニーの産物なのか真剣さの賜物なのかはわからないが、いずれにせよ、もうすこし凝って欲しかったところである。
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2005年11月07日
 ANIMAL.jpg

 今年の初頭には出回っていたアイテムらしいのだが、ぜんぜん存じ上げていなかったことを、さいしょに書いておきたい。なんてことだ。さて、THE SOUND OF ANIMALS FIGHTINGは、いわゆるエモ / スクリーモ界隈の気鋭アーティスト15名が集まったコンセプチュアルでアート指向のグループのようである。偽名が使われているのであれなのだけれども、調べてみるとCIRCA SURVIVEのヴォーカル、FINCHのギターとベース、RX BANDITSのドラムやATREYUのベースなどが参加しているということだ。で、本作『TIGER AND THE DUKE』のサウンドはといえば、そういった構成員から想像できるラウドな響きを軸に、ポスト・ロック的なテイストや、プログレ風の叙情や複雑な展開を用いた、ひじょうにテクニカルなものとなっている。聴きようによっては、マーズ・ヴォルタを、よりメタリックに、より簡潔に仕立て上げた、という言い方もできるかもしれない。が、しかし、いや、これがなかなか手応えのある音となっている。けっしてストレートな内容ではないが、抽象性と難解度はそれほど高くはないのが、むしろ好ポイントになるのだろう。音数の多い全体の演奏を、わかりやすくテンポのいいダイナミズムへと転がしている。8曲目の「ACT W:YOU DON’T NEED A WITNESS」における、変拍子のなかからブリブリと迫り上がってくる重低音なんか、けっこうアドレナリンが触発される趣き。

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 Everything in Transit
 
 ああ、やっぱりアンドリュー・マクマホン(ANDREW MCMAHON)の書く、いや、むしろ「描く」と記したい気分のメロディは、じつにいい感じで琴線に触れてくるなあ、と思う。たぶん僕は、彼のソング・ライティングを信じている。そのアンドリューがサムシング・コーポレイト(SOMETHING CORPORATE)本体とはべつに動かしているサイド(ソロ)・プロジェクト、JACK’S MANNEQUINのデビュー・アルバムとなるのが、本作『EVERYTHING IN TRANSIT』なのであった。多くのナンバーで、ドラムを叩いているのはトミー・リーであり、ジム・ワートがベースを弾いている。基本線は、ピアノをメインの旋律に、バックをバンド・サウンドで固めた、サムシング・コーポレイトのスタイルを踏襲したものであるのだが、しかし、あちらを秋や冬の切ない季節に喩えるならば、こちらは夏をイメージさせる、燦々として陽光きらめくフィーリングに溢れている。もしかすると、急性リンパ性白血病というハンデを真っ向から迎え撃つためのポジティヴさが反映されているのかもしれないが、どうだろう。いずれにせよ、音のひとつひとつが希望の光線となって、青い空を渡ってゆくのが見える、目に浮かぶようだ。もちろんセンシティヴでナイーヴなエモーションをうたうに適したアンドリューの声質は、どこか寂しげな部分を孕んでいる。けっして馬鹿に陽気で明るいといったものではない。そのパセティックな様が、うつくしい余韻となって、聴き手の心に、深く、残る。つうか、8月に出てたらしいんだけれど、これだけの作品が、なんでもっと話題にならなかったのだろう。それとも僕のアンテナが低いだけなのかな。とにかく、である。どの曲が良いとかではなくて、どの曲も良い。まさに、すべてのポップ・ソング・ファンのためのサウンド・トラックといった出来映えだ。ナイスすぎて、溺れる。聴きながら歩けば街の風景も変わってみえるよ、と君に伝えたくなりもするのであった。

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2005年11月05日
 Sliver: The Best of the Box

 原題「BEST OF BOX」というサブ・タイトルが、なぜか邦盤では「ベスト・オブ・ニルヴァーナ+3」にすり替えられているというインチキの『スリヴァー』は、要するに、昨年発表された未発表テイク満載ボックス・セットのダイジェスト版なのであるが、ぶっちゃけて、全22曲のうち、4曲目「フロイド・ザ・バーバー(ライヴ)」7曲目「ブランデスト(スタジオ・セッション)」8曲目「エイント・イット・ア・シェイム(スタジオ・デモ)」15曲目「オールド・エイジ(ネヴァーマインド・アウトテイク)」16曲目「オー・ザ・ギルト」18曲目「レイプ・ミー(バンド・デモ)」19曲目「ハート・シェイプト・ボックス(バンド・デモ)」の7曲以外は、心的にではなくて、音響的に聴くのがかなりつらい、ほんとうに試作のレベルを逸していないので、あくまでも熱心なファンが嗜好品として味わうか、資料価値以上の意味合いを持ちえていないのであった。でもって、そういう人たちというのは、すでにボックス・セットを購入してしまっているのではないか、と思えば、?な代物であったりもする。いちおう、カート・コバーンがニルヴァーナ以前にデイル・クローヴァー(メルヴィンズ)と録音した1曲目「スパンク・スルー(1985フィール・マター・デモ)」と、オムニバス『ノー・オルタナティヴ』で初出となったナンバーの別ヴァージョンである9曲目「サッピー(1990スタジオ・デモ)」、『ネヴァーマインド』以前に当時まだプロデューサー候補にしか過ぎなかったブッチ・ヴィッグへ送ったテスト・テイクらしい「カム・アズ・ユー・アー(ブーム・ボックス・ヴァージョン)」が、今回初登場というわけで注目ではあるのだが、「サッピー」以外は、やはりカート・コバーンというキャラクターや物語が前提としてあって、はじめて聴取可能なものだろう。いや、しかし僕は、その「サッピー」と、あと「オー・ザ・ギルト」が、やっぱり大好きである。好き過ぎる。矛盾するようだが、その2曲を今まで聴いたことがないなら、それだけでも充分買いですよ、と言いたくなってしまう。後者はもともとジーザス・リザードとのスプリット・シングルに収められたもので、『ブリーチ』時代を想起させるロウ・ファイでアグレッシヴな仕様だ、アンチ閉塞感な叫び声が聴こえる、かっこういい。そして「サッピー」である。一時期これがあの「ヴァース・コーラス・ヴァース」という楽曲なのではないか、と噂されただけあって、まさにグランジィなセオリーに則った躁鬱の協奏となっている。刺々しいフィーリングのなか、抽象的な歌詞が、印象的なフレーズとしてうたわれる様が、じつに良い。ただし出来映えとしては『ノー・オルタナティヴ』に収められたもののほうが上だと思う。

・ニルヴァーナ関連の文章
 DVD『クラシック・アルバムズ:ネヴァーマインド』について→こちら
 ボックス・セット『With the Lights Out』について→こちら
 DVD『NIRVANA A ROCK PORTRAIT DOCUMENT』について→こちら
 DVD『HIPE!』について→こちら

 それと「はてなダイアリー」にもニルヴァーナについての文章置いてます→こちら
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2005年11月04日
 です。つうか、ビルボードのサイトって変わった? どうなの? いいや。さて。1位はデスチャさんの人たち。2位にニッケルバックがアップ。24位にエアロスミスのライヴ盤がイン。で、あとは、えーっと、あれ、スライスはどこにいった? と思ったら、76位だった。ものすごい落下速度だ。ところで、その『VHEISSU』であるが、ネット周りの感想をみると、けっこう評判よくないんだけれど、いや、そんなことはないだろう。あと前作を貶めてる人って、あんがい少ないみたい。あれこそ、駄目駄目だよ。しかし『ロッキング・オン』のレビューは滅茶苦茶だったな。ま、どうでもいいけど。
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2005年11月01日
 Dress to Depress

 個人的にはけっこう気に入っていたのだが、先ごろ解散してしまったらしいBE LOVEDの元ギターが加入したということで興味を惹かれたCLASSIC CASEというバンドの、デビュー・アルバム『DRESS TO DEPRESS』である。一言でいえば、ソング・ライティング重視のスクリーモといったところだろうか、サウンドの傾向としては、グラスジョーとサーズデイの間のどっかにいるような感じだといえる。ザクザクとしたギター・リフと粘っこくメロディをうたうヴォーカルに、叙情的なフレーズがときおり差し込まれる。で、その叙情のセンスは、もしかするとミューズあたりが参考となっているのかもしれない。クオリティの面でみれば、上等な部類に入る、悪くはない、のだけれども、これといった決定的な個性がちょっと見当たらないので、あーうー、となってしまう。3曲目「SWEET ALIBI」のようなキャッチーさは、まずまずの魅力であったりするのだが、THE FALL OF TROYCHIODOSといった、変則的なアレンジで押すタイプのアーティストに比べると、なにか様式美的な安心性のなかに収まってしまっている気もした。

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2005年10月31日
 urgency.jpg

 ドイツのエモ・アクトであるペイル(PALE)と名前が被るからどうかなのかは知らないが、THE PALEからTHE PALE PACIFICに改名したアメリカのバンドの、初の作品となったEP『RULES ARE PREDICTABLE』に含まれていた「IN THE SUN PT.1」の別ヴァージョン「IN THE SUN PT.2」で幕を開ける、ファースト・アルバム『URGENCY』は、同一のフレーズとメロディを用いながらも、軽やかなギター・ポップ風の疾走が穏やかにポスト・ロックな曲調へと、アレンジのまったく変えられたそのナンバーが示すとおり、フィジカルな触覚よりも聴き手のイメージへと訴えかけてくる、そういうサウンドに仕上がっている。THE PALE時代の『GRAVITY GETS THINGS DONE』と比較すると、メロディに内在されていたスタティックなトーンを抽出し、中軸に置いたソング・ライティングの為された感じだ。それはちょうど、あのデス・キャブ・フォー・キューティー(DEATH CAB FOR CUTIE)が4枚目の『トランスアトランティシズム(TRANSATLANTICISM)』でみせた転回を、僕に思わせる。つまり、アメリカン・オルタナティヴのサブ・カテゴリーであるようなエモというジャンルを逸脱し、広義の意味でのインディ・ミュージックを包括しえるレベルに達する、ということである。そのことは、メンバー自身がプロデュースを兼ねながらも、『RULES ARE PREDICTABLE』のざらざらとした部分を、丁寧にヤスリがけしたかのような、マイルドな音作りへと移行していることから、意図的であることがわかる。ちなみに「SUCKER PUNCH」や「IDENTITY THEFT」は、両作品に重複した楽曲となっているが、ここでは、解像度は増しながらも、抽象性の高まったヴァージョンが披露されている。じつは、この手の、日本盤が出たとしたらSOME OF USの人がライナー・ノーツを書いてそうげなアーティストでは、個人的にラスト・デイズ・オブ・エイプリル(LAST DAYS OF APRIL)周りのスウェーデン勢(たとえばARIEL KILL HIMとか)のほうが好みであったのだが、いや、しかし、これを聴いたあとでは、やっぱアメリカのアーティストも侮っちゃいかん、と、いたく刮目する気にもなるのだった。

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2005年10月30日
 YLB.jpg

 たぶん若い、ニュースクール・ハードコア寄りのスクリーミング・エモ・メタル(造語、いま作った)をやっている5人組YOUR LAST BREATHのこれ、『WE PLAY FOR KEEPS』は、6曲入りデビューEPになるのかな。要するに、サウンドは、ある程度構築された枠組みのなかにあり、そこで、ヘヴィにメタリックに熱気を迸らせながらも、ときおりメロディアスな叙情を発している、つまり動的なパートと静的なパートが入り混じる、ヴォーカルはただ叫ぶタイプであるが、叫ばれるフレーズのラインは、わりとはっきりしていて、シンガロングな連帯感をそこはかとなく匂わせているみたいだ。と、ま、類型といえば、類型ではあるのだけれども、いや、けっして悪くはないといった印象である。むしろ、新人だということを踏まえれば、ぜんぜん上等な部類に入る。評価、甘いかな。たしかに新鮮味や独創性に関しては、参照項のパッチワークだという風な穿った見方もできなくはないが、しかし、そういった構成を支える、ひたむきに流転するエネルギーの部分だ、そこが、聴き手の前に矢印となって現れている。あとはそれに従っていけばいい、といった説得力が感じられる。

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2005年10月29日
 Let Go

 ケースに被せてあるビニールの表面、ぺたっと貼られたシールには、フォール・アウト・ボーイやらコープランドやらレス・ザン・ジェイクやらの人たちのお薦めコメントが寄せられていて、そういうのは逆に、あれだよねえ、と、すこし訝しげな気分にさせるものなのであったが、あれ、しかし、ちょっと待てよ、これ、地味に良いんじゃないか、いや地味というのとは違うか、たしかに派手なところはないけれども、そのぶん中身のしっかりと詰まっていることに、感心する。エモ系のサウンドを中心に扱うレーベルTHE MILITIA GROUPに所属するトリオLET GOのデビュー作『LET GO』である。ナイーヴさがどうとか、叙情がこうだとかの判りやすく、感情移入のしやすい、ドラマ性の高い展開は盛り込まれておらず、もっとシンプルに、情緒の効いたメロディを、しっかりとしたアンサンブルの上に載せている。たったそれだけのことを訴求力として機能させている。そうした何げない振る舞いに、なぜか、うなじがぶるぶると震えるのであった。何曲かでピアノやキーボードが使用されているけれども、それらはあくまでも、+α的な諸要素に止まっており、内省を過剰に装飾しない。ギターとベースとドラムを基軸に、すべてが3分という時間枠のなかで、最小で最大の効果をあげるパワー・ポップとして響き渡る。必聴は、3曲目の「BOMBS AWAY」である。序破急のセオリーに従った、じつにコーラスの映えるナンバーだ。ハーモニーの重なりが、楽曲の盛り上がりにシンクロすると、バンドの演奏も熱を帯びる、躍動するエモーションが肉感的な造型として表されている。

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 アシュリー・シンプソンが1位で、ロッド・スチュワートが2位にイン。ニッケルバックは4位にダウン。7位にデペッシュ・モード。そして、注目のスライスは15位である。もうちょい上でもよかった気がするけれど、ま、こんなものか。いや、新作いいんだけどなあ。あとはどうでもいい感じなのだが、ブライアン・アダムスのアンソロジーが65位でした。
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2005年10月28日
 ザ・ポイズン(3ヶ月限定スペシャル・プライス)

 僕が、同じく英ウェールズ出身のフューネラル・フォー・ア・フレンドに望んでいたのは、じつはこういう、ヘヴィ・メタリックなツイン・リードがわぎゃーんと鳴る方向性であった。という意味では、ぜんぜんオーケーな内容のブレット・フォー・マイ・ヴァレンタイン(BULLET FOR MY VALENTINE)デビュー・アルバム『ザ・ポイズン(THE POISON)』なのである、が、しかし、聴けば聴くほど、どこかすこし物足りなさを覚えるのであった。なんだろう。考えてみるに、それはつまり、こういうことではないか。ハイ・ファイでモダンな録音、プロダクションは、たしかに音響の面でカタルシスな機能をもたらしているけれども、ギターのリフやソロ自体は、それほど引っかかりが強くない。雰囲気はあるが、ワン・フレーズのインパクトは、一撃必中の殺傷力を持っていない。たとえば、このバンドが参照項に敷いていることが推測できる、アイアン・メイデンやメタリカ、メガデスが、初期のアルバムにおいては、ロウ・ファイかつペラペラな音像でありながらも、血湧き肉躍るアドレナリン・サージなサウンドとして聴こえたのは、ワン・フレーズの閃きが宿っていたからであるし、そのワン・フレーズを導き出す公式に凝っていたからなのだ。そうした部分が、やはり弱い、セオリーに則りすぎて、様式に安心しているきらいがある。とはいえ、ドラムのアタック、これがちょっとかっこういいのである。こうした硬く尖った音作りは、プロデューサーであるコリン・リチャードソンの得意とするところであり、そのあたりのマッチングはナイスだとして買えるだろう。先行シングルであった「4ワーズ(トゥ・チョーク・アポン)」ぐらい、綿密にフックの張り巡らされたナンバーがあと1、2曲あれば、全体の印象は違ったかもしれなく、そこが惜しい、とは思う。まあ僕などは、SUM41もチルドレン・オブ・ボドムも同じ程度にメタルとして聴こえる(適当な)人間だったりするので、両者に比べると、こう、エアー・ギターを弾きたくなるモードに、なかなかスイッチの入らない点が痛し痒しなのであった。
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2005年10月25日
 NEON.jpg

 情報通じゃないので、どういうわけか事情は知らないが、当初は今夏にV2 RECORDSからリリースの予定されていたNEONのデビュー・アルバムが、どうも未だにリリースされていない様子なのである。すくなくとも僕は売られているところを見かけたことがないし、海外のも含めアマゾンやHMVなどのサイトを調べてみても、どうやら購入が不可能な状態になっているのであった。しかし、ひとまず彼らのサイトに飛ぶと、全曲フル試聴オーケーな状態なので、仕方なしに、それを聴くことはできる。というわけで、正式な作品のレビューではないけれども、その印象をここに書き留めておきたい。

 NEONは、オーストラリアの3人組であり、イギリスではグラハム・コクソンの主宰するレーベルTRANSCOPIC RECORDSからシングル・デビューを果たした。そのサウンドを為しているのは、はっきりいって、『フェイズシフター(PHASESHIFTER)』期のレッド・クロス(REDD KROSS)へのオマージュだといえる。じじつ、どのシングルかのプロデュースには、スティーヴン・マクドナルドがあたったりもしていたはずだ。そのような意味では、増田勇一が編集長をしていた90年代頃の『ミュージック・ライフ』誌が得意とするような、ディストーショナル・パワー・ポップ風の趣である。

 そういった傾向は、もちろんフル・アルバムにおいても、まっとうされているみたいだ。デビュー曲でもある冒頭「A MAN」からして、加減の効いたラウドなギター・ワークのなかをキャッチーなコーラスが漂う、女性ベーシストの重ねるハーモニーが、ひじょうに心地よい。トリオ編成ということで、隙のある音像であるけれども、その適度にラフなところが、気分を高揚とさせる。ビートルズ・フレイヴァーの濃く出た2曲目「FRIEND」において、スウィートの度合いはさらに強まり、それを受け継ぐのがセカンド・シングルでもあった「HIT ME AGAIN」である。HIT ME AGAINというメイン・フレーズもそうだが、いかにもギター・ポップ調のクリシェを多用した展開は、チープ・トリックを彷彿とさせながら、カラフルにバブルガムなイメージを形成している。

 ドラムのアタックからメロウなラインが引っ張り出される4曲目「LAPS IN CONVERSATION」の哀愁さ加減にしっとりとすれば、5曲目のバラード「SUMMER RAIN」で、その感情はより深く掘り下げられる。こうした楽曲の繋ぎに、そのセンスの良さが、垣間見られる。次いで、ややヘヴィなグルーヴを聴かせる6曲目「DIZZINESS」である。ここで、ヴァラエティが、ぐっと拡げられる。7曲目「HAPPY GOING NOWHER」というタイトルどおり、泣き笑いのアンビバレンツが切なげにうたわれると、8曲目「PEOPLE INSIDE」のアコースティックな調べをワン・アクセントにして、ハードにドライヴする9曲目「NEW DIRECTION」を経たのち、アルバム中もっともランニング・タイムの長く、スローでグランジィなナンバー10曲目「ALL I WANT」が登場するのであった。中盤、静かなパートからの盛り上がりが、懐メロを越えて、普遍に届きそうなノイズを導き出す。ある意味、クライマックスだろう。

 穏やかなトーンの11曲目「INTO YOUR EYES」は、幕引きに相応しく、序盤の弾き語りから、じょじょに力がこもり、後半、インストゥルメンタルは過剰にドラマティックな表情をみせると、やがてデクレッシェンドに消え入ってゆく。そうした意味で、そのあとのラスト・ナンバー「EVERYTHING」は、まさにアンコールに値する、これまで以上に力強い演奏が、きっちりとした締めを見事に決めるのであった。全体の印象を、さっそうとした、明朗なものにまとめ上げている。いや、これはほんとうにすごく良く出来た内容のアルバムだと思う。ちゃんとした作品の形式で、しっかりと聴きたいなあ、と願う。願ってやまない。

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2005年10月22日
 KISSKISS.jpg

 KISS KISSという、この、サーズデイやマイ・ケミカル・ロマンスを輩出したことで知られるEYEBALL RECORDSの新人さんは、変である。5人編成であるが、どうやらシンセイサイザーとエレクトリック・ヴァイオリンが標準装備されているみたいで、遊園地のBGM調というか、三文貴族の舞踏会を思わせるサウンドは、ロウ・ファイな宅録ポップスを、あえてバンド編成で再現したようでもあるし、ウィーンとミスター・バングルのユーモアと変態さ加減を、適当に薄めつつ、ミックスしながら、ゆるい、チープなセンを狙ったようでもある。とはいえ、ヴォーカルは、ときおり今様のエモ風に力んでおり、それにあわせて進行が、ドラマチックになったり、メロウにしなるあたりのミス・マッチ具合が、ちょっと、独特なのであった。発想自体は、おもしろい、と思う。ただし、この5曲入りEPからは、それ以上の具体的なヴィジョンは見えてこないし、吸引力が若干弱めなのであって、どうなんだろう、はったり以上のものを持ち合わせているのかしら、本格的な評価は、アルバムが出るまで保留といった感じかなあ。

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 Perfect Picture of Wisdom and Boldness
 
 なぜ最近のヘヴィ指向なバンドはみな一様にテクニカルなのか、という疑問がひとつあって、それっていうのは要するに、ディシプリンの季節として00年代が存在していることの反映なのではないか、などという気がしないでもないのであった。それこそキング・クリムゾンのロバート・フリップが、60年代が終わったときそう感じたように、である。というのも、90年代のグランジやメロディック・パンクというのは、いってみれば、インスピレーションの産物であったわけだが、それらが秩序化してしまった今日においては、そういった直感に頼った衝動と創造は、ふたたび困難になっている。そこで、サンプリングの文化になびかない人々は、ディシプリンに励まなけらばならなくなり、結果、シーン全体が高度に抽象的なサウンドに覆われるようになった。と、このような推測を立てることは、不可能ではない感じがする。さて。THE MASSは、ヴォーカルがサックス・プレイヤーを兼ねる、カルフォルニアはオークランドのバンドであり、FROM MONUMENT TO MASSESのメンバーがベースで参加したりしていて、わりとアヴァンギャルド風味な演奏をしている印象なのだけれども、音像自体は、けっこうカッチリとまとまっている。本作『PERFECT PICTURE OF WISDOM & BOLDNESS』は、そんな彼らのセカンド作にあたる。個人的な好みをいえば、03年の前作『CITY OF DIS』のほうが、忙しなくガヤガヤしていて、アドレナリンが騒ぐ思いであるが、しかし『PERFECT PICTURE OF WISDOM & BOLDNESS』が、それに劣っているのかといえば、もちろん、そんなことはない。エネルギーの放出は、より直線的になったが、細部におけるアレンジは緻密さを増しており、絶え間ない流動のなかに、隙間なく緊張が張り巡らされている。長尺ナンバーが増えたのも、そのことの影響だろう。構成能力の高さを伺わせる。いうなれば、カオティック(混沌としている)というのではなくて、ディシプリン(訓練と規律)の生かされた、そういう作品である。

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2005年10月21日
 ニッケルバックが2位にダウン。ストーリーなんとかが19位にイン。まあ、どうでもいいです。セヴンダストが、その次、20位。でもって、ロードランナー・ユナイテッドが77位にイン、ラッキー・ナンバーですね。おめでとうございます。あ、ぜんぜん関係のない話ですが、さいきんマノウォーを聴いてます。キングス・オブ・メタル。他の奴らは演(や)るだけだが、マノウォーは殺(や)るぜ。つって、燃える。
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2005年10月20日
 WE.jpg

 シングル「NOBODY MOVE, NOBODY GET HURT」が大変よかったので、個人的に超期待だった、WE ARE SCIENTISTSのファースト・アルバム『WITH LOVE AND SQUALOR』である。うん、やっぱり、よろしい。そして、このバンドの、いかにもUKなサウンドは、僕には、なんとなく、あの90年代半ばのブリット・ポップ期に登場したMARION(マリオン)の、とくにデビュー作『THIS WORLD AND BODY(ディス・ワールド・アンド・ボディ)』を思い出させるのだった。あ、あれからちょうど10年か。で、どこらへんがかというと、説明するのはなかなか難しいのだけれども、ギターのトーンとウェットなメロディ、それに疾走感の在り方みたいなところが、ということになるかな。ただし、こちらはトリオ編成なので、それほど音の間隔が密ではなくて、しゃくり上げるようなロマンチシズムよりも、軽快なテンポの良さが際立ち、ポップなコーラスが浮き立つ、そういったつくりになっている。というか、これはもうシンプルに、爽快なロックン・ロールだろう。どのナンバーも2分から3分程度に、コンパクトにまとまっているが、それぞれヴァリエーションに富み、いい意味で肩の力の抜けた、円滑のラインを描いている。シングルの段階では同様に期待大だったTHE SUBWAYS(ザ・サブウェイズ)が、アルバムの半分ほどバラード調子だったので、ちょっとがっかりポイントであった僕には、このぐらい素早い展開のほうが、ぴったりとくる。気持ちのいいスピードである。また一方で、9曲目「TEXTBOOK」のような、哀愁風味の楽曲を書き下ろせるセンスも、高く評価できる。これ、ヘヴィな系じゃない、イギリスの新人さんのなかでは、今年一番のオススメなのですが、と言ってみたい。
。事実誤認でした。ニューヨークのバンドみたいです。時間ができたら、全面改稿します。

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 Vheissu

  僕はといえば、今様の、若い、ストリート風あるいはメインストリーム型のヘヴィ・ロックに関しては、グラスジョー(GLASSJAW)とサーズデイ(THURSDAY)とスライス(THRICE)のヴァリエーションに過ぎない、結局はコマーシャルなヴァージョンに他ならないのでしょう、というスタンスで構えている人間なのであって、だからスライスの前作つまりサード・アルバムにあたる『ザ・アーティスト・イン・ザ・アンビュランス(THE ARTIST IN THE AMBULANCE)』には、死ぬほどガッカリさせられたのだった、駄目駄目だろ、お前らが世の風潮におもねったらアウトじゃんね、日和りやがって、というツッコミである。が、しかし、どうしたことであろうか、本作『VHEISSU』の出来映えときたら、この汚名返上の凄まじい内容について、讃える以外の何ができるっていうんだ。たしかに初期の頃のような、スラッシーでメロディックな傍若無人さは、もはやありえない。期待できない。としても、『ザ・アーティスト・イン・ザ・アンビュランス』においては凡庸な音色に囚われた、あのメタリックなギター・リフは、完全に形を違え、べつのレベル、さらなる高次元で、ふたたび極上のダイナミズムを復調させている。この閾を、たとえるならば、メタリカが『メタリカ』アルバムによって、それまでとは異なる位相で、ヘヴィであることを体現した、あの感じだ。それか、KORNにおける『イシューズ』のような、そういう位置づけの作品だといってしまってもいいだろう。そう、つまり。安易な共感や連帯をエモーションと取り違えた、シャバい、三下アーティストどもには覗けやしない深遠と深淵が、その音の向こうで、口を開けている。いや、それは言い過ぎすぎるか。とにかく、である。まさにスライス・イズ・バック、『VHEISSU』なのである。

 はっきりいって、トゥ・ツ・ツ・ツー・ツツ、と、モールス信号のリズムを合図に、演奏のスタートする1曲目「IMAGE OF THE INVISIBLE」からして、これまでと形相が、違う。ハードコア調の荒々しいコーラスが繰り返されるので、表面はゴツゴツと荒れているように見えるのだけれども、旋律はメロウであったりと、楽曲のつくりは、計算し、洗練されている。すばらしくキャッチーだ。そうした成り立ちが、いかにして可能となっているのか。ヒントは、いっけんただのSEに思える、冒頭のモールス信号である。トゥ・ツ・ツ・ツー・ツツという、シンプルな単音の連なりを、メンバーひとりひとりが、自分の耳で拾い、各楽器で加工したうえで、ふたたび元の位置にあわせる、ギターやベース、ドラムはもちろん、それぞれべつの要素であり、棲息する領域は異なるが、同じ対象をかたどっているので、仲違いを起こすことや歪なアヤを為すことはない、要するに、一点を定めて、そこに向かい、全方位から、集中線を引く要領である。おそらく、そのようなアレンジの積み重ねによって、ひとつのまとまりが構成されている。驚くのは、「IMAGE OF THE INVISIBLE」においてのみ、それが実践されているというわけではないことだ。ほとんどの楽曲が、ほぼ同じパターンを踏襲している。2曲目「BETWEEN THE END AND WHERE WE LIE」の場合、モールス信号のかわりにメロトロンっぽいものが用いられており、3曲目「THE EARTH WILL SHAKE」ならば、寂しげなアコースティック・ギターの調べが、それにあたる。4曲目「ATRANTIC」も同様に、イントロが、一曲のサウンドをガイドしている、濃密なクライマックスを、ゆるやかに導き、5曲目「FOR MILES」では、ピアノの旋律が、その役割を果たす。そうした構造の、端的なのは、あの「さくら〜さくら〜」という、お馴染みのフレーズが、オルゴールによって奏でられる 7曲目「MUSIC BOX」だろう。ふつう日本人であるならば、ピンクの色合いをイメージするメロディが、もつれあい、からみあう、重低音のなかで、モノトーンの世界に埋没してゆく。桜が散る瞬間は、一度しかないがゆえに、美しいものであるが、ここでは、散り終わったあとの、何もない、空虚な光景が、延々と再現される。寒々しく、異様で、終(つい)を行き過ぎている。

 が、しかし、それが心に迫ってくるのであった。人が世界と行う殲滅戦に際して、静寂が終焉を意味するのであれば、鎮魂歌は亡くなった者を慰めはしない、ふたたび死地で立ちつくすだけの自分を思い出させるに違いない。けれども、そのときには、感情も同時に、甦っているはずである。ラスト・ナンバーである「RED SKY」の、ドラマティックなうねりが、深く深いところへと、聴き手の意識を潜らせる。そばには誰もいない。ひとり息を呑んでいる。その悲しみを生きることが、壮大なスケールの叙情詩として、こちらに言い渡されている。

 『IF WE COULD ONLY SEE US』についての文章→こちら

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2005年10月19日
 CANNI.jpg 

 相変わらず酷いアートワークで、ぎゃはは、って笑う。どういうタイミングなのか、LAIR OF THE MINOTAURの2曲入りシングル『CANNIBAL MASSACRE』である。ナンバリングがしてあるので、よく見たら、2000枚限定っぽいが、ほんとうにそうなのかどうかはしらない。ナンバリング盤が2000枚ってことかもしれない。しかし、ポスト・ノイズ的なものやドゥーム系が多くを占めるレーベルSOUTHERN LORD RECORDINGSにあって、このバンドのサウンドは、たしかにドヨーンとした表情を見せながらも、とてもとてもメタルメタルしており、そのへんがひじょうに聴きやすく、あるいは個性となっている。ここではそれがさらに顕著になり、デビュー・アルバム『CARNAGE』の線を引き継ぎながらも、ザクザクとしたリフがキャッチーで心地よい。とはいえ、(EXTENDED SKIN REAPING MIXとある)タイトル・トラックは、9分に及ぶ長大なナンバーなのであった。まあ最後の3分ほどは、不穏なSEが流れるだけであるが、しかし、ね、それ以外の6分、フルタイムで、押す、押す、押しまくる、中盤、ややスローでヘヴィに変化するが、そのあとで、オールド・スクールなスラッシュ・メタル風の展開をみせると、ふたたびガツンガツンとアタックしてくるのだから、メロイック・サインでゴー、連れて行ってよ、天国でも地獄でもない場所へ、という感じである。また、わずか1分の2曲目「HORNS OF THE WICH」も、簡潔で、ダーティーで、アグレッシヴで、燃える。トリオ編成ながら、分厚いグルーヴ。とくにPELICANのラリー・ハーウェグによる、ドコドコいうドラムがジャストである。

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2005年10月18日
 FaceTomorrow_ForWhoYouAre_Cover.jpg
 
 昨年発表されていたFACE TOMORROWのセカンド『THE CLOSER YOU GET』が、ここ最近のお気に入りである、という話は、この間ここに書いたのだった。そういう経緯でもって、執着が生まれ、02年のデビュー・アルバム『FOR WHO YOU ARE』のほうも、なんとかゲットして聴いているわけだが、こちらもまた、なかなか、よい、よろしい、グッドである。繊細なフィーリングのなかでドライヴする躍動という、サウンドの造型は、すでに出来上がっている。しかし、この頃は、ギターの響きがかなりメタリックである、硬い、バキバキとしている。モダンでテクニカルなヘヴィ・ロックに、サニー・デイ・リアル・エステイト風のうつくしい叙情と、サーズデイ調の爆発する情緒とを盛り込んだ、そういうアプローチ、という解釈もありうるかもしれない。が、しかし、それらの混合してあることが、類型に埋没することなく、反対に、ある種独特な雰囲気を成り立たせているのだから、見事決まっているというものである。ソング・ライティングのスキルもセンスも並の域を逸しており、それにより発生した、勾配の急なダイナミズムをコントロールする演奏は、抜群の域に達している。もちろん、さらなる前進を為した『THE CLOSER YOU GET』のほうが出来映えとしては上であるけれども、これはこれで、十分に完成されているといってしまってもいい。ナイスな作品である。

 『THE CLOSER YOU GET』についての文章→こちら
 
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2005年10月16日
 Something Borrowed Something Blue

 90年代の女性シンガーたちのほとんどが、一様に抱えていた焦燥感や性急さを、AMANDA ROGERSのうたは感じさせない。そのあたりがヒーリングに近しい、おだやかな気持ちを、聴き手に与える。それは、もちろんピアノの弾き語りに近しいフォーマットによって支えられた表現であるからそうなのかもしれないけれど、もうちょっとべつのレベル、根幹の部分というか、なにかを押し殺すようにして切実さを描くのではなくて、ごく自然な振る舞いに立ち、清浄な祈りに似た、濁ったエモーションを含まない、そういうメロディが要請したものではなかったか。ファースト・アルバム『THE PLACES YOU DWELL』、セカンド・アルバム『DAILY NEWS』に続く、5曲入りの本作『SOMETIHNG BORROWED, SOMETHING BLUE』EPを聴きながら、そう思う。そのことはとくに、新曲3つを挟み込むようにして置かれた、アット・ザ・ドライヴ・イン「198D」とレディオヘッド「ノー・サプライゼズ」のカヴァーから伺い知れる。アット・ザ・ドライヴ・イン「198D」は『VAYA』EPに収められた、彼らにしては珍しいスタティックなナンバーである。が、コーラスの部分で、堪えきれず、切迫感をもって弾けるエネルギーが、つよいフックとなっている。それが、ここでは、過剰な盛り上がりを除去し、穏やかに流動する空気の、圧のない状態で演じられている。そのため、メロディの浸透率が、それだけが深く、高まった印象だ。レディオヘッド「ノー・サプライゼズ」の場合、もともとは都市部における画一的な生活風景を淡々と紡ぐことで、そこに宿るアパシーをアイロニー化したナンバーである。つまりノーという意思表示の変形であった。が、ここでのヴァージョンにおいて、何度も繰り返される〈ノー・サプライゼズ〉という響きは、もっとべつのベクトル、つよい肯定の色合いを持っている。それはおそらく力点の置かれ方の問題となっている。レディオヘッドが、世界を否定することで自己を立ち上げたのに対して、AMANDA ROGERSは、自己の肯定からはじめる、そこから世界を捉まえる視点を獲得しようとしているのである。本来の明晰でパセティックなトーンは、慈愛に満ちた抽象的なイメージへと変換されている。ラストで、ピアノの音が、はた、と止んだとき、その静寂のなかに麗しき感情が芽生えている。当然、オリジナル3曲も同種の傾向を違えていない。

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2005年10月15日
 フィフティーン

 再結成後のバックチェリー(BUCKCHERRY)が放つ、このアルバム『フィフティーン(FIFTEEN)』に収められたいくつかのナンバーは、今年のサマー・ソニックですでに披露され、耳にしていたわけだが、正直なところをいえば、そのときは、これはイマイチではないかな、と感じられたのだった。とはいえ、そこで一回しか聴いたことがないにもかかわらず、本作を流しながら、あーこれ、あのときやったなあ、と思い出せるのだから、どの楽曲も印象深い、キャッチーな輪郭を持っていることは、間違いがないということである。が、しかし、やはり気分が盛り上がらないのであった。ソング・ライティングのレベルが高水準に達していなかったセカンド作『TIME BOMB』は論外としても、デビュー・アルバム『BUCKCHERRY』は一線級のロックン・ロールを鳴らしていた。それというのは、90年代の終焉に際して、どのようにすればオーソドックスな姿形のサウンドにリアル・タイム性を宿らせることができるか、といった問題の在り方が、そのままサウンドに直結していたからである。プロダクションはもちろん、リズムやビート、ヴォーカルの節回しにも、それは確実に反映されていた。そうした意識が、ここには、希薄である、ことによったら皆無である。もちろん、新味があるから偉い、ないから駄目という話ではない。そういうことじゃなくて、なんかさ、ロックン・ロールってさあ、もうちょい「いまここ」で燃えるものじゃなかったかしら、と思うだけである。楽曲の出来も演奏もけっして悪くないのだが、しかし、そこからはスキル以上のものを感じられないのだ。エルヴィス・コステロ「パンプ・イット・アップ」も、なぜか他のアーティストによくカヴァーされるが、ここで聴かれるヴァージョンは、比べて、手堅すぎる、沸かない。個人的には、若い世代のミュージシャンを起用することで現代的な味わいと、新鮮なパッションを組み込もうとしたアイディアは見えすいたものだとしても、それでもジョシュ・トッドのソロ・プロジェクトはぜんぜんオーケーだっただけに、そのあとにコレではすこし寂しすぎる。
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2005年10月14日
 Witness

 何気なく手に入れてみたら、あ、やばい、これ、すごくかっこういいかもしれない。モダン・ライフ・イズ・ウォー(MODERN LIFE IS WAR)のセカンド・アルバム『ウィットネス(WITNESS)』である。音像は、ひどく扇情的で真っ正直なハードコアって感じなのだけれども、勢いがある、破壊力がある。ドドドドドという暴走トラックのような、無軌道で、おっかない迫力が全体に付与されており、一聴、その気概に引き込まれる。巻き込まれる。呑み込まれてしまうのだった。制作にはコンヴァージのカート・バーロウが関わっており、ジャケットのアートワークも同じくコンヴァージのジェイコブ・バーノンが手がけているということだけれども、いや、エクストリームという観点から捉まえれば、ここで聴かれる音は、軽い。軽いのだが、しかし、そのパワフルなプレイに圧倒されてしまう。パンクはアティテュードだというが、それが見事に、サウンドに反映されている結果なのかもしれない。あ、もちろん軽いなどといっても、一般のレベルからすれば、十二分にヘヴィだ、ヘヴィだしアグレッシヴすぎるぐらいである。アヴァンギャルドであったり、トリッキーなところはなく、太く直線的な線でもって、鼓膜に突き刺さるような、怒りに似た感情の姿形を描く。リズム隊のアタックの強さと、じつに男くさいヴォーカルが、それを担う。怒濤という形容が似合う。反面、ギターの歪んだ閃きには、どこか切なげな、エクスタシーが宿っている。総体としては、バンド名どおり、近現代における闘争の、その陰として歴史に埋没する部分を、あますところなく表しているみたいだ。遡って、04年のデビュー作『マイ・ラヴ・マイ・ウェイ(MY LOVE MY WAY)』を聴いてみると、その時点ですでに、本作のスタイルやスタンスが確立されていることがわかった。強度はじょじょに増している。そうしてやがて、類型を打ち砕くハンマーのような存在になる可能性は、びしばしと感じられる。認める。

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 SINCE.jpg

 そういえば、ちょっと前(もうだいぶ前になるのか)『クロスビート』誌でパンク・ロックの特集が組まれたときに、アメリカの若い、20代ぐらいのミュージシャンがこぞってリフューズド(REFUSED)のアルバム『SHAPE OF PUNK TO COME』をパンクの名盤として挙げているのを思い出した。あるいはザ・レターズ・オーガナイズ(THE LETTERS ORGANIZE)の『デッド・リズム・マシーン(DEAD RHYTHM MACHINE)』ライナー・ノーツにおいて、鈴木善之が、リフューズドを引き合いに出してザ・レターズ・オーガナイズのことをデイヴ・グロールが語っていた、と書いているのを読んだりなどすると、今は無きスウェディッシュ・ハードコア・アクトが、いかに後発の世代に影響を与えているのか、あらためて考えさせられたりもする。または、こういう言い方もできるだろう。いま現在アメリカのシーン(アンダーグラウンド)では、エモとは違ったやり方で、ポスト・ハードコアの可能性が模索されているとして、今後の方向性を占う上で、ひとつ、リフューズドの在り方が参考として生きるのではないか、と。なるほど。REVELATIONレーベルの気鋭たる5人組SICNE BY MANのセカンド・アルバム『PICTURES FROM THE HOTEL APOCALYPSE』も、たしかにリフューズドを彷彿とさせる、そういう姿形のサウンドを放っているのであった。

 SINCE BY MANの場合、02年のデビュー・アルバム『WE SING THE BODY ELECTRIC』は、カート・バーロウが制作に関わっていたこともあり、コンヴァージ(CONVERGE)以降のカオティック・マナーに則った、間断なく解体と再構築を繰り返す、歪曲して不協和な音響をまっとうしていた。とはいえ、エクストリームの領域でいえば、そのバンド・アンサンブルは通りがよすぎる嫌いがあり、むしろ、それを裏付けるフットワークの軽さこそがSINCE BY MANというバンドのキーなのではないか、と思えた。ベースとギターの相次ぐ脱退を越え、04年に発表された『A LOVEHATE RELATIONSHIP』EPにおいて、メンバー・チェンジが作用したのかどうかはわからないが、しかし、そうした指向性はさらに強まったといえる。重低音をするりとかわすような、弾んだリズムが、乱雑としながらも、具体的にまとまりのある、キャッチーなノリを作り出していた。このあたりが、なんとなく、リフューズドっぽい。そうしたセンをまんま引き継いだのが本作である。いや、相変わらずヴォーカルはぎゃあーと叫びまくっているし、楽器隊はがちゃがちゃうるさい。が、けっして精神の澱みを眼前に突きつけてくる類ではなくて、それらを洗い流す、フィジカルにアップ・テンポなエネルギーの発散として訴えかけてくる。アドレナリンをサージしろ。3曲目「YOUNG AMERICA」でうたわれるように「WE SHAKE IT, WE SHAKE IT, WE SHAKE IT TILL IT BREAKS」という気分なのだ。そうなりゃこちらも、とにかくシャッフルし続けようぜ、オーイエーってな具合である。

 しかし、また、しなやかにノイズを操りながら、忙しなくフレーズを入れ替えるギターが、煽るのだ。その、空白をあえて白色で塗りつぶしてゆくかのような、強迫観念気質のコラージュが、迫り上がってくる高揚に拍車をかける。

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 さくっと。ニッケルバックが1位、フィオナ・アップルが7位、フランツ・フェーディナンドが8位にイン。ボン・ジョヴィが9→12位にダウン。ディスターブドが8位→15位にダウン。長期的に売れたほうが勝ちっぽいな。最後にはどっちになんだろ。SHINEDOWNが25位、いかにも保守風で、これくるかな、と思ってたんだけど、ほんとうにきた。デフトーンズが43位、B-SIDE集ながら、がんばった。リズ・フェアが46位、いま何歳ぐらいだろ、この人。HIMは18位→51位にダウン。再結成クリームのライヴが59位、マイ・モーニング・ジャケットが67位にイン。そんなところかしら。来週(さ来週かな)は、スライスの新譜がどこまでいくのか楽しみ。
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2005年10月13日
 A Fever You Can't Sweat Out

 PANIC! AT THE DISCOとバンド名にはある。たしかにシンセサイザーの類を使用して、ディスコテックな側面を打ち出しているが、中核は、じつに今風のメロディアスなエモ・ポップである。キャッチーなコーラスと程よい疾走感をキープしながらも、ピコピコいう電子音と打ち込みのリズムによって、同系統の他バンドとの差異化を目指している印象だ。ステレオタイプに止まらない発想はユニークだと思う。いっけん新しい。が、しかし、アルバム全体のイメージとしては、それらアイディアはアクセントや装飾のレベルに止まっている。所属はフォール・アウト・ボーイの人のレーベルらしいが、なるほど、その系のサウンドのいちヴァリエーションに他ならない。ただし、ヴォコーダーを使った4曲目「NAILS FOR BREAKFAST, TACKS FOR SNACKS」に漂うニュー・ウェーブ風の雰囲気は、おもしろい。その1曲だけは、エモ・ボーイの域を脱し、むしろイギリスの新人アーティスト、たとえばBOY KILL BOY あたりに似たニュアンスを含んでいる。楽曲の出来もよく、楽しいアルバムであると思う。ただ、なんかねえ、こう、一本芯の通っていない感じがするし、だからラスト・ナンバーのとたんにメロウなしなり具合などはむしろ興ざめに感じられ、そういった部分まで込みでひとつの表現ですよ、というほど好意的には受け入れられない。つうか、そんな真剣に付き合う必要などねえだろ、とすれば、まあそういうことか。

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2005年10月11日
 B-Sides & Rarities

 『B-SIDES & RARITIES』というタイトルどおり、これまでデフトーンズが発表したシングルのB面曲や未発表曲を集めたものである。ほとんどの楽曲が、バンドのハードコアなファンならば、ブートレグなどですでに耳にしたことがあるものだろう。しかし余技とはいえ、これがなかなか「聴ける」内容なのであった。それというのは、アルバムの半分ほどが、他アーティストのカヴァーだというのもある。参考程度に記しておくと、もともと1曲目「SAVORY」がジョウボックス、2曲目「WAX AND WANE」がコクトー・ツインズ、4曲目「SIMPLE MAN」がレイナード・スキナード、5曲目「SINATRA」がヘルメット、6曲目「NO ORDINARY MAN」がシャーデー、10曲目「IF ONLY TONIGHT WE COULD SLEEP」がキュアー、11曲目「PLEASE PLEASE PLEASE LET ME GET WHAT I WANT」がスミス、13曲目「THE CHAUFFEUR」がデュラン・デュランのナンバーである。全体的に、ややニュー・ウェーヴ寄りであるけれども、デビュー当初はレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン型のミクスチャーとして見られることもあったデフトーンズが併せ持っていたナイーヴさ(ナード色)の起源、それを非常にわかりやすい形で提示している。デジタルな冷たい感触やスタティックな進行によって、元曲のメロウさを際立たせる、そういうアレンジが施されている。そういったアレンジ自体は、7曲目「TEENANGER(IDIOT VERSION)」の、バンド・サウンドではない、打ち込みを重視した、トリップ・ホップ調(?)の仕上がりに継承されている。ちなみに「NO ORDINARY MAN」にはGRATITUDE(現在)のジョナー・マトランガがバック・ヴォーカルで参加している。そのことやジョウボックスのカヴァーが収録されていることを踏まえ、考えると、デフトーンズをエモの文脈から捉まえ直すこともまた不可能ではないことがわかる。8曲目「CRENSHAW / I'LL THROW ROCKS AT YOU」は、『バック・トゥ・スクール』EPに収録されていた「I'LL THROW ROCKS AT YOU」のアップ・デート・ヴァージョンで、「BACK TO SCHOOL(MINI MAGGIT)」と「PINK MAGGIT」の関係性に近いつくりであるかもしれない。続く9曲目「BLACK MOON」は『ホワイト・ポニー』制作時のセッション中に録られたもので、ひさびさのラップ・トラックといえる。ちなみに本作には、全ヴィデオ・クリップを収録したDVDが付せられていて、観ると、やっぱりチノ・モレノはセカンド・アルバム(97年)の頃が、一番ハンサムなのであった。

 チノ・モレノのサイド・プロジェクト
 TEAM SLEEP『TEAM SLEEP』についての文章は→こちら
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2005年10月10日
 The Closer You Get

 自分のアンテナの精度の悪さを呪うのは、いつだって、こういうときだ。このバンド、FACE TOMORROWのことは、ぜんぜん知らなかった、触れたことがなかった。なので、これ、『THE CLOSER YOU GET』を何気なく手に入れて聴いたら、おどろいた。かなり決まっている内容だったのだ。04年に発表されたものである。もっと早く購入していればよかった。ここ数日、阿呆のようにリピートしている。ひとまずオフィシャル・サイトをチェックしてみると、バンドは、オランダ出身の5人組で、02年にデビュー・アルバム『FOR WHO YOU ARE』を発表している。つまり『THE CLOSER YOU GET』は、セカンド作にあたるわけだ。くそう、悔やまれるなあ、『FOR WHO YOU ARE』も早々にゲットしなければなるまい。さて。内容の話である。サウンドの基本形をシンプルに捉えると、ジミー・イート・ワールド風なキャッチーさの上に、ア・パーフェクト・サークルを想起させる艶めかしいメロディが載り、そこにミューズを思わせるようなシアトリカルな激情が挿入される、という感じになるだろうか。最近のアーティストを引き合いに出すのであれば、名前のニュアンスが似ているというのもあって、FACING NEWYORKやLIKE YESTERDAYに近しいタッチの繊細な叙情を大切にしたエモといえなくもないが、それらに比べると、全体の像は、よっぽどダイナミックに動いている。演奏は、とりたててプログレッシヴかつトリッキーなものではないけれども、しかし、ある程度の複雑なラインを着実にこなしている。そうして練られた幽玄で壮美なグルーヴが、ワン・フレーズのはっきりとした、具体的なつくりの楽曲のなかで、泳ぐように、うねる。躍動は、暗く深い海の上空を低く渡る風を思わせる速度で、彼岸から此岸へと向かう、回帰する。バンド間のコンビネーションがそのまま、フィジカルなインパクトに連なっているのだ。さらにヴォーカルである。オランダ訛り(?)の節回しはかなり印象的で、それに引き寄せられると、サーズデイのジェフ・リックリーに似て非なる声質でもって、激しさと儚さの両面を切々と、うたい、すくいあげる。すぐさまこちらの感情は揺れる。そして気づけば、FACE TOMORROW固有の世界観が、目の前で、見事なほどに鮮やかに、屹立しているのであった。

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2005年10月08日
 The End Justifies the Means

 ずいぶん前に注文したCDが、やあっと届いた。やっぱり北欧のマイナーなアーティストのものを手に入れるのは難儀だ。そのようなわけでスウェーデンの5人組SUNRIDEの、3枚目の作品となる『THE END JUSTIFIES THE MEANS』であるが、これがちょっと、変わった風貌の内容に仕上がっており、そのサウンドを的確な言葉で掴まえるのが容易ではない。とはいえ、べつに複雑なことをやっているというのではなくて、聴こえてくるものは、ひじょうにシンプルなギミックがないバンド体制の音である。楽曲のつくり、リフのパターン、ダイナミズムは、フー・マンチューあたりを参考にしたかのようなストーナー風であるけれども、音響が明るく、ギターのトーンがクリアーなため、全体のイメージとしては、オルタナがかった、現在スタンダードなアメリカン・ハード・ロックを想起させる。でもってヴォーカルのうたうメロディである。そこからはゴシック調の艶やかさを強く感じる。以前よりもさらに。ニュアンスとしては、69EYESに近しいのかもしれないが、もっとこう、断然に男臭い。そういった諸々の要素が、噛み合い、パワフルに、ドライヴしている。同じようなテンポのナンバーが並びながらも、けっして退屈しないという、ソング・ライティングのスキルも高い。突出した個性があるというのではないが、その存在自体が他に類をみない、独特な空気を持っている。

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2005年10月07日
 Real Hardcore Kids Have Day Jobs

 WITH RESISTANCEのセカンドにして、ラスト作であるけれども、いや、しかし、これがけっこうすごいことになっていたので、おどろいたのだった。正直なことをいえば、デビュー作『WITH RESISTANCE』(03年)に関しては、その表現の強度は認めつつも、高いテンションでメタリックな音を鳴らすニュースクールなハードコアの、その定型から逸しておらず、惜しいかな、という印象だったのである。が、『REAL HARDCORE KIDS HAVE DAY JOBS』にいたっては、覚醒の感がある。呼吸を断つ空気に満ちている。けっして嘲笑できない緊迫が宿っている。格段にステップ・アップしている。まさにおどろくべき飛躍を聴かせる。そうした向上の具合は、ヴィジョン・オブ・ディスオーダーの『ヴィジョン・オブ・ディスオーダー』と『インプリント』の間にある距離を、僕に思わせた。まず、楽曲がワン・ウェイではなくて、多方向へと拡散するかのように、複雑な構成を見せるようになった、それにともない各楽器の機動性が著しくアップしている(もちろん、ここらへんの因果関係は逆かもしれない)。ギターは切れ味するどいフレーズを重ねるばかりではなく、クリアに透き通らない混濁のノイズを震わせることで、不穏なムードと不整形な衝動とを、自然な状態のまま、接続させる。それをフォローするのが、ベースの柔軟なフットワークで、絶えず変化するリズムのなかで、バラバラに解体されそうな楽曲を、しかし、ひとつのカタマリとして固定しているのであった。そして、最大の功績はドラムにあるのだろう。ふつう、こういったサウンドにおいては、線のような怒濤のアタックが繰り返されがちであるけれども、場面によっては、そんな猛烈にたたかない、というか、ほとんどたたかれない、たん、たん、たん、と、点をいっこずつ置いてゆく、そういう慎重さが、想定内たるパターンへの着地を斥けている。また、ヴォーカルが、よい、のである。クリーンな発声を使わない、喉にある器官をフル稼働させ、そこに生じる熱を音(おん)として発するのだが、クソみたいな世界にあって叫ばずにはおれない胸中をエモーションというのであれば、じつにエモーショナルな歌として響き渡る。とはいえ、ソング・ライティングの問題なのかもしれないが、叙情の組み込み方に、やや難があり、静的なパートをふんだんに盛り込んだアルバム後半は、ややだるくも感じられる。そのへんは改善の余地ありといったところであるけれども、残念ながら、これをもってバンドは解散ということで、このあとに続くものはないのであった。

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2005年10月06日
 先週ワン・ツー・フィニッシュを決めたディスターブドとボン・ジョヴィが8位と9位に仲良くそろってダウン。ロック以外のジャンルに押し出された格好だが、そのなかでシェリル・クロウが2位に入っている。下をみればニール・ヤングが11位にいる。そしてフィンランドのHIMの米デビュー盤が19位。これはちょっとすごいのではないか。24位には、ひさびさのブラッドハウンド・ギャングがきていた。新譜出たのか、知らなかった。そういえば、前作はけっこう聴いたと思う。33位にライアン・アダムス&カーディナルズを見つけた。あとは僕の興味外であるようだった。
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2005年10月05日
 Auditioning My Escape Plan

 ネーミングはアーティストの指向性をダイレクトに反映するものなのかもしれん、と思う。バンド名のことである。たとえば、かつてアメリカにミューズというバンドがいたのだが、その後、イギリスでもミューズというバンドがデビューした。両者には因果関係がなく、サウンドが似てるともいえない。だが、それでも表現にはある種の共通するニュアンスが含まれていた感じがする。でもって、ドーパミン(DORAMINE)である。やはり90年代後半にドーパミンというバンドがアメリカからデビューしている。のだが、もちろん、ファースト・アルバムとして本作『オーディショニング・マイ・エスケープ・プラン(AUDITIONING MY ESCAPE PLAN)』を作り上げたイギリスのドーパミンとは、ぜんぜん関係していない。しかし、アフター・グランジ=プレ・エモ的なポイントを目指された楽曲には、なにか、相通じるものを感じるのであった。同時代のバンドでいえば、マイ・オーサム・コンピレーションあたりに近しいサウンドなのではないだろうか。ある程度のハードさをキープしながら、コーラスをポップにうたい、直線的な進行をフォローするかのように、キーボードの繊細な音を噛ませてゆく。ワン・フレーズの伸びやかな部分を生かしたメロディのつくりからは、なるほど、同郷のロスト・プロフェッツが想起させられる。また、ライヴの場においては観客がジャンプしながらノル、そういったイメージでもって、リフとリズムは結びつけられているみたいだ。悪くはない。が、いや、しかし、平均点的すぎる。これぐらいのレベルであったならば、もうちょい突出したもの、これぞといったナンバーがひとつでもないと、結局のところワン・オブ・ゼムという風に終わってしまいそうな気もする。そういえば、アメリカのドーパミンがそうだったように。
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2005年10月03日
 Searching for a Former Clarity

 冒頭で、じゃらーん、とギターの弦が爪弾かれると、胸の奥からこみ上げてくるものがあるのだった。それは何かと問われたならば、こう答えよう。熱血硬派の心意気である。燃える男の力こぶである。これから決闘に出かけるつもりだとしても、けっして止めてくれるな。ひさびさのスクライド気分だ。前作『AS THE ETERNAL COWBOY』で、レーベルをNO IDEAからFAT WRECKに移したフロリダ出身の4人組、AGAINST ME! の、たぶんサード・フル・アルバムにあたるのが本作『SEARCHING FOR A (RUMORED)FORMER CLARITY』である。これまでと同様に、トラッド・フォーキーでカウ・パンクな基本線を踏襲しながらも、Jロビンズのプロデュースによって、エレクトリックなギター・サウンドに奥行きが出た、結果、強情と哀愁の音色が深まった。とてもとてもポップで、ダンサブルなビートを刻みつつ、声の太いコーラスを導き出す、4曲目「UNPROTECTED SEX WITH MULTIPLE PARTNERS」などは、バンドにとって、ひとつの達成だろう。日本人であるならば、ウルフルズの「ガッツだぜ!!」だっけ、あれを思い出すかもしれない。同傾向だがメロウさを増した13曲目「DON’T LOOSE TOUCH」と対を為し、全体における、ハイライト・チューンになっている。続く「FROM HER LIPS TO GOD’S EARS(THE ENERGIZER)」も、いい。煽る高揚感を過分に含む、アップ・テンポのナンバーである。後半、アコースティックで綴られる楽曲での、泣き笑いのエモーションがまた、切々と訴えかけてくる説得力を持っていて、男の子には意地があったことを、ついに思い出させるのであった。そうだ。ツラいツラい、と息を切らしながらも、挫けず、前に進もう。そう思うだろ、あんたも。

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2005年09月29日
 ディスターブドが1位。ボン・ジョヴィが2位。新作、個人的にはどっちもどっちかなあ。いや僕は、ボン・ジョビって表記するやつらを憎みながらも、ボン・ジョヴィの最高作は『キープ・ザ・フェイス』か『ジーズ・デイズ』だと思ってる人間なので。で、コヒード・アンド・カンブリアが7位。これはすごい。よくがんばった、って褒めてあげたい。ただ、どれも保守風なサウンドといえばそうで、アメリカは今、そういう風潮なのかもしれないねえ。でもって、マルーン5のライヴが61位にインなのでした。
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 Big Bear

 ひゃあ、これは、けっこう、かっこういいハードコアである。BATTLESと同じレーベルMONITORに所属する、BIG BEARは、不協和音を撒き散らす、いわゆるカオティック系のサウンドをやっていて、初期のコンヴァージあたりに近い雰囲気を持っているのだけれども、独特のタイム感みたいなものを、掴んでいるバンドだと思う。ハイ・スピードな勢いで押すのではなくて、ミドル・テンポの重量感が、楽曲を進行させている。とはいえ、激しさやうるささが、抑えられているわけではない。それらは、瞬間のダイナミズムで、断続的に、現れる。その旋律のタイミングの、一定ではないことが、緊張した空気を作り上げ、混乱の様相を描き出しているのであった。剛毅なノイズが、隙間だらけの中空に、亀裂を入れる。そして特筆すべきは、ヴォーカルの表現力だろう。ここでいう表現力とは、わーぎゃー叫んでるだけで何をうたっているのかわからないのに、意味ありげなメッセージが、そこに込められているかのように、聴き手を組み敷く、そういう説得力のことを指す。メッセージとは、ずばり、エモーションの言い換えである。どれだけ演奏力がたしかでも、スキルの高さが如実であっても、それを欠いているアーティストは、残念ながら、二線級だといわざるをえない。三下の言い分など聴きたくないのである。だが、しかし、ここには、それが、たしかに、存在している。そこに惹かれる。類型の形容では捉まえられない感情が、いななきとなって、鼓膜に突き刺さる。こちらの心に、ドブのような濁った世界にあっても、死なず、生きていることを、生きなければならないことを、つよく訴えかけてくるようであった。

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2005年09月28日
 Distort Yourself

 口さがない人たちにしてみれば、元ブッシュというキャリアはけっしてアドバンテージにならないだろう、ギャヴィン・ロズデイルの新しいバンドINSTITUTEのファースト・アルバムが、この『DISTORT YOURSELF』である。テクノの人であるフォーテックとの共作であり、映画『ステルス』のサントラに先行収録された1曲目「BULLET PROOF SKIN」の段階で、ある程度予測できたとおり、後期ブッシュの方向性を踏襲した、90年代グランジの作曲法と90年代インダストリアルの音響をミックスしたかのような、そういうサウンドが展開されている。プロデュースを担当しているのはペイジ・ハミルトンであるけれども、なるほど、再結成ヘルメットに近しいトーンの音だともいえる。あるいはハンサム(バンド名)を思わせるか。8曲目「THE HEAT OF YOUR LOVE」なんかは、ゴリゴリとしたリフ・ワークのあたり、かなりそれっぽく仕上がっているのであった。とはいえ、ギャヴィン特有のウェットな、それはもしかしたらイギリス人であるというのが関連しているのかもしれない、メロディが、コーラスの部分で、多い言葉数を、なめらかなラインにまとめ上げていく、そういった部分は、他ではなかなか見かけることのできない、個性である。ブッシュに関していえば、僕は、じつはギターのナイジェル・パルスフォードこそが、じつは、グループとしての体面を考えた上で、キー・パーソンだったと思っている。なので、ギャヴィンの指向性が、ギター・ロック調のサウンドから脱却してゆくなかで、彼が脱退しなければならなかったというのは、おそらく止むえないことであったし、その彼がいなくなったあとで、バンドを続けていくことも不可能であったのだろう。INSTITUTEにおいても、たぶん、ギャヴィン対バック・バンドといった構図は克服されていない、が、ヘルメットやライヴァル・スクールズ、ニュー・エンド・オリジナルの元メンバーらが織り成すグルーヴは、じつに逞く、ところによってはかなりホットに聴こえる。強力なフックを持つナンバーを欠損しているのは弱点だけれども、出来具合は、なかなかだといえる。
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2005年09月24日
 Everyone Into Position

 イギリスの5人組OCEANSIZE(オーシャンサイズ)のサウンドは、他に類似のものを見つけるのが難儀なため、言葉で掴まえるのが容易ではない。それは03年のデビュー作『EFFLORESCE』の時点からしてすでに確立されていたものであったし、このセカンド・アルバム『EVERYONE INTO POSITION』でも、立派に、貫かれている。強いていうのであれば、トゥールから強迫観念のようなダークさを抜いて、レディオヘッドの叙情と、シガー・ロスの幽玄をミックスしたような感じ、といった風になるかもだが、そのような通りのよい形容は、逆に、OCEANSIZEの存在を矮小な枠内に押し込んでしまう。不可侵な精神の領域で共鳴するものではなくて、あくまでもプリミティヴな躍動をともなった演奏であり、次々にクライマックスが連続するけれども、それは安直なダイナミズムに基づいているわけではない、一音が新しい一音を呼び、その一音がさらなる一音を呼び込む、そういった一音一音の展開と分岐が、止めどなく、エモーションのウェーヴを構築、改編、瓦解させ、再構成してゆくのであった。つまり、そのようなプロセスそれ自体が、圧倒的な、揺るぎない、独特の世界観を提示したものとして、完成されている。

 しかし震えるのは、3本のギターから爪弾かれる、表現の深さだろう。アンサンブルの密度は濃いが、ギチギチに詰め込まれた窮屈さはなく、その向こうに、ひどく広いスペースを感じさせる。無限を思わせる空間のなかで、激しさと美しさが、柔軟に交じり合いながら、独創的な曲線を描き、伸び、その果てで、有限の切実さを気づかせるような、硬く険しい轟とした音響を発見している。軽やかなアルペジオが、楽曲の内部を流れる時間によって、たとえば悠久において変化はそれとは気づかぬほどの自然であるように、しとやかな営みのなかで、ゴリゴリとしたリフへと変質しているのであった。どのナンバーも、最短で4分強、最長で9分程度と、長い。だが、その長さに、けっして蛇足要素の欠片は含まれておらず、バンドがOCEANSIZEというスケールを為すにあたって、必要最低限の距離であることに、疑いの余地はない。それにしても、『EFFLORESCE』、今年初頭の『MUSIC FOR NURSES』EP(これはべつに本作収録の「MUSIC FOR NURSES」を含んでいるわけではなく、全5曲の単独した作品であるとカウントされるべきだと思う)、そして、この『EVERYONE INTO POSITION』をもって、比類のない、高度なサウンドを達成したバンドは、今後、どこをどう目指してゆくのだろう。孤高であるがゆえに、まっとうな評価を得られず、それこそシックス・バイ・セヴンがそうであったみたいに、やがて寂しく、不運の解散へ到達するのみなのではないか、と、それだけが気懸かりなのであった。

 バンドのオフィシャル・サイトは→こちら
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2005年09月22日
 である。スウィッチフットが3位。おお、こんなに人気あるんだ。知らなかった。トラプトが14位。こちらは前作の人気具合だと、もうちょい上行くかと思ったな。でもって、シガー・ロスが27位にイン。これももっと上に行くかと思ってた。元ブッシュのギャビン・ロズデイルの新バンド(ユニット?)INSTITUTEが81位。まだ聴いてないんだけれども、個人的には、ブッシュは好きだったので、応援してます。ブッシュはねえ、ライヴが超いいんですよ。初来日の新宿リキッド・ルームはすごかった。びっくりするくらいガラガラだったのだが(たしか入りが悪すぎて2日分の公演が1日にまとめられたはず)、観客は外国人ばっか。靴とか、思いっきりアーティストに投げつけてるからね。外国かと思った、真剣に。えっと、軌道修正。ポール・ロジャース+クイーンが84位。ダンディ・ウォーホールズが89位。そんな感じ。
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 NEV.jpg

 いわゆるカオティック系の一言で説明がついてしまうサウンドだが、しかし類型の域に止まらないだけのものを、NEVER SAY DIE(NSDWHOA!)は兼ね揃えているように思う。とはいえ、どこがどうとか言うのは、なかなか難儀なのであった。とにかく、3分程度の楽曲のなかで、表情が目まぐるしく変わる。使われているマテリアル、含まれている情報量が、他を圧倒しているという感じである。もちろん演奏のスキルも並のレベルを越えている。1曲、2曲目こそ、デリンジャー・エスケイプ・プランとコンヴァージのコンビネーションといった風であるが、エモっぽいナイーヴなメロディから立ち上がり、演奏に抑揚を効かせることで高めに高められた緊張を、終盤、一気に炸裂させる3曲目や、拍子を一定に保たない超加速のアップとダウンを繰り返す、トリッキーな4曲目などにおける、風通しのよさが、このバンドの真骨頂だろう。轟音と静寂のアマルガムによって、5分間の地獄絵巻を展開する5曲目にも、深く聴き入らせられる。EPということもあってか、やや食い足りなさを覚える。が、アメリカの濃いアンダーグラウンドの一例に違いない。

 バンドのMYSPACE→こちら(音出ます)
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2005年09月21日
 Chandeliers in the Savannah

 先行EP『HEADLINES』を聴いた段階では、ここまでヴァラエティを含んだものになるとは思わなかったなあ、ブラッド・ブラザーズのヴォーカルとドラムの人のサイド・プロジェクトNEON BLONDEの、デビュー・フル・アルバム『CHANDELIERS IN SAVANNAH』である。シアトリカルでアヴァンギャルドなポップ・ミュージックという趣で、まあ人力要素は低いけれども、ファントマスの『サスペンデッド・アニメーション』から緊張感を抜いて、ニュー・ウェーヴとヒップ・ホップの溶液で割ったような感じといえば、君は「えーぜんぜんちげえ」と言うかもしれないが、10人に1人ぐらいは納得してくれればいいな、などと思う。いや、これが、なかなかファニーで楽しい内容だったのだ。聴いているうちに、高音できゃんきゃん喚いているヴォーカルも、すごく愛嬌があるように感じられてくるから、不思議だ。本体であるブラッド・ブラザーズとは違い、アグレッシヴな部分はゼロなので、むしろ、親しみやすさでいったら、こちらの方が上だといえる。単調さのなかにも、リズムのとり方などに、脱力の、とぼけた味わいがあり、そのあたりがフックとして機能し、飽きのこないタイミングで、楽曲をうまく転がしている。

 『HEADLINES』EPについては→こちら
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2005年09月19日
 REUBEN.jpg

 英ハード・サウンドのシーンには、未だ日本デビューは果たされていないが、しかし注視に値するアーティストが、いくつも存在しているように思う。たとえば、今月にセカンド作のリリースが予定されているOCEANSIZEなどは、ちょっと他に類を見ない、独特な雰囲気を持っている、にもかかわらず、アメリカのインディ・バンドほどにも関心を集めていなさげなのは、やはり、もったいない感じがする。もちろんREUBENも、その内実とはべつのレベルで、日本ではあまり熱心なファンを見かけない、そういうアーティストのうちのひとつに数えられる。

 とはいえ、デビュー作『RACECAR IS RACECAR BACKWARDS』には、ちょっと、辛いところがあった。それ以前、シングルの段階では、かなり期待筋であったのだけれども、アルバムはといえば、方向性を定めるにあたって、ソング・ライティングのスキルがうまく回っていないため、どうもぼやぼやとした印象に終始してしまっていた。

 だが、しかし。セカンド・アルバムにあたる、この『VERY FAST VERY DENGEROUS』ときたら、どうだろう。前作にも感じられたグランジィな感触、とくに歌メロとベース・ラインに現れていたそれが、いっそう太くなり、濃くなり、まるで、ひとつの断定であるような、迷いのない、強い、音を出すことに成功している。というか、ぶっちゃけて、まさにパールヴァーナマッドガーデンズとでもいうべき、90年代アメリカン・グランジのパスティーシュ、ワン・アイディアのワン・フレーズをフックとして機能させる系のサウンドを、それこそが自分たちの身上だぜという風に、躊躇なく、容赦なく、鳴らしまくっているのであった。これが、モダンでハイブリットなスタイルの全盛期といえる現在にあっては、逆説的に際立つ、シンプルさがこの上なく、激しく、燃える。トリオ編成だということもあり、演奏は、余計な脂肪のついていない、ソリッドな切れ味の鋭さを備えていて、そのへんも、楽曲のスタイルと、ナイスな噛み合いを見せる。タフでガッツのあるイメージが全体を覆い、ざらざらとした当たりをキープしながら、ひとつひとつの音はクリアに仕上げる、クリス・シェルダン(シェルドン)のプロデュースも、相変わらず、冴えている。

 シングル・カットされた8曲目「KEEP IT TO YOURSELF」など、否応なくニルヴァーナを想起してしまう、そのように、参照項ママなナンバーもあるけれど、それを瑕疵としてしまうのは早計で、ハンド・クラップのよく似合う、調子のいい、軽妙なリズムのはね方は、RUBEN固有のものだろう。いくつものパートを組み合わせつつ、7分に渡り、ダイナミックなグルーヴを数回転させる「RETURN OF JEDI」には、ひとしきり感心した。最後の局面で、ストリングスが鳴る、そこへ至るまでの構成に、バンドのポテンシャルが、ダイレクトに、反映されている。

 跳弾のようなアグレッシヴさは、アルバム全編を通じ、燃え尽きるピークを探っているみたい。止むことなく放射され続ける熱が、ひどく魅力的だ。

 『RACECAR IS RACECAR BACKWARDS』についての文章→こちら

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら
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2005年09月18日
 Sleepwalker

 『SLEEPWALKER』は、JAMISONくんとPARKERくんの二人組なのでJAMISONPARKERの、ファースト・フル・アルバムである。これより先に、EP『NOTES & PHOTOGRAPHS』が出たのが、03年だから、けっこう間があったわけだけれども、こつこつと曲を作ってたのかしら、中身充実のポップ・エモ・ナンバーが並んでいる。いや、ほんとう、このソングライティング・チームは、とてもとても優れたメロディを書き落とすのであった。アコースティカルでループを使った面もあるが、ところによってはバンド編成で音が出されており、ユルユルで単調になっていない、アルバム全体の構成は、ちゃんと起伏をもって練られている。疾駆する楽曲はアクセントみたく響く。またエモなどといっても、イールズ以前のEのキャリアを彷彿とさせるような、シンプルにギター・ポップ調の内省も含まれていたりする、そのあたりの叙情は、寂しい凪を思わせる、そういうエモーションである。とはいえ、聴き終えたときの印象は、やや薄口である気がしないでもない、が、このぐらいの内容であれば、複数回繰り返したい感じになるのであって、濃すぎるよりは、合っているのかもしれない。うたいながら歩きながらといったテンションが、さわやかな耳当たりだ。

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2005年09月16日
 パーフェクト・ピッチ・ブラック

 ケイヴ・インについて、僕は、風評は絶賛モードの前作『アンテナ』が、ぜんぜんノレなかったクチなので、やっぱり初期だよね、というか『JUPITER』までだよね、と、クソみたいな偏狭マニアのように、だせえことを言ってしまうぐらい、熱が下がり気味だったのだけれども、新作『パーフェクト・ピッチ・ブラック』を聴いたとたん、盛り返した。やった、やったね。このバンドは、やっぱ並じゃない、と思うよ。

 まとまりの良さでいえば、あきらかに『アンテナ』の延長先にあるものだ。メロディアスなミドル・テンポ路線に変更は、ない。空気が膨張してゆくような、あるいは真空にパッキングされた緊張が、はたと途切れる、余情の味わいも生きている。だが、大きな違いを一点挙げるのであれば、瞬発的なダイナミズムが、具体的なカタルシスを迫り上げる、そういう体でもって楽曲が進行している、といった感じになるのだろう。

 『JUPITER』以降、いや正確には『CREATIVE ECLIPSES』EP以降か、ケイヴ・インの表現、轟音は、抽象化していった。初期の頃の、直情的で、わっかりやすく、平板なアグレッシヴさではなくて、無限の空間を漂うような、とりとめもなく上下左右を転回させることで、奥行きを出す、そういうギター・ロックへと変遷していった。そのことの、超高度な達成が、『アンテナ』であった。楽曲自体は、コンパクトなサイズで設計されながらも、組み上げられたサウンドは、なぜか、遠いが近い、近くが遠くに見えるという、遠近法の狂ったエネルギーを内部に抱えつつも、それでもきっちりと一枚の絵に収まっている、完成度の高く、うつくしい抽象画を思わせたのだった。ただ、それはちょっと、僕みたく、リスニング重視じゃない聴き手には、ナシといわないまでも、縁遠いシロモノでしたよ。アクセントをつけて、明示されるわけではない、強すぎる立体感が、逆に、フラットとして、霞み見えたわけだ。そういうこともあって、日本の音楽雑誌が、ああも褒め称えるような共感が、どうしてそこに生まれたのか、僕には分析できない。

 しかし『パーフェクト・ピッチ・ブラック』である。これが、先ほども書いたが、楽曲に再添付された具体的なカタルシスによって、捉まえやすい熱を、アルバム中に行き届かせている。もちろん『タイズ・オブ・トゥモロウ』EPなどで展開された、穏やかで、伸びやかな叙情も、消え去ってはいない。それらが、コントラストを塗り分ける筆になって、雄大なパノラマを描いている。

 前半のナンバーにおいて、繊細なメロディ・ラインをすくいあげるヴォーカルの対となり、披露される咆哮が、もっとも大きなインパクトだろう。新機軸である。いや昔だってぜんぜん叫んでたじゃん、という向きもあるだろうけれど、ゴツゴツとしたリフをもって駆け出そうとする4曲目「トレパニング」に顕著なように、けっしてハードコアな絶唱、スクリームというのではなくて、むしろアメリカン・ストーナーのマナーに則った、ロックン・ロールの勢いを借りるスタイルに他ならない。それを支援するため、テンポ・アップした演奏が、ダイレクトに、ダイナミズムを形作っているのだ。

 そのような序盤、激しく、盛り上げ、その世界観に聴き手を没入させたところで、7分に及ぶ長尺ナンバー「パラノーマル」を置き、サウンドの厚みをぐっと知らしめるという構成は、たぶん意識して為されたものだと思う。そうして流れ出す重層的なノイズに、取っ付きにくさはなく、バンド名がそのまま冠されたラスト、アコースティックの軽やかな調べと低音のくぐもった響きの入り混じった「ケイヴ・イン」に至ったとき、このバンドの深みにすっかりとハマっていた頃の自分を、思い出す。
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2005年09月15日
 ストーンズが3位。グリーン・デイがアップしてきてるのは、あれか、何かの賞とったからか。いや、すごく興味ないんですよ。まあそういったら、今週は、とりたてて注視すべきところはないなあ。そういうときもあるのだ。
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 Sisters of the Red Death

 VENDETTA REDというバンドの話をしよう。VENDETTA REDは、00年にデビューしたアメリカの5人組である。簡単にいえば、アット・ザ・ドライヴ・イン以降の線上にあるようなサウンドだと思う。いちばん近いのは、イギリスのバンドになってしまうが、ハンドレッド・リーズンズではないかな、という気もする。LOVELESS RECORDSというインディ・レーベルから01年に発表された、ファースト・フル・アルバム『WHITE KNUCKLED SUBSTANCE』は、じつは、かなりのお気に入りであった。扇情的な勢いをキープしたまま、メロウにしなるメロディが、とてもとても魅力的に感じられたのだ。ギターは、わりとはっきりとしたリフを弾く。猥雑なテイストを含んだヴォーカルの声質も、よい。僕の好みからいえば、まさにジャストな音だった。

 しかし03年、EPICに移籍してのメジャー第一弾アルバム『BETWEEN THE NEVER AND THE NOW』は、なんか、ピンとこなかった。多くの楽曲は『WHITE KNUCKLED SUBSTANCE』と被っているにもかかわらず、聴きながら、どうも以前ほどにはテンションが高まらないのだった。全体的に、ややウェルメイドなつくり過ぎて、荒々しい部分が、洗練の名のもとに、削ぎ落とされてしまったからかもしれない。つまり、印象が違ってしまったわけだ。そういえば、ジェリー・フィンのプロデュースだ。よくよく考えると、僕とジェリー・フィンは相性が悪いらしく、彼のプロデュース作品でハマったものは、もしかしてゼロなんじゃないかしら。翳りが魅力的に映えないメイクをする人である。

 さて本作『SISTER OF THE RED DEATH』は、要するに、VENDETTA REDのサード・アルバム(メジャー・セカンド・アルバム)になるのだった。アメリカでの人気がどれだけあるのか、ちょっと見当もつかないが、ふたたびEPICからのリリースであるので、それなりの売り上げがあるのだろう。たしかWARPEDツアーに参加したりしてるはずなので、そういったところで、ちゃんとアピールし、支持を集めているという可能性は考えられる。

 ここでプロデューサーに迎えられているのは、ハワード・ベンソンである。ハワード・ベンソンといえば、ジェリー・フィンに劣らず、ポップでクリアな整形を施すタイプであるが、しかし、いや悪くない。それは楽曲自体が、かつてのポスト・ハードコア的な流れを引き継ぎながらも、もっとずっとメインストリームを意識し、ヴァラエティに富んだ、スケールの大きなものを目指しているからだろう。場面によっては、インキュバスのニュアンスや、ミューズのフレイヴァーを吸収しているように、受け取れる。そのような指向性が、VENDETTA REDの本質であったならば、僕は前作『BETWEEN THE NEVER AND THE NOW』を見誤っていたのだ。なるほど。ここから遡るように『BETWEEN THE NEVER AND THE NOW』を聴き直せば、けっして悪い作品ではない、どころか、コマーシャル性の高く、それが嫌味にならない程度にまでダイナミズムにより薄められ、いわゆるエモという領域のなかでも、独特な風味を持った内容に仕上がっていることに、気づく。つまり、ダイナミズムがコマーシャル性によって損なわれているという僕の思いなしは、逆の視点だったのである。

 そう、ベース、ヴォーカル、ドラム、2本のギターが巻き起こすダイナミズムが、『SISTER OF THE RED DEATH』というアルバムの隅々までを豊かに潤わしている。狂った拍子は用いられず、ストレートにメロディが伸びる。楽曲のヴァリエーションは多彩であるが、取ってつけたようなイメージに陥る危うげさも、冗長で散漫な様子もなく、全体でひとつの波状を為しえているみたいだ。ところで、楽曲のタイトルを、つらつら眺めていると、3曲目「A DARK HEART SILHOUETTE」と6曲目「SILHOUETTE SERENADE」には関連性が見つけられ、じっさいに曲調の方も、ともにストリングスを配されながら、力強くシンガロングなコーラスが高揚を誘う前者と、過剰にドラマティックなバラードとして奏でられる後者では、対になっているように思える。そのあたりから察するに、なにかコンセプチュアルなものが含まれていたりするのだろうか。まあ、その点は措いておくにしても、とにかく、ありったけのスキルとセンスでもって、レンジの広いエモーションを表現することに終始つとめた、という感じの出来になっている。

 とはいえ、諸々の部分に遊びがなくて、理知的なコントロールのもと、剛性の高められたサウンドであるので、単なるオルタナがかったハード・ロックでしょうと言い、仰々しさが煩わしく、メジャー臭い仕様が鼻につく向きもいるに違いない。たしかにそういった面もあるにはある。だけど、したたかに律せられた音は、自分の未熟さを衝動だなんてエクスキューズで誤魔化したりしない、むしろ、この方向性が、確信に満ち、逞しい、揺るぎのないものであり、それを支える力量が、すでに一線級の域にまで達していることを、如実に、知らしめている。

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2005年09月12日
 Nobody's Darlings

 帯の惹句には〈毎日仕事に追われ、疲れたという言葉すら忘れてしまった男達に捧げる1枚!〉とあって、おいおい、やけに労働者階級的な煽りだなあ、と僕は思う。ルセロ(LUCERO)の4枚目の作品にして、日本デビュー盤になる『ノーバディーズ・ダーリンズ(NOBODY’S DARLINGS)』である。僕がこのアーティストの音に触れるのは、じつはこれが初めてのことなのだけれども、いや、しかし、地味に、よかった。ノー・ギミックなアメリカン・ロックが鳴っている。ライナー・ノーツを読むと、ポーグスやリプレイスメンツ、トム・ウェイツやブルース・スプリングスティーンなどから影響を受けているらしいが、なるほど、系統としては、ポール・ウェスターバーグの一連のソロ作を彷彿とさせるものだろう。ことによったら、クラッカーやソウル・アサイラムの名前を挙げてもいい。アメリカン・オルタナティヴを経由しながら、普遍へと届きそうな、歌をうたう、朴訥であればあるだけ、説得力が増す、そういう熱を込めて。メロディだけを捉まえれば、もしも汗くささを抜き、軽やかさを増し、ハーモニーを重ねたら、すぐにでも垢抜けたギター・ポップになりそうな感じがする。だが、そうはしない。たぶん、そういう形では、このバンドが表現しようとするエモーションは、現れないからである。それに、時代性とか、うるせえよ、ばか、誰も待っていない海まで勝手に流されてろ。でっかい歩幅で、マイ・ペースに進んでゆく、そういう力強さを感じる。不器用で、不格好で、そのことが自然体だといえば、そのとおりで、ときおり滲み出る哀愁のフレーズに、男の色気がムンムンと香っている。かっこういい。ほんとうに、理屈じゃなくて、直感のレベルで、惚れ惚れする音だ。
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2005年09月11日
 If You Speak Any Faster 

 THURSDAYというバンド名がアリなら、JUNEというバンド名もアリだろう。と、当人たちが思って名付けたのかどうかは知らない。いくつかの部分にTHURSDAYを思わせる感触はあるが、しかし、どちらかといえば、JUNEのサウンドは、テイキング・バック・サンデイ系の、ハードさをキープしながら、ややテンポを上げた、シンガロングなエモなのであった。まあ、テイキング・バック・サンデイ聴いてればいいや、と切り捨ててはしまえる、反面、テイキング・バック・サンデイみたいなので良いバンドって他にいる? と尋ねられたならオススメできるだけの内容にはなっている。いや、しかし、そこらへん、心持ちとしては、やや複雑である。つまり、オリジナリティを問わなければ、良く出来たアルバムだと思うのだ、じっさい。細かいフレーズを重ねるギターは印象的で、メロディはスウィートすぎず、ツインのヴォーカルも含め、音の線は太い、それらが男らしさと女々しさの拮抗であるような哀愁として、響き渡る。随所にちゃんとフックが設けられており、そこからは、叙情に流されず、体勢の崩れない、粘り腰風の力強さを感じる。キーボードなどの小道具の使い方も巧い。繰り返しになるが、基本的には、時代性におもねったものであり、独自のカラーを見つけるのは難しい。でも、この手の新人のなかでは、それなりの実力を兼ね揃えたアーティストであるのは間違いない、といえる。

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2005年09月08日
 デス・キャブ・フォー・キューティが4位だったのは、ちょっとびっくりした。コールドプレイは21位、そろそろ下降してく感じかな。で、コールドが26位にイン、けっこうがんばってんだ。30セカンズ・トゥ・マーズが44位、アワ・レディ・ピースがその下、45位。フロム・オータム・トゥ・アッシュズが58位。オーペスは64位でした。
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 Paradise, Found

 じつに00年代以降のヘヴィさで整えながらも、ワイルドで直情的な音を出しているという点においては、エヴリタイム・アイ・ダイの近作やエマニュエルと同様の傾向だといえるかもしれない、FIGHT PARISのサウンドは。いや、もうちょっと似たアーティストがどっかにいた気がするんだけど、ごめん、すぐに思いつけなかった。ブルー・マーダーのファースト? ぜんぜんちがうか。歌メロはフィル・ライノット(シン・リジィ)っぽくもあるんだが、ジェントルさは皆無で、すこしレミー(モーターヘッド)が入ってるようなところもある。疾走感やグルーヴではなくて、軽快に、縦のノリを重視した、はねるリズムを多用するアプローチ自体はおもしろい、と思う。ただ、楽曲のヴァリエーションがかなり乏しく、最初の方のナンバーを経た段階で、お代わりは要らない感じになってた。あと女性の喘ぎ声がSEで使われていたりするのだが、それがぜんぜん洒落てない。まったくもって意味がない。無駄。センスのなさが露呈している。本人たちにしてみれば、タフであることの自己演出かユーモアのつもりであったとして、そういったことも含め、聴いているこちらが恥ずかしくなるので、やめてください。

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2005年09月07日
 LIP.jpg

 LIFE IN PICTURESは、ちょいカオティック入ったメタリックなハードコアをやっていて、バス・ドラがドコドコいい、流麗なツインのギターが舞って、ぐぎゃあとヴォーカルが叫ぶスタイルのサウンドは、イマドキのアリガチではあるのだけれども、いやいや、けっこう奮闘している方なのではないかしらん、と思うのだった。本作『BY THE SIGN OF THE SPYGLASS』は、03年のEP『SONGS FROM THE SAWMILL』を経て、レーベルPLUTOから発表されたファースト・フル・アルバムである。残念ながら、おおすげえ、という斬新なアプローチやサプライズはないのだが、しかし、これがなかなか聴かせる。叙情はギターの旋律に負わせ、へたなメロディに逃げず、あくまでもソリッドな鋭さで、ひた走る、思い切りの良さがそのまま長所に繋がっている。演奏のスキルも確かそうだ。でも、もうすこしダイナミックな展開が用意されていてもいい、と思った。細かいところでは、リズムのチェンジなどがあって、気が利いている風なのだが、繰り返しているうちに、パターンが掴めてしまう、単調さが目立つようになる。そのへんがマイナス、改善の余地ありといったところだろう。

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2005年09月06日
 Turn Against This Land
 
 最近のイギリスからガレージと形容されながら出てくるロックン・ロール・バンドは、どうもハイプくせえ臭いがプンプンするのと、タフさが足りない気がして、あんまし惹かれないのだけれども、いや、DOGSはけっこうよかった。本作『TURN AGAINST THIS LAND』はデビュー・アルバムである。サウンドの系統は、モッズ・パンクっぽい感じで、人によってはジャムとか、あのへんの音を想起するかもしれない。あ、参照項はクラッシュなのかな。個人的には、大好きだったUNION KIDという超マイナーなバンドにすごく近しい、と思う。全体的に、一本気というか一本調子な風ではあるのだが、そうした性急さに噛み合うメロディが良い案配で、高揚感は最初から最後までちゃんとキープされている。やさぐれた雰囲気をうたうヴォーカルもグッドだ。ただし、その向こうに優等生な姿が透けて見える点、それにワン・フレーズにおける訴求力が弱いのと、一定のテンポしか叩かない(叩けない)ドラムが退屈なのは、マイナス。でも、繊細さと荒々しさを行ったり来たりしながらはじく、2本のギターには十全のセンスがあり、とくにそのあたりを高く買う。

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2005年09月05日
 Throw a Beat

 PLEASE MR GRAVEDIGGER(プリーズ・ミスター・グレイヴディッガー)は、初期AS I LAY DYING(アズ・アイ・レイ・ダイイング)に在籍してたメンバーによって成り立っているバンドなのだけれども、AS I LAY DYINGのようなヘヴィ・メタリックな要素は皆無で、ロックン・ロール系のアップ・テンポなビートを生かした、荒々しいポスト・ハードコアなサウンドをやっている。感覚としては、REFUSED(リフューズド)とTHE(INTERNATIONAL)NOISE CONSPIRACY(インターナショナル・ノイズ・コンスピラシー)のちょうど中間項あたりといえば、イメージしやすいだろうか。ジャケットのアートワークを見る限り、本人たちも、そこらへんを狙っているのでは、という気がする。本作『THROW A BEAT』は、04年のデビュー・フル・アルバム『HERES TO THE LIFE OF THE PARTY』に続く、5曲入りのEPで、大枠の部分に変更点はないが、一段階も二段階も軽妙さが増し、聴きやすくなった。日和ったわけではなくて、照準が絞られた、ばっちりとスタイルが決まっている、といった感じだ。以前に比べると、ギターの鳴りがしなやかになり、レトロちっくな音を出すキーボードがより効果的に使われているためだろう。そうしてキュートな女性ヴォーカルをゲストに加えた2曲目「SEVENTEEN YEAR OLD PIECE OF GOLD」の、いかがわしくジャンクなテイストは、とてもとても魅力的だ。ラストに、シークレット・トラック的に、ふざけた調子のアコースティック・ナンバーが入っている。その砕けた感じに、杓子定規ではない、バンドの本質が見て取れる。そういったところも含め、個人的にはひじょうに好みな線であるので、セカンド・フル・アルバムには期待しちゃうかもしれない。

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2005年09月03日
 ブルー・スカイ・リサーチ

 タップルートに関しては、デビュー作『ギフト』(00年)はけっこう熱心に聴いた。KORNあるいはデフトーンズ以降のダークさとヘヴィさを引き受けた上で、フレッシュなエネルギーを注ぎ込もうとする、そういう攻めの姿勢が、音のアグレッシヴさに反映されていた。でも、セカンド作『ウェルカム』(02年)は、どうもね、といった感じだった。同系統のアーティストの多くが、いかにも保守風に歌モノ化してゆくのと同様の指向が、そこからは受け取れ、こういうのは90年代にさんざん聴いたよ、やっぱりアリス・イン・チェインズは偉大だったのだな、メロディアスになればなるだけワン・フレーズにおけるボキャブラリーが貧しくなっていくのはどうしてだろう、結局のところギター・ロック的なカタルシスに乏しいんだ、などとしか思えなかった。さて、本作『ブルー・スカイ・リサーチ』である。作風としては、ぴったりと前作の延長線上に置かれたものでしかなく、サプライズもワンダーもゼロなのだけれども、メロディの響きに、やや変化が見受けられる。簡単にいえば、鬱屈の度数が減り、解放感が加わった。ああ、そうそう、ちょうどジャケットのアートワークに表されているような印象。ただ、そうしたイメージの変化は、ビリー・コーガンと共作した2曲目「ヴァイオレント・シーズ」と8曲目「ロスト・イン・ザ・ウッズ」、11曲目「プロミス」に負うところが、大きい。どのナンバーもポップさが前面に出ており、曲調自体はうねる感じであるのに、アップ・テンポな高揚を発している。バンドにとっては、もしかするとイレギュラーなものなのかもしれないが、アルバムをトータルで捉えた場合、それら3曲の果たしている役割は重要だ。暗くてどんよりとしたムードで、一本調子に陥りそうなところを、うまくカヴァーしている。しかし勿体ないのは、ジョナー・マトランガとの共作、5曲目の「コーリング」である。かなりフックのあるフレーズを持っているにもかかわらず、ハーモニーの重ね具合、コーラスの部分でメタリックに鳴るギター、そしてトビー・ライトのプロダクションも関係しているのだろうが、どうにもアリス・イン・チェインズの模倣に収まる、そういう佇まいになってしまっている。クオリティの面においては、賛成も反対もなく、そのあたりが逆に、このバンドはここらへんが限界なのかもしれないなあ、と変に納得させられるサード・アルバムなのであった。
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2005年09月01日
 コールドプレイは13位にダウン、と、習性でチェックしたけれども、上位に関しては、惹かれるものはとくにないなあ。としたところで、45位に再結成フィア・ファクトリーが入ってて、えー、ってなった。いや、作品の良し悪しではなくて、まだフィア・ファクトリーってアメリカでイケてるんだ、という驚き。で、エヴリタイム・アイ・ダイのサードが71位にイン。これ、よかった。前作と同路線ながら、その実直さでもって、突っ走る。グラスジョーとかフィンチとかの、熱血硬派系スクリーモ(いま適当に名付けた)が好みの人は聴いた方がいい。でもって、ブレッドが87位、ブラック・レベル・モーターサイクル・クラブが90位、スマッシュ・マウスが96位にイン。そんな感じ。
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2005年08月30日
 Actions

 正直なところ、日本デビューEPにあたる『ザ・ヴュー・イズ・アメージング(THE VIEW IS AMAZING)』は、ぜんぜんピンとこなかったマイ・オーサム・コンピレーション(MY AWESOME COMPILATION)であったけれども、いやしかし、ファースト・フル・アルバムである本作『アクションズ(ACTIONS)』は、いい、グッド・ヴァイブレーションな内容であった。今のアメリカの若い、おもにエモ系のアーティストがサウンドに組み込もうとするセンシティヴさやナイーヴさなどは、たとえば影響源としてスミス(モリッシー)やレディオヘッドの名前の挙がることが多々あるように、イギリスのシーンから由来したものであり、そのような意味において、イギリスのアーティストにとってはオーソドックスかつ得意とする表現パターンなのではないか、そこから発展して、センシティヴさやナイーヴさを、表現の中心に置くのではなくて、それを庇うようにコーティングしてゆく、そういう力強いメロディを形作ることが、イギリスの若いハード系サウンドの傾向になっている、それはアメリカのシーンで起きていることとパラレルであり、対を為すものである、というのが僕の持論というか推測であるが、まさにそれを実証する出来映えになっていると思う。ドラムのたたくリズムはわりと単調だが、上に載るギターの荒いノイズ、アンニュイなキーボードの響き、それらのコントラストが、ヴィヴィッドにうたわれるメロディと絡み合い、憂鬱に傾斜しつつある感情を、盛り上げながら、上昇させてゆく高揚感へと結びつく。バイオグラフィなどをみると、一般的にはデビューEPにも収録され炊いた9曲目「アズ・オールウェイズ(AS ALWAYS)」の認知度が高いようだが、僕はこれはイマイチで、推したいのはタイトル・トラックである「アクションズ」の方である。いかにもエモってますよという出だしから、思い切りのいい叫びを越えて、「きみとぼく」のディスコミュニケーションを雄弁に伝える、といってもそれは歌詞の問題ではない、儚く燃え、燃え尽きる、そのフィーリングが、フレーズとして、訴求力として成り立っている、そういったコーラスに至る。なかなか印象的なナンバーである。と、話はちょっとずれるけれども、聴きながら、あ、これ、雰囲気がなんとなく、日本のオーシャンレーン(OCEANLANE)あたりに似ているのかな、などと感じたりもした。
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2005年08月29日
 FTROY.jpg

 セカンド・アルバム『DOPPELGANGER』が思いのほか感心するつくりであったので、遡ってEQUAL VISION移籍前のデビュー作(03年)も聴いてみようと思ったTHE FALL OF TROYである。が、ん? いくつか収録曲が重複しているのか。いや、しかし聴き比べてみると、サウンド・プロダクションが違うというのもあるが、ずいぶんと印象が異なっている。縦横無尽に音を重ねたテクニカルなプレイそれ自体がフックとなる、そういう基本線はこの頃からしてすでに出来上がっているけれども、プログレッシヴというよりはカオティックという感覚が強い。どっか全体的にドタバタしている。そして、なるほど、クリーンかつメロディアスではない、ぐぎゃーというスクリームの方がメインのヴォーカルであるっぽいな。ああ、ちがう。どちらかがメインというのではなくて、どちらも総体としてあるサウンドにおけるワン・パーツにしか過ぎないのだ。このバンドの場合、組み立ての妙が、楽曲の基盤となっているのだろう、ひとつの像が瓦解する、そういった情景を構築する、といった複雑で綿密な描写を追求していった結果、プログレッシヴなセンスが開花したことが、わかる。そしてそれは、ある程度規定された方法論を丁寧になぞれば、とたんにエモーションが成り立つだなんて馬鹿げた勘違いを、せせら笑う、十二分な個性として機能している。
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2005年08月28日
 All We Know Is Falling

 このPARAMOREというバンドは、女性ヴォーカルの乗ったエモであって、それ以上でもなければ、それ以下でもなく、個人的には、まあどうでもいいよね、といった感じではあるのだけれども、聴いてしまった以上は、やはり思うところがあるのだった。たとえば90年代半ば以降における、ミクスチャー寄りのヘヴィ・ロック路線は、ヒップホップ的要素を薄め、歌メロを増強させ、やがてエヴァネッセンスのようなアーティストを生み出すことになるのだが、それというのはつまり、ラップであったり、ギターの硬質なリフであったり、また女性ヴォーカルであったりといった諸マテリアルを、いわゆる萌え要素的に用いることで、機能性を重視したポップ・ソングへと移行していったということになるわけだ。だが、そういった方法論がエモといったジャンルにおいても有効であるかどうか、などと本作『ALL WE KNOW FALLING』を聴きながら、思う。かつて渋谷陽一が指摘していたように、ハード・ロックやヘヴィ・メタルというのはカタルシスをカタルシスとして消化(消費)するためにカタルシスが提出される、今風に言い換えれば、サプリメント的な効果の強い音楽だとした場合、そこではエモーションやリアリティなどといったものは、それほど期待されない、あるいは芸として映えるべく様式化される必要がある。けれども、エモというところのエモはエモーションのエモだ風のことをいう人が後を絶たないサウンド形態においては、そうした様式化こそが、むしろ忌むべきものになるのだろう。リアリティよりも、フィクション性を優先させることになるからだ。本来であるならば。しかし、アンダーグラウンドないしインディではともかく、メインストリームのレベルに達してしまえば、どうもそうではないようだ。定型の感情への共感が、すぐれたメロディを生み出すというのなら、エモーショナルっていう言葉は、もはや無感情と同義だよ。死んだ想いを愛でてろ。それにエモ系のバンドが得意とする「きみとぼく」というテーマが、現代的な性差を越えたところで、表現しうるのかといった問題もあるのだが、いいや、面倒くさい。そのようなことを、つらつらと考えていたのだけれども、繰り返し聴いているうちに、ふつうに楽曲のよく出来たハード・ロックに思えてきたので、まあやっぱりどうでもいいよね、っていう気になった。
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2005年08月27日
 Menos el Oso

 マイナス・ザ・ベア(MINUS THE BEAR)は、シアトルのKILL SADIEやSHARKS KEEP MOVINGそしてBOTCHの元メンバーたちによって成立しているバンドで、これ、『メノス・エル・オッソ(MENOS EL OSO)』は、02年のデビュー・フル・アルバム『ハイリー・リファインド・パイレーツ(HIGHLY REFINED PIRATES)』に続く、セカンド・フル・アルバムになるのだった。その他にもEPが数枚出ている。サウンドの方向性は、ポスト・ハードコア→ポスト・ロックといった感じの、穏やかに、細やかで、練りに練られたものである。これまでの作品と比べると、やや質感がやわらかくなっている風だ。静的なフィーリングが強く、どこか淡々としていて、けっして激しいことをやっているわけではないのだけれども、各楽器の奏でるワン・フレーズ、ワン・フレーズが交錯する、その点の連続が、ゆらゆらとしたグルーヴを構築している、自然と体が揺れてくるノリを形成する。薄く切っても、ちゃんと深みの感じられる、高級ハムみたいな味わい。また楽曲のみせる表情も、演奏形態の多面性に沿うように、統一されたトーンではない、複雑な含みを、それが嫌みとならない弾性でもって、訴えかけてくる。色でいえば銀色のような響きを重ねる、ギターとキーボードのコントラストは、まるで乱反射する光に似ている、眩くも豊かなイメージを創出するのであった。
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2005年08月25日
 311が5位にイン。これって彼らのキャリアの最高ランクじゃないかしら。ちがったっけ。ステインドは7位にダウン。コールドプレイが12位、ついにトップ10圏内から落ちた。そして33位にタップルートがイン。まだ聴いてないや。その下、34位にシルヴァースタイン、エモとカナダという、いま現在じつに売れ線的なトピックが、追い風になってるのかもしれない。いや、それは穿った見方すぎだろう。
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 Found in the Flood

 やっぱり第一印象って大切だなあと思うのは、このバンドTHE BLED(ブレッド)のデビュー作『PASS THE FLASK』は、けっして悪くはないんだけれども、あんま乗り気にはなれいないという風であったのだが、『ロッキング・オン』のレビューで、鈴木喜之が本セカンド・アルバム『FOUND IN THE FLOOD(ファウンド・イン・ザ・フラッド)』にいたく感心したように書いていたので、まあ男子三日会わざればということもあるので、と、ちょっとばかし期待してしまった、でもやっぱ信用できねえよ、あんた、じっさいに聴いてみれば、バンドに対する評価は大きく変ることなどないのだった。サウンドの基本線は、ややエモの入ったカオティック・ハードコアで、メタリックな要素はゼロに近しいって感じではあるが、楽曲や演奏その他もろもろに関しては、それほど特筆すべき点はなく、わりとステレオ・タイプな領域に止まっている。振り切れない。驚かない。直情的な進行のなかに、叙情的なパートが入り混じるあたりなども、べつだん新しいものではない。テンションの高さなどをみる分には、ひじょうにライヴはよさそうだが、「ライヴがよさそう」というのはアルバムの評価自体とは、異なるレベルで捉まえるべきだろう。いや悪くはないんだよ、だけど。そうして、すこし悔しい顔をしながら、僕は次のように言う。ジャストじゃない。
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2005年08月23日
 Tommyland: The Ride

 おい君、トミー・リー(モトリー・クルーのドラム)はいったいどうしてしまったのかね? と思うぐらいに方向転換のなされたサード・ソロ・アルバムである。といったって、ファーストがミクスチャーで、セカンドがヘヴィ・ロック路線というような具合だったのだから、もともと一定のスタイルがあったわけではないともいえる。ゲストとして参加している面子、ブッチ・ウォーカー、ジョエル・マデン(グッド・シャーロット)、アンドリュー・マクマホン(サムシング・コーポレイト)などなどから推測できるように、今回の『TOMMYLAND:THE RIDE』においては、ずいぶんとポップなサウンドが展開されているのだった。どちらかといえばニッキー・シックス(モトリー・クルーのベース)の嗜好に近しいような内容ではないだろうか。そんなこともないのか。僕が購入した輸入盤は、ソング・ライティングの詳しいクレジットがないのだが、しかし、それぞれの楽曲へはゲスト陣からのインプットが色濃く反映されているように思う。とくに7曲目「I NEED YOU」などは、アンドリュー・マクマホンがヴォーカルをとっているというのもあるけれど、まんまサムシング・コーポレイトのアウト・トラックのようである。ところで9曲目でうたっている女性ヴォーカルは誰だろう? それはともかく。このアルバムの最大の弱点はサウンドのプロダクションになるのだろう。スコット・ハンフリーの音作りは、こういうポップなものに対しては向いていないのかもしれない。生々しい部分を削ぎ落とし、クリアーさを際立たせ、さらに賑々しさを強調した造形は、まったくもってトゥー・マッチ、耳に障る、たとえばギターやドラムの硬質な騒がしさは、楽曲をやわらかくバウンドさせない、繰り返し聴きたいなという欲求もまた、地面にたたきつけられ返ってこない。
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2005年08月21日
 WOW.jpg

 エモだとかカオティックだとかメタルコアだとかいったって、みんないっしょに聴こえるんだから、エモーションもオリジナリティもインパクトもねえよ。や、ま、それは言い過ぎだとしても、それぞれのバンドにおける微妙な差異をもって個性だとか判断しなければならないのは、すこし寂しいし、志が低すぎるじゃんね。とはいえ、いくつもの同型のなかにありながら熱量のレベルで途端に耳が引き寄せられることもある、と、このWOW OWLS!というバンドのファースト・アルバム『PICK YOUR PATTERNS』を聴いて、思う。サウンドの基本線は、エモとカオティックのハードコア的なコンビネーションで、メタリックな要素は皆無なヴァージョンである。整合性よりも、勢いを重視している風な感じで、ビューティーな要素もゼロに近しい。粗野といってしまってもいいだろう。興味深いのは、ベースのくっきりとしたラインが、そのまま楽曲の輪郭となっているつくりである。そうして、演奏自体はわりと凝っているのだが、直線的なエネルギーが、なによりもまず押し出されるようになっているのだった。新規性という面では、特筆すべき点はあんましないけれども、太く荒々しい音がいっけん冷静を装ったときに生じるグルーヴは、なかなか。瞬発力だけで勝負していない力量を伺える。

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2005年08月20日
 ロック・スウィングス

 知り合いの人たちが話題にしていたので購入したポール・アンカさんの『ロック・スウィングス』は、ボン・ジョヴィやR.E.M.、ニルヴァーナなどのヒット・ナンバーを、その名のとおりスウィングする、アダルトなナイト・ラウンジ風に仕立て直した内容なのだが、いや、これがね、思いのほか宜しい感じだった。趣としては数年前にパット・ブーンが出したメタル・カヴァー・アルバムに近しいのかな。ただし、あれよりもずいぶんとアレンジが緻密だし、ゴージャスに出来上がってる気がする。とにかく原曲の持つイメージとは180度違う世界観が垣間見られる。サヴァイバーの「アイ・オブ・ザ・タイガー」などは、そうだと言われなければ、あんがい気づかないのではないだろうか。聴く人によっては仰け反ってしまうかもしれないけれども、こういう落ち着いたのもいいね、と、リラックスして浸れる雰囲気が醸し出されているのだった。ワン・フレーズを、意味やエモーションのレベルではなくて、音韻のレベルで抽出しているため、うたう声は素直に響く、伸びやかに。ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」とか、すごく楽しい。しかし、やはり流石だと思わせられるのは、オアシスのメロディの強さである。他の楽曲は、どちらかといえばポール・アンカの方に寄せられているように聴こえるのだが、「ワンダーウォール」の場合、ポール・アンカが楽曲の側に寄っていっているみたいに聴こえる。そこらへん、オアシス自身がかつて「メタリックなギター・ソロがなければビートルズ的でグッド」ってな風に評したサウンドガーデンの「ブラック・ホール・サン」、それのここに収められたヴァージョンと比べてみれば、はっきりとわかる。などと、けっこう新しい発見もあったりするのだった。
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2005年08月19日
 1位はステインド。強い。というか、47位にフーティ・アンド・ザ・ブロウフィッシュが入ってるけれど、今やステインドみたいなサウンドの方が、ラジオ・フレンドリーでスタンダードなアメリカン・ロックとして機能しているんだろうな。コールドプレイは7位キープ。62位にトミー・リーの新作が。これ、まだ聴いてないんだけれど、調べてみれば、ブッチ・ウォーカーとかグッド・シャーロットとかサムシング・コーポレイトの人とかがゲストで参加してるみたい、ということは、かなりのポップ・ロック路線であることが予測できるので、ひとまず注文してみた。74位にキマイラ。78位にペニーワイズ。ナイン・インチ・ネイルズは84位、まだゴールドなのか。いや、ナインインチ、サマーソニックのライヴがよかった。簡単にいえば、アーロンという稀代のパフォーマーをメンバーに加えることによって、トレント・レズナーはアーティストとして、ステージ上で、表現に専念できるようになったのが大きかった。要するに、これまではトレントが=ナインインチという表現であり、他のメンバーはそれに奉仕する形であったと思うのだが、今回は、ナインインチというユニットが総体でナインインチという表現をまっとうしていた感じ。アーロンのプレイと腰のバンダナ(えー)は、やはりキーだったよ。しかし、そう考えるとイカルス・ライン、アーロンを失ったのは痛いなあ。
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2005年08月18日
 On the Strength of All Convinced

 デビューEPである『CLOSING DOWN THE PATTERN DEPARTMENT』を聴いた段階では、一部のファンの間では評判は上々でも、ステレオタイプへの葛藤はないし、結局のところ無味無臭のポップ・エモじゃんねといった感じで、あんまし賛成ではなかったのだけれども、こうして出来上がったファースト・アルバムに触れてみると、味わいはさほど深くないけれど、いや、ニオイはあるな。青い海における潮の香りというか、萌える緑における草の匂いというか。空を渡る分厚い雲を追いかけるようにして自転車を走らせるイメージ。1曲目の「SUNDAYS」から受ける印象が良いのだと思う。チャラかったギターの音にエッジが加わっている。ミドル・テンポに近いスピードの、その内側で、ささやかな情熱がはねる。メロディは甘すぎるが、それを瑞々しさ、初々しさに、うまく変換している。ギター、ベース、ドラムのシンプルなトリオ編成ということで、ピアノは盛大に響かないが、サムシング・コーポレイトやウェイキング・アッシュランドがそうであったように、スウィートであることがそのまま、サウンドのヴァリューなのだということがわかる。ただアルバムをトータルでみた場合、アコースティックを織り交ぜたり、楽曲のヴァリエーションを増やしながらも、心地よく流れてゆくだけで、どこか引っかかりが弱いのは、思いのほか疾走系のナンバーがすくないにもかかわらず、感情の機微を扱うに際して、ヴォーカルに頼りすぎているせいだろう。バックのビートが単調であるような気が。歌を聴かせるという意味では、それはそれでといった感じなのだけれども、アンサンブルのレベルにおいては、賛成するに抵抗が残る。9曲目ぐらいの、バンドが総体で押してくる強さが他にもうちょいあればよいのだが、それはむしろ例外的なものなのだろうか。まあ、坊ちゃんくささが鼻につく部分もあるが、でも、それは単に好みの問題といえば、そうかもしれない。
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 Doppelganger

 先日、CHIODOSを聴いたときにもすこし思ったんだけれども、ここ最近のEQUAL VISIONレーベルはテクニカル志向のメタル・リヴァイバルなんじゃあないか、と。それとも、アメリカのシーンがそういう流れなのかな。というのも、本作『DOPPELGANGER』は、シアトル出身のトリオTHE FALL OF TROYによるセカンド・アルバムらしいのだが、これがすごいプログレ・ハード(プログレ・メタル)なのだった。ドリーム・シアターとかシニックとかキングスXとかを好きな子たちがエモっちゃった風味な感じ。いや、じっさいに本人たちがそれらバンドを好きかどうかは知らないのだけど、すくなくともラッシュからの影響はあるのだろう、と推測できる。今のヤングなリスナーは、たぶん、マーズ・ヴォルタとの相似性で測りそうな気がするサウンドだが、僕などは90年代前半にスウェーデンからデビューしたキングストン・ウォールあたりを想起した。基本的に2分から5分、最長でも8分台の楽曲における展開自体は、それほど複雑だったり難解だったりしない、その分、プレイヤビリティの高い演奏が、劇的なドラマを描き、寄り道の多い進行の整合性と強度を高めている。ときおりトリッキーなフレーズをからめながら、細かい音を刻んでゆくギター、そいつに合わせてリズムをぐわんと歪曲させるベースの低音と、微妙に狂った拍子をしっかりとキープするドラム。メインのヴォーカルはなめらかなメロディをうたうが、その裏でコーラスがわぎゃわぎゃあと騒いでいる(よくよく聴けばこちらがメインのヴォーカルかもしれない)。バレット・ジョーンズのプロデュース(ミックス)は、わりと硬質な音作りに励んでいて、それがダイナミックな勢いをいっそう際立たせているみたいだ。つうかね、いや、もう、プログレ・ハード(プログレ・メタル)ファンの皆様方におかれましては、聴いて損のしない一枚であると思う。

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2005年08月16日
 Firewood

 時間軸がぶっ飛んでる。今が2000何年だろうが俺は俺で好きなことをやらせてもらうぜ、という不敵な主張のようでもある。スウェーデン出身の4人組WITHCRAFTのセカンド・アルバム『FIREWOOD』は、もはやストーナーだとかドゥームだとかの域を逸脱した、タイム・スリッピンなオールド・スクールのハード・ロックなのであった。いやいや、デビュー作もたしかにレトロスペクティヴな印象が強く、眩暈がする思いであったが、これは、なんていうか、タガの外れたレベルで70年代フレイヴァーがふりかけまくられている。だいたい暗いとか(いや暗いのだけれども)、重たいとか(いや重たくもあるのだけれども)、そういった感想よりもまず、古くせえの一言を発したくなってしまう。ブラック・サバスとキャプテン・ビヨンドをミックスしたかのような、宇宙空間の歪みがなぜか霧のかかった深い森と繋がっている錯覚、そのような意味で、今この時代に聴くべき指数はゼロなのだが、それでも惹きつけられるのは、サウンド自体のスペックが高いからだろう。あえてシンプルなプロダクションでもって、どよーんとしたウェーヴを発する5曲目のあと、そのシンプルなプロダクションを生かしたまま、鬱蒼とした空気を晴らす疾風の勢いで、アコースティック調の軽快なインスト・ナンバーがいきなり飛び出してくるあたりに、音楽的な教養の深さを感じる。そういえば、僕は70年代のことなんて、ぜんぜん知らないじゃないか、記憶にない。それでも懐古的な風情と思えるのは、ある種のイマジネーションが渦巻いているからなのかもしれない。
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2005年08月12日
 The Difference Between Houses and Homes: Lost Songs and Loose Ends 1995-2001

 カーシヴの魅力はやっぱり、そのどこかイモくさい佇まいではないかな、と思う。いかにもポスト・ハードコア的な屈折したソング・ライティングながら、アーバン・ライフにおける抽象的な孤独に彩られた美しさではなくて、地方都市における閉塞感が、ぐわんぐわんと落ち着かない揺らぎとして、ダイレクトに、音へと反映されている。03年のアルバム『アグリー・オルガン』では、チェロ奏者を加え、静寂のなかに響く優雅な一面も垣間見せたが、基本線は、ギザギザハートを代弁する強硬な不協和音であった。さて。本作『ザ・ディファレンス・ビトウィーン・ハウズィズ・アンド・ホームズ(ロスト・ソングス・アンド・ルース・エンズ 1995-2001)』は、その副題どおり、『アグリー・オルガン』以前の貴重なトラックを収録したコンピレーションである。サウンドの造形は、『アグリー・オルガン』よりも、ずいぶんと荒々しい、アグレッシヴな感触を湛えているが、ださいほどにナイーヴな心情がポップなメロディにくるまれている様は、10年前にバンドが結成されてから今に至るまで不変であったことに、気づく。純朴さが裏切られたときに上がる叫び声のような、痛々しいギターのノイズが響いている。

 サイド・プロジェクトであるグッドライフ『アルバム・オブ・ザ・イヤー』についての文章→こちら
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2005年08月11日
 コールドプレイ6→7位。フォール・アウト・ボーイ16→19位。フーファイ14→20位。お、EMERYが45位に入ってる。EMERYの新作どうでしたか? 僕は、えーっと、ごにょごにょ。まあ、売れそうといえば、売れそうではあるか。ブラインドサイドが89位。これはスウェーデンのほうですか、って、もうアメリカのほうはいないんだっけ。
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 All's Well That Ends Well

 スクリーモだとかいったって、そんなものは所詮トレンドと同義なのであって、聴いたってもうびっくりすることはないのだけど、ああ、これ、CHIODOSというバンドの『ALL'S WELL THAT ENDS WELL』には、ちょっと、びびった。一言でいってしまえば、スクリーモ版サヴァタージではないだろうか。サヴァタージ? サヴァタージといったって、ヘヴィ・メタルに関心のない人にはわかりづらいと思うが、いや、逆にメタルの素養がない聴き手には、それほど響かないサウンドかもしれない。ヴォーカルは、メロディや声質の具合からいって、じつにサーズデイ以降な感じなのだけれども、仰々しい世界観の構築に精を傾けたかのようなバックの演奏に身悶える。曲展開、そしてギターやドラムの鳴りは、メタリックな美意識に支えられているが、いわゆるヌー・メタルやモダンなヘヴィ・ロックが腑抜けに思えるほどに、腰が入っている。インスピレーションはメロディック・デスなのだろうけど、それを巧い具合に咀嚼し、ポスト・ハードコア的なテンションと、高次のレベルで融合させている。さらにいえばキーボード(ピアノ)である。ときに跳ねるように、ときに厳かに鳴る鍵盤が、効果的に、印象的に、随所に挿入されており、それぞれの楽曲に、深い余韻を添える。エモーションがどうとかいった議論はどうでもよくなる、そう、これはエモーショナルではなくてドラマティカル、感情のシェルターじゃない、すべてを押しやる激流、劇的に盛り上がる一場面一場面、それが絶対優位なカタルシスを生み出す。呑み込まれる。息が詰まる。圧倒される、クライマックスの連続。つうか、くそ、油断してた。してやられた。

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2005年08月10日
 The Parallel Universe Of

 近頃ずっと車を運転している最中に聴いている、HENRY FIAT'S OPEN SOREが03年に出したアルバム『THE PARALLEL UNIVERSE OF HENRY FIAT'S OPEN SORE』である。世界の終わりに向かって走っているような感じになる。リリカルな意味ではなくて、なんつうか、もっとこう、フィジカルな意味合いで。クラッシュは死の別称である、という具合に。正直なところ、このバンドを知ったのは最近のことなので、エラそうなことは言えないのだけれども、はじめて聴いたとき、そのハードコアにロックするハイ・スピードなサウンドに脊髄が、軋んだ。メンバー4人がミイラ男状の覆面を被ったスーツ姿というルックスに、ふざけた、どうもマジに取りあえない印象を持っていたのだけれども、いやいや、そんなことはなかった。ヌルい気配がしない。油断すると、逆にとって喰われそうな、鋭い轟音なのであった。雰囲気としては、ジークやドワーブスあたりに近しい。スウェーデン出身のアーティストだが、他の北欧ガレージ勢よりも、ずいぶんと凶暴な性格が前に出ている。1分前後で完結するナンバーを、アルバム1枚あたり20数曲収録するというアイディアは、見え透いている、でも、それがはったりではなくて、真剣勝負の勢いであることは、ヴァリエーションは少なめながらも、それぞれ差別化の図られたリフやフレーズのパターンから、伺い知れる。本作はフル・アルバムとして2枚目にあたるが、これ以前の作品、デビュー作『IDIOTIA HYPERACTIVA』やシングル・コンピ『ADULTERER ORIENTED ROCK』に比べると、整合性が格段にアップしている。音質も向上し、楽曲の輪郭がはっきりと掴める、かなり聴き易くなった。とはいえ、ダーティでエゲつないノリは、殺されていない。むしゃくしゃしてるのであんたをグーでぶん殴ろう、などと、そういった気分を、無茶苦茶ではない、正論のように納得させる力を持っている。なかでも15曲目「I DUNNO」が、すげえ、かっこいい、燃える。踊るようなラインをはじくベース、跳ねるリズムをキープするドラム、扇情的に忙しなく響くギターにあわせて、濁った声のヴォーカルは「知ったこっちゃねえよ」と叫ぶ。ジャストだ。

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2005年08月09日
 もともとは01年にDUSTBALL名義で活動を開始したイギリスの4人組が、DIVE DIVEにバンド名をチェンジしての初のアルバムが、本作『TILTING AT WINDMILLS』である。サウンドの基本線は、ポップでキャッチーでノイジーでパンキッシュという、じつにオーソドックスな90年代以降の英ハード・サウンドをやっている。ヘヴィ・メタルやハード・ロックの素養は皆無に近く、いかにもインディな質感が前面に出ているのが特色だろう。グランジを思わせるタッチもある。個人的にはセンスレス・シングスやベイビー・ケイオスを思い出したが、ニュアンスとしてはシーフードあたりのほうが近しい。ディストーションが、ぎゅわあああんと騒ぐ、その瞬間が、まるで青い光線となって、若さを照らし出している感じだ。ソング・ライティングの面においては、まだまだ未成熟さが目立つけれども、それを補って余りある勢いに、ひとまず胸を打たれていたい。

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 Jesus Chryst

 『クロスビート』の先月号(先々月号というのかな)で行川和彦が、『ミュージック・マガジン』の今月号(先月号というのかな)で大鷹俊一が、それぞれ褒めていたので、聴いた。なるほど、あはは、こりゃあひどいや、いい意味で。一言でいえば、ジャンクである、トラッシュである、いずれにせよ、ゴミである。それ以上の言葉は必要ないというか、それ以上の言葉を付与すれば、このTHE PEPPERMINTSというバンドの本質から、むしろ離れていってしまう感じがする。90年代頃のバットホール・サーファーズが、ものすごく手抜きでプレイしている、というのが、いちばん近い印象かな。カタルシスがあるのかないのかわからない、そういったギリギリのラインに沿って、へろへろでぐしゃぐしゃな音像が成立している。不真面目なトーンで、アメリカン・オルタナティヴのシリアスではなくて、とにかく安っぽいところを、露悪的に体現したサウンドには、たしかに興味が引かれる。たぶん、ものすごく性格の悪い人たちだと思う。
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 If You Ain't Got a Weapon... You'll Never Get a Say

 本作『IF YOU AIN'T GOT WEAPON…YOU'LL NEVER GET A SAY』は、イギリスの4人組であるスリー・カラーズ・レッド(3 COLOURS RED)の、メジャー時代におけるベスト盤的かつ未発表曲集的な、2枚組アンソロジー・アルバムである。90年代の末にいったん解散してしまったバンドは、メンバーを違え、再結成し、昨年サード作にあたる『THE UNION OF THE SOUL』を発表したが、その内容はややどんより指数が高すぎた、全体的にミドル・テンポで統一され、爽快な箇所の少なさは、すこし退屈に似ていた。こうして、それ以前の音源を聴くと、なおのこと、そう思う。

 基本線は、疾走型のパンキッシュなサウンドである。が、同時期であったり同世代であったりするアメリカの、いわゆるメロコア(ポップ・パンク)勢が、どちらかといえば陽性な雰囲気を含んでいたのに対して、海を越えた場所でグランジのネガティヴさを引き継いだかのような、陰性のアグレッシヴさを発していた。FIERCE PANDAレーベルから96年に出たデビュー・シングル「ディス・イズ・マイ・ハリウッド」なんて、アメリカへの屈折した憧憬がそのまま、ジャケットの墓場の写真に映し出されている。と、資料代わりにブックレットをちらちらと見ながら、これを書いているのだが、そういえばデビュー当初は、英『メロディ・メイカー』誌や英『ケラング!』の表紙を飾ったりもするなど、期待の新星だったのだ。アラン・マッギーのクリエイション・レーベルがハード系のアーティストと契約したというトピックにも後押しされていた。メンバーにしたって、元ダイヤモンド・ヘッド(サポートに近いかたちだけど)や元センスレス・シングス、そしてワイルドハーツのベースの弟が在籍といった、クラスとしてはミニ・サイズだが、スーパー・グループとしての要因も孕んでいた。

 ただやっぱり、サウンドそれ自体は幅広というわけではないので、なかなか広域に支持されるとまではいかず、伸び悩みはあった感じはする。とはいえ、99年のシングル「ビューティフル・デイ」が英チャートの上位に入り、ヒットとなり、それなりの成功を収め、ほぼ同期であるA(エー)やフィーダーよりも頭ひとつ抜けたところに出る。が、そのふたつのバンドが現在も活動を続けていることを考えるのであれば、ともすると急ぎすぎたのかな。現時点から振り返れば、結局のところバラードが売れた、っていう寂しい事実が残っただけじゃん、みたいな、そういう。一部にはワイルドハーツのフォロワーみたいな見方もあったので、それがバイアスとなっていた可能性もある。じっさいファースト・アルバム『ピュア』にあった、ヘヴィネスとポップさとパンキッシュがぶつかりあう、そういった力強いエネルギーの回転は、セカンド・アルバム『リヴォルト』においては、ワン・アクセント程度にしか機能していなかった。

 でも『リヴォルト』には、バンドの貪欲な姿勢が、よく現れてはいた。リ・リリースされたシングル「ディス・イズ・マイ・ハリウッド」のB面で、アイス-Tによるリミックスを収録したり、また一方でメンバー自身は、スウェディッシュ・ポップ・パンクであるワナダイズのシングルのリミックスを担当したり、と、そうした周囲の状況への関わりが、自分たちの作品の方へとちゃんとフィードバックされている。『リヴォルト』からのファースト・シングルであった「パラライズ」からは、なるほど、ヒップ・ホップ的なフレイヴァーが感じ取れるし、それがポップなメロディと巧い具合に調和している。アルバムは、プロデュースがデイヴ・エリンガ、ミックスはクリス・シェルダン(シェルドン)という、英ハード・サウンド界における最高のバック・アップによって制作された。が、しかし、それでも、どこか目指す場所を失ってしまったかのような散漫さに支配されていた。それというのは、もしかするとバンドの抱えていた「自分は自分、だけど自分っていったい何」というジレンマが、なんの抑制もなしに表出された結果だったのかもしれない。

 と、思わずヒストリーを、つらつら述べてしまったが、それほどに濃密な時間が、ここには詰め込まれているのだった。

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2005年08月08日
 何はともあれパワー・バラード調の6曲目「素晴らしき世界」が珠玉とでも評すべきナンバーで、それが含まれている段階で、このアルバムには十分な存在価値がある。切々としたワン・フレーズを交代でうたいあげるメンバーたち、バックで鳴るギターのリフはあんがい鋭い、コーラスで重なる声、電車に乗って君からだんだんと遠く離れてゆく僕の心情、それでもやがて君へと近づいてゆく予感の心象、メロディの澄み渡る場所で反照するドスのきいたラップ、泣き笑いで過ぎる青春のエモーションが、いま前向きな姿形を成り立たせてくれているみたいだ。悩ましい。間違いなく、嵐というグループの、新しい代表曲だろう。というか、なぜこれをシングルとして切らないのだ。と、しかし、アルバム全体を測るのであれば、残念ながら、すこし食い足りない。前々作からの傾向ではあるけれども、櫻井くんのラップ・パートがずいぶんと差し引かれているせいだ。たとえばTOKIOが、あくまでもバンド編成であるという体裁でもって、他のジャニーズ系グループとの差別化に成功しているのと同様、嵐の場合は、櫻井くんのラップこそが、独特なフックなのである。SMAPやKinki Kidsほどに、起用されるソング・ライティング・チームが豪華ではない以上、グループの地力で勝負しなくてはならない場合、櫻井くんのラップが減少しているのは、やはり痛い。また今作には、嵐としては初となるメンバー5人のソロ・ナンバーが収録されている。のだが、いかにもジャニーズ・テイストなアイドル歌謡にとどまっており、メンバーそれぞれの個性が活かされているとは言い難い。僕の大好きな二宮くんなどは、その歌唱力のなさが、モロに出てしまっているのが、残念な感じになっている。でも、最後にもう一度いうけれども、「素晴らしき世界」は、とてもとても素敵すぎる、突出している。聴けば聴くだけ、まだまだ頑張れそうな気になった。

 『いざッ、NOW』についての文章→こちら
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2005年08月05日
 あまり観に行ったライヴに関しては書かないブログなのだけれども(過去ログみたらSUM41のライヴしか書いてないや)、ビリー・コーガンは、僕のなかでは別格一位のアーティストなので、ゆうべSHIBUYA-AXで体験した感じについては記録しておきたいモチベーションになった。

 オープニング・アクトのシロップ16gの不機嫌そうなエモーションと佇まいは、ちょっと僕にはトゥー・マッチだったかな。その演奏が終わると、スタッフがセッティングにとりかかる。ステージの上に用意されたのは、シルバーの装飾が施された2台のキーボードだかシークエンサーだかサンプラーの類と、エレクトリック・ドラム(っていうのかな。正式名称知らない。バスドラがなくて、パッドを叩くとデジタルな打音が出る)だった。その時点で、ロック(バンド)っぽいスタイルではなくて、アルバム『ザ・フューチャー・エンブレイス』の内容に忠実な、電子音の飛び交う様子で演奏が行われることがわかる。舞台の後方には黒い幕が垂れ下がっている。

 続きを読む:ビリー・コーガン ライヴ・アット・SHIBUYA-AX 8月4日
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2005年08月03日
 インミー(INME)2年ぶりのセカンド作『ホワイト・バタフライ』は、一言でいえば、90年代型オルタナ・ヘヴィ・ロックなサウンドである。ニッケルバックとか、あそこらへんのバンドと類似した感触を持っている。デビュー・アルバムの、溌剌なUKハード・サウンドに塗されていたグランジ・フレイヴァーが、洗練されて、こうなったといったところだろう。ヴォーカルの声質の問題か、それともイギリスのアーティストということもあるのだろうか、ときおりブッシュを思い起こさせたりもする。とはいえ、オリジナリティ云々を抜きにすれば、ひじょうに真摯な音の響きを聴かせる。存外な力作になっている。ひとつには、エモっぽいメロディがゼロだというのが、大きい。いま現在、同世代ないし同時代なりの、共時性を優先させるのであれば、エモっぽいメロディを導入するのが、てっとり早いと思うのだが、このバンドの場合、そういった手抜きや、批評性のない鈍感な創作は行っていない。要するに、他人は他人、自分は自分といった、厳選な線引きが出来ているということだ。たかだかその程度のことが、隙のないソング・ライティングへと結びついている。ミドル・テンポのナンバーが中心となった作品ではあるけれども、ところどころに設けられたフックが、よく効いている。それとギター、全編というわけではないのだが、4曲目「アザーサイド」あたりに顕著な、ワン・ポイントとして弾きまくられるギターのフレーズが、いちいち格好いい。メガデスの『ユースアネイジア』などに通じる、緊張感と構築性の融和だと思う。
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2005年08月01日
 Lightworker

 個人的には、FEARLESSレーベルというと、どうもアット・ザ・ドライヴ・インが思い出されるが、YESTERDAYS RISINGの場合、ポスト・パンク的なアプローチではなくて、そういったアプローチ自体が定型化(様式化)されてからのサウンド、つまりエモあるいはスクリーモ的なものをやっている。『LIGHTWORKER』は、そんな彼らのデビュー・アルバムである。EPの時点では、過剰なまでに盛り込まれたメタリックな要素、しかし、それはたぶんヘヴィ・メタル・キッズの心意気とかとは異なるのだろう、音響の機能的な流用が、ひとかどのフックになっていたのだが、こうしてフル作を通して聴くと、それはそれで、ずいぶんと凡庸なアプローチのように感じられてしまうのだった。楽曲自体はよく出来ているのだけれども、なんだろう、ときめかない。それはもしかしたら、コーラスでメロディをうたうヴォーカルが、僕には、はからずも15年ぐらい前のB級ジャーマン・メタルみたいに、聴こえるからなのかもしれない。
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2005年07月31日
 『A DAYDREAM DISASTER』は、これまでにFORDIRELIFESAKEが、EPや他バンドとのスプリットという形で発表したナンバーを、ひとまとめにした作品である。00年から03年までに作られた楽曲が揃っている。パッケージに貼られたシールには「マイ・ケミカル・ロマンスやサーズデイ、アトレイユのファン向け」みたいなことが英語で書かれているのだけれども、アトレイユはなんとなくわかる気もするのだが、マイ・ケミカル・ロマンスやサーズデイしか聴かないような人たちには、これはちょっとメタルすぎるというか、あるいはハードコアすぎるのではないだろうか。いや、そんなこともないのかな。どうだろう。とりあえずエモやスクリーモを、ひとつ、狭義のジャンルとしてみた場合、このアルバムに収められた音源はどれも、エクストリームなものとして、そこからはみ出してしまっている。というか、だいたいデス・メタル的なスクリームしかしてないよ、ヴォーカル。そう、叙情的なメロディはふんだんに感じとれるのだけれども、それを楽曲にもたらしているのは、おもにギターの旋律である。またドラムの音触りなどは、あきらかにニュースクールのハードコアに拠ったものだ。僕などは、そのへんがものすごく格好よく思えるのだが、そうした部分は、それこそエモやスクリーモの定型的なエモーションに感化されたいタイプの聴き手には、向いてない気がする。こういった編集盤は、往々にして、全体のレベルがアンバランスであったりして、こちらの集中力を欠かせる傾向があるものだけれども、これに関しては、そういう残念なところがない。ウボオォォォってな具合の、荒々しくも直線的なエネルギーが、ぜんぶの進行を占めているからだろう。その分、04年の『DANCE.PRETEND.FORGET.DEFEND』にあった変態的な感性は、まだ完全には萌芽していない印象だ。
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 Tom Tom Bullet

 フィンランドのトリオSWEATMASTER(スウェットマスター)は、いわゆる北欧ガレージの文脈に落とし込めるサウンドをやっていると思うのだけれども、通り一遍に収まらない、どころか鼓膜が感じ取るインパクトは、けっこう独特な風である。爆音をブオオオと響かせるのではなく、かといって最近のヘラコプターズのように黄昏れた哀愁路線でもない。一言でいえばソウルフル、ずいぶんとコシがある。漠としたイメージになるが、ややテンポを落としたハイヴスのナンバーにリーフのヴォーカルが載っている、そんなところではないだろうか。ちょっと違うかな。あ、そっか、パンクやハードコアの気配があまりしないんだ。とにかく最大のポイントは、太いラインを巧みに発声する歌唱であり、その歌唱を支援するかのような、絶妙のコンビネーションを聴かせる演奏だろう。ギターとベースとドラム(ときに鍵盤の響きが混ざる)が、阿吽の呼吸で、はっきりとした一音一音を繋ぐ、繊細にではなく、盛大に。その上に喉を震わせるヴォーカルが、男くさい、汗のにおい立つ、熱気を被せてゆく。一聴、楽曲のヴァリエーションにそれほどの幅はないように感じられるが、いや、そうじゃない、たとえばひとつのパターンの繰り返しでもAC/DCのナンバーが単調ではないのと同じで、むしろ通好みなレベルでソング・ライティングの使い分けが行われている。飽きが来ない。本作『TOM TOM BULLET』は、02年のデビュー作『SHARP CUT』に続く、セカンド・アルバムになる。基本線に変更点はない。だが、リフにいくつか新しい展開が加えられている。そのため、奥行きに拡がりが出た。ほとんどの曲が2〜3分程度で決着がつく、全体を通しても30分に満たないランニング・タイムなのだが、かなりのヴォリュームを覚える、口当たりは軽やかなのに、じつは味の濃い、密なロックン・ロールが披露されている。深く。はまる。いいね。
 
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2005年07月29日
 glitt.jpg

 GLITTERATI(グリッタラティ)の存在自体は、ダークネス以降のブリティッシュ・ハード・ロックの線で括れちゃうと思うんだけれども、サウンドの感触としては、バックチェリーとかニュー・アメリカン・シェイムとかアメリカン・パールとか、あのへんのヘヴィさをも捉まえたワイルドでタフなバッド・ボーイズ・テイストを過分に含んでいる。また一方で、テラーヴィジョンやベイビー・ケイオスを彷彿とさせる、90年代英ハード・サウンドの直系であるような、ウェットながらも爽快でスウィートなメロディを駆使した、ポップ・センスが、端々でビシバシと炸裂しているのも、楽しい。デビュー・フル作にあたる、この『THE GLITTERATI』のプロデューサーは、マイク・クリンクである。音の出方やフレーズの組み立て方に、ガンズ期におけるスラッシュからの影響を匂わせるギターとの相性が抜群に、いい。2本のリフが交錯する様はじつに艶めかしい。リズムもかっちり決まっている。音の荒々しさや生々しさ、迫力や攻撃力でいえば、アラン・マッギーのポップトーンズから出てたシングルのヴァージョンの方が断然上だが、楽曲の輪郭にある程度の整合性がもたらせられたことで、ラジオ・フレンドリーな戦場においても、幅広い層にアピールしうる、そういうメジャー感とキャッチーさが生まれた。そのあたり、どっちが良かったかという評価は一概にはできないけれども、アーティスト側のやる気が「売る」方に向いているのは、こういったグラム要素の強いバンドの場合、むしろプラス作用として働くのではないだろうか。下品かつ貪欲そうなイメージが、良い意味で、全体のトーンに反映されているのだった。クールな苦笑いよりも、ホットな大笑いが似合う、賑々しい格好良さである。いや、これは是非とも『BURRN!』誌などに相当な勢いでプッシュしていただきたい、胸のすく猛烈ルーキーの登場だ。

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら(じゃじゃーんと音出ます)
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 みんなフジロック行ってんのか。そっか。いや、悔しがったら負けだ(挨拶)。えーっと、コールドプレイは4位キープ。ゴリラズ14位→9位。フーファイ11位→10位。オール・アメリカン・リジェクツ6位→22位。システム・オブ・ア・ダウン19→23位。気になるのは、マイ・ケミカル・ロマンスとパパ・ローチが50位前後の位置をずうっとキープしていることで、この調子だと、次のアルバムも初動はかなりいきそうだ。
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2005年07月24日
 Spread Eagle

 ウダウダと悩む自意識が面倒くさいんだ、女々しい自分なんて死ね、と願うようなときには、ピーター・パン・スピードロック(PETER PAN SPEEDROCK)を聴くと良い、と思うよ。『SPREAD EAGLE』は、オランダ出身のトリオによる、オリジナル・アルバムとしてはピーター・パン(PETER PAN)時代を含めて(たぶん)6作目にあたる作品だけれども、モーターヘッド型の豪快なロックン・ロールは相変わらずである、翳りがない。が、しかし、いや、そのキャリアにともない、重厚感と安定感がアップした、そのためだろう、以前にも増してモーターヘッド度が進行して聴こえたりもするのだが、男気を感じさせる熱量とスピードにかけるガッツの在り方は、アメリカのジークやスウェーデンのパフボールと並び、褒め称えるに値するものだ。レコーディングは、スウェーデンのサンライト・スタジオで、トーマス・スコグスバーグによるプロデュースのもと、行われている。そうして出来上がったサウンドは、よい意味で、柔なところがない。足のくさそうな、ハード・ロッキンで、骨太の轟音である。ドラムとベースとギターが、かたく激しくぶつかり合う。ゴオと吹き荒れる風。すべてが、生き様のまっすぐな燃焼によって、放出されている。あつい。

 ジーク(ZEKE)とのスプリット盤については→こちら
 バンドのオフィシャル・サイト→こちら(はげしく音でます)
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2005年07月23日
 Headlines [EP]

 ブラッド・ブラザーズの、ヴォーカルの人とドラムの人によるサイド・プロジェクトNEON BLONDE、のデビューEPで、サウンドの基本線は、80年代ニュー・ウェイヴ趣味も感じられる、打ち込み主体のポップなものなのだけれども、きゃんきゃんと耳に障る甲高い叫びはそのままブラッド・ブラザーズといった感じであり、そのあたりに、ある種のキワモノさというか、畸形なテイストというか、尖った質の方向性が見て取れる。が、大旨は、アグレッシヴさやアドレナリンのサージとは無縁な、ゆるやかに体を縦横に揺らすような、そういう音世界になっている。表題曲のリミックスを含め、ここに収められた4曲を聴く限りでは、今後リリースされる予定のアルバムに関しては、期待が5、不安が5ってな具合で、大雑把に進行するムードはけっこう良いのだけれども、バック・トラックのつくりがわりと単調に思え、アルバム1枚を飽きさせず、これで引っ張っていけるのかな、といったところだろう。もしかすると色彩が、すこし足りないんだ。
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2005年07月21日
 コールドプレイは4位ということで、これまでの流れはつまり、こういうことだ。1→1→1→3→3→4。でもって、オール・アメリカン・リジェクトが6位にイン、へえ、このバンドそんなに支持されてんだ。あとはどうでもよろしい。いや、89位にオルタナ・カントリーの雄、サン・ヴォルトが入ってた。それから気づいてなかったけれども、ナインインチはゴールド突破してたのか。
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2005年07月20日
 この『SOUNDS LIKE A SANDWICH』は、ノルウェーのガレージィなロックン・ロール・バンドであるカトー・サルサ・エクスペリエンスと、THE THING WITH JOE MACPHEEとのコラボレート的内容のライヴEPで、カトー・サルサのナンバーはもちろん、レッド・ツェッペリンやヤー・ヤー・ヤーズのカヴァーなんかをやってる。THE THING WITH JOE MACPHEEという人たちのことは知らなかったので、調べてみたら、どうやらフリー・ジャズのアーティストであるようだった。クレジットを見てみれば、なるほど、昨年のKONGSTON JAZZFESTIVALなる場に出演したときの模様が収録されているのであった。だからか、吹き荒ぶサックスが異様にかっこよく、それぞれダブルになっているドラムとベースによって、ものすごく濃厚なグルーヴが達成されている。ゼップの「ホール・ロッタ・ラヴ」などは、聴いていて、ひさびさに其奮した。原曲に忠実ではあるのだけれども、極度に圧縮されたエネルギーが、ステキ音空間を作り出している、ぐらぐらと地盤が揺れるような錯覚に眩暈、圧倒される。反面、ヤー・ヤー・ヤーズ「アート・スター」に関しては、オリジナルとは完全に別物というか、リズムの進行はなぞらえているのだが、パンキッシュな炸裂が起るコーラス部分は、サックスの、じつにアヴァンギャルドな響きに置き換えられていて、もしかするとオリジナルを超えそうな勢いで、アドレナリンを誘発してくるみたいだ。カトー・サルサの楽曲についても、本来の軽妙な疾走感とソウルフルな感触が、混沌に次ぐ混沌のなかに投入され、もともとのスタイルとは決定的に異なる色の映え方を見せる。たぶん、これ、フリー・ジャズ系の作品として消費されるのが正しいのだろうけれども、ぜんぜんロックしている。そうして僕は、過度なほどの刺激に身悶えるのだった。
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2005年07月19日
 Erase All Names and Likeness

 アンチ秩序のギター・ノイズ、TRANSISTOR TRANSISTORのアルバム(フル作としてはファーストになるのかな)は、やはり、ナイスでデストロイな騒音のロックン・ロールなのであった。メンバーには元ORCHIDそしてBUCKET FULL OF TEETHの人がいて、この作品のプロデューサーは、年間何本ぐらいプロデュースやってんだろこの人、のカート・バーロウ(コンヴァージ)である。が、サウンドのほうは、カオティックというのとはちょっと違っている、どちらかといえばジャンクというのが相応しい、そういう不定型なエネルギーが、ある一定の方向にむかい、どこかだらしなく、しかし、そのルーズな様子がまさにイメージどおりであるような整合性と、確信に裏打ちされた強靭さでもって、激しく鳴り響いている。醍醐味は、メンバー4人が、せーの、の勢いで、ぎゃぎゃーん、と打ち出す、ダイナミックな音圧である。とはいえ、馬鹿の力押しみたいな感じはぜんぜんしなくて、綻びのないリフや、かっちりと決まったリズムに、知性の表出さえ伺える。アルバム全体のイントロである1曲目などは、キング・クリムゾンのポスト・ハードコア的解釈みたいだし、「パワー・コード・アカデミー(POWER CHORD ACADEMY)」という素敵なタイトルを持つ4曲目では、どすんどすん、とした重低音に、アンセインやヘルメットの面影が浮かぶ。トータル・バランスから見て取るに、完成度の追求ではなく、歪であったりするところが、表現それ自体の輪郭となっている、そういった内容だと思う。レベルの高い、崩れ方である。

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら 
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2005年07月17日
 3
 
 モンスター・マグネットの、ギターの人のサイド・プロジェクトとして知られるアトミック・ビッチワックス(THE ATOMIC BITCHWAX)であるが、このアルバム『3』のクレジットを見ると、彼はすでに脱退しているようだ。新しいメンバーとして、元COREの人が迎えられている。ギター・ソロなどを聴く限りでは、なかなかの腕前であり、ばっちりハマっている、メンバー・チェンジによる損傷は、ほとんどない。全体のテイストとしては、やや爽快感が増した、というかカタルシスの効能が上昇した気もするが、しかし、ずっしりと重たい、じつにストーナー的な野郎気質のロックン・ロールは、相変わらずである。ちょうどスピリチュアル・ベガーズとコロージョン・オブ・コンフォーミティの中間点に位置するような、そういう案配に仕上がっている。70年代頃のハード・ロックへの標榜が、ここでは、ディープ・パープル「メイビー・アイム・ア・レオ」のカヴァーをプレイさせているのだけれども、他のナンバーとの違和がゼロなのは、方向性が完全に定まっていることの証明だろう。トリオ編成ならではの、空気を読み合いながら、グルーヴの濃厚さを強めてゆく演奏も、格好いい。汗くささのなかにブルージーな色気が漂っている。
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 ヤング・フォー・エタニティー(初回生産限定ハッピー・プライス)

 「オー・イエイ」と「ロックン・ロール・クイーン」の2枚のシングルで披露された、切っ先の鋭いギター・ロックを聴いた時点で、これは買いだな、と思ったのだが、こうしてアルバム1枚を通すと、ずいぶんと印象が違う、個人的には、もうちょい触れるものを傷つけるような、衝動喚起能力の高いものを想定していたのだけれども、なるほど、オアシスの「スーパーソニック」がバンド結成のインスピレーションだというのはよくわかる、青く、初々しく、大らかな手つきのサウンドなのであった。グルーヴレスなクーラ・シェイカーというか、ヴァインズがもっと直線的になったというか、そんな感じだ。ときおり挿入される女の子のヴォーカルは、キュートで、しっかりと脈打つドラムが、あんがい印象深い。ただし、アコースティカルなナンバーから匂ってくるのは、引きの美学とは無縁そうな未成熟なムードだけなのであって、全体的なバランスからすると、『ヤング・フォー・エタ二ティー』というアルバム・タイトルが指し示すとおり、もしかして、若いって素晴らしい的な感動のレベルに止まる作品なのかもしれない、と思った。
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2005年07月15日
 コールドプレイが3位キープ。ここまでくると真剣にすごいと思う。Hawthorne Heightsは56位。これ、この間ひさびさに聴き直したけど、やっぱあんま感心しないなあ。日本盤出たら音楽誌はどうやってプッシュすんだろ。
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2005年07月13日
 The Comfort of Home

 これ、ルフィオ(RUFIO)の3枚目である『コンフォート・オブ・ホーム』は、間違いなく、絶品の一品である。メロディック・パンクのシーンでも、パワー・ポップのシーンでも、エモーショナル・ハードコアのシーンでも、どこでもいいが、どの領域においてもハイスコアを叩き出す、それどころかゼブラヘッドやワイルドハーツなどのファン(つまり僕なのだけれども)にも、その存在感を十二分にアピールしうる、そういう内容だと思う。ずば抜けてキャッチーで、哀愁、そしてアグレッシヴかつハードで、燃える。凡百のバンドであったならば、その1曲で、アルバム全体の方向性が決まるような、もしかするとアンセム・クラスのナンバーが粒揃っている。俗にいう「捨て曲なし」というやつだ。となれば、それは結局のところソングライティングのスキルであったりという、テクニカルな問題に回収されてしまいそうだけれども、そうはなっていない、かっちりとしたプレイながらもワン・フレーズの閃きを柔らかくはためかすギターと、コーラスのラスト・センテンスに宿るメロディの伸びを大切にうたうヴォーカルの、コンビネーションそれ自体が、エモーションの重みとなっており、聴き手の側のリアルな感情を吸い寄せる。数曲あるインストのナンバーにおいて、ヘヴィ・メタリック調に変質する演奏は、単調なリズムを拒否するアクセントとして生きる。アルデンテというか、ほど良い硬さでもって、音を調整しているジョー・バレッシのミックスも良い。どの楽曲も、基本的には「きみとぼく」をテーマにした、じつに今様の切実さを訴えかけてくるが、メロウな響きを経由しながらも、センシティヴさやナイーヴさに潰されない、前向きな姿形に着地する力強さが、最高に心地いい。傑作という言葉は軽薄すぎて、あんまし口にしないのだけれど、これに関しては満を持して言っちゃうぞ、すばらしい、傑作である。
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2005年07月11日
 We Put Scissors Where Our Mouths Are 

 てっきりブレット・トレイン・トゥ・ヴェガス(BULLET TRAIN TO VEGAS)というバンド名は、ドライヴ・ライク・ジェイフーのナンバーからとられているのだと思っていたのだけれども、日本盤のライナー・ノーツによるとそれは違うらしく、ええーうそっ、と思わず声を上げたくなるほどに、テンションの高いポスト・パンキッシュなサウンドが展開されている。プロフィールによると、なるほど、元GIVE UNTIL GONEの人たちだったのか。しかし正直なところ、03年の『PROFILE THIS』EPは、その挑戦的なタイトルとは裏腹に、騒然としているのは整然としていないだけで、どこかボヤけた内容であったわけだが、ファースト・アルバムにあたるこの『ウィ・プット・シザース・ウェア・アワー・マウス・アー』では、プロデュースとミックスをつとめたアレックス・ニューポートの、低音を膨らませながら鋭い高音を際立たせる音作りが功を奏したのか、目鼻立ちのくっきりとしたアグレッシヴさを聴かせる。激流の勢いである。とはいえ、その疾走感に誤魔化されてしまいがちだが、ギターのリフがすこし弱い。そのため、ワン・フレーズ、ワン・フレーズは、ところどころで格好良く響いているのだが、いまいち印象が薄められてしまっている。そこらへんが惜しく、オリジナリティあるぜとは言えない。が、放出される熱量に関してはオーケーとしよう。ほんとうなら、その熱量自体がオリジナリティであって欲しいところなのだけれども、いやそれは高望みだよとして、初っ端から佳作を飾るデビューである。なんだか、歯に物が詰まったような言い方になってしまっているが、まあつまり、そんな感じだ。

追記:『ロッキング・オン』9月号のインタビューによれば、やっぱりバンド名はドライヴ・ライク・ジェイフーからとったんじゃねえか。騙された。
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2005年07月09日
 ライナー・ノーツを読むと、初期レディオヘッドやミューズが引き合いに出されていて、じっさいにこの『モア・カレッジ・ザン・モスト』の音を聴いてみれば、なるほどな、と思う。ライク・イエスタデイは、テイキング・バック・サンデイと縁深い、ニューヨークの5人組であるが、ヴォーカルの在り方やメロディの立ち方には、かなりミューズに近しいものがある。もしもイギリスから登場したのであれば、フォロワーに捉えられただろう。4曲目の出だしなどはレディオヘッドっぽい。ただし、それはやっぱり潜在の領域から引っ張り出されたものではなくて、後天的なものなのではないだろうか。というのも、センシティヴさやナイーヴさを強調するあまり、ギターの響きまでもが去勢されている、というかスタティックに落ち着き過ぎている。たとえばミューズなんかは、ここ一番というところでは、ギターがぎゅわーんと鳴る。それが美しいほどの広がりへと繋がっているのだが、このバンドの場合、ベースやドラムはずいぶんとしっかりしているのだけれども、ギターの線がか弱く、そのせいでダイナミックな場面展開に物足りなさを覚える。もしかするとミックスのせいかもしれない。だとしたら、もったいない。とはいえ、演奏それ自体は、有機的な結びつきを強く感じさせ、そのあたりに生じる幽玄なグルーヴを、ひとつ魅力として受け入れることも可能だ。が、90年代後半の段階でデフトーンズなどは、レディオヘッドとかのイギリス的なものを踏まえた上で、ああいう叙情性に重たさを噛み合わせていたのだし、そうした部分が個性にまで昇華されていた。と考えるのであれば、これはちょっと日和気味かなあ。影響源と主体との間に拮抗がないというか。それは君、ジャンルとか世代的な問題だよ、といわれたら、ああ、まあそうね、といった感じ。
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2005年07月07日
 コールドプレイがようやく3位にダウン。メガデスのベストが65位にイン。それぐらい。あ、忘れてた。今週のHawthorne Heightsは59位にダウン。まだゴールドにも達してないのか。
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 bi.jpg

 で、これは『ザ・フューチャーエンブレイス』からのDVDシングルになるわけだけれども、当然のように表題曲「ウォーキング・シェイド」のヴィデオ・クリップが収録されている。それとビリー・コーガンのインタビューが4分程度。インタビューのほうは、僕は英語が堪能な子ではないので、何を言っているかよくわからないが、たぶん撮影に関することなのではないか、と。さて。クリップである。すでに観たときはあったのだけど、ゆっくりと観たときはなかった。というか、やっぱりビリー・コーガン痩せたよねえ。内容は、「アヴァ・アドア」のクリップに通じるゴシックなテイストがあるけれども、あちらがヨーロッパ風であるならば、こちらは近代イギリスを思わせる世界が、デジタルな画像処理によって、切り貼りされ、スムーズに繋がれている。ピントは基本的に、ビリー・コーガンに合わせられており、彼を中心に置いた世界が、さまざまな女性たちの訪れとともにスクロールする。天女からもらった小さな箱を鍵で開ける、そこから出てきたのは、なんだろう、心臓かな、違うか、そうしてメタ世界を自転車で駆け抜けてゆくビリー・コーガンなのであった、そんな感じ。イマジネイティヴというよりは、BGM的というか、この曲は映像をともなったほうが素敵に聴こえる。
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 ザ・フューチャー・エンブレイス

 ビリー・コーガンというアーティストに関しては、つよい感情移入をしてしまうタイプの人間である僕だけれども、彼の初ソロ・アルバム『ザ・フューチャーエンブレイス』に対しては、やや微妙なリアクションなのだった。ひさびさに全肯定できないなあ。というか、ミュージシャン側の欲望と、こちら聴き手の欲望の間にすれ違い、ギャップがあるのだろう。ズワン的なフレーズとムードとメロディを、『アドア』式の方法論(アプローチ)で組み立てたようなサウンドは、優雅に電子音が飛び交う空間を演出しているが、個人的には、すこしアンビエントすぎる、もうちょいギターの印象を大きく響き渡らせてもらいたかった。それに出来そのものについても、全体的に、やや詰めの甘さが感じられるような気がしないでもない。流れるままに、平面的に聴こえる。

 僕は、その繊細そうなイメージとは裏腹に、ビリー・コーガンという人は、コツコツと作業を積み重ねてゆくのが苦手なタイプじゃねえかしら、と睨んでいる。どっかで面倒くさくなるのではないか。そのことは、これまでのソロ・ワークス、たとえば、サウンド・エフェクトやギター・ノイズを放り出しただけみたいな内容の『身代金』サントラや、単純に楽曲を提供しただけみたいなレベルに止まる『スティグマータ』サントラなどから、推測できる。そういった杜撰さ(適当さ)をカヴァーするために、あるいはバンド編成によるダイナミックな演奏が、必要なのではないだろうか。

 とはいえ、かつて「ゴッド」という曲のなかで〈神は知っている、僕が救われえない人間だということを〉とうたった人間が、同じ人間が、このアルバムの8曲目「アイム・レディ」というナンバーで〈神よ僕はもう大丈夫、大丈夫、前進できる、旅立てる〉とうたっていることは、バイオグラフィをひとつのストーリーに見立て、眺めた場合、やや感動的なモーメントであったりもするのだが、いや、ごめん、ほんとうにすこし泣けてくるのだが、それはそれで、やや感情移入しすぎというものである。しかし、ビリー・コーガン痩せたよね。写真いじってんのかな。それと上半身の裸とか、これまであまり表に出さなかった気がするのだけど、ブックレットでは脱いでる。そこらへん、美意識というか自意識に多少の変化が、現れているのかもしれない。
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2005年07月05日
 rise.jpg

 遅ればせながらで、このバンドのことは、セカンド作に当たるのかな、この『RECLAMATION RPOCESS』というアルバムで知ったんだけれども、ちょっと調べたら、すでに解散しているんだってさ。っざけんなよっ。だから駄目だよ、こういう人たちのことは早く教えてくれないと、困る。ひさびさに自分のアンテナの低さを呪った。めちゃんこ格好よいではないか。あまりにも感銘を受けたので、前作『SIGINAL TO NOISE』も取り寄せて聴いてみたが、そちらもすげえ良かった。なによりも発想、音の組み立て方が非常に独特だ。基本線は、ストイックでファストなニュースクールのハードコアのようであるのだが、そこにエレクトリックな装飾がふんだんに混じり入っている、ピコピコいう電子音と打ち込みのリズムそしてインダストリアルがかった音響が、ストレートな勢いを削ぐのではなくて、瞬間瞬間の絶唱を、マッシヴな衝撃として増幅させている。強いていうのであれば、スナップケイスとナイン・インチ・ネイルズのコンビネーションといったところだが、ハイとローを結ぶエネルギーの回転数が、それらアーティストとは異なっている、RISE固有のものとして成り立っており、震えるほどに胸を撃つ。や、この人たちほんとうに解散したの? 前作から本作にかけてのステップ・アップぶりから推測するに、今後のキャリア次第では、途方もないレベルに到達できたのではないかと思う。すごくもったいない。出会いが遅すぎた。残念すぎる。

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら

追記:

 MTV Road Rules: Don't Make Me Pull This Thing Over, Vol. 1

 と思ったが、ほんとうはこのバンド、聴いたことがあった。02年の『MTVロード・ルールズ』というコンピレーションに1曲提供していたのだった。他のコンピでも耳にしたときがあったかもしれない。ああ、そうか。だめだな。自分のアンテナの、低さよりも、感度の悪さを省みた。
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2005年07月04日
Broken Valley

 キース・カプートが復帰しての再結成アルバムになるのかな。もともとはニューヨーク・ハードコアを出自とするバンドだが、音の感触としては、アメリカン・オルタナティヴへの傾倒をみせた97年の『ソウル・サーチング・サン』の線を引き継いでいる。いま聴くと、ひどく懐かしい感じなのだが、けっして悪くはない。楽曲はどれも良く出来ている。けれども、『ソウル・サーチング・サン』の日本盤ライナー・ノーツで大鷹俊一が、99年のキース・カプートのソロの日本盤ライナー・ノーツで宮子和真が指摘したような、ラウド・ロック・ファン以外の層へもアピールしうる拡散性は、ここではブラック・サバス風味の重たい演奏によって回収されており、そのあたりをストイックになったと捉えるか、それとも幅が狭くなったと捉えるかの判断は微妙。
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2005年07月03日
 The City Sleeps in Flames
 
 楽曲の成り立ちは、まさにサーズデイ以降というか、フォロワー的というか、ナイーヴさを強調したメロディをうたうヴォーカルが、ときおり絶叫する。ただし、ギターの響きはかなりメタリック、場合によっては、様式美的なヘヴィ・メタルのように立ち上がっており、またキーボードの効果だろう、随所にゴシックな雰囲気までまぶしてある。ここまでいったらステレオタイプの一言では済まされない、そういう構築に構築を重ねたサウンドである。そればかりか、クオリティも高く、他の同系統バンドとの差異も如実だ。この手のもののなかでは、トップ・レベルに位置するだろう。が、しかし、結局は、ソング・ライティングの腕前と、使用している音楽的マテリアルの割合(比率)の問題でしかなく、個人的には、そこだけをもって良しとするのは、志が低い気がしないでもない。まあ、すくなくともフューネラル・フォー・ア・フレンドの新作よりは、よく出来ている。スクリーモの流れを、たとえばラップ・メタルに起ったことに(厳密ではないけれど、あくまでも目安として)置き換えてみれば、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンがいて、KORNがいて、デフトーンズがいて、リンプ・ビズキットがいて、パパ・ローチがいて、リンキン・パークがいて、などという段階の、パパ・ローチかリンキン・パークのところまでいっている。今後のスタンダードになりうる可能性はある。推し方次第では、かなり売れると思う。
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2005年06月30日
 コールドプレイが1位。3週連続ですよ。フーファイが3位にダウン。オフスプのベストが8位にイン。8位か、このぐらいの注目度だと、次のアルバムとか、けっこう厳しいんじゃないかな。システム・オブ・ア・ダウンが10位キープ。ところでシステム・オブ・ア・ダウンって、みんな何て略してんだろう。SOAD、って、いや、話すとき、エスオーエーディーとか言うの? あーでもシーオーシーとかいうなあ。トランスプランツが28位。で、ビリー・コーガンが31位にインなんだけれども、この順位はあんまりだ、まあ微妙な内容であったことはたしかだが、絶対にビリーは傷ついたと思う。近いうちにレビュー書きたい。えーと、あとはドロップキック・マーフィーズ48位にイン。ナインインチが50位。今週のHawthorne Heightsは、56位。あーこりゃ間違いなくブレイクするコースだわ。つうか、うはー94位にクラッチの新譜が入ってんじゃん。すげえ、びっくりした。いよいよその認知度を高めるときがきたか。
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 Rhetoric of a Marionette [EP]

 アマゾンさんにレコメンドされ、なんとなく、『RHETORIC OF A MARIONETTE』というタイトルとBLUEPRINT CAR CRUSHというバンド名のかっこいい響きのつられるままに、購入したのだが、おお、なかなかグッドだ、これ、1年前の作品なのか。いかにもアット・ザ・ドライヴ・イン(マーズ・ヴォルタ)以降のサウンドであるけれども、類型的とは切り捨てられない呼吸の妙があり、そして、それはリズムのパターンと軽妙さに結びついている。無音の部分が息苦しく、出力される音が、それを晴らしてゆく。またハイ・ファイな感覚に流れず、やけにインディ臭いところを残しているのも、オーケーオーケーといった感じである。コープランドやロケット・サマー、ビューティフル・ミステイクなどが所属するレーベルMILITIA GROUPの所属だが、そのレーベル・メイトであるビューティフル・ミステイクの人が、2曲でスクリーム担当のゲストに参加しているのも粋といえば粋で、いっけんラフに見えながらも、じつは構成力のありそうな腕前などに、デビュー・アルバムを待つだけの価値はあるな、と思わされた。

 レーベルのサイト→こちら(エンターすると音出る)
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 ロック・ミュージックにおいては、未完成であることは、ひとつ、美点になりうる。このバンドが体現しているのは、つまり、そういうことなのだと思う。アメリカの若いアーティスト(十代後半から二十代前半)が、たとえばレディオヘッドとかのイギリスのアーティストをロール・モデルに置いたかのような創作をしているのに対して、イギリスの若いアーティスト(十代後半から二十代前半)が、たとえばソニック・ユースとかのアメリカン・オルタナティヴやニルヴァーナとかのグランジをロール・モデルに置いたかのような創作を繰り返すのは、90年代半ばからの傾向として、現在までずっと続くものであるが、イギリスはマンチェスター出身のナイン・ブラック・アルプスの場合もまた、後者の有り様に見事なほどに当てはめることができる。ささくれだったノイズ・ギターが、ぶっきらぼうに鳴らされる。コーラスの部分で、ヴォーカルは、端的なフレーズを、がなる。未整理な音というわけではないのに、整合性はなく、あちこちにある荒々しい凹凸が、フックとして機能している、辛うじて。いくばくかハイプくさいが、雰囲気はあるので、あとはソング・ライティングの(センスではなく)スキルがもうちょい、といったところか。個人的には大好物なサウンドなのだが、なんだろう、アイドルワイルドとか、シンポジウムとか、マイ・ヴィトリオールとか、ユニオン・キッドとかが出てきたときほどの興奮はなかった。
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 aaa.jpg

 UKハード・サウンドのシーンでは、もはや中堅といっても差し支えのないA(エー)であるが、4作目にあたるこの『TEEN DANCE ORDINANCE(ティーン・ダンス・オーディナンス)』は、そのキャリアをいっさい無駄にしない、懐の深さを感じさせる、万遍なくポップで騒がしい、渾身の内容となった。このバンドには独特のテンポというか「間」があるように思う。音の重たさは、あきからにアメリカのそれを意識しながらも、殺伐としたりダークに落ち込んだりがなく、だからといって、燦々と明るくカラッカラに乾くのでもない、演技過剰なエモーションを脇に除けながら、ひじょうに健康的なフィーリングでもってウェットなウェーヴを発している。その点は相変わらずである。が、しかし、テリー・デイトによるプロデュースとの相性はそれほど良くなかった気がしないでもない。ギターとドラムが全体的にガシャガシャし過ぎている風に聴こえる。作風としては、ファストにぐんぐん飛ばすというよりは、前作に収められた「ナッシング」によって発露した重厚さを、さらに拡張させたラインであるので、必然的にそうなったのだろうけれども、たしかに11曲目のような高揚感をともなうナンバーにはよく似合っているのだが、でも5曲目のようなメロウにしなるナンバーだと少しうるさく障る。そのあたりは弱点であるかもしれない。とはいえ、やっぱりAというバンドのポテンシャルは並ではない。それがよくわかるのは、過去のナンバーのフレーズを流用しながらもまったくべつの印象を浮かび上がらせる2曲目と、ラップに似せた押韻を繰り返しつつメロとエモとをコアに繋ぎ合わせる4曲目などだろう。そのあたりにおける情報処理能力は、他ではなかなかお目にかかることのない、高度なレベルのものだし、それが気取らず気張らず、あくまでも自然体で行われていることは、演奏のキレの良さから十二分に伝わってくるのであった。綻びがない。

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら(音が出ます)
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2005年06月27日
 音楽のシーンでは、00 年代に入ってから、どのようなものを指しているのか、ひじょうに曖昧な状態で一般化してしまった「エモ」という言葉だけれども、しかし、たしかに「エモ」という概念(ジャンル)それ自体は、ちゃんと存在しているような感じもする。しないかな。どうだろう。たぶん多くの人たちと同じぐらいに、僕もわかっちゃいないよ、というわけで、出来うる限り、大まかな見取り図を描けないものか、と思ったのだった。

 続きを読む 「emoについて僕が言えるすこしのこと」
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2005年06月24日
 コールドプレイが1位キープ。2位にフーファイがイン。10位にシステム・オブ・ア・ダウン、11位にホワイト・ストライプス、15位にオーディオスレイヴがそれぞれダウン。まあどうでもいいな、と思ってみてたら、29位にスタティックXが、35位にアズ・アイ・レイ・ダイングが入ってる。で、フィンチが2週目で100位にまでダウンしてるのは、アルバム自体の成果というよりは、ツアーとか前作の余韻で売れたってことなのかな。あと、Hawthorne Heightsが62位にまで上昇してるけれど、次にブレイクするのはこのバンドあたりになるのだろう。
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2005年06月21日
 rentokiller.jpg

 なんだよ。ちくしょう。こういうバンドのことはもっと早く教えてくれよ。と、誰彼かまわず、声のヴォリュームを上げそうになった。たとえば、100点満点中70か80点オーヴァーならば良しとしようオーケーオーケー、ってな具合に、誤魔化し誤魔化し過ごすのは、世界に絶望しないための処世術なわけだが、しかし、そういったことが途端に馬鹿らしくなるぐらい、ジャスト一直線な内容で、ごめん、自分を甘やかすのはもう止めにしよう、それはいろいろなデタラメを許すことだから、と思わされた。

 これ、RENTOKILLERの『CADEVERI ECCELENTE』を、もしも一言で表すのであれば、コンヴァージに対するスウェーデンからの返答といった具合になるのではないかしら。××に対する××からの返答というのはものすごく紋切り型の評価だけれども、いやいや、べつの言い方をできないのはむしろ僕の力不足で、けっしてフォロワーのレベルに終わっていない。突き抜けている。振り切れている。振り切れた先に、裂け目があって、そこからは熱風が吹いている。聴き手を常温に停滞させない、激しい息吹だ。

 またスウェーデンのハードコア(ポスト・ハードコア)といえば、なによりもまずリフューズドの名前が挙げられるが、あれをさらにヘヴィにアグレッシヴに、そしてコンパクトにした、というような印象も浮かぶ。というか、とにかくもう瞬発力の部分に手加減がない。おそらく重要なのは、スタイルの維持ではなくて、そこに傾けるエネルギーのほうなのである。質量と熱量と衝動を、どれだけ一点に集中させられるか。そうしてアルバム中、もっともバンドの本領が発揮されているのは、7曲目になるのだろう。

 ざっくばらんなリズムによって奏でられるイントロ。それが途切れると、円を描くようなグルーヴが生まれる。一音一音の切っ先は、鋭い。ギターは1本だが、色づかいは多彩であり、ベースの強い圧にコーティングされながら、無呼吸のテンポでハイからローのイントネーションを繋げる。とくに中盤で、それまでとは違う縦運動のリフが刻まれるとき、アドレナリンがわっと騒ぎ出したのは自分でもびっくりした。だいたい、それについてゆくドラムだって大したものである。そしてヴォーカルだ。

 はっきり言って、わーわーわーわー叫ぶばかりで、言葉の一片も聴きとることができやしない。が、しかし、なぜだろう、言わんとしていることはわかるような、濃い説得力を持っている。それはおそらく気迫の問題である。そう、こちら聴き手の調子を、完全に食っているのだ。食われているのだ。おい、おまえ、そんなんで満足なのかよ、平気なのか、くっだらねえ、ばかみたいだ、と、キリキリキリキリ詰め寄ってくる。後頭部のあたりをびしばしと容赦なく叩かれている。そんなイメージに、いつの間にか埋没しながら僕は、生きることに向ける態度というものを、深く省みる。そうだね、素知らぬふりして軽薄な怠惰だけを重ねる在り方は、ほんとうにほんとうは勘弁なのだった。

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2005年06月19日
 萎えるなあ。出来合いのエモーションをレンジでチンといった感じ。僕は、フューネラル・フォー・ア・フレンズの特性にメタリックなツイン・ギターを見ていたので、それが後退してしまったのも痛い。アコースティック・パートの音の硬さに関してしか、テリー・デイト・プロデュースの意味がねえ。後半になってやや盛り返すが、なんだろう、まるでこれがスクリーモですよっていうマニュアルどおりに音が出ている(あースクリームがないのでエモか、ちがうか、まあ、そういう今時のステレオタイプ)。ソング・ライティングの部分は向上しているけれども、もともと曲が良いというほうではないので、ようやくふつうになったといったところだ。日本盤についているメンバー自身の楽曲解説が、ジャーマン・メタルとか北欧メタルのそれを思い出させるのが哀愁。結局、様式美化しちゃったっていうのが、いちばん正しい評価なんだろうな。むーん。
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2005年06月18日
 Sing, But Keep Going

 ブックレットを見ると、むさ苦しいおっさん連中であるようなメンバー写真に、思わず鼻毛が伸びそうになる。けれども、流れてくるのは、あまりにも爽やかな爽やかなポップ・ロックなのだった。キーボードがメンバーにいるが、ピアノっぽい旋律ではなくて、ハモンド・オルガンだかメロトロンだかみたいな音がぽんぱんりろりろんと鳴る。そこらへんが、たぶんポスト・ジミー・イート・ワールド的な文脈に入れられるサウンドなのだろうけれども、他の同系統との一番の差異となっている。こういうバンドは、個性的なヴォーカルが乗っかると、一発で、抜けていきそうな気もする。が、そういったあるパートだけが飛び抜けることのない部分が、きっと目指すところなのだろう。いや、歌うまいんですけどね。で、そのヴォーカルがベースを兼ねているのが、リズムの作りに関与しているのだろう、アンサンブルは抜群で、ギター圧は強めだが、ハードさをほとんど感じることなく、逆に、滑らかで柔らかな印象だけが耳の奥に残る。また、ほとんどのナンバーが3分を越えないコンパクトさなのも強みである。繰り返しリピートしたくなる、適度に心地よい空間を作り出している。個人的に、この手のものはけっこう食傷気味になりつつあり、どれもいっしょと言いたくなるときがあるのだが、これはわりと好みかもしんない。ごちそうさま。美味しく頂きました。

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 Du & Jag Doden

 90年代半ばから活動を続けるスウェディッシュ・オルタナ・ギター・バンドの、たしか6枚目の作品になると思う。それのスウェーデン語ヴァージョン。たぶん英語ヴァージョンもそのうちリリースとなるはずである。このバンドは、1枚のアルバムにつき、スウェーデン語の国内盤と英語のワールドワイド盤の2パターンを制作するのだ。いや、しかし、美メロすぎて、身悶える。ねえ君、僕が美メロっていったら、それは、死ねるほどにビューティーだってことだよ。個人的な好みかもしれないけれども、このバンドはドラムのアタックの弱さと単調さが弱点であったように感じられたのだが、その部分が気になるよりはまず、寂しげな情景をセンシティヴに紡ぐギターと、穏やかで青い夜をイメージさせるヴォーカルに、涙腺がやられる。初期U2を思わせるところもあるが、これまでのキャリアにより実を結んだ結晶のようなキラメキが、何よりも眩い。とくにナイーヴさ全開の1曲目と7曲目がよい。有史以来、幾度となく繰返し表現されてきた感情の起伏が、瑞々しく響いている。いや、大げさじゃないんだってば。

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2005年06月17日
 THIS GIRLなんかもそうなんだけれども、イギリスのポスト・ハードコア系の、日本での認知度の低さには目を当てられないだろう。キャリアもそこそこ、確実に良いアルバムを重ねているいるのに、なんてことだ。やっぱり日本盤が出ないと駄目なのかもしれないねえ。アメリカのインディ・バンドとは、ぜったいに待遇が違う。というわけで、KIDS NEAR WATERのニュー・アルバムである。うん。相変わらず、このバンドのセンスは好きだ。たぶんイギリスのバンドだと言われなければ、誰もイギリスのバンドだとは思わないんじゃないだろうか。と、それが良いか悪いかの話になるわけだが、いやいや、ナイーヴさの発露みたいなところが十二分にイギリス的、アメリカの同系統との違いを感じる。いわゆるアメリカにおけるエモ関連のアーティストたちが、多い言葉数をメロディアスにまとめ上げるのは、あれはブルーズを起源とし、さらにはヒップホップの要素までをも含めた、黒人音楽的なもののフィードバックとなって存在するロック・ミュージックから、距離をとるために行われているというのが、僕の読みだが、それは結果として、80年代頃のポスト・パンク(ギター・ポップ)に近しいメロディを導き出している。としたときに、このバンドの、メロディの強化よりも、演奏の妙によって、楽曲を盛り立てる、という在り方は、ひじょうに逆説的で、興味深い。サウンドのスタイルとしては、ライヴァル・スクールズあたりを彷彿させるけれども、ちゃんとしたバイオグラフィを知らないのでなんともいえないが、もしかしたらライヴァル・スクールズよりも先にこれをやっていたんではないだろうか。クイックサンドやテキサス・イズ・ザ・リーズンよりは、もちろん遅いだろうけれども。たぶん80年代から90年代にかけて、ほんとうの意味で、ポスト・ハードコアだった頃のエモを標榜しながら、一音一音が紡がれている感じがする。フガジやドライヴ・ライク・ジェイフー、ジョウボックスとか、そこらへんのバンドをちゃんと通ってそうな、にわか仕込みではない、本格的とさえいえる、エモーショナルかつハードコアな骨格の強さがある。押してくる力強いグルーヴと、引き際を彩る細やかなフレーズが、こちら聴き手の胸中をざわざわとさせる。グッドだ。このアルバムがそうであるように、KIDS NEAR WATERの作品はどれもぜんぶ、ちゃんと聴くべき価値を備えている。チェックして! 見逃さないで! としか言えないけれども。
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2005年06月16日
 コールドプレイが1位。コールドプレイは最初のほうのシングル「イエロー」だけ好きかもしんない。ずいぶん前のサマー・ソニックで観たときは、こんなにビッグになるとは思わなかった。あれは会場がまだ富士急だった頃か(懐古)。ホワイト・ストライプスが3位にイン。システム・オブ・ア・ダウンは6位にダウン。オーディオスレイヴが10位にダウン。今年のワープト・ツアーのコンピが13位イン。フィンチが24位にイン。今のところスクリーモ系で最高位を記録したのは、サーズデイの7位かな、次がスライスの16位で、これはその次ぐらいかしら。あ、ユーズドとストーリー・オブ・ジ・イヤーって何位だったっけ。あんま興味ないので覚えてないや。もしかすると、そっちのが上か。というか、ドリーム・シアターが36位にいるな。そしてナインインチは38位にダウン。モーション・シティ・サウンドトラックが72位、って、これ、すっごい良かったので、もうちょい上でもいい気がするのに。あとはMxPxが77位にイン。
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 まず最初に言っておくと、アメリカの5人組です。とりあえず、そこのところだけハッキリさせておかなければなるまい。で、サウンドなんだけれども、正直目新しさはない。として、すこし気になることを書いておきたい。たとえばポップ系のエモ、たとえばメロコア(ポップ・パンク)、たとえばモダンなパワー・ポップ(例でいえば、LITとかシュガー・カルトとかアメリカン・ハイファイなど)という大まかな三項を考えた場合、それらはやっぱり出自が違うし、音の出方も違っている。けれども、ちっちゃい差異にこだわらなければ、ひとまとまりで捉えてしまっても良いような感じがする。現在では、それぞれリンクしあうところが過分にあるからだ。ただ、ほんとうは違うんだがいっしょにしちゃうのと、そもそも違いなんてないよっていうのとは、プレイする側にしても聴く側にしてもスタンスとしては、まったくべつのレベルの問題なのではないかしら、といったことをこれを聴きながら思った。このバンドは、たぶん先に挙げた三項でいえば、ギターのフレーズの組み立て方からして、モダンなパワー・ポップの系統になるのだろうけれども、本人たちがそれを自覚してやっているのかどうかが気になった。それはどういうことかといえば、他のバンドとの境界線を設けてゆくうちに、このようなサウンドになったのか、ソング・ライティング時における参照項が、このようなサウンドだったのか、さてどっちなのだろうかってなわけだ。いや、どうでもいいといえば、どうでもいい話であるし、とくに落としどころのない話なんだが、グッド・シャーロットが自分たちのことをパンクだといったりするときなんかも同じ点が引っかかったりするので、ふと。あ、このアルバムの出来自体は、まあ悪くない。でも個人的にはミドル・テンポのナンバーがどれも、バラードっぽい過剰なドラマを含んでしまっているのが、ちょっと。

 追記:あーこれ、サード・アイ・ブラインドの人のプロデュースなのか。そっちだったか。

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2005年06月14日
 The Moon Is a Dead World ←このジャケ、僕が持ってんのと違うな。

 プログレ・メタルっていう物言いがあるのならば、プログレ・コアっていうのがあったっていい。いや、じっさいにあるのかどうかは寡聞にして知らない僕なのであった。が、プログレ・メタルの最盛期というと、今から15年ぐらい前で、それはちょうどヘヴィ・メタルの過渡期と被り、細分化されたサブ・ジャンルのひとつとして現れたことを考えれば、メタル・コアやエモ、カオティックなどなどハードコアというジャンル自体がさまざまに枝分かれし、飽和状態に入った現在、前衛的な演奏形態を軸としたハードコア的サウンドを、プログレ・コアと呼んでもいいじゃん、ということである。ここでいうプログレとはクリムゾンとかイエスとかラッシュとかよりはむしろ、トゥールとかマーズ・ヴォルタとかアイシスとか、あと一部のポスト・ロックとかをプログレッシヴと評してしまう感性を指している。このバンドの場合、複雑な拍子を攻撃的に鋭く鳴らす楽曲の構成はマーズ・ヴォルタあたりを彷彿とさせるが、音響の部分ではモグワイやゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラー!を意識したかのように単音の重層的な並びを展開している。叫び散らすヴォーカルが引っ込んで聴こえるのも、そういった部分を考慮してのことだろう。スロウコアとかサッドコアっていう括りが、じつはあんまり良くわかってないのだけれども、そういうのをもっとずっと激しくスピーディーにした感じだと思う。サプライズというほどに独創的とまではいかないが、しかし、なかなかに興味深いところを突いており、ある種のワンダーは確実に宿っている。ところで、CDをI TUNESにつっこむとジャンルが「GOSPEL」ってなってんだけれども、それってインプットした人のユーモアなのかなあ。

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 Strange We Should Meet Here

 これはアイディア賞。バンドではなくて、二人組のユニット。たぶんレディオヘッドの『OKコンピューター』が原体験であるような、アメリカの若い世代なのだろう。うたわれるメロディは、今時のエモっぽい言葉数の多さを流暢なフレーズに転化したものであるけれども、バックの音は、電子音響とフォーキーなアコースティック・プレイを混在させたスタティックなものだ。でもって、なぜか中途でスクリームが炸裂する。それがアクセントになっている。コマーシャルな作りなので、本格的とはいえないが、ポスト・ハードコアとポスト・ロックの接点を、延長していったところに落ち着くサウンドである。あんがいフォレスト・フォー・ザ・トゥリーズとブライト・アイズの中間ぐらいで鳴っているという見方もできるかもしれない。終始ドリーミーな流れだが、5、6、7曲目のアップ・テンポなナンバーで、思わず覚醒する。そのあたりのポップさは、異様で、怖いぐらい。ただし、全体的な雰囲気は健全な感じなので、そこいらへんがすこし肩すかしだったりもする。まあだからアイディア賞ということで。

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 レイドバックに対する加減がなくなり、もはや現時代性とのリンクで測ることはできないけれども、しかしヘラコプターズはこれで良いのだと思う。いや、むしろ、価値観の多様化をエクスキューズに固有のスタイルを持たないバンドや、トレンドのフォロワーであること無意識的にスタイルにしてしまったアーティストが多いなかで、この潔さは、いっそ気持ちいい。前作が出てから本作が発表されるまでの間に、バンドの中心人物であるニッケ・ロイヤルは、MC5のツアーにサイド・メンバーとして参加したり、ソニックス・ランデブー・バンドのスコット・モーガンとのプロジェクト(THE SOLUTION)をこなしたり、と、ある意味では、自分のルーツそのものと同化するという幸福な経験を得たわけで、そういったことを踏まえるのであれば、以前にも増して本格的になったとさえいえる。つうか、とにかくもう、ワン・フレーズ、ワン・フレーズがシンプルに洗練され、力を持ち、素直に格好よく、燃える。『ロックン・ロール・イズ・デッド』というアルバム・タイトルや頭1曲目のイントロなど、あまりにもロックン・ロール然としたクリシェにしか過ぎないが、いやいや、けっして白けない。それはやはり、ひとつひとつの音が、その出方からして説得力を持ったものになっているからだろう。すべてが借り物ではなくて、すでに血肉のレベルとなった場所から発せられているのだ。つまり自然体だからこそ為しうる、説き伏せる、表現としてのパワーが備わっている。前作と比較すると、黄昏の度合い、メランコリックな部分はそのままだが、ややウェットさが抜け、爽快感が増している。また4分を最長に、どの楽曲もコンパクトにまとまっているのがよろしい。初期の暴走ガレージ風味を求めるファンがまだ残っているのかどうか知らないけれども、これはこれで、ロックン・ロールの極め道だろう。このままその真髄に、ずいずいと迫っていくべきバンドの6枚目(企画盤除く)としては、ブレもズレも間違いもないのであった。いえーいっ。

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2005年06月12日
 このバンドやQUELLなどを聴くと、アメリカにおけるエクストリームなサウンドというのは、今また新しい局面に差し掛かっているな、と感じる。すこし前には、カオティックであることももはや様式美だ、と思えたのだから、これはとても良い傾向だ。さて、THE NUMBER TWELVE LOOKS LIKE YOU、満を持してのデビュー・アルバムとなるのが、本作である。重たさはあるのだけれども、その重たさを誇張しないトリッキーな楽曲の展開には、むしろ軽やかさすら覚える。ギターは、ときおりツイン・リードっぽく、トゥルリロロ〜と流麗に鳴る、が、それは、テクニカルなだけでは表現として成り立たないよ、というアイロニーとして響く。ツインなのはギターばかりじゃない、ヴォーカルもそうで、交互に高音でわぎゃわぎゃと叫ぶそれは、ブラッド・ブラザーズあたりを彷彿とさせるけれども、不意にデス・ヴォイスでウボォーと唸る場面などあり、メロディレスの瞬発力で勝負している感じが強く出ている、その点を個性として捉えることも可能だろう。メロウなトーンが増えたせいか、EPの時点では、むせ返るほどに充満していた濃密さが、やや希薄になったような気もするが、しかし、アンチ・パターンを声明するかのような激しさは徹底している。ワン・フレーズが持ちうる機能を限定しない、そういうテンションの高さと批評性。これを聴いていると、メインストリームで類型的なエモーションを垂れ流すヌルい若手どもはじつに非生産的なんでみんな消えてしまえばいいよ、と、思わず暴言を吐きたくなるのだった。にはは。

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2005年06月10日
 システム・オブ・ア・ダウンが2位に上昇。オーディオスレイヴが3位にダウン。オエイシスが12位にイン。ナインインチは28位。コットンマウス・キングが50位にイン。つうか、84位にベター・ザン・エズラが入ってる。生きてたんだ。
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2005年06月09日
 マッシヴな暗黒、トリッキーな重低音、プログレッシヴな憂鬱、MIOCENEがついにその全貌を表した。「ついに」といっても、どれだけの人が注目してたかは知らない。が、僕は待っていたのだ、このファースト・アルバムを。そして待った甲斐があった、そう思えるほどの濃い内容で、とても満足な感じである。

 はじめてこのバンドの音に触れたのは、たしか数年前の英『ケラング!』誌についていた付録CDだった。そのときはイギリス出身ながらも、グランジィなグルーヴを生かしたヘヴィ・ロックだと思った。そういうアプローチ自体が、ちょうど廃れていた時期だったので、逆に新鮮だった。周りの状況とかにあんま関心ないんだろうな。という思いなしが先にあって、チェックしていたのである。その後しばらくして発表されたEP『REFINING THE THEORY』(00年)を聴いて、ようやく実体が見えはじめた。最短5分、最長10分にも及ぶスパンで繰返される、あまりにも暗く禍々しい呪詛、とくにヴォーカルがつくるメロディは、メイナード・キーナンのそれに良く似ており、トゥールのフォロワー的な部分が強く感じられた。とはいえ、けっして物真似や翻案のレベルには終始していない。バックの演奏の力強さだ。ダウナーなアプローチでありながらも、上昇するエネルギーの放射線が、他に類を見ない不可思議な空間を演出していた。そして続くEP『CELLULAR MEMORY』(02年)である。これが曲者だった。全6曲、ほぼインスト。ダークなムードはそのままに、サンプリングや電子音を多用し、チェロやホーンやクラリネットの生音をぶち込んだ闇鍋。歌入りのものに関しては、トリップホップのヘヴィ・ロック的解釈と言えなくもない、じつに興味深い内容だったのだ。

 以上のキャリアを総括するかのようにして成り立っているのが、このファースト・アルバムである。数曲では、大胆なほどにブレイクビーツが導入されており、それが変則的なリズムをこなすバンドのテクニカルなプレイと、妙な具合にシンクロしている。螺旋状にきりもみする浮遊感を漂う。それら以外のナンバーでは、分厚いディストーションのかけられたギターがプレッシャーとなって、こちらに迫ってくる。音響のすべてがエキサイトメントに傾斜している。曲間がほとんど設けられていない作りは、1曲1曲の単位ではなくて、アルバムをトータルでひとつの表現たらしめている。60分ジャストの収録時間には、ラストへと繋がるブランクがやってくるまで、一分の隙もない。余裕がないともいえる。どっか切羽詰まっている。たぶんメンバー自身のなかにあるマテリアルを、余すことなくアウトプットしていった結果、そうなったのだろう。言ってみれば、セルフ・アーカイヴの全面開放である。きっと残しておくものなど何もないのだ。そうして、すべてが葬送曲のような厳粛さでもって響き渡る。

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら こっち←のほうが役に立つかもしれない
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2005年06月05日
 僕なんかは、たとえばブリンク182はポップ・パンク(メロコア)で、ボックス・カー・レーサー(ブリンク182の人のサイド・プロジェクト)はエモ(エモコア)だっていう、ものすごく直感に頼った線引きをしているのだけれども、両者を隔てているのは、たぶんタメの設け方みたいなものではないかな、という風に考えている。このバンドの場合、前作までのサウンドは、どっちかっていうとブリンク182に近かったような気がする。けれども、このアルバムでは、明らかにボックス・カー・レーサーっぽくなっている。それはちょうど先達であるニュー・ファウンド・グローリーが辿った成長の度合いを思い出させる。ただ疾走感に頼るのではなく、センシティヴな間を際立たせるようにして、幾分か重層的に音を組み立てる、そうすることによりメロディの盛り上がりを、そのまま劇的なドラマとして響かせるのである。アコースティックのテイストはもともと持っていた素養だが、そういう静的なフィーリングを、ここではストリングスの導入にまで発展させている。演奏の機微もグッドである。作品をひとつ、トータルでみたときにハイライトとなるのは、5曲目から7曲目あたりだろう。そこらへんの構成もよく考えられている。ただヴォーカルに関しては、ちょっとフックが弱いような。この手のバンドは、コーラスの部分で言葉数が多くなるものだけれど、個性と呼べる印象深いフレーズはどこかタイミングを逃していて、まあたしかに流している分には差し障りがなく、耳当たりは良いのだが、ふと顔を上げる、そういう瞬間は思いのほか少なかったな。
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 きた。ノルウェー発、肉欲のロックン・ロール・ドグマ、ターボニグロの最新作である。これ、日本盤出ないのかな、出ないんだとしたら、それはちょっとブルシットだよ。慎ましげでなく、煌びやかでありながらも、なぜか毒々しい、そういった基本線は変わりない、いや正確には、変わるわけがないといったところか、しかし、これまで以上にゴージャスさを伴っている感じだ。にもかかわらず、暑苦しさがすこし抜けて、多少涼しげになったような気もする。そのせいか、異様なほどポップでキャッチーに聴こえてくるのだった。最高潮は、ズンズンチャズンズンチャというリズムに合わせて「シーティ、シティ・オブ・セイタン、シーティ、シティ・オブ・セイタン」というコーラスが湧く4曲目である。縦ノリなミドル・テンポの進行が、中盤メロウにしなると、たぶんキーボードだろうオーケストラが神々しく鳴る。AC/DCとクイーンとエアロスミスをチープにミックスしつつ、ガンズばりのハッタリをばしっと決めたアンセムだ。もちろん全体の内容からして、『パーティ・アニマルズ』というアルバム・タイトルが示すとおり、ひじょうに賑々しいトーンであり、ターボニグロの濃い魅力が凝縮、そして満載されている。ところでプロデューサーのスティーブ・マクドナルドって、レッド・クロスの人なのかしら。だとしたら、このアルバムの取っ付きやすさは、ものすごく説明のつくところだ。

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 たとえば僕が知りたいのは、SUM41超かっこいいとか、システム・オブ・ア・ダウンすげえええだとか、言っている人たちは、おい、ちょっと待てよ、デス・バイ・ステレオのファースト『IF LOOKS COULD KILL I'D WATCH YOU DIE』を聴いたことがあるのかい、ということである。いや、僕はSUM41もSOADも好きである。がゆえに、デス・バイ・ステレオも聴かれるべきだと思うのだった。だって、あんた、それはちょっともったいないぜ。初期のスライスを好む向きにも、きっと気に入られる。メタルとハードコアのクロス・オーヴァーを邁進し続けるが、しかし、ニュースクールのハードコアというのとは、違う。メロディを主体に置いたシンガロングの要素が、ヘヴィ・メタリックなリフと、疾走感を醸し出すパンキッシュなリズムとを、まるで宮本武蔵の二刀流のような勢いで、見事に一本を決めてみせるような。身重な体でありながらも、マジとユーモアの間をすり抜ける、そういうサウンドがじつに個性的で魅せられる。燃える。デビューしてから今まで一貫して変わらない。熱い。硬派である。ストロング。タフ。そのカタさは、凡百のヘヴィ・メタルもハードコアも敵わない、蹴散らす、ぜったいに。個人的には、荒削りなところが勇ましいファーストとセカンドがジャストであるけれども、しかし、ギター・ソロの比重がずいぶんと増したサードとこの最新作も侮れない感じで、じゃあ結局、ぜんぶいいんじゃん? と訊かれれば、うん、その通りだと答えざるをえないのだった。

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2005年06月02日
 1位はオーディオスレイヴ。ま、いいんじゃないでしょうか。オーディオスレイヴはさ、ホワイトスネイクのカヴァーとかやってくんないかな。ちょう燃えると思うんだけど。「ラヴ・ハンター」とか。システム・オブ・ア・ダウンは4位キープ。6位にゴリラズ。デーモンも鼻高々だ。8位にシーザー。こういうヘヴィ・ロックはもう保守的な臭いしかしないけど、まあ、良しじゃないすか。えーっと、あと興味があるのは、お、25位にアルカライン・トリオ初登場。ナインインチがその下、26位キープ。ウォールフラワーズは40位、もうちょい上でもよい気がするが、このへんの90年代アメリカン・ロックはもう振るわない感じだ。それからアット・ザ・ドライヴ・インのコンピレーションが95位に入ってるな。内容は初心者向けっつーよりは、ハードコアじゃないファン向けっていう感じだった。あとで余裕があったらレビュー書こうと思ってる。あ、なんかあんまし褒めなかった気がするHawthorne Heightsが96位に浮上してるわ。
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 音楽雑誌が「ヘヴィになったヘヴィになった」って吹聴するので、ほほう、どれどれ、と期待値を上げてしまったのがいけなかった。もともとがデフトーンズのコピー・バンドだったという前身を考えれば、むしろ、これはバック・トゥ・ルーツ的な発展なのではないかな。ことによると、ポップ・パンク系の腕利きであるマーク・トロンビーノをプロデューサーに迎えたデビュー作にあった爽快感みたいなもののほうが、イレギュラーだったのかもしれない。ここに展開されているメタリックかつヘヴィなグルーヴを基調にしたサウンドは、もしもこれがデビュー作であったならば、グラスジョーのフォロワーとして受け止められてしまっただろう類のものだ。で、問題は、それが良いか悪いかの判断になるわけだ。が、さて、カオティックになったといえば聞こえはよいのだけれども、この1年ぐらいで、カオティック系ハードコアとエモ(エモコア)の境界線ってずいぶんと曖昧に、大きく重なり合うところが出てきている。たとえばケイン・ホッダーは、そこいらへんを非常に意識して、雑食性を剥き出しにしている感じがするし、そういった部分を完全に無視して、シンガロングな大衆を相手にしているのが、ユーズドとかストーリー・オブ・ジ・イヤーなんかになるわけだ。そのように考えると、フィンチの立ち位置というは、やや微妙である。というか、どういうヴィジョンを抱えているのかが、ちょっと不鮮明のような感じがする。突き抜けるにしてはややウェルメイドな作りであるし、ドタバタとしたアンサンブルはラジオ・フレンドリーじゃないような。こういう言い方で伝わるかどうかわからないが、たくさんの引き出しを次々に開ける、で、それを開けっ放しにしないでちゃんと閉めている、つまり扱える情報量の限度を見極めている、そういう所作が無意識のうちに行われている風に感じられるのだ。そこを個性や実力や可能性として捉えるか、それとも中途半端と捉えるかどうかってのが、問題になる。それとヴォーカルの表現力が、たとえばグラスジョーやサーズデイなんかに比べると、若く力任せなところがありすぎ、暗く沈み込む場面での吸引力が、すこし弱い。いやいや、悪い作品ではないよ、悪くなんかない、ぜんぜんオーケー。ただ振れ幅のコントロールの見え透いてしまう点が、その分聴き易くもあるのだけれども、しかし僕にはもったいなく思えるのだった。
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2005年05月31日
 おお、なんだ、これ、トリオなのか。にわかに信じられない迫力である。力強いリフとドラムのアタック、重心のしっかりとしたリズムが基盤にあり、だからミドル・テンポのナンバーが並ぶが、メロディは立っていて、コーラスの部分でトリッキーかつ劇的にドラマティックになる、とはいえシアトリカルな過剰さはない、しかし激しく、耳を引くほどのメロウさを兼ね揃えている。なるほど。間隙を縫って進む音数の、最小にして最大の成果は、トリオ編成ならではのものである。思いっきり実力が出ているのは、スローではあるが大胆に複雑にうねる展開に、スクリームを交えながら今様の思春期ムードへと落とし込む6曲目だろう。唯一スピーディなところをみせるのが9曲目だけ、と、すこし軽やかさを欠く気もするが、それはそれで弱点ということではなく、いやや、類型が類型をまねくような世界では、こういう風にエモーションを発露させるほうが、むしろ映えるぐらいなのだった。あえていえば、オープンハンドにもうちょいプログレッシヴさとアグレッシヴさとハードさを混ぜた感じかな。いや違うなあ。あ、ビッフィ・クライロあたりに近いんだ。何はともあれ上物であることは間違いない。こいつはちょっと目をかけておこう。僕よりもあんがい、あなた向きかもしれないよ? あなたって誰と問われても困るが。

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2005年05月27日
 Histrionics

 ふつう、フツー、ちょう普通。個性なんてどこにもねえよ。ああ、でも、個人的な嗜好からいえば、これはちょっと好みなのかもしんない。それっていうのは、つまり、このサウンドに合わせるような体で、僕のエモーションは反っているってことにもなるのだろうか。全般は、テイキング・バック・サンデイ系の疾走するエモである、スクリームのないサーズデイっていう取り方もできる。強いていえば、細かい音の拾い方や、アコースティックのプレイが、ポップなフィーリングのほうに作用して、キラキラしたキュートさを醸し出している。ややラジオ・フレンドリーすぎる嫌いもあるが、しかし燦々とした光の射す、そうしたイメージを何よりも想起させるのだから、けっして気分の悪いものではない。そこいらへんが、先行するアーティストとは、真逆のベクトルになっている。それはともかくとして、だ。ギターのアルペジオとハンド・クラップによる2曲目(タイトル・トラック)が、ムカつくほど耳につく。何か知らんが、腹が立つ。オフィシャル・サイトに飛ぶと、延々とリピートされるので、ウンザリだ(→こちら。音が出ます)。とかいいながら、ああ、くそ、気づけば、口ずさんでる自分がいるな。やっぱ気に入ってんだろう。
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 システム・オブ・ア・ダウンが1位。ちょっと思ったのは、「このアルバムはすごい」的なバイアスっていうのは、SOADが敵視する同調圧力と相似形だとしたら、このアルバムがどれだけ売れても、世界が変わることはないのは当たり前だってこと。そこでアパシーに陥らず、さて、どのように生きていけばいいのか、ってのが重要だ。それはさておき。出来であるが、個人的にはものすごくかっこいいとは思う、ただユーモアというかシアトリカルな部分でさえも、ときにシリアスに聴こえてしまうのは、あんがい弱点なんではないか。過剰なほどに、シリアスさを煽る日本盤のクソみたいなライナー・ノーツが、それを実証している(音楽批評は、そんなものがあるのならば、やっぱいっかい死んだほうがいい)。シリアスさの追求は、結局、政治的な正しさを主張することになってしまう。それはバンド側の望むところではないだろう、と。ウィーザーは9位にダウン。つうか、7位のグウェン・ステファニーは強いな。この間、たまたまラジオで小林克也がこのアルバムの解説をしていて、なるほどな、と思ったのは、いろいろな国籍(人種)に受け入れられる音作りがされている、みたいなことで、SOADが売れるっていうのもたぶん同じような理由からきているのではないかな。で、びっくり、デフ・レパード、レップスのベストが10位。そしてナイン・インチ・ネイルズは現在12位ってな具合だったりして、じつにロックっぽいチャートだ。
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2005年05月26日
 One Man's Struggle With the English Language

 QUILLは知ってるけど、QUELLは知らねえなあ、そんな舐めた態度でCDをプレイヤーにかけた途端、あ、やばい、持っていかれる、と思った。べつにインパクトがすべてというわけじゃないが、しかし、ある一定のレベルを超過した表現に出会ってしまうと、とにもかくにもヴォキャブラリーが奪い去られてしまうのだった。すげえ、激しい、かっこいい。それぐらいしか言えることがない。ここで披露されているサウンドは、たとえばデリンジャー・エスケイプ・プランの緻密なほどに計算されたアグレッシヴさを、たとえばコンヴァージのカオティックな勢いで熱演されるエモーションでもってコーティングし、たとえばデス・メタル流儀のダイナミズムによりブルータリティを全面開放し続けるかのような、そういう超ド級のエキサイティング轟音である。だめだ、さっぱり言葉が追いつかねえや。それでもなお、追いかけるようにして言うのであれば、細やかでタイトなリズムのなか、トリプル・ギターが複雑に絡み合う、その渦中で聴き難いヴォーカルがウボォーと吠えている、つねに緊張はキープされながらも、ラフに響き渡る静と動の軌道、退屈をいっこも孕まない楽曲の構成力もじつに見事である、ってな具合だ。ヘヴィ・ロックの新境地とか、そういうんじゃないかもだけど、現段階でのトップ・クラスには、じゅうぶん匹敵しそうな勢いである。

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2005年05月24日
 Mirabilia

 ぜんぜん関係ない話から。寡聞にして知らなかったのだけれども、つい先日、知り合いの人から、MAEやコープランドってクリスチャンだよ、と教えられて、調べてみたらどうも本当っぽい、なるほど、彼らのどこか厳かでリリカルなピアノの響きというのは、そういう出自みたいなものと無縁ではないのかもしれないな、とか考えた。以上、ぜんぜん関係ない話おわり。いや、なんでそんなことを前置きしたかというと、このバンドの奇妙なセンスというのは、さて、どっからやって来たのだろうか、と思ったからなのだった。EYEBALLレコーズといえば、初期のサーズデイやマイ・ケミカル・ロマンスなどで知られているところだが、ここに展開されているサウンドというのは、そっからさらに一回転半ほど捻れたものである。うたわれるメロディは、センシティヴかつポップで、ピアノがぴこんと鳴れば、美しく引き締まりそうなものだけれども、そうしない。かわりにバックで響くのは、ウニウニだったりピコピコだったりキラーンだったりの電子音である。たぶん、80年代ニューウェーヴを強く意識しているのだろうが、(影響源として)サンクス・リストには、ビョークやスマパン、レディオヘッドの名前などが挙がっていたりもして、ふむふむ、納得できるできる。まあ、エモを大さじ4杯、エレクトロニカを小さじ1杯とか、そういう配合量の問題なんだろうけれども、アプローチとしては、なかなか興味深いのではないかな。とはいえ、アルバムをトータルで考えると、メリハリの若干弱い気がする、聴いていて後半で少しダレる。

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2005年05月23日
 イギリスのバンドでありながら、グランジィかつパワー・ポップなサウンドをやっていたジェイナス・スタークのギズ・バットが新しくはじめたバンドによるデビュー作。とかいいながら、これ、昨年出てたんだ。見落としてた。ギズといえば、プロディジーの元ツアー・ギタリストという部分が一時期クローズ・アップされたことがあるけれども、まあ、それ以前にはイングリッシュ・ドッグスというメロコアっぽいバンドをやっていたり、プレイヤーとしては、わりと節奏がない、いや良くいえば、器用にさまざまなスタイルをこなしつつ、そのなかにキラめくフレーズを、巧みに埋め込んでいた。しかし、じつはソング・ライターとしても、なかなかなのであった。で、困っちゃうのは、ここで披露されているサウンドというのが、一昔前のヘヴィ・ロックそのまんまだ、という事実。リフはザクザクとしていて、全体的にモダンなアプローチで、暗いメロディがあってって、そういう。楽曲自体は悪くはないのだが、うーん、ちょっとこれは時代的にジャストじゃなさ過ぎる。個性もなさ過ぎだ。あーでも、スピーディーな6曲目のイントロだけは、すこし燃えるかも。
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2005年05月22日
 たしか前作はコンヴァージのカート・バーロウがプロデューサーとして関わっていて、だからといってカオティックというわけでもなく、ニュースクール系のハードコアがエモを取り込んだかのようなサウンドを披露していたと思ったのだが、ここでは、その路線をさらに推し進め、叙情性とスケール感が大幅に付加されている。アコースティックのプレイも、わりと多く取り入れられており、理知的なイメージの強調された作りだ。ミドル・テンポのナンバーが続くので、気が短い人には向かないかもしれない。しかし、まあ、その創意工夫性のようなものは高く評価できるが、あくまでもプレイヤビリティ(あるいはミュージシャン・シップ)の面において、というレベルに止まり、個性ないしオリジナリティという部分に関しては、弱い。(『ジュピター』または『アンテナ』期の)ケイヴ・インとサーズデイのミックスと取れなくもなく、楽曲のインパクト自体はそれほどでもないので、他のアーティストを彷彿とさせてしまうあたりは、やっぱマイナスだろう。

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2005年05月21日
 デビュー作では、びしばしと衝動を迸らせていたミリオン・デッドだが、このセカンドには、メロディによる整形が強く施されている。とはいえ、随所随所で爆発するテンションは健在であり、それが成長なのか、それとも変化なのかの判断は、微妙なところだと思うけれども、結果からいえば、若干キャッチーに、そしてダークになった。全体的に、イギリスのバンドである、という印象が強まっている。そこいらへん、人によっては前作のほうがジャストだったと感じるかもしれない。ただし、アメリカにおける同系統のアーティストとは異なった、つまり(メロディック系ではなくてポスト・ハードコア系の)エモとは似て非なる、そういう世界観は、ちゃんと提示できている。それはやはり個性と呼ぶべきものだろう。ドラムのアタックはあまり強くなく、線の細い音作りだけれども、ふいにギターが分厚いディストーションをガガガと引きずる瞬間や、わりとゆるやかに進行する6曲目でコーラスがわーっと沸く場面などには、なかなか他では得られない興奮を見つけられる。いやいや、しかし、英ハード・サウンド勢の、ここ最近の充実ぶりには目を瞠るものがあるな。昨年からの流れでいえば、ぱっと思いつく限りでも、クラックアウトやREUBENやOCEANSIZE、ビッフィ・クライロやヘル・イズ・フォー・ヒーローズ、YOURCODENAMEIS:MILOなどなど、ひじょうに優れた作品が多々発表されている。あ、今月末にはMIOCENEのアルバムも出るし、と。もちろんこれも、そういった流れのなかで、堂々と羽ばたけるだけの内容を、まちがいなく備えているのだった。
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2005年05月19日
 1位はデイヴ・マシューズ・バンド、で、2位はウィーザー。ウィーザーは、タイミングが違えば、1位をとってた勢いだな。でも新しいのは、ちょっとキャッチーさに欠けるっていうか、メロディは立ってるのだけれども、こう、突き抜けるものがないというか。つうか、前作のハード・ロック路線って、みんなそんなに駄目だったの? と、音楽雑誌のレビューを読む度に思う今日この頃。あ、新作はイギリスの『ケラング!』誌では、これまでのアルバムのなかでもっとも評価低かったけど。まあ、『ケラング!』だからね。そして、ナイインインチは5位に後退。しかし、まだ粘ってる印象。どこまでキープできるかってのが大事だ。でもって、お、スターティング・ラインが18位に入ってる。たとえばグリーン・デイやオフスプリングをメジャーなポップ・パンク隆盛の始点として考えた場合、エモも含めると、けっこうなスパンで続いているムーヴメントじゃないかしら。や、もはやムーヴメントではなくて、スタンダードなのか。と、52位に、きた、チノ・モレノのチーム・スリープである。サイド・プロジェクトとしては立派な結果だろう、これは。
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2005年05月17日
 これ、発売されてからずいぶん経つんだけれども、ぜんぜん評判を聞かないのは、もちろん僕のアンテナが低いってのもあるんだろうが、やっぱコピーコントロールドされた盤だからなのかな。「はてなダイアリー」でも言及してとこ、ほとんどないや。HMVのサイト見ると、こっちのはいちおうCD表示だけど、どうなんだろう(→買って確認した。CCCDではなかった。カタログNo:5607752ね)。個人的にはデビューEPよりもファーストよりもセカンドがジャストで、サードもなかなかだったんだけれども、ここにきて本当の意味でエモーションに届くような、そういう響きを持ちえていると思う。悲しみの涙を糧にひょっこりと芽を出す感情という薄く青白い花。ミドル・テンポのナンバーを中心に、ヴォーカルはウェットなメロディを伸びやかにうたい、バックの演奏が緩急をつけたリアクションを返す。そこに穏やかな昂ぶりが生じている。たしかに華やかさみたいなものはほとんどないけど、それ以上に胸焦がすものがあるのだった。最近ずっと、夜寝る前に、というか眠りにつくまでの間に、聴くともなく聴いている。
  
 君は言った 愚かな戯れ事を
 愛が僕らを孤独から連れ出すとか
 誕生日おめでとう 今も孤独かい?
 (「ラヴ・スティールズ・アス・フロム・ロンリネス」対訳より)
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 The Perfect Moment

 1曲1曲のなかで、パンテラとコンヴァージとウィル・ヘイヴンとトゥールが衝突してる、そういう風に思わず僕が口走ったら、あなたは信じるだろうか。おいおい、ちょっと大げさすぎるよ、と鼻で笑うかもしれない。もちろん裏返せば、それらバンドのコンビネーション的なサウンドだということになるのだが、しかし、借り物だったりフェイクくさくないところが、この5人組を推したくなるワケである。肝はヴォーカルとドラムなのではないかな。展開はそれほど性急ではないけれども、楽曲の表情はくるくると変わる、その地盤を担っているのが、手数の多さではなくてどんぴしゃのタイミングを扇動するドラムと、がなり声から囁きまでいくつものトーンを自在に操るヴォーカルなのだった。テキサスという出身地の問題か、硬質さがダイムバック・ダレルを彷彿とさせながらも、ときにぐしゃりと歪み、軟化するギターもかっこいい。聴いているだけで、アドレナリンがぶわわっーと騒ぎ出す、ガシガシと街中を肩で風切って歩きたくなる、そうだ、あの感覚だ。にはは。たぶんニュースクール以降のハードコアかモダンなメタルの流れを汲んだバンドだとは思う、キレてるとかじゃなく、解体を目指すのでもなく、構築への意思が聴きとれる。だから、ここで行われているのは、枠組を意識した上での前進になるのだろう。ある程度の極端(エクストリーム)さは、今やもうスタンダードな表現形式なわけで、じゃあ、それを乗り越える、あるいは突き破ろうとするのであれば、エネルギーをどれだけ上乗せできるかって、たぶんそういうところで、このバンドは勝負している。

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2005年05月15日
 前作『THE SAND,THE BARRIER』は、わりかし気に入って聴いていたのだけれども、新譜が出てるのは知らなかった。しかも昨年だ。被さってるビニールにシールが貼ってあるだけなんだけど、これ、国内盤扱いなのか。アマゾンさんにはエントリーされていないのに。ま、それはそれとして。聴いてみると、やはり、なかなかではある。相変わらずジャケットに何の情報も記されていないので、おそらくアート志向なのだろう、と勝手に推測している。『THE SAND,THE BARRIER』が、どちらかといえば実験性に溢れるというか、ポスト・ロック的なアプローチを取り込んでいた(いちばん格好よいナンバーがインストだという)のに対して、ちょっとこれは現代的なエモのほうに寄りすぎのきらいがなきにしもあらず。とはいえ、重たさや激しさをあまり頼らず、線の細いギターとノイズを駆使しながら、広がりのある空間を演出する音作りには、変化球のような驚きがある。そこいらへんが個性だろう。素性がよくわからないので、もうちょい情報が欲しい。

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 「これがぼくらの時代のスウィートネス!!」と堂々と謳われる国内盤帯といい、ライナーに書かれている内容といい、ポスト・ジミー・イート・ワールドをむやみやたらに意識させるのは、いかがなものかと思うが、しかしまあ、そう言いたくなるのもわかるような、そういう叙情的なメロディと捻れたところのないポップ・センスを持っている。人によっては、MAEやCOPELANDあたりを比較対象に挙げるのではないかな。なるほど、センシティヴさには近しいものがある。過剰なほどにドラマティカルなサウンド作りというのは、ある世代以降にとっては、スタンダードな表現様式なのだろう。だが、それぞれは微妙に違っている。その差を個性と呼ぶのかどうかはわからない。個人的には、パワフルな演奏とピアノの響きに、サムシング・コーポレイトの後継性を感じた。ただここまで来ると、エモ=ポスト・ハードコアという図式は通じず、なんだろう、もうちょっとべつのものが出来上がってる。それはたぶん市場のなかでは、けっこう巨大なんだけれども、でも、誰もそのことについて正確に言及できないという事態は、けっこう危険、というか旧いバンドが淘汰されてゆくのが速い、というか新人が旧くなるスパンが短すぎる。たとえば先に挙げたサムシング・コーポレイトだって、もう若い方々は存じ上げないんじゃなかろうか。聴けば「パンク・ロック・プリンセス」は絶対気に入る曲なのに。あるいは、そのなかで生き残れっていう、資本制に則った過酷な試練なのかしら。しかし、エモーションっていう概念の話になると、そういう言い切りはマズいだろう、と。まあ、インディ・ベースで活動してれば、そのような問題とは案外無縁なのかもだけれども。うーん、最近ちょっと考えてる。で、そこらへん、アメリカでワープト・ツアー(とくにファースト・ステージじゃない方面)の参加面子がどのように移り変わってきたかっていう見取り図だけでも、どっかに落ちてればいいんだが。誰かやってくれないか、と思う。あーネットで調べれば出てくるか。さて。いや、面倒くせえ。
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 Joe Perry [DualDisc]

 あ・ああーあーあ・あ・あっ。おう、かっこういい。ヴォーカルはともかく、ギター、かっこよすぎるじゃねえですか。ここ最近のエアロ・オリジナル作の何倍も弾けている。ロックン・ロールだ。雰囲気としては、ジョー・ペリー・プロジェクトというよりも、エアロ『ゲット・ザ・グリップ』あたりに近い。その一音一音がすでにスタイルの域に達しており、超絶的なフレーズが飛び出すわけでもないのに、完全なオリジナルを主張している。たしか「スピーディーに生きて、若くして死にたい、その死に顔はハンサムであって欲しい」という名言を吐いたのはジョー・ペリーであった気がするが、いやいや、老いてもなお壮ん、永遠にハンサムだぜ、あんたはよ、といった感じである。あきらかにジム・モリソンを意識した歌い方のなされるドアーズのカヴァー6曲目が愛嬌に思えるぐらい、実りの多い内容で、ずばり、こういうのを待っていたと叫ばせていただこう。かっこいい。ロックン・ロールだ。いきなりの1曲目と2曲目が燃え燃えなので困る。
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2005年05月13日
 ナイン・インチ・ネイルズが1位。ってのは、当然のような気もするのだけれども、なんていうか、これでまた、ナインインチはすごい、みたいなパブリック・イメージが一人歩きしはじめるんだと思うと、やれやれどうだろう、というのはある。で、9位にフォール・アウト・ボーイ。ここらへんの若者向けポップ・パンクは、あるバンドが落ちると、べつのバンドが入ってくる、という循環がすっかりと出来上がっている気がする。ワープト・ツアーとかの成果、つまりシーン全体を盛り上げると同時にリスナーとの連帯を築き上げる、っていう動きが結実してるってことだ、きっと。そういう在り方は、90年代半ばぐらいまではダサいというのがあったけれど、逆に今はそれがスタンダードで、まさに00年代以降の動向であると思う。で、世代的にか時代的にか、連帯感作りにどっか失敗してしまったリンプ・ビズキットは24位に登場。このアルバム、僕にはさいしょ微妙だと感じられたんだが、ランニング・タイムが短いというのもあるので、繰り返し聴いてる、すると、いや、激しく格好よいですよ。ノリノリですよ。ただ、やっぱりリンプのパブリック・イメージっていうのはセカンドのようなもので、それを払拭するほどのインパクトがあるかというと、それほど開けてはいなく、クエスチョンな感じがしないでもない。といっても、そういうイメージへの抗いをキャリアとして積んでいくことができれば、けっこうすごいものが出てきそうな予感もするのだった。
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2005年05月11日
 Our Last Day
 
 にはは。相変わらずぶっ壊れてるなあ。バンド自体は解散してしまったはずの、ディスコーダンス・アクシスの、なんだろう、企画盤になるのかな。CURRUPTEDとかとのスプリットにも収録されていた「IKARUGA」を筆頭に、たぶんメンバーのサイド・プロジェクトなどのナンバーを展開、日本のアンダーグラウンド・シーンからはメルツバウやメルト・バナナも楽曲を提供している。前半は、とにかくグジャグジャになった超速のビートが炸裂し、後半では、ぴきぃーという軋みのはびこるアヴァンギャルド・ノイズといった風情である。何曲入ってんだろ。21曲か。21曲で40分弱の歪んだ時空間。最近のロカストあたりにも通じそうな、変態的かつクリティカルな騒音である。繰り返し聴いていると頭が悪くなりそうだ。にはは。
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 Team Sleep
 
 『マトリックス』続編のサントラにもちょこっと顔を出していた、デフトーンズのヴォーカル、チノ・モレノによるサイド・プロジェクト、チーム・スリープが、いよいよ本格的なアルバムを発表した。とはいっても、クレジットをみるかぎり、チノが関わっていないナンバーもあり、あくまでも参加したメンバー各人の創作意欲によって作品が成り立っている、という趣だ。やかましさは極力抑えられ、憂いを帯びた穏やかな表情が、かなり切々と奏でられている。全体のトーンとしては、スマッシング・パンプキンズの『アドア』あたりを思い浮かべて欲しい。アメリカのモダンなサイドから、ニューウェーヴ的なロマンティシズムへとアプローチした風である。複数のプロデューサーが起用されているが、ロス・ロビンソンの手がけた5曲目などは、かなりデフトーンズしているけれども、ギターはメタリックな響きをドライヴさせるのではなくて、ビューティフルなノイズを描くことに尽力している。8曲目、淡々と静かに鳴る打ち込みとピアノの旋律をともない、メランコリーをうたう女性ヴォーカルの吐く息は、きっと白く、その白さは霧雨の冷たさに似ている。このアルバムのなかに蠢くエモーションは、生ぬるい敗北感や連帯を拒み、ただただ寂寥の深みで、渇いた光を探し当てようとしているみたいだ。
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2005年05月07日
 どうやらピッチシフターのベースとドラムによるサイド・プロジェクトであるようだが、とりあえずCDケースの背面を見てみるといい。UKを中心としたヘヴィ・ロック・シーンの豪華な面子がずらり。ハンドレッド・リーズンズ、フューネラル・フォー・フレンド、SIKTH、ケイシー・ケイオス(エイメン)、HIDING PLACE、ジェフ・ウォーカー(カーカス)、アンディ・ケアーンズ(セラピー?)、EARTHTONE 9。それらの人々が、1曲ごとにヴォーカルとしてゲスト参加しているのだ。曲調は、メタリックでややコア、ざくざくとしたリフはスピーディーであるけれども、それほど新味なものではないといったところ、だが、クオリティはひじょうに高い。ケイシー・ケイオスのうたうナンバーは、エイメンの新曲ですよ、と言われたら、信じてしまいそうだ。思わぬ掘り出し物的な意味合いで、すっごく良い。よかった。

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 あまりにもあまりにもブルージーなフレーズで幕を開ける冒頭には、一瞬ぎょっとするけれども、太い二の腕で弾かれるリフがズンズンいいだすと、ああ、まさしくこれはコロージョン・オブ・コンフォーミティだ、90年代に完全確立されたCOC節に胸がときめく。ひさびさの新作だというのに、墓石をグーで次々叩き割ってゆくような、不穏当なほどのパワフルさは健在で、とくに4曲目の展開と、7曲目や10曲目のツイン・ギターが格好よすぎる。数多のストーナー勢やスピリチュアル・ベガーズとは似て非なる、それこそグランド・ファンクを始祖に置いたアメリカン・ハード・ロックの嫡子、アメリカン・バンドとしての、おそるべき破壊力。思わずヘヴィ・メタルしてしまったザック・ワイルドの新作がちょっと物足りなかった、そういう僕には、こちらのほうがジャストであった。
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2005年05月06日
 まさに唐突にリリースされた新作。全7曲、30分程度の内容は、フル・アルバムとしてカウントされるのかどうかわからないけれども、アルバム・タイトルやアートワークなどから察するに、続編の用意(想定)されたコンセプチュアルなものであるようだ。サウンドの方向性は前作を継承しているが、いったんはバンドを離脱したウェスが復帰し、彼ならではのトリッキーなギター・プレイを大きく活用しているためか、グランジ色は後退、ヒップホップのテイストがやや復活している。とはいえ、ムードは暗たく重たくシリアスで、聴きようによってはハードコアになったといえる。フレッドの声質は、なぜかこれまでとは違う。違う人が歌ってる感じがする。で、ぶっちゃけ、出来はどうなの? や、悪くはない。ただ、どうなの? と、べつの誰かに質問を回したくなるような、そういう微妙な線である。勢い的にもタイミング的にも微妙な時期に、このような微妙な作品を提出したバンドの本心は、次作以降で明らかになるのだろうか。
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2005年05月05日
 クラシック・アルバムズ : ネヴァーマインド

 『ネヴァーマインド』アルバムのレコーディング状況を再現するブッチ・ヴィックの話がとてもおもしろい。眼鏡の奴のいかにも批評家的な歌詞分析はウザい。いやあ、クリス・ノヴォゼリックはもう完全なおっさんですぜ。といった内容である。冗談半分、本気半分で。じっさいにブッチのインタビュー・パートがいちばんの見所であると思う。かなり興味深い。ヴォーカルをダブル・トラックにするのを嫌がるカート・コバーンに「ジョン・レノンもやっていたことだ」と説得したなんていう当事者ならではのエピソードなどには、へえ、といちいち感心してしまうのであった。こうして見ると『ネヴァーマインド』という作品は、たしかにカートひとりの手によって作られたものではないけれども、しかし、すべての作業がカートの才能に奉仕するのようにして働いていたという、逆説的な事実がまざまざと浮かび上がってくるようだ。あとは、ビデオ・クリップ集が出れば、ニルヴァーナに関する資料は、だいたい揃う感じか。
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2005年05月02日
 これはバカなロックなんじゃないかな。いや、もしかしたらマジだってこともありうるかもしれない。エモというジャンルを僕は、あくまでも商業的なカテゴリーとして、グリーン・デイなどのポップ・パンクとウィーザーなどのパワー・ポップの間に置かれたものとして認識している。もちろん厳密なものではない。だいたいのところ大勢が、エモに定義はないよ、という曖昧さでもって、エモを厳密に定義してきたのだから(アーティスト側やいちリスナーたちがこれをやるのはいいが、批評家や音楽ライターがこれをやるのは適当すぎる)、今更いったい何をどうしろっていうのさ、といったところである。でもって、スクリーモというジャンルは、これも商業的な見方なのだけれども、そのエモとヘヴィ・メタルとハードコア(ポスト・ハードコア的なものではなくて、ニュースクール系のもの)をトライアングルにした、中心点のようなものだと思う。そして、このバンドである。基本線は、スクリーモなんだろうけれど、たとえばデヴィン・タウンゼントがポップ・パンク全盛時にパンキー・ブリュースターでやったのと同じ感覚で、どっか笑えるのだ。ただ、なんていうか、それはアイロニーじゃない、本人たちは皮肉のつもりではなくて、真剣にやった結果として、このようなサウンドになったという生真面目さも感じられる。ああ、だから、スクリーモ版ダークネスっていうこともありうるのかもしれない。どうだろう。画一的ではないという意味で、おもしろい存在である。
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2005年05月01日
 Ignoto

 やっぱり、これはひとつ、チェックしといたほうがいいよ、って。このイギリス出身の5人組が奏でているのは、たとえばスマッシング・パンプキンズがディストーション・サイドで、持ちうるポテンシャルをぜんぶ、ズザンズザンとした歪み轟く音圧に費やし、ギター・ロックの臨界を目指していたのを思い出させるような、超高度のクライマックスなのである。ベースになっているのはなんだろう、エモやガレージといった00年代以降のエレメントは使われている、メタルやコア(ハードコア)はない、たぶんモグワイやシガー・ロスあたりからの影響は強い。そのような混然一体のフォーマットが、まるでゴーストのように亜空間を漂い、その渦中で、事故か必然か、ポップ・ソングという実体を手に入れてしまった。若い衝動をとにかく撒き散らす1曲目、その勢いに朗々とした歌メロと大きく跳ねるダイナミズムを接いでいく2曲目や3曲目、4曲目と5曲目のなかに渦巻く濃密度のヘヴィ・グルーヴ、それを反転させ、静寂の荒野と極寒の暗黒に光が降り注ぐのをスローなテンポで演出するその後の展開、終盤ではふたたび生命の激しさが湛えられている。振り幅はなかなか大きいが、しかし、すべてが同じベクトルで出力されているため、散漫な様子はいっさいない。デビュー・フル作にしては、ややコントロールされすぎの嫌いはあるけれども、そのことが逆にバンドの実力を裏打ちしている、過剰なほどの創作意欲を見せつけているみたいだ。正直、先行シングルの段階では訝しげなところもあったのだが、いやあ、やだねえ、期待以上のものが出来上がってきたよ、と。ああ、まちがいなく僕はこれを支持する者であった。

 『ALL ROADS TO FAULT』EPについての文章は→こちら
 『RAPT.DEPT.』EPについての文章は→こちら
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2005年04月30日
 ウィズ・ティース

 以前までの作品と比べると、巨大なモンスーンといったイメージで語ることのできない、ソリッドなアルバムである。感触としては、デビュー作『プリティ・ヘイト・マシーン』に近い、と言ったら、僕の耳はあてにならないだろうか。ポップだ。うなる激しさや重たさではなくて、変調のリズムとストレートな歌メロが、方向性と色合いを決めている。ポップではあるが、しかし、あいかわらず脳天気な感じはしない。2曲目や3曲目、4曲目、10曲目あたりは、いかにもハード・ロック的な怒濤の展開であるけれども、安易なカタルシスとは縁遠い。一通り聴いたあとでは、むしろダウナーへ一直線の暗黒系スロー・ナンバーである7曲目だったり、妄想いっぱいの独り言をうにゃうにゃした電子音で加工したかのような8曲目などが、つよく印象に残る。まあたしかに、けっして胸のすくサウンドではない。だけど、かつてほど病んでいる気配を感じさせることもない。それはなぜか。たぶん、サイアクだサイアクだサイアクだ、と言い続けることで、最悪の状態の一歩手前で踏みとどまる、そういう後ろ向きで前に進むような姿形を、アーティスト自身がちゃんと自覚した上で、全体の像が成り立っているからなんだと思う。
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2005年04月28日
 じつにイマドキな騒がしい系バンドを数多く拾っているENGINEERレーベルからデビューした5人組の初EP。でもってサウンドは、ひじょうに現代風なメタリックかつハードコアで云々といったもので、聴きようによっては、カオティックととれなくもない展開の妙がある。が、しかし。ぜんぶで8曲入りなのだけれども、7と8曲目は、3曲目のミックス違いで、正直なところ、それらはなぜ収録されているのか読み取れないほど、元のヴァージョンと印象が大きく変わるものではないので、それほどキャパシティは広くないアーティストなのかもしれない。その分だけ細かい差異にこだわっているという見方も可能だが。悪くはないけれども、これを聴く限りでは、やや類型的かな。ああ、でもスピードの上がったナンバーは存外に心地よい。
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2005年04月27日
 Juturna

 一部マニアの間では評価の高いらしいSAOSINは音源を入手できてないので、オムニバスでしか聴いたときがないのだけれども、これは、そこのヴォーカルが新しくはじめたバンドであるようだ。ふむふむ、なるほど。ナイーヴさを強調したトーンは、サーズデイあたりに近しい。バックの演奏は、メタリックでもドラマティックでもなく、渇いた音をスムーズな連なりに構成してゆく。ヴォーカルのメロディと高音の伸びは、マーズ・ヴォルタのセドリックを思わせる。全体のイメージは、灰色のかかった青といったところである。レーベル・メイトのアーマー・フォー・スリープと同様、00年代的なもののコンビネーションといった感じ、これといって新しいものではないが、しかし、そのサウンドの真っ直ぐな強さは買う。
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2005年04月24日
 僕にとって、ディジー・ミズ・リジーというバンドは、同世代あるいは同時代的なバンドという認識に止まる程度のものであった。ビートルズへのこだわりはちょっと理解しづらかったが、しかしサウンドガーデンの曲名のもじりを自分たちの楽曲につけたり、インタビューでマニックスの『ホーリーバイブル』をフェイヴァリットにあげたりなどの振る舞いは、過分に共感できるものであった。けれども、サウンドに対する正直な好みとしては、バンド解散後におけるティム・クリステンセンのソロ・ワークスのほうがジャストであったりする。メロディとポップなフィーリングが、純度の高さを保ったまま、身体に浸透してくる感じが堪らなく、よい。

 さて。本作は、どうやらアビーロード・スタジオで行われた公開セッションを、音盤化したものであるようだ。これまでに発表された2枚のアルバムからチョイスされた楽曲を見てみる限り、ベスト盤的な要素も含まれている。もとの音源への細工はほとんど施されていないみたいで、音のヴォリュームはちょっと弱いけれども、なかなかに聴かせる。リラックスしたムードのなかに、適度な緊張感が混ざっており、緩むこともないが、かといって強張り過ぎることもない、ひじょうに心地よい空間が演出されている。やはり、とくに惹かれるのはヴォーカルである。声量が声質がどうのという問題ではなく、なんだろう、ダサい言い方になるが、心がこもっている。春の日に聴くには最適で。とてもあたたかなのだった。CCCD。

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2005年04月22日
 マッドヴェインが初登場2位。スペシャル・エディションの発売にともなってか、スリップノットが29位に急上昇。こういう如何にもアメリカン・ラジカルな感じのものが、いま一番保守的に見えるのはなぜだろう。ガービッジが4位。微妙にライフハウスががんばってるな(先週41位、今週50位)。
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2005年04月17日
 「drive-thru」とは協力関係にある「RUSHMORE」レーベルのカラーを反映しているのか、ピアノ抜きのサムシング・コーポレイトという形容をすることが可能かもしれない。メロディはウェットであるけれども、力強い演奏と、軽快なテンポが、まるで通り雨が去ったあとに照る太陽のような明るさを表している。ソング・ライティングの能力は高い。ポップな感触を、ポップなままで、しかしポップに止まらず、ロックに押し出すアレンジも巧妙である。エンハンスドで収められた映像を観る限りでは、いかにも今どきのアメリカン・ユース風で、どこかゆるく、とくに個性があるわけではないけれども、そのナチュラルなムードがそのまま演奏に反映されているといった見方もできる。若い世代の等身大を描いているという意味では、いま現在このようなポップ・パンクこそがリアリズム、写実主義的なサウンドなのだという事実。
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 A Cruel World

 んー? と、ひとまず言っておくのがいいと思った。んー? どうやらヴィジョン・オブ・ディスオーダーのヴォーカル、ティムとギターのマイクがスタートさせたバンドらしいが、そうした事実から算出される期待値と照らし合わせると、んー? と、険しい顔になってしまうのだった。けっしてクオリティが低いわけではない。そうじゃない。そうではなくて、古いのだ。10年前、ちょうど90年代半ばを思わせる音なのである。クレジットを見ると、なるほど、プロデューサーはGGGARTHだった。こういう言い方がわかりやすいかどうか知らないが、デビュー・アルバムのあと、もしも『インプリント』を作らずに、メジャー・シーンでの活動に完全移行していたならば、こういうサウンドになっていたかもしれない風である。いや、ヴォーカルはすごい。これだけは言っておかなければならない。ヴォーカルはすごい。ただ、バックの演奏が、たとえば左側にパンテラとミニストリーとヘルメットがいる、そして右側にアリス・イン・チェインズとサウンドガーデンがいる、その間にマシーン・ヘッドがいて、そのポイントを追尾するかのような、そういう感じなのである。実際問題として、これが今アクチュアルなのかといえば、んー? と、言わざるをえない。しかし、繰り返してしまうけれども、ヴォーカルはほんとうにすっごい。楽器隊がそのままヴィジョン・オブ・ディスオーダーであったならば、とんでもない作品になっていたんではないか、と、思う。ただ、まあ『フロム・ブリス・トゥ・デヴァステイション 』のあとにこれというのは納得できなくもないし、ある意味では原点回帰だろう。
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2005年04月15日
 If We Could Only See Us Now [CD & DVD]

 8月に新作が出るらしいスライスの、レア・トラック集CDとライヴDVDの2枚組セット。ここでは、CDの内容についてメモ書き程度に。1曲目と2曲目が未発表曲(新録もしくはサード制作時のアウトテイクだと思われる)で、両方ともに疾走感あふれるパワフルなナンバー。3曲目は、サード作収録曲のアコースティック・ヴァージョン。4曲目と5曲目は、サード作収録曲のライヴ・ヴァージョン。といっても、激しい感じではなくて、もともとの曲がそうであるというのもあるけれど、メロウな印象に引っ張られている。6曲目、ビートルズ『リボルバー』収録曲のカヴァー。匂い立つ様式美な仕上がり。7曲目もカヴァーで、80年代に活躍したオーストラリア出身のアーティスト、リアル・ライフのナンバー。元曲にあったピコピコとした感触は、元気一杯のリフ・ワークに置き換えられている。8曲目は、どうやらセカンド・アルバム時のアウト・テイクであるらしい。叫んでいる。ラスト9曲目はセカンド・アルバム収録曲のライヴ・ヴァージョン。で、個人的に、スライスは、ヘヴィ・メタルのフォーマットをメロディック・パンクの側から換骨奪胎したような、さいしょの2枚がジャストで、エモ(スクリーモ?)という文脈に完全に寄ったサード作は、ちょっとメジャー過ぎるというか、あまり好ましくなかった、というのは、やっぱりそれはステレオタイプだろう、とツッコめてしまうからなのだった。で、これなんかはむしろ、そのセカンドとサードの間ぐらいに置いてみると、ちょうどいい。単純にいうと、バラードの存在しなかったバンドが、バラードを獲得するまでの過程といったところだ。
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2005年04月14日
 Prince of Darkness

 これまでにもベスト盤の類は数種出ているので、オジー・オズボーン本人が自身によるライナー・ノーツのなかでいっているように、目玉は、他アーティストとの共演を収めたディスク3と有名ロック・ナンバーをカヴァーしているディスク4であるだろう。もちろん、深いマニアになると、ディスク2に数曲収録されたデモ・トラックにほくそ笑むのかもしれないが、そのデモ・トラックが既発表のものなのかどうかわからない程度のファンである僕には、興味の対象外なのだった。とはいえ、ディスク3はほとんど聴いたことがあるものばかりだし、ディスク4に関しては、作品として純粋におもしろいかどうかといえば、ちょっとばかり微妙である。ディスク4、2曲目のマウンテン「ミシシッピー・クイーン」で聴けるレズリー・ウェストのギターは、あいかわらず格好いいな、と思うけれど、他の楽曲については、全体的にアレンジが手堅すぎて、元曲よりも地味な印象があり、オジー・オズボーンというアーティストにある程度の感情移入をしないと楽しめないような、そういう感じがした。
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2005年04月13日
 アメリカ市場向けのベスト・アルバム的内容で、セカンド作つまり『トータル13』以降の作品のなかから、とりわけヒット・ポテンシャルの高そうなナンバーばかりを集めている。クレジットなどを見る限りでは、とくにリマスターなどは施されていない模様なので、特筆すべきところはないが、こうやって聴くと、バッド・ボーイズ的なムードばかりではなくて、ソング・ライティングの面においても、人を引きつけるだけの実力が備わっていることがわかる。もちろんサウンドの指向として、それがこの時代に合っているかどうかはべつとしての話だが、しかし個人的には、やはり格好よいものは格好よいのだ、と再確認した次第。まあ、この間ベスト盤的な内容のライヴ・アルバムが国内発売されたばかりなので、日本のファン(マニア)にとっては、資料価値に止まるといったところだろう。

 アメリカでのレーベル「Liquor and Poker」のページ→こちら(レーベル・メイトには、ヘラコプターズ、ハノイ・ロックス、ネビュラなどがいる)
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2005年04月10日
 Hell.jpg

 エクストリームなほどにキレているわけじゃなく、制御不能な衝動を振り回しているわけでもない、にもかかわらず、性急なエネルギーに後押しされているかのように聴こえるサウンドを、エモーショナル以外のどんな言葉で言い当てることができるだろうか。イギリス出身であるヘル・イズ・フォー・ヒーローズ、彼らはこのセカンド・アルバムで、アメリカの同世代のバンドが、エモーションを様式化し、わかりやすい流通に乗せるのとは違う、変幻自在の躍動感が、そのまま感情のウェーヴを成しえているかのような、そういうサウンドをやっている。もちろん、それは前作の延長線上にあるものだ。が、しかし、そこからさらにスキル・アップ、ステップ・アップしている。基本的な作りは、声を張り上げたヴォーカルがメロディアスなラインを復唱し、力強い演奏がミドル・テンポをキープし続ける、それによってグルーヴが発生するというもので、アルバムを占める楽曲ヴァリエーションのすくなさは、もしかしたら一本調子と受け取られてしまうかもしれない、が、しかし、どうだろう、場面場面随所随所に設けられた起伏が、退屈さを見事蹴飛ばしている。2本のギターが絡み合う姿がうつくしい。強烈なリフがフックとなるのではなく、しゃららんと柔らかく鳴らされたアルペジオが加速して、がしがしとした硬いフレーズと混ざり合う。ベースは補助線を引くんじゃなくて、ここらへんはニュー・ウェーヴあたりの影響なのだろうか、まるで主旋律を奏でているみたいだ。どこか無機質な感じがするドラムの音の鳴り方もおもしろい。メンバー5人が、楽曲の中心を目指して運動を行っているというよりは、ある決められたポイントを軸に、それぞれ上下縦横と奔放に動き回っている印象だ。そのあたりに、他とは一線を画す、新味や個性が宿っている。惜しむらくは、これがインディ・レーベルからの発表であり、そのせいで大勢にアピールする機会を失しているということだけだ。ここ日本において、イギリスのハード系バンドは、アメリカとは違い、なぜかインディであるというのはプラス評価の理由にならない、どころか、実力とは無関係に、ほとんど無視されるのが現状なのである。
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2005年04月07日
 いや、困ったな、と思うのは、僕のなかにこれをうまく表すための言葉がないためだった。もちろん、カオティックだとか変態だとかブルータルだとか、そういうことは言える、ただ、それではこのサウンドが持っている烈しさの前には、薄く、弱く、軽いのだ。12曲入りで、およそ16分。なるほど、元ORCHIDらしく、楽曲は目まぐるしいスピードと轟々とした音圧で回転する。ヴォーカルを含めた演奏のテンションは、限度いっぱいにまで高められていて、ときおりスローにテンポが下がった瞬間に、平穏でない不協和音が響く。いやあ、困った。やっぱり気の利いた言い回しが考え浮かばないや。滑らかさのない、ごつごつとした感触と、キリキリと軋みながら膨らみ続ける輪郭に、思わず言葉が詰まる。
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2005年04月04日
 Split CD

 ははは。って笑うしかねえな、こりゃ。ジークとピーター・パン・スピードロックという、方やアメリカ、方やオランダを代表する、ロックン・ロール馬鹿一代が顔を揃えた、マニア垂涎のスプリット・アルバムである。つうか、内容とかどうでもいい、というか、内容はいつもどおり、というか、期待値に見事に合致、というか、モーターヘッド直系の男気溢れる力押しであって、この人たちがそれ以外のことをやるはずなどないのであるから、あるいは、この人たちにそれ以外のことを求める人というのもいるはずないのであるから、どうでも良いのである。相変わらず頭がオカシくて、よろしい。阿呆である。や、競演してるとかはないんだけれども、ひとつの盤に両者の名前が刻まれている、もうそれだけで威力は2倍増し、ガチンコ対決の様相を呈してこないか。ある意味ありえない光景を目の当たりにしたとき、ああ、そうか、人は思わず、ははは、と笑えてきてしまうのだな。ちなみにバットホール・サーファーズのカヴァーもあったりする。
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2005年04月01日
 リヴ・ライヴ・イン・パリ(ボーナスDVD付き初回生産限定盤)

 ロックン・ロール、ってやっぱ良いな。と思うのは何よりも、生きている、というサインをものすごくシンプルな形で、こちらに届けてくれるからである。生きるというのは、もちろん、ただ呼吸をすることではない、その呼吸のうちから生まれてくるものを感じとることを指している。すぐれたロックン・ロールは、基本的に、政治的な主義や主張、イデオロギーやメッセージを必要としないにもかかわらず、いや、だからこそ、AとBとCとを、そこから飛んでXやYやZに直結してしまう、そういう深い説得力を持つ。いえいっ、という言葉に、いえいっ、という言葉で返すコール・アンド・レスポンスの関係性は、むしろ算数に近い真理でもって、聴き手にさえ、いま生きている感じがするよ、という精神の安定を与えてくれるのだ。これは、もしかしたら他のどのメディアもジャンルも未だ実現していないコミュニケーションの可能域、そして希望となっているのである、じつは。でもって僕は、そのことの明らかな証左として、このライヴ・アルバムを提出したい。とりたてて革新的なことや斬新なアイディアが盛り込まれているわけでもなく、身振り手振りが過剰なほどに大仰なわけでもない、じつにオーソドックスな4人編成のロックン・ロールに、心躍らされる、燃える燃える燃えて、やけに元気とガッツが出てくるのであった。冒頭、ヴォーカルの調子が危うげで、むむむ? と思わないこともないが、しかし、そうした疑問は勢いとパワーに押し切られてしまう、いよいよ本調子となる5、6曲目あたりまでくると、細かいところなどどうでもいいじゃん、という興奮のほうが先に立つ。オールオーケー、問題はいっこもないよ、と。スタジオ作とは異なり、ハンサムな整形のしていないプロダクションは、このバンドの重心を担う生々しい感触をうまく掴まえている。エネルギーが、放出されたときの姿形のまま渦を為し、そこに聴き手は巻き込まれてゆくのである。あくまでもファン向けなのか、それともファン以外の人たちにもアピールする内容かどうかの判断は難しいけれども、男気溢れる演奏と全能なる開放感、それらの結びついた格好よさだけは、どのような種類の音楽を聴く人間であれ、触れれば誰もがすぐにそれとわかるものに違いない。
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2005年03月30日
 Know Nothing Stays the Same

 来日公演は中止になってしまったCOPELANDが昨年リリースしていた、フィル・コリンズやビリー・ジョエル、ベルリン、スティーヴィー・ワンダーなどのカヴァーを収録したミニ・アルバムである。つい先日発表されたニュー・アルバムも、うつくしいメロディが心の柔らかな箇所に触れるような、そういう意味でエモーショナルな内容であったけれど、ここでも基本的に、メロウな旋律を中心に置くようなアレンジでもって、クラシック・ナンバーが演奏されている。なかなかグッとくる仕上がりだ。エモ云々という米ポスト・ハードコア界隈のバンドだが、トラヴィスのセカンドあたりを好む向きには、十分に受け入れられると思う。それはともかく。これ、iTunesに落とそうとしたら、珍しくデータベースに登録されてなかったんだけれど、なんでだろう。6曲入りなのに99曲カウントされてるからかしら。とりあえず、アーティスト名とアルバム・タイトルだけ入れといた。
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2005年03月23日
 World Needs Convincing of All That It's Missing

 カート・バーロウがプロデュースをしているので、コンヴァージ・フォロワーなサウンドかと思っていたら、わりと今様のスクリームありエモだった。ただギターの音色は、かなり今のコンヴァージに近い感じではある。オリジナリティの有る無しでいったら、評価はちょっと辛い。のだけれども、そこかしこで閃くギターのフレーズが格好いいので、けっこう聴ける。とはいえ、そこのところ、このバンドがもともと持っていた部分なのか、それともカートからのインプットなのかは、この8曲入りEPの内容だけではちょっと判断しづらい。が、今どきのアメリカ発うるさい系バンドとしてのキャパシティは、平均以上ではないだろうか。
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 Cloak of Love

 ブラストビート(要はズガズガドコドコってやつ)と、シンセ・ポップ(要はピコピコタリラリってやつ)という、いっけん相反するふたつのマテリアルの融合、という発想が、かなりエキセントリックな印象を与えてくれるニューヨークのトリオ。これはデビューEPで、なるほど、自己紹介程度には十分機能している。「ロック・キャンディ」とか「レーザー・ビッチ」とかの曲名からして、まあ、どこまで本気なのかはわからないけれども、一瞬の芸としては、なかなかインパクトのあるサウンドなので覚えておこう、と思った。
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2005年03月22日
 サウンドトラック・トゥ・ア・ヘッドラッシュ(初回)

 とりたててトリッキーなことをやっているわけでもないのに、新鮮な風に吹かれることもあるわけで、このバンドのサウンドは、まさにそんな感じだ。本来であるならば90年代以降のポスト・ハードコアにおける幅広い領域を、便宜上カヴァーするために、エモという言葉はあったと思うのだが、それ自体が、もはやひとつのジャンルあるいはスタイルと化してしまった現在に至っては、流通する商品に対するラベリングとしてしか機能していない。それか、誰でもイージーに模倣しつつ弄れる方法論として、まるでオープンソースのソフトみたいに配布されているに過ぎない。まあ、それはそれで仕方ないよな、とは思う。が、その一方で、だったら、もうちょいおもしろおかしくカスタマイズして欲しいもんだ、と思わず言いたくもなる。真似して終わりでは、寂しすぎる。じゃあ、これはどうなんだ、というところで、きっちり自分たちなりの解釈を被せているあたりに、プラスの評価が与えられるのだった。基本はスクリームありのエモである。そこにハード・ロックを大さじのスプーンで約5杯、ロックン・ロールを小さじ3杯ほど加えた音は、なんとバックヤード・ベイビーズあたりの北欧バンドが持っている感触に似ている。か、っとなって燃える。おお、これが交配の妙というやつか、ちょっとばかり驚いた。まあ、ボーナス・トラックで収録されているスマッシング・パンプキンズ「武装解除」のカヴァーは、カヴァーというよりは完コピなんだけれども、そこまでの流れがちゃんと満足できるものなので、オマケとして聴く分には、ぜんぜんオーケー、デザート感覚で楽しめた。
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 二級品感漂うジャケットとタイトルが、良くも悪くも、すべてを表しているカラシのセカンド・アルバム。MCの交代があったが、基本線は変わらない、ローよりもハイな気分が強いロックとヒップホップのミクスチャーである。ある意味ではオールド・スクールな作りなのだけれども、このバンドの場合、着こなしが上手い、というか、センスの良さのほうにまず先に耳がいくので、ダサいという印象は、ほとんどない。前作に比べると、ミドル・テンポのナンバーなどに顕著なのだが、しっかりと重心がとれていて、矢継ぎ早に繰り出されるラップが、外へ外へと向かう、その勢いをぐぐっと引き戻し、あくまでも楽曲の内部に止まらせている、トータルで魅せるバランスとクオリティにフィードバックされているのだった。が、しかし反面、ラジオ・フレンドリー的な行儀の良さが表立ってしまってもいる。アルバムを総体でみれば、繰り返し聴ける耐久力が備わっていて、レベルの上昇は認められるのだけれども、突き抜けるパワーは失しられてしまった感じだ。前作でいえば「スティック・エム・アップ」のような、ずば抜けてヒット・ポテンシャルの高い一曲があると、ずいぶん雰囲気が変わる気がするし、それはけっして高望みではないと思うのだが、この作品に関しては、こちらの期待値を超えてはいかなかった。悪くはないんだけども、と、いったところである。
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2005年03月18日
 Gratitude
 
 世界中にたくさんのエモーションが散らばっていて、そのひとつひとつが輝いている。あたたかい血を流している。けれども、それらはあまりにもひとりぼっちなので、ときに凍えて身動きがとれなくなる。これでお終いにしたい、と思う。が、しかし、それでも消えない熱がある。生きている。生きていた。そのことを思い出させる扇動性が、ジョナ・マトランガのヴォーカルには含まれている。サウンドの基本線は、ワンラインドローイングのような、いかにもソロイストなものではなくて、ニュー・エンド・オリジナルに近しい、バンド編成を強調したものであるが、ニュー・エンド・オリジナル以上に2本のギターがハードに響いている。でも、それは一方的な力押しを表さない。さまざまな痛みをすり抜けてゆく、軽やかさとスピードを導き出す。やわらなかメロディをうたう声の、そのなかにあるナイーヴさを庇うようにして、バックの演奏は激しく鳴っているみたいなのだった。ソング・ライティングの高さも異様である。どの楽曲もアンセムたりうる、そういう資格を持っている。名盤っていう言葉は、杜撰すぎる評価なので、あまり使いたくないのだけど、じゅうぶん名盤の名に値する内容だと思う。そして何よりも、ときどきは見失いかけそうになる感情の、その在処を指し示していてくれるサインだ。これに続いてゆけば、いつかは君に会えそうな気がした。
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2005年03月12日
 「「アートは死んだ」っていうのがもう死んでる」というタイトルが示すとおり、ポスト・ハードコアをメタ的に解釈したようなサウンドをやっている。一筋縄ではいかない、何本もの線を結んで開く、プログレッシヴで複雑な曲展開の上に、かなりのカロリーを消費しそうなエネルギーが乗っている。乱暴にいってしまえば、マーズ・ヴォルタの楽曲をスパルタが演奏しているような感じである、が、けっしてアット・ザ・ドライヴインのフォロワーというのではない。他にもロカストあたりから影響を受けていそうなところもあり、要するに、オリジナルであろうとする意志がそのまま一音一音に反映されているというわけだ。オーヴァーグラウンドでのネクスト・レベルがどうのこうのとかいうんじゃなくて、アンダーグラウンドにおけるストイックさを、まざまざと見せつけてくれるバンドである。激しくかっこいい。ぐわーっときた。そこらの半端もんにはないクオリティがある。

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら
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2005年03月11日
 マーズ・ヴォルタが4位! は、ちょっとびっくりした。
 ジューダス・プリーストが13位!! も、ちょっとびっくりした。
 どっちもそのキャリアの上では、ちょっとあれがあれであれな出来なので、ごにょごにょ。
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2005年03月10日
 Never Apologize Never Explain

 イギリスやヨーロッパあたりでの評価は安定しているけれども、前作から日本発売がなくなってしまったのが、残念で残念で仕方がない8枚目のフル・アルバム。もはや普遍に届きそうなネガティヴ・パワーが超フル回転である。ふつう15年以上も活動を続けていれば、当初のモチベーションやルサンチマンやらは薄まってしまってもよさそうなものだが、このバンドに限って、というかアンディ・ケアンズに関しては、それはないみたいだ。たしかにサウンドの輪郭は、初期の頃のようなグルーヴを重視したものでも、『トラブルガム』で顕著になったポップ性を活かしたものでもなくて、『スーサイド・パクト』以降のゴツゴツとした感触のロックン・ロールだが、根本の部分に変化はない、「DIE LIKE A MOTHER FUCKER」だなんていってしまう、相変わらずの恨み節である。本作からどうもトリオ編成に戻っているようだが、音は、4人編成だった頃以上に分厚くなっている感じがする。その分、怨念の強さも強く聴こえてくる。幸せなやつらは、みんな死ねばいいのに。そんな気分に陥ったときのやるせなさに、ジャストでフィットする。
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2005年03月02日
 Life Begins Again

 ドラマーというのは、どうもバイ・プレイヤーな印象が強い。それって偏見かしら。まあ、だから僕が、ドラマーのソロ作で聴くのって、たぶん、コージー・パウエルのぐらいだ。ふだんは興味がないのだが、しかし、元スマッシング・パンプキンズならばべつである。ジミー・チェンバレンの猛烈なアタックは、スマッシング・パンプキンズの文系的なサウンドを、轟くディストーションとともに、ハードかつアグレッシヴなものへと盛り上げた、強力なフックだった。そんなこんなでマイ・フェイヴァリット・ドラマーである。でもって、このアルバムは、その期待を裏切っていない。とにかくドコドコやるタイプの作品ではないのもナイスである。あくまでひとつ楽曲があって、その表情に沿うようにして、手数の多いドラムがタカタカと鳴る。それでも、彼が叩いているのは間違いようがない、という個性がちゃんと貼りついている。何曲かはヴォーカル入りである。うち一曲にはビリー・コーガンが参加している。それはスタティックなナンバーであるけれども、跳ねるような躍動感をドラムが作り出し、その躍動感から染み入るエモーションが生まれている。全体的に大人しい内容なので、わっと驚くところはないが、逆に深く頷いてしまう、そういう説得力がある。
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2005年02月25日
 Red, White & Crüe

 そりゃあセレブリティのエゴを撒き散らすヴィンス・ニールとトミー・リーは糞だと思うぜ。僕にとってのモトリー・クルーは、永遠にストリートの詩人であり続けるニッキー・シックスと、マルコム・ヤングの次に過小評価されているギタリスト、ミック・マーズなんだからな。というわけで、モトリーのベスト盤である。何回目の最高潮(ベスト)だよ、って感じさ。けれども、ほんとうに良いものは最後に差し出される。つまり僕は、ジョン・コラビ時代(大好きだよ『モトリー・クルー』アルバム)までをも網羅したこれが、最終的に全部の総括であって欲しいと願っている。これでお仕舞い、次は無くっていいよ。おい、金儲けは止めろよ、ロック・スター。それはあんたたちの仕事じゃないだろう。僕らが羨むのは、ドラッグやアルコールでぐちゃぐちゃになっても死なず、今を、何度の失敗を繰り返しながらも生き延びているような、そういう刹那だけなのだった。しかしまあ、とにもかくにも90年代にボブ・ロックが作ったドラム・サウンドはやっぱり強力だったって思い知らされた次第。
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2005年02月24日
 ははは。これはすごい。ガツンときた。ま、一言でいえば、カオティックとか、そういう風に形容されるべきサウンドなんだけれど、カオティック云々っていうのが、ある種の様式美みたくなってる現在において、ここまで混沌と混乱と狂騒が突き抜けているバンドなんて、そうはいない。わかりやすくいうと、ブラッド・ブラザーズにデス・メタルやグラインド・コアを混ぜたような感じなんだけれども、その時点で一筋縄じゃないっていうか、テンション高すぎて過呼吸へ一直線である。ラスト5曲目でナックの「マイ・シャローナ」をカヴァーしてる、それがあまりにも馬鹿らしくて、ふつうにぽかーんとしてしまう。阿呆の境地である。や、このバンド、ほんとにすげえですよ。たぶん、頭おかしい。

 レーベルのページは→こちら
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 What to Do When You Are Dead

 ニュージャージー・テイストというのがあるかどうかわからないけれども、同郷のサーズデイやマイ・ケミカル・ロマンスの中間項となるようなサウンドをやっているのが、アーマー・フォー・スリープである。とはいえ、前述の2バンドと違うのは、ヴォーカルがギターも兼ねているということであり、それはもちろん音のほうにも作用していて、メンバー4人が一丸となって設ける雪崩のようなダイナミズムが、ひとかどの魅力となっている。ナイーヴなメロディを静と動のタイミングの切り替えによって強調する、そういう今様エモーショナル・ロックなのだが、なかなかこれはいい線をいっている。轟音が感情の表出であることに対して、ちゃんとした説得力を持っているのだ。借り物くさくない。前作から大きな変化はないけれども、一音一音への細やかな気配りにおいて、着実な成長を感じさせている。ひとしきりの衝撃ではなくて、力量でもってしっかりと聴かせる作品である。
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2005年02月22日
 Armed Love

 わ、新作出てたのか。しかも、けっこう前じゃないか。ああ、日本盤化がスルーされると情報が偏るな。オリジナル4枚目。クレジットを見ると、キーボードが抜けちゃったみたいだ。でもって、今回のプロデューサーはリック・ルービンで、ミックスはリッチ・コスティ(RICH COSTEY)という具合に、一線級のサポートにより制作されている。のだが、出来映えはというと、一言でいえば、ポップになった。ポップになったっていうか、アグレッシヴさやラジカルさではなくて、もっとずっとロックしてロールする欲望に忠実になっている。もともとレトロスペクティヴな趣のあるサウンドだったが、そういう原点(原典)を忠実に模写しながらも、オーヴァーヒートな熱量でもって、核心に迫る部分を、現代にまで引っ張ってきた印象だ。感覚としては、ガレージ・ロック云々っていうのは薄く、90年代にクーラ・シェイカーやリーフのやっていたものに近しい。ジャケットなんかを見ると、相変わらずポリティカルなメッセージを放っているようだけれども、そういったことは関係なしで、素直に心地よく聴こえてくる。関係なくていいのか、という疑問がないこともないが、それよりも何よりもまずここに反映されているのは、バンドの政治的な信念を駆動させている、心臓の音だろう。

 バンドのHPは→こちら
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2005年02月20日
 PUSHING THE SENSES(期間限定生産品)

 つよく、そして、あたたかいアルバムである。という、あまりにもありふれた感想を思わず書いてしまうのは、これを、ありふれた内容の作品だという風に言いたいわけじゃないのだった。むしろ反対。ものすごく普遍の魅力を湛えている、というか。楽曲は、幅広い射程を持ったヴァリエーション豊かなものでありながらも、焦点をずらさず、いくつものメロディ・ラインの交わるポイントが、感情の深くにあるコアな部分を指し示している。ばかりでなく、柔くメロウに流れていってしまいそうなムードを、一音一音の激しい躍動が救っていて、心ばかりか、体までをも突き動かされる。つまり、このバンドの本質でもある、ハードさ(つよさ)とポップさ(あたたかさ)の絶妙すぎるコントラスを、存分に楽しめるのであった。全体の印象としては、轟音が身を潜めた前作や、コンパクトなディストーション・サウンドに溢れたサード・アルバムよりも、セカンド作の若々しくも叙情的な作風に近しい。けれども、そこでの代表曲である「ハイ」が、どうにもスマッシング・パンプキンズ「トゥデイ」を思い起こさせてしまう、ほんのすこし説得力を欠くものだったのに対して、ここでは、他の誰にも似ない、べつの何かでは代替しえない、完璧なほどに独自の領域でもって鳴り響いている。ああ、まるで色鮮やかな感情が、灰色の壁を突き破る。恒久に届きそうな光だ。
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2005年02月17日
 あーやっぱりどっか引っかかるバンドだな、と、このニュー・シングルを聴いて思った。『ロッキング・オン』3月号の「今、聴くべきUKロック100曲」っていう特集のなかで、デビューEPが「激情エモ」ってな具合に紹介されていたけれど、まあたしかにそういう側面がないこともないが、なんか違う。ややガレージ・ロック(あるいはジャンク)っぽい雰囲気も併せ持っているというのもあるんだけど、もうちょっとこう、冷静な眼差しがどっかにあって、それが楽曲の鋭いタッチへと結びついている感じなのだ。シガー・ロスあたりからの影響もあるのかもしれない。表題曲はヘヴィなグルーヴの渦巻くナンバーで、衝動と内省が相殺しあっているのかのような、息苦しい圧迫感が、こちら聴き手をひどく緊張させる。プロデューサーにはFlood(ニュー・オーダー、U2、ナイン・インチ・ネイルズ、スマッシング・パンプキンズなど)、ジャケのアートワークにストーム・ソーガソン(ピンク・フロイド、クランベリーズ、ドリーム・シアター、ミューズ、マーズ・ヴォルタなどなど)という起用は、かなりメジャーな力が入っているけれども、そんなに売れ線な感じがしないのは、定型や典型からは半歩ほどズレたセンスのようなものが、バンドの本質に関わる部分だからだろう。いや、このバンドは、僕のなかじゃあかなりプッシュである。

 バンドのHP→こちら  でもって、新曲のPVは→これ(WindowsMedia)かこれ(RealMedia)で
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2005年02月15日
 ブレスド・ブラック・ウイングス

 元スリープのマック・パットを中心としたトリオのサード・アルバムで、ベースには元メルヴィンズのジョー・プレストが迎えられ、そしてプロデューサーにスティーヴ・アルビニを起用という具合に、武装をかなり強化して鳴らされたサウンドは、猛烈疾走するヘヴィ・メタルなのだった。現代的なアイロニーとしてのヘヴィ・メタルではなくて、まじメタル。様式美ぶったものでもなくて、野蛮なほどにラウドなヘヴィ・メタルである。人脈的には、ストーナーだとかドゥームだとかの、重量感溢れるがゆえにスロー・ペースなものを想像させるが、しかし、モーターヘッドを彷彿とさせるような爆音を走らせていて、ものすごく燃える。熱のこもった演奏を聴かせている。ボーナス・トラックとして収録されたジューダス・プリーストのカヴァーも、なかなかの熱血モードである。ところで。スティーヴ・アルビニといえば「プロデュース」ではなくて、こだわりを持った「録音」というクレジットで知られるわけだけれども、ここではちゃんと「プロデュース」になっている。これって、いつ、どのアーティストぐらいから方針を変えたのかしら、知らなかった。
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 フランシス・ザ・ミュート~スペシャル・エディション(初回限定生産盤)(DVD付)

 なんとなく、すごい。たぶん、高度なことをやっている。そうした「なんとなく」や「たぶん」で済ませてしまいたい、まるで批評を拒むような衝撃が、前作(デビュー・アルバム)にはあった。が、しかし外部のプロデューサーを立てず、ギターであるオマーによる指揮のもと製作されたこれは、ちょっと、こちらの想像力を遥かに越えたスリルみたいなものを欠いてしまっている。楽曲の展開は派手だけれども、静寂を切り裂いてゆくようなギターとドラムのアタックを中心に置いた構成は、あんがいドリーム・シアターとそう変わりはないのではないか、と思ってしまった。セオリーをとことんまで拒否することのみをセオリーとしたメタ・パンクの着地点は、けっこうプログレ・ハードのサウンドに近しいのかもしれない。とはいえ、それらは似て非なるものである。決定的に違うのは、やはり、ここでうたわれている感情それ自体が、類型的な造形から逃れていることだろう。隙間なく構築された音世界のなかで、声を震わせるセドリックのヴォーカルは、いったい何を伝えようとしているのか。それはきっと言葉には収まりきらないものに違いない。けれども、どこかで知っている、当てはまるものがあったはずで。それがいったい何だったかを考えることに、大きな大きな意味がある。
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2005年02月10日
 3月に来日公演が決まっていたにもかかわらず、ワイルドハーツを解散してしまったジンジャーは、けっきょくブライズ・オブ・デストラクションに加入した(レコーディング風景の写真がトレイシー・ガンズのブログで見られる)わけだが、それはそれとして、01年から02年にかけてワイルドハーツの活動とはべつに、「THE SINGLES CLUB」と題して、新曲を含んだシングルを12ヶ月連続でリリースするという計画のもと発表された楽曲を、たぶん途中で計画が頓挫したため、まとめてしまって2枚組のアルバムとしたのが、この作品である。正直なところ、何曲かはデモっぽい雰囲気以上のものには仕上がっていない、練りが足りないが、しかしそれでも、疾走感溢れるチューンからミドル・テンポのナンバーそしてバラードまで、ヴァラエティに富み、グッド・ソングライティングでナイスなロックン・ロールが、たくさんたくさん詰まっている。ワイルドハーツよりもシルバー・ジンジャー5に近い性格を持っているみたいである。個人的には、ディスク2よりもディスク1のほうを繰り返し聴いている。とくに、わはーと憂鬱を脇に除けてハイなポジションに聴き手を着地させる、1曲目と3曲目が、よい。よいのだ。
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 City Is Alive Tonight: Live In Baltimore [Bonus DVD]

 01年のデビュー作にシステム・オブ・ア・ダウンのメンバーがゲスト参加していたことで、一時期注目を浴びた変態系ヘヴィ・ロック・バンドのライヴ・アルバムである。ターボニグロとフェイス・ノー・モアを掛け合わせたかのようなスタジオ音源からして、タガの外れたサウンドをやっているので、音のトリッキーさには驚くことがないけれども、ここでは、それよりもいくばくか勢いのついたストレートな演奏を聴かせている。遊園地のBGMを思わせる安っぽいキーボードのアクセントと、疾走する重低音のもつれ合う格好のユニークさに、魅せどころは満載である。もともとはスラッシュ・メタルみたいな切っ先のするどいギターを過分に含んでいた9曲目が、某有名ハード・ロック・ナンバーのフレーズを中盤で流用し、さらにコミカルかつアグレッシヴなアレンジでもって演奏されていて、おもしろい。
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2005年02月07日
 スクリーム、メロディアス、アグレッシヴ。サウンドのフォーマットとしては、テイキング・バック・サンデイとグラスジョーの中間あたりに位置づけられそうだ。が、しかし、バックの演奏のストレンジさが、かなり心地よい。比較対照としてもうひとつ、FORDIRELIFESAKEの名を挙げてもいいかもしれない。米ポートランド出身。前作(デビュー作)『FLUID』では、ギター、ヴォーカル、ベース、ドラムの4人編成だったけれど、このアルバムからキーボードが参加している。そのキーボードとギターのトリッキーな絡み合いに才気走ったところがある。これは個性だ。が、反面、ヴォーカルのうたうメロディが、ちょっと類型的すぎるため、すこしばかり印象を弱めてしまっている。そこだけが勿体ない。とはいえ、なかなかの内容を備えた作品である、と思う。気に入った。

 バンドのオフィシャルHP→こちら(音出ます)
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2005年02月04日
 …アンド・ユー・ウィル・ノウ・アス・バイ・ザ・トレイル・オブ・デッドの『ワールズ・アパート』は、初登場81位。さて、ここからどう動くかというのは気になる。あとはブライト・アイズが10位と15位。個人的には、15位の『デジタル・アッシュ・イン・ア・デジタル・アーン』のほうを、よく聴いてますです。
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2005年02月01日
 Worlds Apart

 こりゃあサプライズだ。ポップだ。ロックだ。明快で、爽快だ。あまりにも驚いたので、こんなバンドだったか、と、思わず前作を聴き直してしまったよ。ああ、ギターやドラムの鳴らし方は以前と等しいのに、それがなぜか、うるささや激しさを重視するのではない風に響いている。03年のEP『THE SECRET OF ELENA'S TOMB』からしたって、ここまで煌々としたサウンドになるとは想像できなかった。や、もちろんそれは、能天気になっただとか、メロディアスになっただとか、リラックスしただとか、売れ線になっただとかいうのとは、ちがう。決定的に違っている。一言でいえば、奥ゆかしくなったのだ。緊張感と配慮が、それをそれと感じさせないほどに、敷かれている。安直ではないのだ。安直になることを、徹底的に回避した結果、一回りして、矢のように鋭い一線へと至っている。騒然としたノイズは、フィルタリングされているわけではない、生真面目に束ねられているがゆえに、ストレートな放熱として聴こえてくる。前作までのほうが衝動に掻き立てられるので好みだ、という人もいるだろうけれど、これはこれで、他に類をみない、アクロバティックかつマッシヴな音響として、ぱしん、と強く、不感症の頬をはたくのであった。
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2005年01月30日
 カナダ出身ヘヴィ・ロック・トリオのデビューEP。たぶん比較対象は、ツアーに帯同したこともあるアイシスあたりになる、そういう重量感と静寂の綯い交ぜになったサウンドである。ただ、壮大なスケールで聴き手を攪乱するというよりは、もうちょっとミニマムな陶酔が目指されている。ぶっちゃけて、シガー・ロスのカオティック・ハードコア的解釈という風にいえなくもない。演奏、楽曲の構成力、ポテンシャルの高さには、圧倒されてしまう。まいった。が、しかしアイディアとしては、すこし凡庸な気がするのだった。このEPに収められているのは5曲だけなんだけど、それでも、かなりお腹いっぱいになってしまうので、アルバム一枚これだと、ちょっとツラいかもしれない。そこらへん、どう出るのかによって、バンドの評価は決まってしまうのだと思う。なんにしても、ファースト・アルバム待ち。
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2005年01月29日
 ちょっと前にサブ・カルチャーの界隈で(あるいはネットのなかでだけ)よく使われた「セカイ系」という、要するに「きみとぼく」で構成される世界、それを成立させてしまう自意識の原風景として、中村一義の歌というのは存在しているのだ、と僕は思っていて、そのことは、バンド編成になってのデビュー・アルバムにあたる本作においても、あれ、なんだ、変わりはないのかな。ただ、以前であるならば、ひとりで両の手を伸ばすようにして抱えられていたものが、ここでは、6人のメンバーによってシェアされているという違いはある。がゆえに、正直なところ、焦点の定まらない、悪くいえば、散漫な内容になってしまったのではないか。それぞれの楽曲の出来は悪くはない、どころか惹きつけられる楽曲はいくつもある。が、しかし、たとえば曲順をシャッフルしてみると、それら1曲1曲が持っている質感に違いがありすぎて、同じレベルで捉えるのは、けっこうキツい。や、コンセプチュアルといえば、そうなのかもしれないし、バラエティに富んでいるといわれれば、そうなのかもしれない。でも、僕なんかは、アルバムをトータルとして見たときに、やっぱちょっと、方向性の定まっていない感じを受けるのだった。

 シングル「A / やさしいライオン」についての文章→こちら
 シングル「HONEYCOM.WARE / B.O.K」についての文章は→こちら
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 インフィニティ・ランド

 僕のハートを引っ捕まえたのは、シングルとして切られ、02年のデビュー・アルバムに収められた「57」というナンバーだった。一発で耳についた。それ以来ずっと、気にかけているバンドである

 アメリカの90年代グランジを、あきらかにロール・モデルに置きながら、狂った拍子で、ヴァース・コーラス・ヴァースの定型を似て非なるものへと変えようとする、その試みは、セカンド・アルバムにも受け継がれた。

 三人編成というのはよく、演奏の面において、自由度が高い、フレキシブルだ、といわれる。ポップなフィーリング、コーラス、リフ、ディストーション、そういったフックになるべき要素を、強調すべき重要なファクターとして捉えるのではなくて、まるでお手玉のように、次から次へとスイッチしてゆく、その姿形は、同じイギリスの先行するトリオである(けれども、きっと同世代だろう)ミューズにも似ていたが、彼らがロマンティシズムなメロディに絡めとられていったのに対して、このビッフィ・クライロは、もうちょっとマッチョでダサいけれども、その分だけ太く直接的な肉厚を追い求めているみたいだった。

 その成果が、サード・アルバムにあたる本作に表わされている。正直なところ、疾走感を大事にするクリス・シェルダンのプロデュースがギリギリ追いつくような、展開に展開を重ねる楽曲は、ストレートなものを求める向きにはすこし複雑すぎるし、かといって複雑なものを求める向きにすこしストレートすぎる、ぶっちゃけちゃえば、ちょっとばかり中途半端だ。が、しかし、その変化球ぶりが、いい。こちら聴き手の、ステレオ・タイプな期待を裏切り、そののちで満足させてくれる。前半ばかりではなく、後半の楽曲も充実している。

 イギリスのハード系サウンドは、90年代以降、や、もしかしたら80年代のニュー・ウェーヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタルからずっとかもしれないが、これといった大きなストリームがない。それぞれのバンドが、それぞれ孤軍奮闘してきた印象がある。ここで聴かれるフリー・スタイルなサウンドは、そういった土壌と無関係ではないように思う。

 つまり。なにか拠るべきカテゴリーがあるのではなくて、等身大の自分を、力強く、遠く響かせようとしているのだ。そうして進む。前へ。
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2005年01月27日
 「エモコア」という言葉、というか定義が表すところの「エモ」っていうのは、要するに、メロディのことなんだと思う。それはおそらく、80年代イギリス(あるいはアメリカン・インディ)の、ポスト・パンクという意味合いでのギター・ポップを来歴としている。そのように考えるのであれば、パンク→ポスト・パンク→ハードコア→ポスト・ハードコアという流れを汲んだ「エモコア」が、なぜメロディを重視するのかが見えてくる。あくまでも受け継いだ精神性の顕在化なのだ。ひじょうにアコースティカルでメロディアスな、ときおり過剰なほどに仰々しく響く箇所もあるが、基本的には、スタティックな内容で、本業であるカーシヴに比べると、かなりエキサイトメントに欠ける。じっくりゆっくり進む。けれども、それは、日和った、枯れた、降りた、とか、そういうことじゃない。ただ表し方が違うというだけの話だ。「コア」であることではなくて、「エモ」であることに拘った作品なんだろう。雨の日にコーヒーでも飲みながら、ひとり部屋で聴いていたい感じである。

 日本盤ボーナス・ディスクである先行EPについての文章は→こちら
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2005年01月25日
 フェレット・ミュージックから登場した米4人組の、デビュー・アルバム。うーん。「カオティック」っていう言葉(定義)も、もはや様式の一種を表すものでしかないのかもね。たしかにコンヴァージあたりを経由したかのような、ドカドカズガーギシガシギャー的なサウンドであるけれども、どうも驚きがすくないというか、びっくりするような展開がないというか。もちろん、こちらの耳が慣れてしまったというのもあるんだろうけれど、だから、それ以上のサプライズが欲しかったりもする。ギターのフレーズやメロディの用い方に、この手のものでは珍しく、90年代型インダストリアル・メタルからの影響を伺わせるのが、個性といえば個性なのかもしれない、が、しかし、それでもインパクトは弱い。ソング・ライティングやクオリティにしても、まだまだ、という感じである。
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2005年01月23日
 プロデュースを手掛けたドン・ギルモアのテイスト溢れるセカンド『ア・プレイス・イン・ザ・サン』の、下品ともいえるポップさこそが、のちにリンキン・パークやグッド・シャーロットの登場してくる下地を作ったのだ、というのが僕の読みであるが、ただ前作『アトミック』は、そういった馬鹿馬鹿しくもある判りやすさを、すこしばかり欠いていたように思う。不特定多数を相手にするメジャーの領域を意識し過ぎたのか、正統的なアメリカン・ハード・ロックに止まる、上限を突破するような勢いが削がれてしまっていた。そのように考えるのであれば、レーベルを移籍し、バンドのセルフ・プロデュースでもって制作されたこのアルバムは、ある種のリハビリに近しいのかもしれない。前半はまだ堅いところがあるけれども、じょじょにテンポが上がると、調子のよいポップ・ソングを連発してゆく。それと、ここのギターはけっこう器用で、濃淡のあるアクセントが、わりとクセになる。
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 僕の友達のTくんは、さいきんのヘラコプターズはちょっと黄昏れすぎてて駄目だぜ、という。けれども、音量を限りなく大きくしてみろよ、そのメロウに強くしなる部分が、ほら、僕の自意識を見事なまでに、ふっ飛ばしてくれらあ。という意味合いで、やはり、これは、さいこうのロックン・ロールなのであった。02年に録音された音源を収めた6曲入りミニ・アルバムであるが、しかし、フル・アルバムに匹敵するほどの充実感を与えてくれる。テンションを上げまくる衝動ではなくて、有り余るエネルギーをコントロールするストイックさが、ギターのリフとキーボードのフレーズを軽やかに舞わせる、いっけんシンプルだが、しかし奥深くキレのあるサウンドを作り出している。その切っ先は、かなり鋭い。
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 ローフラー3兄弟によるトリオのサード・アルバム。時期的にヘヴィ・ロック版ハンソンなどといわれていたようだけれども、デビュー作は、僕のお気に入りであった。ざらざらとした感触の、ダイナミックでプリミティヴなノイズは、気持ちよかった。けれども、あまりにもTOOLフォロワーなセカンドには、挫折してしまった。結局のところ、ファーストの出来っていうのは、プロデュース(録音)を手がけたスティーヴ・アルビニのおかげだったんじゃないか、と。だが、しかし、これは、まあまあだ。ファーストとセカンドの、ちょうど間に置かれるような、そういう内容にまとめ上げられている。TOOLっぽさ、とくにヴォーカルのとり方は抜けていないけれども、バックの演奏のゴリゴリとした躍動が、ドロドロとしていない、ソリッドな、あまりにもソリッドな黒を描いている。さいしょは詰まんねえな、と思うかもしれない、けど、何度も聴くに耐えうる仕様だと思う。
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2005年01月15日
 自意識が面倒くさいんだよ、と、僕はいう。だけど君、ウズウズするようなロックン・ロールにさらされている間はいつだって、そいつを忘れられるだろう。スウェーデン出身の4人組、通産4枚目のフル・アルバム、レーベルを移籍してのはじめての作品である。サウンドのフォーマットとしては、モーターヘッド型の、分厚い音が鳴り響く、爆走と狂騒の猛烈なアタックだ。が、以前までと比べると、楽曲のアレンジの部分において、それなりのキャリアを感じさせる、カッチリとまとまった、構成力のある展開を聴かせる、そういうミドル・テンポのナンバーが増えた。とはいえ、先行する同郷のヘラコプターズやバックヤード・ベイビーズが、丸くなった、ちょっとしょんぼりしてるよな、と思う向きには、これはまさにジャストである。是が非でも多くの人に聴かれるべきなんだけれども、線の太すぎるあたりが、軟弱なサブカル・ロックン・ローラーどもにはマッチしないかもしれない。自分の眉毛を細く整えながら「いえい、ロックだぜ」とか口にしたがる連中は、みんな死ねばいいのに。僕の人生は忙しいので、そんなことには構っていられやしねえよ。ブサイクなままでも、あんたよりは格好よく生きる、そして死ぬ。

 バンドのオフィシャルHP→こちら
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2005年01月10日
 つくり方はともかく、聴くほうとしては、DJミックス的な感覚。ジェイZのラップも、リンキン・パークのサウンドも、次の瞬間までを繋いでいくための、即時的なカタルシスとして響いている。ラディカルであるというよりは、今の時代においては、至極まっとうなアプローチのように思える。うわ手堅いなあ、と毒づいてしまう一方で、気がつけば、何度も繰り返し聴いている僕がいるのだった。それほど耳に馴染む。ヒップ・ホップ的にどうの、ロック的にどうの、ではなくて、すぐれたポップ・ミュージックとして機能している。としたとき、ではポップ・ミュージックとはなにか?という問いが浮上するけれど、たぶん、消費尽くされる速度よりもはやく大勢の脳髄に浸透してゆくものを指して、僕たちは、そう呼ぶのではないかな。
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2005年01月04日
 マニック・ストリート・プリーチャーズの終わり、というのはきっと人によってさまざまだ。岩見吉朗ならば初期の解散宣言が撤回されたときにマニックスは終わったのだろうし、逆に、最新作をつねに追い続けるような人たちにとってはいまだに終わっていないのだろう。そして僕にとっては、この『ホーリー・バイブル』こそが、マニックスのラスト・アルバムにあたる。つまり、リッチー・エドワーズがいなくなってからのマニックスなど、マニックスではないということだ。

 そうしたリッチー至上主義者において、このアルバムが持つ意味合いというのは、ものすごく大きい。その大きさゆえに、デビュー作でなく、セカンドでもなく、なぜか本作だけが発売10周年という形で再生を遂げたことに関しては、すこし複雑な感じがしないでもない。じっさいに、ついさっきまでオリジナル盤は10年という時を経てもなお、ノスタルジーのほうへ追いやられずに、CDプレイヤー上ではまだまだ現役のままであったりしたからだ。

 『ホーリー・バイブル』は、マニックスにとって、ひとつの到達点であった。それまでわりと音楽的な部分においては、ハイプ的な見方をされていた彼らであったが、このアルバムは、先行するイギリスのパンク・バンドであったカーターUSMが「4st 7lib」を絶賛したことを筆頭に、かつてのマニックス否定論者たちを捻じ伏せるだけの内容を持っていた。ぜんぜんアップ・テンポにならないビートは、重苦しい歌詞を反映し、それでもどこかポップなメロディが、生命の躍動を感情に移し変えているみたいだった。

 今回のアニヴァーサリー・エディションは、オリジナル盤のデジタル・リマスター、未発表のUSリミックス盤、そして当時のライヴ・シーンやテレビ番組出演時の模様を収めたDVDの3枚によって構成されている。特筆すべきはUSリミックス盤だろう。デビュー作にもアメリカ市場に向けてリミックスされたものが存在するが、それと同じように、全体的に音がゴージャスになっている。だが奇妙なことに、そのゴージャスさがマニックスには相応しいと思える。

 マニックスはつねにアメリカを目指していたバンドでもあった。アメリカを目指すと言い方は語弊があるかもしれないが、イギリスのバンドが国内に止まらず世界規模のスケールでもって世界の不正と戦おうとしていた、ということである。これは同世代のバンドが、やがてブリット・ポップというイギリス国内的なムーヴメントに回収されていったこととは、じつに対照的な姿勢である。

 当時のインタビューなどで語られたように『ホーリー・バイブル』は、今ならグローバリズムとでもいうべき、アメリカ主導の民主主義と資本制に対する異議申し立てである。リッチーとニッキー・ワイアーの書く歌詞の大きな違いは、固有名の扱いである。ニッキーがどちらかといえば固有名を控え目に扱うのに対し、リッチーは固有名を列挙するようなやり方を好んだ。固有名は見えざる権力、あるいは民主主義や資本制を形作るのと同じような、同調圧力の象徴である。僕たちは固有名を支配しているのではない、じつは固有名によって支配されている。リッチーの書く詞が息苦しさを湛えているとしたら、それは彼の個人的な悲愴ばかりではなくて、そういった意味合いをも含んでいる。

 DVDの映像を見て驚くのは、ライヴにおけるリッチーの存在感の無さである。彼がほとんど演奏に貢献していないというのは、多くの人に指摘されるとおりだが、しかし、こうやって改めて見てみると、僕のような人間でさえ、あれ?昔はもうちょっと存在感があったような気がしたぞ、と思ってしまう。彼は結局、ミュージシャンでもなければパフォーマーでもなかった。作詞家ではあったかもしれないが、詩人ではなく、ただただリッチー・エドワーズという凡庸な個人でしかなかった。そして、だからこそいつだって、とてもロック・スターになりたそうな写真写りを心がけているようであった。

 自分自身でしかありえない、というのは、他の何者でもない特別な存在、ということではない。みんなと同じようにインチキでありイカサマでありロクデナシだということである。みんな同じように苦しんでるんだよ、と言われれば、じゃあどうしてみんな死なないんだ、という袋小路へと追い詰められる。失踪直前のインタビューと写真が『ミュージック・ライフ』に掲載されたことがあったが、そこでのリッチーはあきらかにカート・コバーンを意識していた。彼にとっては、あるいは死者だけがこの世の理の、その圏外に位置する、そういうロック・スター然としたものであったのかもしれない。 
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2004年12月26日
 クオリティでいえば、これまでのアルバムのなかで、いちばん高い。良質なポップ・ソングが詰まっている。とはいえ、良くも悪くも、グリーン・デイ・ミーツ・ウィーザー系エモのフォーマットを忠実になぞらえた、あまり新鮮味のないサウンドになってしまった。前作ぐらいまでは、そうした定型からすこし足をはみ出してしまうような、疾走と脱臼のイビツなコントラストがあって、そこいらへんに歓心していた僕のようなタイプの人間には、ちょっと綺麗にまとまり過ぎだぜ、と思わせる。が、しかし、モック・オレンジをこれまでに聴いたことのない人には、ぜったいにこれを薦める。ジミー・イート・ワールドがスタンダードなアメリカン・ロックとして響く時代だからこそ、もうちょっと大勢に聴かれていてもいいバンドだと思う。ちなみにライナーはバンド・アパートの人たちが書いてます。
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2004年12月25日
 All Roads to Fault [EP]

 ずっと書こう書こうと思っていたのだけれど、なかなか書く間がなくて、という間に今年が終わってしまいそうな勢いなので、やっぱり書いておかねばなるまいと思ったほどに今年出た新人さんのなかではジャストだったのが、このバンドである。イギリスの男性5人組で、ここでのプロデューサーはスティーヴ・アルビニである。サウンドの印象を大雑把にいうと、エモとガレージ・ロックのちょうど中間として捉えられるのだけれども、なんかそういう風にいってしまうと自分でもものすごく間違っている気がする。たしかに1曲目の出だしにおけるエネルギーの放出加減はいかにもロックン・ロール万歳!といった感じではあるし、5曲目と7曲目の展開はアット・ザ・ドライヴインあたりを彷彿とさせる、が、しかし、そこには止まっていないところが、彼らYOURCODENAMEIS:MILOというバンドのかっこうよさなんである。ありったけの衝動がフル回転している。だけど、ギターのノイズは直線的に跳ねない、そのもどかしさを溜め込むようにしてやがて吐き出す、そういう瞬間のダイナミズムがあって、それが、リフやメロディ自体よりもずっと、記憶の奥のほうに深く引っかかるフックとして鳴り響いているのだった。

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2004年12月19日
 まるで話しかけるようにうたうマーク・ラネガンの声には、枯れた風情があって、(ある人にとっては短く、ある人にとっては長い)人生の深度を手探りで測っているみたいだ。グランジ世代のブルーズか。スクリーミング・トゥリーズ時代から続いているソロ・キャリアも、本作で5枚目か6枚目になるはずである(カウントの仕方がよくわからない)。しかし、この人は変わらないな、という印象が強い。バックの演奏は、それほどバンド然としてなくて、はしゃぐところのない、弾き語りに近しいスタティックなものである。2曲でPJハーヴェイが歌声を重ねているが、それなどは、演歌におけるデュエットのような渋味がある。ところで7曲目には元ガンズ・アンド・ローゼスのイジー・ストラドリンとダフ・マッケイガンが参加していているのだが、ガンズのメンバーとカート・コバーン、両者と共演経験のあるシンガーなんて、この世のどこをどう探してもマーク・ラネガンぐらいで(ファースト・ソロ・アルバム『ワインディング・シート』にカートはギターとバック・コーラスで参加している)、これはちょっとすごいことのような気がするのだけれど、それをすごいと思わせない、地味なところがまたこの人の魅力でもあるのだった。
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2004年12月17日
 ロックン・ロールは理屈じゃない、という阿呆みたいな理屈が世のなかにはあって、それがなぜか、ときおり奇妙な説得力を持ったりするのは、要するに、ロックン・ロールという音楽形態にはなにか聴き手の思考を停止させるような、そういう機能があるからなのだと思う。もうちょっといえば、ロックン・ロールというのは優れていれば優れているだけ、なにか御託を並べたりするのが馬鹿らしくなってしまうということである。それを聴いている間は、この世界との関わりみたいなものを忘れさせてくれる、そこではもちろん言葉は失われ、ただ脳髄の奥から発せられるシグナルに従って、体を動かすのみとなる。
 さて、ROSSO。基本的な印象としては、先行EPのときのまま、ただこうして聴いてみると、元フリクションの人のギターがすさまじくかっこいいな。そのギターのあることが、旧ROSSOとの大きな違いとなっている。個人的には、1曲目、2曲目、5曲目、8曲目のスピーディーなナンバーが好みで、後半のミドル・テンポな展開はちょっと間延びしすぎかな、という気もしないが、それでも楽器間にある緊張には、目を瞠ってしまう。MC5あるいはレッド・ツェッペリンを思わせるダイナミズムが、そこかしこに渦巻いているが、けっしてハード・ロックみたいな整形されたものとして響かず、あくまでも性急で荒々しく尖ったものとして成り立っている、そういう部分に、バンドの本質のようなものを見出せるのだった。……というわけで、ここまでの字数が僕の評価となっているのでした。
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2004年12月16日
 産業グランジというか、汎用オルタナティヴ・ロックというか、まあ要するに、90年代的なサウンドをモチーフにて組み立てられたサウンドなわけだけれど、こういうのを現在やる場合、衝撃的な部分は皆無なのだから楽曲の良さで勝負という風になってしまうのだが、しかし正直なところ、飛びぬけたリフもないし、メロディやポップさもイマイチで、はっきりいって、あまり訴えてくるものがない。うーん、ぬるいのは嫌いじゃないんだけど、それでもちょっとぬるすぎる。もしもこれが売れたら、デンマークのジャークストアとかがものすごく可愛そうな気がする。というか、ジャークストアを聴けばいいよ。

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2004年12月14日
 ものすごくうつむき顔のロックだけれども、ダウナーすぎず、アンビエントすぎず、肉の弾けるダイナミズムが随所にあって、それが気の利いたアクセントとなっているみたいだ。音の硬さと空間の広がりを強調するデイヴ・サーディーのミックスもばっちり決まっている。極端な印象だけをシンプルに述べるならば、ブラック・レベル・モーターサイクル・クラブと初期ライドの、ちょうど中間にはまる、そういうサウンドである。ドラムは女性だけれども、そのリズムはわりと力強く、むしろギターのノイズとヴォーカルのほうから中性的な雰囲気が漂ってくる、そこはかとなく文系のメンタリティを感じさせるのだった。正直なところ、けっこう好みの線である。僕の場合、これは、暗い部屋でひとりヘッドフォンで聴いていたい。

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2004年12月12日
 元プリ・スクールのヴォーカルとキーボードの人の新バンド。頭2曲は、メタリックなギターが響いて、おお、と思うのだが、それは影響元というよりは、頭で考え、参照項として流用したようなサンプリング感が強いもので、そういった音との距離のとり方が、このバンドならではのテイストになるのかな。とはいえ、3曲目以降は、よくも悪くも、後期プリ・スクールの線を引き継いだ、エレクトリックでダンサブルなポップ・ソングになっている。ただ全体的にアレンジが甘いというか、練りが足りないというか、ちょっとばかり冗長な気もしないでもない。たぶん、こういうバックのサウンドだと、英語ではなくて、日本語詞のほうがハマると思うのだけれど、まあ、それはやらないだろうな。
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2004年12月06日
 ニルヴァーナのボックス。音源のほうは置いておいて、ひとまず映像の内容について。とはいえ、一回通して観た印象なので、細かいところは拾えてないかもしれない。でもって、ぜんぜん関係のないところから話をはじめる。

 『SIGHT』22号、「究極のロック・アルバム100枚!」っていう『ローリング・ストーン』誌の選定を訳した特集のなかで、渋谷陽一がニルヴァーナの『ネヴァーマインド』に次のようなコメントを寄せている。

 僕はニルヴァーナが代表するグランジ・ロックのことを、絶望もでかい声で叫べばエモーショナルである、という言葉で的確に表現したことがあるが、まさにカート・コバーンは絶望を誰よりもエモーショナルに歌う人であった。


 自分の批評を的確だ、と断言してしまうあたり、渋谷陽一はさすがだぜ、と思わせるが、今回のDVDを観ていると、いや、まさにそのとおりではあるな、と感心してしまう。1曲目から9曲目までは、クリス・ノヴォセリックの自宅で行われたセッション(リハーサルっつうか擬似ライヴ)で、そこでのカート・コバーンの歌は、はっきりといえば、下手糞だ。ただ叫んでいるだけの印象が強い。しかし、それこそが初期ニルヴァーナの固有性として機能していたことは間違えようがない。壁に向かって演奏を続けるカートの姿に関しては、各種音楽誌のレビューや、このボックスのライナーで大鷹俊一が指摘しているとおりであるが、むしろ、この時点ですでにクリス・ノヴォセリックが演奏やパフォーマンスのスタイルを確立していたことが興味深い。この後数年の活動期間の最中、カートはいろいろと変化してゆくが、クリスには大きな変化が見られない。それが、ある意味ではニルヴァーナのサウンドの骨格となっていたことが確認できる。しかし僕の大好きな「スクール」の曲中、ちょっとビデオが途切れてしまうのが残念だ。

 10曲目ライノ・レコーズでのライヴのあとなんだけど、ブックレットのクレジットでは11曲目「イン・ブルーム」12曲目「サッピー」という風になっているのだが、これ、じっさいには順番が逆である。オムニバス『ノー・オルタナティヴ』にシークレットで収められていた「サッピー」が、先に流れる。「サッピー」、じつは隠れた名曲である。コーラスの部分は、僕が聴き取る限りでは「and if you save yourself,and you make me happy now」(これを仮定法過去に直した)という感じであり、「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」にも通じる、こういう詞は、ほんとうにカートにしか書けない気がする。いや、僕の聴き取りなので、ものすごく怪しいのだけれど。

 で、12曲目「イン・ブルーム」のサブ・ポップ・ヴァージョンのプロモなのだが、これはわりと凡庸というか、バンドの映像にエフェクトをかけるだけ、というデジタル撮影技術の発展してきた90年代前半にはよく撮られていたプロモ内容となっている。

 飛んで、15曲目の「ペニー・ロイヤル・ティー」は、エレクトリックの弾き語りである。演奏は91年の段階なので、まだ楽曲としては完成されていなかったためか、歌詞が正式なヴァージョンとは違う、というか、たぶん適当にうたわれている。けれども、メロディのラインは、すでに出来上がっていたということがわかる。なるほど。こういうスウィートなメロディが先にあったら、たしかにハイ・ファイなレコーディングは避けたくなるかもしれない。『イン・ユーテロ』において、スティーヴ・アルビニが必要された理由のようなものが、見て取れる。続く「スメルズ・ライク・ティーンスピリット」は、もちろんアンセムである。観客のノリが、興味深い。時代性というか、ハードコアともヘヴィ・メタルともつかない感じで、今でいえば、イギリスのちょっと激しい系のバンドのライヴみたいなノリである。

 と、飛んで飛んで、ラストのオールデイズ・ナンバーのカヴァー「そよ風のバラード」であるが、これはスタジオでのリハーサルを捉えたもので、カートがドラム、クリスがギター、デイヴ・グロールがベースを弾いた、とてもリラックスした雰囲気の演奏を聴かせる。このあと演奏が終わると、画面が真っ白になって終わる、そういう空白を強調するような静かさが、そこにはある。

 ニルヴァーナ関連の文章は→こちらこちら
 それと「はてな」のほうのもニルヴァーナについての文章があります→こちら
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2004年12月03日
 U2が1位、もちろんアルバムの出来というのもあるのだろうけれど、ipod云々の派手な宣伝による効果のほうがでかい気がする。という意味で、広告関係の人がいちばん安心する結果じゃないだろうか。7位にノー・ダウトのグウェン・ステファニー。アルバムは良いと思うけれど、これも音楽以外の部分、キャラクターみたいなものの勝利だろう(あと、ノー・ダウトのベストが売れた勢いに乗ったというのもあるか)。日本にいると、彼女のカリスマ性というのは、よくわからない、っていうか、どういう層が支持してるのかがちょっとわからないけど。クリードのベストが初登場15位。かつての勢いからすると、これはイマイチ振るわなかった。たぶん買ってるのはクリスチャンだけだな(偏見!)。まあ、そういったことはどうでもよくて、大本命ニルヴァーナのボックスが19位で、カート・コバーンの死をも含めた商品として存在する、そういう作品が売れるということは、ある意味では、痛々しい。しかし、その痛々しさが、パール・ジャムのベストにはない、リアリティとなっているのだった。
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2004年11月27日
 椎名林檎、ではなくて、東京事変のファースト・アルバム。結局は自意識の問題なのかなあ、と思う。サウンド自体は、かっこいいロックン・ロールが目指されているのだけれども、どうもアクのようなものが足りない。そして、これを聴いて思うのは、椎名林檎という人の自意識は、けっして歌詞にのみ現われているのではなかったのだな、という至極当たり前のことだ。だいたい歌詞だけ取り出せば、「きみとぼく」の問題が、生き死にに関わっている風情がある。だが、そのことが音のほうに反映されていない、音そのものに切迫感が欠けている。バンド編成であるという事実が、自意識の内側から漏れ出でる欲望をかなりセーブしている、あるいは、そのような欲望自体を満足させてしまっている感じがする。かといって、そうやって発せられる演奏が、自意識を吹き飛ばす、こちらをうずうずさせるようなエキサイトメントになっているかといったら、そうでもない。椎名林檎に関しては、荒々しく尖った茨の鋭さのないことをプラスととるかマイナスととるかでいったら、僕の立場は後者である。
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2004年11月22日
 ミッシェルガン・エレファントよりもROSSOのほうが肌に合うのが僕である。なので、そのファースト・アルバムは、たぶんミッシェルガンのどの作品よりもたくさん聴いたと思う。どこら辺がどう違うのかといえば、ROSSOのほうがどちらかといえば、ガレージ・ロック寄りである風に感じられる。
 いやいや人によっては、ミッシェルガンのほうがガレージ・ロックっぽくない?という向きもあると思うけれど、僕がここで言っているガレージ・ロックとは、初期のサブ・ポップあるいは90年代に北欧やオーストラリアから登場したサウンドを彷彿とさせるものを指している。じっさいに、そこいら辺のアーティストたち(そういえば、この間の再結成MC5のツアーに携わったのもここらの人たちだ)とチバ・ユウスケは近しい世代であり、参照項も近い。共感みたいなものがあるに違いない。ずいぶんと前、なんかのインタビューでチバが、グループ・ドッグドリルはハード・ロックの界隈で捉えられているけどアレはロックン・ロールだ、みたいなことを言っていたのを思い出す。
 さて。セカンド・アルバムから先行して発表されたのが、この2枚組EPである。以前はトリオ編成だったが、ギターが一本増えたというのもあって、直線的なエネルギーが横にも膨らむ、そういう拡散性が備わった。サウンドに溜めが生まれて、ダイナミズムに対しての、照れのようなものが消えている。チバの書く詞は、あいかわらず散文的であり、つよくイメージを喚起する部分に変わりはない。言葉の連なり自体には意味はないみたいだけれども、たぶんどっかに意味はある。けれども、そうした意味を振り切ってゆく演奏のスピードが、とても心地よい。
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2004年11月17日
 いやあ、これは難しい。『ユースアネイジア』以降では、かなり良い塩梅でエキサイトメントを得られるのだけれども、じゃあ、ウェルカム・バック・メガデス!みたいな興奮を覚えるかといえば、そういうことにはならない。うたわれるメロディとギターのリフがうまく噛み合ってない気がする。強烈なフックが足りない。ギターを立たせれば、ソング・ライティングは立たず、ソング・ライティングを立たせれば、ギターは立たず、といったところか。ただ、一時的な解散以前には、完全に失われてしまったハングリーさのようなものが備わっていて、その部分に対しては、僕はぜんぜんオーケーといった感じである。
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 『ロッキング・オン』12月号のレビューで、鈴木喜之がジーザス・リザードを引き合いに出しているが、なんとなくわかる。たしかに似たところがある。が、しかし似て非なるものでもある。ジーザス・リザードをも含む初期グランジが、わりとダイレクトに衝動を反映していたのに対して、このバンドの場合は、衝動をいったんフィルタリングしたあとで、再構成している節がある。ダイナミズムをうまい具合にコントロールし、そこに叙情性を注入してゆく。あきらかに90年代後半以降、エモというポイントを経て、はじめて有効性をもった方法がとられている。メンバーには、元BOTCHなどのカオティック・ハードコア・マンたちが揃っているけれども、ここで優先されているのは、ある程度のまとまりを持った、落としどころをちゃんとわきまえた上でカタルシスティックに響くノイズだろう。シアトル出身ということで、グランジの後継という線でみることも可能だが、個人的には、イカルス・ラインやブラッド・ブラザーズなんかと繋げて、ニュー・ウェイヴ・オブ・ジャンク・サウンド(この言葉はいま僕が造った)という、新しい世代が起こす地殻変動の一部として捉えたい感じがする。はっきりいって、かなりかっこいいアルバムだ。
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2004年11月12日
 話題を集めたジョン・レノン「イマジン」の暗黒カヴァーが収録されたア・パーフェクト・サークルのカヴァー集が2位。ただ、こういうのが売れても何も変わらないと思えてしまうほどに、この世界は終わってしまっているけれども。つうか、アメリカでこれを買っているのがどういう層なのかは気になる。 
 90年代に「セリング・ザ・ドラマ」をヒットさせ、ポストR.E.M.の呼び名も高かったライヴのベスト盤が65位。って、うわ、すげえ地味。このバンドってもうこんぐらい注目を集めなくなってしまったんだねえ。同世代として多く共感できるところがあるバンドだけに、この落ち目具合は、ちょっと残念ではある。
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2004年11月07日
 今年行われたイギリス・ツアーの模様を収めた2枚組。で、ワイルドハーツのライヴ盤といえば『トウキョウ・スーツ・ミー』という日本公演収録のものがあるが、それのアップデート・ヴァージョンといった趣もある。旧譜から新譜までの楽曲がバランスよく並べられている(もちろん『エンドレス・ネームレス』からのナンバーはひとつもないが)。初期シングルのB面であり、ファンには知られた佳曲である「ガールフレンド・クロシーズ」や「ビューティフル・シング・ユー」、「デンジャーラスト」などもプレイされている。音質は良好。歓声はすこし遠いが、逆をいえば、へんに手を加えてはいないということだろう。ここで聴くことのできる、ハードなギターと、ポップなコーラス、疾走感のある演奏は、アメリカのグランジと同じ時期に登場したものだが、時代は一回りして、SUM41などの現行ポップ・パンク勢のロール・モデルのように響くから不思議だ。一貫したポリシーを持ち続けることで、やがてジャンルを越えた先駆となる、そうした上り詰め方に目を向ければ、モーターヘッドの後継という線もありうる。
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 ロス・ロビンソンとは切れちゃったのかな。レーベルもV2に変わってるし。それにしてもイカルス・ラインに、バーニング・ブライズ、そして、このブラッド・ブラザーズと、最近のV2にはわりと僕の嗜好に近いA&Rがいるっぽいな。アメリカン・インディのなかでも荒々しい部分を取り出して、ヘヴィっていうんじゃくて、ソリッドな感覚でまとめ上げられた、かなり衝動に任せた勢いでもってサウンドは回転している。高音で早口を叫ぶヴォーカル、拍子の狂ったビート、無造作に挿入される電子音、前作以上に忙しなく、整合性のない、変態味のある仕上がりだ。ただギターの尖り具合では前作のほうが上で、そこいら辺は、プロデューサーの違いによるものかもしれない。ライヴはけっこう凄そうだけれど、そういえば、来日公演は一回流れちゃってるんだった。
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2004年11月04日
 元デッド・ケネディーズとかもういわなくてもいいんだろうけれど、それでも元デッド・ケネディーズといってしまうなあ、のジェロ・ビアフラとメルヴィンズのコラボレーション。もうちょいネジレと轟音に満たされているかな、と踏んでいたんだけれど、思っていたよりもストレートなサウンドだったので、逆に驚いた。感触としてはラードのセカンドあたりに近しいかもしれない。ただし、あれよりもパワフルだし疾走感はある。もちろんビアフラのヴォーカルもメルヴィンズの演奏も一筋縄ではない。が、しかし、彼らのキャリアのなかでは、かなり真っ直ぐなほうだ。つうかね、ジェロ・ビアフラもメルヴィンズも、もう良い歳なわけで、そういった人たちが集まって、こうしたストロングスタイルでパンキッシュなサウンドを作ったのかと思うと、それだけで愉快な感じはする。いやあ、熱いなあ、熱い。なんだか笑えてしまう。
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2004年11月01日
 こういうのを聴くと、ああヘヴィ・メタルにしか存在しない格好よさというのがあるなあ、と感心してしまうのが僕である。オールド・ウェイヴなスラッシュ・メタルを思わせるリフさばきがホーンテッドの魅力だけれども、個人的には、ピーター・ドルヴィングがヴォーカルに復帰した点が、うれしい。ビーターが元いたメアリー・ビーツ・ジェーンは、デビュー作がパンテラ的なサウンドであったが、セカンドでオルタナティヴ的なゆるいグルーヴを生かしたヘヴィ・ロックに変化してしまった。しかしヴォーカリストとしての表現力、作詞におけるセンスは、いっこうに曇ることがなかった。そういった部分が、ここでも遺憾なく発揮されていると思う。リズミックで柔軟に展開する10曲目の「ナッシング・ライト」などは、徹底してストロング・スタイルな前任ヴォーカルでは叶わなかったタイプの楽曲だろう。メロディアスにうたわれる〈俺を憎んでくれ、俺はかまわないさ 励ましてくれ――そして死ね!〉、こういうフレーズもものすごく好きだ。
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2004年10月30日
 あるいは手抜き更新。
 ジミー・イート・ワールドが初登場6位。注目すべきはエリオット・スミスの遺作が19位に入ってることか。
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2004年10月23日
 僕はやはりメロディのことを考えている。沈黙のなかに置かれると、時間が長く感じられる。居た堪れなくなるように、音楽をかけると、いちばんはじめに耳に飛び込んでくるのが、メロディなのであった。

 ジミー・イート・ワールドの新作を聴きながら、このバンドと他のバンドの差異はいったい何なのだろう、と考えてみる。とりたててトリッキーなところはない。基本的には、やわらかいメロディにくるまれたグッド・ソングがあるだけだ。ソング・ライティングの仕方に違いがあるのだろうか。
 ふつう、うつくしいメロディは、大きな流れを思い起こさせる。というか、大きな流れを切り取った断片のように存在している。大きな流れとは、もしかしたら歴史のことなのかもしれない。メロディというもののほとんどは、欠損を埋める、そういう満ち満ちてゆく気配を含んでいる。満潮に近づいた海は、歴史そのものと同化する。たとえばアメリカの、レッド・ホット・チリ・ペッパーズは、ファンキーなサウンドからメロディアスな方向へシフトしていったわけだが、そのようにして取り入れられたメロディは、やがて洗練され、ちゃんとアメリカの歴史のなかに落ち着く体で鳴っている。
 ジミー・イート・ワールドのメロディもまた、アメリカという歴史の一部を成すものであると思う。だが、この『フューチャーズ』というアルバムに収められた楽曲は、どれも豊潤なメロディによって支えられている、にもかかわらず、満ちてゆく気配をみせない。リズムのとり方もあるのだろうが、むしろ欠損のほうを際立たせている。つまり、アメリカン・ロックにおける歴史との結びつきがうまく隠れるように、まるで成熟して大人になって社会に組み込まれるのを拒むかのように、仕立て上げられているということだ。あるいは、それが青春云々で形容されるサウンドの正体なのだろう。
 本作のプロデューサーは、前作までのいかにもアメリカのギター・ロックなマーク・トロンビーノではなくて、イギリスなどで受けるインディな音作りに長けたギル・ノートンである。そのことも、このアルバムの、とりたてて変わったことをしてるわけでもないのに、なぜか個性を感じさせる音作りに大きく作用している。
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2004年10月22日
 グリーン・デイが7位で、グッド・シャーロットが8位、SUM41が初登場10位で、KORNのベストが11位。気づかなかったけれど、ブレイキング・ベンジャミンが59位まで上がってきてらあ。へえ。
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2004年10月21日
 メロディのことを考える。さいきん思うのは、優れたメロディ自体が優れた表現であるという見解を多くの人が持っているのではないか、ということで、優れたメロディを作れば、はい、そこでおしまい、というような音楽が多すぎやしないか、ということだ。そうじゃない。メロディは、サウンドのなかのいちマテリアルにしか過ぎない。それは手段として使われなければならない。そういった場合のみ、メロディは、感情を揺さぶるウェーヴとなる。メロディアスだからエモーショナルなんじゃない。エモーショナルでありうるために、音は、メロディを求めるのである。ライナーノーツによると、ここには、なにか政治的な意見が過分に含まれているらしい。だが、重要なのはそうしたことではない。ここにはたしかにメッセージがある。メッセージがあることが伝わる。それが僕の心を動かす。傷つくことによる痛み、傷つくことを恐れない強さ。全体的に基調はメロウであるけれども、どこかやさしくあたたかい。もしも、このアルバムがなにか政治的なものを含んでいるとしたならば、それは、ビオスたる生命だろう。
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2004年10月19日
 ここにはいったい何があるのだろうか、と考える。それはつまり、僕が、このアルバムから何を聴き取っているのだろうか、ということである。アイシスは、ジャンルでいってしまえば、わりとエクストリームなハードコアのなかに括られてしまうが、そのサウンドは、けっしてうるさく轟いてはいない。むしろ、雄大な河の流れを思わせる。もちろん長い流れのなかには激しい箇所もあるが、遠景からは見る分には、とても穏やかに感じられる。ダイナミックではあるが、性急なスピードで、それは起こされるわけではない。すこしずつ膨張するものが、気がつけば、とてつもないエネルギーを放っている、そういう感じである。歌詞は付せられていないけれども、引用されるミシェル・フーコーやジェレミー・ベンサムの言葉を参考にすると、どうやらセキュリティ社会の問題を扱っているように思える。細心で緻密な演奏は、もしかしたら具体的には視覚化されないが、しかし、確実に我々を包囲しているシステムの網を、音の縫いこみに置き換えたものなのかもしれない。
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2004年10月18日
 おーこれはわりと掘り出し物だった。というか、ネットで調べてて知ったんだけど、このバンドって来日したことがあるんだ。観たかったな。と思わせるほどに気に入った。音としては、わりと変態。デス・メタルやエモ、ゴシックやハードコアといった参照項を一回バラして、それを再構成する際に、妙なエキスが注入されている。ものすごくリズムが走っているんだけど、それがわざとなのか、それとも、たんに演奏が下手くそなのかわからないというのがすごい。とはいえ、カオティック云々ではなくて、整合性があるので、聴き易い。7曲目でナイン・インチ・ネイルズの「マーチ・オブ・ザ・ピッグス」をカヴァーしてるんだけど、それもなかなか面白く仕上がっている。この人たちには、こういう風に聴こえてるのかもしれない、と思わせるズレたセンスが存在している。

 (たぶん)バンドのオフィシャルHP
 http://www.fordirelifesake.com/index.htm
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2004年10月15日
 前のシングルに引き続いて、かなりの嘘英語が駆使されている。こういった言葉の遣い方の変化というのは、たぶん『ERA』ぐらいから起こり出したことで、それがようやく実を結びつつあるという感じだ。以前までの歌詞であったならば、日本語としては可笑しいなと思いながらも、じっさいに歌ってみるとけっこう真面目な日本語として響いていたものが、ここでは完全に言語を越えた音となっている。たとえば3曲目「B.O.K」のコーラスの部分に、それは如実だ。「愛、無心、銀河、宇宙。心、銀河、宇宙。」という箇所、これ、歌ってみるとわかるのだけれど、「アイムシンギンガッチュシンギンガッチュ」という発音をしなければ、どうしても歌詞に追いつかない。さらに3回目のコーラスになると歌詞が多少変わって「愛、無心、いざ、宇宙。心、いざ、宇宙」となるのだが、これなんかも「アイムシンニンザッチュシンニンザッチュ」となって、はっきりといえば、聴き取りだけで元の内容を掴むのは困難になっている。だが、それが悪かというと、そうではない。これも『ERA』の頃からなのだが、中村の書く歌詞は、いわば「きみとぼく」の閉塞的な関係性に陥りつつあった。それがはっきりとしているのは「君ノ声」という楽曲だろう。あそこでは「きみとぼく」以外の他人は、自分の内面を肥大化させる鏡像でしかなかった。そのような縛りから解放され、開けた表現を為しうるために必要とされたのが、おそらく、こうした日本語の意味に捉われない音の自由さを追求した言葉遣いだったのだろう。そのことはサウンドの広がりにもちゃんと現われている。
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 KORNのベスト盤が4位である。これは『テイク・ア・ルック・イン・ザ・ミラー』がそれほど振るわなかったことを考えれば、まあまあの成績だろう。これをどれだけキープできるかというので、次のアルバムへのバンドのモチベーションも変わってくるんじゃないかな。
 とはいえ、一般的な注目は、3位に入ったグッド・シャーロットなんだと思う。僕が、あーグッド・シャーロットってなにか誤解されてるなと感じるのは、彼らをモダンなポップ・パンクと結びつける向きがあることで、じつは彼らのデビュー作というのはプロデューサーがドン・ギルモアであり、初期の頃はリットやEVE6のラインで売り出されていたはずなのだ。で、ドン・ギルモアといえば、リンキン・パークのデビュー作も手掛けており、そういう適度にハードなポップ路線の延長線上に彼らはいるのであって、だから系統的にはそっちの関係で売れた、と考えるべき。というか、そっちのが自然。
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2004年10月14日
 映画『華氏911』は観ていないし、観る気もない。観る気が起こらないからだ。これはマイケル・ムーアが『華氏911』を撮影するにあたってモチベーションを高めてくれたアーティストの音源と、あるいは『華氏911』にインスパイアされたアーティストの音源を集めた変則的なサウンド・トラックであるといえる。まあ内容を、一言でいうと、ものすごくアメリカン。僕がアメリカ人のアメリカ批判をものすごく退屈だと感じるのは、結局、そうした批判自体もまたアメリカ人の感性に則っているという気がするからなのだった。ラストに収められたジェフ・バックリィの「ハレルヤ」はなんとなく使い方を間違えている感じがする。万人に届かせようとして、だからうつくしく響いていたはずのものが、じつに現代アメリカ的な感覚に捻じ曲げられている。さて、注目のトラックは、このアルバムのために作られたザック・デ・ラ・ロッチャ(元レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)のソロ・デビュー曲「ウィ・ウォント・イット・オール」だろう。トレント・レズナーがプロデュースに参加しているのだが、これがとてもカッコイイ。かなり燃えるナンバーに仕上がっている。けれどもさあ。これって、ザックからのインプットはどの程度なんだろうか。クレジットをみると、ソング・ライティングは彼の手によるものらしいが、リリックにそれほど特筆すべきものがあるわけでもなく、メロディやバックのトラックについては完全にトレント色である。うーん。ザックという人の才能で、これを語ると間違えちゃうのではないかな。
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2004年10月12日
 わーブレット・アンダーソン(元スウェード)みたいだー、と1曲目に収められたカメオ(キャメオ)のカヴァー「ワード・アップ」の、ジョナサン・デイヴィスのヴォーカルを聴いて、僕は思った。アイロニーなのかもしれないけれど、ファンキー(陽気さ)ではなくて、気だるい陰気さで楽曲がコーティングされているような印象を受けた。ちなみに「ワード・アップ」は90年代にガンというハード・ロック・バンドがカヴァーし、イギリスでスマッシュ・ヒットしている。もちろん、そこに因果関係はない。けれども、ポスト・パンクやニュー・ウェイヴを経て、インダストリアルを聴くようになったジョナサンの参照項には、たしかにイギリス的なメロディというものがある。
 それが如実に表されたのが『アンタッチャブルズ』というアルバムであった。反面、バックで演奏をつとめる他のメンバーがルーツとするのがモトリー・クルーやアイアン・メイデンなどのヘヴィ・メタルやハード・ロックであり、それは『フォロウ・ザ・リーダー』というアルバムの、ダイナミックな展開へと結実している。このベスト・アルバムでは、デビュー作から最新作である『テイク・ア・ルック・イン・ザ・ミラー』までの楽曲が、新しいほうから古いほうへと遡るカタチで収められている。バンドのヒストリーが遡行されている。聴けばわかるように、ちゃんとした整合性の下で顕な影響元が、だんだんと整合性を失い、影響元が隠れていくという流れになっている。つまり、KORNというバンドの魅力であるイビツさは、デビューの時点で、すでに完成形にあったということだ。それ以降は、ほとんどアレンジと試行錯誤の繰り返しであったともいえる。うまくいった場合もあるし、うまくいかなかった場合もある。デビュー作がいちばん良いという意見が、ファンの大方を占めるのは、つまり、そういうことなのだと思う。
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2004年10月10日
すま

 通販の利便性というか不便性は、現物を確認しなくても買えちゃうところだな。HMVのオンラインショップにラインナップとして並んでいたので、だいぶ前に頼んだのが、ようやく届いた。でもって、これがものすごいブートレッグっぽい感じである。というかブートレッグなんじゃねえか。でもまあニルヴァーナの『SUB POP SESSIONS』の例もあるし……(どうやら、こうやって自分を納得させる技を僕は覚えたらしい)。とはいえ、音質は悪くないし、ジョイ・ディヴィジョン「アイソレーション」のカヴァーやシングルのB面、未発表曲、未発表ヴァージョンなど計18曲入り。と、内容もなかなかで、もしかしたら『パイシーズ・イスカリオット』よりもいいんじゃねえか、と思った。ちなみにiTunesに通してみたら、ちゃんとデータベースに存在していたのが、すごい。打ち込んだ人、えらい。
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2004年10月09日
 マーズ・ヴォルタのギタリスト、オマーのソロ・アルバム。10曲目に、やはりマーズ・ヴォルタのメンバーであるセドリックがヴォーカルで参加しているが、基本的には、抽象的なインスト楽曲集である。これを聴くと、マーズ・ヴォルタのなかにあるプログレ的感覚の一端は、ギターのチューニングに担われていることがわかる。アット・ザ・ドライヴ・イン時代には、ピンク・フロイドがカヴァーされたことがあったが、オマーの発する音は、ロジャー・ウォーターズの世界観をサポートするデイヴ・ギルモアを思わせる。ちなみに2曲に、ジョン・フルシアンテがゲストとして登場している。
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2004年10月08日
 ビルボードのチャートをみると初登場6位に入ってる。世界は平和で安心に満ちてるな、という感じがする。SUM41のライヴのことを書いたときに、何気なくスキッド・ロウの名前を出したけれど、このアルバムを聴いて思い出したのも、やっぱり、スキッド・ロウなのだった。出されている音そのものが似ているというのではなくて、音の在り方、構造みたいなものが似てる。大勢が感情移入できるように抽象性を省いたストーリー、極端なほどの類型にデフォルメされた感情、一言でいえば、わかりやすさのみが追求されている。ソング・ライティングの面に関していえば、他のバンドと比べて、それほど秀でているというわけではないので、たぶん、そういったわかりやすさがウケているんだろう。俺はみんなとは違う、という主張を大勢で共有する、この感覚は僕にとっては、まるでデジャ・ヴのようであった。
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2004年10月04日
 SUM41を真剣に語ることが、どこか恥ずかしいのは、やはり、そのフェイクっぽさがゆえにだろう。
 新曲に対する会場全体の様子、アーティストのパフォーマンス、そしてオーディエンスのレスポンスは、90年代のスキッド・ロウのライヴのパロディみたいだった。それがアイロニーやユーモアやジョークではなくて、みんな真面目にやっているのが、僕にはとても可笑しかった。激しい曲では、一様に拳を振り上げ、静かなナンバーでは、儀式のようにしょんぼりする、そして、うろ覚えな歌詞の合唱。なるほど。時代はまさしく一回りしたのだった。
 前座の10-FEETという日本のバンドがMCのなかで「アメリカのバンドと対談をすると、日本の観客は、80年代頃の向こうのノリを持っているってよく言われる」みたいなことを言って、会場が「わー」って沸いたのだけれど、それってパンクやハードコアのシーンのことではなくて、ヘヴィ・メタルやハード・ロックのことを指しているんじゃないかな。『スヌーザー』誌上で、田中宗一郎がSUM41を批判するのは、たぶん、マッチョで保守的なヘヴィ・メタルやハード・ロックへの反動として、90年代に時代を変えようとしたアーティストの働きが、まったくもってチャラになっていることへの憤りを含んでいるんだと思う。
 僕がSUM41のライヴを観に行くのは、はっきりといえば、そういったことも含めてノスタルジーのためにである。ノスタルジーは、ギターのリフに現われている。僕はただ切っ先の鋭いリフを聴いていたい。そこにはテーマやテーゼやメッセージも何も、ない。だが会場が一体となって、テーマやテーゼやメッセージがあるものだと信じ込んでいる、あの気持ちの悪さ。宗教的な場に置いてけぼりにされたかのような、疎外感と違和感。それまでをもノスタルジーとして味わえてしまうだなんて、ある意味、とても贅沢な経験である。
 居心地の悪さが居心地良いのって、ああ我ながら後ろ向きだなあ、と思う。

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2004年10月03日
 もうこういう90年代グランジのメロディとダイナミズムを流用した汎用型アメリカン・ヘヴィ・ロックみたいのを聴いても何も感じない、というか、やってる方も聴いてる方もよく飽きないねって思うだけだ。まだまだ言い足りないことがあんのかもしれないけれど、だったらその今まで言えてなかった部分を伝えてよ、先行するアーティストのフレーズをトレースすることにどんな意味があるのかハッキリさせろよ。
 というような批判は、まあ的外れなのだろう。たぶん良い楽曲を書き、演奏すること自体が目的化されているのであって、それが手段として使われていないことに腹を立てることは、アーティスト側の意向とはまったくもって無縁なのだ。なるほど。デビュー作よりはソング・ライティングの面でのみ向上がみられるセカンド・アルバムである。他の同系統のアーティストとの差異が設けられていない、オリジナリティなどはぜんぜん存在していないが、それはきっとバンド側が自覚的にそうしているのであって、悪く言ってはいけない(皮肉ですよ)。正直なところをいえば、ビリー・コーガンがゲストで参加してるというトピックがなければ、個人的には、もう手を出すことはない類のサウンドとなっている。
 どういう経緯でビリー・コーガンが参加したのかは知らないが、たしかタップルートの次のアルバムにもビリー・コーガンって関わっているんじゃなかったっけ?こういうタイプのバンドへの接近が、彼にとっていったい何を意味しているのかは気になる。単にレスペクトされて悪い気がしないという程度のことなのかもしれないけれど、おそらく、どのような形であれオーヴァーグラウンドのシーンと関わっていたいというのが、あくまでもメジャー志向の彼のなかにはあるんだと思う。
 で、そのビリー・コーガンが共作した3曲についてちょっと言っておくと、コーラスではなくて、その直前の部分の歌メロに「らしさ」が感じられる程度に止まっている。
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2004年10月02日
 なぜかインディから発表されたヘル・イズ・フォー・ヒーローズのニュー・シングル。メジャーからはドロップしちゃったのかしら。オフィシャル・ホームページ見ても、あんま英語読めないから、よくわかんないや。馬鹿ってこういうとき困るな。ひとまず音のほうは、デビュー・シングルの頃のような荒々しさを取り戻している。ファースト・アルバム『ネオン・ハンドシェイク』は、整合性を優先させたがために、勢いを欠いてしまったところがあったので、これは嬉しい後退である。後退、いや、後退というのは違うな。間違いなく前進している。以前に比べ、アメリカのエモ(あるいはスクリーモ)・シーンとのシンクロ率が高くなっているが、アメリカのエモ・コア勢が、あきらかにイギリス的なメロディを参照しているのに対して、生粋のイギリス人であるこのバンドの場合は、メロディよりも、むしろリフや楽曲の枠組みを自由に弄くっている感じがある。ラフ・ミックスのままで放出されたタイトル・トラックだけれども、まるで性急さを必死で封じ込めようとするかのような、そういう淡々としたリズムが、力押しではない、強固なグルーヴの発生を導いている。これの完成したヴァージョンが早く聴きたいと思うと、次のアルバムがとてもとても待ち遠しくなってしまうのだった。
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nirvana

 たしかちょっと前に『BURRN!』の編集部員のオススメみたいなコーナーで紹介されてたような気がするニルヴァーナのライヴDVD。たまたま売ってるのを見つけたので、購入。ほとんどブートのようなクオリティ。というか、これってブートレッグじゃねえのか。まあ『SUB POP SESSIONS』シリーズのような例もあるので、そこら辺はよくわからない。コートニー・ラヴは身内やメジャーじゃないところの配給には、あまり関心がないのかもしれない。クレジットを見ると、どうもブラジルで製作されたものっぽい。だけどね、なんつうか、とにかく音のレベルが一定じゃないのが、つらい。あまりにも音が小さいので、ボリュームを上げたりすると、次の曲で、思いっきり音がでかく鳴ったりする。テレビのコントローラーを手放すことができない。ずっと握りっぱなしになる。
 テレビ番組で放映されたものばかりを集めた内容自体は、かなりの部分で『ライブ!トゥナイト!ソールド・アウト!』と被っている。だけども『ライブ!トゥナイト!ソールド・アウト!』がリージョンコードの2ではDVD化されていない現在では、わりと有り難かったりもする。それでもって、カート・コバーンはやっぱり死ぬほど格好いい。この格好よさは尋常ではないと思う。ほとんど衝動そのものがギターをかき鳴らしている感じである。また、こうして改めて彼のうたう声を聴いてみると、歌詞や音程などはかなり適当であることがわかる。不真面目だというのではなくて、なにかしらかのメッセージを表現しようというわけでもなく、マッドハニーやジーザス・リザードなんかの先達と同様に、ただただ生のエネルギーだけを余計な不純物を含まず直截音像化しようとした結果だろう。たぶん、それがカート・コバーンにとってのパンクだったのであり、そうして彼の生命の煌きこそが、ニルヴァーナの固有性として機能していたのである。
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2004年10月01日
 グリーン・デイの『アメリカン・イディオット』が1位。たぶん、これもっと売れると思う。表層的なメッセージとしてものすごくコマーシャルだから(深層のレベルでも典型的なロック・オペラとして片付けてしまえもするけれど)。や、僕なんかは、アメリカ批判をするアメリカ人を支持する人々というのも、グローバリズムの一環なんじゃねえかって訝しがるヒネくれ者なので、これはこれでやっぱり退屈な結果でござる。あ、9位にシェヴェルのサード・アルバムが入ってる。
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2004年09月30日
 うーん、個人的にはちょっと残念な感じかな、これは。シリアスなモードであるのは、ばしばし音から伝わってくるのだけれど、それが良いとは言い切れない側面がある。前作まではあった痛快なほどの爽快感が差し引かれてしまっている。それが顕著に現われているのが、メロディの部分で、以前のようなブリンク182風味のものでなくて、リンキン・パークやアヴリル・ラヴィーンのものとあまりにも近似なのは、たぶん同世代の共時性からきている偶然だろう。それをエモーションやリアリティと結びつけるのは容易い。が、しかし逆に、バンドの固有性のようなものは、確実に薄められてしまっている。たしかに普遍的な意味でのクオリティの良質には近づいてはいるんだけど、ヘヴィ・メタル・パンク・ポップ・スラッシュがごっちゃになった、かつての奇形さが失しられていることが、すこし寂しい。ライナー・ノーツで、上野拓朗が、6曲目の「ビター・エンド」はメタリカの「バッテリー」に激似、って書いてて、じっさいに聴いてみたら、僕と僕の弟が似てるぐらいの勢いでそっくりだったので、笑った。そういう容赦のないハチャメチャさこそが、やっぱりSUM41の醍醐味であって欲しいと思うのだった。
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2004年09月26日
 マリリン・マンソンが対世界という戦いのために採用したのは、神=キリスト教=社会という構図であるわけだが、それは非常にわかりやすい分だけ、飽きの早いイメージでもある。しかし、それでも10年に渡り、常にそれなりの話題をもって前線で活躍しているのは、エラいところ。手を変え品を変え、自らのサウンドをアップ・デートしている証拠である。個人的にはもっともヘヴィ・メタリックな『アンチクライスト・スーパースター』が、アグレッシヴさの面では、バンドのピークだと見なしているが、しかし、このベスト盤を聴くと、わりとスローでゴスな(ニュー・ウェーヴ寄りの?)グルーヴこそが、バンドの本質であることが伺える。でもって、ここにはデペッシュ・モードのカヴァーである「パーソナル・ジーザス」が収録されている。80年代の頃には、テレビ宣教師への批判をテーマに抱えていた楽曲であるが、しかし、メディア自体の在り方が変容した今日においては、べつの響きをもって聴こえてくる。自閉性が垂直のメッセージとして突き刺さっている。たぶん、それをやれてしまうことがマリリン・マンソンというアーティストの強みなのだと思う。もう1曲「(S)AINT〜セイント」というオリジナル新曲も収められているが、ここ最近のものにしては、やけに打ち込みの要素が高いが、それ以外にいうべきこともなくて、まあそこそこぐらいの出来に止まっている。
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2004年09月25日
 ああ、なるほど、9分にも及ぶ長尺な2曲目「ジーザス・オブ・サバービア」には圧倒的なものがある。けれども全体を聴いてわかるのは、要するに、ソング・ライティングの優劣でしかないんだよね。うん。たしかにグッド・ソングの詰まったグッド・アルバムだと思うし、傑作かどうかと問われれば、傑作なのだとも思う。ただ、やっぱりここに込められたコンセプトみたいなものに、僕は、説得はされない。理由は簡単で、音楽性によって、それが表されているわけではないからだ。
 たとえば、グランジやアメリカン・オルタナティヴの余波を受けて、グリーン・デイとかの90年型パンクが登場したのが、ロック・ミュージックにとって、ひとつのターニング・ポイントであったのは、結局のところ、それまでの歴史によってオートマ化されたメインストリームという地層に、ある種の断絶、強制的なギア・チェンジをもたらしたからだと思うのだ。っていうか、よくわかんないけど、そういう風に書いている人ってけっこういない?だけど、これは完全にアメリカン・ロックのフォーマットを継承し、そこに落ち着いてしまっている。要するに、アメリカ人って結局こういう音しか作れないんでしょ、みたいなところに収まってしまっているのである。そういった意味では、とても退屈だ。
 ロック云々という物言いで測らなければ、ドラマティックだし、よく出来たアルバムなのだけれど、残念ながら僕の耳には、世界を更新するほどのメッセージとしては響き渡らない。つうか、もしもこれが全編「恋愛」を取り扱ってたとしても、聴くほうには、ぜんぜん問題は、ない。
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2004年09月24日
 とりたててメンバーのひとりを特定するつもりはないのに、僕なんかはやっぱりジョンスペって言ってしまうな。それはバンド名から、ジョン・スペンサーがとれて、ただのブルース・エクスプロージョンになった今も変らない。要するに「ジョンスペ」という固有名自体が、ある種の音楽性を指し示しているのだ。90年代アメリカン・オルタナティヴの整えられた文脈からはすこしだけはみ出してしまう、ジャンクとブルーズとヒップホップが分かち難く結びついた身体、それが鳴らすロックン・ロール。たしかに、音楽性は微妙にスライドしているが、しかし、はじめてそのサウンドの個性的なインパクトに触れたときから、僕は、ずっと彼らのことをジョンスペって呼んでいる。正直なところ、今回の作品はずいぶんとまったりとしている、そういう印象を受ける。それでもジョンスペであることを疑わないのは、基本的な部分が捻じ曲がったわけではないからだろう。たしかに最近の数作は、ゲストあるいはギミックに頼った部分があり、そのことのせいでプリミティヴなエキサイトメントは減少したし、このアルバムもそうした流れに則ってはいる。ただ、その事実を差し引いても十分に酔いしれてしまう、それこそオーラのようなものが、ここに来て、ようやく定着したのだとも思う。キャリアの為せるワザといえば、たぶんそうだけれど、円熟期に入ってもこれだけのものを聴かせてくれるのであれば、いや、ほんとうに、妥協はなしで僕は、オーケーということにしてしまう。
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2004年09月18日
 メモとして。
 ちゃんとしたものは、機会を見て書けたら書きます。
 
1
 とにかく叫び続ける声を聴くと、ふたつの疑問が沸く。なんでそこまで叫ばなければならないのか、というのと、何に対して何を叫んでいるのか、というのだ。要するに、原因と目的と結果のことであり、煎じ詰めれば、なぜ叫ぶのか、ということである。コンヴァージの轟音に含まれる叫びは、しかし、そういったことを僕に考えさせない。という意味で、圧倒的だ。

2
 コンヴァージには、進歩や進化といった言葉は、なんだか似つかわしくない感じがする。ふつう進歩というと、ある道筋があって、それに沿って前に進んでいく様子を思い浮かべる。ふつう進化というと、ある段階からまったく違うレベルへと到達する、そういう道程を想像する。しかし、前作『ジェーン・ドー』と本作の結んでいる関係性は、それとは異なるものだ。コンヴァージがやっているのは、ブロックを高速で積み上げる、積み上げたそばから突き崩す、というようなことで、つまり原因や目的や結果の追求は目指されていない、それはもちろんサウンドにも反映されている。

3
 ワーギャーズガズガという轟音が、コンヴァージのサウンドの基本線である。が、展開に次ぐ展開がダイナミックさを呼んで、過渡の盛り上がりを作るのでは、ない。むしろ行われているのは、パターンの反復である。それはアコースティックで鳴らされる8曲目「イン・ハー・シャドウ」によって明らかにされている。だが反復とはいっても、前の節を正確にトレースするわけではない。アクセントを微妙に調整しながら、少しずつ元あるカタチからズラしてゆく、そのズレのなかにノイズが含まれる。積み上げたブロックをすぐさま突き崩す、崩れて散らかったブロックを即座に積み上げるとは、要するに、そういうことである。

4
 正直なところ、僕はコンヴァージの音はカオティックというのとは違うと思っている。混沌をみるには、その軌道はあまりにも美しすぎる。や、僕がカオティックの理論(そんなのあるのか?)を知らないだけかもしれないけど。
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2004年09月15日
 勝手に結論づけると、いま現在使われるエモやスクリーモというのは、02年以降の量産型ラウド・ロックを指し示す言葉なんだと思う。『機動戦士ガンダム』において、ザクやジムといったモビルスーツは、量産型であることが、その存在理由となっている。のと同じように、エモやスクリーモといったカテゴリーに括られるアーティストというのも、ほとんど同じ規格でもってマス・プロダクトされていなければならない。たとえばアマゾンのカスタマー・レビューとかを見ると「アット・ザ・ドライヴ・インみたいなサウンド。エモ・ファンは是非」とか「ユーズドのファンならば気に入ると思う。スクリーモ好きな人必聴」とか書かれているのが、ものすごい数あるのだけれど、じっさいに聴いてみると、えーぜんぜん違うじゃん、ってなる。要するに、そこでは個体差に対する拘りよりも、どれだけ比較対象と近似であるかが重要視されているのである(もちろん皮肉ですよ)。

 でもって、これも、そういった02年以降の量産型ラウド・ロックのひとつである。前作はあんま印象に残っていない。が、もうしわけない、これもあんまり印象に残らない。作品の出来不出来の問題ではなくて、たとえば、ほかの同じタイプのアーティストのケースに、このCDが入っていても、別段違和感を感じないということだ。量産型をまっとうしているという意味で、非常に高性能な作品ではあるけど。「おーおー」という、わりと大仰なコーラスが、たぶんターボニグロからの影響で、そこいら辺がちょいと珍しいぐらいかな。
 それにしても。ジャケットの印象だけで、無理やりバンドの個性付けをしてしまうライナー・ノーツはエラいな。それがサウンドに反映されてません、って、あえて言わないんだもん。
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2004年09月12日
 間違いなくエモ云々といった流れに沿って登場したバンドだけれども、ほとんどメンバーが80年代半ばの生まれで占めており、たとえばアット・ザ・ドライヴ・インなんかと比べると、年齢的に一回り違うこととなる。ポスト・ハードコアの文脈に落としてみれば、もはや第五、第六世代ぐらいまでいっちゃってるかもしれない(もっとかな)。こうなってくるとフガジあたりを直截な影響元に挙げるのは難しい。

 すこしばかり先行するバンドであるポイズン・ザ・ウェルなどが、メタル(デス・メタル)などのテイストをうまい具合に盛り込んだ、そういう成果も本作からは聴こえる。が、しかし、それだって参照項は、オリジナルというか第一世代のメタル(デス・メタル)ではなくて、数世代(あるいは十数世代)あとのものだろう。ある意味では、血統書を持たない雑種なのであり、方法論やカテゴリーといったものは、そうしたところから突き崩される。

 じっさいにエネルギー先行のサウンドであると思う。頭でっかちな創意工夫は為されていない。それは型を食い破ろうとする。エモーショナルであったりラジカルであったり、あるいはリアリティを備えていたりするかどうかというのは、どうでもいい。とにかく現状に対して居た堪れなさを感じる、そのことがただ言葉や音となって鳴っているだけなのだ。

 たとえば「ノート・トゥ・セルフ」の歌詞に次のような一節がある。〈追いきれぬ速度、時が走りだす すっかり見飽きたシーンさ ルーチンを終わらせろ(以上、日本盤対訳より引用)〉。これもやはり先行するサーズデイが「オートバイオグラフィ・オブ・ネイション」のなかで、僕たちなんてのは結局のところ誰かのコピーでしょ、といってしまう感覚を、無意識のうちに乗り越えようとしているみたいだ。

 たしかにオリジナリティという部分を問えば、欠如はある。が、しかし、それを補って余りあるだけのヴァリューが、ここにはあると思う。テンションをハイにまで持っていっては、それを突如メロウにしならせるだけの力量もある。バラード調のアコースティックなナンバーでは、メロディ・メイカーとしての優れた才を存分に聴かせる。このバンドが兆しであるかどうかはわからないが、しかし、このぐらいの世代から、なにか世界を変えるような新しい動きがはじまるのではないかと、そういう感じがする。

 バンドのオフィシャルHP
  http://www.fromfirsttolast.com/
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2004年09月11日
 及第点を一歩越えたレベルには仕上がっていると思う。けど、それっていうのはデビュー作の頃からいえたことであり、だからどうしたというところもある。このサード作は、正直なところ、ずいぶんと薄味である。というのもパパ・ローチというバンドがやっているのが、引き算だからなのだろう。デビュー作にあったラップの要素を差し引いたのが、セカンド作であり、セカンド作にあった直線的な勢いをさらに差っ引いたのが、これであり、そうして出来上がったのは、一昔前の典型的なヘヴィ・ロックに他ならない。さて、どうしよう。おそらくバンド側の目論見としては、そうすることで剥き身の自分たち、いわば彼らのサウンドの本質みたいなものに突き当たる、というのがあったんだと思う。だが結局のところ、辿りついたのは、スカスカで類型的なヘヴィネスとグルーヴの規則正しい回転でしかなかったわけだ。もちろん新しさやラジカルさを、バンドは求めていないとして、じゃあ楽曲の構成やメロディについて目をやったとき、むしろ欠点だけが浮き彫りになる。たとえば、ほとんどのナンバーが3分程度で締められるのだが、しかし、その3分がちょっと長く感じられる。これはリフにフックがないのと、楽曲の展開に工夫がないためである。そしてメロディ・ラインに関しては、よく聴けばわかるように、近年のボン・ジョヴィがうたうものと、そう大差がない。これは良い意味でとれば、優れたメロディを書いているという風になる、けれども、じっさいにはそのメロディを活かす、そういった部分に曲構成の重点が置かれていない、3分を通じて単調なテンポで進むので、どうにも平べったい、ドラマ性を欠いた印象を残すのだ。当人たちの気持ちはどうであれ、かつてラップ・メタルの群れに加えられていたバンドの多くが、いま現在、ラップやヒップ・ホップの要素を切り捨てていっている。たしかにそれは装飾にしか過ぎなかったのだろう。けれども、そうした装飾があることで、彼らが欠いていた点(たぶんソング・ライティングの能力)が補われていたのだ、ということを、このアルバムのまあまあな出来が示している。
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2004年09月10日
 パパ・ローチのニュー・アルバムのことを書こうと思ってるんだけど、なかなか聴く間がなくて、書けずにいる。まあ正直な話、ぱっと聴いただけで底は見えるのだけれども、それだけの印象で書いてしまうと、なにか間違える気がする。でもって、そのパパ・ローチの新作は17位にランク・イン。この位置はちょっと微妙である。たぶん、これ、固定客の数だと思われるので、このあと、すぐにダウンするのが目に見える。11位にインセイン・クラウン・ポッシ(やばい、正式な日本語表記を忘れてるので、ものすごい適当な日本語表記)。ずっと色物で見られているにもかかわらず、この頑張りはエライもんだと思う。しかし、ずいぶん保守的なチャートだな、と眺めていたら、27位にラム・オブ・ゴッドが入ってました。ひゃあ。
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2004年09月07日
 ライナー・ノーツが鹿野淳で対訳が新谷洋子という、そういった仕様に関しても、わりとちゃんと洋楽してる宇多田ヒカルの全米デビュー・アルバム。ただ、これ、ほんとうにアメリカ盤が出るなら、値段的には輸入盤を購入するほうがぜんぜん賢いと思われる。
 とりあえず、内容的なことに関しては、僕よりもこういうサウンドに関する知識のある人たちが、スペックの高い批評を行ってると思うので、そちらを参考にしてください(鹿野淳のライナー文はちょっとアレですが。というか日本盤特典のブックレット自体が要らない……とか、そういうことを言ってはいけない)。
 じゃあ、なんで僕がこれを取り上げたかといえば、もちろん、いちマーズ・ヴォルタのファンとして、ジョン・セオドアの参加がいかがなものか気になるからだ。

 マーズ・ヴォルタのドラマー、ジョン・セオドアが参加しているのは10曲目「クレムリン・ダスク」である。前半、あまりにもドラムレスで進むので、くそう、騙されたと思うが、しかし中盤以降、「らしい」ドラムの音が聴こえてくる。じっさいにビートが激しくなってから、宇多田が追うメロディは、マーズ・ヴォルタのそれに似ている。アルバムのなかにおいても、ちょいと毛色のちがうナンバー(これまでの宇多田でいえばタイプ的には「蹴っ飛ばせ!」と同じ括りになるのかもしれないけれど、あれともまた性質が違う)で、全体を通して聴く分には、ひとつのクライマックスとなるような盛り上がりを持っている。
 マーズ・ヴォルタ関連の資料として所有するのであれば、やっぱり輸入盤が出るまで待つのがいいと思う。というか、こういう聴き方は、ちょっと間違ってる気がするな。まあ、いいか。僕に正しいことを期待するのが間違っている。
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2004年09月02日
onthlash

 誰がなんと言おうと傑作であるセカンド・アルバム『ペナンス・ソワレ』からのサード・シングルで、表題曲を含め、4つの楽曲が収められている。「オン・ザ・ラッシュ」は、アルバムのと同じであるが、2曲目「ミートシーカー」は、日本盤や英盤ではなくて、米盤『PENANCE SOIREE』にのみ収録されているヴァージョンで、じっさいに聴き比べてみると、意匠が違っているのがわかる。おそらくライヴの際、イントロに用いられていたのは、こちらの仕様だろうと推測。3曲目「キャヴィア」と4曲目「SPEED SICK」は、「BBC RADIO 1 ROCK SHOW SESSION」ということになっていて、スタジオ音源よりも多少荒々しく、ギターのノイズがわりと自由に行き交っている感じ。ちなみに「SPEED SICK」は、「パーティー・ザ・ベイビー・オフ」シングルのB面で、アルバム未収録、粗野でパンキッシュなタイプのナンバーである。ところで。僕にとってイカルス・ラインのサウンドは、この世はクソなのでみんな死んでしまえ、という呪詛である。しかし誤解して欲しくないのは、かつてのマニック・ストリート・プリチャーズが、自分たちにできるもっともポジティヴなことは常にネガティヴであることだ、といったのと同じ意味合いで、ものすごく前向きな態度の現われとして、それはあるということだ。
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2004年08月28日
 ルーズに掻き散らかされるギターのリフ(反復)に沿いながら「ワン・トゥー・ヒウィ・ゴー」と立ち上げられるサウンドは、言われるように古き良き時代のノリ、ガンズやブラック・クロウズを彷彿とさせる。けれども、個人的には、バックチェリーやアメリカン・パールを思い出した。いかにもロックン・ロールなクリシェの多用は、下手をすれば場を白けさせるけれども、ここでは、こちらをバンバンと燃え上がらせる。基本軸は、古典的な手法の積み重ねだが、しかし、ある意味ではダンサブルなグルーヴは、ひとつの時代を経たあとでしか獲得されなかった類のものだろう。ねえ、90年代のはじめに、なんでプライマル・スクリームは「ロックス」だなんて演らなければならなかった?

 いいね、これがロックン・ロールである。グラマラスな女の子が恍惚の表情を浮かべながら腰を振るイメージが浮かぶ。そして猥雑なパーティーの果てに、真っ直ぐで純朴な天使が見つかる。彼女はピュアかだって?おいおい、オタクがやってるゲームかよ。ちがう。致命的なほどに純粋な天使はこの世には存在しないから、僕たちはいつだってあの世を見つめている。この瞬間が、ずっと続くならば、死んでもいい。君だけを探すレースだったら無限に成し遂げる覚悟。地獄の底で、ウザいくらいの炎にまかれたとしても、好き勝手にやっていたいんだ。無理とか無茶とかの可能性を、たかが人間が区切るなって。邪魔すんな。僕だって、あんたと同じで凡庸さ、けれど、昨日にしがみつくような真似はしないし、明日に期待をかける真似もしない。今、今、今、いまがいちばん大切だから、ほら、こうして無駄なテンションに合わせて、ありったけの叫び声を上げてみるんだ。聞こえない?構わない!でもね、生きている感じがするよ。古臭いだとかといわれたって、結局のところ、そいつは目の前で現存しいるんだからさあ、そうだろう、いわば普遍的だ。あんたは忘れるかもしれないけれど、べつの誰かは覚えてる、べつの誰かが思い出す、僕が忘れない、だからこれは永遠になくなりはしない。

 過大評価だともいえる、そんな妄想を育ませるサウンド・トラックが響く。どこまでも響き渡るから。やあ、はじめよう。人生というリングの上では、誰だって孤立無援なんだった。戦って死ねるならば、それでいいや、それがいいや。日和ったりなんかしないよ。黄昏れたりもしない。大人の名を着る豚の歩みに合わせなきゃならないんだったら、高鳴る心臓が止まるまで、待って。待てないなら、先に死んで。
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2004年08月26日
 今回、DVD化されたことでようやく観ることができた90年代グランジ、というか90年代のシアトル・シーンのドキュメンタリー。僕ね、ほんとうにこれ、ずっと観たかったんですよ。当時のムーヴメントに関わったさまざまな人物(バンドやレーベル経営者、ジャーナリスト)たちの証言によって構成されているのだけれど、いちばん出番が多いのはプロデューサーのジャック・エンディーノかな。いちおう売りとしては、ニルヴァーナがライヴではじめて「スメルズ・ライク・ティーンスピリット」を演奏した場面になるのかもしれないが(歌詞がCDに入っているものと違うようなので、レコーディング以前の段階のものだろう)、個人的には、FLOPの演奏が観れたりするのが嬉しかったりもする(FLOP好きだったのだ)。ヤング・フレッシュ・フェローズが来日したときの模様も収められていて(このときのライヴは後にアルバムになったわけだけど)、まあ撮った人のセンスの問題もあるのだろうけれど、90年代前半ぐらいだと日本はまだアメリカの文化には追いついていなかったことが、ファッションなどから伺える。

 で、とりあえず思ったのは、グランジのA級戦犯ってエディ・ヴェダーなんじゃねえかな。たぶん体育会系に対するナードたちのルサンチマンみたいのをセンス・オブ・ユーモアで示そうとしたのが、グランジというサウンドのそもそもの動機だったような気がするんだけど、エディ・ヴェダーだけがもうひとりシリアスなの。当時の雑誌やタブロイド紙が映される箇所がわりとあるのだが、そこでもエディだけが、やたら深刻そうな顔で写ってる。たしかに今から思えば、グランジ=苦悩する若者っていうイメージってパール・ジャムの専売特許で、ニルヴァーナなんかは、むしろ『イン・ユーテロ』発表前後かカート・コバーンの死後になって、そういうイメージを付着された印象がある。で、サウンドガーデンとかアリス・イン・チェインズなんかは、ハード・ロックやヘヴィ・メタル的な音響の部分での評価のほうが大きかった。そのあたりの因果関係って、べつにメディアだけの責任ではない気がする。なんていうか、その人間の生来の気質みたいな部分も大きく関与していたんじゃないかな。まあ当然といえば、当然のことなのだが。
 このDVDとはぜんぜん関係ない話で、ブラック・クロウズのクリス・ロビンソンが、カート・コバーンが自殺したあとの『ミュージック・ライフ』のインタビューで、エディ・ヴェダーのことをものすごく批判していたけれど、彼が気に入らなかったのは、そういう本質的な部分、カートが「レイプ・ミー」をユーモアだよと言う(あるいは、わざわざ言わなければならなかった)のと、エディはぜんぜん違うスタンスを取っているのに、なぜか一緒くたにされてしまうことに対する苛立ちだったんじゃないだろうか。カート本人がエディを一時期嫌っていたのも、おそらく同様の理由だと思われる。

 いろいろと改めて発見するところがあったので、あとで文章加えるかもしれないけど、とにかくグランジ系のサウンドにハマったことのある人間は必見の一本である。ノスタルジーもあるし。というか、自分の問題意識は他のどこでもなくて、ここにあったのだと再確認した次第。そういえば、90年代グランジをリアル・タイムで聴いていた層って、僕を含め、日本でいえば団塊ジュニアとか、そのあたりの世代になるんだよね。これってけっこう重要なことだ。
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2004年08月25日
 要するにメロディというのは、なにかしらかの秩序を示すものなのだろうな、と思う。「EQUAL VISION RECORDS」というと、個人的には、コンヴァージを思い浮かべてしまうが、そのレーベルから登場した登場したSILENT DRIVEは、ニュースクールのハードコア、たとえばスナップケイスあたりの系譜に連なるような硬質で均衡のとれたギター・リフを轟かせる。一方で、メロディへの信頼みたいなものが、かなりの部分でサウンドの基盤に置かれているのが、わかる。放出するエネルギーの量は膨大で、ヴォーカルの叫びは、テンション高めで無秩序にびゅんびゅんと飛び交うけれども、最終的にはやさしくメロディの流れる、そういうあたたかさへと落ち着いてゆく。荒々しさは、やがて静けさに支配される。ものすごいエネルギーの回転する1曲目のインパクトに引っ張られて、アルバムを聴き進めてゆくと、5曲目で唐突にメロウなバラードが突き当たる、そのあたりにこのバンドの本質が現われている。

バンドのHP
 http://www.silentdrive.net/
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2004年08月22日
 もはやトラディショナルなアメリカン・ハード・ロックでしかないレッチリの2枚組ライヴ・アルバムは、僕には、ヴァン・ヘイレンの『ベスト・ライヴ ライト・ヒア、ライト・ナウ』を思い起こさせる。要するに、バンドの存在感を確認する、そのためのアイテム以上のものでなければ以下のものでもない。それが良いとか悪いとかいうつもりもない。ただアンソニーのヴォーカルは、このフォーマットにおいては、もうかなり限界に近いのではないかという気がする。たしかにエモーショナルといえば、そのように聴こえなくもないけれど、パワフルなのになぜか声量の足りないその声は、楽曲のテーマとは異なるレベルで僕を悲しくさせる。バックの演奏は相変わらずスリリングなだけに余計そう感じさせる。とはいえ、べつにヴァン・ヘイレンやエアロスミスのような手練になって欲しいわけではない。そういった生真面目なスキルの高さではなくて、四人で一対のイギー・ポップたる爆発力を耳にしたいだけだ。ここにはまだ、それが残されているが、しかし、やがて失われていく予感も存在している。あるいは誰かはこう言うかもしれない。レッチリのライヴのすごさは、じっさいに観なくちゃわからないよ。ねえ、だとしたら、このライヴ盤の意義は?
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2004年08月17日
堂本剛

 初回盤ゲット。
 先行EPの段階である程度は予想できたが、ずいぶんとロック的なダイナミズムが差し引かれている、それはつまり、前作では顕著であったミスター・チルドレンや椎名林檎からの影響圏から逃れているということなのだけれども、全体的にかなりスタティックな内容となって仕上がっている。
 スカ調の11曲目の歌詞には、ファンク・ブラザーズやスライ(スライ&ザ・ファミリー・ストーン)の名前が引用されているが、しかし、それほど本格的に黒っぽい感じでもなくて、一言でいえば、メロウさに支配されている。
 シングル・カットされた「ORIGINAL COLOR」は、アルバム・ヴァージョンとなっているけれども、さいごの締め方がたぶん違っているだけ。個人的な聴きどころとしては、インストのナンバー(堂本剛はギターで参加)と13曲目の「PINK」を挙げたい。いや「PINK」、いい曲である。

 PINKに膨らんだ昨日で
 BLUEにひび割れた今日で
 混じって弾ける明日ね
 闘って 闘って
 
 その口唇が裂けて
 吐き出す愛の詩 今じゃ
 意味なきメロディだなんて
 負けないで 逆らって
 逆らって 逆らって

 堂本剛「PINK」


 壮大なストリングスを組み込んだバラード調の楽曲で、そういった曲調というのは、歌謡曲においては、なぜかチープさを孕んでしまうものだけれども、ここでは、それがそのまま「等身大」という像を結んでいる。 ひとりの男の子が、大人になる過程でくぐり抜ける様々な困難を切り取った、そういう心象として、切なく響いてくる。
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2004年08月16日
 たしか数年前に十代でニッキー・シックス(モトリー・クルー)のレーベルからデビューしたミクスチャー・バンドのセカンド・アルバム。本作ではインター・スコープに移籍しているみたい。でもって、おお、こりゃあ大したもんだ。こういう化け方をするのか。ここ2、3年の間に、ミクスチャー系のバンドがラップを捨てて、メロディアス(エモ)化するという、なんていうか日和見主義の根性のなさをみせているのに対して、このバンドは以前よりも格段と上のレベルで、メロディとラップを二項対立のように扱い、ハッピーでもラッキーでもメランコリーでもサッドネスでもない、ただただ言語化されやしない、この時代ならではの自分たちの感情をビシバシとクロスオーヴァーさせている。なんつうかね、もうふつうにグッドである。傑作である。『サウンドシステム』の頃の311や初期ゼブラヘッドが好きな人ならば、いちおう押さえておいたほうがいい。で、日本のメディアはきっと完全に無視するんだろう、すると数年前にラップ・メタルの未来云々とか言ってた人たちって結局のところ何がしたかったのかなってなる、おい、誰だ?ラップ・メタルが頭打ちだって言った奴は、とか思うけれど、まあ、いいや。きっと筋金入りって言葉を知らないんだろう、あんたらは、さ。っていうゲームの勝者がここにいるよ。
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2004年08月15日
 Racecar Is Racecar Backwards

 これまでにREUBENは数枚のシングルを出していて、それらのどれもが気に入っていたので、待った待った、ついに出たという感じのデビュー・アルバムである。イギリスのバンドだが、かなり骨太の音を出していて、サウンドのフォーマットとしては、同じトリオ編成のBIFFY CLYRO(のファースト)に近しい。グランジやエモといったアメリカのニオイを過分に吸い込んでいる。けれども、あくまでも養分となっているのは、ダイナミズムやディストーションのうねりの部分である。ここら辺が僕にはおもしろい。ハード系に限っていえば、アメリカのバンドがなぜかポップさを助長させているのに対して、イギリスのバンドは、あくまでも硬さや重さに拘っている。ハイ・ファイに対してロー・ファイだともいえる。こうした傾向の違いは、注目に値する。じっさい本作にしたってクリーンな響きはあまり持っていない、メロディの部分ではアメリカの同世代バンドと共通の認識を持っているみたいだが、それよりもむしろ楽器間のアグレッシヴな交差に全体を引っ張らせていて、ヤワな印象はほとんど残さない。ピアノやストリングスが入った楽曲もあるが、かなり硬派な感じである。

バンドのオフィシャルHP
 http://www.wordsfromreuben.com/#
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2004年08月11日
 ディリンジャー・エスケイプ・プランといえば「わーぎゃードカドカ」である、あるいはもうちょいジャジーに「わーぎゃーズチャカズチャカ」でもいいし、演奏のトリッキーさを強調して「わーぎゃートゥルトゥトゥル」でもいいかもしれない、まあだから、とにもかくにも「わーぎゃー」といった感じなのだ。が、しかし本作では、メロディが大幅に取り入れられており、その「わーぎゃー」感が減退している。その点に注目して、ヤワになったと見る向きもあるかもしれないが、いやいや、これはこれで最高のサウンドである。以前までの自分たちが定型化される、その一歩手前で、べつのレベルへの無節操な移行が成立している。つまりセオリー無視がディリンジャー・エスケイプ・プランのセオリーという基本軸は、きっちりと押さえられているといえる。
 たしかに部分部分では、パンテラやナイン・インチ・ネイルズ、ヘルメットといった先行するバンドが提示したスタイルやパターンを踏襲しているような趣もあるにはあり、革新性やオリジナリティでこれを測ることはできないかもしれない。けれども聴き手は望郷のほうを向くことはない、そのことが翻って、バンドの圧倒的な地力を見せつける結果となっている。というか、前作が理系であったならば、これは文系、前作が渾沌であったならば、これは秩序とか、そういった具合に相対化すると、もうちょっとうまく説明できるかな。どうだろう。や、個人的にはイチオシな作品なのだけど、それに見合う言葉が僕には不足しているのだった。うわーん。まあ、そんぐらいすごいってことで、ひとまずは。
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2004年08月07日
 ようやく聴いた。中村一義のニュー・シングルではなくて、100Sのデビュー・シングル。なるほど。これ完全にバンド体制の音で、作曲方法からして、完全に違ってんだ。ソング・ライティングの在り方が、以前までのキャリアとの明確な区切りを示している。それと歌詞の問題、さいしょ完全に嘘英語でメロディだけ作っといて、たぶん、あとでそれを日本語に変換しているんだと思う(スーパーカーみたいに)。その段階では、言葉は、意味よりも音が重視されているので、内容としては以前よりも通りが悪くなっている。という意味では、歌詞に感情移入するタイプの聴き手は拒むかもしれない。サウンドのフォーマットとしては、90年代オルタナティヴ以降のアメリカン・ロック。個人的にはこの方向性は嫌いじゃないけれど、まあ総合的な評価はアルバム待ちだな。
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2004年08月06日
 テイキング・バック・サンデイが3位にチャート・インしてるのがびっくりしたので、いちおうメモ。
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2004年08月02日
 たぶんオーストラリア出身の5人組の、たぶんデビューEP(5曲入り)。軽快なテンポで駆ける、メロ・コア〜エモ・コア的な、まあ今様のスタンダードなポップ・パンク。
 でもって、こういうのを聴くと思うのは、おそらく90年代のどこか(ウィーザーがブレイクしたあたりだと思う)で、「泣き」という言葉が示す内容というのは大きく変化したということだ。ここにも「泣き」として形容されるメロディというのはきっとあって、ただそれを「泣き」として受け止めるかどうかというのは、これをパンクとして受け止められるかどうかというのと同じレベルで重要なことだと思い、そのことをしばらく考えていたのだけれど、面倒くさくなったので、やめた。
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2004年08月01日
 「アルバム全十曲がオール世界初収録」と帯に謳われても、サード作『MFZB』のアウトテイクにしか過ぎないわけで、それに対する需要というのは日本にしかないのだから、まあ、あれだ。いやいや、しかし、これ、もしかしたらゼブラヘッドのキャリア(イエローEP含む)のなかでも、かなり上等な部類の内容ではないだろうか。すくなくとも『MFZB』よりは、ぜんぜん良いのであって、要するに、ここに収められた楽曲をアウトテイクとしてしまうのが、グローバリズムの力というものなのである。たしかに「イマドキのアメリカ・メインストリーム」という意味では「売れ線」ではない。
 ここでは、徐々に減少傾向にあった、ラップの比重がすっかりと回復している。メロディと五分に渡り合っている。ヒップ・ホップは未だ根強いが、しかし、ミクスチャー・ロックはもはや死語に近しい。そんななかにあって、メロディの求心力を強く押し出したのがセカンド・アルバムとサード・アルバムであったわけだけれども、それというのはたぶん「エモ」が売れていることと無関係ではないというのが僕の推測である。ただ、その格好は、ゼブラヘッドの基本姿勢ではなかった。『MFZB』におけるチープ・トリックのカヴァーよりも、本作におけるスパイス・ガールズのカヴァーのほうがこのバンドに合っているのは、要するに、ゼブラヘッドというバンドの本質は「メロディ」だけではなくて、「メロディ」をも含めたミクスチャー性にあったことを証明している。
 ビッグ・イン・ジャパン=日本だけで有名、という評価がどこか恥ずかしいのは、僕らが、どこか心の奥底で、アメリカで評価されるものが偉い式の感情を持っているからだ。それは「アメリカの影」のことであるが、ポップ・カルチャーの領域では、グローバリズムと呼ばれる。そういった威信なんてどうでもいいではないか、という爽快感がここには鳴っているのであって、そのエンターテイメント指数はかなりの高さだ。
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2004年07月26日
 元アット・ザ・ドライヴ・インという肩書きを持ちながら、マーズ・ヴォルタに比べると、どうも存在感の弱くなってしまったスパルタだけれども、サウンド自体が薄口なのだから、それも当然だといえるかもしれない。
 さて、約2年ぶりのセカンド・アルバムは、出来は悪くはないけれども、やはり地味な内容であった。基本的には、前作よりもアット・ザ・ドライヴ・インらしいサウンドとなっていて、たとえばアット・ザ・ドライヴ・インのフォロワーとしては、かなり優れた部類に入るのだが、マーズ・ヴォルタを聴いた耳には、それはちょっとマズイだろうと思える。
 というのも、マーズ・ヴォルタが定型から脱線することで、ロック・ミュージック特有のエキサイトメントを獲得しているのに対して、むしろスパルタが聴かせる定型への拘りでは、ソング・ライティングの出来不出来を確認する作業しか、こちらには残されなくなるからである。
 プロデューサーにはアンディ・ウォレスが迎えられていて、前作がジェリー・フィンだったことを考えると、ポップさよりもハードさが優先されていることがわかる。
 ビルボードのチャートでは、60位という、それほど悪くはない成績を記録したが、それは結局これが、いま流行りのエモという文脈にきっちりと収まる、そういうステレオ・タイプのアルバムだからなんだと思う。
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 赤尾美香がライナー・ノーツを書いているから言うわけじゃないが、これはまさに90年代の頃の『ミュージック・ライフ』だったならば強く推していた、そうした類のロックン・ロールだと思う。それはつまり、D.A.Dとブラック・クロウズとワイルドハーツに共通するセンスが、ここにはあるということなんだけれど、そういった説明じゃ、あまりにも感覚的すぎるので、わかりづらいかもしれない。が、まあ、いいや。とにかく、熱心な『ミュージック・ライフ』読者であった僕には、誰がなんと言おうと、ジャストな作品である。
 というか、こういう突き抜け方をするのか。デビュー作は、青白い、ざらざらとした質感がイタ気持ちよかったのに対して、このセカンド・アルバムは、レッド・ホットである、燃え燃えで、感じられる体温が心地よい。その変化を大きく担ったのは、やはりプロデューサーに起用されたジョージ・ドラクリアスの存在だろう。ジョージ・ドラクリアスといえば、アメリカ南部を思わせる音作りに長けた人で、全体に塗された泥臭さが、ねばり腰のビートを強調している。演奏は荒々しいが、地に足の着いた力強い疾走に結びついている。バンド自体は、アメリカン・オルタナティヴの人脈と深くコミットしているようだが、むしろヴェルヴェット・リヴォルバーのオープニング・アクトあたりが相応しい、そういう直球のハード・ロックが掻き鳴らされている。
 個人的に、この音には、どこか懐かしさを覚える。が、しかし、それはけっして退屈な後ろ向きの姿勢なんかじゃない。だって、そうだろう。あのさ、君のことを思い出すたびに、あの頃と同じような気持ちになるってことがわからないのかい。いつまで経ったって、どこまで行ったって、それは僕にとって、かけがえのない、とても大切なものなんだ。
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2004年07月23日
 いま現在、エモだとかスクリーモだとかパッケージングされているバンドの、そのサウンドの中枢にあるのは、ラジカルさやハードさではなくて、良質なメロディと楽曲構成力なのであり、要はボン・ジョヴィがうつくしいバラードを書くのと同じレベルのことが行われているに過ぎないのだが、ロック批評の人たちが、たったそれだけのことをコンスタティヴに捉えず、「衝動」だとか「切実」だとか「男泣き」だとかいった風にパフォーマティヴに記述するのは、「パンク」や「ハードコア」といった商品イメージが損ないたくない一心によってで、けっきょくはビジネスの話に他ならないのであり、ずばり、せこいのだ。
 このテイキング・バック・サンデイのセカンド・アルバムが、とても素晴らしいのは、バンドの持つソング・ライティングのセンスが遺憾なく発揮されているからである。と同時に、そのことによって、彼らが伝えようとするものが、明瞭なまでに表されているからなのだった。
 ここで扱われているのは、(前作もそうなのだが)「きみとぼく」にまつわる問題、言い換えれば、ラヴ・ソングに近しいものばかりだけれども、惚れた腫れたの心情ではなくて、切った張ったの勢いで迫ってくるのは、現代においては、たとえば「世界情勢」や「政治的オピニオン」などといった社会的な関心が、我々のアイデンティティを傷つけたりすることは少なく、むしろ、ごく個人的な領域で起こる出来事が、ときに死を選ばせるほどのダメージを寄越す、それへのリアクションが「自身」というものを形成するからだろう。なるほど、そこには、たしかにこの時代ならではのリアルさがあり、それに感応するのがエモーションというものなのである。
 ねえ君、僕たちの感情はどこに宿るのだろうか。僕たちの感情は「ここに」そう言いながら君が指差したのは?
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2004年07月21日
 二宮くん好きを公言して憚らないにもかかわらず、テレビ・ドラマ『南くんの恋人』は見逃しがちな僕であるけれども、もちろんARASHIのニュー・アルバムは、聴く。『いざッ、NOW』というタイトルは、「誘う(いざなう)」とかけてあるのだろうけれど、とりあえず、そんな駄洒落のことはどうでもいい。
 前作ぐらいから、かなり櫻井くんのラップ・パートが少なくなってきていて、路線としては完全にアイドル歌謡なわけだけれども、SMAPほどゴージャスでもなく、KinkiKidsほどキラキラしていない、V6ほどダンサブルでもなければ声も重ねない、ある種の素朴さが、ARASHIというグループの売りになっていると思う。歌詞にしたって、「冴えない感じの僕」が共通した主題として存在していて、そのことがアルバムに統一感のようなものをもたらしている。
 とはいえ、だ。やはり櫻井くんのラップは異常である。本格派とは縁遠いが、しかし、どのヒップ・ホップ・スターをロール・モデルに置いているのかわからない、なぜそこまでダミ声にこだわるのかというほどの不機嫌さと、押韻を無視し言葉の数が楽曲からはみ出してしまっているその独特なスタイルは、HYとかオレンジレンジとか、同世代のミクスチャー・バンドにおけるラップの上の、そのさらなる上のレベルをいっている(言い過ぎ!)。
 僕がゲットしたのは、当然のようにDVD付のヴァージョンであるので、そのDVDの内容にも触れておかねばなるまい(義務なのだ)。これまでに作られたPVから、ファン投票で選ばれた上位5曲を収録したDVDは、その初々しさが大人の表情へと変る、そういう場面場面の記録として成り立っていると思う。松本くんは、『ナイスな心意気』のクリップがいちばん好きだと言っているが、僕もじつは『ナイスな心意気』の内容がいちばん好きであって、それがここには収められていないのが、とてもとても残念なのだが、しかし、デビュー曲である『A・RA・SHI』のPVはひさびさに見たわけだけれど、いやあ、これものすごく格好いいじゃないか。
 とくに光っているのは、やはり二宮くんである。ダンスの最中、顔はほとんど俯き調子なのに、体は驚くほど前のめりに傾いている。踊りのことはよくわからないが、しかし、その俊敏さは、他のメンバーと比べると、あきらかに抜きん出ており、(当時は無口キャラだった)二宮くん個人の自己主張としてこちらに訴えかけてくる、そのような不敵さを備えている。
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2004年07月18日
 ガンズ・アンド・ローゼスの前身バンドのデモ音源をまとめたもので、こういうのがブートレッグというわけではなくて、堂々と出回るとなると、もはやアクセル・ローズという人の、ショウ・ビジネス界における権力というのは、かつてほどではないのかもしれんねと思わされる。
 「Killing Time」「Anything Goes」「Rocker」「Shadow Of Your Love」「Reckless Life」の5曲がミックス違いで3セット収録されている(オリジナル・デモ、元ガンズのギルビー・クラーク・リミックス、元シンデレラのフレッド・コウリー・リミックス)。とはいえ、まあ、楽曲の印象が変るというほどの変化があるわけではないので、無駄が多いといえば無駄が多い(いちばん聴き易いのはフレッド・コウリーのヴァージョンだと思われる)。
 個人的には、かつてガンズが何かのシングルのB面に入れていた「Shadow of Your Love」はとても好きな曲であるので、それのオリジナルが聴けるのは嬉しかったりもするが、それよりもやっぱり、アクセル・ローズの声というのは、とてつもないカリスマ性を備えているを、改めて認識できる。
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2004年07月14日
 テイキン・バック・サンデイやサーズデイを発掘したVICTORYレーベル(ハードコアの名門のはずなんだけど、最近はエモってるねえ、日和ってる)が、そのテイキン・バック・サンデイやサーズデイを引き合いに出してデビューさせたバンドなのだけれど、それはどうもプラスになっていない気がする。というのは、聴いてみると、これは完全にサーズデイのフォロワーで、オリジナルな箇所というのがほとんどないからなのだった。
 たぶん、こういう人たちって、オリジナルであるとか革新的だったり斬新的だったりするアプローチなどは必要としていないんだと思う。今時のエモーションとかリアリティこそが最重視されていて、こういったメロディ+スクリーム+ヘヴィ・ギター+疾走感というのは、彼らの世代にとって、そういったことを表すのにもっとも適したフォーマットなんだろう。ただ、やっぱりサーズデイが、自分たちの感情なんてのはありふれていて、ただのコピーでしかないんだと、うたったあとで、こういうのが出てくると、悲しくなってしまう僕がいる。
 あと、どっちがアルバムで、どっちがバンド名なのかわからない言葉のセンスや、楽曲のタイトルなどに現われているとおり、基本的にロマンティシズムやリリシズムが音の背景としてあるのだけれど、それがうまく表されていないということが、ひとつの弱点なのかもしれない。どこかに戸惑いがあって、今一歩、突き抜けていないのだ。
 悪くはないバンドだけれど、べつに特別だというわけではない。本人たちがそれでいいやと思ってんならば、それはそれで構わないと思う。
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2004年07月12日
 ラッシュ(LじゃなくてRのほう、ってもう近頃じゃ誰もいわなくなったね)の、ひさびさのスタジオ音源は、60年代とか70年代とかに活躍したアーティストのカヴァーを収録したミニ・アルバムで、音の仕上がりも、現代に合わせたものではなくて、わりと懐古的な、クラシックさをもって響くようになっている。
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 どういう出自なのかはしらないけれど、03年には発表されていたっぽいデフトーンズのトリビュート・アルバム。参加しているバンド、いっこも知らない。みんな元曲を忠実に演奏している。つまりカヴァーではなくて、コピー。おもしろみなんてのは一切、存在しない。同じ時間を費やすならば、オリジナルのデフトーンズを聴く。それだけ。
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2004年07月07日
 前作はプロデューサーに元メタリカの人であるジェイソン・ニューステッドが迎えられており、ヘヴィ・メタルとかハード・ロックとかヘヴィ・ロックとかの界隈では、それなりの話題があったのかもしれないけれど、あまり振るわず、その後解散したとかしないとかの噂があったので、どうなっちゃったんだろう状態であったスピーディーラーの新作。輸入盤でもってインディ。だけど、これがなかなか良い。明らかに低予算な音作りだけれど、それがぴったり似合っている。ZEKEとタメをはるワイルドタフなロックン・ロールで、いま流行のガレージ・ロックの線の細さはちょっと苦手、もうちょっとディストーションが効いているほうが燃えるんだというタイプの人間には、オススメな感じである。
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2004年07月05日
 USインディではそれなりの地位を獲得したカーシヴの人のサイド・プロジェクト。ミニ・アルバム。メロディを主体としたゆるい感じのギター・ポップ・ローファイ風味和み系純情派仕立てのサウンド。ってどんなんだ?まあ流して聴いている分には可もなく不可もなく。
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2004年07月04日
 ライナーノーツを書いているのが山口智男だという段階でパンクなのかどうかジャンル的にどうなのかということは考えず要するにアメリカン・テイスト抜群のパワー・ポップだとすればいい、ミッドタウンのサード・アルバムである。けれども、じつのところ僕はこのバンドの売りみたいなもの、どこの部分が他のバンドより秀でているのかがよくわからねえのです。基本的には、ギミックのない楽曲の出来と演奏の確かさで勝負という地味なサウンドで、それなりにはクオリティは高いのだが、うーん、無人島に持っていくかどうか的なセレクションではチョイスされない感じ。前作のほうがメロディが立っていたかな。まあ、ある程度売れるんだろうけど、それは80年代に産業ロックが産業ロックというだけで、それなりのセールスを見込めたのと同じような意味合いでしかない。ということを誰かそろそろはっきり言ったほうがよいよ。
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2004年07月02日
 ああ、やっぱり音楽批評(ロック批評)なんてのはいっかい死んだほうがいいなと思うのは、『ロッキング・オン』今月号の古川琢也のマイ・ケミカル・ロマンス評を読むからで、このアルバムに関して、「もっと泣きたい」といっているように聴こえる古川の耳というのは、それが空虚なレトリックでなければ、じつに幸せに出来ているのだろうな、と感じたからなのだった。何度聴いても、僕にはそのようには聴こえこない。
 最近じゃあもう、あんまりアーティストのインタビューとか読まないのだけれど(どいつもこいつも言うことが退屈だから!)、マイ・ケミカル・ロマンスのインタビューが同号に掲載されているので、せっかくだから読んでみる。すると<だから……俺たちからファンへのメッセージといえばいつも決まってシンプルで、とにかく『いつも生き生きと前向きに生きよう』ってことなんだよね>といっていた(ねえ、退屈でしょう)。つまり、彼らが表現したいことというのは、べつに「泣きたい」ということではないのであった。
 や、べつにアーティストがインタビューで答えていることがすべて正解式のことを言いたいわけじゃない。もしもアーティストが「自分たちのいいたいこと」を表現して、出した音が「聴き手には違って聴こえる」としたら、それはどういうことだろうか。というのを考えることもまた批評の仕事であると僕には思われるのだ。90年代にカート・コバーンが亡くなったとき、多くの音楽ライターが自分たちは本当にニルヴァーナのサウンドを聴き取れていたのだろうか、カートがいうところの「レイプ・ミー」の本当の意味は?的な、そういう猛省をしたが、あれから10年以上経った今もなお、音楽批評(ロック批評)というのは、進歩も前進もなにもない、なんていう状況なのである。
 ところでマイ・ケミカル・ロマンスはやはりファーストがいい。初期アイアン・メイデン(つまりポール・ディアノ在籍時)を、新しい感性で録音しなおしたかのようなそのサウンドには、この時代だからこそのオリジナリティが宿っていた。
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2004年06月30日
 もう本当にマイ・ケミカル・ロマンスの新作の出来が凡庸で、どうにもこうにも首を傾げてしまった。でも日本盤発売があるっぽいので、推す人というのは出てくるんだろう。
 ところで、このDEADPOETICを推している人というのはまだ見かけない。日本デビューはまだである。が、いいバンドだと思う。スライスやWATERDOWNあたりが好きな人は気に入るんじゃないかしら。つまりサウンドの基本線は、そういったバンドらと同じ傾向である。メロディを追って、叫んで、メタリックなギターが疾走感とともに鳴っている。まあ紋切り型といったら紋切り型なんだけど、他のバンドに比べると、メロウなムードへのしなりがずいぶんと利いている。アグレッションと叙情性のバランスが良いのだ。
 や、穿った見方をすれば、クオリティの勝利でしかないのだけれど。
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2004年06月15日
 一言でいえば、かっこいい。というか、かかってこい、といった感じ。『グー』や『ダーティー』を契機に、90年代にグランジという文脈でソニック・ユースを聴きはじめた僕のような人間にとっては、『ウォッシング・マシーン』以降、もっとも馴染みのある楽曲のスタイルであり、エモーションへとダイレクトに響いてくるノイズである。
 前作までとは変わって、ある意味ではコマーシャルな作りであるけれど、体育会系アーティストが跋扈する現在のロック・シーンは、まるで80年代あるいは90年代初頭を思い出させるものであり、そのなかで、これだけ線の細く、クールでうつくしい、それでいて波乱に富んだエキサイトメントを作り上げたソニック・ユースというバンドの想像力と攻撃性というのは、『グー』から10年以上経った今も、やはり大したもんなのである。
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