ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2019年12月09日
 War All the Time - Thursday
War All the Time - Thursday

 オープニング・アクトを務めたENDSWECKが「金曜日なのにサーズデイ」とMCで繰り返し口にしていたが、12月6日、代官山SPACE ODDにて、悲願のTHURSDAY初単独来日公演を観た。THURSDAYのライヴを目にするのは、2004年に行われた日本版のWARPED TOUR以来である。正直な話、この15年の間にバンドは第一線から退いてしまったところがある。いや、実際に一度は解散し、再結成後も新しい作品を発表してはいないのだけれど、しかし、強烈なエネルギーをまとったパフォーマンスは、中年に差しかかったはずの彼らと現役の二文字とを固く結びつけるのに十分なものだった。

 開演直前、CAT POWERがBGMでかかり、流れる車窓のように撮影された日本の郊外がスクリーンに映し出された。物寂しいムードが漂うなか、ステージに登場したメンバーたちが最初のナンバーに選んだのは「FOR THE WORKFOCE, DROWNING」である。『WAR ALL THE TIME』(03年)の冒頭で炸裂していたあの掻き毟るほどの焦燥がまざまざと再現され、居ても立ってもいられなくなる。初っ端からすごい勢いで湧き上がるものがある。続いて「CONCEALER」「AOUTOBIOGRAPY OF A NATION」「CROSS OUT THE EYES」「PARIS IN FLAMES」と『FULL COLLAPSE』(01年)からの楽曲が並んでいく。THURSDAYがエモやスクリーモの急先鋒とされていた頃のそれらは、しかし、時が経とうと本質を違えてはいない。衝動に後押しされながら、熱量をぶち上げる一方、明るさとは真向かいのパセティックなイメージが描き出される。アジテーションの激しさとメランコリックなまでの繊細さとが同居したサウンドの類まれな真価を証明するがためにバンドはパフォーマンスを繰り広げているかのようでさえあった。

 余談だが、今回のツアーには元LOST PRORHETSのスチュアート・リチャードソンがベースで参加している。THURSDAYのヴォーカル、ジェフ・リックリーとNO DEVOTIONというバンドを組んでいる縁でもあるのだろう。NO DEVOTIONは、ニュー・ウェイヴのエッセンスをふんだんに携えたスタイルになっていたけれど、THURSDAYにおける内省的な側面も、やはりルーツのどこかにニュー・ウェイヴの存在が横たわっているのだと思う。それがハードコアなどに由来したギターの鋭いリフやスリリングでダイナミックな展開を併せ持っているあたりにTHURSDAYの素晴らしさはある。本編のラストを飾ったのは『WAR ALL THE TIME』のタイトル・トラックである「WAR ALL THE TIME」だ。アグレッシヴなパートを抑える代わり、暗く、冷ややかと形容してもいい音色に覆われている。ゆったりとしたテンポで進むナンバーである。しかし、堪えようとすればするだけ漏れてきてしまう怒りや悲しみのようなものが次第に束となり、正しくエモーショナルというのに相応しい波濤を呼び起こす。生々しいライヴのヴァージョンでは、その劇的な印象がより深く極まっていた。

 2度のアンコールを含め、およそ1時間、ショーとしては決して長い類ではない。本音を述べると、もっと観ていたかった。それでも物足りなさを覚えなかったのは、内容の濃さに圧倒されたからであろう。完全燃焼に近い満足度がありましたね、といえる。研ぎ澄まされた緊張感は、バンドの音楽性と密接であって、それが全編に張り詰めていたのだった。THURSDAY、まったく枯れていない。
posted by もりた | Comment(0) | 音楽(2019年)
2019年03月24日
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 ああ、このような熱量の高まりを、もっと若い頃、FARやNEW END ORIGINALの活動時に体験していたならば、感受性に大きく影響を受けたであろうな、と思わされる。3月17日、新宿ANTIKNOCKでジョナー・マトランガ(ジョナ・マトランガ、ヨナ・マトランガ)の来日公演を観たのであった。JONAH MATRANGA WITH FRIENDSと題され、FEATURING SONGS FROM FAR, GRATITUDE, NEW END ORIGINAL, ONELINEDRAWINGと付された今回のライヴ、注目すべき点は、何といってもやはり、ジョナーのキャリアを築きあげてきた楽曲の数々が、バンド・セットで演奏されたことであって、ここ日本では滅多にないぐらい貴重な機会なのはもちろんなのだけれど、レアだからという理由のみでは収まりきらないほどの感動を、ステージ上のパフォーマンスからは確かに得たのである。

 観客の入りは、スカスカではないものの、ギュウギュウとまではいかない。だが、多くの人がこのときを待っていたという輝きを顔に浮かべている。その会場の期待を、オープニング・アクトのATATAとBUDDHISTSONが充実した演奏で高め、しばらくすると、1組の男女がステージ上に姿を現した。アコースティック・ギターを携え、マイクに向かったのがジョナー・マトランガだ。椅子に座り、テーブルに置かれたタブレット型のPCからリズム・トラックを操作する女性は、ジョナーの結婚相手であるらしいと後にMCでわかる。ショウの構成は、全体で3つのパートに分かれており、序盤のアコースティック・セットで聴くことのできたジョナーの歌声は、今日におけるエモいといった語彙と完全に別の次元で、つまりは本来的な意味でエモーショナルな表現を成立してみせるのである。センシティヴであることのあまりの説得力に自然と感情の溢れる場所へと連れていかれてしまう。そう、改めて彼のヴォーカルがエモなるカテゴリーにとって一つのルーツであったことを認識させられた。

 アコースティック・ギターの調べもひとしきりし、ジョナーがハグで女性をステージ上から送り出すと、いよいよバンド・セットのスタートだ。バックを務めるのは、DRUMKANのメンバーを含む3人の日本人ミュージシャンである。いってしまえば、今回限りの編成にすぎないのだが、しかし、ステージ上のリレーションに不備は見られない。どころか、ある種のセレブレーションがアーティストのポテンシャルに力を貸すことがあるように、この日のライヴは、並々ならぬ気迫に満ちていたのであった。ジョナーとオーディエンスのコール・アンド・レスポンスも素晴らしく、ウェルカムでファンなムードと息つく暇もない勢いのテンションとが幸福な同居を果たし、あらゆる場面をクライマックスに変える。魔法にも似た時間を展開していくのだ。驚いたのは、おお、ジョナー、こんなにもエネルギッシュな男だったのか。ステージの前面に身を乗り出し、ハンド・マイクを突き上げる姿は、彼がハードコア・バンドの優れたフロントマンでもあることを正しく明示している。アコースティック・セットの際とは異なった激情に会場が沸きに沸く。

 そして、NEW END ORIGINALの「14-41」や「LUKEWARM」FARの「MOTHER MARY」や「BURY WHITE」といったアンセム級のナンバーが惜しげもなく演奏されるのだから、至福と喩えるしかないよ、だろう。参った。とんでもない熱量に圧倒されてしまった。満足げにバックのメンバーがステージ上を去った後、1人残ったジョナーがエレクトリック・ギターを掻き鳴らし、歌いはじめたのは、同郷の盟友であるDEFTONESの「BE QUIET AND DRIVE(FAR AWAY)」だ。ジョナーが、このナンバーを好み、以前よりずっとカヴァーし続けているのは、ファンにとっては周知だけれど、当然、絶品である。胸を衝かれる美しさと激しさは原曲に備わっているものだが、下手なアレンジを加えるのではなく、ジョナーならではの抑揚をメロディに込めることで、実に精度の高い哀切を再現するに至っている。ギター1本と歌声だけで、これほどの深みが生じるのか、という衝撃がある。

 アコースティック・ギターを片手に、フロアーへ降りてき、観客のど真ん中に立ったジョナーの弾き語りでライヴはエンディングを迎えるわけだけれど、ソロ名義である『AND』に収録されていた「SO LONG」が非常に眩しかった。ハンド・クラップで応じるオーディエンスとの親密なコミュニケーションのなか、繰り返される〈SO LONG, SO LONG, BE BRAVE, BE STRONG, UNTIL THEN, SO LONG〉というフレーズの、ああ、なんて儚く、力強く、励まされ、心を揺さぶられるもののあることよ。パセティックな響きを目一杯含んでいるにもかかわらず、どこまでもポジティヴなフィーリングを湛えたそのアンビバレンスに詠嘆を禁じえない。スタジオ音源では伝わりにくかった部分が、マイクを通さない生の歌声を通じ、クリアに伝わってきたという印象である。スタンド・アローンのカリスマを放ちながら、同時に周囲の者を触媒にしていく。それがジョナーの本質なのかもしれない、と思わされる。

 ラストを飾ったのは、PRINCEのカヴァーである「KISS」だった。アコースティック・ギターのカッティングとファルセットのヴォーカルとがジョナーのファンキーな一面を覗かせる。リスペクトしているアーティストのカヴァーもそうだし、ソロ・キャリアを振り返ったかのような今回のセット・リストは、結果として様々なスタイルの音楽を自由に横断している。特筆すべきは、幅の広い参照項が、しかし、類い稀な歌声を経、ジョナー・マトランガという一貫性に集約されていたことであろう。少年的な繊細さと大胆さをイメージさせるジョナーのヴォーカルは、とにかくスペシャルであって、他に代え難い。ヴィジュアルは中年なりに老けてしまったけれど、その眼差しには、いまだピュアと呼ぶのに相応しい光がキラキラと差していた。
posted by もりた | Comment(0) | 音楽(2019年)