ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2016年12月28日
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 この何年かでブラッケンドと修辞されるような(あるいは自らが修辞するような)ブラック・メタルを参照項の1つに置いているのかもしれないダークで木目の細かいサウンドのハードコア・バンドが多く出てきているが、フランスのリール出身、LOVE SEX MACHINEが標榜しているのは、ブラッケンド・ドゥーム、ブラッケンド・スラッジということである。音の触感は、メタリックであり、モダンであって、スローなテンポを基本にしているけれど、真性のドゥーム・メタルやスラッジ・メタルに比べ、攻撃的なダイナミズムが前に出ているあたりが特徴といえるだろう。少なくともファースト・アルバムの『LOVE SEX MACHINE』(2012年)は、ドゥーム・メタルやスラッジ・メタルへの変形が進んだハードコアと判断できなくはないものであった。そうした方向性を汲みつつ、ドローン(持続低音)とノイズとを更に強調していった作品が、セカンド・アルバムの『ASEXUAL ANGER』となっている。ヒステリックな叫びにも似たヴォーカルは強烈だし、アタックの強いリズムには即効性のインパクトがある。しかし、それらと同一のリフを繰り返しながらヘヴィに歪まされていくギターやベースとが、泥沼みたいにずっしり、濃度の高いサウンドを作り出しているのだ。2曲目のタイトルである「DRONE SYNDROME」は、ある種の所信表明にも思われる。うっすらとしたメロディが轟音のなかに浮かび上がる3曲目の「BLACK MOUNTAIN」や4曲目の「AUJESZKY」などには、シューゲイザー(正確にはシューゲイザー・スタイルのブラック・メタルかもしれない)からの影響が現れているのではないか。ラスト・ナンバーにあたる8曲目の「SILENT DUCK」が、最もドゥーム・メタルのマナーに忠実な印象である。実際には様々なアイディアが引っ張られてきている作品だが、なるほど、これがブラッケンド・ドゥームかあ、ブラッケンド・スラッジなんだな、と頷かされるレベルで焦点は定まっている。

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2016年12月20日
 Draugr

 おや、こんな感じだったっけ。おおもとのデザインはそのままに着こなし方が異なるという印象を持たされた。PORCUPINE TREEのベーシスト、コリン・エドウィンを含む多国籍バンド、OBAKEのサード・アルバム『DRAUGR』のことである。イギリスのPORCUPINE TREEといえば、現代的なプログレッシヴ・ロックの代表格に数えられる。中心人物ではないとはいえ、早い段階からそこに関わってきたコリン・エドウィンだが、OBAKEのサウンドは、PORCUPINE TREEとは結構距離を置いたところにある。スラッジ・メタルやドゥーム・メタルの文脈に近い。ヘヴィな低音を前面に押し出したものだ。咆哮型のヴォーカルがいかつい一方、リズムのパターンには複雑さがあり、アンビエントの要素も入ってきている点に、たとえばNEUROSISやISISを引き合いに出すこともできる。この意味では、確かにプログレッシヴ・ロックであるような一面を有してもいる。しかし、あるいはやはり、ギターとベースの低音が無愛想なほどに徹底され、分厚いリフを粘り強く刻み続けることに、2011年のファースト・アルバム『OBAKE』や2014年のセカンド・アルバム『MUTATIONS』の特徴はあったと思う。だが、『DRAUGR』では、楽曲の展開とメロディのレベルに取っつきやすさが出た。もちろん、ヘヴィなことはヘヴィなのだけれど、クリーンなヴォーカルが大きくフィーチャーされ、以前にはなかった叙情性が支配的となっているのである。場合によっては、インダストリアル・メタルから引っ張ってきたかのようなノイズとクリーンなヴォーカルのメロディとがドラマティックにコントラストを作り出していく。バンドの名前に喩えて述べると、前作までが妖怪変化の類の禍々しさをイメージさせるOBAKEであったなら、今作は朦朧とした幽霊の姿をイメージさせるOBAKEぐらいの違いがある。

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2016年12月14日
 Red Robes

 日本のCHURCH OF MISERYにギターとして参加していたトム・サットンを中心にスウェーデンで結成された4人組、THE ORDER OF ISRAFELのセカンド・アルバム『RED ROBES』である。2014年のファースト・アルバム『WISDOM』と同様、スローやヘヴィであるというよりは、ヴィンテージなハード・ロックに近いタイプのドゥーム・メタルをやっているのだが、演奏の一体感が増し、ソング・ライティングのレベルでも個々の楽曲のまとまりがよくなった。前作以上の内容だといえるだろう。ギターとヴォーカルを兼ねるトム・サットンの歌唱にも、堂々としたところが加わり、いやまあ、依然として抑揚に乏しいことは乏しいのだけれど、BLACK SABBATHのオジー・オズボーンがそうであるように、こうした音楽性にとっては必ずしも不備とはならないし、オカルティックな雰囲気を高めることに十分寄与している。ある種の様式をなぞらえているという点では、個性を見出しにくいサウンドではあるものの、アコースティック・ギターが随所に取り入れられ、そこに物悲しい叙情がもたらされていることを一個の特徴としておきたい。それこそ、アコースティック・ギターの弾き語り、バラードであるような6曲目「FALLEN CHILDREN」を経、7曲目「A SHADOW IN THE HILLS」で、映画音楽的なSEの後、エレクトリック・ギターによるザクザクとしたリフが刻みはじめるくだりは、後半のハイライトに挙げられるのではないか。テンポを落としながらも、リフを基本にしたグルーヴとダイナミックな展開の楽曲がおおよそを占めるなか、意外にも訴求力を担っているは、ヴォーカルとギターのメロディだ。メロディの立ち方それ自体が強いフックとなっているのである。同時代のアーティストを並べるのであれば、アメリカのELDERやKHEMMISらと一緒のカテゴリーにタグ付けをすることが可能なアルバムだと思う。

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2016年11月09日
 Change of Fortune

 一般的には90年代に一発当てたバンドということになるのかもしれないが、それ以前は米のインディ・シーンをライヴで叩きあげてきたバンドとして紹介されていたんだってことを思い出したね。まさかのSOUL ASYLUM、21年ぶりの来日公演(11月8日)を観ての感想である。

 さすがに21年前は大昔だよ、と述べるしかない。80年代からミネソタ州ミネアポリスで活動していたSOUL ASAYLUMである。アメリカン・オルタナティヴやグランジのムーヴメントに乗ってブレイクを果たしたけれど、次第に人気は陰っていき、ここ最近はかなり地味な存在になっていた。重要なメンバーの死去もあった。現在、オリジナル・メンバーと呼べるのは、フロントマンのデイヴ・パーナーのみだ。『THE SILVER LINING』(2006年)以降、日本盤のリリースがなくなってからもずっと好きなバンドだったが、正直なところ、期待値はちょっと低めで会場のTSUTAYA O-EASTに足を運んだのであった。

 しかし、裏切られたぞ。良い意味で裏切られた。全然ロートルじゃないじゃん。パフォーマンスもエネルギッシュだし、現役のオーラがビカビカしていた。観客の入りは寂しいものだったが、素晴らしい盛り上がりをもたらすまでのステージが繰り広げられていく。セット・リストは、ニュー・アルバムである『CHANGE OF FORTUNE』(2016年)を中心に組まれ、昔の名前で出ています、の懐メロ大会に陥っていなかったのも特筆すべき点であろう。『CHANGE OF FORTUNE』は、決して悪い作品ではない。デイヴ・パーナーの歌い回しは相変わらず特徴的なのだけれど、プロダクションやアレンジがあと少し練られていたなら、もう一段階か二段階ぐらいフックが強まったのでは、と物足りなさを覚えるものがあった。それがライヴ・ヴァージョンでは、スタジオ・ヴァージョン以上の厚みと勢いが演奏へと加わっているせいか、はじけるようなアピアランスを数倍増しにしていたのだ。

 パンキッシュなナンバーでは、挑発的にギターのリフが飛び交い、グルーヴを重視したナンバーでは、ヘヴィな面の出たリズムがのしかかる。『CHANGE OF FORTUNE』に収録された「DON'T BOTHER ME」は、軽やかなアコースティック・ギターを入れたナンバーだが、カラッとしたメロディがなぜかエモーショナルに響くというアメリカン・ロックの奥義を会得したものとして印象を濃くしていた。

 もちろん、過去の代表曲も披露された。実は自分は最大のヒット曲にあたる「RUNAWAY TRAIN」って、そんなにピンとこなかったタイプなので、『GRAVE DANCERS UNION』(1992年)からのナンバーでは、疾走するスピードに切なさの入り混じった「WITHOUT A TRACE」や「SOMEBODY TO SHOVE」に、おお、という興奮を抱く。楽曲のフォーマット自体はシンプルなために決して古びた印象はない。どころか、生き生きとした演奏が楽曲に内包されている普遍的な魅力を一層際立たせていた。メンバー4人のコンビネーションもばっちりで(もう1人、サポートでギターが加わる場面もあったが)ギター、ベース、ドラム、そして、ナイスなヴォーカル、これだけでいかなる魔法が作れるのかを見事に証明していたのである。

 個人的なハイライトは、『LET YOUR DIM LIGHT SHINE』(1995年)に収録された「MISERY」が演奏されたときだ。この日一番の合唱も「MISERY」で起こった。振り返れば、21年前の来日公演は『LET YOUR DIM LIGHT SHINE』のリリースにともなうものであった。確か当時『ロッキング・オン』の鈴木喜之が批判していたと記憶している(記憶違いだったら申し訳ない)が、絶望を歌うことでオーディエンスの共感を得てしまったアーティストが、その共感に追い詰められ、さらに絶望を深めていくという不幸を(たとえ皮肉であったとしても)モチーフとした楽曲に、オーディエンスが共感を寄せることは拭いがたい矛盾を含んではいる。だが、それは絶望が単なる行き止まりではなく、死への憧憬にとどまらないこと、とどまってはならないことをも同時に示していたはずである。グランジの時代が遠くなった現在もなおオーディエンスに投げかけてくるかのようなリアリティを「MISERY」は宿したままだった。

 長いキャリアのバンドである。初期の楽曲をほとんどやらなかったのは仕方がないとはいえ、あの曲やって欲しかった、この曲やって欲しかった、の気持ちは現れてしまう。しかし、不満ではないよ、と思う。非常に堪能させられたショーは、もっと、もっと、という欲求を呼び覚ます。優れていたことの裏返し。必然にほかならない。

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2016年11月02日
 Gold.

 勢いをくれ。面倒くさい何もかもを全部振り切るほどの勢いを。クラッシュした途端、ぐしゃぐしゃになって死んでしまうような勢いを。そして、死すらも忘れさせてくれるような勢い。それを掴めるかどうかは難しいが、しかし、手を届かそうとしていることの確かなサウンドが、米ジョージア州アトランタ出身のトリオ、 WHORES.のファースト・アルバム『GOLD』には備わっている。

 これまで『RUINER』(2011年)に『CLEAN』(2013年)と2枚のEPをリリースしてきたバンドが、ようやくフル・サイズの作品にまで進んだわけだけれど、初期のHELMETやUNSANE(その他、かつてアンフェタミン・レプタイル・レーベルに所属していたアーティスト)等々をロール・モデルにしていると覚しきジャンクなスタイルのヘヴィ・ロックは、基本的に変わらず。だが、EPの頃に比べ、ヒネリのきいたリズムやゴツゴツした手触りが、いくらか抑えられている。かわりに、スピード感がストレートに出、ダイナミズムの通りが良くなった。雑然とした部分が少なくなった点は、評価の分かれるところであろう。

 以前はスラッジ・メタルに近かったニュアンスが、ストーナー・ロックに近いニュアンスへと切り替えられている風でもある。ともあれ、ひずまされたノイズと低音の強調されたグルーヴ、シャープなギターのリフとに魅力の多くがあり、ヤワになったという印象を受けない。攻撃性をペンにしながら、設計図を引いていったその線の太さ、硬さ、鋭さが、細やかなレイアウトのレベルにも影響を及ぼしているイメージである。

 パンキッシュに演奏とヴォーカルとを爆発させる1曲目の「PLAYING POOR」や6曲目の「CHARLIE CHAPLIN ROUTINE」8曲目の「I SEE YOU ALSO WEARING A BLACK SHIRT」ばかりではなく、ハンマーの鈍い一撃に喩えられる圧のずっしりかかった2曲目の「BABY TEETH」や3曲目の「PARTICIPATION TROPHY」10曲目の「I HAVE A PREPARED STATEMENT」にも、ぐしゃぐしゃにクラッシュすることを怖れないかのような勢いが加わっていることに留意されたい。ギター、ベース、ドラムの猛烈なアンサンブルに『GOLD』の醍醐味は示されている気がするのだ。

 イントロから緊張の素晴らしく張り詰めた5曲目の「GHOST TRASH」は、稲光を思わせる。アタックの鮮明な激しさに鬱陶しい何もかもを全部ぶち抜きたい衝動が喚起させられる。
 
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2016年10月28日
 WHILE THEY WERE SLEEPI

 ぬおお、あのCANDIRIAが帰ってきたぞおおお、という快哉を叫ぶには、いくらか物足りなさを含むものになってしまったかな、正直なところ、である。米ニューヨーク州ブルックリン出身のCANDIRIAといえば、やはり、日本デビューを飾り、初来日公演とも重なった通算4作目のフル・アルバム『300 PERCENT DENSITY』(2001年)におけるあのインパクトであろう。ハードコア、ヒップホップ、ジャズ、プログレ等々、あらゆるイディオムを1曲のなかに横溢させたサウンドには、まるでBODY COUNTとKING KRIMSONとが正面衝突したかのようなスリルがあった。黒人のヴォーカルによるストロング・スタイルなラップやスクリームも特徴的だったが、変拍子の目まぐるしいリズムをアグレッシヴに叩きつけてくる楽器隊の技量も非常に際立っていた。続く『WHAT DOESN'T KILL YOU... 』(2004年)では、広い意味でのラップ・メタルに近づき、『KISS THE LIE』(2009年)については、メロディとアンビエンスをかなり増し、つまりは次第にアヴァンギャルドなアプローチは低まっていった。その『KISS THE LIE』以来、約7年ぶりの作品となるのが『WHILE THEY WERE SLEEPING』なのだ。しかし、これが良くも悪くも、現代版のヘヴィ・ロックを高水準でどうぞ、といった印象になっている。2曲目の「MEREYA」や3曲目の「WANDERING LIGHT」の中盤、ジャジーなヒップホップが飛び出してくるあたりに、ああ、CANDIRIAだな、と思わされるのだけれど、楽曲それ自体の方向性は、スクリームとクリーン・ヴォイスのコンビネーションに支配されており、凝ったリズムを重ね、うねりを出していくアンサンブルは、確かに見事な反面、ジェント(Djent)と呼ばれるような複雑な演奏のスタイルが定着した今日、目を引くほどの異色は薄まっている。エクストリームであるか否かの観点で判断するなら、どうしたって物足りなさが含まれるのである。だが、現代版のヘヴィ・ロックのマナーにジャストフィットした作品として見るとき、極めて高水準であることは既に述べたとおり。アルバム全体に何らかのコンセプトが課せられているらしいが、総じてカオティック・ハードコアの過激さであるよりもプログレ・メタルの機能美をうかがわせる。『300 PERCENT DENSITY』を経、『WHAT DOESN'T KILL YOU... 』にもたらされた変化は、2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件や2002年9月のツアー中に起こった自動車事故に関連があるとされている。バンドのキャリアをある段階で区切るとするのであれば、おそらく、それ以前と以後とになるのかもしれない。繰り返しになるが、『WHILE THEY WERE SLEEPING』に、あの『300 PERCENT DENSITY』やサード・アルバム『THE PROCESS OF SELF DEVELOPMENT』(1999年)のインパクトを求めることは難しい。とはいえ、そこから離れていった先のキャリアを総括するのに相応しい完成度のアルバムとなった。

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2016年10月18日
 Sea of Clouds

 約8年ぶりという。かつてはスウェディッシュ・エモの至宝として知られたLAST DAYS OF APRILの来日公演(10月17日、渋谷club乙-kinoto-)を観たのであった。何はともあれ、初期の名曲であり、あの胸ときめくほどの「ASPIRINS AND ALCOHOL」をやってくれたのが最高に嬉しい、と感じ入ってしまう。基本的には、最新作にあたる『SEA OF CLOUDS』(2015年)のリリースに伴うツアーであるため、『SEA OF CLOUDS』の楽曲を中心にしたセット・リストである、というより、『SEA OF CLOUDS』に見られた現在のモードで約20年に及ぶキャリアの代表曲を再構築していた、という印象を大きくしているように思う。

 若気の至りを思わせるパンキッシュなテンションを多く含んだファースト・アルバムの『LAST DAYS OF APRIL』(1997年)はともかく、アメリカのエモーショナル・ハードコアのシーンとリンクしながら、北欧ならでは、と認識されるような哀感を溢れさせていたサード・アルバムの『ANGEL YOUTH』(2000年)と続く『ASCEND TO THE STARS』(2002年)を経、初来日公演に繋がった5作目の『IF YOU LOSE IT』(2003年)以降、フロントマン、カール・ラーソンのソロ・プロジェクト的に(カール自身のソロ・アルバムも存在するが)美しいメロディはそのまま、広義のギター・ポップに近いスタイルを展開してきたLAST DAYS OF APRILである。『SEA OF CLOUDS』に見られた現在のモードとは、つまり、その延長線であり、カントリーやフォークをも射程に入れたトラディショナルでシンプルなバンド・サウンドのことでもある。

 単純に、枯れた、と喩えられるのかもしれない。が、実際にライヴで確認すると、ちょっとニュアンスは違っている。キーボードなどの装飾は除かれ、あくまでもトリオの演奏でのヴァージョンにアレンジされた過去のナンバーに、それは顕著であった。確かに、強弱のゆるやかなコントロールのみで楽曲の表情に変化を付けていく姿は、いくらか地味ではある。サポートを務めた日本勢のエネルギッシュなパフォーマンスに比べると、なおのこと控えめでもある。しかし、意図された音数の少なさが、センシティヴな面で評価されがちな原曲には乏しい骨の太さのようなものを明らかに浮かび上がらせていたのである。

 おそらく、カール・ラーソンのミュージシャンとしての成熟が、楽曲それ自体を表面上のイメージでは括りきれないレベルへと成熟させていたのである。先に挙げた「ASPIRINS AND ALCOHOL」も同様であろう。スタジオのヴァージョンにおけるキラキラとした青春の色彩とは異なる。絵は一緒であろうと、まるでセピアのカラーに滲ませるかのような筆遣いのアレンジに注意を引かれる。そこに失われたものを見ることもできる。だが、ああ、これが現在のLAST DAYS OF APRILなんだな、と納得させられるだけの魅力が同時にある。さらに気づかされたのは、カール・ラーソンのヴォーカルや美しいメロディばかりではなく、彼が弾くギターのフレーズにもLAST DAYS OF APRILという記名性が意外にハッキリと出ている点であった。エレクトリックでもアコースティックでも、デリケートな(デリケートであるがゆえに、ときには刺々しくなったりもする)心の揺らぎをよく掴まえていたのだ。

 1時間強のステージだったろうか。決して広い会場ではなかったけれど、ほぼ満員の数の観客が集まっていたことを最後に言い添えておきたい。皆、待ち望んでいたんだね。
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2016年10月15日
 CROWN FERAL

 ああ、これ自体が嵐の夜をイメージさせるし、吹き荒ぶ雨風も先の見えない暗闇も厭わずに駆け抜ける馬車のごとくでもある。米国のマサチューセッツ州ボストンやワシントン州シアトルを中心に活動を続ける4人組、TRAP THEMの通算5作目となるフル・アルバム『CROWN FERAL』には、今にも壊れそうなほどに軋みをあげていく車輪のスピードが宿されているのだ。もちろん、それはファースト・アルバム『SLEEPWELL DECONSTRUCTOR』(2007年)の頃より不変のものだが、マンネリズムがスリルを損なってしまうのとは異なったレベルで、一貫したフォームやスタイルの凄みを引き出しているところに圧倒される。

 幾度かのメンバー・チェンジを経てきたバンドだけれど、前作の『BLISSFUCKER』(2014年)と同様のラインナップで『CROWN FERAL』はレコーディングされている。それもあってか、今まで以上に整合性の出た印象だ。整合性とは、この手のエクストリームでアグレッシヴなアーティストの場合、勢いを削ぐマイナスになりかねない。しかし、そうではない。楽曲の構成と演奏とに、一丸と喩えるのが相応しい厚みをさらに得たことで、ファストなパート、スローなパート、ミディアムなパートのギャップが少なくなり、ダークで殺伐としたテンションをそのままにしながら、アッパーなロックン・ロールとも似たノリのよさを増しているのである。

 抑えめのリズムに不穏なノイズが反復させられるなか、強烈なスクリームがこだまする1曲目の「KINDRED DIRT」こそ、異様な儀式を思わせるが、2曲目の「HELLIONAIRES」から先における展開は、怒濤というほかない。デス・メタルもカオティック・ハードコアもクラストもスラッジも一飲みにし、変則的なギターのリフとバックのリズムとが、前のめりに高速であることとヘヴィであることを同時に求めていくサウンドは、先に述べたように猛り狂った嵐の夜をイメージさせる。7曲目の「TWITCHING IN THE AURAS」やラスト・ナンバーである10曲目の「PHANTOM AIR」など、地を這うタイプのグルーヴに負のオーラが凝縮しているのも、TRAP THEMの特色であろう。

 録音とミックスには、従来通り、CONVERGEのカート・バルーとゴッド・シティ・スタジオが関わっており、ともすれば、いつもと一緒、のパターンに着地してしまっても不思議ではない。実際、そうした評価をくだす向きがあってもおかしくはない。ただし、手抜きのアイディアを手癖で仕上げたかのような楽曲は一個も見受けられない。隙がない密度のアンサンブルには、すぐれた緊張感が張り詰めている。それらとキャッチーなバランスとが同居した5曲目の「Malengines Here, Where They Should Be」は、『CROWN FERAL』のハイライトだといえる。破滅的、破壊的なベクトルをキープしたまま、絶望とはかけ離れたヴァイヴレーションを、握り拳のガッツを、嵐の夜をものともしない高揚感を成立させている。

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2016年10月06日
 All Through the Night

 いやはや、前作の『HONK MACHINE』(2015年)が発表されて以来、それをIMPERIAL STATE ELECTRICにとっての最高傑作に挙げていたのだったが、申し訳ない。このフィフス・アルバムにあたる『ALL THROUGH THE NIGHT』こそ、彼らにとっての最高傑作だと改めたい気持ちで一杯である。生粋のライヴ・バンドとして名を馳せているスウェーデンの4人組だけれど、スタジオ・ワークにおいても極めて高い水準の作品を次々発表し、常に期待値を上回っていくのだから、恐れ入るよな、であろう。

 あくまでもロックン・ロールらしいロックン・ロールを奏でるサウンドに革新性は見あたらない。皆無だといえる。しかし、数々の古典を参照もしくは引用しながら、てらいなく紡がれるビートの心地良さに、体の芯から惹かれるものが現れているのであった。

 時代になびかないことが、エヴァーグリーンな魅力を引き出し、質と格のレベルに他との差異が生じさせられている。参照されるポイントは『HONK MACHINE』の頃よりさらに掘り下げられていると思われる。カントリー・ミュージックやソウル・ミュージックにまで遡ったかのような手触りが深まっているのである。ただし、一概にスローになったのでもなければ、落ち着きが出たとの単純化もできない。むしろ、ギターは以前にも増して踊っており、リズムの躍動感は強くなった。そのヴァリエーションの広がりに、ロックン・ロールのフィジカルな魅力が包み込まれているのだ。

 全体の構成は、これまでと同様、レコード(所謂ヴァイナル)LPのA面B面を意識したものとなっている。キック・オフを告げる1曲目の「EMPIRE OF FIRE」には、切れ味の鋭いギターのリフと色気のあるグルーヴとがたっぷり。ストリングスが入った2曲目の「All THROUGH THE NIGHT」や女性のコーラスを加えた4曲目の「BREAK IT DOWN」など、センティメンタルなナンバーが並ぶ一方、2曲目の「REMOVE YOUR DOUBT」や5曲目の「OVER AND OVER AGAIN」など、軽快に跳ねていくタイプのナンバーも充実している。

 メンバーのほとんどがメインでヴォーカルを取れるし、そうして重ねられたヴォーカルのハーモニーはフックの強いフレーズに結び付けられている。古典的なブギーとシャウトの引用であるような8曲目の「GET OFF THE BOO HOO TRAIN」を経、鍵盤の駆け抜けるスピードが印象的な9曲目の「WOULD YOU LIE」は、後半のハイライトだ。(日本盤のボーナス・トラックを除き)ラストを飾る10曲目の「NO SLEEPING」は、THE BEATLESあるいはジョージ・ハリスンのバラードを彷彿とさせる。

 『HONK MACHINE』について→こちら
 『POP WAR』について→こちら

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2016年09月27日
 Shape You Took Before the Ache

 確かに、セカンド・アルバムの『PALE LIGHT』(2014年)にも耽美的なメロディが屹立し、はっとさせられるような場面はあった。が、それはあくまでもアクセントのレベルに止まっていたように思う。しかし、どうだ。カオティックでもあり、エネルギッシュでもあり、ゴリゴリとしたハードコアを横溢させていたファースト・アルバムの『BREACH FALSE MINDS』(2012年)をバンドの素としてイメージしていると、一気にDEFTONES化が進んだな、といった驚きを受けてしまう。カナダはオンタリオ州キッチナー出身の4人組、EXALTのサード・アルバムが『THE SHAPE YOU TOOK BEFORE THE ACHE』(2016年)である。

 DEFTONES化と述べたけれど、それは耽美的なメロディやアンビエンスが強く出てきたということであって、アグレッシヴなアプローチのみによって指示されるのとは異なったエモーションが色濃くなったということでもある。ストロング・スタイルの演奏をキープしたまま、新しい文法を得、以前にも増してサウンドに奥行きが生まれている。再び他のバンドを引き合いに出すなら、CONVERGEとNEUROSISとDEFTONESをトライアングルにし、それらを中心から参照していったかのような奥行きである。これを是とはしない向きもあろう。だが、EXALTは明らかに次の段階に達した。飛躍を感じられる。

 不穏なノイズとヘヴィなグルーヴとが息苦しい1曲目の「SACRIFICE TO PURIFY」やリズムにスラッジを思わせる圧がかかった6曲目の「LEAVE THEM ALL BEHIND」、どうしたってDEFTONES風と喩えたくなるギターやコーラスが聴こえる7曲目の「WORSHIP」などに顕著な通り、ミドルやスローのテンポに、アルバムのカラーは左右されている。他方、SLAYERの「RAINING BLOOD」を彷彿とさせるフレーズが唐突に飛び出てくる2曲目の「UNDERTOW」や続く3曲目の「MARTYR ALONE」などの疾走するナンバーにおいては、アングリーであるようなテンションがパワフルに放たれていく。

 アコースティックな小品である5曲目の「ACHE」やレクイエムにも似た9曲目の「SHAPE」におけるパセティックな響きは、もちろん、楽曲のタイトルとアルバムのタイトルとが符合しているように『THE SHAPE YOU TOOK BEFORE THE ACHE』へとコンセプチュアルな印象を与えるものである。そして、ラスト・ナンバーにあたる11曲目の「I DOVE INTO THE SUN」には、アルバムの全景が集約されているみたいだ。アップとダウンとが激しいダイナミズムのなか、ヴォーカルは、ときに叫び、ときに囁き、情念を経由することでしか見られない世界をたゆたう。

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2016年09月17日
 Uxo

 もはやアメリカン・アンダーグラウンドの重鎮といって差し支えがないだろうね、であるUNSANEのクリス・スペンサーとTODAY IS THE DAYのスティーヴ・オースティンによって結成されたUXOは、つまり、そうした意味でスーパー・グループと呼べるわけなのだけれど、実際、セルフ・タイトルのデビュー作は、彼らのネーム・ヴァリューに見合ったものになっていると思う。いや、正直、近年のTODAY IS THE DAYをUNSANEに寄せていったかのようなスタイルは、足し算である以上に強烈なインパクトではないかもしれない。が、しかし、ダイナミズムをじりじりと抑制し、ぎりぎりまで研ぎ澄まされた演奏や、喉を振り絞り、悲痛な叫びをツインで入れてくるヴォーカルとが、ヘヴィなブルーズにも聴こえてくるサウンドは、意外性とは異なったレベルで十分に魅了される質を備えているのだ。ミドルからスローのテンポを中心にした楽曲は、うねりにたっぷりの息苦しさを湛えながら、それでいて窒息を寸前で免れるのに似たカタルシスを含んでいる。5曲目の「EVERYTHING'S A MISTAKE」が代表的であろう。ポスト・ロックの文脈を射程圏内にした構築性に幽玄さが現れている一方、いかにもジャンク・ロックを経由した荒削りのノイズにぴりぴりとした緊張と焦燥とが加わっていく。アングリーでいて、ペシミスティック、無愛想でいて、儚い、美しい、というアンビバレントなイメージに飲み込まれてしまう。

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2016年09月13日
 Poisonous Legacy [Analog]

 巷ではネオクラストやブラッケンド・ハードコアとされるような系統に分類できるであろう。ギリシアはアテネ出身の5人組、SARABANTEのセカンド・アルバム『POISONOUS LEGACY』である。2011年の前作『REMNANTS』と同様、GOATSNAKEやSUNN O)))での活動で知られるグレッグ・アンダーソンのレーベル、SOUTHERN LORDからのタイトルとなった。ドスの効いた声で吠えるヴォーカル、鋭いリフに扇情的なフレーズを織り込んでいくギター、スピードを出しながらも図太いグルーヴをキープし続けるベースとドラムのリズム、所謂Dビートの勢いとが一体となり、フラストレーションを直接かち割るほどの轟きを召還している。1曲目の「ALL THAT REMAINED」からして、モッシュ・ピットの磁界に相応しいサウンドだ。が、他方で特筆すべきは、インタールード風に置かれた8曲目の「FORWARNED EPILOGUE」を経、アルバムの終盤部を飾っているナンバーではないかと思う。ミドル・テンポよりも少し上の速度を中盤で疾走の域へとアップさせる9曲目の「MNEME'S AMAUROSIS」をはじめ、展開のレベルにおいて、強くドラマティックだと感じ取れる楽曲が並んでいるのである。エモさが増しているといっても良い。今日のセンスで見るなら、エモい、という印象は、チャラい、という印象に置き換え可能な場合がある。しかし、ここではあくまでも叙情の「叙」を担う。エモーションの発露を意味しているのだと考えられたい。ひたすらヴァイオレントなイメージを生じさせているにもかかわらず、それがデリケートな資質と背中合わせでもあるかのように響いているのであった。

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2016年08月21日
 Death Thy Lover

 もちろん、ベースであるレイフ・エドリングが主体のバンドなのだから、彼がその気になりさえすれば、いくらでも蘇るさ、というのは道理であろう。2012年の『PSALMS FOR THE DEAD』がラスト・アルバム(ライヴでのみの活動)となるはずだったが、この4曲入りのEP『DEATH THY LOVER』をもって復活した。LOUD PARK 16で待望の初来日公演を果たす予定のCANDLEMASSである。

 2007年の『KING OF THE GREY ISLANDS』以来、ヴォーカルを担ってきたデヴィッド・ロウが抜け、代わりに迎え入れられたのは、かつてレイフの別プロジェクトであるABSTRAKT ALGEBRAでも活動を共にしていたマッツ・レヴィンだ。マッツ・レヴィンといえば、元SWEDISH EROTICAであり、元TREATであり、イングヴェイ・マルムスティーンからTHERIONまで、スウェーデンの様々なアーティストとセッションをこなしてきた人物である。しかして、そのメロディアスであることに優れた対応のできる熱っぽいヴォーカルは、エピック・ドゥーム・メタルの雄として知られるCANDLEMASSのスタイルにもしっかりはまっている。

 BLACK SABBATHをルーツとするかのようなスロー・パートのうねりを基調としながらもドラマティックでスケールの大きな展開を繰り広げるというCANDLEMASSのスタイルは、『DEATH THY LOVER』でも貫徹されている。ロバート・ロウのヴォーカルは美声と呼んで差し支えがなかったけれど、マッツの実力だって大したものだと思う。伸びがあり、骨太なところもある。それがエピック(叙事詩)であることとドゥーム(邪悪)であることとを構築的にした楽曲の緩急の鮮やかさを、さらに際立たせているのだ。レイフのソング・ライティングも円熟味を増しており、様式のごとく完成されたサウンドに乱れはない。

 確かに、メサイア・マーコリンのヴォーカルこそがCANDLEMASSにとっての最適解だという向きもあるだろう。しかし、ここまでの安定感で唯一無二と喩えるのに相応しいレベルのサウンドを提出していることの否定には決して繋がらないのである。そして、レイフと並んでCANDLEMASSを支え続けてきたラーズ・ヨハンソンとマッツ・ビョークマンのギターが、またマジカルな輝きを失ってはいない。このギターのリフが、このギターのソロが、と特筆したくなるような場面の数々には、勇壮と悲哀に満ちたロマンを掻き立てられる。

 ドラムのヤン・リンドーを含め、要するにヴォーカル以外は80年代の黄金期のメンバー(00年代に再結成して以降のメンバー)が揃っているわけだが、もしかしたらBLACK SABBATHが、元RAINBOWを加えようと、元DEEP PURPLEを加えようと、誰がヴォーカルを取ろうと、BLACK SABBATHでありえたのに近い領域へとCANDLEMASSは入りつつあるのかもしれない。

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2016年08月06日
 YGG HUUR (イグ・フアー)

 近年、にわかにオーヴァーグラウンドのリスナーからも注目を集めはじめているアメリカン・ブラック・メタルのシーンで、その盛り上がりの一角を担うニューヨーク出身のKRALLICE、初の来日公演である。が、いや、これはすさまじかったんじゃねえでしょうか、と思う。サポートを務めたおやすみホログラムやVMOの実にアクティヴなパフォーマンスに比べるなら、ステージに立ったKRALLICEの4人の佇まいは地味といわざるをえない。Tシャツ姿のラフなルックスは、インディの世界によくいそうな兄ちゃんたちでしかなかった。しかし、演奏がスタートした途端、とにかく、すさまじい演奏と音像とに全部を持っていかれる。

 派手なアクションとは無縁な立ち姿から繰り出される超絶技巧及びマッシヴであるようなサウンドの厚みがスタジオ音源で聴かれる以上のインパクトを次々に現出させてくれたのだ。先ほどブラック・メタルのジャンルに並べたけれど、それよりも爆音のプログレッシヴ・メタルと呼びたくなる。確かに、2015年にリリースされた最新作『YGG HUUR』において、北欧の真性のブラック・メタルと親和性が高かった初期のスタイルを大きく逸脱してはいた。ドラムのビートにブラック・メタルのエッセンスを残しつつも、おそらくはブラック・メタルに由来していたのだろうギターのトレモロは後退し、テクニカルかつカオティックなパートを矢継ぎ早に繰り出す。構成の目まぐるしさを主体にしていたのだ。

 カオティックあるいはプログレッシヴな『YGG HUUR』のモードをさらに延長した先の領域を今回のライヴは思わせる。もちろん、セット・リストに新しい楽曲が多く含まれていたのもあるが、過去のアルバムからのナンバーでさえ、印象を真新しくしている。アレンジが変えられているのではなく、スタジオ音源では見えにくかった本質がビルド・アップされているのかもしれない。ああ、フロントに立った6弦のベース(レフティなのが、またかっこよかった)その左右で一糸乱れずに複雑なフレーズを高速で弾きこなしていく2本のギター、そして、並のプレイヤーなら崩れてしまいそうな奇々怪々のリズムを強烈に叩き出してみせるドラムとが、ある種の極限のなかにのみ存在しうる美しさをイメージさせる。

 本当にもう、これはすさまじかったんじゃねえでしょうか、と思うし、圧倒されたぞ、と声を大きくしたい。KRALLICE、初の来日公演は、こちらの期待を遥かに上回るものであったことだけは確かである。

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2016年05月01日
 10TH ANNIVERSARY BEST “10Ksテンクス! 10TH ANNIVERSARY BEST “10Ksテンクス! 10TH ANNIVERSARY BEST “10Ksテンクス!

 誰にとっても思い入れのある対象は他に類を見ないものに違いないのだったが、ことKAT-TUNに関しては、一般的な認識のレベルにいおいても他に類を見ないキャリアを辿ってきたのではないか。波乱に満ちたディケイドであったと思う。結成からしばらくの期間があったとはいえ、デビューの直後にスターダムへと躍り出、破格の成功を収めたにもかかわらず、キャリアを更新する度にトラジックなイメージを背負っていき、まるで生き急ぐかのようにライズ・アンド・フォールの両義性を引き受け続けた。非常に濃い10年間にほかならない。だが、デビューから10周年を節目に活動休止に入るという。

 4月30日、その活動の一時的なピリオドでもある「KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY LIVE TOUR“10Ks!”」を東京ドームで観た。実は前日(4月29日)も同会場に足を運んだのだけれど、30日、最後の長いスピーチで――今回のスピーチはこれまでのコンサートではなかったぐらい長いものだった――亀梨和也が、赤西仁、田口淳之介、田中聖の名前を挙げ、すべてのはじまりがあくまでも6人であったことを強調したとき、会場全体がすすり泣くかのような雰囲気になった。実際、自分はぼろぼろ泣いてしまった。実名こそ挙げなかったものの、上田竜也のスピーチも同様の趣旨を含んでいたのではないかと思う。それはおそらく、KAT-TUNというグループが、そして、彼らのファンが失ってきたものの大きさをあらためて知らしめていたのである。しかし、悲しみのためだけに泣けたのではない。メンバーの脱退による埋めがたい欠落を生じさせながらも、決して崩壊をせず、こらえ、その都度、グループと方向性とを再構築してきた踏ん張りのなかに確かなドラマがあったことを、ヒロイックなまでのストーリーが異例の魅力となっていたことを同時に思い出させるがゆえに、ああ、胸の奥深いところで、じーん、とさせられたのだった。

 ベスト・アルバムである『KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY BEST“10Ks!”』のリリースに伴ったコンサートだということもあって、正しくグレイテスト・ヒッツと呼ぶに相応しいセット・リストが披露された。シングルではないが、デビューの以前からアンセムとして歌われてきた「GOLD」で幕を開け、デビュー・シングルにしてミリオン・セラーを叩き出した「Real Face」が続く。以降も代名詞のごとくKAT-TUNのキャリアを彩ったナンバーがずらりと並ぶ。MCでも述べられていた通り、今回のコンサートは、バックにダンサーもバンドの演奏も付けず、亀梨、上田、中丸雄一の3人で歌って踊るという極めてシンプルなものである。ステージ上のギミックにせよ、パイロや噴水などの演出は健在だったけれど、必ずしもド派手なものではなかった。過去の公演からすれば、地味な部類に入るであろう。それがかえってファンとの距離感を縮めていたところがある。3人のパフォーマンスとファンの声援とでショーが作られていくという印象が何よりも強く現れていたのである。2014年並びに2015年のコンサートでは、田口を含めた4人での可能性とバランスとを模索するかのようなギミックも多々見られたが、今回はキャリアの総括に3人が剥き身で向き合っていた。そこに真摯で訴えかけてくるものがあったのだ。

 それにしても名曲と判断して差し支えのないナンバーの多いグループである。激しいハード・ロックからエレクトリックなダンス・チューン、静かなヴォーカルのユニゾンが美しいバラードまで、ヴァリエーションは異なれど、どの楽曲もKAT-TUNという記名性を紛れもなく宿していたことを再確認させられる。かつては田中のサグいラップが、赤西のパワフルな声量が、田口のクセがある声質が、その記名性をフォローしていたことも少なくはなかった。だが、それらを失ってもなお、亀梨のエモーショナルな叫びが、中丸のヒューマン・ビート・ボックスのスキルが、上田のナイーヴさとワイルドさの掛け合わさったヴォーカルとが、KAT-TUNの記名性のコアを損なわせず、守ってきた。傷の有無でいえば、傷はある。しかし、傷一つないわけではないことが、そう、このグループをいつだって次のフェイズへと進ませてきたのである。

 10年に渡るキャリアの後半にあってさえ、代表曲となるようなナンバーが数多く生まれた。そのことは、今回のセット・リストにも如実であった。ファンにとっては馴染みの深い初期の楽曲が盛り上がるのは当然だが、ここ数年――5人が4人になってから――発表された楽曲の盛り上がりは、それらに劣ったりはしない。せつないメロディとデジタルの躍動を一杯に溢れさせた「In Fact」のインパクトは、やはり、鮮烈であるし、アレンジとコーラスとがKinki Kidsの「雨のメロディ」を彷彿とさせる「KISS KISS KISS」は、Kinki Kidsのバック・ダンサーであった自分たちの原点に正直な楽曲であろう。スケールの壮大なアレンジとミニマリズムのリリックとが同居し、近未来のエピック(叙事詩)をイメージさせる「RAY」は、シングルのカップリングであったにもかかわらず、2015年のコンサートのときと同様、圧倒的なクライマックスを描き上げる。

 ところで、セット・リストに加えられた初期の楽曲について特筆すべき点がある。「Will Be All Right」の存在だ。6人だった頃のメンバーが全員で作詞にあたり、当時のアンセムに数えられる。反面、その成り立ちのせいか。赤西が脱退してからほとんど歌われることはなかった。それがまさか、フルに等しいヴァージョンで歌われるなんて。6人の時代、5人の時代、4人の時代といった区切りを飛び越え、デビューより10年を数えてきたKAT-TUNという単位をベースに「KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY LIVE TOUR“10Ks!”」が開かれていることをうかがわせる。最後のコーラスをファンに委ねることで、会場にいた皆の声が、文字通り、一つになった場面は、この日のハイライトだろう。ああ、遠くなってしまった日に発せられた〈What You Worry About Will Be All Right〉というメッセージが現在に届き、また未来に向け、高らかに発せられていく。曲調は違えど、アンコールの際、上田のピアノと中丸のヒューマン・ビート・ボックスをバックにし、亀梨のヴォーカルではじまったバラード、「PRECIOUS ONE」にも「Will Be All Right」に近い役割が課せられていたように思う。

 本編のラストに置かれることとなったのは、『KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY BEST“10Ks!”』に収められた新曲の「君のユメ ぼくのユメ」である。スガシカオがソング・ライティングを手掛け、「Real Face」の歌詞の引用を途中に挟んだバラードは、ずるいほど感動的な場面を連れてくるのだった。亀梨、上田、中丸の3人がマイクをリレーしながら〈"行こう!一緒なら跳べるぜ" どこまでも〉と呼びかける。あたかもそれは、今までに果たされてきた誓いを称えているようでもあり、これからの約束に結びついた祈りのようでもある。

 現段階ではリリースされていない「BRAND NEW STAGE」が、アンコールにおけるラスト・ナンバー、つまりは全編の最後を飾ったことは、何かしら象徴的でもあった。それが活動休止にあたってのエピローグを意味するのか。活動再開のためのプロローグを意味するのか。今はまだわからない。いずれにせよ、5月1日のコンサートを経、デビュー以来、波乱と並走し続けてきたKAT-TUNのキャリアは、しばしの休息を迎える。

・その他KAT-TUNに関する文章
 「In Fact」について→こちら
 『楔-kusabi-』について→こちら
 「FACE to Face」について→こちら
 「WHITE」について→こちら
 「CHANGE UR WORLD」について→こちら
 『NO MORE PAIИ』について→こちら
 「Going!」について→こちら
 「Love yourself 〜君が嫌いな君が好き〜」について→こちら
 『Break the Records -by you & for you-』について→こちら
 「RESCUE」について→こちら
 「ONE DROP」について→こちら
 「White X'mas」について→こちら
 『KAT-TUN III - QUEEN OF PIRATES』について→こちら
 「DON’T U EVER STOP」について→こちら
 「LIPS」について→こちら
 「喜びの歌」について→こちら
 『Cartoon KAT-TUN II You』について→こちら
 『Live of KAT-TUN “Real Face”』DVDについて→こちら
 「REAL FACE」について→こちら

 DVD『KAT-TUN LIVE Break the Records』について→こちら
 DVD『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』について→こちら

 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2012 CHAIN』(2012年4月20日・東京ドーム)について→こちら
 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2010 PART2:WORLD BIG TOUR』(2010年・東京ドーム)
  7月24日の公演について→こちら
  7月17日の公演について→こちら
 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2010 公開リハーサル』(4月28日・さいたまスーパーアリーナ)について→こちら
 コンサート『不滅の10日間ライブ KAT-TUN TOKYO DOME 2009』(09年・東京ドーム)
  6月15日の公演について→こちら
  5月22日の公演について→こちら
  5月18日の公演について→こちら 
 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』(08年8月5日・東京ドーム)について→こちら
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2016年03月02日
 Jesu / Sun Kil Moon

 3月1日、会場の渋谷クアトロは満員ではなかった(正直な話、フロアには空きの方が目立ったぐらいだった)が、それでもJESU / SUN KIL MOONの来日公演は、紛れもなく一見に値するものであった。ライヴでは、ドラムに元SONIC YOUTHのスティーヴ・シェリーを迎え、ある意味でスーパー・グループの体を為していながら、フロントマンとして全体の指揮を取ったマーク・コズレックの独壇場といった印象である。と同時に、マークが声を発すれば、それがすなわちSUN KIL MOONであり、ジャスティン・ブロードリックがギターを爪弾けば、それがすなわちJESUとなることを、あらためて体感させられる。これはもちろん、両者の初のコラボレーションである『JESU / SUN KIL MOON』において既に果たされていた証明にはほかならない。

 JESUとSUN KIL MOONのコラボレーションがいかなるものか。ああ、マーク・コズレックの、言葉数が多く、エモいというよりはリリカルなヴォーカルと、ジャスティン・ブロードリックの、ヘヴィでありつつ、アンビエント・ミュージックのムードで響き渡るギターとが、抑鬱的だが、しかし、かすかな光のなかに希望を覗き見てしまう、あたかもそんな情景を描き出している。スロウコアあるいはサッドコアのハシリとして知られる元RED HOUSE PAINTERSのマークが、何かしらのストーリー性を持ったリリックに込めていくもの、GODFLESHのゴツゴツとしたインダストリアル・メタルの遥か遠方へと達したジャスティンが、ディストーションとメロディアスなフレーズに込めていくもの、どちらにも共通しているのは、おそらく、体温のイメージである。昼下がり、窓際のカーテンの作り出す影が揺れていることに、どうしてか感じてしまう不思議なあたたかさに喩えても良い。無条件で絶対的な幸福とは異なる。むなしさと背中を合わせ、手探りするうちに指先でわずかに触れた(それでいて確かな)喜びを思い起こさせる。アルバムの冒頭を飾った「GOOD MORNING MY LOVE」と2曲目の「CARONDELET」に、今回のコラボレーションの最良のところは凝縮されているだろう。続く3曲目の「A SONG OF SHADOWS」は、正しくJESUをバックにしたSUN KIL MOONだといえる。

 SLOWDIVEやLOW、MODEST MOUSEのメンバーがゲストで参加しているというインフォメーションは、その手のファン層からすれば、確かに豪華だけれど、核となっているのは、あくまでもマーク・コズレックのヴォーカルであって、ジャスティン・ブロードリックのギターだ。3時間に近いライヴでは、先に述べたとおり、マークがバンドのマスターを務めていただけに(アドリブや長いMCを含め)SUN KIL MOONの色合いが、やや強めであったが、あれほどまでに笑顔を見せるジャスティンは、GODFLESHでもJESU単体でも、なかなかお目にかかれないものである。コラボレーションの成功や居心地の良さをうかがわせる。少なくともあの場にいた人間としては、BLACK SABBATHの「WAR PIGS」のさわりから「A SONG OF SHADOWS」へと雪崩れ込んでいくシークエンスの美しさは、最高だったな。JESU / SUN KIL MOONの何たるかを知った気がし、感動すら覚えてしまったのであった。

 JESU『ASCENSION』について→こちら
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2016年02月02日
 Domovoyd

 フィンランド出身のDOMOVOYDが昨年発表したセカンド・アルバムは、バンド名をそのまま冠した『DOMOVOYD』である。セルフ・タイトルであることが自信の表れなのかどうかは知らないけれど、ファースト・アルバムだった2013年の『OH SENSIBILITY』に比べ、さらにマニアックであるようなニュアンスが強まっている。ぐしゃぐしゃにひずんだディストーション、ヘヴィなリフとうねり、ジャム・セッションに似、ピークを引き延ばしていくアンサンブル等々により、もたらされるトリップは、なるほど、サイケデリック・ドゥームと呼ばれるスタイルに恥じないものだろう。それが『OH SENSIBILITY』では、演奏のレベルでも、音質のレベルでも、ダイナミズムを激しくしたサウンドのなかに囲われていた印象であったのに対し、『DOMOVOYD』では、全体のバランスが楽曲の輪郭のぼやける方向へとシフトされている。ダイナミズムは、きちんとある。が、そうである以上に、アシッドでいて、スペーシーな触感の何よりも前に出た作りとなっているのだ。掴みどころの乏しくなったせいで、こけおどしの度合いが高まったと解釈されそうなきらいもある。しかし、17分に及ぶ1曲目の「DOMOVOYAGE」や18分に及ぶラスト・ナンバーの「VIVID INSANITY」に顕著な通り、じっとじらされ続けるかのようなテンションの果てに、やけくそのヴォーカルとフィードバックのノイズとが紛れもない轟音として溢れてくる。その瞬間、その高揚、その絶頂のまばゆさには、あ、と息を飲まざるをえない。

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2016年02月01日
 Don't Deliver Us

 ああ、ドゥーム・メタルとガレージ・パンクの禍々しさ、騒々しいパートを一つのスタイルに合成してしまうという業の深き発想よ。実際、米ヴァージニア州ハーンドン出身のトリオ、SATAN'S SATYRSが2012年にリリースしたファースト・アルバム『WILD BEYOND BELIEF』の、とりわけ1曲目を飾った「SADIST 69」は素晴らしいインパクトであった。BLACK SABBATHやBLUE CHEER、BLACK FLAG等が引き合いに出されることが多いみたいだけれど、たとえば『PRE-ELECTRIC WIZARD 1989-1994』で聴かれるジャス・オボーンのキャリアをGUITAR WOLFのハチャメチャな音質とロウ・パワーとで再現したかのような破壊力を持っていたのだ。続く2014年のセカンド・アルバム『DIE SCREAMING』では、いくらか整合性が増し、ヴィンテージ・タイプのドゥーム・メタルに近いバンドのアンサンブルとグルーヴをアピールしてみせている。そして、この2015年のサード・アルバム『DON'T DELIVER US』は、正しく『DIE SCREAMING』の延長線上に位置するサウンドだと思う。ぶりぶりとしたヘヴィなファズは相変わらずなのだったが、楽曲と演奏のまとまりがよりはっきりとした分、ヘタウマなヴォーカルのキャッチーさが目立ってきた印象であって、これはBLACK SABBATHにおいてはオジー・オズボーンのメロディがある種のフックとなっているのと同じ意味である。確かに衝動を喚起する作用については『WILD BEYOND BELIEF』こそが抜群であり、その点を見るなら物足りなさはあるだろう。しかし、荒削りなチャーム・ポイントは充分に残っているし、もしかするとTY SEGALLあたりに匹敵しそうな(あるいは凌駕しうる)ローファイでサイケデリックでエネルギッシュなロックン・ロールが全開になっていることは疑うべくもない。

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