ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2015年12月23日
 The Boats of the Glen Carrig

 おそらくは世界で唯一といっていい「NAUTIK FUNERAL DOOM」(航海フューネラル・ドーム!)を標榜し続けているドイツ出身のバンド、AHABの通算4作目となるフル・アルバムが『THE BOATS OF THE GLEN CARRIG』である。AHAB(エイハブ)というバンド名が指し示す通り、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』から受けたインスピレーションを出発点にし、前作の『THE GIANT』(2012年)では、エドガー・アラン・ポーの『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』をモチーフとしていたわけだけれど、『THE BOATS OF THE GLEN CARRIG』においては、ウィリアム・H・ホジスンの同名小説を題材に選んでいる。いずれにせよ、海洋の深遠であるようなイメージを、どうサウンドの成り立ちへと変換するか、という部分に本質があることに変わりはない。一貫性がある。

 葬送曲にも似たアトモスフェリック(名状しがたい薄暗さ)は、フューネラル・ドームの大きな特徴であろう。AHABの場合、それを押さえつつ、演奏のスタイルや楽曲の展開にゴシック・メタルやプログレ・メタルに近いものがあって、さらには近年におけるドゥーム・メタルのジャンルに支配的なヴィンテージ色を突出させず、むしろモダンであると受け取れるところが少なくはない。以上の持ち味は、作品を経る毎に洗練されていき、微細でもある叙情性とドラマの明確化をもたらすことになったのだな、と『THE BOATS OF THE GLEN CARRIG』は思わせる。一方、音楽性は異なれどTOOLやMASTODONなどに通じるものもあるのでは、と感じさせるのだった。

 クリーンなヴォーカルのパートは以前にも増しているが、デス・メタルのようなグロウルも(語義矛盾するようだけれど)表情を豊かにしてきている。バックの演奏もまた、ファースト・アルバムである2006年の『THE CALL OF THE WRETCHED SEA』の頃に比べたら、ダイナミズムをはっきりさせたものとなっていて、引きずるようなギターのリフやドローン(持続低音)を愛でたいマニアには物足りなくなったかもしれないし、アンダーグラウンドならではの無骨さが減じたと見られるかもしれない。しかし、一概には、ヤワになった、とはいえない魅力がある。10分に及ぶ楽曲の並んだ大作指向は、相変わらずである。そのなかから劇的とも雄弁とも喩えられるヴィジョンの浮かび上がってくることを何よりとするのであれば、『THE BOATS OF THE GLEN CARRIG』は、到達と呼ぶのに相応しい。

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2015年12月06日
 BUCKLE UP AND SHOVE IT!

 会場は新大久保EARTHDOM、ELECTRIC EEL SHOCKが主催し、KING BROTHERSやGUITAR WOLFなどが登場したMURDERTRUCK TOUR JAPAN 2015の最終日(12月5日)を観た。これまでに何度となくライヴを観てきたものもあれば、初見のものもあったが、どのバンドもそれぞれのスタイルでロックン・ロールのマナーを貫きつつ、ガッツと白熱に溢れるようなパフォーマンスを繰り広げてくれ、燃えるしかねえのであった。そして、ヘッドライナーとしてオランダから招待されたPETER PAN SPEED ROCKだ。一部のファンやマニアにしたら、十数年待ったぞ、ということになるだろう。念願の初来日公演である。実際、トリオ編成とは思われぬ分厚い轟音のロックン・ロールが、何もかもを薙ぎ倒し、正しく爆走していく姿を目の当たりにし、うおおお。歓喜、歓喜の嵐が吹きすさぶ。

 ベテランに近いキャリアを築きながらも決して失われない初期衝動は、そのライヴのシーンを通じ、直に体験できたわけだけれど、もちろん、2014年にリリース(初めての日本盤が今年にリリース)された『BUCKLE UP & SHOVE IT!』にも満載であったことを忘れてはいけない。PETER PAN名義で1997年に発表されたファースト・アルバム以来、通算9枚目となるフル・アルバムである。しかし、枯れた味わいは、ほとんどない。ガレージ・パンクといおうかMOTORHEAD型のロックン・ロールといおうか。スピード、パワー、スピード、スピード、パワー、スピード、パワー、パワー、とにかくスピードとパワーをフルにし、けたたましく掻き鳴らされるサウンドは、サイコビリーやヘヴィ・メタルをも飲み込み、轟音以外の何ものでもない塊へと変化することで、最大のインパクトを発揮させている。1曲目の「GET YOU HIGH」からして既に耳をつんざくかのようなギターのリフが、非常に格好良く、鳴り響いているのだ。

 ギターのリフ、そして、暴れ馬を彷彿とさせるベースのラインとドラムのアタック、これらが三位一体となり、ぶっきらぼうにしゃがれたヴォーカルが乗る。PETER PAN SPEED ROCKにとっては不変のスタイルであって、THE DAMNEDのナンバーをカヴァーした9曲目の「NEW ROSE」においても徹底されている。GUNS N' ROSESをはじめ、数々のバンドがカヴァーしてきた楽曲である。元々がアグレッシヴに攻めてくる楽曲だが、数倍増しの迫力をともなっている点に注目されたい。カヴァー・アルバムとして02年にリリースされた『SPEEDROCK CHARTBUSTERS VOL.1』でも顕著であった通り、楽曲の側にアイデンティティを持っていかれるのではなく、バンドの側が完璧にイニシアティヴを握っているのだ。

 一切の妥協がないほどのスピードとパワーだけが実現しうる領域のあることをまざまざと見せつける。PETER PAN SPEED ROCKの作品はどれもそうなのだが(ああ、そして、ライヴもそうだったが)握り拳で迎え撃ちたくなるようなロックン・ロールの魅力をたっぷりにしている。

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2015年11月17日
 Permanence

 余談から入るけれど、LOSTPROPHETSのイワン・ワトキンスが起こした事件は相当ショッキングなものであった。初期の頃は日本のアニメや特撮からの影響を絡めながら語られることも少なくはなかったバンドのフロントマンが、幼児に対する悪辣な性犯罪で逮捕されるというのは、報じられ方によっては、この国の児童ポルノに関した規制を大きく左右したかもしれないし、ジャパニメーションやクール・ジャパンなどの文化戦略にも大きな打撃を及ぼしかねなかったかもしれない。が、(少なくとも今のところ)そうなっていないことは良かったですね、であろうか。いずれにせよ、キッズを励ますかのようなメッセージを歌い続けていたシンガーが、まさか、ではある。

 イメージは非情であって、他のメンバーが責められるべき立場にあろうとなかろうと、LOSTPROPHETSというバンド自体が大変な汚名を着ることになってしまったのは間違いない。そのことが関係しているのかどうかは知らないが、イワン・ワトキンス以外のメンバーが、THURSDAYのジェフ・リックリィをヴォーカルに迎え、新たにスタートさせたNO DEVOTIONのサウンドは、全盛期のLOSTPROPHETSといくらか距離を取ったものになっている。ミクスチャー・ロックを出発点に、エモやスクリーモを経由することでドラマティックなメロディやコーラスを全開にしていたLOSTPROPHETSとも違うし、スクリーモやハードコアのサイドからポスト・ロックのスタイルにアプローチしていったTHURSDAYとも違う。80年代のNEW ORDERやU2、DEPECHE MODE、THE CUREなどを引き合いに出せるだろう。ケースは異なるものの、ラウド・ロックのファンによく知られたアーティストが、ニュー・ウェーヴそっくりに向かいはじめたという意味で、THE SMASHING PUMPKINSの『ADORE』やPARADISE LOSTの『HOST』を彷彿とさせるところがある。

 ジェフ・リックリィにとっては、たとえばDEFTONESのチノ・モレノが本体とは別に動かしているCROSSESやPALMSに相当するような位置づけのプロジェクトになるのかもしれない。アグレッシヴな勢いもスクリームも封じ、エレクトロニックな響きの広がるなか、メランコリックにメロディが強調されていく。そもそもがナイーヴなパートを得意としていたシンガーだけに、ほとんど違和感は生じていない。今日、WHITE LIESのように本格派のニュー・ウェーヴ・リヴァイヴァルも珍しくないが、NO DEVOTIONの場合、あくまでもハードであること、ダイナミックであることをアンサンブルの基礎としているんだよな、と思わされるのは、ファースト・アルバムである『PERMANENCE』の全編を通じて、生音のドラムにずっしりと重たいアタックが主張されているためだ。キーボードやプログラミングの存在に楽曲のムードは決定されているけれど、リズムのパターンだけを取るのであれば、十分に激しいし、ヘヴィだともいえる。おそらくは最も躍動的な10曲目の「ADDITION」に、THURSDAYとLOSTPROPHETSの面影がよく出ている。

 シングルにもなった「ADDITION」だが、同じくシングルとしてリリースされていた7曲目の「10,000 SUMMERS」や9曲目の「STAY」を目白押しにした終盤が、やはり、アルバムのハイライトだろう。とりわけ、「10,000 SUMMERS」で繰り返されるポップなコーラスは、美しい高揚をもたらしてくれる。そのタイトルにぴったりのロマンティックさである。

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2015年10月05日
 HONK MACHINE

 ニッケ・アンダーソンのキャリアを振り返るとき、哀愁を帯びた黄昏のロックン・ロールは、THE HELLACOPTERSの中期の頃よりの規定の路線である。ソロ・プロジェクトに近い形でスタートし、現在はバンドとしてのラインナップが完成されたIMPERIAL STATE ELECTRICでも、それは徹底されてきたといえる。確かにENTORMBED在籍時や初期のTHE HELLACOPTERSのイメージが強い層にしたらエキサイティングしづらい方向性であるかもしれないし、正直な話、自分にもそのように受け止めてしまう部分があるにはある。が、しかし、フォームが完全に決まっていることのかっこよさを見せつけられたら文句の一つも出てこないんだからな、と説得されるような迷いのなさ、それが導いてくるようなシンプルでいて入魂の極まったサウンドにこそ、最大の魅力があるのは間違いがないのだった。

 ああ、そして、IMPERIAL STATE ELECTRICの魅力を過不足なく堪能できるのが、通算4枚目のフル・アルバムとなる『HONK MACHINE』であろう。これまで以上に楽曲のヴァリエーションを増やしながら、にもかかわらず焦点のしっかりと定まった内容は、ある種のピークを思わせる。いや、後期のTHE HELLACOPTERSまでをも含めた上でベストといって差し支えがないものだ。随所に古典と呼ぶに相応しいナンバーやアーティストの引用を絡めつつ、心地好いテンポのロックン・ロールを次々に繰り出していき、LPのアナログ・レコード(ヴァイナル盤)になぞらえた構成が、スタンダードやオーソドックスという修辞を正しくたぐり寄せているのは、いつも通りに貫かれたマナーである。

 自分たちでこうと決めたフォームを崩すことなく、一見すると手癖のような気負いのなさだけれど、しかし、職人芸と呼ぶのに相応しいキャッチーな響きのリフとコーラスとが、2〜3分台の楽曲の数々には満載されている。バックの演奏は、ハードにドライヴすると同時にしなやかでいて、パセティックなメロディが、まるでさっき覚えたばかりであるかのようなフィーリングの瑞々しさに繋げられているのである。ギターのトビアス・エッジやTHE DUTSUNSの中心人物でもあるベースのドルフ・デ・ボーストが、楽曲によってはメインでヴォーカルを張るなど、ニッケのみならず、他のメンバーの活躍も著しい。ヴォーカルの声質が異なろうと、まったく違和感はない。すべてがIMPERIAL STATE ELECTRICというブランドに一致してしまうのは、フォームが完全に決まっていることのかっこよさの証明だろう。

 6曲目の「WALK ON BY」は、異色のナンバーであるかもしれない。ニッケがSONIC'S RENDEZVOUS BANDのスコット・モーガンと組んでいたTHE SOLUTIONを彷彿とさせる。女性のヴォーカルが入ってくるリズム・アンド・ブルーズ、ソウル・ミュージックのアプローチである。それがごく当たり前に馴染んでいる。フォームが完全に決まっているということを不自由だとはしない。フォームそのものの柔軟さが、幅の広い参照と引用とを実現しているのだ。IMPERIAL STATE ELECTRICならではのメロウな疾走を醍醐味とした7曲目の「ANOTHER ARMAGEDON」は、もちろん、素晴らしい。「ANOTHER ARMAGEDON」をはじめ、出だしの部分で掴みの強いナンバーが以前にも増して充実していて、先に述べた通り、バンドの歩みにとってある種のピークを思わせる。会心の一作となっている。

 『POP WAR』について→こちら

バンドのオフィシャル・サイト→こちら

・THE HELLACOPTERSに関する文章
 『HEAD OFF』について→こちら
 『AIR RAID SERENADES』について→こちら
 『ROCK & ROLL IS DEAD』について→こちら
 『STRIKES LIKE LIGHTNING』について→こちら 
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2015年10月01日
 EVERYTHING EVER WRITTEN

 8年ぶりとなる久々の来日公演は素晴らしいものであった。IDLEWILDである。個人的には、初期のグランジというかエモというかパンクというか、のササクレ立った楽曲に心躍るのだけれど、同じく初期の頃から特徴的だったナイーヴなメロディとリリカルなフレーズとを全面化した現在のスタイルを決して否定しはしない。そこには若き日の熱情を残しながらも、成熟と呼ぶに相応しい境地へと達することの価値が、はっきり現れているように思うのだ。

 一際目立った派手さはない。あっと驚くような展開もない。しかし、このバンドならではの叙情性が、ギターのリフやヴォーカルのラインとともにそこかしこに散りばめられ、「もののあはれ」にも似た感動を作り上げていることは、今年リリースされた通算7枚目のフル・アルバム『EVERYTHING EVER WRITTEN』からも確認できる。エレクトリックなパートは、正しくロック・バンドのダイナミズムを感じさせる一方、ケルト・ミュージック風というか、フォーキーでありつつ、ストリングスをも含めたパートは、スコットランド出身である彼らのルーツを掘り下げるかのような深さと広がりを持っていく。

 スコティッシュ・ロックと、一言でいうならば、その通りのサウンドであろう。ポップではあるものの、スコティッシュ・ポップではない。ディストーションによってくるギターの鋭さが、そして、それが実に印象的なリフを刻んでいることが、見事なトレード・マークになっていることは、1曲目の「COLLECT YOURSELF」において明らかだ。ロディ・ウォンブルのヴォーカルが直情的に訴えかけたり、アップ・テンポに畳みかけるタイプのナンバーは、20年に渡るキャリアを経るなかで少数派になりはじめているが、IDLEWILDの本質にとって激しいエネルギーとうねりは不可欠だと証明しているのである。

 はたまた、今回のライヴのクライマックスでも披露された12曲目の「UTOPIA」の美しさは特筆すべきものだろう。日本盤のボーナス・トラックを除く、ラスト・ナンバーである。ピアノの調べを主体にし、センティメンタルでいて穏やかな風景が、まざまざと描かれる。あらゆる困難にまつわる物語が、〈SUFFER AND GO. SUFFERING THE PEOPLE FOR A UTOPIA〉というフレーズの息づかいに集約されている。時と場所を違えようと漏れることのない切実さがある。

 RODDY WOOMBLE『MY SECRET IS MY SILENCE』について→こちら
 『WARNINGS / PROMISES』について→こちら

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2015年08月12日
 Melk En Honing

 奇っ怪なドローン・マシンとダブ・マシーンを操る一人インダストリアル・ドゥーム・メタル・ユニット、AUTHOR & PUNISHERの通算6作目となるフル・アルバムが『MELK EN HONING』である。かのフィリップ・アンセルモ(DOWN、元PANTERA)に見初めされ、彼との共同プロデュースかつ彼のレーベルであるHOUSECORE RECORDSからのリリースとなったわけで、そうした背景がいかに作用したかといえば、まあ、基本的には変わりませんよ、と。地響きのような重低音とイカズチのようなノイズ、そして、ポジティヴなフィーリングを完全に拒んでいるかのような吐瀉型のヴォーカルとが、圧殺と狂気のイメージを描き出しているのだった。が、しかし、前作の『WOMEN & CHILDREN』(2013年)あたりからブレンドされてきたアンビエントな要素が、さらに主張的となったことにより、これまで以上の入りやすさが出てきたかな、と思う。もちろん、入りやすいといってもポップ・ソングのレベルからは、かけ離れてはいるものの。最近の作品を挙げるとすれば、THE BODYとTHOUのコラボレーションに近いところもあるが、そこまで偏執ではないといおうか。もう少し振り幅の大きさを感じさせる。特筆すべきは、ゴスペル風のバック・コーラスの入ってくる3曲目の「SHAME」とコーラスのパート自体がメロディアスとなった4曲目の「FUTURE MAN」であろう。おそらくは計算の上で、ある種の静謐さが演出されているのだ。それが圧殺と狂気のイメージを逆さまの側から強調するという形になっていて、あたかもNINE INCH NAILSとJESUとNADJAとSUNN O)))のミックスを彷彿とさせるサウンドに繋がっていく。

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2015年07月20日
 Vaenir

 スウェーデンはイエテボリ出身のドゥーム・トリオ、MONOLORDの『Vaenir(正式な表記はVænir)』が出たぞ。どうやら5曲入りの前作『EMPRESS RISING』(2014年)がファースト・アルバムで、この6曲入りの『Vaenir』がセカンド・アルバムの扱いとなるようだ。確かに1曲1曲が長く、フル・サイズのアルバムとしてカウントするのに十分なヴォリュームだといえる。

 率直にいって、サイケデリックな要素とドローン(持続低音)の要素とが強まった『Vaenir』は、『EMPRESS RISING』に比べ、いくらか間口の狭くなった印象を受ける。しかし、この手のサウンドにとって、それは必ずしもマイナスではないだろう。マニアックであるようなところが、美点と判断されることもあるのだったが、この意味において、『Vaenir』は『EMPRESS RISING』からの進化(深化)に成功しているのである。

 もちろん、ヘヴィなリフが魅力的であることは何ら変わってはない。展開はスローでありながらも、決して平坦ではない。ダイナミズムが満載されており、場合によっては、ドラムの激しさにドカドカと身をはたかれる。2曲目の「WE WILL BURN」の中盤、あくまでも反復を基調としつつ、それまで酩酊していた雰囲気の楽曲が、ギターの鋭くチェンジされたトーンを呼び水に、勢いを何段階にも増していくという転調が、すげえ好き、である。

 ヴィンテージの芳醇な音色を楽しむより、とにかく圧をあげることを指向したプロダクションは、『EMPRESS RISING』と同様であって、ヴォーカルのくぐもり、引っ込んで聴こえることが、不吉な呪詛を導いているようにも思われる。5曲目の「THE COSMIC SILENCE」は、タイトルが示唆するとおり、静寂の一段落をイメージさせる。小品ではあるが、それが16分にも及ぶ6曲目の「Vaenir」の前に置かれていることの意味は大きい。

 ああ、アルバムのタイトルともなっているラスト・ナンバー、「Vaenir」は、まるで葬送のワン・シーンである。これまで以上にスローな展開のなか、ダウナーに切り返されるギターからは、哀切さえ、こぼれ落ちる。終盤を延々と支配しているのは、サイケデリックな要素のすっかりと飛ばされたモノクロームの景色だ。

 『EMPRESS RISING』について→こちら

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2015年07月06日
 ルマニフェラス

 2012年の前作『DE VERMIS MYSTERIIS』が最高だったHIGH ON FIREである。が、しかし、なんだよ。通算7作目のフル・アルバムとなるこの『LUMINIFEROUS』も最高かよ。

 プロデュースは『DE VERMIS MYSTERIIS』と同様にCONVERGEのカート・バルー(バロウ)が担当している。カートのプロデュースは、アーティストが誰であろうとカート・バルーがプロデュースしたサウンドになってしまうきらいがあり、CONVERGEと同系のバンドの場合、CONVERGEごっこでもやってろよ、と思ってしまうことが多い。それはもちろん、カートのプロデュースに絶対の個性があることを示している反面、必ずしもアーティストの魅力を引き出しているとは言い難いのではないか。あるいは、アーティストのポテンシャルがプロデュースの側の個性に負けているのではないか。しかるに、HIGH ON FIREに限って、そんな杞憂は一切なしだ。

 カートのプロデュースにおける荒削りでありながらも分厚い音のうねりと、HIGH ON FIREの二の腕が太そうで豪快な演奏とが、ヘヴィ・ロックのドグマ(教義)とでもすべき作品を作り出すことに成功しており、そのカタルシスときたら、もしかしたら『DE VERMIS MYSTERIIS』を凌ぐほどであろう。

 リフ、リフ、リフ。攻撃的に繰り出されるギターのフレーズ、それを押し返すかのようなベースの濃いグルーヴ、そして、ドラムはパワフルなアタックをどこまでもゆるめずに繰り返していく。ファストなナンバーであろうが、スロウなナンバーであろうが、まったくの隙がない。すべての瞬間が怒濤のサウンドに飲み込まれてしまう。圧巻である。とはいえ、単に勢いで暴れまくっているわけではない。それは、加速を保ちながらも複数のテンポのギアを組み合わせることで、ヘヴィ・メタルともハードコアとも似て非なるダイナミズム(だが、ヘヴィ・メタルのジャンルでもハードコアのジャンルでも一線級に挙げられるもの)へと到達してみせた1曲目の「THE BLACK PLOT」に明らかだと思う。

 全編にクライマックスを満たしたアルバムである。ヤワなところはまったくないのに、それぞれの楽曲がキャッチーにさえ聴こえるという不思議なアルバムでもある。

 バラードともブルーズともとれる7曲目の「THE CAVE」は、バンドにとっての新境地になるかもしれない。ナイーヴな表情を覗かせるイントロに、あのHIGH ON FIREが、と驚かされるものがある。しかし、やがて嵐のごとく吹き荒れる演奏とマイク・パットの咆哮とが、のっぴきならない焦燥と混乱を招き入れる。すさまじいノイズが鳴り止んだあとに、ぽっかりと浮かんで残った叙情性は、是が非でも泣くことを許されない壮絶な生き様をイメージさせる。

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2015年07月01日
 JUMPing CAR 【通常盤】 JUMPing CAR 【初回限定盤1】(DVD付) JUMPing CAR 【初回限定盤2】(DVD付)

 うおお、ついにHey! Say! JUMPのマスターピースが誕生したぞ、と思わされる。グループにとっては4枚目のフル・アルバムとなる『JUMPing CAR』である。「ウィークエンダー」をはじめとする先行のシングルやせんせーションズ名義の「殺せんせーションズ」で一気に突き抜けた感じがあったが、その勢いと魅力とを削がず、アルバムのサイズへまで拡大することに成功したら、そりゃあ良いものになるのは当たり前だよね、であろう。しかし、これほどにはじけてくるとは。期待以上だったし、想像以上だった。明るく、楽しく、爽やか、の三拍子が揃った内容は、ここ最近のジャニーズのなかでも随一だといえる。

 イントロダクションにあたる「Fantasist」を受けた2曲目の「JUMPing CAR」のタイトル通りに跳ねるのが似合うアッパーな印象は、さながら『JUMPing CAR』全体の方向性を予告している。と同時に、マイク・リレーのラップとユニゾンのコーラスとが、9MCのグループにおいては最大の武器になることをも示唆しているのだ。

 ディスコティックといおうか、ダンサブルなタイプの楽曲の非常に目立ったアルバムである。その賑やかさと9人というヴァリエーションの豊かなヴォーカルとが見事なレベルでマッチングしていることを、「JUMPing CAR」や4曲目の「SHen SHera SHen」は教えてくれる。5曲目の「ウィークエンダー」は、シングルとしてリリースされた段階から既にHey! Say! JUMPの新しいアンセムに位置づけられるものであった。山田涼介くんのヴォーカルには、センターに相応しい甘さがある。他方、コーラスの裏に入ってくる(終盤で畳みかけてくる)有岡大貴くんのラップが、すげえ特徴的だな、と思う。

 マイク・リレーのラップとユニゾンのコーラスであっても9曲目の「Boys Don't Stop」では、それがHey! Say! JUMPの強気な一面を引き出している。他のグループとリンクするようなジャニーズ・ポップスならではのメロディを持った楽曲も多いけれど、海外のダンス・ミュージックのシーンや国内の女性アイドルのシーンまでを広く参照した現代的なビートの楽曲も多い。メロディはほとんど昔風の歌謡曲か、はたまた演歌なのに、コーラスとバックのトラックで無理矢理、今の時代に合わせてしまう10曲目の「Dangerous」は異色のナンバーであろう。

 7曲目の「愛よ、僕を導いてゆけ」は、これ、とても好き、大好きだ。KinKi Kidsのパセティックなナンバーを彷彿とさせる。バラードではないのだが、切なさに胸を締め付けられるものがある。そう、〈100万回君に「アイシテル」を届けても・ついに君が僕に「YES」をくれなくても・また100万回君に「アイシテル」を届けにゆこう・愛よ、僕を導いてゆけ〉というフレーズは、まるで「愛されるより 愛したい」という一途な想いに対応しているかのようでもある。ここではメンバー全員のヴォーカルが、憂いに満ちた決意をメロディの強さに変えながら歌い繋いでいる。実にエモーショナルな1曲なのであった。

 最後になるが、初回限定盤1のみに収録された17曲目の「DISCO JOCKEY!!!」が、また素晴らしいのだよ。OKAMOTO'Sのハマ・オカモトがベースで参加したディスコでダンスでオールナイトでオーヴァーナイトなナンバーである。マイク・リレーのラップとユニゾンのコーラスとが、ハッピーなムードを煽っていく。『JUMPing CAR』のイメージを一言で表すなら、多幸感ということになるのかもしれないが(初回限定盤1のみだとはいえ)エンディングに至ってもなお、テンションのダウンを許さない。ナイスな時間には終わりがないのだという夢をとことん信じさせる。

 『JUMP NO.1』について→こちら
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2015年04月22日
 Disquiet [12 inch Analog]

 希望はある。絶望もある。そして、常に絶望を意識し続けることでしか把握できない希望だってありさえするのだ。この世界と自分の運命とに対する呪詛を飛び跳ねるほどに小気味の良いテンポとポップなメロディへ逆転させるというTHERAPY?ならではの奥義を発揮した10曲目の「TORMENT SORROW MISERY STRIFE」は、希望と絶望が必ずしも二律背反の関係に対置されるわけではないことを告げているみたいである。ああ、「苦痛、悲嘆、不幸、闘争」とは、なんと救いのないタイトルか。しかし、その救いのなさがひたすらキャッチーに響き渡るんだから、ちょっとぎょっとするよな。これぞ正しくTHERAPY?の面目躍如であろう。

 一般的な代表作にあたる94年の『TROUBLEGUM』と95年の『INFERNAL LOVE』が相次いで二十周年を迎えたことは予兆であったのか。12枚目のフル・アルバム(『NURSE』以前のミニ・アルバムを含めれば14枚目)となる『DISQUIET』には、その頃の作風を彷彿とさせるものがある。つまり、シンプルなリフとコンパクトな展開、親しみやすいメロディを前面に出したスタイルを取り戻してきているのだ。もちろん、アンディ・ケアンズの可愛げのないヴォーカルはネガティヴなモチーフに十分な説得力を与えているし、一癖あるニール・クーパーのドラムが独特なパターンのリズムを楽曲にもたらしているのは相変わらずである。

 1曲目である「STILL HURTS」の出だしが、『TROUBLEGUM』の冒頭を飾った「KNIVES」を彷彿とさせる点を含め、ある種の回帰なのかもしれない。後退と見る向きもあるだろうか。だが、ここ数作のなかで最もはじけ、勢いに優れていることだけは間違いない。〈Help Me. I'm Stuck〉というあまりにもあんまりな呟きによって開かれた地獄をダイナミックに駆け抜けていく「STILL HURTS」や、疾走感をフルにした2曲目の「TIDES」は起爆剤だ。テンポをスローに落とした3曲目の「GOOD NEWS IS NO NEWS」からは、『INFERNAL LOVE』に収録されていた「MISERY」と(THERAPY?と同じアイルランドの出身である)U2の「ONE」をミックスしたかのようなメロディが聴こえてくる。

 8曲目の「VULGAR DISPLAY OF POWDER」は、タイトルがPANTERAの『VULGAR DISPLAY OF POWER』をイメージさせるけれど、事実、ヘヴィなリフに特徴のあるナンバーとなっている。スローでいてずっしりとしたグルーヴの11曲目の「DEATHSTIMATE」は、ともすればパセティックな響きのバラードでもあろう。アルバムを締めくくるのに相応しい。しかし、やはり必殺のナンバーを選ぶなら10曲目の「TORMENT SORROW MISERY STRIFE」である。〈Torment, Sorrow, Misery, Strife. Screaming All The Way To The Dying Of The Light〉そう、どこまでも暗い呪縛を歌っているはずなのに、不思議と生きることを諦めさせない励ましを与えてくれる。

 『CROOKED TIMBER』について→こちら
 『MUSIC THROUGH A CHEAP TRANSISTOR THE BBC SESSIONS』について→こちら
 『ONE CURE FITS ALL』について→こちら
 『NEVER APOLOGISE NEVER EXPLAIN』について→こちら

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2015年04月06日
 Still Full of Hell & Merzbow

 ヴァイオレンスだなあ、ヴァイオレンスだねえ、である。昨日(4月5日)は、米グラインドコア、パワー・ヴァイオレンスの新進気鋭たち、WEEKEND NACHOSとFULL OF HELLのライヴを揃って観るため、PUTV TOURの最終日へ向かったのであった。もちろん、他の出演者、国内ハードコア・シーンの手練れによるパフォーマンスも非常に会場を盛り上げてはいたが、しかし、目当てはやはり、これが初来日となるWEEKEND NACHOSとFULL OF HELLの両バンドであり、そして、実際に彼らのステージが長丁場のイベントにおける最大のピークだったといって差し支えがない。

 とにかくまあ、スタジオ音源の段階で魅了された超フル回転の演奏とエネルギーを見事なまでに再現していたのが、WEEKEND NACHOSである。ぐしゃぐしゃに軋んだ轟音が猛烈なドライヴと凶悪なグルーヴとを引き寄せていたところに、おお、と思わされていたバンドだけれど、直にライヴを目にし、確認できたのは、バックの演奏が極めてタイトに決まっているということであった。アルバムの、あの溢れるばかりの勢いからして、もう少し荒削りでルーズなパフォーマンスが繰り広げられるのではないか、と想像していたのだったが、それは良い意味で裏切られた。隙がないほどに集中力の高まったアンサンブルこそが、剛腕でねじ伏せてくると喩えるのに相応しい音圧を生んでいたのである。他方、物販のそばに立っていたときは下っ端のチンピラがヘラヘラしている風でしかなかったヴォーカルが、ひとたび楽曲がはじまった途端、鬼の形相で咆哮をあげる姿には、破れかぶれのエモーションがたっぷりと詰まっていて、ぎょっとさせられる場面が多々あった。アンダーグラウンドな佇まいも含め、大変痺れましたね、であろう。

 WEEKEND NACHOSとのカップリングを選んだので、MERZBOWとの共演はパスしてしまったFULL OF HELLだけれど、ああ、こういうライヴを身上とするのだったら、そちらも行けばよかったと思ったね。スタジオ音源で聴かれる以上にノイズの要素が前面に出たパフォーマンスとなっていたのだ。本質はグラインドコアなのだろうが、豪快さよりも生真面目というか神経質な側面が、ギターのノイズによって徹底されている。アルバムではスローな楽曲において顕著だったそれが、ライヴのヴァージョンではファストな楽曲からもまざまざと感じられてくるのである。昨年にリリースされ、海外のメディアやアーティストのあいだで高く評価されたMERZBOWとのスプリットやセカンド・アルバムにあたる『RUDIMENTS OF MUTILATION』の前、つまり2011年のファースト・アルバムである『ROOTS OF EARTH ARE CONSUMING MY HOME』の段階でFULL OF HELLのヴィジョンとスタイルとが既に完成されていたことは(不覚ながら)ライヴを体験するまで気づかなかった。裏を返すなら、生のパフォーマンスはスタジオ音源の何倍も説得力に富んでいたのだ。

 ギターのノイズは圧倒的であったが、悲痛な叫びをともなうヴォーカルや強固にリズムを叩きまくるドラムも、ちょっとただ者ではない。それらが結びつき、相乗しながら、FULL OF HELLならではの不穏なサウンドが具体化されていく。頭でっかちの前衛ごっこをして悦に入っているわけではない。そのことを観客のフィジカルな熱狂は、正しく証明していたように思う。結局のところ、WEEKEND NACHOSもFULL OF HELLも異なるインパクトを持ったバンドであった。しかし、とてもヴァイオレンスで抜群にエキサイティングであるという点に関しては負けず劣らず、紛れもなく一致していたといえる。
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