
いつ頃『ヤングマガジン』から『ヤングキング』へ移籍というルートが確立されたのか詳しくは知らないが、近年の柳内大樹を筆頭に前者でうまく立ち回れなかったマンガ家が後者でブレイクを果たすケースもないわけではないのであって、明石英之もここで伸るか反るかといったところであろう。心優しい殺し屋の仕事ぶりを描いた『フラワー』の1巻である。
誰もその正体を知らないが、このところ裏の世界でにわかに話題となっているヒットマンがいた。通り名を「フラワー」という。だが実際には噂先行のルーキーであって、一回も暗殺に成功した試しはないのだった。しかし不思議なことに、彼に命を狙われた者、彼の命を狙った者、彼と関わった者たちは皆、フラワーの存在を認め、生き方を変えるほどに強く影響されていく。
前の二作『きんぼし』と『二瘤駱駝』では、主にスポーツ(格闘)を題材としていた作者である(後者は原作付きであるものの)。それが『フラワー』では、ライトなハードボイルドと見なされるものに挑んでいる。おそらく、新境地といっていいのだけれど、肝要なのは、ライトであることとハードボイルドであることの双方を両手で引き受けられるような、そういうユニークさ、チャーム・ポイントを主人公に与えられている点だと思う。
おっちょこちょいのルーキーらしさは、不器用な童貞っぽいイメージのなかに生かされている。携帯電話などの現代的なツールを使うにあたって喋らざるをえない場面があるためだろう。正直、まったく無口であってもよかったぐらいだが、極めて寡黙なフラワーはそのかわり、目鼻口のコミカルな動きで感情を表しており、これが作品自体の小気味よいテンポに繋がっているわけだ。ギャグとして見られる軽さ、明るさがある。
また、ハードボイルドに似たタッチも同様にフラワーが時折覗かせるシリアスな顔つきによって担われている。絶体絶命の窮地を前に、いや確かにおどおどしたりする場面もあるにはあるのだけれど、スタンスそのものは日常と変わらず、ぶれてはいないのだし、こいつ案外何かを隠し持ってるぞ、という予断を感じさせるだけの鋭さ、厳しさをしばしば見せる。事実、彼の壮絶な過去をストーリーは徐々に明かしているであろう。
なぜ、主人公は「フラワー」と呼ばれるのか。なぜ、彼は殺し屋になったのか。これが本作の核心であって、伏線めいたいくつかの箇所と「アガペー(見返りのない愛)の花」なる存在とが曰くありげに絡み合っていく。
・その他明石英之に関する文章
『きんぼし』
3巻について→こちら
2巻について→こちら
1巻について→こちら














