ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年12月22日
 My Secret Is My Silence

 IDLEWILDのヴォーカル、ロディ・ウォンブル(RODDY WOOMBLE)の初ソロ・アルバムになる『MY SECRET IS MY SILENCE』なのだが、これが、想像以上の良作で驚かされた、いやほんとうに。バンド・メイトのロッド・ジョーンズがソング・ライティングで一部参加するとともに、ほとんどの曲でギターを弾いており、そうしてロディのうたう、ウェットで憂いのあるメロディは、もちろんIDLEWILDのそれを彷彿とさせずにはおれないけれど、スコットランドのフィドル奏者ジョン・マッカスカー(John McCusker)をプロデューサーに迎え、全面的なバックアップを得、作り上げられたサウンドは、ケルト・ミュージックに寄ったトラッドでフォーキーな味わいを、存分に堪能させてくれる。おそらくバックをつとめているのは、ジョンの人脈から選ばれた面々ではないかな、という気がするが、なかにはケイト・ラスビー(KATE RUSBY)や、カリン・ポルワート(KARINE POLWART)といった、その方面では評価の高い女性シンガーの名もあり、彼女たちの主旋律に重ねられる歌声が、あたたかく、やさしみのある、うつくしい抒情を強調する。アップ・テンポに陽気なステップを踏む、インストゥルメンタル・ナンバーの8曲目「WHISKEY FACE」をも含め、捨て曲なしと判断してしまっても構わない内容だろう。そこから個人的なハイライトを挙げれば、やはりタイトル・トラックの4曲目「MY SECRET IS MY SILENCE」になる。穏やかな曲調のなかで、ヴァイオリンの音に導かれた黄昏れが、やがてコーラス部にさしかかり、上向きに力強く翻る様子は、ちょっと胸に応える、感動的ですらある。

 IDLEWILD『WARNINGS / PROMISES』について→こちら

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2006年12月09日
 SPOILS

 WANDS時代に発表された2枚のシングル「SAME SIDE」と「WORST CRIME」(じつはB面のパワー・バラード「BLIND TO MY HEART」が良い)は、グランジの歌謡曲的な解釈として興味深く、その後に結成したal.ni.coでは、まさにアリスインヴァーナリカともいえるヘヴィ・ロックに載せ、ヴォーカルをとった上杉昇のカヴァー・アルバム『SPOILS』は、チョイスされたGUNS N’ ROSES「IT’ SO EASY」「PATIENCE」、JEFF BUCKLEY「YARD OF BLONDE GIRLS」、BLIND MELON「CAR SEAT」、NIRVANA「RAPE ME」、NEIL YOUNG「MY MY,HEY HEY」、MEAT PUPPETS「OH ME」などの洋楽曲が、じつに90年代しているぜ、といった感じではあるのだが、聴いてみれば、いや、正直これは困ってしまったな。アコースティカルなナンバーはともあれ、サウンドの基本線は、インダストリアル仕様というか、昔ふうの言葉でいうならデジ・ロック調というやつで、リズムのパターンは凡庸であるし、その解釈の仕方も大胆というほどには振るっていない、いちばん近い印象を述べると、80年代に活躍したLA周りのアーティストが、有名アーティストの代表ナンバーを演奏し、DIE KRUPPSあたりがリミックスを施したトリビュート・シリーズ、あれだ。WANDSの「SAME SIDE」や「寂しさは秋の色」、al.ni.co「TOY$!」のニュー・ヴァージョンも収録されているが、元々のものと比べ、抑揚に乏しく、魅力的に仕上がっているとは言い難い。
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2006年12月07日
 Light Grenades

 INCUBUSのメジャー5枚目となる『LIGHT GRENADES』なのだが、やあ、これはいったいどうしたことだろう。何はともあれ、マイク・アインジガーが弾くギターの、とくにアルバム・タイトル・トラックにあたる5曲目の「LIGHT GRENADES」と、さらに12曲目「PENDULOUS THREADS」における、リフとソロ・パートも含め、(誰にも賛同してもらえそうもない例になるかもだけど)SYKES期のジョン・サイクスを彷彿とさせる、無理繰り荒っぽいところをアピールしてみせたかのような勢いときたら、04年の前作『A CROW LEFT OF THE MURDER』で、その冒頭を飾った「MEGALOMANIAC」ですら伴奏に徹していたのだね、と感じられるぐらい、はっちゃけており、いやいや、これがちょっとしたサプライズで、個人的には、もうそれですべていいや、というほどにヒットだったのだが、全体像について、すこし言っておくと、これまでのキャリアで培ってきたものを、楽曲単位で有用なアメリカン・ロックのフォーマットに落とし込み、プレゼンテーションし直した印象が強く、おそらく、このバンドの作品のなかでは、もっともわかりやすく、ストレートで、ポップな内容に思えた。ギターこそ場合によっては過剰に憤然としているが、安定した身のこなしで、それを受けた秀作である。

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2006年12月01日
 The Dead Eye

 やってくれたな、ピーター・ドルヴィング、ひとまずはそう言っておくのがいいと思った。スウェーデン出身THE HAUNTED(ザ・ホーンテッド)による五作目『THE DEAD EYE(ザ・デッド・アイ)』である、これが今までとは異なる色気を出しており、そうした方向性の舵は、おそらく04年の前作『rEVOVEr』でバンドに復帰した初代ヴォーカリスト、ピーター・ドルヴィングからのインプットによって取られたのではないか、と感じられるのだ。それというのは、彼が90年代に在籍していたバンド、MARY BEATS JANEの、あのデビュー・アルバムからセカンドへの大胆な変化、PANTERAに対する北欧からの返答とまでいわれたサウンドが、いきなりスローなグルーヴの路線へと趣旨替えされたことが、未だ記憶に残っているからかもしれないが、まあ今回の、THE HAUNTEDの場合、あそこまでドラスティックなわけではないけれども、あきらかに全体のテンポがダウンし、かわりにワン・センテンスをゆったりと発音するヴォーカル・パートが増えたとはいえ、いや、そのことに不満があるのではないのだった。そうではなくて、バックの演奏はあいかわらず、ざっくりとしたリフのなかに叙情的なラインを組み込ませる二本の印象的なギターを主軸に展開しており、それとの兼ね合いがうまくいっていないというか、要するに、旧くからの持ち味と新しい要素が、ひとつの作品を綱引きした結果、どうも中途半端になってしまった印象を覚える。うねりを重視した12曲目「THE FAILURE」の、まさにMARY BEATS JANE的なラインがうたわれているあたりなんかは、うんうん、これはこれでモダンなアグレッシヴさ加減というものだね、と気分が昂ぶらなくもないのだが、間奏に入ると、泣きかけるかのようなメロディが、とかく根暗な響きを助長してしまうので、やあ、これはどうしたものか、と戸惑ってしまったりもする。

 『rEVOLVEr』についての文章→こちら

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2006年11月24日
 So Divided

 メジャー・デビューしてよりのここ数作、とっつき易いのかとっつき難いのか、一概には判断しづらい境界線上でスリリングなギター・ロックを展開している...AND YOU WILL KNOW US BY THE TRAIL OF DEADのニュー・アルバム『SO DIVIDED』は、05年の前作『WORLDS APART』に比べると、カラフルなファンシーさ加減を若干低めながらも、甘美にポップであること、それをスケールの大きいパーカッションで讃える、牧歌的なメロディと重層的な演奏とのアマルガムともいえる、独特な世界観は、以前として健在である。翻って、このバンドの強みは、やはりドラムを中心としたリズムにあるのではないか、と思う。おそらくソング・ライティングのレベルで機動性が高くつくられているのは、2曲目の「STAND IN SILENCE」ぐらいであり、収録されているナンバーの多くがスローあるいはミドルのテンポをとっている。そうなってくると概して、キャッチーなコーラスに達するまでの過程が、そのまま楽曲の盛り上がりと合致することになる、平面的な構成に落とさざるをえないわけだが、...AND YOU WILL KNOW US BY THE TRAIL OF DEADの場合、もしかするとギターのリフまで含めてしまっていいのかもしれないけれど、拍子のやたら起伏に富んでいることで、無数の緊張を鎹とするかのような、立体的なサウンドを構築している。ともあれ、僕個人の好みからいえば、02年の前々作『SOURCE, TAGS & CODES』が、もっともジャスト目な内容なのだが、しかし、こうしたアーティスト・サイドの、目に見えるほどの表現欲が為しえた作品には、有無もなく感心せさられる。

 『WORLDS APART』について→こちら

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2006年11月22日
 Live Tonight Sold Out

 NIRVANA(ニルヴァーナ)に関連するアイテムがリリースされると、この1年ももう終わりなんだなあ、と思うのは、つまり、02年のベスト盤や04年のボックス・セット『WITH LIGHTS OUT』、そのボックス・セットのダイジェスト盤『SLIVER』が05年のやはり同じような時期に発表されたり、と、彼らの存在が、そうして年末商戦に織り込まれるのも慣例化してきたことの証明なのだけれど、もちろんバンドは現役ではないし、中心人物がすでに亡くなっているというのもあり、さすがに新曲はもちろん、かわりに新規のサプライズをそうそう用意できるわけもなく、だから今年は、唯一のオフィシャル映像作品『LIVE!TONIGHT!SOLD OUT!!(ライヴ!トゥナイト!ソールド・アウト!!)』のDVD化でどうだろうか、といった感じなのかしら。あと大昔から輸入盤では出回っていたシングルのボックス・セット『SINGLES』が日本盤化された、が、まあそちらはさておき、ここで取り上げたいのは『LIVE!TONIGHT!SOLD OUT!!』である。とはいえ僕は、94年にヴィデオが発売されて以来、本編に関しては飽きるほど観ているタイプなので、このたびエクストラとして追加された5曲分のライヴ映像に、俄然注目してしまうのであった。さて、それらなのだが、帯には92年にオランダはアムステルダム、ザ・パラディソのものとあるけれども、大鷹俊一のライナー(鈴木喜之じゃなくてよかったね)によれば、91年11月25日に行われたものだということになっている(96年のライヴ盤『FROM THE MUDDY BANKS OF WISHKAH』と一部重複)。これについては、本編にも収められている同公演の映像と見比べてみるかぎり、なにせ服装が一緒だし、カメラ・ワークなどから判断しても、おそらく大鷹の書いていることのほうが正確だと思われる。いや、しかし、薄手のカーディガンにTシャツ、破れたジーンズという、いわゆるグランジ・ファッション然とした恰好で、左利きにギターを構え、長い髪に顔が隠れたカート・コバーンは、やはり、えらくかっこういい。バンドの演奏もシリアスかつソリッドで、時期的な問題だろう、疲弊をいっさい感じさせないから、シンプルに、燃える。多くの場合、暗い精神の面で捉まえられがちなアーティストであるが、こういう肉感的にホットなところも、最高潮に好きだ。

・ニルヴァーナ関連の文章
 『SLIVER〜THE BEST OF BOX』について→こちら
 DVD『クラシック・アルバムズ:ネヴァーマインド』について→こちら
 ボックス・セット『With the Lights Out』について→こちら
 DVD『NIRVANA A ROCK PORTRAIT DOCUMENT』について→こちら
 DVD『HIPE!』について→こちら

 それと「はてなダイアリー」にもニルヴァーナについての文章置いてます→こちら
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2006年11月21日
 Saturday Night Wrist

 03年の、バンド名が冠された前作『DEFTONES』は、アーティストのスケールをそのままにほとんどの楽曲が長篇的に構成された内容だったとかいえば、まあ褒め言葉になるのだろうけれど、正直なところ、のんべんだらりとした作風は引っかかりに欠け、00年のサード・アルバム『WHITE PONY』をピークに、もはや下り坂に入ったのかもしれないね、との疑問を感じさせてくれたが、およそ3年ぶりとなる新作『SATURDAY NIGHT WRIST』を聴いて、いやこれにはもう、最高潮に興趣をそそられ、DEFTONESというグループが、未だ一線級のレベルに位置していることを、その荘重な響きのうちに知らしめている。ディスコグラフィに並べてみれば、まさしく上位に相応しい出来映えだろう。とにかく1曲目の「HOLE IN THE EARTH」からして、気が漲っている。どちらかというとスローなグルーヴのナンバーではあるのだけれども、チノ・モレノが気だるくうたうメロディ、ステフ・カーペンターの感受性豊かにエフェクトを被せたギター、エイブ・カニンガムによるドラムの簡素でありながらも印象的なリズムの跳ね、むろん濃密な空間が意識させられるのはチ・チェンとフランク・デルガドのサポートがあってのことに違いなく、それらがアクセントを設けるふうにカタルシスしてみせる様子は、逞しく、うつくしく、こちら聴き手の心をはやらせるほどだ。続く2曲目の「RAPTURE」におけるダイナミックな奔流を浴びれば、ひとたまりもなく扇情的な気分になるし、それ以降の楽曲も、感受性の豊かさが、素直に、精彩のある音へと結びついており、はげしめの情緒と抒情に、自然と体が揺れるわけだが、なかでも8曲目「RATS!RATS!RATS!」その後半部の、オールドスクールなヘヴィ・ロック然とした展開には、初期のころの衝動が再装填されているかのようで、思わず、眼を剥く。また全体の雰囲気も、けっして孤高だとか深遠だとかいうのではなく、きわめて俗っぽい、そういう意味ではボブ・エズリンのプロデュースは合っていたんじゃないかな、と頷けるところも、堪能に値する魅力であると断言したい。

 『B-SIDES & RARITIES』について→こちら

 06年8月10日の公演について→こちら

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2006年11月16日
 Print Is Dead

 以前より個人的な大ジャストだと述べさせていただいている、英ニューキャッスル出身の5人組YOURCODENAMEIS:MILOの新作『PRINT IS DEAD VOL.1』は、純粋なセカンド・アルバムというのではなく、HOT CLUB DE PARISやBLOCPARTY、THE FUTUREHEADS、MAXMO PARK等々のメンバーとのコラボレイトによる楽曲を集めた、企画盤の色合いが濃い、特殊な内容で、僕がこのバンドにとくに期待しているマッシヴなギターの歪みはというと、THE AUTOMATICのスタイルにちょうどデビューEP『ALL ROADS TO FAULT』の調子をミックスした体の3曲目「THE TRAPEZE ARTIST」に顕著なほかは、ファースト・アルバム『IGNOTE』の路線に沿った6曲目の「WE HOPE YOU ARE WHAT YOU THINK YOU ARE」で強く鳴り響き、あとはREUBENと組んだハイパーかつアグレッシヴな8曲目「CAPTAIN OF LINES」ぐらいでしか、はっきりと耳にすることはできないのだけれども、いやいや、それ以外のナンバーも、フォークふうのゆったりしたものから、ダブ・ベースのインストゥルメンタルを生かしたもの、そこからさらにほとんどヒップホップしているものまで、幅広く、多面的でありながら、メロディの端々に偲ばせた抒情やドラムの硬くクールなリズムに、このバンド固有のヴァイブをうかがわせ、つまり形式に淫していない、反しているにもかかわらず、サウンドの内部では秩序のちゃんと働いているあたり、やはり並みのポテンシャルではないことが、しっかり現れている。だからこそなお、オフィシャル・サイトや向こうの雑誌の付録CDなんかでは一年ほど前からすでにオリジナルの、はっと息を呑むような新曲が披露されているだけに、次のアルバムをはやくはやく、という気持が余計に逸らされたりもするのだった、が。

 『IGNOTE』について→こちら
 『RAPT.DEPT.』EPについて→こちら
 『ALL ROADS TO FAULT』EPについて→こちら

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2006年11月09日
 はっちゃけた馬鹿。跳ねるようなリズムはやけに軽妙だが、しかし前のめりで攻める勢いのなかで、たんにギャアギャア騒がしいばかりではなく、そこにポップなセンスを一掴み加えることにより、独特のアヴァンギャルドさ加減をつくり出していたのが、そもそもTHE BLOOD BROTHERSというバンドなのだけれども、この『YOUNG MACHETES』では、さらにキャッチーなコーラスの度合いをあげる一方で、さらにシアトリカルな抒情を増やす一方で、相も変わらずエキセントリックなノリをキープすることで、親しみやすく、なぜか捉えどころのない、そういう固有の領域をきっちりと拡げてきた。だいいち、3曲目の「LASER LIFE」なんか、ヒステリックなヴォーカルと、中盤のけたたましい変調をのぞけば、ごく普通に、こころ弾むピアノ・ロックであろう。いや、そんなことはないか。あるいは、その、良心的にピアノ・ロックしている以外の部分をこそ、重要なフックとして受けとるべきなのかもしれない。いずれにせよ、方向性を持たないことがある種の確信となっているかのような、アクロバティックな内容であるのは間違いないし、04年の前作『CRIMES』よりも、一般向けに開けて聴こえるぶんだけ、下卑た印象はなお強まった。

 『CRIMES』について→こちら

・サイド・プロジェクト
 HEAD WOUND CITY
 『HEAD WOUND CITY』について→こちら

 NEON BLONDE
 『CHANDELIERS IN SAVANNAH』について→こちら
 『HEADLINES』EPについて→こちら

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2006年11月08日
 No Heroes

 否応なく切羽詰まっている気分で、へらへらしている奴らを目にすると、ものすっごく苛々する、それというのは、もちろん、こちらの心理の勝手な事情に過ぎないのだけれども、だが嘘や偽りをいっさい含まない、こうした純度の高いフラストレイトを、爆発させたならば、さぞかし愉快だろうな。その一点、その一点こそを、直に、痛覚に似た激しさで訴えかけてくるような、だからこそ素晴らしく感じ入る表現というのが、この世にはある。あるいは、そうした表現を形容するさいに、エクストリームといった語が用いられるとすれば、CONVERGEの音というのは、まさにそれに相応したものだといえる。前作『YOU FAIL ME』(04年)とも、前々作『JANE DOE』(01年)とも、またそれ以前の作品とも、完全に異なった質感だが、しかしCONVERGE以外の何ものでもないサウンドを出してきたな、というのが、この『NO HEROES』を聴いての印象である。と書けば、あたかもCONVERGEというブランドを前提にしてしまっているかのようだけれど、いや、そうではない、そうではなくて、同時代の、同系統の、あらゆるアーティストをチェックしてみたとき、比較すべきは、当人たちの過去のキャリアしか見つからないあたりに、このバンドの個性が表れている。あえていえば、ちょうど10年前に全盛期のPANTERAが、『FAR BEYOND DRIVEN (悩殺)』から『THE GREAT SOUTHERN TRENDKILL(鎌首)』へと力押しで突き抜けた、ああいう他を寄せつけない、圧倒的な臨界を孕んでいるのだ。さて。『YOU FAIL ME』の時点で、初期の頃から有効活用されてきた、するどくメタリックな響きと複合構造的な演奏の比重はちいさくなっていたが、ここに至っては、カティック・ハードコアというよりは、純粋にハードコア、ハードコアというよりは、むしろパンクとでもいうべき、非常に生々しい録音と、直線的な運動でもって楽曲の骨格は支えられている。にもかかわらず、神は細部に宿るといわんばかりの、超過密な技巧上のドライヴでもって、それを可能にし、さらに今日的な轟音の極北にまで持っていっているのだから、うならされる。高速度の領域に瞬間の芸を積み重ねる序盤で、がしがしと聴き手の意識を攪拌し、その揺さぶられた衝撃から立ち直る間を与えず、7曲目「PALGUES」と8曲目「GRIM HEART / BLACK ROSE」の、ブラックかつサバティカルないしブルーでオイスターなカルトふうに、ヘヴィでスローなギターのリフをずらしつつ反復しながら作り上げられた、情念の渦巻く世界に引きずり込み、そこからいっきに解放感の愉楽を導くかのような、もはやキャッチーともとれるアップ・テンポのナンバーが連続した末、気がつけばラストに達していたという、アルバム全体の構成も決まっている。そうそう、それで、その残響も消え去れば、ひどく胸のすくアトラクションを調子に乗って何度も体験したあとみたいに、ぐう、と具合が悪くなった。相当、恍惚にあてられたんだろうね。

 『YOU FAIL ME』について→こちら

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2006年10月22日
 World Waits

 この『WORLD WAITS』は、かつてSUNNY DAY REAL ESTATEの中心人物であったJEREMY ENIGKの、96年に出た『RETURN OF THE FROG QUEEN』から、まさしく10年ぶりとなるソロ作であり、セピアないしモノトーンに染められた風景のなかに落ちた一点の鮮やかな青色を想起させるような、澄んで淡い歌声に、未だ濁りが加わっていないことを知らせてくれる。一方で『RETURN OF THE FROG QUEEN』には、アコースティックを主体とした、どちらかというと、パーソナルで内省的な感触が強くあったけれども、ここでは、厳かといおうか、清らかといおうか、アーティストの宗教的な傾向が反映されているのかもしれないが、チェロやヴァイオリン、アコーディオンなどの様々な意匠を用いながら、ある種の神聖さすらうかがえそうな、そういう明るみが演出されている。もちろんメロディの美しさに関しては、折り紙つきといってしまってもいいし、楽曲もほどよくポップで、ヴァリエーションも柔軟に練られていると感じられる。すくなくともアーティスト側のマスターベーションで完結してはいない。開かれている。十分に納得できる。とはいえ、やはりSUNNY DAY REAL ESTATEや(まだ動いているのだろうか)FIRE THEFTのようなバンド・サウンドでグルーヴのあるものを聴きたいな、というのが僕個人の本音である。

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 A Static Lullaby

 例のソニー製ウィルス的なコピー・コントロールド仕様CDであったことが、原因のひとつにあるのかどうかは知らないが、05年のセカンド・アルバム『FASO LATIDO』で、大手コロンビア・レーベルからメジャー・デビューを果たしたにもかかわらず、早々とマイナーなFEARLESSレーベルへと移籍、発表されたA STATIC LULLABYのサード・アルバム『A STATIC LULLABY』である。アルバム・タイトルにバンド名が冠されているのは、原点に立ち戻る、というような意味合いが含まれているのだろう、03年のファースト・アルバム『...AND DON'T FORGET TO BREATHE』を手がけたSTEVE EVETTSをふたたびプロデューサに迎え、つくられ、放たれた音の感触は、初期のモチベーションを回復したかのように、けっこうアグレッシヴだ。力強いエネルギーが漲っている。とはいえ、メタリックでメロディアスなギター、ポップなコーラス、ぎゃあぎゃあ叫ぶヴォーカル、それらのコンビネーションでもって組み立てられた楽曲、サウンドのスタイルそのものが、すでに完成され、定型化され、マンネリとなり、行き詰まってしまったところもあるので、おおきな発展や飛躍がなく、同系ジャンルのなかにあっては、けっしてワン・オブ・ゼムの域を逸していないのも確か。ポテンシャルの高さは買うのだけれど、とくに突出したリフや展開がないのは、いささか興を殺ぐのであった。

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2006年10月15日
 Always Open Mouth

 米コロラド州デンバー出身のカオティック・ハードコア・アクト、FEAR BEFORE THE MARCH OF FLAMESのサード・アルバムとなるのが、この『THE ALWAYS OPEN MOUTH』である、と、つい不用意にカオティック・ハードコアという前置きをしてしまったが、じっさいに彼らのファースト作『ODD HOW PEOPLE SHAKE』やセカンド作『ART DAMAGE』(04年)で聴くことのできるサウンドは、そういう形容の似合うもので、他のバンドを引き合いに出していうと、CONVERGEとBLOOD BROTHERSをミックスして、メタリックかつ叙情的な響きを倍加させた、といった具合にもとれる。ケースに貼られているステッカーには、今年NORMA JEANやBETWEEN THE BURIED AND MEと一緒にツアーを回っている、らしいことがアナウンスされている。まあ要するに、そうしたバンド群のお仲間であるような、喧しさを演出する諸マテリアルがごった煮ふうに忙しなく繰り広げられていたわけだけれども、ここでは、その趣きに変化が与えられており、静的なフィーリングが増したというか、おそらくは『KID A』以降のRADIOHEADなどがインスピレーションとなっているのだろう、小刻みに反復されるリズムを主軸に各楽曲が組み立てられ、とくに8曲目の「DOG SIZED BIRD」以降で、その傾向は如実になり出し、アルバム前半におけるアグレッシヴな基調の線から、外れていく。そのあたりの展開に対する評価は、聴き手の好みで分かれるのではないか、と思うのは、ある種アンビエントなムードは、単調で怠い、と受けとられる面をも併せ持つからだ。が、もちろん、アーティスト・サイドの狙いに違いない陶酔感は、しっかりと確認できるし、類型的な同系統他バンドのなかにあっては、異質な印象さえもたらしているのだった。最後にどうでもいいといえばどうでもいい話ですが、歌詞の載ったブックレットはCDのトレイとケースのあいだに隠されて(?)いることを書き加えておきます。

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2006年10月14日
 グレイテスト・ヒッツ

 ベスト・アルバムというものは、選曲者が誰であろうと、あるアーティストにとっての、文字通りベストとなる楽曲が選ばれ、収められているにしか過ぎないのであり、それについて言及するということは、つまり、そのアーティストが持ちうる最大限の魅力に触れることとイコールで結ばれるのだとしたら、このTHE HELLACOPTERS(ザ・ヘラコプターズ)初となるベスト・アルバム『AIR RAID SERENADES(グレイテスト・ヒッツ〜エアー・レイド・セレナーデ)』に関していえることは、とてもとても明瞭だ。ギターとベースとドラム、ヴォーカル、それとキーボードの、ごくシンプルな構成で成り立たせられた、きわめてかっこうよいロックン・ロールが、とにかくもうひたすら満載されている、と、それさえいっておけばいい。90年代半ばにスウェーデンから登場し、彼の地における新生代のガレージ・ロック・シーンを切り拓き、また世界各国のアーティストをも魅了した云々という外部の情報は、ただそうした事実に付随するのみである。楽曲は、ほぼ発表年順に並べられており、初期の頃の、猪突猛進な荒々しさは、全24曲のうちで、たしかに際立ってはいるが、しかし、こうして通して聴いてみると、10年というキャリアにぶれのないことがわかる。むしろ単純に、録音のさい低音部のつくられ方が変わってきた程度ではないか、ぐらいに思う。13曲目「HOPELESS CASE OF A KID IN DENAIAL」(00年)あたりから、音色は、ぐんと黄昏れてくる。けれども、ラストの「ON THE LINE」(04年)、あるいはそれは日本盤のみのボーナス・トラックなので22曲目の「BRING IT ON HOME」(05年)からループして、冒頭の「(GOTTA GET SOME ACTION)NOW!」(96年)がはじまっても、違和感なく、繋がる。本質のレベルにおいて、方向性はきっちりと定まったまま、けっして行く先が見失われていないことの証拠である。かっこうよさだけの目指されたロックン・ロールを、ずうっとやり続けているのだ。過去のインタビューでバンドの中心人物であるニッケ・アンダーソンが、THE HELLACOPTERSはあくまでもライヴ・バンドなので、ツアーをするためにアルバムを発表している、と言っていたのを信じるなら、スタジオ音源の段階で、ここまで燃えるものが出来上がっているのだから、それが実演されるライヴの場にあっては、アーティストの側も、もちろん観客の側も、さらに熱くなるのは、そりゃあ当然だろうよ。

 『ROCK & ROLL IS DEAD』について→こちら
 『STRIKES LIKE LIGHTNING』について→こちら 

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2006年10月02日
 Wall of People

 もしもサウンドがドラマティックであること、それだけのことで作品の優位性が保証されるのであれば、このMONTY ARE Iのファースト・アルバム『WALL OF PEOPLE』は、たしかにすぐれた内容であるに違いないのだけれども、ある種の大仰さは、たとえば二線級のジャーマン・メタルがそうであるように、行き過ぎると薄ら寒く感じられることがあるのに似て、僕にはこれは、ちょっと、小賢しい、胸焼けのしそうな押しつけがましさがうるさく、あまり愉しくない。ギターはメタリックに装飾され、ヴォーカルはメロディアスであることにつとめ、楽曲の進行は義理堅いフォルテシモを繰り返しながら、じょじょに盛り上がってゆく、といった基本線は、おそらく今風のエモ・セオリーに則ったものであり、そのことを特化していった結果こうなったのはわかるし、とにかくコーラス部分で大合唱したい向きには、よほど気持ちのいい、カタルシスが満載されていることだろう。ただ、そうした長所がそのまま、短所となりうる可能性もあるわけで、どういうことかというと、すべての要素が、紋切り型のドラマをつくるためにのみ存在しているから、三文芝居を思わせる、そういうくささしか印象に残らない。それを悪いというのではなくて、それ以外の何もない、というだけの話で、さすがにそればかりでは飽きないか、と単に思うだけである。まあホーン・セクションが組み込まれている点も、ゴテゴテした鬱陶しさを密度の濃さとイコールで結ぶのなら、ひじょうに効果的だとはいえ、個人的にはあまりうれしくない機能だ。

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2006年09月26日
 From the Sky

 ロバート・プラントとジェフ・バックリィのニュアンスを併せ持つヴォーカルが、初期U2を思わせるかのような蒼い叙情を、ジミヘンふうのシックでブルージーな演奏に載せ、うたっている。英ブラッドフォード出身のトリオBLACKBUDのサウンドを、大まかに表せば、そのような感じになるのではないだろうか。といった具合に、言葉にしてしまうと、斬新なところなどひとつもないように思われるが、しかしこれが、おまえさん、じっさいに彼らのファースト・アルバム『FROM THE SKY』を耳にしてごらんなさいよ、意外な成り立ちの妙というのがあって、けっこうビっとくる。全般的には、けっして派手な音ではないし、アップ・テンポな楽曲がないなかになって、またリズム隊の演奏が地味なのだけれども、ゆるやかに、だけど、ところによっては力強く弾かれるギターのフレーズは、かなり印象深く、たとえば6曲目「STEAL AWAY」の中間部におけるソロなどは、ひとしきりカタルシスが鳴ったあとで、ちょっとした多幸感を味わえるぐらい、ブリリアントな響きを湛えている。そうしたギターの旋律に被さってゆく歌声が、いちばん最初に書いたとおりの資質を生かし、メロウかつソウルフルな艶やかさを、しみじみ主張するわけなのである。その様は、ともすれば上品すぎるきらいもあるが、空虚さを斥けるだけの熱気を、十二分に放っている。

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2006年09月25日
 Settle Down City

 だからこういうバンドのことは早く教えなさい。と思うわけだ。JADE TREEからリリースされた、YOUNG WIDOWS(前身はBREATHER RESIST)のファースト・アルバム『SETTLE DOWN CITY』に、めいっぱい搭載されているのは、不作法なほどにゴリゴリとした轟音、たとえばJESUS LIZARDやUNSANEなどをも想起させる、いわゆるジャンク系のサウンドであるのだけれども、これがずばり、かっこうのよい代物なのだった。掻き鳴らされるうるささが、じつに不快だ、いや気持ちいい。いずれにせよ、その手の愛好家には、大音量で流したら堪らないだろう、ジャストな一品となっている。ギターとベース、ドラムのトリオ編成で組まれた演奏は、素朴だとさえいえる。が、しかし、それぞれの粗いノイズを交えた反響が、図太いグルーヴを練り出しており、だらしなくぶっきらぼうに叫ぶヴォーカルが、野郎くささを倍増させる。バンド間のコンビネーションは、細やかなレベルで、あ、うん、と決まっている。にもかかわらず、整合的に聴こえないところが、偉大ですらある。録音のローファイな感触も、うねる、不穏な空気を醸し出すと同時に、力任せに打ちつけられたリズムの、切れ味鋭いアタックを支援し、双方の落差を埋めるのではなく、そのあいだに生々しさを残すことで、濁りとともに迫力を満たす効果を十分にあげている。ダンダンズズドドンとした響きは、震えるほどに、ダイナミックであり、アグレッシヴであり、フラストレイトした心情を晴らすのに、申し分ない。癖になる。すばらしく贅沢な掃きだめである。だからこういうバンドのことは早く教えなさい。

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2006年09月22日
 The Bronx

 ハイ・エナジーで猪突猛進型であること、ある意味で融通の利かない幅の狭さ、そのことが翻り、最大のアピール・ポイントとなっていたのが、LA出身の4人組THE BRONXの、03年のデビュー・アルバム『THE BRONX』だったわけだけれども、そういったイメージに頼って、このセカンド作『THE BRONX II』をいざ再生してみると、いやいや、けっこう驚く。とはいえ、倒れるときは前のめり式なロックン・ロールの、その大筋に変更があるのではない。たしかに6曲目の「DIRTY LEAVES」のようなメロウな調子のナンバーもあり、けっしてアップ・テンポのみに終始しないことで、楽曲のヴァリエーションは拡がった。しかし総体は、もしかすると前作以上に、アグレッシヴな、まるで銃弾に似た勢いをまっとうしている。要は、聴かせ方が、一音一音の響かせ方が、カタルシスの置き所が、変わったのだ。プロデューサーのマイケル・ベインホーンか、それともミックスの人の手腕なのかはわからないが、とにかく低音部の、うねり、リズムの粘りが特徴的になった。そのためにインパクトは、過ぎ去る一瞬の騒音ではなくて、轟音の強い震度となり、耳に残る。そうそう、あれはあれで良かったけれども、これはこれで良かったという具合に、『THE BRONX』を雷に喩えてみるならば、『THE BRONX II』は、まるで地震みたいな作品だ、といえる。まあ結局のところ、どちらも度を越せば、被害甚大な、災い以外の何ものでもない。

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2006年09月18日
  ア・トゥイスト・イン・ザ・ミス(初回限定盤)

 相変わらずの仰々しいジャーマン・メタルを、ぶおおお、と轟かせるBLIND GUARDIAN(ブラインド・ガーディアン)のニュー・アルバム『A TWIST IN THE MYTH(ア・トゥイスト・イン・ザ・ミス』なのだけれども、とりたてて特筆すべきところのなかった4曲目の「FLY」が先行シングルであったのと同程度に、いささか盛り上がりに乏しいような気がしてしまうのは、重厚な音響の効果はこれまでのうちで最大のものを感じさせながらも、ヴォーカルのラインやギターのリフなどに、いささか精彩を欠くからであろう。ハイ・スピード、ハイ・パワー、ハイ・トーンな演奏によってドラマの描かれた、1曲目「THIS WILL NEVER END」からそれは顕著で、一瞬、いやもうこれが最高潮に胸を焦がす迫力に満ち満ちてはいるのだが、カタルシスそのものは、細部の緻密さに反し、繰り返しを要求してこないほどに単調である。そうしたことの理由は、「FLY」と、その変奏であるボーナス・トラックの「DEAD SOUND OF MISELY」とを聴き比べてみたときに、わかりやすい。コーラスやフレーズに劇的な変化が加えられたところで、フックが増すことも後退することもない、つまり楽曲の構造自体が、ひどく大味なのだ。とはいえ、20年に近い月日のなかで培われたキャリアは、凡百の若手バンド群を容易に一蹴する、さすがの完成度を作品に導いている。ディスコグラフィにおける重要度では、92年の『SOMEWHERE FAR BEYOND』や95年の『IMAGINATIONS FROM THE OTHER SIDE』には及ばないけれども、上位に位置づけることは可能なぐらいの手応えはある。

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2006年09月15日
 A Fragile Constitutional

 このバンド、米ペンシルヴァニア出身SIGNAL HOMEのサウンドから受けとるイメージは、わりと硬派な感じで、ありふれた疾走系のエモ・スタイルでありながら、タフであることや、それからホットであることの何よりもまず立った、タイトル・ナンバーの1曲目「A FRAGILE CONSTITUTIONAL」から、けっこう耳を引かれる。その後に並ぶナンバーも、ナイーヴな叙情が入り込むのを極力除けた、そういう力強い演奏を軸に、ぐいぐいと押すタイプのものが揃っており、少々濁った声質のヴォーカルが、男臭く、勢いや迫力に対してプラスの効果を上げているのも、なかなかに魅力的である。8曲目の「A VOICE TO CALL YOUR OWN」やラスト12曲目の「SING ME SINCERITY」など、バラード調のゆったりとした楽曲もあるが、甘い共感ではなくて、渋い哀愁の、苦く響き渡るところが、また、かっこうよく填っている。

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 The Rise and Fall of Butch Walker and the Let's-Go-Out-Tonites

 ブッチ・ウォーカーの、MARVELOUS 3以降のキャリアとしては3作目となり、BUTCH WALKER AND THE LET’S-GO-OUT-TONITES名義としては初のアルバムとなる『THE RISE AND FALL OF』は、相変わらずポップなセンスの見事に発露された内容であるけれども、僕の好みからいうと、音のつくりが、いささかゴージャスすぎる。T REXやデヴィッド・ボウイあたりのグラム・ロックが意識されていることは、リフや歌い回しに顕著で、その結果、こういうふうになったというのはわかるのだが、しかし、それがアーティスト自身のアメリカンな資質とあまりマッチしていない印象である。たとえば湯浅学が『嗚呼、名盤』のなかで、T REXに関し〈後からT・レックス化を意識した人(あるいは作品)がT・レックスのような“まろやかで爽快なへんてこさ”に至れない〉のは、〈“内側から自然に出てきた”不自然さ〉、つまり無意識の過剰さが、それを意識されることにより欠けてしまうからだ、というようなことをいっているが、そのとおりになってしまっている作品だともいえる。ハード・ロック力は、かちっと決まり、高まっているのだけれども、コーラスへ達するまでの、融通の利かなさそうなプロダクションが、すこし、野暮い。逆に、そのへんを買う向きもあるのだろうが、しかし雰囲気を先行させたためか、前作『LETTERS』の充実具合に比べると、1曲1曲におけるフックとインパクトが弱くなってしまった。

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2006年09月12日
 CHANNELS.jpg

 大雑把な印象をもって述べれば、エモというジャンルに定型化される以前のポスト・ハードコアにより目指されていたのは、ある種の拡散性、つまり決まったイディオムにエモーションをはめ込むのではなくて、エモーションの側から適切なイディオムを音楽的に開発することであり、そこから、その発想または姿勢の共通した部分を指し、ポスト・ハードコアにエモコアやエモといった別名が与えられていったのではないか、と、そんなことを考えたのは、このCHANNELSのファースト・フル・アルバム『WAITING FOR THE NEXT END OF THE WORLD』を聴いたからで、そうそう、90年代の末にあった、エモといったジャンルにこれといった定義はない、という常套句は、こういうサウンドをこそ指していわれていたのだったな、と思い出したからだった。いや、いいぜ、これ。中心人物で、ギターとヴォーカルのJ.ロビンズは、ご存知のように、エモのシーンにおける重要プロデューサーであると同時に、JAWBOXやBURNING AIRLINESなどのバンドで独特な情緒と叙情をつくりあげてきた人物でもあった。その彼による新しいユニットにあたるのがCHANNELSで、04年にデビューEP『OPEN』からすでに披露されていた、独創性の高いサウンドが、ここで、ひとつの完成した姿となり、現れている。独創的といっても、前衛への難解な傾きにより聴き手のスノッブな心性を煽る、というのではなくて、むしろ展開はわかりやすく、楽曲の響きに取っつきにくさはない。たしかにリズムは、ずっしりと重たいにもかかわらず、緻密に変則的で、それに曲線的なギターのフレーズが絡めば、一筋縄でいかないレベルに達している。一方で、うたわれるコーラスの、とくに女性メンバーが声を被せる箇所などは、驚くほどにキャッチーだ。あえていうと、プログレッシヴ・ロックとパワー・ポップの融合といった感じで、凝った演奏と立ったメロディの効果的な接続が、つよいアピールを発しており、エモ・リスナーはもちろん、いわゆるマス・ロックの支持層ばかりか、(EXTREME後の)ヌーノ・ベッテンコートや、RUSHあたりのファンにも届きそうな、そういう幅広な訴求力を兼ね揃えている。そういえば、初期のJAWBOXでも、またBURNING AIRLINESでも、3ピースという形態がとられていたけれど、CHANNELSの場合も、同様にトリオ編成のバンドである。

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2006年09月08日
 『新潮』10月号掲載。しまった。先月号に載った分が、「ディスコ探偵水曜日」の第三部「解決と「○ん○ん」」のぜんぶではなかったのか。やはりリアルタイムで追うかたちだと先走ることがあるなあ。と思えば、たとえ時評であっても、連載が終了するまでは作品に触れなかった江藤淳の正しさを感じるけれども、小説総体への評価は完結したさいに、あらためて読み直し、述べるとして、とりあえず、これまでどおり掲載時に受けた印象のみを書き連ねていきます。さて。舞城王太郎「解決と「○ん○ん」」の〈第二回〉、2パート目から5パート目までである。数多くの名探偵が一同に介しながらも、未だ真相に辿り着くことのできないパインハウスの惨劇に、中途半端な立ち位置でコミットし続けるディスコは、新しく発見された事実に対し〈待て待て。また俺は新しく文脈を読み込もうとしているが、それは読むべき文脈か?そもそもそこに文脈はあるのか?この世にランダムに起っている出来事を俺はまたこじつけようとしてないか?〉〈余計な文脈を読むな、と俺は自分の心に刻印しなくてはならない〉と思う。この〈余計な文脈を読むな〉といった言葉は、作品の外部にいる読み手に対しても、まるでひとつの教唆となっている。たとえば、今回の分に限っただけでも、スター・システムよろしく同作者の『阿修羅ガール』で占い師役をやった桜月淡雪が登場し、占い師が探偵役であった島田荘司『占星術師殺人事件』への言及があれば、別の文脈、それこそ作品のうちにメタ・レベルを想起させる回路を、思わず読み込んでしまいそうになるわけだが、しかし、そういった行為の正当性を疑う言葉としても〈余計な文脈を読むな〉という指示は機能しているように感じられる。とはいえ、それをどこまで信用していいか、は、またべつの話で、なぜならば、その、ミスリードへの誘いと拒絶の反復運動自体が、ディスコによる《梢》の奪還を、複雑な構造の物語におけるシンプルな本筋へと、キープし続けているからである。また、今回気づかされたのは、この「ディスコ探偵水曜日」にあっては、ほとんどの登場人物が、ひとつの肉体に、ふたつ以上の名前ないし精神を持たされていることだ。要するに、彼らは、あらかじめ複数の文脈を生きるものとして、小説のなかに生きている。そこからはもしかすると、いわゆるキャラクターの問題を取り出すことが可能であるかもしれない。『探偵小説と記号的人物(キャラ/キャラクター)――ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?』のなかで、笠井潔は、キャラクターの問題について〈近代的な「性格、人格」としてのキャラクターの急速な空洞化と、「文字、記号」としてのキャラクターの奇妙な復活現象について思考する際、トラウマ、解離、多重人格などの主題は有力な補助線となるに違いない〉と述べている。福嶋亮太は『文学界』10月号の「新人小説合評」で、「ディスコ探偵水曜日」に関して、〈この小説はいわば「死語」たちが繰り広げる実験的祝祭なのだ。とすれば、舞城はそんな「不安定な死語による計算モデル」の発明を試みているのではないか?〉といっているが、いやそうではなくて、僕は、ここで繰り広げられているのは、キャラクターという複数回生きられる(または不死の)命を、あえて残酷に殺すことで、ただ一回性の生のみを登場人物に付与しようとする、そういう復活の劇なのではないか、と推測しておきたい。

・「ディスコ探偵水曜日」
 「第三部 解決と「○ん○ん」〈第一回〉」について→こちら
 「第二部 ザ・パインハウス・デッド」について→こちら
 「第一部 梢」について→こちら

・その他舞城王太郎に関する文章
 「喜びは鳥になる。」について→こちら
 「SPEEDBOY!」について→こちら
 『みんな元気。』について→こちら
 「A DRAGON 少女(ドラゴンガール)」について→こちら
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2006年09月05日
 BLANK.jpg

 どこかで耳にしたことのあるようなコーラスやメロディが頻出しても、それが気にならず、むしろ多ければ多いほど、心地良くなっていくことがあり、それを親しみやすさというのであれば、THE BLANK STARESというトリオが、このアルバム『ALL BLOWN UP』のなかでやっているのは、そういう、じつに親しみやすいパワー・ポップ以外の何ものでもなくて、全11曲で使用される60年代ロックふうの甘いビートとハーモニーは、ともすれば既存曲のコピーにさえ聴こえもするけれど、その参照項があからさまなソング・ライティングが嫌味になっていない。むしろ、当人たちが望むとおりに楽器を鳴らしてゆく過程で、不協和音を除いていったら、こうしたかたちになった、とでもいうような、言い切りのすがすがしさに満ちているのであった。サウンドにやましさや屈折したところがないので、歌い回し、リズム、リフの快感は素直に作用する。最近のアーティストでいえば、NEONあたりに近しい、つまりはREDD KROSSのフォロワーともとれる音だ。が、このバンドのばあい、芸の多様性と整合性よりも、感覚の先行した大雑把さがつよく、演奏の線はわりと細く、軽いが、しかし元気いっぱいに弾け、明るく、そういった点も含めて、けっこう魅力的に思える。
 
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 The Bell and the Hammer

 お前は今、泣いていい。といわれれば、そうだ、ニューヨーク出身THIS DAY & AGEのセカンド作『THE BELL AND THE HAMMER』から溢れ出る情緒と叙情、それらの織り成すドラマには、まるで感涙の岸辺を歩かされているような気分にさせられる。いやいや本作と同様に、エモ・フィクサーのエド・ローズをプロデューサーに迎え制作された04年のデビュー・アルバム『ALWAYS LEAVE THE GROUND』も、透き通るほどに繊細なメロディを軸に、ナイーヴに凪いだ情景をポップに描く、そういうナイスな内容であったけれども、これはそれを遙かに上回る黄昏のシーンのスケッチ、筆遣いはより緻密に、心の動きに沿いながら、ゆたかに、それこそ溺れるぐらいにゆたかな濃淡を生み出してゆく。軽やかなキャッチーさは、いささか後退したとはいえ、バンド演奏の躍動はそのままに、キーボードの専任プレイヤーが正式に含まれた(5人組になった)ことで、スケールの大きな展開が組まれており、前作の大半が3分台のナンバーで占められていたのに対し、ここでは4分から5分のものがほとんどとなっている。そうした変化に、怠さを覚える向きはあるかもしれないが、コーラス・パートに達した途端もたらされるカタルシスの度合いは、あきらかに増している。まさにタイトル・トラックである3曲目「THE BELL AND THE HAMMER」こそが、そのことを如実に表すハイライトで、国籍やジャンルを限定せずにいえば、TRAVIS「WRITING TO REACH YOU」やCOLDPLY「YELLOW」級のメロウな波濤をつくり、うたわれるフレーズが真っ直ぐと伸びていくのを追いかけているうちに、あ、泣いた。

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2006年09月01日
 Zombies! Aliens! Vampires! Dinosaurs!

 突き抜けたというか、拘泥したというか、ニューウェーヴふうのキーボードを搭載したポップ・エモというスタイルも、さほど目新しくもなくなってきた昨今であるけれども、ここまで徹底されたら、ひとまずは、ぎょっ、となるよ。04年のバンド名を冠したデビューEPに提示されていたサウンドのヴァリエーションを、さらに拡げたHELLOGOODBYEのファースト・フル・アルバム『ZONBIES!ALIENS!VAMPIRES!DINOSAURS!』である。これが、冒頭の「ALL OF YOUR LOVE」と続く「HERE(IN YOUR ARMS)」からして、DAFT PUNKっぽい、ヴォコーダーとシンセサイザーを駆使したエモ・ボーイのためのエレ・ポップといった体で、日本人ならば、くるりの「ワンダーフォーゲル」というよりはヤングパンチの「LOVE IS IN THE AIR」あたりのラインを思うかもしれない二番煎じ的なつくりだが、そうした電子音は、クラブ・カルチャーやエレクトロ云々といった文脈への接近という感じではなくて、ラストのWEEZERふうのパワー・バラード「TWO WEEKS IN HAWAII」で明らかになるように、あくまでもメロディアスなコーラスの補強線なのであり、その大味なところが、キッチュでファニーで、まあ単純に、気分は上がるし、楽しくはある。

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2006年08月23日
 アイ・バーント・ダウン・ザ・ファミリー・ビジネス

 メロディやフレーズのつくりは明らかにIDLEWILDの影響下にありながら、演奏のうねりやダイナミズムは初期のASHあたりを想起させる、まあASHをイギリスのバンドと括ってしまうのはいささか大雑把すぎるけれど、つまりは、そういう90年代UKギター・ロックの、衝動性にまつわる部分をきれいに受け継いだかっこうのサウンドを、ロンドンの北東エセックス州コルチェスター出身の5人組ABSENT KID(アブセント・キッド)はやっている。おおよその場合、若さというのはナイーヴであることや性急であることと同義だといえる、が、これまでのシングルをワン・パッケージにした、この日本独自編集盤『I BURNT DOWN THE FAMILY BUSINESS(アイ・バーント・ダウン・ザ・ファミリー・ビジネス)』より聴こえてくるのは、まさにそんな感じの、ソリッドな切っ先に変えられた青い叙情である。1曲目「SHAME ON US ALL」でうたわれているのは、思春期に特権的なジェネレーション・テロリズムに他ならず、コンパクトな楽曲のうちに、その雰囲気をよく掴んでいる。自意識の過剰さが、前傾姿勢の演奏、すなわちフィジカルな躍動へと託され、その合間に挿入される静のパートが、反動的に、シンプルなコーラスへと熾烈な攻撃性を付与するのである。ノイズを引き伸ばすことで9分にも及ぶ7 曲目「SAFETY IN MUNBERS」からは、やや楽曲の構成力に関する弱さがうかがえるけれども、他のナンバーもそうなのだが、印象としては、そうした不安定さも含みつつ、アーティストの、等身大の若さが、歪められることなく音像化されることで、それ自体がつよいチャームとなるような、新鮮な響きを持ちえている。

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2006年08月22日
 Eighteen Visions

 多少大げさに、9・11が過去のものとなりつつある現在、アメリカという国の心性は、湾岸戦争以前に近しいのではないか、といったようなことを言いたくもなるサウンドであるとして、ちょっとこれは、反応に困る。EIGHTEEN VISIONSの通算5作目となる、ついにバンド名の冠せられた『EIGHTEEN VISIONS』で展開されているのは、メタルコアとかニューメタルとかヘヴィ・メタルとかいうよりも、漫然とヘビメタ(侮蔑語)または単純にハード・ロックというのがもっとも相応しい、そういう系の音であった。1曲目の「OUR DARKEST DAYS」における、アリーナ・クラスの合唱を意識したかのようなシンガロングのビッグ・コーラスを聴いた瞬間には、思いっきし吹き出してしまったし、3曲目「TRUTH OF CONSEQUENCE」の「おーおー」という掛け声は、WARRANTやSLAUGHTERなどの、要するにヘア・メタルね、を想起させるし、全編に渡るハーモニーの重ね方やドラムの鳴り方は、まるでDEF LEPPARDみたいだし、6曲目「BROKEN HEARTED」は、楽曲のつくりからして、まんまLEPSである。ギターは、ザクザクとモダンなリフを刻む一方で、わりとテクニカルな一面を見せるが、良くも悪くも、節度をわきまえ、手堅く、ジャーマン・メタルふうのメロディアスな熱唱を聴かせるヴォーカルの支援にあたる。そういえば、90年代有名曲のカヴァー・コンピで、MARILYN MANSONの「BEAUTIFUL PEOPLE」をやっていたけれども、その手の快楽指向が、何よりもダイレクトに表れており、ここまでくると、あとはもうちょいフックとキャッチーさの備わったアンセムや、MR.BIGの「TO BE WITH YOU」やEXTREMEの「MORE THAN WORDS」級のアコースティック・バラードがあれば、完璧だったのに、と思わせる程度には、優等生的なカタルシスが満載されている。逆をいえば、それ以外、それ以上のものはいっこも、ない。まあ、もしかするとDOKKENの「KISS OF DEATH」がじつはエイズ問題をテーマにしていた、っていうのと同じぐらいのリアリティやエモーションはあるのかもしれない、が。

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2006年08月16日
 Apollo

 さあ、言ってやれよ。NEBULAこそが燃える男のロックだって言ってやれ。MASTERS OF REALITYのクリス・ゴスをプロデューサーに迎えた、04年の前作『ATOMIC RITUAL』では、近年のTHE HELLACOPTERSともリンクしうる、ややレトロスペクティヴな色合いの、渋い展開を聴かせたNEBULAであったが、RAMONESとの仕事で知られるダニエル・レイと共同で制作された、この通算5枚目のフル・アルバムとなる『APOLLO』では、ふたたびハードなリフのアップ・テンポな領域へと回帰している。じっさいに3分をオーヴァーするナンバーが、収録曲のうち半分もないあたり、そのへんは楽曲作りの段階から意識されたものであったに違いない。とにかく、ギターとベースとドラム、この3っつが、競りながら、勢いよく、跳ねている。とはいえ、ずんどこずんどこと、直球、力押しで突っ走るというのではなくて、このバンドならではの、柔軟にフレーズをスライドさせ、複雑に絡み合わせてゆく、ジャム演奏のパターンを、さらに先鋭化させた結果そこへ辿り着いた、といったような印象である。それぞれの楽器は、自由奔放な動きであるにもかかわらず、全体はソリッドに引き締まっている。なんといっても、ジャスト3分の絶頂、6曲目の「GHOST RIDE」が最高だろ。ストーナーもガレージもジャンクも、ええい面倒だ、まとめて引き受け、シェイクしてやるぜ、と言わんばかりの技巧的な解決、そしてメインもバックのヴォーカルも、ひとしきり叫んで叫んで叫ぶことによって到達するカタルシス、NEBULAのキャリアにおいても五指に入るかっこうよさ、益荒男ぶりではないだろうか、これは。陽性のポップさに気前よくアクセスした9曲目「CONTROLLED」なども、意外性よりは、そのハイに解放されたエネルギーのほうが勝っている。と、まあ大変に気分が盛り上がらされたところで、そうだ、NEBULAこそが燃える男のロックだったって言ってやれよ。そうしろよ。

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2006年08月11日
 やあ、燃えた燃えた。何の話かといえば、昨日(10日)に恵比寿のリキッドルームで行われたDEFTONES(デフトーンズ)の、単独公演のことである。彼らのライヴを観るのは、98年の初来日のとき以来なので、じつに8年ぶりということになる。その間に、アメリカのラウド・ロック・シーンは目まぐるしく変動したわけだけれども、DEFTONESというバンドに関しては、ヴォーカルであるチノの体格と彼がギターを弾くようになったことをのぞけば、その本質にほとんど揺らぎはないね、と感じられる内容であった。当初は、設立されたばかりのレーベル、マヴェリックが、たとえばRAGE AGAINST THE MACHINEタイプのアーティストとしてデビューさせ、またKORNやLIMP BIZKITなどとのコネクションからみても、ラップ・メタル属性が高く、SOULFLY結成以前のマックス・カヴァレラがセカンドにゲストで参加したことがひとつ、その知名度をあげるきっかけとなったように、90年代後半のニュー・メタル・シーンともコミットしていたDEFTONESであったが、その一方でFAR(ジョナー・マトランガ)との交流があったりと、じつは今日のエモ・ブームへと連なる道の一部でもあった。そういった活動のなかで得られた多種多様なマテリアルを、ステージの上の5人が、たった5人だけで、トスし、パスし、繋ぎ合わせながら、濃厚なカタルシスへと導いていく。いかにも『WHITE PONY』アルバム以降といった感じの、スケールの大きな叙情を練るタイプの新曲も披露された。それも含め、この手の激しさを抑えたナンバーはライヴではどうなんだろう、けっこう怠いんじゃないかな、という思いが、じっさいに体験する前にはあったのだけれども、いや、自然と体の奥底から沸き上がる熱に、うずうず、リズムをとらされてしまった。もちろん、アグレッシヴに展開される初期のナンバーにおいては言わずもがな、である。スローな楽曲ではギターを携え、マイク・スタンドの前でじいっとメロディを追いかけていたチノは一転、軽やかかどうかはギリギリのラインだとしても、柔軟には身をねじり、絶唱し、絶叫する。本来ならば、気が遠くなるほどに艶めかしい「BE QUIET AND DRIVE(FAR AWAY)」のフレーズがあまりぴんとこなかったのもあり、ステフのギターの、音の出方は、あまり良好ではないふうに感じられたが、しかしリズム隊のつくる強靱なグルーヴは、それを補って余りあった。アルバムに近づけた緻密なサウンドをつくるためか、ステフはキーボードを弾くこともあり、また、それでも扱いきれない部分は、ターンテーブルがフォローするので、外部のプレイヤーを招く必要もなく、バンド体制の緊密な空気はすこしも薄れることがないというのは、やはり強みであろう。ステージの上のワン・シーン、ワン・シーンが、圧倒的な存在感へと結びついている。とはいえ、この日の会場の大きさというのもあるのだろうが、けっしてオーディエンスが縁遠さを覚えるような、等身大以上の雰囲気は放たれてはいない。そうして会場全体が一体となる高揚を、親しみをともない育むところに、DEFTONESの本質をみた気がしたのだ。まあプレイされれば盛り上がること必至な「HEAD UP」や「BACK TO SCHOOL」をやらなかったのには、ちょびっと残念な気持ちにさせられたにもかかわらず、いやいや十分に熱く、燃えた、夏の夜の出来事であった。
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2006年08月10日
 Beyond Virtue, Beyond Vice

 米コロラド州デンヴァー出身のポスト・ハードコア・アクトVAUXの場合、もとより叙情的な部分にそのケを感じなくもなかっただけれど、この『BEYOND VIRTUE, BEYOND VICE』にいたっては、もちろんそれを進化ととる向きもあるんだろうが、しかしこれはすこし、いや、さすがにMUSEフォロワーにしか思えないというか、そういうドラマのセンスに侵されすぎだあ。ギターの細かい芸のうえに、ファルセットのヴォーカルが載る4曲目「NEED TO GET BY」などは、あまりにもMUSEしているので、なんの冗談かと思ったよ。アルバム全体を通しても、04年の『PLAGUE MUSIC』EPの頃にはまだ濃くあったAT THE DRIVE-IN調の衝動性は、デイヴ・サーディのややモダンに整頓されたミックスのせいもあってか、それほどのインパクトは残さない。ある意味、見事なまでに時代性とリンクしてしまったがために、このバンドならではという固有性は完全に損なわれてしまった印象である。いや、それにしても右へ倣えじゃないが、ヘヴィ・メタルではなくてハードコアの指向性により、今風のラウド・ロック様式を突き詰めていくと、こういったパターンにしか辿り着かないのであれば、何をもってその良し悪しを決めたらいいのか、戸惑う。おそらく演奏の能力やソング・ライティングのスキル、ライヴでの基礎体力も十分に備わっているのだとして、結局は、どれだけMUSEに似せられるか、ということになってしまうんだろうか。とはいえ、SMASHING PUMPKINSあたりを彷彿とさせる2曲目「ARE YOU WITH ME」なんかは、ちょっと捨てがたく、いっそ繊細な面を強調するのであれば、そちら路線のほうへと傾いていただきたかった。

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2006年08月06日
 Come What(ever) May

 冒頭におけるドコドコという快進撃調のドラムに期待を煽られるが、全体を通した印象は、汎用型のメロディアス・ヘヴィ・ロックにとどまるのは、02年の前作『SOTNE SOUR』とさほど変わらずといったところであるけれども、楽曲の輪郭にソリッドさが加わったおかげで、グレードが一個か二個上がっており、SLIPKNOTのヴォーカルとギターによる別バンドといった説明はもはや不要であろう、というような、まあ常套句だよね的な枕詞のレビューが巷に溢れても不思議はないぐらいの内容になっている。STONE SOURのセカンド・アルバム『COME WHAT(EVER)MAY』である。じっさいに、04年にSLIPKNOTが発表した、あの退屈で凡庸な作品『VOL.3:THE SUBLIMINAL VERSES』と比べても、こちらのほうが圧倒的に、聴き応えにすぐれている。質は高い。とはいえ、こういった系の発祥が、ALICE IN CHAINSなのか後期SOUNDGARDENなのかMETALLICA(の『METALLICA』アルバム)なのか、とりあえずそのあたりのどこかに定めるにしても、さすがに10年から15年以上の月日を持ち越されてきた、もはや保守的なスタイルになるわけで、聴く側としてはさすがに飽きが来ている。その飽きに勝るほどのものとはなっていない点に、不満を述べることはできる。

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2006年08月01日
 When All That's Left Is You

 たしかSR-71だとかEVE 6だとか、あとはLITだとかMARVELOUS 3だとかの、モダンかつクリーンでポップなサウンドを指してソニック・ロックだったか、そういった造語が数年前には、ごく一部で存在していたように思う、いやいや今でも全面的に有効ですよと言われたらごめんなさいなのだけれども、とにかく、そうした系のセンスに憂いたエモのエッセンスを加えたら、こうなるんじゃないかな、といった感じの印象になっている、QUIETDRIVEというバンドのメジャー・デビュー・アルバム『WHEN ALL THAT'S LEFT IS YOU』である。まあそれというのは、じっさいにブッチ・ウォーカー(MARVELOUS 3)が、収録ナンバーのうち2曲でプロデューサーとしてクレジットされているというのもあるのかもしれないが、それにしても毒のない、しごく真っ当で、さわやかだけれども、メロウなトーンもきっちりと押えた快音が、響かせられている。そのことは11曲目でカヴァーされているシンディ・ローパーの「TIME AFTER TIME」の、いかにもロック然とした雰囲気を大切にした出来からも如実である。さて、アップ・テンポからミドル・テンポ、バラードまで、わりと聴かせる、そのなかでもとくにピック・アップすべきは、やはりブッチ・ウォーカーがプロデュースを担当した、3曲目の「TAKE A DRINK」であろう。日本人の僕などには思わず、CHARAの「ミルク」という楽曲が想起させられる箇所もあるが、しかし、スローな歌い出しからじょじょに、気分のあがっていくコーラスへ、フックにフックを重ね合わせたメロディと演奏がつないでいく様子は、ひじょうに心地よくて、好感度が高まった。

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2006年07月25日
 dropdead.jpg

 子供にウケそうな複数の料理をワンプレートに載せれば、お子様ランチという商品が出来上がるわけで、ならば今どきの若者たちに需要が高そうなスクリーモとメタルコアのミックスなどというのも、大味な、お子様ランチ程度の商品でしかないだろうという以前に、スクリーモ自体がエモにスクリームが混じったものなんだったっけとか、たしかヘヴィ・メタルとハードコアのモダンなミックスをメタルコアというんだったかしらなどと考えれば、その味わいを想像しただけでも、なんだかえらく大雑把で、辟易させられなくもないのだが、しかし要は、その作り手のセンス次第なんだよな、と、このDROP DEAD, GORGEOUSのアルバム『IN VOGUE』を聴きながら思うのであった。サウンドの系は、先述したようにスクリーモとメタルコアのアイノコといった部類で、新規のワンダーやサプライズはそれほどないし、したがってとくに個性的というのでもない。しかし、わりとエキサイティングに聴ける、のである。ピアノまたキーボードがドラマチックに響く、ギターがいななき、バスドラがドコドコいう、濁声のスクリーム、それからメロディアスなコーラス、この手のものにとってはお馴染みの構成が続く。激しい展開と叙情で聴かせるというのは、たしかに今様のセオリーではあるけれども、そういったパターンに退屈させられないのは、簡単にいえば、紋切り型の「型」に陥りそうな危険を、つけられたアクセントの効きによって凌いでいるからである。手持ちのカードはすべて凡庸であるが、その一枚一枚は切り方ひとつで、巧妙なフックへと変換されており、それらが2、3分程度の楽曲に万遍なく配せられているおかげで、抜き差しならない緊張のなかに、刺激的な風味すら生じている。

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2006年07月22日
 The Silver Lining

 98年の『CANDY FROM A STRANGER』からじつにひさしい、SOUL ASYLUM(ソウル・アサイラム)のニュー・アルバム(通算9作目)『THE SILVER LINING(ザ・シルバー・ライイング)』は、昨年にベーシストであるカール・ミュラーが亡くなったというトピックを抜きにしても、十分に聴き手の胸を打つような、励ますような、このバンドならではのあたたかく人間味に溢れた、心強い作品となっている。たおやかに演奏が高鳴ったところで、曲名どおりの「STAND UP AND BE STRONG」というシンプルなコーラスが繰り返しリピートされる1曲目からして、呪われ、戦い、勝つ、そういった生きていくうえでの様式が、メロディとなり、奇を衒った複雑さのない、やわらかな自然な流れとして、こちらへと届く。デイヴ・パーナーのヴォーカルは、かつてと比べると、やや掠れ気味に聴こえもするけれど、憂いを帯びながら、しかし暗くはなく、熱のたしかに込められていることが如実な、説得力、表現力は増しており、そのうたわれ方が、目の前になくともイメージできるという意味合いで、ひじょうにエモーショナルに、響き渡る。ミドル・テンポからバラードまで取り揃えられた、すべてのナンバーが色彩の豊かな情景を描いている、どれも出色の出来で、10曲目の「OXYGEN」とか、かなりドラマチックで思わず涙腺が緩ませられたりもするのであるが、個人的にはやはり、5曲目の「BUS NAMED DESIRE」に代表されるような、ギター・ロック然とした疾走感のなかに、あくまでも生活者の目線でもって「きみとぼく」のシーンを切りとり、変化を待ちわびる想いをいつまでも変わらない歌に託した楽曲などが、このバンドの原点をとてもとてもつよく感じさせるから、最高潮に好きだ。

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2006年07月18日
 Welcome to Carcass Cuntry

 ジェフ・ウォーカーといえば、初期はブルータルなグラインド・コアとして、後期はメロディックなデス・メタルとして、きわめて先駆的であったCARCASSというバンドの、ヴォーカルとベースを担当していた人である。その彼のソロ・プロジェクト、JEFF WALKER UND DIE FLUFFERSが発表したのが、この『WELCOME TO CARCASS CUNTRY』というアルバムなのだけれども、その中身は、ジョニー・キャッシュやハンク・ウィリアムス、ジョン・デンバーなどの楽曲をカヴァーしたものになっており、アルバムのタイトルがある程度示唆しているように、要するに、カントリー寄りの、とはいってもニール・ヤングの「KEEP ON ROCKING FREE WORLD」も収められているのだが、まあ、そういったアメリカンで古典的といえるシンガー・ソング・ライターによるナンバーを、CARCASS流に演じているといった趣である。が、しかし、その、CACASS流というのは、グラインド・コアでもなければ、デス・メタルでもない、ジェフがCARCASS解散後に立ち上げたBLACK STARあたりに顕著な、つまりはCARCASSのラスト・アルバム『SWANSONG』で指向された、「KEEP ON ROTTING FREE WORLD」ふうの、まさに、腐臭漂うロックン・ロールの体をいう。とはいえ、演奏自体は、たしかにエレクトリックで、それなりにハードで、ときにはギターのリフがずんずん刻まれるが、元曲のイメージを著しく損なうというほどではなく、不穏当な空気は、おもにジェフのしゃがれヴォーカルが担っている。かつてと比べれば、それほど聴き取りにくくはないけれども、ま、けっして爽快な気分にさせてくれる類でもない。免疫のない向きには、これでも十分にデス声であろう。それにしても、参加しているミュージシャンの豪華さ加減には、刮目せざるをえない。いっぱい居すぎなので、気づいたかぎりで、適当に挙げていきます。元CARCASSからは、ケン・オーウェンとビル・スティアー。AMORPHISのギター・チーム。ANATHEMAのベース。PARADISE LOSTのヴォーカルとギター。NAPALM DEATHのショーン・エンバリー。元FAITH NO MOREのビリー・グールド。THE HELLACOPTERS(元ENTOMBEDね)のニッケ・アンダーソン。それからH.I.M.のメンバーの名前も見つけられる。そうしたラインナップの充実もあってか、シリアスに受けとるような内容ではない、けっしてアーティスト・サイドの趣味の域を出るものではないにしても、けっこうきっちりと仕上がっており、それなりに愉しめはした。

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2006年07月17日
 Rock Did It

 ウォリアー・ソウルからやさぐれたパンク・アンド・ビリジレントへと転向したコリー・クラーク、彼をフロントマンとして加えてからのDIRTY RIGが、はじめて発表するのがこの『ROCK DID IT』というアルバムである。個人的には、コリー目当てであるため、バンド自体の以前の作品は聴いたときがないのだけれども、いや、これがすごくかっこうのよい内容だったのであり、燃えた。やっぱね、こういうタフでラフな勢いのあるロックン・ロールが最高潮に好きだ。コリーのキャリアを基準にしていうと、彼がWARRIOR SOULのあとにやっていたSPACE AGE PLAYBOYSのような、シンプルで直情的なものであるが、あれよりも、よっぽどダイナミックで、硬く、さわがしい。あるいは、そうした部分こそがDIRTY RIGというバンド本来の持ち味であるに違いない。じっさいに演奏のキー・ポイントを担っているのは、オリジナル・メンバーであるギターのプレイだろう。その、線は太いが、じつに多彩で器用にさばかれるフレーズが、楽曲の印象を左右しているみたいだ。日本盤のライナー・ノーツで、川合純行がザック・ワイルドに類似したスタイルであることを指摘しているが、たしかに1曲目「SUCK IT」のソロに入るあたりなどで聴くことのできるピッキング・ハーモニクスの、あの、ひゅわわーんという響きはザックのそれを彷彿とさせる。そのような豪快なタッチを、あくまでもアップ・テンポのえげつないノリに組み込んでいく手腕が、パワフルでストレートな音のなかから、単調にならないヴァリエーションを引き出しているのだと思う。また、コリーのザラついて荒々しいヴォーカルも、この分厚くアグレッシヴなサウンドに、とてもとてもよく似合っている。ソング・ライティングのクレジットは、バンド名義になっているが、2曲目「DRUNK AGAIN」におけるヴァースのラインなど、あきらかにコリーが持ち込んだとおぼしき部分も少なくない。ワン・フレーズは基本的にキャッチーで、うらぶれた気分を晴らすために、でかい声でガナるのに相応しい。俺は好き勝手にやりたいんだ、邪魔をするなよ、と。まあ身も蓋もない言い方をすれば、アルバム全編が、アルコールとガッツがあれば満足だ、そういう甲斐性なしのろくでなしに向けられたサウンド・トラックであろう。レニー・クラヴィッツの「ARE YOU GONNA GO MY WAY」に似たリフが印象的な3曲目「JUST A STAR」の歌詞とか、「TAKE TAKE TAKE OFF YOUR T-SHRITS」「I KNOW YOUR HARD GIRL, I WANNA ROCK THE WORLD」といった具合に、すごくくだらないクリシェなんだけれども、それがものすごくかっこうよく決まっていて、やはり単純で馬鹿な僕などは、すぐに燃えてしまうのであった。

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2006年07月15日
 In Triumph

 スウェーデン出身のTHE QUILLがやっていたのは、もともとがストーナーというよりも、70年代指向のレトロスペクティヴなハード・ロックであったといえば、まあそれはそうで、いや、しかし、この通算5枚目の最新作『IN TRIUMPH』では、そのサウンドのなかで凍結させられていた時間が動いた、あるディケイドが進まされれば次のディケイドに達するというのが時系列の必然であるならば、そう、つまりは、80年代指向のリヴァイヴァルなヘヴィ・メタルになった。と、プロデューサーの欄を眺めると、ああ、そうか、この音の、やけにメキメキとした感じは、ジャーマン・メタル界隈というかメロディアス・パワー・メタル・シーンのキー・パーソン、トミー・ニュートン(VICTORY)の仕業か。とにかく質感が、表面の手触りが、ずっとクリアーになったぶん、垢抜けていないところが、狙いではなくて、天然だと思えるほどに、ものすごくださく、ださくなった。だが、そのだささが、逆説的に、スノッブな振る舞いの否定になっている気がして、微妙にかっこうよく思えてしまう僕もいるのである。たとえば大学に入り、さてどのサークルにしようかという段になって、いくつかある楽器系のうち、女子もいるような軽音楽部ではなくて、わざわざ男子ばかりのメタル同好会に決めてしまう、女子には興味がないぜ、と言うことが、女子にモテる秘訣だと勘違いしている、そういう真性であるがゆえにフェイクではない、豪快な馬鹿馬鹿しさが見いだせてしまう。ある人たちにとっては、ギャグに他ならないが、たぶん当人にしたらマジなのが、手に負えない。サバティカルな風味はほとんど消え、ツェッペリンふうのダイナミズムの上にハイトーンなヴォーカルが載るというスタイルは、おそらくAUDIOSLAVEの楽曲とそう大差ないつくりであるのに、まったく一般受けしそうもない、どうしても時代遅れに聴こえてしまう。何が違うのか。それはもう感性としか言いようがない。センス、精神性の問題である。以前までと比べ、あきらかに洗練されているのに、なぜかイモ臭さだけが何倍も強調されてしまっているのは、ある意味で、脅威であろう。9曲目「NO LIGHT ON THE DARK SIDE」のポップさとか、無意味に元気すぎて、その張り切り具合が、むしろ厄い。

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2006年07月14日
 The Passage

 この数年のあいだにシーンのトレンドというのも、ずいぶんと変化してしまったわけだけれども、01年のデビュー・アルバム『BOY HITS CAR』で聴かれた、近年のINCUBUSなどを類似に挙げられそうな、オーガニックな雰囲気を含むラウドなグルーヴ・ロックという基本路線は、このセカンド作『THE PASSAGE』でもそのまま通しているあたり、LA出身の4人組BOY HITS CARというバンドの、浮ついたところのない、実直な性格は見てとれるし、今だからこそ逆に、そのサウンドは新鮮に聴こえたりもするのだが、いかんせん、楽曲の展開がワン・パターンであるために、アルバム一枚を通すと、だるく感じられてしまうのが惜しい。また前作に比べると、攻撃的な面と躍動感がわずかに後退してしまっているのも、ヴァリエーションの乏しさへと繋がっている。アコースティカルなパートや民族楽器が、随所で特徴的に鳴るのはいいが、エレクトリックな部分における盛り上がりが、やっぱりちょっと一本調子、中盤でギャーンとうるさくなればいんでしょう、といった具合に、同じテンションのカタルシスを繰り返されれば、1曲1曲は悪くないにしても、そりゃあさすがに飽きる、むしろフラストレイトさせられるというものである。

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2006年07月12日
 Arrangements for Fulminating Vective

 米ミズーリ州セントルイス出身の4人組LYE BY MISTAKEがやってるのは、一般的にはカオティック云々という文脈で語られるようなサウンドであろうが、フリークであったり馬鹿みたいに狂ったテンションで聴かせるというよりは、いや、たしかにトリッキーな面と勢いを併せ持つのだが、展開の奇抜さに技巧が奉仕するというのではなくて、持ち前のテクニックを披露するために、わざわざ種々のアイディアが用意され、ひとつの楽曲のなかで組み合わせられた、といった印象である。そのために安定感があり、場面場面に予断が許されているという意味では、プログレ・メタルの整合性に近しいものを有している。CYNICのデス・メタルをハードコアに入れ替えたような感覚もあるが、あそこまでイマジネーションを誘わずに、もうちょい即物的に演奏は進む。本作『ARRANGEMENTS FOR FULMINATING VECTIVE』に収められた8曲のうち5曲は、これ以前に発表されたEP『THE FABULUS』から持ってこられているのだけれども、ところどころでアレンジが変えられている、加えられているあたりに、とかく足し算の理を好むバンドの指向性がうかがえる。だからといって、元のヴァージョンに比べ、凄みが増しているのかというと、そのへんは微妙で、たとえば4曲目の「OSTRICH FEATHERS AND APPLE PIE」では、ラストに、本来はなかった三味線だか琴だかに模したフレーズが入ってくるのだが、やや唐突だ、とはいえ、まあ『THE FABULUS』の版も、最後は和太鼓ふうのドラムで終わるのだから、そういった着想は最初からあったのだろうけれども、いや、そのプラスされたワン・パート自体はなんか変でおもしろいと認めたうえで、楽曲の着地点としては、やはり蛇足のように思える。ただしポテンシャルの高さは、間違いなく異様の域にあり、とりわけギターの絶え間ない流動を聴いているだけでも、飽きが来ない、クライマックス過多なのは、まったくもって大したもんである。

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2006年07月11日
 Destruction of Everything Is the Beginning of Something New

 うん。こりゃあすごくどうでもいい。一言でいうと、メジャー指向のスクリーモ、スクリームなしといった感じで、いや、これはこれで叫んでいるうちに入るのかな、まあSTORY OF THE YEARとかHAWTHORNE HEIGHTSとか? そのへんのラインのどっかにいるバンドというか、GLASSJAWのソフトなフォロワーといえば、たぶんそこそこイメージできるだろうし、まさしくそのとおりの音でしかないのだが、他との差異すら気にしてなさそうな鈍感ぶりというか、オリジナリティのまったくない作品に『THE DESTRUCTION OF EVERYTHING IS THE BEGINNING OF SOMETHING NEW』というタイトルをつけちゃう厚顔ぶりに、辟易とさせられる。せめて産業ロックのつもりならば、もうちょいソング・ライティングのスキルが欲しいところである。いっそのこと外部ライターを起用しちゃえばいいのにね。というか、たまたまこれを聴いたのをきっかけにして、こう書くのだけれども、べつにそれは、このADAIRというバンドに限ったことではなく、こうしたシーン全体がもう、いやずいぶんと前から、方法論的に行き詰まって、どれも似たり寄ったりの末期状態に入ってしまっていると思う。

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2006年07月09日
 Brace Yourself

 ヴォーカルがピアノを弾きつつ、ポップなメロディをうたうというスタイルは、最近のバンドでいうと、WAKING ASHLANDあたりが思い浮かべられるけれど、このDROPPING DAYLIGHTのファースト・アルバム『BRACE YOURSELF』で聴くことのできるサウンドは、あれよりももうちょいハードに仕上がっているような感じがする。というのも、基本的にはギターのダイナミズムによって押すかたちで楽曲がつくられているためである。6曲目「LUCY」のように、バンド演奏のなかに、弾き語りふうにメロディが挿入されているものもあるが、あくまでも鍵盤の類は賑やかし程度の装飾に止まっている。しかし、それがけっこうなことに、気持ちのよいアクセントとなっているへんが、このバンドの強みなんだろうな、と思う。要所要所で際立っているのは、ときにザクザクとしてヘヴィなリフさえ刻むギターなのは間違いがなく、その起伏に富んだフレーズの在り方が、ドラマティックなうねりへと繋がっており、ピアノまたはキーボードのセンシティヴな響きが、そこに軽やかなやわらかみの一工夫を加えているのである。だから逆に、ラウドなトーンの極力抑えられた、メロウなバラードの10曲目「ANSWERING OUR PLAYERS」などは、たしかに雰囲気はよく出ているのだが、いまいち凡庸に聴こえてしまう。既製品の域を出るか出ないか微妙なラインのものもあるけれども、いくつかのナンバーはひじょうに冴えわたっている。

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2006年07月08日
 Liberation Transmission

 デビュー当初にはあった、ミクスチャー的な要素、それとヴォーカルの声質のせいでINCUBUSと比較されることもあった面は、04年の前作『START SOMETHING』の時点でかなり薄まっていたのだけれども、このサード・アルバム『LIBERATION TRANSMISSION(リベレイション・トランスミッション)』に至っては、初期の頃の面影はもはやほとんどない、LINKIN PARKやSUM 41からこっちとでもいような、アリーナ指向のモダンなラウド・ロックを思わせる、扇動的なメロディがサウンドの要となっている。プロデュースを担当しているのはボブ・ロックだが、むしろその師匠であるブルース・フェアバーンが関わった80年代のアメリカン・ハード・ロック勢すらも彷彿とさせる、快活な音の響きに、イギリス出身のバンドだが、イギリス出身ですよ、と言われなければ、イギリス出身ですか、と気づかない人もいるかもしれない。とはいえ、じゃあ無個性に没しているのかといえば、そんなこともなく、ましてや完成度の高さも相俟って、なかなかの吸引力が備え付けられているのだから、褒める。むしろ、ここで全面的に開化された躍動の上に載るキャッチーなフレーズの応酬こそが、LOSTPROPHETS(ロスト・プロフェッツ)の、本来の「らしさ」であったというべきであろう。アルバム全体が、力強いエネルギーと親しみやすいフックに満ちている。そのなかでもとくに4曲目の「ROOFTOPS(A LIBERATION BROADVAST)」である。これがもう、連帯と共感なんてくだらねえ、ばっかじゃないの、と言ったところで、不意に押し寄せる高揚に気分が転換させられる、破格のナンバーになっている。たぶんライヴでは、大合唱とともに最高潮の興奮に巻き込まれてゆくに違いない、そこいらへんのエモ・ボーイたちをも圧倒する気のアンセムだ。

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2006年07月05日
 ブラック・ホールズ・アンド・レヴァレイションズ(初回限定盤)

 個人的な感想をいうと、03年の前作『ABSOLUTION』にはピンとこなかった。身ぶり手ぶりは大仰なのだけれども、いかんせんリスニング指向が強く感じられたので、怠かったのである。だが、この4作目にあたる『BLACK HOLES AND REVELATIONS(ブラック・ホールズ・アンド・レヴァレイションズ)』については、たとえば99年のデビュー・アルバム『SHOWBIZ』がそうであったように、はっきりといえば単調ではあるが、しかし、それでもとにかくロマンチシズムのフィジカルな伝播に長けた面が際立ったおり、まあ要するに、ペラい、ペラいのだけど、そのペラさが、それこそVAN HALENにおけるチープなキーボードやライト・ハンド奏法が、楽曲のテーマ的にはほとんど意味も持たないのに、なぜか異様なカタルシスをもたらすのに似て、サウンドそのものの矜持にまでなっている。MUSE(ミューズ)というバンドは、ライヴの場においてはとくに明らかなとおり、もともとトリオ編成ならではの有機的な演奏とは、ほとんど無縁である。どうもその佇まいから、プログレ的な趣を見出す向きもあるみたいだが、リズム・ヴァリエーションの乏しさもあって、イングウェイ・スタイルのハード・ロックじゃないか、と穿った見方さえしたくなるときもあるとはいえ、そうまでして会場全域に機能させようとしているのは、先ほどもいったが、ロマンチシズムのフィジカルな伝播に他ならない。このアルバムでいえば、全編で響き渡るワン・パターンなシンセサイザーや、7曲目の「ASSASSIN」を彩るメタリックなギターのリフなど、ぶっちゃけて深みはない、音響効果的なカタルシスでしかないのだが、しかし、そこが燃える。フックの有り様やポップ性も含め、楽曲単位の優劣だけを見ると、01年のセカンド『ORIGIN OF SYMMETRY』には今一歩及ばないけれども、その過剰であることが翻って空虚に聴こえ、その空虚に聴こえることがなぜか音の強度に繋がるといった、ある種独特でラジカルな体質が、これまで以上に剥き出された佳作である。

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2006年06月29日
 AN ALBATROSS.jpg

 ファースト・フル・アルバムという扱いでよろしいのかな、フィラデルフィア出身のアヴァン・コア・アクトAN ALBATROSSの新作『BLESSPHEMY (Of The Peace Beast Feastgiver And The Bear Warp Kumite)』なのだけれども、いや、これが、ちょっと、すごいことになっているな、と確信させられるのは、何よりもまず、イントロあけて2曲目の「LYSERGICALLY YOURS,MY PSYCHEDERIC BRIDE」が轟いた時点で、である。そこではまるで、THE LOCUSTミーツDEEP PURPLEという、有り得ない出会いが果たされてしまったかのような、やぶれかぶれの化学変化が起っている。エレクトリックにジャンクかつハイ・テンションでノイジーという基本線はそのままに、主旋律を成り立たせているのは、古典的なハード・ロックのマナーに倣ったハモンド・オルガンの響きなのであった。その発想の突飛さに、思わず、身を乗り出してしまう。当然、その後に現れるナンバーも一筋縄でいくわけがなく、18曲約26分のあいだに詰め込まれた、すばらしくすばらしいカタルシスの連続に、腰も砕けた。ああ、まいる。トロンボーンやトランペット奏者まで導入し、最高9人編成により構築されているのは、ある意味で、かつてのプログレッシヴ・ロックをも彷彿とさせる、リズムとアクションの劇空間なのだ。MARS VOLTAの、あの複雑に強度の高い長尺さが、わずか1分から2分程度のスパンに短縮され、投げつけられているみたいな印象を持ったりもする。しかし驚かされるのは、それが、とてもとてもキャッチーに聴こえてくることなのだった。ヴォーカルはというと、ぎゃーぐぎゃーと騒いでいるだけなのであって、その部分におけるメロディがどうとかではないのだろう、バックの演奏のつけるアクセントが、おそらくはフックとしてのひっかかりを担っている。ブックレット中、サンクス・リストの欄には、MALT BANANAやLIGHTNING BOLT、THE PLOT TO BLOW UP THE EIFFEL TOWER、DILLINGER ESCAPE PLANなどなどの名を見つけられるが、いやいや、それらのアーティストに負けず劣らず、クセのある、インパクトに富んだサウンドが、向こう見ずの勢いで、次々に繰り出されており、とにもかくにも、にはは、ってな具合に笑えた。

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2006年06月27日
 The Anatomy Of

 『THE ANATOMY OF』は、メタリック・ハードコアややカオティック目なサウンドをやっているBETWEEN THE BURIED AND MEの、彼らのオリジナルではなくて、カヴァー・ナンバーのみで構成されたアルバムである。こういうカヴァーの企画ものって最近なんだか多い感じもするけれど、気のせいか。まあとりあえずは、カヴァーされている側のアーティスト名を挙げていくのがいいと思った。ええっと。METALLCAにMOTLEY CRUE、SOUNDGARDEN、QUEEN、KING CRIMSON、PINK FLOYD、SMASHING PUMPKINS、それからEARTH CRISIS、SEPULTURA、BLIND MELON、FAITH NO MORE、DEPECHE MODEにPANTERA、COUNTING CROWSと、メタルからハードコア、グランジ、プログレ、ニュー・ウェイヴなどなど、わりあいヴァラエティに富んだジャンルのセレクションではあるが、メジャーどころばかりが揃えられているので、逆にわかりやすい、茶目っ気もなくて、けっこう素直だよね。じっさいに演奏を聴いてみると、ソフトなものはソフトなままに、ハードなものはハードなままに、よけいな脚色が加えられることなく、かなりのパーセンテージで原曲に忠実であったりもするのだから、ああ真面目な子たちなんですねえ、と、ふつうに感心してしまう。が、やはり、うーん、ていうのが正直なところではないか。いや、原曲へのリスペクトはばりばり感じるし、クオリティの面だけ考えたら、けっして悪くはないのだが。単純にいえば、テクニカルであることはわかるけれど、それ以上の付加価値は見込めないというか。要する、ユーモアもアイロニーも批評性の欠片もないあたりが、すこし物足りないのであった。

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2006年06月25日
 Songs from Black Mountain

 たとえば偶に音楽雑誌などで見かける、RADIOHEADの『OK COMPUTER』以前/以後といった線引きが、ほんとうに可能かどうかはわからないけれども、 90年代半ばぐらいまで、アメリカ郊外のナードっ子たちから絶大な支持を受け、一躍時代の寵児的な役割を果たしていたアラニス・モリセットや、このLIVEの、いま現在置かれている微妙なポジションを見るにつけ、たしかに97年頃には何かひとつの変動があったのかもしれないねえ、とは思う。まあ単純に、聴き手の世代が交代したのだといえば、それもあるだろう。ちなみにアラニス・モリセットもLIVEのメンバーも74年生まれだったはずで、RADIOHEADよりも年下のアーティストである。そういえばLIVEは、01年の『V』発表時のインタビューで、自分たちはLIMP BIZKITよりもキャリアがあるけれど、彼らよりも年齢的には若いバンドだ、というようなことを言っていた気がする。さて。03年に通算6枚目の前作『BIRDS OF PRAY』を、04年にベスト盤『AWAKE』をリリースしたあと、レーベルを移籍してはじめてのアルバムとなるのが、この『SONGS FROM BLACK MOUTAIN』である。いやいや、これが、もしかすると『V』以降ではもっとも充実した内容になっているのではないだろうか。メロディアスなアメリカン・ロックを、何のてらいもないシンプルな演奏でもって、ただただ真っ直ぐに投げかけてくる。迷いのいっさい感じさせない力強さが、とにかく聴き手を励ますかのような、そういう出来だ。プロデュースをつとめているのは、前作に引き続きジム・ワート(JIM WIRT)で、彼のオーガニックな質感とスケールの大きさを強調する演出も効いている。エド・コワルチックの堂々としたヴォーカルからは、初期(20代)の頃の繊細さはほとんど消えているけれども、逆に円熟期に入ったと思わせる男の色気が発せられており、それが楽曲自体の深みへと、うまく反映されている印象である。曲タイトルやフレーズから察するに、おそらく水をモチーフとしたスピリチュアルなテーマが、デビュー時から一貫して、ここでも扱われている。しかし、その内実は大きく変化していると考えていいだろう。たとえば92年のファースト・アルバム『MENTAL JUERY』の1曲目は「PAIN LIES ON THE RIVERSIDE」であった。楽曲には死のイメージが含まれていた。それから14年経った、このアルバムの1曲目には「THE RIVER」と、ひじょうに直截的なものが付せられている。「ララーララーららら」という穏やかな歌い出しが、じょじょに勢いを増す川の流れのような推進力で、やがて「おおBABY LET MY LOVIN’ EASE YOUR PAIN」という、おおらかで、あたたかみのあるコーラスへと達する。その発声は、あたかも生きることを丸ごと許容するかのような、前向きな響きを持っている。
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2006年06月21日
 vigil.jpg

 よし、着火した。つまり、心が動いた。スウェーデンのハードコア・アクトRENTOKILLERの7曲入りEP『VIGIL』である。僕がはじめてこのバンドのことを知ったアルバム『CADAVERI ECCELENTE』(05年)も、最高潮に振り切れた、かなり燃えさせてくれる、圧と激と重の相俟ったブリリアントな作品であったが、そのときに覚えた期待と興奮を裏切らない、見事に応える、轟のベクトルが過渡に達せようとする20分が、ここに展開されている。のっけからギターとベースとドラムが、忙しなく叩きつけられ、ヴォーカルは、がーわーあーと声帯をフル稼働させる。いい感じだ。アドレナリンが沸く。倒れるときは前のめりだ、と言われれば、それそのとおりの説得力が、こちらへと迫ってくるようだった。そうして圧されるわけである。とはいえ、テンションとエネルギーの高さ、そして適度に達者な演奏のために興奮を覚えるのではない、いや、それもあるのだけれど、それだけではなくて、それらをより際立たせるかのようにして、設けられた間が、知らずのうち、聴き手をサウンドの渦中に引き込むのである。息継ぎのタイミングというか。強弱のコントラストというか。要は、1曲のなかで行われる求心力と遠心力のスイッチングが絶妙だということである。あくまでも直情的なサウンドだが、楽曲のヴァリエーションがワン・パターンでないのも、すぐれている。どれだけアグレッシヴなアタックだろうとも、一本調子であっては、繰り返しの結果として退屈さに呑み込まれてしまいがちなものだが、そうはなっていかない、それを回避しうるだけの批評性がバンドに備わっている、と捉まえるべきであろう。リズムの跳ね方ひとつとっても、そういう敏感さが伺い知れる。緊急性を帯びながら連続されるフレーズは、その神経質な歪みとは裏腹に、良質なメロディがもたらすのに近しい、開放感さえ与えてくれる。もっとも端的なのは、4曲目「29 POINTS OF ATTRACTION」になるのではないかな。前半、軽やかに鳴るピアノを取り込み、高速なジャズのニュアンスで展開してゆくナンバーである。それが、ある瞬間、基本的な旋律はそのままに、一気にカタルシスする。プログレッシヴという概念が、スポイルされ、単なる形態を形容する程度の意味合いしか持たなくなってしまったのと同様に、もはやカオティックという語も、ある程度の定型化がなされた、それこそ整理のついたワン・ジャンルを示すものでしかなくなった。ケイオティックなどと発音をあらためれば、余計に惨めだ。が、しかし、そうしたスタイルそれ自体をイノベイトさせることは可能なはずである。そのために何が必要かといった問いに、すくなからずこの作品は答えているように思える。まあ、誤魔化しのきかないかっこうよさを成立させるのが、ひとまず難儀なことだとして、それをやられちゃったりしたならば、そりゃあとりあえずはさあ、身も蓋もなく燃えるしかないだろ。

 『CADEVERI ECCELENTE』について→こちら

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2006年06月18日
 Men, Women & Children

 そして、やはり思うわけだ。だから、GLASSJAWはどうなっちゃってんのさあ、と。(元じゃないよね?)GLASSJAWのギター、トッド・ウェインストックが在籍するMEN,WOMEN & CHILDRENのデビュー作『MEN,WOMEN & CHILDREN』である。うわ、こっちがこうなのか、と、ひとまず思う。というのも、やはりGLASSJAWのメンバーがいるHEAD AUTOMATICAが、セカンド・アルバムでは後退させてしまった、ディスコティックというかダンサブルというかソウルフルなエレクトリック・ロックが、ここには繰り広げられているからなのだった。カラフルかつキャッチーな、じつにエゲツないノリである。ミックスにはアラン・モウルダーが迎えられ、80年代リヴァイバルといえば、ああ、まあ、そうかもしれない。アッパーなチューンが、かなり満載で、これもこれでGLASSJAWというバイアスとは無関係な聴き手には、すんなりと受け入れられることだろう。

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 Popaganda

 で、結局どうなっちゃったのさあ、GLASSJAWは、と思うわけだ。(元?)GLASSJAWのヴォーカル、ダリル・パルンボが在籍しているユニット、HEAD AUTOMATICAのセカンド作『POPAGANDA』である。タイトルがそのままアルバムのコンセプトを示しているのか、前作『DECADANCE』にはあったディスコティックというかダンサブルというかソウルフルな要素は、思いきり後退し、メロディアスなコーラスが前面に出たギター・サウンドへと路線は変更されている。プロデューサーに起用されているのは、ハワード・ベンソンで、その名前からイメージされるとおりの音だともいえる。たぶん、GLASSJAWの時代から公言されているエルビス・コステロからの影響がダイレクトに反映された結果、こうなったのかな、とも思う。とはいえ、今どきのポップ・エモと比べたときに、それほど大きな相違点も見つけられず、いや、むしろオーセンティックなハード・ロックすら想起させるウェルメイドなつくりからは、刺激的なものをひとつも感じられないけれども、FIREHOUSEあたりにも通じそうな爽やかさは、まあ悪くはない。ダリルの発声には、相変わらずの色気が漂っており、どのナンバーにも相応にフックが設けられているので、GLASSJAWというバイアスとは無関係な聴き手のほうが、すんなりと受け入れられるかもしれない。

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2006年06月13日
 How We Operate

 いやあ、ほんとうにいいバンド、もう、純粋に上質だよなあ。しみじみとしてゆったりな1曲目「NOTICE」における絶妙な間のとり方からして、相変わらず懐の深さを聴かせる、イギリス出身の5人組GOMEZ(ゴメス)のニュー・アルバム『HOW WE OPERATE』である。98年のデビュー以来、5枚目となる作品だけれども、そのあいだに培われてきたキャリアの、存分に堪能できる内容だと思う。前作『SPLIT THE DIFFERENCE』収録の「SILENCE」で最大限に発揮されたストレートなポップさを推進力の片翼に、翻って、大陸スケールのフォーキーでブルージーなテイストへとふたたび着地したような、そういうサウンドになっている。初期の頃ほどグルーヴによる訴求力はないが、しかしシンプルなメロディの、きらりと光る、その艶やかなフレーズのさばき具合に、うっとりとさせられる。ギル・ノートンのプロデュースは、音を硬めに固める傾向にあるのだが、そのためにリズムはメリとハリのくっきりとした跳ね方をしており、ダイナミックな展開が大きく設けられているわけでもないのに、演奏の勾配は生き、楽曲に彫りの深い表情が生まれている。どのナンバーもいいけれど、ハイライトは、きめ細かく密度の濃いアコースティカルな流れのなかに、アメリカの都市名を次々と挙げるコーラスを編み込んでゆく8曲目「Charley Patton Song」だろう。エレクトリックのアクセントと薄く被せられたストリングスが、灰色の景色のうちに、静かな感情の屹立を促した。

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2006年06月07日
 Under the Covers, Vol. 1

 『UNDER THE COVERS VOL.1』は、マシュー・スウィートとスザンナ・ホフス(バングルス)が、ビートルズやボブ・ディラン、ビーチ・ボーイズ、ニール・ヤングにザ・フーといった、60年代ロックのクラシック・ナンバーを、彼と彼女の持ち味を生かしたポップ・センスによってアレンジ、カヴァー、仕立て直したアルバムである。バックのメンバーには、ヴァン・ダイク・パークスやリチャード・ロイドといった、じつにこの人たちらしい人脈の名前も見受けられる。いくつかの楽曲での、演奏の力強さやロックのし具合は、マシュー・スウィートのアルバムでいうと、90年代前半の『ガールフレンド』や『オルタード・ビースト』の頃を彷彿とさせるが、やはり絶品なのは、スザンナ・ホフスとマシュー・スウィートの、ふたりの重ねるハーモニーの、スウィートかつキュートな響きだろう。どちらがメインであれ、やわらかく聴き手を包み、和ませるような、そういう雰囲気に溢れている。雨が降っているときは、その、さめざめとしたフィーリングに。青く晴れ渡った空には、その、爽やかに透き通るフィーリングに。やさしく、うたう。メロディは、抵抗なく心に浸透してゆく。ナイスな一枚である。
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2006年06月04日
 CIVILIAN.jpg

 ここ最近の、イギリスの新人さんのうちで、僕がとくに気に入っているのは、LOUIEとBOY KILL BOYの2バンドである。たしか、どっちもロンドンの出身であった、と思う。いわゆるリヴァイバル・ロックふうの簡素なビートを鳴らしながら、ツインのヴォーカルが息巻くLOUIEは、まだシングルでしか聴けないけれども、BOY KILL BOYのほうは『CIVILIAN』というタイトルの、フル・アルバムを完成させたのだった。これが、まあ、シングルの段階における期待を見事に上回る内容だったので、やったね、といった感じになる。大まかなサウンドの印象をいうと、シンプルなバンド演奏のソリッドに決まった上に、ハンサムな声質のヴォーカルが載り、ぬらぬらとてかったキーボードの彩りが加わっている、コンパクトにまとまった楽曲のなかで、ブリット・ポップふうのキャッチーさとニュー・ウェイヴ的なロマンチシズムがせめぎ合っている印象だ。そこのところに、スリルと陶酔の華が咲いている。1曲目の「BACK AGAIN」から、ぐいぐいと、テンポよくアルバムは進んでいき、8曲目「KILLER」のコーラス、「キラーキラーソー」とうたわれているのだろうフレーズが、「きらきら、そう」という日本語に聴こえても違和感のない、そのような艶やかさに、全編が、満たされている。

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2006年05月31日
 FEE.jpg

 10人いたら、そのうちの7人がMY BLOODY VALENTINEの名を挙げ、残りの2、3人は初期RIDEか初期SLOWDIVEあたりを挙げそうな気がする、そういう、うつむき加減で、耽美的なメロディを、放射状に伸びるギターの轟音に噛ます、いわゆるシューゲイズな感じの90年代的サウンドをやっているカリフォルニアの男女ユニット、FLEETING JOYSのデビュー・アルバム『DESPONDENT TRANSPONDER』である。が、ああ、まあ、悪くはないと思うのだが、これはちょっとムード先行型かなあ。工夫がないというか、いちパスティーシュにとどまっているというか、いや、それがよろしいのだ、という向きもあるんだろうけれど、個人的には、楽曲のつくりそれ自体にフックの弱さを覚えると同時に、低音部におけるもっさりとした感じに、足を引っ張られる、なんだかすこし居心地が悪いや、とさえ思う。90年代後半に、たとえば日本ではSUPERCARが、イギリスではLLAMA FARMERSが出てきたときほどの、新規なときめきはなかった。もちろん、ここ10年以上のあいだに、僕という聴き手の感覚がずれてきたという可能性もあるのだろうが、どうしても微妙な歯痒さが先行してしまう。

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2006年05月30日
 Someone Has to Kill the Headwriter

 2曲目のタイトルは「THE DAVE MUSTAIN SYNDROME」である、デイヴ・ムステイン・シンドローム、言葉の真意はよくわからんが、なんだかわくわくしてしまう。ちなみに10曲目のタイトルは「RAISED ON A STRAIGHT DIET OF MARK-OUTS AND MOTLEY CRUE」で、7曲目には「TOO FAST FOR LOVE」というナンバーが配せられているが、ヘヴィ・メタルからの影響は濃く出ていないあたり、まあ、皮肉だろうね。そういう、ひねたセンスの在り方は、発せられた音の響きにも及んでいると思う。THE SMACKDOWNは、スウェーデンのハードコア・アクトで、この『SOMEONE HAS TO KILL HEADWRITER』は、『CALLING THE SPOTS』に続く、彼らのセカンド・アルバムになっている。サウンドの系をいえば、初期REFUSEDの線というか、リズムはわりと自由かつ複雑に跳ねるけれど、カオティックというほどには全体的な変調を持たず、ハイなテンションとエネルギーをもって、短時間をいっきに駆け抜ける感じである。ヒステリックに叫ぶヴォーカルと、屈折率の高いベースとドラムが相まって、掻きむしるような緊張と焦燥をつくり出している。そうして、とにもかくにも一瞬一秒の切り返しが、すさまじく見事で、それが、かぎ爪の深い引っ掛かりとなって、印象につよく残るのであった。

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2006年05月22日
 Punk Goes '90s

 THE STARTING LINE、MAE、COPELAND、EIGHTEEN VISIONSなどなど、今が旬なバンド群による、おもに90年代初頭の、いわゆるグランジ、オルタナティヴ、またはブリット・ポップ勢の楽曲をカヴァーしたコンピレーションになるのだが、しかし、これはちょっと駄目駄目かなあ。冒頭の4曲、MAEによる「MARCH OF PIGS」(NIN INCH NAILS)、PLAIN WITH T’sの「SONG 2」(BLUR)、GYM CLASS HEROESの「UNDER THE BRIDGE」(RED HOT CHLLI PEPPERS)、COPELAND「BLACK HOLE SON」(SOUDGARDEN)の時点で、かなりつらい。どれもシンプルにメロディだけが抽出されている感じで、逆にリズムの部分に聴き苦しさを覚えた。現在形のエモというものが、黒人音楽とはまったく無縁な場所で生成されていることが、よくわかる。悪くないと思えるのは、アレンジを大幅に変えたSCARY KIDS,SCARING KIDS「LOSING MY RELIGION」(R.E.M.)と、THE KILLING MOON「YOU OUGHTA KNOW」(ALANIS MORISSETTE)あたりだろうか。ただし両者ともに、原曲の持っていた情緒は、完全に殺されている。前者で鳴るメタル・ギターは、まるでジョークであるし、後者でフレーズをなぞるヴォーカルは、やはりギャグでしかない。最大の収穫は、BEDLIGHT FOR BLUE EYESのカヴァーする「JUMPER」で、THIRD EYE BLINDがいかに良質なメロディを紡いでいたかを再確認できたことかもしれない。ああ、ひとまずTHIRD EYE BLIND聴き返したくなった。それにしても、アルバム・タイトルである『PUNK GOES '90s』の、PUNKっていったいどこにかかっているんだろう。時の流れのなかで、パンクという概念がいかにスライドしてきたか、それだけが一考に値している。
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2006年05月19日
 レッチリの2枚組が予定調和的に1位に入って、トゥールが3位に、パール・ジャムが8位に落ち、テイキング・バック・サンデイが先週16位から今週35位の、KORNのライヴ盤が51位に登場で、サーズデイは20位から一気に80位に転落といったところ。ところでレッチリであるが、まあ、だから予定調和以外の何ものでもないといった感じで、個人的には、怠い、の一言で済ましたい。ボン・ジョヴィでいうと、前作が「ジーズ・デイズ」で、今作は「クラッシュ」みたいなものだと思う、良く見積もって。
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2006年05月18日
 Live at the Palace

 『LIVE AT THE PALACE』というタイトルが示すとおり、BLIND MELONのカリフォルニア公演を収めたライヴ・アルバムである。日付は95年の10月11日となっている。ヴォーカル、シャノン・フーンがドラッグ禍のため、ツアー・バスのなかで亡くなったのが95年10月21日だということを考えると、すこしばかり気分が暗くもなるけれど、なかなかに感慨深くもある。おそらく、このころはすっかりと薬物中毒者であったはずのシャノンの歌声は、荒々しいところもあるが、ああ、しかし、やはり唯一無二であったな、と頭を垂れるほどに、独特なフィールをつくり出している。もちろんバックの演奏も、のちにUNIFIED THEORYを結成するギターとベースも含め、かっちりと噛み合ったコンビネーションを聴かせ、その、オールドスクールなんだか、モダンなんだか、オルタナティヴなんだか、一言では判じきれない、個性的なアメリカン・ロックを、ひときわスリリングに、はためかせている。音質も悪くない。楽曲は、デビュー作『BLIND MELON』とセカンド作『SOUP』から代表的なナンバーが取り揃えられている。やっぱ「NO RAIN」は観客の反応が大きいなあ、とか。個人的には最高潮に燃える「2×4」を聴きたかったが入っていない、それはまあ、よしとしよう。ただ気になるのは、これ、クレジットとじっさいのCDでは、曲順が異なっているのであった。クレジットによると「TOES ACROSS THE FLOOR」が1曲目になっているけれども、ほんとうは「GALAXY」で幕が開き、そのあともアテにならない。とはいえ、当然、そのことはべつにアルバムの本質を損なうわけではない。瞬く間に惹きつけられ、十分にバンドの魅力を堪能できる、再確認できる、かなり好ましい内容である。
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 1 Cure Fits All

 THERAPY?というバンドの活動に関しては、もはや孤高に達しているといっても差し支えがない、と思う。それというのは単純に、いま現在、(正確にいうとTHERAPY?はアイルランドの出身であるけれども)イギリスのシーンにおいて、ブリット・ポップ期も含め、90年代を通じ、そのキャリアをキープしつつ、ここまでコンスタントに作品を発表し続けているアーティストなど稀だ、というのが大きい。けれども、それ以上に、結成当初より表現の根幹を為す、誰からも愛されない、もてないことに端を発する怨念まじりの、恨み節が、いっこうに磨り減っていっていない、つまり、初期衝動と呼ばれるもの、あるいはモチベーションの原形に、いっさいの崩れが見られないからである。この、とうとう通算9枚目となるフル・アルバム『ONE CURE FITS ALL』で聴くことのできる音のつくり、またはワン・フレーズにおけるネガティヴな感触からも、そのことは如実に、うかがえる。中心人物であるアンディ・ケアンズは、壮年期に入ってもなお、この世界と和解なんかしてはいないのであろう。個人的にはハイライト・トラックと見なしている3曲目「DELUDED SON」のコーラスで繰り返されるのは、「I AM THE ONE DELUDED SON」という文句である。要するに、未だにこの世に産み落とされたことに対し、根に持っているのだ。もちろんのように、それは、セルフ・イメージの保守であるような、そういう欺瞞なんじゃないかとしても、いやいや、もしもそうであるならば、轟音は必要とされず、ギターのノイズはすくなからず身を潜めてもいいはずだ、が、そうはなっていない。と同時に、マンネリズムにも陥っていない。そこに説得力が宿っている。さて、サウンドについて、もうすこし細かく述べれば、この『ONE CURE FITS ALL』では、ここ数作の傾向として顕著であった、ガレージ・ロックなノリへの接近は行われていない。大まかに、91年の『NURSE』、94年の『TROUBLEGUM』を彷彿とさせる、グランジィなグルーヴがふたたび採用され、95年の『INFERNAL LOVE』を経て、98年の『SEMI-DETACHED』でピークに達した、ポップでキャッチーな要素もまた、復権しているように感じられる。シャープに歪なリズムを叩くドラムがじつに印象的で、ウェットな翳りを帯びながらもメロディは気分を高揚とさせる。繰り返すが、THERAPY?の、そしてアンディ・ケアンズの持つイメージは、きわめてネガティヴなものである。が、しかし、それは悪しき精神の病に安住する弱さの現れではない。むしろ、強く、それを乗り越えていこうとする意志の突出に他ならない。だからまあ、僕にはまるで、タイトルままのリフレインにより、楽曲の閉じられるラスト・ナンバー「WALK THROUGH DARKNESS」が、こう言っているみたいにも聴こえるのだった。明けない夜がないのと同様に訪れない夜もないわけで、そうした繰り返しをタフにくぐり抜けていくことを、生きる、というのであれば、その都度に無様さや惨めさを背負ってしまったとしても、それは、光を目指しているかぎりにおいて、けっして堕落を意味しないよ。

 前作『NEVER APOLOGISE NEVER EXPLAIN』について→こちら

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2006年05月17日
 Kamikaze Love Reducer

 90年代後半を中心に、北欧から登場したロックン・ロール系バンドの多くは、どうもTHE HELLACOPTERSを筆頭に、そのサウンドを黄昏らせていくのが最近の傾向であるようだが、このPSCHOPUNCHの場合も、通算5作目(半ライヴ音源を収めた『ORIGINAL SCANDINAVIAN SUPERDUDES』をカウントに含めれば6作目)になるアルバム『KAMIKAZE LOVE REDUCER』では、たしかにそれっぽい感じに音を変化させているけれども、いや、しかし、メロウ成分の取り込み方が他のアーティストとは微妙に異なるため、いち個性として転がすことに成功している、いやいや、これはちょっとよろしいです、かっこういいですよ、と満を持して口にできる印象だ。とはいえ、冒頭「POISON ALLEY GROOVE」からMOTORHEAD型の、猛テンション、高スピードで、キャッチーさを回転させるところは、相変わらず、このバンドの本質が、あくまでもダーティーなやかましさにあることを主張している。はげしい疾走とともに、アドレナリンが騒ぎ、カロリーが、うるさく、燃える。いま現在の、BACKYARD BABIESの方向性に満足のいかない向きが求めているのは、じつはこういう轟のエネルギーなのではないかな、と思う。新機軸は5曲目、スロー・バラード調のナンバー「WHEN THIS WORLD IS DYING」であろう。あからさまにボブ・ディランのというか、おそらくはガンズ・ヴァージョンの「KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR」を下敷きにしながら、ブルーな気持ちに赤い情景の映える、そういうフィーリングを組み立てている。初期THE ALMIGHTYにも通じる、男の哀愁美を奏でているのであった。その曲にとくに象徴的であるが、全編を通し、ブリリアントなのは、リード・ギターの弾く、泣きに近しいフレーズがどれも、つよいフックとして機能していることだ。99年のファースト『WE ARE JUST AS WELCOME AS HOLY WATER IN SATAN'S DRINK』、00年のセカンド『BURSTING OUT OF CHUCKY'S TOWN』においては、THE WILDHEARTSを彷彿とさせる、リフとメロディのはじけ方が見られたけれども、それらは、02年の『THE PLEASURE KILL』以降、ちょっとばかし身を潜め、ZEKEなどに顕著な、猪突猛進の力押しに勢いを頼らせていたところがある。それはそれで悪くはなかった。が、しかし、類型のそしりを免れない、匿名的なスタイルの踏襲に陥りそうな危うさもあった。それが、ここでは、先ほどもいったが、リード・ギターのすばらしく、目覚ましい活躍によって、他に類を見ない、固有性を回復させるに至っている。一言でいうと、突き抜けた。THE WILDHEARTSの「GEORDIE IN WONDERLAND」あたりを思わせる、トラッド・フォークをハード・ロックの音圧でアレンジしたかのような10曲目「THE BLACK RIVER SONG」など、楽曲のヴァラエティも、かなり柔軟に富んでいる。ここにきて、最高傑作であるのは間違いないし、そして、たしょう大袈裟かもしれないが、燃え要素の満載ぶりは、スウェディッシュ・ロックン・ロールのニュー・マスター・ピースに値する、それほどまでに充実した内容といってしまっても差し支えがないだろ、これは。

 『SMASHED ON ARRIVAL』について→こちら

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2006年05月14日
 Louder Now

 エモーションという、それはきっと、アパシーのオルタナティヴを指したものではないよ。恋愛は、ときとして孤独の代替品になりうるが、しかし、おそらくそれは恋愛の本質を貫かないように、である。何の話かといえば、TAKING BACK SUNDAY(テイキング・バック・サンデイ)のサード・アルバム『LOUDER NOW』のことだ。僕はといえば、TAKING BACK SUNDAYの魅力とは、そのタフにしなる熱さなのではないか、と思っている。たしかにキャッチーさとメロディは、ある種の叙情性によって構成されているけれども、フックとなって、聴き手を捕捉するのは、サウンドが、ハードにドライヴするさい生じる、ホットなエネルギーであろう。その温度の質感や高さが、あるいは他のバンドと比したときに、固有性となり、機能している。

 たしか、すこし前『クロスビート』誌のインタビューで、MATCHBOOK ROMANCEの人が、自分たちの属するシーンのトップにいるのはTAKING BACK SUNDAYで、そこからの差別化を自分たちは図っている、みたいなことを言っていた気がするけれども、なるほど、そのような演算を経たうえで結ばれたのが、あのサウンドだというのは、じつに興味深い。もちろん、それというのは、あるひとつのシーンを形成するような共時性が、当事者たちのあいだでは、ごく自然発生的に、事前のものとして備わっている、すくなくともそう感じられていることを、意味している。だからもしかすると、そうした共時性こそが、特定の時代つまり現代においては、エモーショナルだとかリアリティだとかいった言い回しの評価へと結びつくことになるのではないか、として、そのように考えるのであれば、TAKING BACK SUNDAYのサウンドというのは、いま現在のリアルタイム性において、ある種の原形に近しい、そうでなければ、もっとも一般的なレベルで共感されるところに敷衍された体で成り立っている、といえる。

 ここで重要なのは、02年のファースト・アルバム『TELL ALL YOUR FRIENDS』から、04年のセカンド『WHERE YOU WANT TO BE』を経て、この『LOUDER NOW』に至るまで、TAKING BACK SUNDAYの表現には、おおきな方向転換が見られない、ということである。もうちょっと詰めていうと、その表現のとる姿形が、本質的な意味合いで、この時代特有のエモーショナルさ加減やリアリティ具合に寄り添っているのであれば、バンドは、実直なほどに、それを貫き通している、ということだ。ゆえに当然、マンネリズムが発生してもよさそうなものだが、そうはなっていない。クオリティの向上はキャリアによってもたらされるけれども、それと、若年性の瑞々しいエネルギーとを引き替えにしてはいない、結果、これがピーク、絶頂期なのではないか、と思わせるぐらいの勢いを、音の一片一片と展開のひとつひとつへと上乗せすることに、成功しているのであった。

 『LOUDER NOW』というタイトルが想起させるほど、以前までとくらべ、ラウドになったという感覚はないが、だからといって逆に、マイルドになったとか柔くなったとか、疾駆性が損なわれたということもなく、一言でいうと、楽曲の骨組みを支える剛性が高まったという印象に帰結する。『WHERE YOU WANT TO BE』のことを書いたときにも僕はいったが、TAKING BACK SUNDAYの一貫して扱っている主題は、はっきり、「きみとぼく」の問題だといえる。社会に関わる大状況ではなくて、個人的な対人関係の物語が、うたう主体が生きる世界の大枠をつくるものとして、歌へと転化されている。そこには軋轢と悲しみがある。僕は歌詞を読んでそう思うのではない。コーラス部におけるメロディのつくりから、そのように察せられるのである。ワン・フレーズのキャッチーさは、そこからやってきている。だが、しかしそれは、けっして、メロウな気分に浸り、ナイーヴな感傷に陥り、暗く沈んだものではない。むしろアップ・テンポで、力強く、激しい、ダイナミックな躍動へと結びついており、そうして表出されたドライヴ感が、『LOUDER NOW』では、より硬質な響きでもって、まとめ上げられている。

 シンプルなギターのリフにさそわれて、ツインのヴォーカルが交互に声をあげる、冒頭1曲目「WHAT’S IT FEEL LIKE TO BE A GHOST?」からして、全力で持ち味の発揮されている様子が伺える。楽曲のタイトルままのわかりやすい「ライアー、ライアー」というフレーズが、はやくスピードのキープされたリズムのなかで、効果的に繰り返されるナンバーの2曲目「LIAR(IT TAKES ONE TO KNOW ONE)」に続く、3曲目の「MAKE DAMNSURE」は、アルバムの流れをみたときに、ひとつの変節点で、ごく控え目にテンポは落とされるけれど、反対に、叙情性とダイナミックなうねりの度合いが、おおきく引き上げられている。なるほど、静と動のスイッチを明確に行うことで、リード・トラックとしてチョイスされるのも納得な、引っ掛かりのつよさが、とくによく前面に出されているのであった。

 裏ジャケの表記を見ると、ここまでがSIDE-Aということになるらしい6曲目「TWENTY-TWENTY SURGERY」が、またかっこういい。伸びやかなメロディにハーモニーを重ねてゆくコーラス、それにドラムのつよいアタックが加味されて、場面場面がドラマティックに盛り上げられてゆく。どうやらSIDE-Bのはじまりにあたる7曲目「SPIN」は、ああ、これはこれでアルバムの冒頭を飾ってもおかしくないような、ありったけのエネルギーがどんどんどんどんとぶつけられる、ハイなテンションのナンバーである。そして、アコースティカルでロマンティックな情緒の8曲目「DIVINE INTERVENTION」以降も、充実した内容が続く。ヘヴィなしなりのかけられたラスト11曲目「I’LL LET YOU LIVE」で、アルバムが終わったときのうつくしさといったら、余韻の残し方も含め、なかなかのものだ。

 おそらく楽曲のスタイルとしては、この時代、どれもありきたりであろう。パターンをとってみても、バラエティ豊富なほうではない。が、しかし、それがマイナス要因とならず、むしろ、ぐいぐい押しの一手として映えるのは、ソング・ライティングのスキルにプラスして、やはりというか、まるでというか、TAKING BACK SUNDAYというバンドが抱える本懐みたいなものが、それはつまり現代においては、「いま、ここ」をつよく想起させる=エモーションの屹立といったふうに、大勢の聴き手に感情移入され、支持されうるものが、熱気を帯びた演奏により形作られるあらましへ、あけすけであるほどにふかく、ふかく投影されているからなのだ、と思う。

 『WHERE YOU WANT TO BE』については→こちら

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2006年05月12日
 1位はトゥール。あ、これよかったですか、そうですか。2位にパール・ジャムがイン。ゴッドスマックは1位から7位にダウン。テイキング・バック・サンデイは16位にダウン。いや、これ、聴いたら、よかったです。すごく好き。でさあ、サーズデイの初登場20位っていうのは、えー、なんか残念な感じだ。もうちょい上でもよさそうなんだけれど。まあ、いいや。22位にウルフマザー。ウルフマザーはなんか微妙なんだよね、個人的に。でも、けっこうイケてるんですね、世間的に。
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2006年05月06日
 City By the Light Divided

 ああ君に、劇的な雨の、降る。THURSDAY、渾身のニュー・アルバム『A CITY BY THE LIGHT DIVIDED』は、バンド史上、もっともドラマティックな作品であるといえるだろう。ウェットにしんみりと拡がる情緒よりもはやい速度で、ソリッドかつダイナミックな叙情がはげしく打ちつけられる。03年の前作『WAR ALL THE TIME』からの流れでいえば、同型のつくりでありながらも、印象は、また一段階進んだ、より深まった、といったところである。ふつう4作目となれば、大幅な路線変更がなければ、その音の鳴り方のうちに、ある程度の惰性が見え隠れしてもよさそうなものだが、しかし、それが、ここには、いっさいない。むしろ、99年のデビュー作『WAITING』のころから、サウンドの原形を為しているような、息継ぎなしでアップとダウンを切りかえる、そういう性急さは、研磨され、シャープさが、引き出され、際立ち、より高次な説得力を持つにいたっている。1枚のアルバムのなかに、いくつものハイライトが生じているけれども、個人的には、01年のセカンド『FULL COLLAPSE』収録のベスト・トラック、「AUTOBIOGRAPHY OF A NATION」のニュー・ヴァージョンとでもいうべき、「AT THE VELOCITY」が最高潮に、燃える。疾走をもって表現の核を為すナンバーではなくて、攻撃的なリフやリズムのアタック、喉をふるわす絶唱により、ラウドに高められたうねりと、悲哀に満ちたメロウな旋律が、ひとつの流れのなかで、仲違いをせず、急進的だと感じられるほどの、するどい展開を切り開く。これなんだよなあ、THURSDAYの良さは、と感極まるぐらいの瞬間を、見事に体現している。プロデュースを担当しているのは、THE FLAMING LIPSなどとの仕事で知られ、いわゆるポスト・ロックまたは音響系を手がけることの多いデイヴ・フリッドマン(MERCURY REV)であるけれども、彼の、繊細さを積み重ね、奥行きを出してゆくセンスが、ここでは、音そのものの厚みへと直結し、シンフォニックともとれる、重層的で幻想的な情景を導き出している。かくして感動的なフィナーレは、やはり、バラード・タイプのラスト「AUTUMN LEAVES REVISITED」によって迎え入れられるであろう。シンプルで、せつなげなフレーズを爪弾くギターと、静謐に、はかなく消え入りそうなメロディの終わりに、ひとしきり、うるさく降り注いだ雨の止む、そういうシーンをイメージする。

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 ひさびさに。みじかめに。1位にゴッドスマックがイン。そして2位にテイキング・バック・サンデイが。これ、まだ聴けてないんだけれど、いいんだろうか。3位にスプリングスティーン。グーグー・ドールズは9位。と、そんな感じ。
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2006年05月04日
 レット・ラヴ・イン

 ポール・ウェスターバーグの流れを汲むアメリカン・オルタナティヴ、またはギター(パワー)・ポップ的な見地からいえば、いささか物足りなさを覚える内容となってしまったGOO GOO DOLLSの4年ぶりのニュー・アルバム『LET LOVE IN』である。はっきりいって、このバンド固有のキャッチーな疾走感を味わえるのは、せいぜい冒頭の「STAY WITH YOU」ぐらいで、いや「STAY WITH YOU」はちょっといいんじゃないかと思えるのだけれども、大方はミドル・テンポでなければバラード路線のナンバーによって占められている。メロディの質自体は、プロデューサーであるグレン・バラードのサポートもあってか、けっして鈍くなってはいないのだが、いささかメジャー感がつよく出すぎており、90年代初頭グランジによりシーンの隅に追いやられた、アメリカン・ハード・ロック勢とどこがどう違うのかわからないところにまでいってしまっている。まあ、それはそれで悪いことではないとして、ならば逆をいえば、「NAME」や「IRIS」級のわっかりやすい楽曲を、もっと充実させて欲しかった。
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2006年05月03日
 Faith, Hope, Love

 アメリカ南部のにおいをぷんぷんと撒き散らすストーナー・アクトALABAMA THUNDER PUSSY、そこのギター、ERIK LARSONによるセカンド・ソロ・アルバムが、この『FAITH, HOPE, LOVE』になるのだった。ALABAMA THUNDER PUSSY本体に対する世間の評価が、どうも今一歩地味であるためか、あまり注目を集めることはないが、ERIK LARSON、じつはかなりの才人である。もともとがドラムだったというのもあるが、前作『THE RESOUNDING』に引き続き、ここでも、ギター、ヴォーカル、ベース、ドラム、ぜんぶの楽器を、彼ひとりでこなしているばかりか、1曲、エリオット・スミス(ELLIOTT SMITH)のカヴァーであるラスト「SAY YES」をのぞき、すべての楽曲のソング・ライティングを自ら手がけている。しかし驚くのは、これをひとりで作ったのか! と思うほどに、濃厚な、バンド・テイストのヘヴィ・ミュージックが繰り広げられていることであろう。サウンドの基本線は、所属先であるALABAMA THUNDER PUSSYと大きく異なるものではない。が、しかし、こちらのほうが、ブルージーな色合いがつよく、スローでドローンとした手触りが前面に出ており、そのほかにも、もちろん圧のかかったリフの疾駆するハード・ロックや、アコースティカルなナンバーもあったりと、楽曲のヴァリエーションも富んでいる。そのあたりの、横の拡がりに、アーティスト当人のパーソナリティが現れているのだと思う。個人的には、ERIK LARSONのキャリアでいうと、ダブル・ドラムによるトライバルなリズムを用いたプロジェクトAXEHANDLEが最高なんだけれども、いやいや、これもなかなか、一癖あるくせに思いのほかエモーショナルな歌唱に、思わず、聴き惚れる。

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2006年04月30日
 ピープル・ライク・ピープル・ライク・ピープル・ライク・アス

 たぶん俗語なんだろうけれども、たとえば「あのアルバムってさあ、スルメじゃねえ」みたいな感じで使われることがある「スルメ」という言葉の、厳密な定義を僕は知らないのだが、おそらくは、繰り返し聴くに耐えうる以上の意味合い、それこそ、聴くたびに新しい発見があるとか、聴けば聴くだけ深い味わいが出てくる、というようなことを指しているのだとして、BACKYARD BABIES(バックヤード・ベイビーズ)通算5枚目のアルバム『PEOPLE LIKE PEOPLE LIKE PEOPLE LIKE US(ピープル・ライク・ピープル・ライク・ピープル・ライク・アス)』の内実は、まさに、それに当たるのではないか、と思う。

 いや、たしかに一聴のインパクトには欠けるかもしれないが、しかし、なによりも直截的なロックン・ロールという体を成す、その骨の太さ、そして確かさゆえに、何度目かの再生ののちでも、けっして聴き飽きてはいない、むしろ深い愛着を感じはじめている自分に気づかされる。

 衝動または衝撃ということでいえば、97年のセカンド『TOTAL 13(トータル13)』がピークであったのは揺るぎなく、楽曲単位でのキャッチーさということでいえば、01年のサード『MAKING ENEMIES IS GOOD(天下無敵!)』のクオリティには譲る。それらに比べると、モダンなロック・ミュージックの文法を完全に排した、03年の前作『STOCKHOLM SYNDROME(ストックホルム・シンドローム)』は、ややマイルドにすぎ、種種様々なゲストの参加した「FRIENDS」に象徴的なように、ともすればペダンティックな内容であった。そして本作『PEOPLE LIKE PEOPLE LIKE PEOPLE LIKE US』になるわけだけれど、総体的なニュアンスは、あんがい94年のデビュー作『DIESEL AND POWER』に似ているのではないか、という気がする。いや、もちろん、楽曲のつくりやレベルは、ぜんぜん違っている。だが、発せられた音の素朴さが、グラムやパンク、ガレージではなくて、オールドスクールなバッド・ボーイズのノリを引き寄せているあたりに、どこか近しさが伺える。言い換えるならば、BACKYARD BABIESというバンドの、ベーシックな部分またはコアな部分が、ひじょうに原型に忠実な状態で、表立っているのである。

 そうしたことの要因のひとつには、おそらく、バンドとは付き合いの長い、THE HELLACOPTERSのリーダーであるニッケ・アンダーソンが、プロデュースを担当しているというのがあるに違いない。むろん当人たちが自己に忠実であるというのもあるだろうが、それよりも、ニッケ・アンダーソンという外部から長いこと見られ、批評されてきた、BACKYARD BABIESというイメージが、アルバムのなかで再構成された結果、このようなかたちにまとまったと考えられる。彼のプロデュースは、また、音の鳴り方にも作用している。ギターやドラムの響きに、近年のTHE HELLACOPTERSのような、生々しい感触と、そして黄昏れの色合いが、つよく加えられている。ニッケ・アンダーソン自身が、ギター・ソロを弾いている、ゆったりとした曲調の5曲目「ROADS」などは、THE HALLACOPTERSのアルバムに入っていてもおかしくないような、シンプルなメロディの際だった、哀愁さ具合である。

 しかし、じゃあ、そのメロウなトーンに全体が支配されているのかというと、そんなことはなくて、そういうふうになっていかないところに、バンドの地力、ポテンシャルが発揮されている。多くを占めているのは、軽やかな疾走によるアップ・テンポなナンバーである。それらがオーヴァーな素振りではない、等身大の、それこそライヴのモードを思わせる演奏に基づきながら、メリとハリを塗しつつ、窮屈にならない程度に、固められてゆく。それがなかなかに心地良く、サウンドのはじけた瞬間に、かっと熱くなるわけではないけれども、アルバムが進行するにつれ、じょじょに興奮の度合いが高まる、胸がうずうすと騒ぎ出す、気持ちがハイに持っていかれる。要するに、こちら聴き手は、身構えるようにして、これに対峙する必要がない、むしろ自然体のうちに深く浸透してくる、そういう趣きになっているのであった。

 そのなかにあって、とくに注目したいのは、メンバーのひとり、ドレゲンの存在感が、以前にも増し、BACKYARD BABIESというバンドそれ自体の、フックとして機能している点であろう。彼がヴォーカルをとる曲が増えたというのもあるし、ギターのフレーズひとつひとつにも、それは現れている。そうしたキャラクターの立ち方は、ジョー・ペリー(AEROSMITH)やアンディ・マッコイ(HANOI ROCKS)、またはスラッシュ(GUNS N’ ROSES)などといった先達たちを彷彿とさせる、あるいは、一種のカリスマとして捉まえられる彼らの域にまた一歩近づいたといえる。

 最初にも書いたが、『PEOPLE LIKE PEOPLE LIKE PEOPLE LIKE US』の内実は、幾度となく繰り返し聴かれることで、そのブライトさ加減を上げてゆく類のものである。圧倒的なダイナミズムで、聴き手を組み敷き、とりつくものではない。もしかすると、そのことを指し、弱さと見る向きだってあるかもしれない。が、いや、しかし、よくよく考えてみれば、いくつかのすぐれたロックン・ロールなんてのは、真夜中のパーティや、いきおいドライヴする車のなかで、延々とリピートされても、けっして苦痛に陥ってゆかず、むしろナイスかつジャストなサウンド・トラックとして、快い緊張をもたらし続けるものであろう。そういった意味において、抜けることのない、やさしい毒のような、甘美な魅力を、十二分に湛えている。

 『Tinnitus』について→こちら
 『リヴ・ライヴ・イン・パリ』について→こちら
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2006年04月28日
 Don't Let Down Your Guard

 傾向として近似なのは、ARMOR FOR SLEEPとかそのへんになるのかな、いや、こちらのほうがもっとずうっとナイーヴさが強調されているか、いずれにせよ、THURSDAYやMATCHBOOK ROMANCE以降といってしまえば、その枠内にぴったりと収まるであろう、米エモ・アクトDOWNTOWN SINGAPOREのファースト・フル・アルバムとなるのが、この『DON'T LET YOUR GUARD DOWN』である。僕はといえば、ひじょうに性格の悪い聴き手なので、ふつう、こういう時流ママのサウンドに対しては、あまり良く言わないのだが、いやいや、しかし、これには、なかなか、どころか、かなり、魅せられてしまった。アーティストに固有の情緒が、固有の音へ宿っているというわけではなくて、あくまでも定型の叙情が、定型の音に所有されているにすぎないのだけれども、とはいえ、その有り様が、一言でいうと、決まっている。整合の強さそのものが、説得力となり、響き渡っている。こういうスタイルが、この時代に求められているものなのであれば、一線級のレベルをもって、それに応えているかのようだ。とにかくもう、瞬発力をともない伸びてゆくヴォーカルを、バックの演奏のつくりだす、強弱のドラマが的確にサポートする1曲目「THE CHARM BENETH TRADITION」と、切なげなロマンチシズムのキラメキを、疾走感のなかで、コンパクトかつキャッチーにまとまった2曲目「WHAT SHE SAID」の流れた時点で、こちらの姿勢を、聴く耳モードにしてしまうだけの内実の、ばっちり備わっていることがわかる。中空で砕けた想いが、まっすぐに地上へと落ちる、その軌道のうつくしさを、独自とはいわないが、しかし、巧みなタッチで描きとっている。

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2006年04月25日
 Message Through Your Teeth

 ホーンセクションが入ってくるだけで、こうも楽曲のイメージが変わってくるかよ、といった驚きはある。THE KILLING MOONのデビューEP『A MASSAGE THROUGH TEETH』である。ギターのフレーズや、うたわれるメロディも含め、サウンドのつくり自体は、まあMY CHEMICAL ROMANCEあたりを引き合いに出すのが妥当な、アメリカにいれば、アーティストの側にしても、聴き手の側にしても、もっともナチュラルに響くのであろう、言い換えると、もう聴き飽きたよ的な、いまどきの汎用ラウド・ロックに過ぎないのだが、しかし、大胆に組み込まれた管楽器の音が、独特な新鮮味を屹立させるに至っている。いや、ほんとうに、ワンアクセント程度の違いでしかないのだけれども、それだけでずいぶんと印象の違いを生むのだから、不思議だ。メインを請け負うヴォーカルの声質が、わりと男臭いというのもあって、コーラス部での盛り上がりに、サックスやらが吹き上がれば、ワイルド・タッチな熱気が満ちる。とはいえ、全5曲中のすべてにおいて、そのような効果が最大限に発揮されているとは言い難く、今後フル・アルバム単位で作品を発表するとなると、ここで垣間見られたナイスな線は、あんがい、没個性のうちに暈けていってしまうのかもしれないねえ、という危惧も同時に覚えた。

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2006年04月24日
 Motor Freakout

 つうかさあ、おまえは猪突猛進型のロックン・ロールに関しては無条件で褒めるところがあるだろ、と詰め寄られたとしたら、ああ、まあ、そうだね、それが悪いことだとでも、と僕が答えざるをえないのは、頭のなかがアドレナリンでいっぱいになって、面倒くさい自意識が麻痺してくれる瞬間を、何よりも求む、好む、欲するからなのだから、仕方がない。ウダウダと愚図ってる暇があるのならば、すこしでも生きている感じを覚えていたい、というのが正直な気持ちで、フィンランド出身のロックン・ロール・アクトBAD MACHINEのサウンドを聴けば、その思いは、いっそう強まるばかりだ。いや、もう、音のかたち自体に新鮮味はゼロであるが、沸き立つエネルギーは、つねにフレッシュで、燃える。アルバム・タイトルである『MOTORFREAKOUT』の、MOTORの綴りの2個目の「O」のところには、じっさいにはウムラウトが付いており、要するに、MOTORHEADのMOTORと同型なのであり、またサンクス・クレジットに、ZEKEやPUFFBALL、PETER PAN SPEEDROCKにV8 WANKERSといった名前を見つければ、いったいどういうバンドなのか、容易に想像がつくというものだろう。そう、カー・クラッシュしたら生き残ることのできないスピードで、ばんばんカロリーを燃やす、そういう系の卑しいロック・ロールが、ぎゃんぎゃんと鳴っているのであった。とはいえ、けっして安易なステレオタイプであったり、匿名的な爆音には止まっていない。攻撃的かつ直情的なビートのうちに、しかし最近のTHE HELLACOPTERSにも似た、メロウで哀愁なギターのフレーズが、楽曲の流れと掛け違いになることのないほどのスムーズさで挿入されていて、そのあたりに、BAD MACHINEという固有性の発露を見いだすことができる。02年の『RIP YOUR HEART』に続く、セカンド・アルバムであるが、もちろんのように基本路線は変わらず、一貫して硬派なテイストをキープしている点もナイスだ。男の子の意地を感じさせる。

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2006年04月22日
 Flee The Scene

 うん。SOUTHCOTTという、このニューヨーク出身の5人組が、デビュー・フル・アルバム『FEEL THE SCENE』で披露しているのは、如実にTAKING BACK SUNDAY以降ともいえる、しごくまっとうなポップ・エモ、ややハード目、熱さ重視といった感じであり、そういうふうに言ってしまうと、まるで貶めているふうに聞こえるかもしれないけれど、いやいや、そんなことはなくて、まっすぐなメロディとギターの鳴り、力強いドラムのアタックが、なかなかに気持ちいい、いっそのこと清々しすぎるほどであり、個性云々にこだわらなければ、すごくしっかりとしたつくりになっていると思う。つうか、僕は、これ、ぜんぜんオーケーである。ほとんどのナンバーは、あくまで疾走感に重点が置かれており、キャッチーなセンスとダイナミックなノリが、ちょうどよいバランスで、それこそ過不足のない安定感の上に、調和を結んでいる。フックもけっして弱くない。たしかに、この時代のシーンにおいては、大きくブレイクでもしなければ、結局のところワン・オブ・ゼムに止まる感じのサウンドではあるけれども、それこそがもしかするとバンドの目指すところなのかもしれず、そのぶんだけ堂の入った、決まり方をしている。だいいちタイトルの『FEEL THE SCENE』って、つまり、そういう意味なんじゃないかな。ちがうか。

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2006年04月15日
 Ultimate Destroyer

 圧(あつ)い。そのたったの一言が、じつに相応しい気がした。圧いのである。押され。潰され。散る。死ね。『THE ULTIMATE DESTROYER』というタイトルは伊達じゃないだろ。ああ、LAIR OF THE MINOTAURのセカンド・アルバムは、前作『CANAGE』を上回る、超硬の破壊力を持った作品となっているのであった。ドゥームやらスラッシュやらモダン・ヘヴィネスやら、とにかく、あらゆる種のヘヴィ・メタリックなイディオムを駆使することで、濃密な重低音を作り上げてゆくギターのリフは、幾重にも重ねられ、はげしくうるさい濁流をつくる。1曲目の「JUGGERNAUT OF METAL」からして、バンドの本領が、ばりばりと発揮されており、そのすばらしいカタルシスの有り様は、こちら聴き手の自意識を剥ぎ取り、すっかりと役立たずなものにしてしまう。ベースに耳を傾けてみれば、その図太いうねりに、どん、っと胸のあたりに大きな風穴が空いたかのような錯覚を覚え、空洞の、底のほうからは、あたかも地獄へと続いているかのような、唸りが上がり続けている。ここでは、PELICANのメンバーでもあるドラムのアタックは、けっして派手で目立つといったものではないけれども、いやいや、しかしポイントポイントを押さえ、じつにびしばしっと決まっている。わりと頻繁に楽曲のテンポが変わる8曲目「ENGORGED WITH UNBORN GORE」での、ジャストなリズムさばきに、一線級のプレイヤビリティを思い知らされた。サウンドは、以前ほどアンダーグラウンドな趣きではなくて、けっこうクリアに響くようになったが、しかし、柔くなった印象はゼロで、むしろどろーんとした感覚の抜けたぶん、ソリッドになり、強靱さが際立つかっこうになった。たとえば、最近のMASTODONやHIGH ON FIREに類する、燃えの要素が高まっている。ぎゃふんと言わされるほどに、圧い、圧い、とにかく圧い。

 「CANNIBAL MASSACRE」EPについて→こちら

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2006年04月10日
 Adultery

 シアトリカルなヘヴィ・ロック・アクト、DOG FASHION DISCOのニュー・アルバム、タイトルは『ADULTERY』である。ADULTERYって姦通っていう意味なんだねえ、と思いつつ、チープな感じのジャケットを眺めながら、じっさいに音にあたれば、もしかすると何かしらかのコンセプトを抱え込んでいるのかしら、といった気もしてくるが、いずれにせよ、それほど高尚なものではあるまい、おそらくはパルプ・フィクショナルなものであることは、その、仰々しさがどこか馬鹿馬鹿しくも聴こえるサウンドによって、わかる。SYSTEM OF A DOWNとTURBONEGROを掛け合わせたかのような、ときおりFAITH NO MOREをも彷彿とさせる、要するに、変態指数の高そうな、ハッタリぶりは相変わらずである。ひとつの楽曲のなかに、ジャズ、メタル、ハードコア、スカ、などと複数回展開するパートが組み込まれ、そのバックでキーボードが大げさに鳴る、そうした音楽性は、これまでどおりである。とはいえ、ストレートにキャッチーなポイントが増えたように感じられ、ワン・フレーズの通りがずいぶんとよくなった。6 曲目「MOONLIGHT CITY DRIVE」における「WHO DO YOU THINK YOU ARE」というコーラス部などは、かなり印象的で、なかなか耳に残るだろう。また、アコースティックなナンバーに、けっこうなムードが出ていることにも驚く。

 『THE CITY IS ALIVE TONIGHT:LIVE IN BALTIMORE』について→こちら

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2006年04月07日
 ロブ・ゾンビが5位だったので、ひさびさにメモっときたい気持ち。それでアトレイユが9位。ヤー・ヤー・ヤーズが11位。パニック・アット・ザ・ディスコってあんがいきてるんだね、29位から24位にアップしてた。ラムシュタインが47位にイン。フロム・ファースト・トゥ・ラストはものすごい勢いで、25位から80位にダウンでした。
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2006年04月06日
 DAD.jpg

 デンマーク代表D.A.Dの『SCARE YOURSELF』は、昨年リリースされたアルバムなのだけれども、僕はといえば、売っているトコをなかなか見つけられず、つい最近になってようやく手に入れ、聴いたのだった。が、しかし、いやいや、ちょっとちょっと、ふざけないでよ、これは、それこそ増田勇一がライナーを書いて、ちゃんと日本盤で出され、手の届きやすい場所に置いてしかるべき、ブリリアントなものだ。もしかするとバンドにとっての最高傑作なんじゃないだろうか。ひさびさにクールに決まったロックン・ロールの、盛り沢山に詰め込まれた、エネルギーの活発に動く、そういう内容になっている。前作『SOFT DOGS』(02年)では、エレクトリックな要素を後退させ、静ベースの落ち着き払った歌を聴かせていたわけだが、ここでは、バックの演奏がぎゃんぎゃんと鳴り、響き、ヴォーカルは独特なメロディ・ラインを、はやい節回しで追う。もちろんのように、ギターはときおり、じゃらーんという哀愁の音を奏でる。以前ほどウェスタン調というかカウ・パンキッシュではない、でも、乾いた感触はそのままに、もうちょっと普遍的なロックン・ロールに近づいた印象だ。しみじみとした情緒のスローなナンバーも介在しているけれども、それらも含め、総体的なニュアンスは、『RISKIN’ IT ALL』(91年)あたりに、あんがい近しいかもしれない。だが、1曲1曲におけるフックの利き具合は、ワン・センテンスのコーラスに頼っていない分だけ、こちらのほうが繰り返しに耐えうる強さを持っている。立ち上がりの1曲目「LAWRENSE OF SUBURBIA」こそ、『HELPYOURSELFISH』(95年)からこちら、D.A.Dのカラーを支えていたミドル・テンポなグルーヴをまっとうしているが、2曲目「A GOOD DAY(TO GIVE IT UP)」でギアは、時間を原点に向けて逆回しにしたかのような、トップ・スピードに入ってゆく。イエスパ・ビンザーの濁った声が、力み、「ィエーィッ」と叫べば、燃えるものがあんだろ。「SLEEPING MY DAY AWAY」で切り開かれた90年代は、結局のところどこにもなかったけれど、D.A.Dというバンドを忘れることのなかった人たち、そして、当然のように未だ知らない人たち、つまり、できるだけ多くの人たちに、ぜひぜひタッチしていただきたいアルバムである。CCCDだったけど。

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2006年04月05日
 Heroine

 FROM FIRST TO LASTのセカンド・アルバム『HEROIN』は、ああ、なるほど、ビルボード初登場25位は伊達じゃねえな、と頷かざるをえない、ハイ・ブリッドかつハイ・スペックで、じつに抜け目のない作品となっているのであった。いわゆるスクリーモ以降の、米オーヴァーグラウンドなヘヴィ・ミュージック・シーンにおけるチャームを、ぎゅっと濃縮還元した、そういう充実に支えられた内容だと思う。たとえば、MATCHBOOK ROMANCEの新作に見られた、イギリスのアーティスト、とくにRADIOHEADやMUSEに近しいロマンチシズムを汲み取りながら、GLASSJAWやFINCHの不在を埋めるかのようなハードさ加減とアグレッシヴ具合を完備し、それらを、MY CHEMICAL ROMANCEに似た、わかりやすいディフォルメ性で強調している。しかし、そういった諸々が、借り物くさくもなく、また嫌味に聴こえないあたりに、これが、あくまでも自然体の表現に寄っていることがわかる。さらに、この手のバンドにしては、やけにベースのラインに重量感と貫禄があるなあ、と思い、クレジットを眺めれば、あーそうなんだ、どうやらオリジナル・メンバーにベース・プレイヤーを欠いているみたいで、全曲でウェス・ボーランドが弾いてた。ふとく、あつい音圧は、耳当たりに激しく、なかなかに気持ちいい。プロデュースはロス・ロビンソンで、そしてミックスはアンディ・ウォレスという、バック・アップ陣の仕事も、さすがに的確で、ゴリゴリとした音響が、他のバンドと一線を引くのに役立っている。たとえ紋切り型のひとつであったとしても、ここまでフォルムの強く、しなやかなところを徹底、維持されたら、文句のつけようはないかな。最初にもいったが、アメリカン・ラウド・ロックの「現在」という、限定された枠内においては、ベストに値する出来映えだとして差し支えがない。
 
 『DEAR DIARY,MY TEEN ANGST HAS A BODYCOUNT』について→こちら
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2006年04月02日
 Bucko

 僕のなかにある、ひとつのといかけ、それは、いわゆるエモという範疇に括れる若いバンドたちのうち、アメリカのアーティストが、あたかもレディオヘッド的な表現をロール・モデルに置いたかのような、静の傾きを重要視するのに対して、イギリスのアーティストは、どうして一部のアメリカン・オルタナティヴまたはグランジのような、パワー・コードのダイナミズムにポイントを置いた、動の傾きへと向かうのだろうか、ということだ。そういった構図は、ある意味で、対極の立場をとった者たち同士を示している。スコットランド出身の4人組FICLE PUBLICの、デビュー・アルバムにあたる『BECKO』で披露されているサウンドもまた、そこにある因果律を継承したものだといって差し支えがない。ギターの繊細な響きとメロディのなめらかさで、叙情になびく情緒を表すのではなくて、ノイジーなリフとキャッチーなコーラスでもって、ありったけの衝動を形づくろうとしているみたいだ。先行するバンドで、もっとも近しいものを挙げるとすれば、初期のBIFFY CLYROあたりになるだろう。整合性など気にかけた様子もなく、思いつきのワン・アイディアを、勢い任せに鳴らす。リズムはどこか屈折しており、その、よじれ、けっして真っ直ぐに飛べない感じが、おそらくは内面の起伏を想起させる。フックとなっている。叫ぶヴォーカルの声は、けっして強くない、ギリギリの、だから、はかなく、切羽詰まった感情を、こちらへと届けた。

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 Educated Horses

 ロブ・ゾンビというのは、もはやそれだけでひとつのブランドであるのだから、そこに変化や革新性を求めてはいけない。ある意味で、かつてラモーンズがそうであったような、ワンパターンの美学こそが、ロブ・ゾンビのロブ・ゾンビたる存在感を促しているのは、間違いないのだった。そのようなわけで、WHITE ZONBIE時代の楽曲を含んだベスト盤『PAST,PRESENT & FUTURE』(03年)を挟んでの、ROB ZONBIE名義では通算3枚目となるアルバム『EDUCATED HORSES(エデュケイテッド・ホーセズ)』の登場である。もちろんのように、ロブ・ゾンビのイメージを損なうことのない、いまどきインダストリアルの旋律や、無駄に挿入されるSEを含め、時代性に左右されることのない、それでいてエンターテイメントに富んだ、じつに「らしい」内容となっている。とはいえ、ライナーで石井恵梨子が指摘しているように、ゴシックというかニュー・ウェイヴのニュアンスが、以前に比べると、かなり強まったつくりになっている。ラウドさやアグレッシヴさにおいては、もはやスタンダードの域を出ることはなく、かつてほどホラーかつアメコミカルなキャラクターを立たせる要素としては機能していないが、しかしそのぶん、うねうねとしたポップのセンスと歌い舐めるようなキャッチーなメロディを駆使することで、その世界観のずれを修正、いっさいの崩れないまま、見事にアップ・デートしてみせた印象だ。そういった微妙な路線チェンジの、もっとも象徴的に現れているのは、3曲目「FOXY FOXY」であろう。しごく当然みたいに、意味性のまったく排除された「FOXY FOXY」というコーラスと、ゆるくダンサブルなビートや、記号的に仮構された女性のセクシーな囁きの、ない交ぜになったヘロヘロなグルーヴは、けっして聴き手のアドレナリンを騒がせる激しさを持たないが、しかし、そこらへんにあるステレオタイプなリアリティやエモーションなんかより、よっぽど強度ある、胸躍る、そして麗しい。根の暗いファンタジーだ。
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2006年03月30日
 C/S

 カンサス出身のSLOWRIDEはトリオ編成のバンドで、アルバムとしては3枚目にあたるのが、この『C/S』という作品である。以前からその傾向はあったが、にも増して、シューゲイザーというかグランジィな要素が強まっており、ギターのディストーショナルなトーンに、そのアイデンティティが仮託されているような印象だ。人によっては、初期のWEEZERに疾走感を持たせた感じに聴こえるかもしれないし、初期のASHから少年性のロマンチシズムを抜いてタフさを加味したふうに聴こえるかもしれない。ベースのラインとドラムのアタックが、けっこうハードに響くので、そのあたりにポップ・パンクあるいはポップ・エモ以降の、シリアスになり過ぎない、ポジティヴさが発揮されており、90年代のアーティスト群と比べるに、殺伐としたイメージのない、洗練された装いに、たしょうの戸惑いを覚えるが、しかしアメリカン・オルタナティヴの上澄みをすくい取った、なかなかに良質なサウンドとはなっている。

 レーベル・サイト内バンドのページは→こちら
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2006年03月27日
 作詞にスガシカオ、作曲に松本孝弘、そして編曲にCHOKKAKUを配して制作された楽曲は、なるほど、KAT-TUNというグループの、待望のデビュー・シングルに相応しい、現時点における、ジャニーズ歌謡の、もっともハイ・グレードなナンバーであろう。ある種の様式美が持つ、コテコテのゴージャスさを、突き詰め、極めていったところに存在している、といえる。しかし僕がとくに注視したいのは、田中くん(=JOKER)の自作による、ラップに他ならないのだった。問題は、その速さ、である。ジャニーズ歌謡に、いつどこで、ラップが挿入されるようになったのか、その起源は、ちょっと知らないのだが、スタイルとしていよいよ定型化されたのは、嵐のデビュー曲「A・RA・SHI」によってではないか、と思う。だが、嵐の軌跡を辿った本『アラシゴト』で言明されているように、それはけっして、ラップを担当する櫻井くんの内にあったのものではなくて、外からやってきたものであった。そのことを踏まえたとき、じっさいに完全に身体化されたのは「ALL or NOTHING」ぐらいの段階だったのではないか、というのが僕の推測なのであるけれども、比べて、ここで聴くことのできる田中くんのラップの、見事なまでの躍動感といったら、ア・プリオリに、身体のうちから突き上げてくる、そのような迫力を孕んでいる。それというのは、もちろんライヴなどで積み重ねてきたキャリアが下地としてあったからこそなのだろうが、結果的にだとしても、言葉の速度が、すべてのジャニーズ歌謡のなかに定置されているラップのそれを、はるかに越えている。たぶんカラオケでうたおうとすれば、そのことは、すぐにでも実感できるはずだ。つうか、まあ、要するに、あれだ。すくなくとも僕にとって「REAL FACE」の魅力、というかKAT-TUNの本質は、田中くんのラップの、その高速度な言葉群に集約されているんだよ、ということが言いたいだけなのだった。
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2006年03月21日
 This Was Always Meant to Fall Apart

 前作『CULT CLASSIC』については、あんまり良い評価をくださなかった気がする、というか、くだしていないんだけれども、いや、この新作『THIS WAS ALWAYS MEANT TO FALL APART』に関しては、あー悪くない、オーケーオーケーといった感じのSCARLETである。では、何かがどうにか変わったのかといえば、いやいや、大幅に変化あるいは進化したところはなくて、あ、もしかしたら聴き手であるところの僕の心境のほうが違ってきたというのはあるかもしれないが、でも、一言いわせてもらえば、フックの設け方が、以前に比べると、ずいぶん達者になっている。それはある意味で、洗練された、ポップになった、キャッチーになったということなんだろうが、おそらくは、スローなテンポでメロディだけがうたわれる1曲目「OBSOLETE」に顕著なように、ゴシック色が強まったこととは無関係ではない。3曲目「ANTIBIONICS」とか、いつくかのナンバーのコーラス部で、バックの演奏がややシンフォニックな音色を帯びたりするあたり、まあ「あざとい」といえばそうなんだけれども、8曲目「PLASTIC SAINTS」における叙情には、それなりの説得力を感じる。それでも個人的には、ワン・オブ・ゼムに止まるバンドだが、これは何度か聴き返しそう。インダストリアルあるいはモダン・ヘヴィネス以降の、潮流の典型としては良質な部類に入る。つまり、前作のときもすこし思ったんだが、カオティック云々というよりは、90年代後半におけるROADRUNNERレーベルでイメージする音に近しいのではないかな、やはり。

 『CULT CLASSIC』について→こちら
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2006年03月19日
 Kill Your Own

 1曲目、冒頭、重厚なドラムの叩かれる音が作品の高密度なことを予感させる、はたしてHUNDRED REASONS(ハンドレッド・リーズンズ)のサード・アルバム『KILL YOUR OWN(キル・ユア・オウン)』は、バンドにとって最高傑作の名に相応しい、そういう会心の内容なのだった。初期はGARRISONとのスプリットを発表したり、米ポスト・ハードコア(エモ)・シーンとの積極的なリンクをこそ、その音楽性の後ろ盾としたサウンドは、衝動に満ちながらも、AT THE DRIVE-IN以降といった範疇を脱するものではなかったが、しかし、ここでは、じつにイギリスのアーティストらしい、陰影に富む、近頃のIDLEWILDにも似た、たおやかなリリシズムを全面的に開化させている。メロウな響きは、ある種の気高さすら孕み、ああ、この叙情になら僕は自分のエモーションを簡単に委ねてしまおう、という気分にさえなるのであった。かなめは、流線形の体でもってささやかに挿入され、繊細さと温かみの両面をサポートしつつ、ポップなフィーリングを盛り上げる、そのようなキーボードの使われ方だろう。弾いているのはギターのラリー・ヒビットである。そういった装飾と成果は、彼がプロデュースを担当したMY AWESOME COMPILATIONを彷彿とさせる。もしかするとインスピレーションはそこからやって来ているのかもしれない。もちろんラリーの側がMY AWESOME COMPILATIONに与えたインプットだということもありうるけれど、因果関係はともあれ、ワン・ポイント程度でインサートされているキーボードの旋律こそが、これまでの2枚とは違った表情をつくるのに、大きな役割を果たしていることは、たしかだ。ダイナミズムは、するどく尖った感触ではなくて、もうすこし弾力のつよい、コシのある演奏で、はねる。とはいえ、ハードさやアグレッシヴさが後退したのではなくて、いやいや、十分にラウドなのだけれども、すべての騒音は、乱暴な振舞いを避け、調和のとれた構成を導き出しているのであった。整合性を保ったまま、エネルギーは、じょじょに性急さを増し、高まり、生命の輝きを促した。そこはかとなく魂が燃える。ああ、そうだね、もしも君が、僕の感情はどこに? と訊くのであれば、ひとまずは、ここにあるよ、と答えたいと思う。

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら
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2006年03月15日
 Heartbeeps

 LA出身の4人組であるらしいTHE MAE SHIというバンド、はじめて聴いたのだが、うあ、ぶっ飛んでるな、というのが第一印象である。本作『HEARTBEEPS』(『GO ZIBRA』という作品はリリース元の違う同内容)は、昨年発表されたアルバムで、アルバム? アルバムなのかな、10曲入ってはいるのだけれども、わずか15分程度で終わる収録内容からして、そのアバンギャルドさ加減がうかがい知れるというもので、じっさいにサウンドは、一瞬の電撃が、間髪入れず、次々に、びびっと弾ける、そういう目まぐるしさの変動体になっている。比較対象をあげるとすれば、なんだろ、XBXRXとか、THE BLOOD BROTHERSとか、THE LOCUSTとか、DEATH FROM ABOVE 1979とか、LIGHTNING BOLTとか? たぶんそのあたりになるのかもしれないが、いやいや、じつのところどれにも似ていないだろ、これ。ビートは踊りを誘うかのように跳ね、甲高いヴォーカルはときにギャと騒ぎ、ドラムのビー・アグレッシヴな叩かれ具合はダガダガとテンションを煽る、ギターは不協和音を奏でるのに必死になっていて、しかし、シンセサイザーがニョロニョロと鳴れば、さっきまでの興奮はどこへやら、阿呆みたいな脱力を覚えるのだった。だけど、どうしてか聴きづらさはなくて、全体がポップに引き締まっている。耳について離れないというやつだ。ああ、でも残念ながら、はっきりといえば、このように言葉に移しかえただけで、その魅力の半分以上は、こぼれ落ちていってしまった気がしてならない。そうした正体不明さ具合が、そのままワンダーな魅力へと直結している。もう夢中である。できれば昨年のあいだに出会いたかった、そういう気分に強く打たれる、衝撃のさなかにいる、生きている感じがするよ、まちがいなく、今。

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2006年03月10日
 Ian Love

 胸中のなかで、蒼く拡がる海が、穏やかに凪いだ。やさしく頬を撫でる風があった。やがて、ゆっくりと立ち上がると、ふたたび歩きはじめる。あの、向こうに見える水平線は、世界の果てを思わせるが、そこに辿り着くまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。道のりは、長く、永遠にも似てる。そのような夢想を泳ぎながら、僕はイアン・ラヴ(IAN LOVE)のソロ作『IAN LOVE』を聴いた。イアン・ラヴは、ライヴァル・スクールズ(RIVAL SCHOOLS)そしてカルディア(CARDIA)にギターとして参加していた人で、そのような意味では、クイックサンド(QUICKSAND)以降のニューヨーク・ポスト・ハードコアの流れを引き継いでいるともいえる。しかし、ここではアコースティック・セットを基調に、素朴で、繊細に、極力ドラマの排除された、メロディアスな歌を聴かせている。そういった指向の推移は、やはり元ライヴァル・スクールズのウォルター・シュリーフェルズ(WALTER SCHREIFELS)や、ライヴァル・スクールズ時代に共演したジョナー・マトランガ(JONAH MATRANGA)らの今日との共通性を感じさせるものである。いや、しかし、これが、切なモードのうまく配せられた、じつに良作なのであった。なんといっても、イアン・ラヴの声がいいだろう。声質は、線が細く、弱々しい、だけど、それがナイーヴな感情を、抜群によく捉まえている。また演奏は、アコースティカルといっても、単純にフィーリング一本で鳴らされているのではなくて、隅々まで神経の行き届いた、芸の深みを感じさせる。そのことが、音のつくりに、立体的な、奥行きをもたらしているみたいだ。ときおり、エレクトリックなギターが、よれよれの曲線を描く。その響きに誘われたかのように、今さっき、窓の外では雨が降り出した。

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2006年03月07日
 In the Name of the World

 いかにもエモなイメージのつよいTHE MILITIA GROUPであるが、THE HOLY FIREのEP『IN THE NAME OF THE WORLD』で聴くことのできるサウンドは、そういったレーベルのカラーとはやや趣きを違えるものかもしれない。一昔前のアメリカン・オルタナティヴ風というか、カレッジ・チャート系というか、ベースにあるのはカントリーやフォークに拠ったロックン・ロールなのだろう、シンプルでポップなメロディがうたわれ、ギターは適度に騒がしく鳴り、相応の疾走感があり、ナイーヴなセンスが素朴な音の底に見え隠れしている。フックの仕掛け方が巧いんだな。ラフではあるが、アンサンブルの的確な演奏のうちに、捉まえやすいコーラスが設けられており、すべての楽曲がコンパクトかつキャッチーに響き渡る。とくにいいのは、タイトル・トラックでもある5曲目「IN THE NAME OF THE WORLD」と続く「HATE YOUR SMILE」である。まるで一時期のソウル・アサイラムやリプレイスメンツを彷彿とさせる、詩情と躍動があり、ひじょうにアトラクティヴな感情の造型を成り立たせているように思う。

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2006年03月06日
 けっこうな回数を聴いてみてはいるのだが、どうも僕のなかでうまくENDLICHERI☆ENDLICHERIという存在を掴めずにいるのだった。この戸惑いは何だろうとちょこっと考えてみたのだけれど、たとえば他のアーティストでいえば、椎名林檎と東京事変、宇多田ヒカルとUTADA、COCCOとSINGER SONGER、中村一義と100S、などにおいて、やはり個人的には後者の表現に入りにくい、堂本剛とENDLICHERI☆ENDLICHERIの関係は、それと似ているのかもしれない。もちろん、それぞれ立場や状況が違うわけであるが、しかしニュアンス的には、それぞれ思春期的な傾きの変化と受けとれ、そのような意味で、近似のかたちをとっているふうにも思える。要するに、サウンドのなかに提示されているイノセントのようなものの造型に対して、なにか引っ掛かりを覚えてしまうのだろう。年齢を重ねるということは、つまり、ピュアな時代との距離が広がってゆくということなのであり、そこにあるジレンマがそのまま、楽曲のキャッチーさを損なうものとしてENDLICHERI☆ENDLICHERIのファースト・アルバム『Coward』を取り巻いているみたいだ。いや、たしかにフックの鮮明な作品ではない、とはいえ、打ち込みのかなりかっこいい1曲目「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」に象徴的なようにインスト・パートは、なかなか聴かせる。まあ、そうした演奏部がイケているというのは、堂本剛名義のときからそうなのだけれども、だから、ここで問題であるのは、それがアーティスト当人の主導によるものなのか、あくまでもアレンジャーの力量であるのか、すくなくとも聴き手の側からすれば、いかにも判然としがたい点なのだ。言い換えると、個性がどこに宿っているか不明瞭ではないかな、ということである。いやいや、ENDLICHERI☆ENDLICHERIの個性とは、何がどうあっても、剛くんの詞と声、歌であることに間違いはなかった。そのことはラスト・ナンバー「これだけの日を跨いで来たのだから」の、すばらしく、すばらしい情緒が実証している。〈悲惨な出来事なんて あるのが当たり前じゃない これだけの日を跨いで来たのだから あたしたちはね 歩んでいるの 一歩一歩と人生って道を〉とうたわれるとき、そこでは今という位置とピュアな時代との距離が正確に測られており、そういった認識が唯一、楽曲と歌声に凜とした響きを促しているのである。

 「ソメイヨシノ」シングルについて→こちら
 『僕の靴音』について→こちら
 [si:]について→こちら
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2006年03月03日
 COWBOYS & ALIENSはベルギー出身のバンドであるが、FU MANCHU型というか、いわゆるアメリカン・ストーナーに近しいサウンドをやっている。ただし、この昨年リリースされたサード・アルバムにあたる『LANGUAGE OF SUPERSTARS』は、02年の前作『LOVE SEX VOLUME』に比べると、ファズの歪みがあまり効いておらず、わりとクリーンな響きを重視した音作りなので、クセのすくない、ブルージーな要素の入った普通のハード・ロックに聴こえなくもない。特筆すべきは、かなりの腕前で多彩なフレーズを操るギターと、ジョン・ガルシア(KYUSS、HERMANO)によく似た声で男前の歌いまわしを披露するヴォーカルである。ソング・ライティングのスキルも低くはなく、クライマックスの設け方も、なかなか巧い。とはいってみても、個性という面に関しては、先行するアーティスト群のフォロワーを抜け出ていない気がする。退屈はしないんだが、しかし、他のバンドのオルタナティヴに止まっているというか。それ以上を求めなければ、けっして悪くはなかった。

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 ソリッド・ステイト・ウォリアー

 ある人たちにとってJELLYFISHというバンドは、あまりにも過ぎた幻想で、おそらくは僕もその内のひとりだとして、さてロジャー・ジョセフ・マニング・Jr.(ROGER JESEPH MANNING JR.)の初ソロ・アルバムとなる『SOLID STATE WARRIOR(ソリッド・ステイト・ウォリアー)』なのであるが、これがもう、身悶えるほどにナイスな一枚だった。うたかたの色彩がきらきらと宙を舞い、あっけなく恋に落ちた日のことを思い出させるかよ、といった案配である。個人的には、JELLYFISH後のキャリア、IMPERIAL DRAGもMOOG COOKBOOKもけっして悪くはなく、どころかIMPERIAL DRAGのアルバムがあまりにも安価で中古販売されているのを見かけると胸を痛めたりもするぐらい好きではあるのだが、いや、しかし、これが、これこそが「待望の」といったところであろう。とにかく、そのポップなフィーリング、スウィートさ加減とドリーミー具合に、元JELLYFISHの真骨頂をみる。いくつかの場面からは、たしかに、あの、奇跡的なマジック・モーメントに近しいものが感じられる。基本的にはたったひとりで、4年の歳月をかけ作り上げたということだが、とても信じられない、楽曲のヴァリエーションと奥行きの深さを持っている。5曲目「SANDMAN」とか、何がどうなってこのようにメロディの良質な連なりが紡がれるのか、凡人の想像力では及ぶことのできない、そういう魅惑の境地に達していると思う。
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2006年03月01日
 We Are But Human

 もはやメロディがうつくしいだけのポップ・エモには辟易で、感心しない、もういいよ、むしろ嫌悪の対象にしか感じない僕なのだけれども、このポートランド出身、EVER WE FALLのファースト・フル作『WE ARE BUT HUMAN』にかぎっては、いいぜ、いいぜ、と褒めたがる。我儘なんだ。もちろん、それというのはナイス・ソングライティングなスキル・オーケーの枠内に止まらない、プラス・アルファな魅力がバンドに備わっているということなのだが、しかし、けっして個性やオリジナリティとして強調できるものではない、そうではなくて、類型のなかにありながらも、聴き手の琴線に触れてくる、そういう核心をついた肉声の響きを、見事な節回しに乗せているのである。音の像を、大まかにいうのであれば、MAEの叙情とTHURSDAYの情緒のあいだのどこかで、ナイーヴさを溜め込み、それを繊細な手つきの演奏にあわせ、ときに激しく鳴らしている、といった感じになるだろう。03年のデビューEP『ENDURA』に比べると、ダイナミズムの面においては、やや弱まった印象ではあるが、そのぶん、サウンドのスタティックな流れに洗練が加わり、センチメンタルな意識の浮上を際立たせている。永遠もやってこなければ、終わりもやってこない、ただ瞬間の連鎖反応のみが繰り返され、感情は安定することなく、揺らぎ続ける、しかしその移ろいこそを、引き受け、アイデンティティ化し、奏でられたものが、ここにある。にわかに発せられた蒼い閃光を思わせる2、3分台の短いナンバーもいいが、9分の長尺な8曲目「NO WORDS TO DESCRIBE」や7分に及ぶラスト12曲目「WELCOME TO FHLOSTON PARADISE」での、張りつめた空気がぴきりとひび割れ、拡がり、そこから静寂と安息の漏れ出てくる様子も、ひじょうに眺めがよい。すべての騒音は、性急さを増しながら、やがて透きとおり、消えた。

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2006年02月27日
 端からみれば一大事であるかのようなフロントマンのチェンジは、しかしアルバムの出来にネガティヴな効果をもたらしてはいない、かえってラップ・パートとギターのフレーズが充実し、じょじょに後退しつつあったミクスチャー的なメリハリ、初期の頃の鮮やかなアクセントが取り戻された印象だ。ZEBRAHEAD(ゼブラヘッド)の4作目『BROADCAST TO THE WORLD(ブロードキャスト・トゥ・ザ・ワールド)』である。いや正直なところ、楽曲の粒揃い具合でいえば、これまでの作品のなかでも1、2を競う内容なのではないかな、と思う。もちろんフレンドリーなコーラスさ加減も健在である。とはいえ、そのメロディ・ラインが、以前のオレンジ・カウンティ産パワー・ポップ(LITとかね)的なものから、いわゆるポップ・パンク(メロコア)・セオリーなものに風味を変えている、これはおそらく新加入したヴォカールであるマッティが持ち込んだものか、そうでなければ彼の歌い方のせいなのだろうが、フックのポイントがややあっさりとして過ぎるような気もするので、そのへんは好みの分かれどころになるのかもしれない。

 『ウェイスト・オブ・MFZB』についての文章→こちら
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2006年02月25日
 Rocinate

 ポスト・ロック的なアプローチを盛り込みつつ、ソフトに、穏やかで、そこはかとなく侘びしいサウンドを鳴らし続ける、オクラホマ出身のトリオESTER DRANGのサード・アルバム『ROCINANTE』は、03年の前作『INFINITE KEYS』同様JADE TREEレーベルからのリリースとなった。JADE TREEといえば、いかにも「エモ」といったイメージがあるが、ESTER DRANGの場合は、それよりもずっと本来的なインディ・ギター・ポップの音色を漂わせる。細部の音響をデリケートに練り込むことで、ヴォーカルのメロディを浮かび上がらせるつくりは、どこか幻想の匂いを帯びている。しかし、それが牧歌的な雰囲気にのみ流れていかず、アーバンな夜のドライさ加減をも同時に想起させる、そういった一義のイメージへと囲われることのない拡がりに、このバンドの叡智と特性が伺えるだろう。以前に比べると、ストリングスのアレンジとリズムの取り方が、やや神経質になった感じがする。プログレッシヴというか。そのことがおそらく寂寥のうちに厳粛な響きを組み込んでいる。  

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2006年02月20日
 LOSS.JPG

 ここ最近聴いためちゃんコア(めちゃんこ+コア、ぶっちゃけてどうでもいい造語)を紹介したいのコーナー、2回目。というわけで、アトランタ出身のトリオであるらしいME AND HIM CALL IT USの『LOSS』というアルバムなのであるが、その情緒不安定な騒音ぶりにぶっ飛んだ、死んだ、すげかった。具合が悪くなる。まるでハイ・スピードでカー・クラッシュしてぐちゃぐちゃになった頭部から脳漿が垂れ流されているときに視る白昼夢が上映されているかのようである。それっていったいどんなんだ。しいていうなら、THE LOCUSTとNEUROSISとENVYを三角に置いたらその中心点に値する、そういう感じの音だと思う。テンションの高いビートをぶっ放つだけではなくて、アンビエントなムードのうちに不穏さがあり、天国を墜落させるための呪詛さえ含まれている。とにかくメイン・ヴォーカルのみならず、コーラスまでもが、ガーガーと喚いているのだけれども、それらがときおり息苦しい、嗚咽のように聴こえてくる。その感極まった風情を指して、エモーショナルだということも可能だ。打撲のダメージを思わせるドラムのアタックが鼓膜に痛く、カタルシスや解放感を味わう余裕はいっさい奪われる。すみやかに14曲が30分の時間内で完遂されるわけだが、そのわずかなあいだに居たたまれなくなる瞬間が幾度となくある、翻って、場面場面が歪に伸張してゆくみたいだ、けれども、そうした居心地の悪さにこそ、なぜか心の底から共鳴してしまう。ああ、そうか、この世から断絶されたところに地獄はあるのではなくて、一繋がりの場所に位置しているのだとすれば、ここも地獄の一部か。ふとした際に、そう想い至る。いや、そんなこと考えないほうが。

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2006年02月17日
 DANSE.jpg

 ここ最近聴いた、めちゃんコア(めちゃんこ+コア)を紹介したいのコーナー。つうか、まあ、こういう系のサウンドについて正式名称があるのならば、なんというのだろう。グラインド・コアというかカオティックというか、ジャンクというか、本来的な意味でエモーショナル追求式というか、要するに、複雑な構成を持った楽曲を、重低音でもって、ファストに演奏し、そのうえに「ぐぎゃー」という絶唱が乗り、ランニング・タイムはわりとショート、一気に片をつける、そういったタイプのサウンドのことである。イマドキでいったら、けっこう慣用化しつつあるような気がしないでもないけれど、それでも破天荒なエネルギーと劇的なダイナミズムには、やはり自意識が吹っ飛ばされてしまうなあ。鼓膜の震えがすべてで、ほかには何も要らねえや、ってなる。で、このDANSE MACABREは、たぶんドイツのバンドなんだけれども、本作『SYNKOPENLEBEN,NEINE DANKE.』を聴く限りでは、いやいや、ぜんぜん侮れない域の存在なのだった。サプライズだ。高密度に圧縮された轟音は、空を落とす勢いである。なかでも特筆すべきは、タイトル・トラックでもある2曲目などを牽引する、ある種クラシカルともいえる、メタリックで叙情的なギター・プレイであろう。そいつが、強力なフックとなり、効いている。ドラムのぎくしゃくとしたリズムとのミスマッチが、胸掻き乱す、不協和なムードを形成し、その歪んだ空間に放り込まれた僕は、左右上下のバランスを欠いた姿勢のまま、ただただ落下の速度を味わうばかりなのであった。ぐわし、と背骨がひしゃげる。たとえばSOME GIRLSの新譜を聴いたあとでも、なかなかの破壊力だったので、インパクトひとつとっても相当なくらい、かなりのマジモンだと思う。

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2006年02月15日
 Lights and Sounds

 悪くはないと思う、悪くはないとは思うんだ、と自分を騙し騙し何度か繰り返し聴いてみたが、やはり前作『OCEAN AVENUE(オーシャン・アベニュー)』と比べると、ひじょうに厳しい感じがしてしまう。YELLOWCARD(イエロー・カード)の新作『LIGHTS AND SOUDS(ライツ・アンド・サウンズ)』である。それというのは結局のところ、総体的にみて、キャッチーさが後退しているからだろう。いや、これはこれで、十分にポップではある。が、しかし、一言で判ずれば、フックが弱いですよ、ということになる。それこそ『OCEAN AVENUE』ならば、ヴァイオリンの導入されたサウンドをひとつ特性だとしても、まあ定型の範囲だよねえ、と感じつつ悔しいことに耳について離れない、そういうナンバーがアルバムの頭から詰まっていたために、はからずも説得されてしまうところがあったが、『LIGHTS AND SOUDS』に関しては、譲歩してもなお、オーケーと認めることができないラインに存在している。正直、ミドル・テンポというかバラード調のナンバーがあまり凝っていない、おざなりであるような気がした、しかし、それでもメロディのつくりをエモーショナルであるとして感情移入できるタイプの人間には悪くはないのかもしれないが、僕はといえば、ダルいと感じるばかりであった。14曲目「HOLLY WOOD DIED」のような、ダークかつシリアスなニュアンスを含みながらも、疾走感をけっして損なっていない楽曲がもうちょい盛り沢山であったなら、印象は違っていたかもしれない。いや、おまえ、「もしも」の話はよせよ。
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2006年02月14日
 スピーク・ミュージック

 ああ。結論からいってしまえば、素晴らしい、の一言に尽きる。それ以上の言葉は、ここに拡がる美しい情景を前に、みごと吹っ飛んでしまうのであった。スウェーデン出身IKAROS(イカロス)というバンドの、その中心人物であるデビッド(DEVID LEHNBERG)が歩んできた、LEIAH(レイア)、そしてARIEL KILL HIM(エイリアル・キル・ヒム)といったキャリアを知るものにとっては、このデビュー・アルバム『SPEAK MUSIC(スピーク・ミュージック)』は、まさしくそれらの続編に値する、極限にまで磨き込まれた最高潮のロマンティシズムだろう。いや、もちろんのように、そういった事前の知識など、ほんとうは要らない、そんなものなくとも、音の響き渡る場に居合わせただけで、じゅうぶんに溺れる。サウンドの型は、シンプルに、エレクトロニカあるいはポスト・ロックの要素を盛り込んだエモ、と捉まえることができるが、目指されているのは、そういった音楽の坩堝に顕著な抽象性ではなくて、具体的なイメージで綴られるロマンティズムである。「君と僕」の関係において、つねに君の居場所が僕にとっては感情の在処となるのだけれども、どうしてもそこに手が届かないんだ、だから苦しく、悲しい、切ない、しかしその事実こそがじつは、僕のなかに感情が死んでいないことを証明しているみたいだ、そしてそれを君に伝えたい、またもや届かないのかもしれないが、どうしてだろう、感情はいっこうに消えてなくならない。これを聴きながら、自意識のどこかで、トートロジーのように繰り返される、蒼く、澄んだ、光点の、ちいさな明滅を思い浮かべる。やはり特筆すべきは、デビットのヴォーカルだろう。センシティヴというよりはスウィートに張る声が、ナイーヴなメロディにつつまれたフレーズを、滑り渡るようにして捕まえてゆく。アーティスト写真などで、なぜ彼が女装にこだわるのかといえば、それは、エキセントリックに自分を見せたいのではなく、とことんにまでロマンティックな心性の反映に違いない。個人的には、2曲目の「NEW」が、とくにお気に入りである。まばゆい効果をあげるキーボードをバックに、か細く、しかし確信に似た力強さで爪弾かれるギター、〈すべてが終わってしまったあとで、うつくしい音色を詰め込んだ完璧なサウンド・トラックはどんなふうに聴こえるのだろうか(筆者訳)〉とうたわれるコーラスは、ある意味で、この作品の本質を象徴的に示しえている。
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2006年02月11日
 Together at Last and This Is Our Wedding

 昨年の11月に出てたらしいアルバム。エグゼクティヴ・プロデューサーとしてD sardyとあるが、これは、あのデイヴ・サーディのことかしら。THE MEAN REDSというバンドが、この『TOGETHER AT LAST AND THIS IS OUR WEDDING』でやっているサウンドの基本線は、サンクス・リストにもクレジットされているTHE BLOOD BROTHERSのような、テンション高くトリッキーな騒音を撒き散らす、アヴァン・コア(こういう言葉があるのか知らない、さっき思いついた)、あるいはジャンク・ポップ(これはありそうだ)である。が、そこに、映画音楽やクラシック、ゲーム・ミュージックなどの要素も混じっている。ときおりFANTOMASを思わせる雰囲気もある。「PENIS FLOWER」という曲名があったりと、なかなかヒネたセンスの持ち主であるようだ。たしかに一筋縄ではいかない感じだけれども、しかし、総体的にはキャッチーな音に仕上がっているので、入りにくい印象はない。そうそう身構えることもない。というか、いや、これ、おっかしいなあ、にはは、と耳を立てているうちに、知らず、気分のあがってくるところが、その魅力である。イントロである1曲目と12曲目「FEMBONIX」に同じ旋律が用いられているけれども、なにか深い音楽的意図が隠されていると考えるよりは、まあ適当なんだろうな、と受け入れたほうがしっくりとくる、そういうキッチュでナイスな趣きに、ひたすら痺れるのだった。ちなみにオフィシャル・サイトには、あきらかに無断使用なんだろう、90年代エロ・マンガ雑誌の表紙風イラストが。あ、遊人のもあるよ。

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2006年02月07日
 Come Clarity

 これはもう格が違うよ。聴いてみたらばさあ、そういうふうにしか呟けなくなると思うんだ、きっと。IN FLAMES(イン・フレイムス)の8作目『COME CLARITY(カム・クラリティ)』のことである。 たとえば、あるアーティストが、ある程度のキャリアを積んでゆく過程のなかに、他を完全に引き離す到達点みたいなものがあって、当のアーティスト自身でさえ、もしかすると、今後その一線を越えることはできないのではないか、というようなレベルのアルバムを生み出すことがある。つまり最高傑作というやつだ。おそらくIN FLAMESというバンドにとっては、99年の4作目『CORONY』が、それにあたるのかもしれない。すくなくとも、ここ日本のファン大勢の評価はそのようになっている。だからこそ、それに続く作品については、クオリティの高さは認められながらも、ケチのつくことがしばしあったわけだ。が、しかし、どうだろう、『COME CLARITY』、これぞ、これこそが、IN FLAMESの新しい臨界である。ディスコグラフィ的にみるのであれば、僕にはこれは、あの、ジューダス・プリーストが『ターボ』を経たあとで、『ペインキラー』というモンスターを作り上げたことに近しく、感じられる。ちょっと違うかな。いずれにせよ。『COME CLARITY』もまた、怪物というに相応しい、そういうバンドの充実した影像に他ならない。

 すこし反動的なことを書くかもだけど、『CORONY』や、それに前後する97年『WHORACLE』や00年『CLYMAN』は、あくまでも北欧メロディック・デスというバックボーンをもって、ヘヴィ・メタルという範疇のなかでのみ映える、そういう内容の作品群であったと思う。本来のデス・メタル的なブルータリティとは別個の、叙情性と様式美あるいは機能美が、十全に発揮されたがゆえに、特定のファン層にアピールしえた。換言すると、限定された聴き手のうちにある、ある種のコード、というのは要するに、メタル耳(ヘヴィ・メタルを聴取しうる素養)なわけだけれども、それを刺激し、開かせる装置でしかなかった。そうした装置の強度として、スピーディーでメロディアスなギターのフレーズが、特筆されていたのではなかったか。だからこそ、そのような側面の唐突に後退したかのように感じられる02年の6作目『REROUTE TO REMAIN』は、肯定的であれ否定的であれ、変化というタームで語られがちになるのだろう。結局のところ、ヘヴィ・メタルというジャンルに特化しているかしていないかが、評価の分かれ目となった。

 いや、しかし、そんなことはどうでもいいじゃないか、まるでそう言いたげな迫力が、『COME CLARITY』には、ある。とにかくビー・アグレッシヴな勢い、そして原初的な激しさとしてのブルータリティ、しかし、メロディアスであることとキャッチーであること、同時にモダンであることが忘れられているのではない、すべてを総括した結果、IN FLAMESは、ありとあらゆる種類の轟音を従属させる、カテゴリーの束縛を無効化するが、ハイブリットではなくて、シェルブリット、それも衝撃のファースト・ブリットの次なる、撃滅のセカンド・ブリットに至ってしまった。ちなみに何々ブリットは「スクライド」用語なのだけれども、それはつまり、あれだ、そのぐらい破格で燃え燃えの破壊力に違いねえや、ということである。
 
 ごめんください、と、おずおず入り口を開けた、1曲目「TAKE THIS LIFE」からしていきなり、耳内に張り巡らされた全神経が持っていかれる。というのは、玄関のなかに立ってみると、その間取りが、どうも一筋縄ではいかなそうだぞ、と直感に訴えるつくりになっているからだ。ザクザクとしたギターのリフが楽曲を立ち上げる、追随してダカダカいうドラムが鳴る、さいしょから刻まれるリズムは高速である、それらはいっけん粗野で整合性を気にした様子はないのだが、しばらくしたのち、ちょうどゆるやかなカーブを曲がるときのように、クッションを置かずテンポが落ちる、すると躍動感の失われないままに、しっかりとした輪郭が、演奏全体に付与される。複雑さのなかに、意外性と安定感が、掛け違いになることなく、共存している。そのため、聴き手のパースペクティヴは狂わされ、ただただ音それ自体が持つインパクトの強さに身を委ねることになってしまう。すばらしく、よく出来た導入部である。もちろん、それを引き継ぐに相応しい展開がその後に待っている、どころか最後の最後までずうっと続いてゆく。随所で聴かれるフレーズは哀愁の色合いだけれども、それのみをフックに頼っているわけじゃない。すべての瞬間にハイライトがあり、エモーションをくすぐる表現力が、滑らかな曲線でもって、立体的なダイナミズムを描いているのだった。はっきりいって、全曲いい。衝動に基づく一義的な無体さとはすこし違った、繊細で緻密に深く多義的な音使いは、やがて厳かな旋律のうちに倒壊のイメージを呼び込むのであろう。ラスト・ナンバー「YOUR BEDTIME STORY IS SCARING EVERYONE」に宿された痛みが、ひどく悲しげに閉幕を告げる、その重々しい響きは、感動に似ていた。
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2006年02月04日
 オール・ライオット

 ああ、すばらしきWATERDOWN(ウォーターダウン)、そのサード・アルバムにあたる『ALL RIOT(オール・ライオット)』は、ここ10年におけるラウド・ロックのヒストリーを凝縮し、内包してみせた、間違いなく、ひとつの達成である。いや、じつをいえば、このドイツ出身の6人組こそが、現行する00年代型オーヴァーグラウンド式ラウド・ロックの先駆けであった。その意味合いは、01年に発表されたデビュー・アルバム『NEVER KILL THE BOY ON THE FIRST DATE』に収録されていた「ROUND TWO」を聴いてもらえれば、一発で理解してもらえると思う。そのニュースクール・ハードコアなんだかエモなんだかハード・ロックなんだかよくわからんが、しかし的確に騒音を鳴らす演奏のうえに、メロウに麗しいメロディをうたうヴォーカルとアングリーに濁った叫びをまっとうするヴォーカルが一対となって載る、「ドンチューノウォー」というコーラスのシンプルさが印象的であるように、全体像はおそろしくポップである、そういったフォーマットの汎用化されたつくりを、まるで今の若いバンド群はなぞらえているみたいだ。セカンド作『THE FILES YOU HAVE ON ME』(03年)では、サウンドの方向性をそのままに、ややドラマティックな側面が強調された。そして『ALL RIOT』である。これがねえ、一言でいえば、キラーってやつなのだった。

 全編にわたり、アレンジは、即効性と耐久性の両面を兼ね揃えた、まさに抜き差しならない、徹底の態を為しえている。楽曲のヴァラエティと、一曲のうちにある表情の変化も、豊富である。アグレッシヴさをスピードに託したものから、モダンなグルーヴを強調したもの、さらには、ジャーマン・メタルの国の人だから、と言われれば、ああそうか、と思えるリード・ギターを駆使したものまである。それらが3分程度の進行を果たすあいだには、いくつものフックが設けられている。けっこう大胆に展開するナンバーもあるけれども、前後したときに輪郭がぼやけることはなくて、あくまでも一筋に伸びたラインが、くっきりとクリアに響く。プロデュースで参加したインゴ(DONOTS)の助力もあったのだろう、基本的にパワフルで迫力のあるサウンドだが、耳当たりはかなりキャッチーだ。が、しかし、そのわかりやすさは、コマーシャリズムにおもねったふうではない、ストイックさの反映として聴こえる。約36分の収録時間に含められている情報量は膨大であるけれども、ひとつひとつを、メンバー各人のポテンシャルの発揮された、綱引きの緊張で結びつけてゆく、そうした手つきによる洗練とバランスとが、この『ALL RIOT』に、一線級の完成度をもたらしている。革新性に突き抜けた内容ではけっしてないとはいえ、このレベル、このクオリティ、何をとってもメルクマールに値すべきレベルの出来である。褒めすぎたか。や、そんなことはぜんぜん。

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2006年02月03日
 ENDLICHERI☆ENDLICHERI(エンドリケリー・エンドリケリー)=堂本剛くんのニュー・シングル『ソメイヨシノ』であるが、やあ、こいつはちょっと微妙じゃなかろうか、と思うのは、一聴して、楽曲が大きなフックによって引っ張られているわけではないことに気づくからで、何度か繰り返さないとその輪郭を掴むのが難しい。わかりやすいコーラスを進捗の基準にするのではなくて、伴奏の凝った拡散性を目指すつくりは、なるほど、アルバム[si:]の方向性を汲み取ったものだといえるだろう。たしかに、上田ケンジが編曲を担当し、Asa-Chanなどが参加したカップリング「濡れ鼠」における、ブラス・パートとギターのせめぎ合う、その緊張は、ひとつの聴きどころではある。しかしなあ。もしかすると、ミスター・チルドレン『深海』の椎名林檎『加爾基 精液 栗ノ花』的解釈に収まってしまっているといえなくもない指向は、やはり抽象的にすぎる嫌いがあり、堂本の強く声を張るヴォーカルとのマッチングは、それほど功を奏していない感じがした。ちなみに僕は、1曲目と2曲目のインストゥルメント・トラックが3曲目、4曲目に配された初回限定盤を購入したのだけれども、バックの演奏に興味のないタイプの人間には、ここに収録されていない「Blue Cherry」の入った通常盤のほうがあきらかにお得である。またスペシャル・ジャケットといっても、写真が豊富なわけでもないのだった。

 『ぼくの靴音』についての文章→こちら
 [si:]についての文章→こちら
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2006年02月02日
 Touch This & Die

 個人的に、スウィートでキャッチーなポップ・ソングは大好きであるけれども、ときどき歯痒い思いをするのは、バックのプレイが装飾程度にしか機能していないサウンドを耳にした場合で、それというのは楽曲における起伏が、結局のところメロディによってのみ担われているからに他ならない、もちろんそういうものをこそ愛でる人たちもいるだろうが、しかし僕はといえば、メンバー各人がバンドとして有機的に結び付いたさいに為しうる、あの立体的な質感の中央に置かれた心地よいコーラスを、何よりも尊ぶようにして、味わっていたいのであった。そうした意味合いにおいて、では、THE MILITIA GROUPからのデビューとなったTHE CLASS OF 98のファースト・アルバム、この『TOUCH THIS AND DIE』はどうかというと、まずまずオーケー、いや、けっこういいんじゃないかな、これ、といった具合である。4人編成ならではのシンプルで勢いのある演奏と重なるハーモニーの兼ね合いが、感情の高揚と凪とをうまい具合に演出している。ハイになるべきところでは一丸となりテンポをあげ、ローなムードにおいては、ノイズを穏やかに、そう、まるで毛布をそうするかのように、やさしく被せることで、体温の下がらないパセティックな響きを形作っている。楽曲は粒揃いで、どのナンバーもフェイド・アウトで終わることがない、コンパクトにまとまっており、切り上げ方もいい。系統としては、もはや産業ロックの代替物ともいうべき、ひねりのないポップ・エモ(あるいはウィーザー以降のパワー・ポップ)だが、その定型のうちにあっても、上々と認めざるをえない内容である。

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2006年01月30日
 Thrill Seeker

 ヴォーカルがグヴォーと叫び、ズジャズジャピロピロいうギターがときおり叙情的なフレーズを挟み込めば、リズム隊は果敢にもギクシャクとした拍子のチェンジを披露して、という具合に、まったくもって演じているレベルの高さは認めざるをえないのであるが、でもねえ、こういうのももはやステレオタイプだよ、などと聴きはじめは思った、AUGUST BURNS REDのファースト・フル作『THRILL SEEKER』なのだけれども、ああ、ううん、ちょっと待てよ、これは、しかし、汎用型に過ぎると切り捨てることのできない、そういう濃密な時間をむせ返るほどに内包しているアルバムであるかもしれなかった。たとえば、かつてメガデスは、高度にテクニカルな自らの音楽性(あと社会的な歌詞だったか)を指して、インテクチュアル・スラッシュ・メタルと呼んだが、もしかすると、それに匹敵するぐらいのインテレクチュアルさ加減ではないかな、といった気がする。何よりも特筆すべきはギターですよ。しっかりとしたリフがあって、まずそれが強い印象を残す、そうした印象を鋭いスピードのキープされたまま、複雑に変化させてゆく、その複雑さが、他との差別になっている。おそらくはカオティックないしメタルコアの範疇にすっぽりと収まるスタイルだが、本質的な部分においては、あんがいシステム・オブ・ア・ダウンあたりに近しい、定型度外視のトリッキーさをそのままキャッチーな魅力に転化させる、そういう指向の際立ったサウンドではないかしら。部分部分で発揮されている、ドラマティックな盛り上がりと滑空のドライヴ感が、けっこうな勢いで、気持ちよく、鼓膜に、ヒットする。

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2006年01月28日
 Their Rock Is Not Our Rock

 『THEIR ROCK IS NOT OUR ROCK』要するに「奴らのロックはオレらにすりゃあロックじゃねえぜ」というアルバム・タイトルがじつに勇ましいFIREBALL MINISTRYのサード・アルバムは、LIQUOR& POKERからのリリースになっている。なるほど、そのハード・ロックともストーナーともガレージとも判断のつかない、強いて例えるのであればザック・ワイルドとFU MANCHUとNASHVILLE PUSSYのあいだのどこか、ということになるのだろう剛気なロックン・ロールは、たしかにNUBULAやTHE HELLACOPTERS、SCOTT REEDER(ex-KYUSS)などを取り扱っているレーベルのカラーにはあっている。聴いてまず感じるのは、ずっしりと重たい質量ではなくて、縦ノリの運動を促す、フットワークのよさである。シンプルさを保ったサウンドのプロダクションは、からっと乾いた風の立つ感触であるけれども、渋く熱いヴォーカルがウェットな息を吹きかける。硬さは、いくつもの石ころがガラガラと傾斜の高いところからゆるやかに下ってゆく、そのようなエネルギーとして一音一音のうちに宿されている。でもって、角張ったリフと仰々しくならない程度に流暢なソロを弾くギターの2本、これがまた、いい案配に楽曲を盛り上げてくれるのであった。

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2006年01月27日
 The Beat Goes On

 EMBRACE TODAYとか、MODERN LIFE IS WARとか、まあDOOMRIDERSあたりを含めてしまっていいかどうかは微妙な線ではあるけれども、CONVERGEのヴォーカルであるジェイコブ・バノンの運営するレーベルDETH WITHがこのところ囲っているアーティストを聴くと、けっこう直球で力押しなものが多く、今年以降、そういう路線のものがアンダーグラウンドを中心にして増えていくのかな、という気がしないでもない。やはりDETH WISHからのリリースとなる、このBLACKLISTEDの新作『...THE BEAT GOES ON』も、じつにそういった傾向の音を出している。オールドスクールがあって、ニュースクールがあって、カオティックがあって、というようなハードコアの記憶をサウンドに刻みながらも、その過程のなかで複雑化していった演奏の部分に着目するのではなくて、轟という高強度の激しさのみをシンプルに徹底させた、そういうストロング・スタイルの作品に仕上がっている。とにかく怒濤のアグレッシヴさ加減、勢いで攻める、アドレナリン・サージの、かっこういいハードコアである。だいたいが1分から2分程度のショートなナンバーなのだが、そこに序破急の展開を盛り込み、各楽器がコンマ1秒を重視したコンビネーションをばっちり決めれば、気合い一声のヴォーカルは、アングリーな表情を楽曲に塗り込める。不穏なベースのラインではじまり、ノイズに端を発したギターのリフがやがてテンポ・アップを促し、「ハウクイックリィッ!」というわかりやすいコーラスの訪れる9曲目「HOW QUICKLY WE FORGET(AGAIN)」などが、とくに、いい。燃える。

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2006年01月23日
 KILLER.jpg

 これまでにもSMASHING PUMPKINS略してスマパンのトリビュートは数種出ているが、この『the killer in you a tribute to SMASHING PUMPKINS』は、いわゆるスクリーモあるいはメタルコアのジャンルに属する、要するに、イマドキの若手ラウド・ロック勢を集め、制作されたものである。全部で11曲、11のアーティストが参加している。いちおう僕は、スマパンの熱心なファンのつもりであるけれども、まあ、けっして悪くはない内容であると思う。というのは、どのアーティストも、原曲のイメージを崩さず、わりと忠実に再現しており、いま現在10代または20代前半で、これまでにスマパンを聴いたときがないリスナーに向けてのプレゼンテーションとして、これは、十分に生きていると感じられるからだ。

 アルバムはROSES ARE REDによる「CHERUB ROCK」によって幕を開ける。邦題「天使のロック」は、その影響下にあるいくつもの邦楽アーティストが同名異曲を作るなど、ある意味では、スマパンを象徴する1曲であり、出世作にあたる93年のセカンド『SIAMESE DREAM』の冒頭を飾るナンバーでもある。クリーンなトーンのギターが中盤でザクザクと鳴り出すあたりに、ROSES ARE REDのカラーが出ているが、とくに凝ったアレンジが施されているわけではなくて、その違和感のなさが、じつに導入部には相応しいといえる(確認していないが、たぶん、ROSES ARE RED『CONVERSATIONS』日本盤のボーナス・トラックと同じ音源ではないかな)。

 2曲目はA THORN FOR EVERY HEARTの「JELLY BELLY」である。これも違和感がない。もともとが95年の2枚組大作『メロンコリーそして終わりのない悲しみ』のなかでも、ややヘヴィかつハードコアな傾向にあるナンバーであるが、そのアグレッシヴさを、なんとか乗りこなそうとしている。ギターの音が圧で潰れてしまったかのようなものでないところは、まあ仕方がないとしても、ただ連打しているだけのドラムには、いささか物足りなさを覚える。しかし、ああ、それこそが無い物ねだりというものに違いない。ジミー・チェンバレンは、やっぱすげかった。

 POSON THE WELLが意外な一面を見せるのが3曲目の「SOMA」だ。原曲は『SIAMESE DREAM』収録の、穏やかで物憂げなナンバーである。ヴォーカルも含め、たぶんここまでソフトな演奏に徹しているものはPOSON THE WELLのオリジナルにはない。裏を返せば、匿名的なカヴァーになってしまっている。前半部のアコースティカルなパートはともかく、後半部のダイナミックに盛り上がる箇所も、やけに行儀がよい。とはいえ、グランジィなドローンとした部分を引き出した点に、評価を与えるべきか。4曲目は、デビュー・アルバム『SOUNDTRACK TO HEADRUSH』の日本盤ボーナス・トラックに、やはりスマパン「DISARM」のカヴァーを提供したEMANUELによる「MAYONESE」である。「DISARM」「MAYONESE」ともに『SIAMESE DREAM』の楽曲で、このバンドにとってはフェイヴァリットなアルバムなのだろう。じつは『the killer in you a tribute to SMASHING PUMPKINS』におけるベストは、この「MAYONESE」ではないか、という気がしている。ナイーヴなエモーションをコマーシャルの枠内でハードな方面にコントロールしたスマパンの、ある意味ではチープ・トリック的な本質を、うまい具合に再現しているように感じられる。続くARMOR FOR SLEEPの「TODAY」もなかなか。「TODAY」も『SIAMESE DREAM』に収められたミドル・テンポの楽曲で、スマパンの代表曲と見なす人も多い。それをARMOR FOR SLEEPらしい、力強く、爽やかな演奏で彩る。6曲目で、映画『ロスト・ハイウェイ』のサントラに提供された「EYE」をプレイしているのは、HOPESFALLである。「EYE」は、どちらかといえばニューウェイヴ色の濃い、エレクトリックかつスタティックな曲調であるが、そのダークな表情をそのままに、HOPESFALLのヴァージョンは、演奏における肉感的な部分を強調することで、総体としての温度をすこし高めに設定している。

 個人的にペケをつけたいのが、A STATIC LULLABYによる「THE EVERLASTING GAZE」である。原曲は、00年のラスト・アルバム『MACHINA / THE MACHINE OF GOD』をキック・スタートさせる攻撃的なロック・ソングであるけれども、いや、まあ、そこにガナっているヴォーカルを加えるだけという発想を、安直と言わずに、何と言えばよいか知らない。バックの演奏は原曲よりもすこしばかり重ためで、ギターはいい、ドラムもいい、ベースもオーケー、クリーンなほうのヴォーカルも悪くはない、ただノー・エモーションなスクリームが最悪で、全部を台無しにする。それはけっして好みの問題ではないと思うよ。

 おそらく本作中で、もっとも独自な改変を施しているのが、『メロンコリーそして終わりのない悲しみ』の「1979」を取り上げたVAUXであろう。「1979」の、あえて大仰な部分を用いない、淡々とした進行を、VAUXは、リズムの部分をアコースティック・ギターに任せ、その上に大胆なバンド演奏を盛り込んでいく。いや、コーラス部における畳み掛け方が「1979」の「TONIGHT, TONIGHT」的解釈といった感じで、けっこう聴かせるのであった。9曲目は37 LEAVESの「ZERO」である。「ZERO」は『メロンコリーそして終わりのない悲しみ』に収録されている。じつは37 LEAVESに関しては、本作中で唯一オリジナル音源を聴いたことがないバンドである。これを聴く限りでは、硬派なメタルコア・アクトなのかな。まさにそういう仕上がりになっている。あ、ごめん、10曲目MURDER BY DEATHの「WE ONLY COME OUT AT NIGHT」は、VAUX以上に独特なアレンジかもしれない。どこかほのぼのとして牧歌的な印象の原曲を、MURDER BY DEATHはエレガントかつジェントルなものへと、イメージ・チェンジしている。渋いヴォーカルとチェロの暗い響きは、バンド本来の持ち味だが、しかしこれでは、まるでポール・アンカかパット・ブーンではないか、というぐらいにアダルトな振る舞い。

 でもって『the killer in you a tribute to SMASHING PUMPKINS』は、ラスト、EIGHTEEN VISIONSの「QUIET」(『SIAMESE DREAM』)によって、締め括られるのだが、これがかなりの迫力で、じつに今風のヘヴィなサウンドに器を移し替えている。このナイスなマッチングは、とりたてて奇を衒うのではなくて、バンドが自分たちの特性にあった選曲をしたことによる帰結だろう。ゴツゴツとした質感の強さに、野暮な感性を見る向きもあるかもしれないけれど、最初にも言ったように、若い世代のリスナーに向けたプレゼンテーションと考えれば、過不足のないインパクトを伴った出来映えである。
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2006年01月13日
 DOZER.jpg

 じつをいえば、DOZERに関しては、これまでノー・チェックだった。UNIDAとのスプリット盤(再発されるそうですね)などで、その存在は知っていたのだが、本作『THROUGH THE EYES OF HEATHENS』を聴くまで、じっさいに音にあたったことはなかった。が、そのことを後悔した、はげしく後悔したぞ、おまえのアンテナは相変わらず使えねえな、と僕は僕に言ったのだった。つまり、打ちのめされるほどに、いたく感心した。まいった。サウンドの基本線は、いわゆるスウェディッシュ・ストーナーの枠内に収まるような、どこかレトロスペクティヴなハード・ロックではあるのだけれども、DOZERの場合、あまり眼中に、様式をまっとうしようという丁寧さは、ないように思う。むしろリアルタイムで体験したのだろう、KYUSS(あるいはその後継バンド)とTHE HELLACOPTERSとを、要するに、アメリカン・ストーナーとスウェディッシュ・ガレージとを、回顧の視線とはべつのレベルでクラッシュさせているのではないか。と、いかんせんこれ以前の作品を聴いたときがないので断言できないが、しかしハイとローをソウルでコントロールするヴォーカルの歌い回しが、そして2曲目「BORN A LEGEND」の、轟音の荒くれ具合が、まさにそんな感じなのである。もっとも、特筆すべきはドラムのタイム感に違いない。とくに凝ったスタイルではないのだけれども、だからこそダカダカと刻まれるアタックのナイスさ加減を、実感せざるをえない。やたらと煽ってくれる。ひどくファジーに軋むギターのリフが、燃える、かっこういいのは当たり前だ。だって、こいつは、おまえ、きっと、何よりもまず、ウズウズするようなロックン・ロールなのだから、と僕は僕に言った。

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2006年01月09日
 Devoid of Color

 元OBSSESEDあるいはSAINT VITUSといえば、まさしく真性ドゥーム・キャリアの道を歩んできたワイノ(WINO)率いるTHE HIDDEN HANDの新作『DEVOID OF COLOUR』は、表面がCD、そして裏面がDVDという、いわゆるデュアル・ディスクのフォーマットがとられているのであった。僕が手に入れたものには2530 / 3000とナンバリングされているけれども、これ、3000枚の限定なのかな。CDには5曲の(たぶん)新曲が収録されている。いずれも小品といった感じではあるが、幻惑に幻覚を重ねるヘヴィなリフは禍々しくも、メロディのつくり自体は思いのほか聴き易く馴染み易いという、じつに、THE HIDDEN HANDらしいナンバーが揃えられている。このバンドの魅力は、スロー・ペースなブルーズ・ロックの、その本質的な部分を捉まえつつも、けっしてサウンドの間口が狭くなっていないところだといえる。そのことはDVDサイドに収められた、45分間のライヴ映像でも明らかである。なるほど、トリオ編成でありながらも、圧の強く、うねる、分厚いグルーヴは、このようにして編まれるわけか。わりと一音一音の応答を大事にした、楽器間のコンビネーションは、ジャム・セッションに近しい趣きである。しかし、そこで追求されているのは、その場のフレキシブルなノリではなくて、むしろ反復を極めることの美学のように思える。そうした様子に思わず、武士道あるいはブシドー、という言葉が脳裏をよぎる。いや、とにもかくにも長髪のダーティな格好で、タトゥーのナイスな二の腕を震えさせ、ギターを弾く、マイクに向かうワイノの姿が、ヴィジュアル的にも、かなり燃えるのであって、その硬派な佇まいからして、すでに十分な説得力だろう。オフ・ショットだろうか、ご自慢の庭を幼子といっしょに手入れしているシーンが途中挿入されているけれども、そこでの退屈そうなおっさん(というか爺さん)が、まさか仄暗いステージの上では、気合い一閃のオーラを放っている。凄みあるぜ。

 レーベルSOUTHERN LORDのオフィシャル・サイト→こちら
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 Ahead of the Lions
 
 米セント・ルイス出身、ベルリン3兄弟によるLIVING THINGS(リヴィング・シングス)のセカンド・アルバムが早くも登場、かと思ったら違った、ん、レコード会社が変わったのかな、この『AHEAD OF LIONS』は、日本盤も出たデビュー作である『BLACK SKIES IN BROAD DAYLGHT(ブラック・スカイズ・イン・ブロード・デイライト)』の仕切り直し、といった感じの仕様で、暑苦しく勢いの直裁的なロックン・ロール・ソング「BOMBS BELOW」で幕を開けるところまでは同じだが、いくつかの曲がオミットされたかわりに、いくつかの新曲が加えられ、全体の構成も変えられている。『BLACK SKIES IN BROAD DAYLGHT』は、後半に、バラード・タイプというかスローな楽曲がまとめられていたため、トータルでみれば、尻つぼみの感は免れえなかったけれども、ここでは、最初から最後まで、突撃の息が続いている。サウンドの基本線は、90年代グランジあるいはオルタナティヴを通過した、ハイ・エナジー型のアメリカン・ハード・ロックだといえる、しかしダークな色彩がまるで凡庸とイコールであった部分が、土埃を巻き上げるような、そういう爽快さにテンポ・チェンジし、不敵な快男児ぶりが前面に出る格好となった、というのが最大の改善点だろう。ちなみに、本作からというべきか、バンドは、サイド・ギタリストを加えた4人編成になっていて、じゃあ過去のナンバーが録り直されているのかといえば、クレジットを見る限りでは不明なので聴き比べてみると、うーん、僕の耳では違いはわからず、たぶん同じヴァージョンじゃねえかしら、ミックスもそのままっぽい気がする。とはいえ、新曲である「BOOM BOOM BOOM」「MONSTERS OF MAN」「GOD MADE HATE」あたりに顕著なのは、シャッフルを適用した、直情的というよりも、リズムの跳ねを生かす、そういった指向であり、そこからは、これまでと音楽性の違ってきているところが見て取れる。

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2006年01月06日
 3sp.jpg

 元GROOP DOGDRILLの、といったキャリアがどの程度のアドバンテージになるのかはちょっとわからないが、GROOP DOGDRILLでベースを弾いていたダモ・フォークス(DAMO FOWKES)が、ギターとして参加しているのが、3 STAGES OF PAINというイギリスの5人組である。他のメンバーの素性は調べてないのでよく知らないのだけれども、GROOP DOGDRILLといえば、90年代の終わり頃に登場したトリオで、そのタフでガレージィでロックン・ロールは、とくに音楽評論家やアーティストへの受けがよく、にわかに注目を浴びたものだが、3 STAGES OF PAINのサウンドは、そういった線とは傾向の違う、もっとヘヴィでダークでハードコアなものである。前作、02年のファースト・アルバム『WITH CHAOS IN HER WAKE』で聴かれたのは、カオティックというほどには、演奏や楽曲の展開に複雑さはないけれども、シンプルにストレートな衝動とは異なる、拡散のノイズとタメのあるダイナミズムをともない忙しなく発せられる、そういう重度にゆがんだ轟音であった。それはそれで悪くはなかった。が、しかし、各楽器の構成するグルーヴに粘着性が乏しく、どこか淡泊な面が目立ち、やや物足りなく感じられたのも、正直なところではあった。だから、このセカンド作にあたる『BLACK HEART BLUES』においては、そのような面がどう処理されているかが、ひとつ、判断の焦点であったわけだ。と、アルバム・タイトルになぞらえていうのであれば、今回、ブルーズを参照したかのような、ある意味ではサバティカルなドグマを援用したかのような、スローなうねりを基調とすることで、深く濃く、明晰な闇がまとわりつく、粘着的なグルーヴの成立を楽曲のうちに為しえている。そのことが、リフの激しく攻める局面を、一段階上の位相に、持ちあげる。ヴォーカルは、喉を酷使し、絶唱するタイプだが、進行のパターンにあわせ、さまざまな表情を歌に含ませるようになった。その点も、向上の結果として見ることできる。本編のクラマックスは、レーベル・メイトである27のメンバーを招いてのラスト・ナンバー「SECONDS LATER(THEY SUDDENLY DIE)」になるだろうか。アコースティック・ギターと女性ヴォーカルのアンビエントなトーンが、中盤、ディストーショナルな大きい波に呑み込まれる。まあ、あきらかにNEUROSISあるいはISISあたりのつくりを狙ったアプローチではあるけれども、油絵を思わせる大胆な筆遣いが、ひととき模写の域を超えそうな、あつい息吹を吹きかける。

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2006年01月04日
 ハッピー・ライヴ・サプライズ~SUM41ライヴ・ベスト(初回限定盤)

 どどーん、とSUM41によるフル・スケールのライヴ・アルバム『ハッピー・ライヴ・サプライズ(HAPPY LIVE SURPRISE)』が届いたのであった。率直にいって僕は、SUM41というバンドにシリアスなメッセージや内面などといったものを見ても仕方がない、メタル・フレーヴァーの施されたギターとドタバタと疾駆するドラムがあればいいや、要するに、エモーションなどといった形而上の要素ではなくて、あくまでも具体的にカタルシスティックな機能を果たすサウンドのマテリアルを重視する、そういうタイプの人間なのであって、だから、たとえば、ここで「SOME SAY」や「PIECES」あたりのバラードで沸き上がる歓声には、たぶんそれは共感と連帯のフィールを軸にしているのだろうけれども、ちょっと理解を示すことができないのだが、いやいや、しかし、そのような部分を差し引いても、燃える、これまでのどのスタジオ作よりも、そして、じっさいのライヴ・シーンよりも、かなり激しく燃える仕様になっているのではないか、これは、と思う。何よりもまず、立ち上がり、頭の3曲「THE HELL SONG」「MY DIRECTION」「OVER MY HEAD(BETTER OFF DEAD)」が、バンドの本分を的確にプレゼンテーションしている。楽曲のつくりは、基本的に、ポップ・パンクのフォーマットに従う直線的な展開であるが、明らかにスラッシュ以降のヘヴィ・メタルを参照したダイナミズムが、ところどころで効いており、コーラスやフレーズの凡庸さを、アクセントのレベルにまで後退させることで、逆に、エネルギーの放射の際立った輪郭を作り上げている。続くファストでショートな「A.N.I.C.」「NEVER WAKE UP」の流れも、いい。録り直しの効かない一回性が、演奏にかかるテンションを増幅させているようでもある。全21曲というヴォリュームは、SUM41の小粒さ、小物感には、ややそぐわない気もするが(などといっているのは僕だけかもしれないとしても)、14曲目の「MOTIVATION」以降、「STILL WAITING」「88」「NO REASON」の連鎖で、終盤もメロディアスかつアグレッシヴに攻めると、ミクスチャーとクロスオーヴァーの奔放な「FAT LIP」がやってきて、けっこうけっこうあっという間に行き過ぎる67分間なのだった。

・その他SUM41についての文章
 ライヴ(04年10月04日)について→こちら
 『チャック』について→こちら
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