
末次由紀『ちはやふる』の1巻を、08年上半期最大の収穫として挙げたい。それぐらいこのマンガはおもしろい。もうすでに30回は読み返しているけれど、そのたびに鮮度の高まっていくような興奮がある。
まず第1話目(第一首)の冒頭、単行本のページでいうと4ページ目から7ページ目まで、〈お願い だれも 息をしないで〉とヒロインの横顔があり、次の瞬間、〈ち――――〉という読み上げとともに、かるたの札が、勢いのある擬音とともにはじかれる、このときのインパクトにどれだけの情報が凝縮されているか、物語を追ううちに気づかされ、振り返り、おどろかされる。わずかなコマのなかに示される力強い動き、烈とした目の輝き、そしてそれらを統べる集中力が、いったいどこからやって来ているのかが、その後に、もちろん1巻の時点ではすべてではないだろうが、非凡なほどの緻密さをもって展開されているためである。
さっそうとしたクライマックスの直後、8ページ目からいきなり回想に入る。読み手が目にするのは、6年前のこと、小学生だった頃のヒロイン、綾瀬千早と競技かるたとの幸福な出会い、そのはじまりとでもいうべき瞬間だ。彼女はまだ、新聞配達をする転校生、綿谷新が、自分に何を教え、もたらすのかを知らない。ここから『ちはやふる』は、弾むようにテンポよく、しかし劇的に、一人の少女の運命が変わっていく様を捉まえていく。
とにかく、作中人物たちの造形と配置、一個一個の設定と振る舞いが、次第に、千早のかるたにかける情熱へと集約される、その話の運びが見事だというほかない。千早と新、それから二人のクラスメイトである真島太一の、三者のあいだで結ばれる関係性が、ちょうど中心の軸となり、回り、作品全体を動かしているのだけれども、それぞれの家庭環境や性格、潜在的な能力をプレゼンテーションしながら、そこにあらわれた現実と孤独とに架橋するエモーションをよく生かすことで、イノセントな子供たちにとって成長の証となるものが、どうしても競技かるたでならなければならなかった、というストーリー上の必然に対し、多大な説得力が与えられている。あるいは、もっと単純に、かるたの存在を通じて得られた夢と友情とが、夢と友情のなかにある純粋な喜びと純粋な悲しみとが、たいへん楽しく、さらには感動的にさえ描かれている、といってしまってもよい。
おそらく競技かるたとはマイナーなジャンルだろう。いや、すくなくともマンガ表現においては、近年、竹下けんじろうの『かるた』があっただけで、取り扱った作品が他にはなかなか思いつかないぐらい、稀少な題材ではある。だが『ちはやふる』においては、作中人物たちのユーモラスなやりとりが間口のひろがりをつくり、なおかつ集中力をモチーフに抱くドラマとしての普遍性が高められているおかげで、読み手は、マニアックな概要に躓くことがない。前者は佐々木倫子のそれを彷彿とさせるし、後者は曽田正人のそれを思わせる。
いずれにせよ、上の句が「ちはや」ではじまる札と出会い、自意識に目覚めてしまった少女が、これからどういう道のりを歩み、冒頭に予告された一点の動作にまで辿り着くこととなるのか、先が気になっては仕方がなく仕方がなく。
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