ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年04月19日
 基本的に一話完結で終わるスタイルにおいて、無理に良い話でまとめようと、かっこうつけているエピソードよりも、結局、何が言いたかったのかわからん、ぐらいの素っ頓狂なエピソードのほうが、なんとなく、幸せな気分になれる、というのが『極道の食卓』に持っている印象で、それというのはたぶん、後者のほうが、平和であることの模写に近いからなんだろうなあ、と思う。『極道の食卓』が、立原あゆみの他のヤクザ・マンガと異なっているのは、もちろん、コメディの要素がつよい、その一点に尽きるのだけれど、よくよく考えてみれば、ギャグや小ネタの類に関しては、過去作の使い回しがすくなくもないのだから、もうちょっとべつのレベルで見られる違いをこそ、捉まえておくべきなのかもしれない。としたとき、たとえば、同じ世界観をシェアする『本気!』シリーズ等々が、壮絶な抗争を繰り広げるなかで平和を望む、そういう物語であるのに対し、これは、平和を乱さず、守り続ける、といったていの物語になっていることが述べられるだろう。『極道の食卓』の主人公、濁組組長の久慈雷蔵は、市井の人びとのあいだに発生するせこいトラブルが、生き死にに関わるような大事に発展しないのを防ぐべく、あちこちに顔を出しては、あれこれと手を回すのである。ところで、この5巻に収められているエピソードのうちのひとつには、かつて『地球儀(ほし)』で扱われた「盲流の民」のテーマが流れ込んできている。〈今 ものすごい勢いで経済発展を続けている中国……………………自分たちで「盲流の民」と名乗るそうです 世界中に散っている中国の民 地球上の人類の4分の1とか……〉というのがそれだが、『地球儀』では、中国人が「盲流の民」であるなら、日本人は「棄民の民」であるとし、両者の対照をもって、どこまでも暗く、救いのない絶望が描かれていたのだけれども、ここでは、若い女性にはまったおっさんの単純な歓喜と悲哀とが、本質的には深刻な問題を、ユーモラスに噛み砕いてくれている。まあ、多分に説教じみたポエムが入り混じってもいるが、あくまでもそのユーモアである調子の連れてくる平和的な雰囲気こそが、やはり『極道の食卓』の特徴なのだといえる。

 4巻について→こちら
 3巻について→こちら
 2巻について→こちら
 1巻について→こちら

・その他立原あゆみに関する文章
 『本気!』文庫版
  3巻について→こちら
  1・2巻について→こちら
 『仁義S』
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら 
  3巻について→こちら
 『恋愛』1巻について→こちら
 『ポリ公』2巻について→こちら
 『月の教室』について→こちら
 『喰人』1巻について→こちら


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(08年)
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