ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年11月01日
 「袋小路の男」はやっぱり良い。袋小路とは行き止まりのことであり、行き止まりとはデッド・エンドのことである。だから「あなた」は一度だけ死のうとする。袋小路を作り出すものは何だろう。それはたぶん、ある関係が定型化されることで生じる抑圧である。「私」は、「あなた」を袋小路に追い詰めないために、ただ何もせず、その傍らに存在している。
 同時収録されている「小田切孝の言い分」は、「袋小路の男」の続編、オルタナティヴなヴァージョンとしてある。そこでは引き続き、「私」と「あなた」の関係が、語り口を変えて綴られている。「私」=大谷日向子は、「あなた」=小田切孝とのセックスや結婚を望まない、なぜならば、それはやはり、ふたりの関係を定型化させることだからである。「袋小路の男」では、男に振り回される女みたいな構図があったが、ここではその立場が微妙に逆転しているのが、おかしい。
 要するに、「わたし」と「あなた」は、口にこそしないけれども、きっと同じことを思っている。そのはっきりと明文化されていないことが、残酷さとやさしさを繋ぎ合わせた静かな混乱として、読み手であるこちらの心へ深々と響いてくるのだった。

 →もう一編の収録作「アーリオ オーリオ」についての文章


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック

『袋小路の男』絲山秋子 を読んで
Excerpt: 袋小路の男 (講談社文庫)絲山 秋子 内容紹介 指一本触れないまま「あなた」を想い続けた 高校の先輩、小田切孝に出会ったその時から、大谷日向子の思いは募っていった。大学に進学して、社会人になっても、指..
Weblog: そういうのがいいな、わたしは。(読書日記)
Tracked: 2007-11-30 23:45
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。