ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年04月17日
 Story Seller (ストーリーセラー) 2008年 05月号 [雑誌]

 『小説新潮五月号別冊 Story Seller』掲載。漠然とした印象ではあるが、このところ、とくに目新しいヴァリエーションが続々と発見されているというわけでもないのに、世の中では、以前にも増して物語の価値が高騰しつつある感じを受ける。本田透が新書『なぜケータイ小説は売れるのか』のなかで〈いつ登場するか分からない「新しい物語」を待っているだけでは、今現在ニヒリズムに陥っている、生きている人間は誰も救われない。/ ゆえに、既成の価値観、既成の物語を反復し続ける「小さな物語」もまた生産され続けなければならない〉と分析しているのも、つまりはそういう現代の雰囲気なのかもしれないが、いずれにせよ、平穏無事で幸福な生活が描写されているだけではとても退屈だから、あるいは平穏無事で幸福な生活を魅力的に描写するのはたいへん困難なので、とりあえず、人が病んだり、死んだり、壊れたりすることが、物語の成立条件として持て囃される。ときには人間様のかわりに、犬や猫が、病気にされ、殺されたりもする。ジャンルを問わず、さまざまな場所で、日々、それは行われている。いやいや、じつに阿呆くさくも難儀な話である。が、そういった現在の様相に対して、佐藤友哉の『333のテッペン』という小説は、もしかすると、何かしらかの、異議を申し立てているのであろうか。そこでは、かつて〈死と死と死と死が血みどろになり、倫理や論理を完全に無視した不条理なストーリー〉を生きていたという意味で、物語的であった人間が、そのような〈死と死と死と死が血みどろになり、倫理や論理を完全に無視した不条理なストーリー〉に憧れるという意味で、いまだ物語に及んでいない人間と、対決し、日常と非日常または現実と非現実もしくは正常と異常とに引き裂かれそうな、混乱が描き出されている。ところで『小説現代五月増刊号 メフィスト』に掲載されている「虚構の自意識の系譜――浦賀和宏・佐藤友哉論」において前島賢が、〈探偵小説、特に新本格という形式にあっては、すべての要素は「読者対作者の刺激的な論理の遊び(ゲーム)」を成立させるためのコマに過ぎない〉のであって、そうした〈「新本格」という環境で自意識を語る以上、たとえばどんなに懸命に描写しようとも、所詮、それが取り替え可能で凡庸なフェイク――「虚構の自意識」に他ならないという事実を受け入れられなければならない〉ということでもあり、だから浦賀和宏や佐藤友哉〈の小説で語られる自意識が、凡百の私小説から差別化されるのは、あくまでもそれが「本格ミステリ」として書かれており「自らの自意識の虚構性について自覚的である」からである。とすれば彼らの「虚構の自意識」は「出来の悪い本格ミステリ」としてしか書き続けていくことができない。それはあまりにも困難だろう。実際、周知の通り、佐藤は主な活動の場を純文学に移している。しかし自意識を描くことが肯定される安全な場所で行われる佐藤の創作は、どことなく物足りなさを感じさせるのも事実である〉と述べているけれども、『333のテッペン』では、荒唐無稽な殺人事件が起こり、探偵が謎を解き、その犯人を突き止める、式に展開されるスタイルへの回帰が見られる。と同時に、それへの無関心が綴られているようでもある。その観点からすれば、重要なのは、終盤で「探偵には二種類の仕事があるんです」と言われている箇所であろう。「一つは、事件から謎を取り除く仕事。そしてもう一つは、事件そのものを除く仕事(略)」だというわけだ。が、このとき、驚天動地の真相すらも消去されてしまう後者において示されているのは、人が病んだり、死んだり、壊れたりするような物語の否定にほかならない。しかし心境のレベルにあって複雑なのは、そうして意味される穏当な日々に価値を認めることは、結局のところ、不穏当な事件や物語をまず必要とし、前提にしたうえでの、比較的な印象に過ぎないのではないのか、というジレンマである。もちろん、それを無視することが可能であるならば、世話のない話だろう。ここでは、それに苛まれることの困難が、前傾化された自意識のかわりに抽出されている。

 ※この項、いずれ書き改める可能性があります。

 『世界の終わりの終わり』について→こちら
 『1000の小説とバックベアード』について→こちら
 『子供たち怒る怒る怒る』について→こちら
posted by もりた | Comment(4) | TrackBack(0) | 読書(08年)
この記事へのコメント
こんんばんは。初めてコメントさせていただきます!
今日、STORY SELLERというムックを初めて買い、そして佐藤友哉さんという作家を初めて知り、初めてその作品も読みました。
初めてずくしです(^0^)
もとより、衒学的なミステリーは得意ではありません。でも心惹かれるものはあります。が、知識と理解力の乏しさゆえ、読むたびに、あ〜、なんだかわからない〜って悲しくなります。
『333・・・』もそうでした。なんだかよくわかりません。
で、なんとか手がかりを・・・と思ってネット検索していくうちに、森田さんのブログに出会ったのです。
ところが、森田さんの書評を読んでも、難しくてさっぱりわかりません!
もし、森田さんのおっしゃるように、佐藤友哉さんが純文学の人で、ならば『333・・・』もミステリーというよりは純文学として読めば、(純文学というカテゴリーがまたよくわからないですが)、こういう、読者にゆだねる式の結末で納得すべきなのでしょうか? それとも、ちゃんと読めばよくわかるお話なのでしょうか? 土江田は、いったい何者なんですか? 著名なゲーム作家かなにかですか?

どうか、私にもわかる平易な言葉で、ずばり、教えていただけないでしょうか!

初コメントで、こんなに長く、あつかましい内容になってしまい、申しわけありませんが、どうぞよろしくお願いいたします(´;ω;`)

Posted by のよ at 2008年05月02日 23:00
のよさん、コメントありがとうございます。

ええと、ずばり、と答えるのは難しいんですが、最初にいっておきたいのは、どのような小説であれ、それが純文学であるかどうかミステリであるかどうかとかは、世間の判断であって読み手の勝手というのが個人的な考えなので、どんな解釈があっても良いように思っています。

もっといえば、この小説のなかに、作者の用意した正解答が隠されていようがいまいがどうでもよいというスタンスだということです。

たぶん、のよさんがおっしゃっているのは、土江田の正体を知りたい、知らないと納得できない、ということだと思うのですが、すくなくとも僕はその点は気になりませんでした。土江田が何者であるかよりも、土江田が物語のなかで行ったこと、思っていること、言っていることに、なんとなくであれ、どれだけ心を動かされたかを重要視しているからです。

のよさんが、土江田が何者なのかわからない、でも心惹かれるものがあったというのも、結局は、そういうことなのではないでしょうか。

逆に、それがどうしてなのか、いちおう自分なりの答えを見つけてみることが「読む」という行為になると思っていますので、もしよろしければ、どのへんに心惹かれるものがあったか、いつでもいいし、なんとなくでもいいので、お教えください。
Posted by もりた at 2008年05月04日 18:42
おお〜! お返事ありがとうございます。
とてもわかりやすいご説明、ありがとうございました。
作者の用意した正答・・・そのものがあるかないかって、そこまで考えたこともなかったです。それは必ず”ある”のだと思いこんでいました。だからこそ、それはなんだろう?!とヤキモキしてきたんですね。
ミステリーに限らず、不条理劇にしても、起承転結のはっきりしない、現実か幻想かわからないような小説(これが純文学とカテゴライズされるジャンルに多いですが(^0^))にしても、自分なりのカタをつけたい、と思ってしまうから、欲求不満が残るのですね。
もりたさんが最後におっしゃっている、自分なりの答えを見つけてみることが「読む」という行為になる・・・って、なんだか私の読書ライフに天変地異が起こるぐらいのお言葉でした。ありがとうございます!

心惹かれるのは、そうですね、この手のミステリーによくある、エスプリに富んだ、ややもすれば富みすぎた登場人物の会話、かな。鼻につくのですが、やはりおもしろい。そして何よりも、やっぱり”わからない”けど、”わかりたい”という魅力を土江田は持っているからです。
どうして月島の、多分高級なマンションに1人で住んでいるのだろう?とか、へらへらしたうだつのあがらない風情とはうらはらに、唐突な冷たい暴力的な内面をあらわす、それはいったい何を意味するのか?とか、おそらくは女好きのする外貌であるのだろう、とか・・・、ある意味類型的でもあり、謎に満ちてもいる、土江田という人に心惹かれた・・・ってことかな・・・自分でもよくわかりません!!!

話が変わりますが、もりたさんのブログをぱぱ〜っと流して知った津村記久子の「カソウスキの行方」、今日読みました。表題作、他2編とも、そこそこに赤裸々だけど、どぎつすぎず、愛くるしい主人公たちに愛着を持てました。

Posted by のよ at 2008年05月10日 22:10
のよさん、どうもです。

たしかに土江田の、ある意味わかりやすさ、と、ある意味わかりにくさ、を兼ね揃えた人物像こそが「333のテッペン」の最大のフックなのかもしれませんね。
これについては、またいつか、機会があったら考えてみたいと思っています。

それから、津村記久子、いいですよね。
Posted by もりた at 2008年05月14日 19:23
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