ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年04月11日
 パンドラVol.1 SIDEーB

 うおおお。まさかのよしもとよしともの新作に思わず嬉しい悲鳴をあげた。『パンドラ Vol.1 SIDE-B』に掲載された『ブロンちゃんの人生相談室』は、まあ、たった2ページの、同じ構図の絵が裏表になっているだけの内容にしかすぎないのだけれど、しかし、その、間違い探しにも似たパフォーマンスの、行間とでもすべきを必死になって読もう読もうとしてしまうのが、ながく待たされてきたファンの心理というものであって、ひとまず、おっさんと少女の対比という、よしもとの読み手にはお馴染みのパターンに目がいってしまう。よしもとのマンガにおいて、じつは「眼」が持っている意味はおおきい。女性や若い人びとの「眼」はおおきく描かれることが多いのに対し、男性や、とくにネガティヴな性格の人間の「眼」は、だいたい黒くちいさな点で描かれる。それはもちろん見映えの問題であるが、見映えの問題であるがゆえに、ヴィジュアル的な表現でもあるマンガにとっては、何かしらかの象徴であることを必然的に担わざるをえず、与太だと思われたとしても、よしもとの作品にはそれが顕著であると考えたい。たとえばわかりやすく、『青い車』のリチオの「眼」も、やはり点に近しいものであるけど、子供の頃に受けたダメージをさらさないよう、ふだんはサングラスをかけ、隠されている、このような設定が、作品そのもののエモーションと、さりげなく、深く結びついていたことは言うまでもあるまい。またおそらく、『魔法の国のルル』を完結させられないでいるのも、あの暗い「眼」の少年の、まさしくその「眼」に、いかにして光を差し込ませるか、が、いちばんの困難であるせいなのではないか。きらきらとした「眼」を黒く濁らせるのは容易い。しかしながら、あらかじめちいさく潰された「眼」を、光を吸い込ませるほどに見開かせるのは、たいへん難しい。いずれにせよ、「眼」である。『ブロンちゃんの人生相談室』においても、おっさんと少女の「眼」が、何かを語っているような、何も語っていないような、印象的な視線を、のぞかせる。その先にあるのは、人生相談室の外、か。それはそうとして、よしもとの新作が『パンドラ Vol.1 SIDE-B』で発表されたことは、90年代に『週刊ヤングマガジン』誌で連載された『THE GOD DOGS』の、もしかしたら講談社BOXのレーベルによって単行本化する可能性を、ちょっと、妄想させたりもするのだけれど、さすがにそこまで期待するのは行き過ぎかしら。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(08年)
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