ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年04月11日
 『文藝』夏号掲載。青山七恵は、『窓の灯』や『ひとり日和』、そして『やさしいため息』みたいな、そこそこ分量のあるものよりも、「ムラサキさんのパリ」や、この『松かさ拾い』みたいな、短い小説のほうが感じが良い、というのが私見である。そこでは、なんら事件という事件は起こらず、ただ過ぎる時間と日常の描写が、作中人物の漠然としたエモーションと重なり、やわらかな黄昏となって現れる。ところで小谷野敦が『リアリズムの擁護』のなかで、川上弘美『センセイの鞄』と小川洋子『博士の愛した数式』、大道珠貴の『しょっぱいドライブ』の類似性を指摘していたけれども、青山の『松かさ拾い』もまた、長さこそ違えど、そういった作品群のヴァリエーションのひとつに数えられるだろう。すこし皮肉を込めた言い方をすれば、女性の芥川賞作家にはこういうのを課題作品として発表しなくちゃならない決まりでもあるんですかね、と尋ねたくなるような内容になっている。大学卒業後、特定の職に就けなかった〈わたし〉は、研究室の先輩に紹介され、小日向さんという、以前は大学で働いていたけれども、現在は本を書いたり翻訳をしたりしている年配の男性の事務所で、助手というか秘書というか、とにかく彼の身の回りの世話をしているのだが、あるとき、小日向さんに彼の愛娘である二歳のナツエ(ナッツ)の世話を頼まれ、面倒を見ながら、その日一日を過ごすうち、自分の抱えるすこしの寂しさに触れる。以上がおおまかな筋であり、具体的に断言されていないが、たぶん〈わたし〉という女性は小日向さんに好意を持っているんだろうな、と思わせられることが、作品の肌触りをつくりあげる。小日向さんやナッツの姿の向こうに、物語には登場してこない小日向さんのオクサンも含め、さも幸福でありそうな家族のシーンがイメージされる。このイメージがちょうど鏡の役割を果たし、そこに、なにか、抽象的にしか述べられない空漠が映し出される。不幸でないことはけっして、幸福だということとイコールではない。そういう微妙な感情に、できれば気づかぬ素振りをしようとする判断が、〈わたし〉の言葉の底に横たわる。

 『やさしいため息』について→こちら
 『ひとり日和』について→こちら
 『窓の灯』について→こちら


posted by もりた | Comment(2) | TrackBack(0) | 読書(08年)
この記事へのコメント
かなりお久しぶりにこちらへ
お邪魔しました。
昨年の5月にパソコンを買い換えたのですが、
その時にこちらのHPのアドレスが何だったか
分からなくなり、何度か検索してみたのですが、
見つからず、諦めていました。

そして今日「生田紗代」「書くたびに」で
検索したらヒットしました!!
やっと見つけたという感じです…。

青山さん、今活躍している作家さんので
一番好きな作家さんです。
デビュー作から「松かさ拾い」まで
「文藝」掲載作品は全て読みましたが、
彼女の創り出す世界観が気に入っています。
読んでいる時間はまるで少しぬるめのお湯に
浸かっているような感じがして気持ちいいんです。

今回は「ムラサキさんのパリ」に次ぐ、
2作目の短編のようですが、仰るように
他の長編作品より短編のほうが感じが
良いですね。僕も短編好きです。
と言いながら、まだ「ムラサキさんのパリ」は
読んでいないんです。文庫版を買わないと!

先日「文藝」以外の文芸誌に初めて
作品が掲載されたみたいですね。
早速書評をアップされているみたいですが、
私の住んでいる地区では明日が発売日なので
読まないことにします…。
綿矢さんの作品も楽しみです!
Posted by 誠 at 2008年07月08日 17:56
誠さん、どうも。
そういえば、綿矢りさだけじゃなくて青山七恵も「文藝」以外に小説で登場するのは初ですね。そちらはすっかり失念していました。
Posted by もりた at 2008年07月10日 18:38
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