ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年04月10日
 ぶっちゃけて、これまで手代木史織の『聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話』には、あまり良い印象を持ってこなかった。それというのは単純に、かつて親友であった者同士が、光と闇に分かれ、愛憎しつつ、対立する、といったていのパフォーマンスは、彼らの頭髪の色の対照も含め、ファンタジーの系における類型に思われ、また、原作の車田正美がじっさいにどこまでタッチしているのかは不明だが、同じく作者公認の二次創作であるような岡田芽武の『聖闘士星矢EPISODE.G』と比べ、筆力、セリフ回し、展開のいずれも、ややインパクトを欠くと思わざるをえないためであった。が、しかし、この8巻の、教皇セージと蟹座の黄金聖闘士マニゴルドの師弟愛が導くドラマには、はげしく胸が熱くなる、最高潮に滾ったな。〈たとえ神から見りゃ クズだろーが ゴミだろーが 一度は派手に輝きてェよなァ〉。天究星の冥闘士ベロニカからペガサスのテンマたちを守るべく、積尸気冥界波を発動させたマニゴルドは、黄泉比良坂を通じ、いきおい眠りの神ヒュプノスと死の神タナトスのすぐ眼前にまで、飛ぶ。けれども、さすがの黄金聖闘士とはいえ、人間と神とを隔てる壁は分厚く、為す術もなく、圧倒されてしまう。そのとき、マニゴルドの危機を救ったのは、かつて彼を拾い、蟹座の黄金聖闘士の後継者として育て上げた、教皇セージその人であった。先ほど、車田の関与がどれだけあるのかわからない、と述べたが、ここでのくだりに明示されているテーマは、かなりの部分で『聖闘士星矢EPISODE.G』と重なりを持つものだ。つまり、あらかじめ定められた運命の前に人間は必ずしも無力ではない、ということであり、すべての困難は他の誰かを救おうとする心によって越えられる、もしくは報われる、ということである。〈うぬぼれるな 人間よ お前たちの命など 俺にとっては 虫ケラ以下 浮かんでは消える 泥濘の泡 塵芥よ〉。教皇を庇い、タナトスの攻撃を受けたマニゴルドは、幼き日の死と戯れる自分に教皇がかけた言葉を思い出す。〈…以前 同胞が多く斃れた その様は見ようによっては塵芥のようであったかもしれん だが 私は彼らの極限の…必死の生を知っている 私にとっての命は 塵芥などでは決してない もちろんお前の命もな〉。このシーンはもう、やばいでしょう、いたく感情を揺らされる。そして、傷つく聖闘士たちの姿に重なる、次の言葉である。〈マニゴルドよ 命は塵芥だったか お前に彼らの死は どう見えた!?〉と、それに背を押されるかのように、マニゴルドは、一瞬ではあるけど、神越えを果たす。


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(08年)
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