ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年04月05日
 湾岸MIDNIGHT 40 (40) (ヤングマガジンコミックス)

 さて、楠みちはるの『湾岸MIDNIGHT(ミッドナイト)』という、けっして読み手のすくなくはないだろうマンガについて、ねえ誰かが真剣に論じてくれないものかしら、と、つね日頃から考えているのだけれど、自分の目に入る範囲では誰もやってくれそうもないので、ぼちぼち手をつけていきたい、と思う。まず取っかかりにしなければならないのは、やはり、この作品が、平行して発表されていた『シャコタン・ブギ』と、文字どおり、入れ替わるかたちで、作者のメイン・ワークへと発展していったことであろう。このことについては、おそらく次のように意味づけられる。つまり、『シャコタン・ブギ』がいうなれば、消費社会の恩恵を無条件で享受しよう、というバブル経済のノリと勢いであったのに対し、『湾岸MIDNIGHT』はといえば、高度経済成長以降の消費社会への、立ち止まった批評として描かれ、成り立っており、90年代を分岐点としたとき、後者のほうが、表現の題材としてはシリアスであると同時に、時代性とマッチしていた。もちろん、物語の当初は、伝説のマシーンをめぐり死と隣り合わせで行われる走り屋の青春劇でしかなった。それが連載を重ねるにつれ、じょじょに性格を変えてゆく。とくに、作中の時間はほとんど動いていない、いや、より正確にいうと、細部の設定は、生活様式の変化にあわせ、アップデートされているが、登場人物たちの年齢は静止しているのに近しい状態である、にもかかわらず、登場人物に中年期の人間だけが増え続ける、その点を注視されたい。主人公であるアキオはいつまでも若く、次々に登場するライヴァルも、多くの場合、若い。しかし、アキオやライヴァルたちをサポートする裏方、要するに、チューナーや板金工、整備士の多くは、すでに若さと一線を引いている。アキオや、アキオの駆る悪魔のZと共依存の関係にあるような、ポルシェ911(通称ブラックバード)のオーナー島はともかく、次々と現れる若きライヴァルたちは、シリーズが更新されるたび、何かしらかの事情によって、物語から退場してしまう。反面、裏方の人間たちのほとんどは物語に居残る。そうして、中年期の彼らが語るのは、自動車産業とともに発展してきた、この国の、現在であって、社会にほかならない。外観も含め、自動車のメカニズムは、消費行動における趣味や流行の変容がダイレクトに反映されたものだとの考えに基づき、そのプラスとマイナスの両サイドを通じて、日本の現代史もしくは日本人の本質が再検討される。たとえば、この40巻から言葉を引くのであれば、そう、〈たとえば車にラクを求める よく利くエアコンやパワステ&AT 快適な装備など 実は乗り手がラクになるほど車には負荷は増えるんですよ 500馬力のチューンドカーでも夏の渋滞を快適に走りたい「お前のラクは車の負担」走り屋でさえ今はわかりませんから〉といった具合に。そして再検討された結果が、あらたな自動車のチューニングとなって現れ、アキオやライヴァルたちの走りに託されるのである。とはいえ、カメラマンや自動車評論家(ライター)などの以前扱ったことがある職種を、ふたたびべつのライヴァルたちに課しているあたりからして、物語そのものは二周目に入った印象を免れず、正直、繰り返しに見える部分もすくなくはない。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(08年)
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