ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年11月10日
 『群像』12月号掲載の短編。「ロックと文学」っていうあれがね、あーあやっちゃったと思わず失笑してしまう、結局のところサブ・カルチャー化した『群像』がやりたいのはJ文学のリヴァイバルでしかなかったという、身も蓋もない特集のなかに収められた一編である。が、しかし、角田光代はさすがなのであった。『ロック母』、いいじゃないか。話の筋は、こんな感じだ。「望まれない妊娠」をしてしまった〈私〉は、出産のために、生まれ故郷の島へと、十年ぶりに帰る。田舎の町には、これといった大きな変化は見られない。相変わらず、地方都市の憂鬱に取り囲まれている。港に軽トラで迎えに来た父に「かわらないねえ、本当に」と言えば、父は、母の様子が「ちっとおかしゅうなっとる」と言った。しかし再会してみれば、とくに変わったところはないように思えた。だが、その次の日の朝、ものすごい爆音が家を揺らしているのに気づいて、思わず〈私〉は目を覚ます。ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」だ。〈私〉が高校生の頃聴いていたニルヴァーナの『ネヴァーマインド』を、母が大音量でかけていたのである。デナイ、デナイ、デナイというフレーズを彼女が口ずさんでいるのを耳にして、〈私〉は驚く。いったい何がどうなっているのか。角田光代のロック小説といえば、90年代を舞台にした『あしたはうんと遠くへいこう』が思い出されるが、あそこでの空気感が、音楽と自然に分かちがたく結びついていることで成立していたように、この『ロック母』もまた、母親がニルヴァーナを聴いているという突飛な設定であるにもかかわらず、不思議と、そのことが物語の上では必要不可欠であるかのように感じられるのだった。しかし、地方都市の憂鬱がロック・ミュージックとイコールで繋がるのは、ややステレオタイプだろうか、いや、そんなことはない、ステレオタイプというのは、やはり同特集に置かれている小説『ジミさんの思い出』で、栗田有起が〈あの世に行って、ジョン・レノンのライブでも見てるんじゃないかしら。大好きなカートに説教とかさ〉と、恥ずかしげもなく、そういうのはもう百回以上目にしたよっていう、あまりにも紋切り型の言い回しを導いてしまう物語を指してこそ、使われるべきことだろう。また妊娠小説ということであれば、こういう作品を読むと、親になる主体の誕生を延々と拒み続けるよしもとばななの作風が、逆に殺伐として見えてきてしまうのが、困る。まあ、それはそれで、都会ではもう「関係の原的負荷」は成立しないという、時代性の反映だとしたら、そのうちすべての物語は田舎に回収されてゆくことになるのかもしれないぜ。
 
 『酔って言いたい夜もある』についての文章→こちら
 『いつも旅のなか』についての文章→こちら
 『人生ベストテン』についての文章→こちら
 『対岸の彼女』についての文章→こちら
 「神さまのタクシー」についての文章→こちら
 『庭の桜、隣の犬』についての文章→こちら
 『ピンク・バス』についての文章→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(2) | 読書。
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第32回川端康成文学賞角田光代ロック母
Excerpt: 第32回川端康成文学賞(川端康成記念会主催)は、 角田光代さんの「ロック母」(群像2005年12月号に掲載)です。 受賞作「ロック母」は、新潮6月号に掲載されます。 川端康成文学賞は、前年度..
Weblog: 及川的大人のブログ
Tracked: 2006-04-19 20:09

『群像』の12月号、どこが“ロックと文学”なのか。
Excerpt:  川端康成文学賞を受賞した角田光代の『ロック母』が掲載されているので読んだ『群像』12月号、結論だけでも書くが、何とまあツマンネエ内容か。 特集の“ロックと文学”がろくでもない。そう“ロック”でもない..
Weblog: 鉛の飛行船
Tracked: 2006-05-05 20:47