ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年03月28日
 小説すばる 2008年 04月号 [雑誌]

 『小説すばる』4月号掲載。とある作品を傑作と評してしまえば、ときおりそう評した自分が浅はかにも思えてしまうものだが、いやいや、これは傑作と評して差し支えのない作品ではあるまいか、と思わされるのが、津原泰水の短篇小説『土の枕』である。日露戦争中、砲弾飛び交う大陸で、井出六助は、銃撃を受け、死ぬ間際、内地に残してきた生まれつき鳥目のひどい妹の行く末を、傍らにいた仲間の葦村寅次という男に託す。それを承諾するさい、寅次の口から出てきたのは、次のような、いささかおどろくべき告白であった。「儂が名医に診せよう。井出、今まで隠しといて悪かった。儂は葦村寅次じゃあない。寅次は領民じゃ。子が多いのに召集されたんを不憫に思うて、名を取り換えた。儂は安芸黒禅寺門前の地主、田仲の嫡男で名は喜代治という。じゃから妹さんのこたあ心配すな」。これは嘘ではない。嘘ではないが、しかし、寅次という領民の身代わりとなり出征してきた、そのほんとうのところは、じつは喜代治当人ですら、たしかにはわかっておらず、ただ〈紙のように薄っぺらな理由が重なりに重なって、濃い陰を為したに過ぎぬと感じ〉ている。この、真実なら田仲喜代治であるはずの男が、戦地から故郷に戻ったとき、いくつかの事情によって、もはや自分は田仲喜代治を名乗ることはできず、葦村寅次としてしか生きられないことを知らされる。そうした混乱に端を発する彼の、後の半生がどういうものであったのかを追うかのように、小説は進んでゆく。何者にも固定されていない存在というのは、この作者のものに度々顔を出すモチーフであるが、ここではそれが、寿命が尽きるまで何十年も長く、だがコンパクトに切り出された人の一生として、語られる。時代の流れのなかで、さまざまな人びとが彼の前に現れ、ともに過ごしては、次々に去っていくけれど、田仲喜代治でもあり葦村寅次でもあり葦村寅次でもなく田仲喜代治でもない、その人物の正体がいったい何者であったのか、彼自身をも含め、誰も知らない。たいへん短い作品だが、そうした短さの内に、一言二言では捉まえきれないほどのヴォリュームが備わっている。

 『ピカルディの薔薇』について→こちら
 『ブラバン』について→こちら
 『アクアポリスQ』について→こちら


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(08年)
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