ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年03月27日
 父親が再婚したため家に居づらくなったヒロインの亀戸しま奈は、家出の途中、着物姿で行き倒れている怪しい男、藤原虎(たいが)と出会い、彼から三つの条件をクリアすれば、住む場所を提供してやると言われ、その結果、平屋の一軒家の一室を得るのだが、そこには大家である虎のほか、同じクラスでカンフー・バカと罵る中城善と、龍ヶ江朝陽という一学年上の爽やかな先輩が同居していたのであった。こうした筋書きで幕を開けるのが、高野苺『夢みる太陽』の1巻で、話の動かし方には強引なところも多いのだけれど、それをテンションの高さで見事に押し切ってしまうあたり、とてもこの作者らしい、といえる。家庭のなかに自分の居場所が感じられない、きっと誰にも必要とされていない、式のエモーションを抱えた少女の、自分に近しい世代の人間との疑似家族的な関わりを通じ、成長してゆく姿が、おそらくは、メインのファクターだと思われる。まあ、そういった題材のとり方自体は、さほど珍しいものではないだろう。それでも特筆すべき点を述べるのであれば、無目的のうちにすべてがはじまるのではなくて、あらかじめ主体に対して「夢を持つこと」あるいは「恋をしろ」といった課題が与えられていることに他ならない。虎が、しま奈に出した三つの条件のうちのひとつが、じつはそれである。サブ・カルチャー表現における下宿には、多くの場合、モラトリアムを代替する機能が与えられている。そこを出て行くときまでに成長していなければならないので、自分が為すべきことを探す、その過程がドラマとして成立し、描かれる。現実的には、為すべきことを見つけられずとも、下宿先を後にする人間はすくなくはないに違いない、が、それではなかなか物語にならないので、作者は、各種のイベントを発生させては、登場人物たちに、何かしらかの自覚を促す。だが『夢みる太陽』においては、「夢を持つこと」あるいは「恋をしろ」と、登場人物の行動は一本化されている。もちろん「夢を持つこと」あるいは「恋をしろ」というのは漠然としており、ほとんど何も言っていないに等しい。しかし、その何も言っていないに等しいことをわざわざ明示しなければ、しま奈を主人公とするストーリーが起ち上がらなかったことだけは、注意しておきたい。それが、アプローチとして前進なのか後退なのか、一概には判断できないとしても、すくなからず今日的な意匠ではある、と考えられる。

 『バンビの手紙』について→こちら
 『Shooting Star』について→こちら
 『愛し金魚』について→こちら


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(08年)
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