ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年03月24日
 小説すばる 2008年 04月号 [雑誌]

 『小説すばる』4月号掲載。若き社会人の現代的な受難、といった感じの作風を確立しつつある津村記久子の短篇『オノウエさんの不在』もまた、組織に属しながらも組織の体制を快く思っていない、二十代半ばの男性会社員の目線を頼りに、一個の事件が語られる。主人公のサカマキは〈二ヶ月間地下七十メートルのところにいた。去年新しく開通した路線の第二期工事の現場に出ていた〉せいで、人知れぬストレスに悩まされていたのだけれど、ようやく地上での仕事に戻ったと思ったら戻ったで、新人の頃に親切にしてくれた先輩のオノウエさんが会社での立場を危うくしていることを同期のシカタから聞かされ、たいへんショックを受ける。なぜなら〈出身大学によって部署が割り当てられるような学閥の強いこの会社で、学閥とは無関係の大学卒のサカマキには〉、高卒で本来なら出世の見込みがないにもかかわらず、現在それなりのポジションに収まっている〈オノウエさんは精神的に頼りになる存在だった〉からである。とりたてておおきな失敗を犯したわけでもないのに、どうして会社はオノウエさんを貶めようとするのか。この理不尽な対応の真相を、サカマキとシカタは、やはりオノウエさんに恩義あるらしい女性社員のあきる野と一緒になって、突き止めようとする。以上が、表だった筋だが、だからといってべつに三人が、企業に隠された秘密をめぐって、大げさなスリルとサスペンスが繰り広げるというのではなくて、ただ自分たちが知らないところで何かが起こってるみたいだぞ、という推測によってかき集められた情報をランチや夕食の機会に持ち寄る程度の、わすかばりのアクションを起こすに過ぎない。だが、そのわずかばかりのアクションが、彼らの意識にとってはおおきい、これが作品の足場だろう。じっさい、三人の行動が、組織内のシステムに関与し、状況を変えることはない、事実関係だけを述べれば無駄であったとすらいえる、が、しかし、彼らの内面には何かしら作用があり、影響したことを示すかたちで、小説は、閉じられる。物語の終わり近く、事後にあたって、サカマキが〈おれらはどうしてあんなに、待てば結果のわかることなのに必死になってオノウエさんの跡を追ってたんだろう〉と疑問をいうのに対し、シカタが〈なんていうか、お祈りをするような感じだった〉と答える、この、お祈り、という抽象的な言葉はちょうど、オノウエさんの進退にいっさい貢献していないにもかかわらず、憑き物が落ちたかのように、どこか晴れ晴れとしたところのある彼ら三人の姿とリンクする。それこそ、お祈り、を終えたサカマキは、当初のストレスから解放され、仕事に向ける態勢を新たにするのだけれども、では、そこでオノウエさんの不在に基づき鑑みられているのは、労働の思想や倫理とでもいうべきものであろうか。いや違う、そうではない。そうではなくて、おそらくは、労働の絶対化のわきに、ぽつりとある、生活やコミュニケーションの可能性が、それに気づくことが、サカマキの心に、ほんのすこしの広がりをもたらしているのである。

・その他津村記久子に関する文章
 『婚礼、葬礼、その他』について→こちら
 『カソウスキの行方』
  「Everyday I Write A Book」について→こちら
  「カソウスキの行方」について→こちら
  「花婿のハムラビ法典」について→こちら
 『バイアブランカの活断層』について→こちら
 『冷たい十字路』について→こちら
 『炎上学級会』について→こちら
 『十二月の窓辺』について→こちら
 『君は永遠にそいつらより若い』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(08年)
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