ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年03月21日
 ある年代の人間にとって、やはり坂口いくは『闇狩人』の作者という記憶であろうが、若い世代の人間にしたら、岩澤紫麗がマンガを描く『ちぇんじ123』の原作者(絵コンテ)という印象が強いかもしれない。どうやら、スマッシュ・ヒット的な人気を得た感のある『ちぇんじ123』だが、その、キャッチーともいえる特徴は、おおきく三つ挙げられる。ひとつは、女性登場人物が頻繁に肌や下着を露出させる、まあ要するに、ライトなお色気の要素であるけれど、それについてはこれ以上述べるべきことがないので、ここでは、他の二点を見ておきたい。まずは、ひ弱な男性主人公が、武闘に長けたヒロインとの、ラヴとコメディを挟んだ出会いや関係を通じ、成長する、近年でも『史上最強の弟子ケンイチ』や『すもももももも 地上最強のヨメ』等のヒット作に見られる傾向で、こういったファンタジーの発祥に関しては詳細に検討される余地があるとしても、現代の、おそらくは男性向けのサブ・カルチャー表現において、意外と支持層の厚いパターンだといえる。さて、三つの特徴のうち、残るもうひとつは、ヒロインが二面以上の多重人格的な資質を備えている点である。多重人格という症状は、これも今日のサブ・カルチャー表現において、とくに珍しい設定ではなく、だからこそキャッチーでもありうるのだろうが、わりと屈託がなく人格をチェンジしてゆくような素振りは、最近の特撮ヒーロー・ドラマ『仮面ライダー電王』にも相通ずるものだ。では、それら三つの、わかりやすい特徴が『ちぇんじ123』の本性なのだろうかどうだろうか。個人的にはむしろ、男性主人公、つまり小介川の、イノセントとも解釈できる素朴な人間性が、一個の作用点となり、他の人間たちを動かす、そのようなドラマの部分に、シリアスなメッセージ性を感じる。すくなくとも、この7巻では、沖縄への修学旅行中、同級生に怪我を負わせた米軍兵士と対決するヒロインたち、そしてそれに協力する神無弥の行動は、小介川の、活躍の場こそほとんどがないけれども、彼の理念によって決定されている。回想で示される、幼い日の小介川と神無弥のやりとりが印象的である。天才的な頭脳を持ち、達観するあまり〈価値観とか愛情とか正義というものは人の心によって変化し その定義づけがむずかしいんだ 君と僕は友達なのかな?〉と問う神無弥を、持ち前の無邪気さで納得させた小介川は〈無駄が嫌いな神無弥君だから 友達も無駄だよ って言うのかと思っちゃったよ 友達は何人いても無駄じゃないもんね!!〉と笑う。この記憶が、小介川たちの計画に最初は乗り気でなかった神無弥の気持ちを変える。素直に良いシーンだと思う。

 3巻について→こちら
 2巻について→こちら


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(08年)
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