ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年03月07日
 ミスミソウ 1 (1) (ぶんか社コミックス ホラーMシリーズ)

 押切蓮介が『プピポー!』の1巻で見せたあたたかさの対極に、『ミスミソウ(三角草)』の1巻に張り詰めるつめたさはある。これを同じコインの裏表と解釈することも可能だけれど、『でろでろ』のヴァリエーション豊かなエピソード群を読めばわかるとおり、押切というマンガ家にとっては、おそらく、どちらも表面でしかありえず、さもなければ、どちらも裏面でしかありえないのだろうな、と思う。極力ギャグの要素を排除した『ミスミソウ』のシリアスさは、たぶん(同時発売である)『ゆうやみ特攻隊』の2巻におけるそれに近しいが、しかし、ここには、救い、となるような展開が、いっさい、ない。ただただ深い絶望だけが、おぞましいまでの悪意にさらされ、せつない地獄の果てに横たわる。この作者のものとして、おどろくべきは、まったく霊的な現象を題材にしていない、という点である。なのに、こわい。他のどの作品と比べても、こわい。もちろん、だから死んでいる幽霊よりも生きている人間のほうがこわいのだ、と、ありきたりなクリシェを述べることもできる。だが、そのような単純化は、結局のところ、人間はこわい、以上のことを意味しない。なぜ人間はこわいのか、どうして生者は死者よりもおそろしいのか、あるいは、生者のいったい何に人間は恐怖を抱くのか、こういった問いに対する解答を、『ミスミソウ』は、切々と訴えかけてくる素振りで、きわめてデリケートに、物語化してゆく。父親の仕事の都合で、今年の卒業生を出せば廃校となる中学に転校してきた春花は、クラスメイトたちには東京からやって来た部外者という目で見られ、罵られ、イジメられている。けれど、両親や妹のしょーちゃんに心配をかけたくない一心で、あと二ヶ月もすれば卒業できることを励みに、ひたすら耐えていた。それに相場という男子生徒が味方をしてくれるのもありがたい。しかし、である。〈それから数日後に私の家族は焼き殺された〉。郊外というより、郊外にあるものすらも存在しないド田舎の、その閉塞のなかで育まれる狂気、と説明したら、たしかに類型的な面もあるだろう、が、ここで注意しておきたいのは、すくなくともこの1巻の段階においては、あくまでも人間対人間という認識に基づき作中人物たちがすべての行動をなしていることだ。たとえ閉鎖的であったとしても、けっして時代遅れではない、科学を信じ、文化的で、モダンな人間の仕業が、ここに、極端へと振り切れた惨劇をつくり上げているのである。家族を失った少女の形相が、まるで鬼のように禍々しくあろうとも、それはつまり、人間の人間に対する働きかけの結果でしかありえない。殺意はただ、他人から手渡された感情の内に含まれている。ところで、押切のマンガには主人公には兄弟(姉妹)がいるケースが多い。もっと言えば、四人家族が一個の基準となっており、たとえば(やはり同時発売である)『でろでろ』の12巻では、家族の四人が揃うくだりが良いシーンになっており、たとえばこの『ミスミソウ』では、四人の家族の欠けることが、寂しくも強烈な空漠となり現れている。言うまでもなく、四人とは、すこし以前までの核家族における一般的な構成である。

 『プピポー!』第1巻について→こちら
 『ゆうやみ特攻隊』第1巻について→こちら
 『おばけのおやつ』について→こちら
 『ドヒー! おばけが僕をペンペン殴る!』について→こちら
 『マサシ!! うしろだ!!』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(08年)
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