ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年11月01日
 ニート

 簡潔にまとめておく。お、発見と思って先日読んだばかりの「ベル・エポック」が、新刊であるこの『ニート』にも収められていたので、あら、となってしまったわけだけれども、まあそれを含めて、「ニート」「2+1」「へたれ」「愛なんかいらねー」の5編を、この機会に、あらためて読み直したかぎり、やはり、絲山秋子の小説には、次のような、ふたつのモチーフが流れているように感じられた。ひとつは、自己と他者の間にある阻隔を自覚して生きること、であり、もうひとつは、セックス(性交)が男女間の関係を保証しない、言い換えるなら、性差を補填するためにのみセックス(性交)が機能しているということである。前者に関しては、5編すべてに通底するものであるが、とりわけ顕著なのは、女同士の友情を取り扱った「ベル・エポック」になるだろう。したがって後者については、「ベル・エポック」以外のぜんぶに発見することができる。もちろん前者と後者は、密接に、関連している。要するに、断絶線を結ぶ、結び直す、そのことが目的化されているのではなくて、断絶線の綱渡りを、ひとつ手段として引き受ける姿形が、主軸となっている。また社会学や心理学などを持ち出すまでもなく、そういったモチーフは、今日を生きる、この国の人間が、その大半が、毎日を過ごすなかで、ふと覚える既視感なのであって、それが、絲山作品における、共感や感情移入のキーとなっているのではないか。じじつ「ニート」や「2+1」、「愛なんかいらねー」などに明らかであるように、社会に不適合な人間は描かれるが、それはけっして異常であることと同一ではない。むしろ彼や彼女たちは、凡庸としている。そういった意味で、絲山の筆致は、通俗的でありながらも、本質的な箇所に触れている。そこには絶望や荒廃などはないし、議論に値する形而上の悩みも見受けられない。だが、世界にあるがままの寂寥が、市井の人々の肉声として届けられている。

 収録作品単体に関する文章
 「ニート」「2+1」については→こちら
 「ベル・エポック」については→こちら
 「へたれ」については→こちら
 「愛なんかいらねー」については→こちら


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
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