ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年10月19日
 本編自体は、前の版のときに読んであったので、ひとまずパスして、増補分「サッカーと資本主義」だけ読んだ。
 そのなかで大澤真幸がいっていることを、簡単にまとめてみる。

 フットボール(サッカー)は、世界中でもっとも人気のあるスポーツである。だが、スポーツ大国であるはずのアメリカでは、それほど関心が持たれていない感じがする。それはなぜか?
 ポイントはオフサイドというルールの存在である。サッカーにおける快楽とは、ゴール=「終わり」へと到達することと、大澤は推測し、オフサイドとは、いわば「終わり」を遅延させるものだという。「終わり」へと至る過程を引き延ばすことによって、「終わり」に到達したときの興奮を倍増させる。
 しかしアメリカで好まれているフットボール型のスポーツ、たとえばアメリカン・フットボールやバスケットボールには、オフサイドに類するものが、ない。言い換えれば、アメリカ人は「終わり」を遅延することを好まない。
 それはちょうど資本主義の有り様と近似している。大澤は、資本主義の本質は「終わり」の反復にあるとする。ここでいう、資本主義においての「終わり」とは、投資の回収を指している。「終わり」を数多く反復することが膨大な利益を生み出す、とするならば「終わり」への過程をゼロにすることこそが好まれるのであり、目的化されなければならない。そのような考え方に基づけば、オフサイドのような「終わり」を遅延するためのルールは、むしろ邪魔とされる。そこでは偶然性は拒否され、ただ実力だけが重視される。わかりやすい力の差が勝利を収めるのである。
 フットボールで大量得点と呼ばれるもの(一桁から二桁)とバスケットボールで大量得点と呼ばれるもの(三桁)の間にある得点差に、それは現われており、後者に起こっていることは、つまり「終わりの事実上の無限化」である。無限化された「終わり」は、「終わり」としての意味を失っているともいえる。
 ヨーロッパなどにおけるフットボールへの支持は、「終わり」を受け入れる近代的な態度と同型であり、そこには神の奇跡(偶然)が入り込む余地がある。が、しかし、アメリカン・フットボールやバスケットボールにおいては、ただ結果が求められ、「終わり」を放棄することだけが目指されている。そこでは、アメリカ=〈帝国〉の権力がすべてなのである。

 わ、これでも長いが、突き詰めれば、こんな感じであると思う。正直、それほど新しい論ではないが、しかし、中盤に書かれた、手書き原稿とワープロ原稿の違いを軸とした部分が興味深く、全体もおもしろく読んだ。
 本編のほうも時間があったら、読み返してみることにします。


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
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