![文学界 2008年 03月号 [雑誌]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/21QB8tBwLiL.jpg)
『文學界』3月号掲載。しくじりも、その後悔も、さらに結果の不幸せも、冷静に見れば、どこか滑稽でいて、そして、やはり悲しい。津村記久子の『婚礼、葬礼、その他』は、〈子供の時にお誕生日会をして、大人のお祝いの手間を人間は学んでいくのだろうか。だとしたらわたしははなっからそっち側じゃない、とヨシノは思う。祝福される側。人を呼ぶ側。ヨシノは常に列席者だ〉と自覚する主人公が、結局はそういう運命なのだろう、ちょっとした行き違いから同日に行われる友人の結婚式と会社関係の葬儀とを掛け持ちする羽目になり、その忙しいにも程があるような彼女の個人的な状況を通し、生きていることの平坦さのなかには、しかし人の感情を左右するぐらいの起伏がかならずや含まれていることを、とても愉快な喜劇のかたちとして提出している。すごく立派に愉しい小説であるし、その愉しさが、ふつう卑近であればあるだけ痛くなりがちなモーションの波立ちを、なめらかに引かれる線の心地よい感触で伝えてくる。主人公の意識は、要するに、あるトピックのプライオリティが順次変動するたび、立ち止まり、抵抗しながらも受け入れる、そのようなごく一般的に誰もが踏んでいるプロセスの描写だといえる。たとえば作中では、幾度となく彼女の空腹の身であることが強調されているけれど、それを満たすことが最優先できない状況というのがある。これはつまり、プライオリティが当人の意志によってのみコントロールされ、決定されているわけでもない不自由さ、窮屈さでもある。だが皮肉なことに、そうした窮屈さがなければ、束の間の休息も十分な価値を持ちえない。主人公であるヨシノの一挙手一投足が、けっして賑やかにおかしいだけではなく、せつなくもやさしく、こちらの読み手の気持ちに、す、と入ってくるのは、たぶん、そこのところのささやかで切実な矛盾が、憂鬱とも安堵ともとれる溜め息をもたらしては一種の懸命さをも呼び起こすためだと思う。
『カソウスキの行方』
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