ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年02月06日
 カソウスキの行方

 先般、芥川賞の候補にもなった表題作を含む津村記久子の作品集『カソウスキの行方』には、ぜんぶで三篇が収められているのだが、「Everyday I Write A Book」だけは以前に読んだときがなかったので、それについて触れる。ひとまず、アタマらへんの〈しかし、あそこまでやるかあ。あいつ、飲まへんのになあ、ストレートエッジやから。/ 野枝は、なるほど、と同意した。野枝の目線を釘付けにしたシカドの不思議なストイックさは、酒も煙草も薬もやらない、という、ハードコアパンクのある種の人々の生活態度を採用している部分から漂ってくるのか、と合点がいった〉というあたり、これ、一般的にはどれぐらいわかりやすい表現になっているのかわからないんだけれど、小説の雰囲気を決める、けっこうな箇所だと思われた。とある友人の結婚式の二次会で、〈ワークアウトが趣味で、頭をスキンヘッドにしてい〉る、まさしくストレート・エッジをきどったデザイナーが、〈全裸で機動戦士ガンダムの映画版主題歌である『哀 戦士』を異常に生真面目な様子で振るコーラス歌って帰った〉のを見、主人公である野枝は、なんとなく、彼に関心を持つ、そしてこの、まったく面識のない他人に生じた関心の、意外なおおきさが、彼女の心理を左右するからである。それをもしかしたら一目惚れだとか片想いだとかいった言葉で捉まえることも可能なのかもしれないが、というよりはむしろ、なにかもっと抽象的で漠然とした期待とでもいうのが相応しいものであろう。野枝は、結局、ほぼ接点のないまま、そのデザイナーが〈今度地下鉄で導入されるICカードのキャラクターデザインの仕事が決まったのと同時に、絵本作家兼ミュージシャンと婚約した〉ことを知り、〈胸の中にぼんやりとした霧が広がるのを感じた〉のだった。そうしたことの反動のせいで、じっさいに導入され、シェアをひろめつつある地下鉄のICカードを使う気になれない。たとえば、逃した魚はおおきい、という喩えがある。このとき、彼女が〈なんだか、入り口から締め出されてしまったみたいだ、と思った〉のは、それに近しいのではないか。そもそも手に入れようとしていたのかどうか、自分が自分でも定かではないのにそう感じられるといったことは、まま、ある。とくに対象が世間からはひとかどのものとして見られている場合などは。ともすれば、そのような不明瞭でもある失意のおおきさが、彼女に、いわく言い難い空漠を、もたらす。物語の柱は、同じ結婚式の二次会で知り合ったもうひとりの男性、デザイナーの友人にあたるオサダとじょじょに親密になっていく過程にある。しかし彼女が、そこで何を望んでいるのかは、おそらく当人ですら気づいていないので、末尾まで、ほとんど曖昧にぼかされている。そのぼかされていることのなかで、毎日は進み、感情は、不安定なウェーヴを、上下するようにして、描く。

 「カソウスキの行方」について→こちら
 「花婿のハムラビ法典」について→こちら

 『バイアブランカの活断層』について→こちら
 『冷たい十字路』について→こちら
 『炎上学級会』について→こちら
 『十二月の窓辺』について→こちら
 『君は永遠にそいつらより若い』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(08年)
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