ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年10月16日
 Something Borrowed Something Blue

 90年代の女性シンガーたちのほとんどが、一様に抱えていた焦燥感や性急さを、AMANDA ROGERSのうたは感じさせない。そのあたりがヒーリングに近しい、おだやかな気持ちを、聴き手に与える。それは、もちろんピアノの弾き語りに近しいフォーマットによって支えられた表現であるからそうなのかもしれないけれど、もうちょっとべつのレベル、根幹の部分というか、なにかを押し殺すようにして切実さを描くのではなくて、ごく自然な振る舞いに立ち、清浄な祈りに似た、濁ったエモーションを含まない、そういうメロディが要請したものではなかったか。ファースト・アルバム『THE PLACES YOU DWELL』、セカンド・アルバム『DAILY NEWS』に続く、5曲入りの本作『SOMETIHNG BORROWED, SOMETHING BLUE』EPを聴きながら、そう思う。そのことはとくに、新曲3つを挟み込むようにして置かれた、アット・ザ・ドライヴ・イン「198D」とレディオヘッド「ノー・サプライゼズ」のカヴァーから伺い知れる。アット・ザ・ドライヴ・イン「198D」は『VAYA』EPに収められた、彼らにしては珍しいスタティックなナンバーである。が、コーラスの部分で、堪えきれず、切迫感をもって弾けるエネルギーが、つよいフックとなっている。それが、ここでは、過剰な盛り上がりを除去し、穏やかに流動する空気の、圧のない状態で演じられている。そのため、メロディの浸透率が、それだけが深く、高まった印象だ。レディオヘッド「ノー・サプライゼズ」の場合、もともとは都市部における画一的な生活風景を淡々と紡ぐことで、そこに宿るアパシーをアイロニー化したナンバーである。つまりノーという意思表示の変形であった。が、ここでのヴァージョンにおいて、何度も繰り返される〈ノー・サプライゼズ〉という響きは、もっとべつのベクトル、つよい肯定の色合いを持っている。それはおそらく力点の置かれ方の問題となっている。レディオヘッドが、世界を否定することで自己を立ち上げたのに対して、AMANDA ROGERSは、自己の肯定からはじめる、そこから世界を捉まえる視点を獲得しようとしているのである。本来の明晰でパセティックなトーンは、慈愛に満ちた抽象的なイメージへと変換されている。ラストで、ピアノの音が、はた、と止んだとき、その静寂のなかに麗しき感情が芽生えている。当然、オリジナル3曲も同種の傾向を違えていない。

 アーティストのオフィシャル・サイト→こちら
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