ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年10月15日
 回転銀河 4 (4)

 意地悪な双子のうちのひとりがなぜ改心したのか、その過程を描いたエピソードを冒頭に持ってきたこの巻は、海野つなみがコメントで述べているように、番外編要素の強い一冊となっている。というのも、本来の背景である共学校の外側が多く舞台となっているため、登場人物たちがニアミスする場面がすくないからだろう。けれども、秘めた、秘めざるをえない想いがどんどんと膨張し、伝染し、スイッチしていく様子は、じつに『回転銀河』的なのであった。個人的にもっとも注視したいのは、血の繋がっていない父娘が男と女として向かい合ったときの混沌を捉まえた、最終話『クェーサー』である。ふたたび作者のコメントを引いてしまうが、海野はこれを、〈お互い好意を持ったまま静香に2人で暮らす、といった、普通に優しいハッピー・エンドにはしたくはなかった〉といっている、そうしてしまえば、やはり近親相姦をモチーフにした樫本姉弟のエピソードと同じ結末になってしまうからなのだ、と。しかし、じっさいに血の繋がっている樫本姉弟の場合と、ほんらいは血縁関係にない『クェーサー』の場合とでは状況が違うのではないか、と思う。だが、じつはそのような問いには、血の繋がりよりも強い絆がある、といった観点が抜けている。逆をいえば、そうした感覚を持ちえていることに、海野の、『回転銀河』という表現の、強度が現れているのだ。ここ数年、もしかすると「萌え」などといったのもその一端であるのかもしれないが、近親相姦的なタブーを表現すること、それが表現されることに対しての戸惑いが、やや薄れてきているような気がする。いや、タブーはタブーとして在るのだけれども、それはもともと触れることを忌避するからこそタブーなのであって、触れることを前提としたタブーは、すでにその有効性を欠いているといえる。それは、おそらく近代的な枠組みにおける倫理の失効と、通底している。今日を生きる我々は前時代の規範をアテにできない、前人未踏のポイントにまでやって来ている。として、そうした、ある意味では壊れた場所から立ち上がる、寄る辺なき、だが、その分だけ自律した、イノセントな恋愛模様が、ここに映えている。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ。
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