『新潮』11月号掲載の短編。芥川賞受賞第一作ということであるが、しかし、短い、短すぎる。とはいえ、その短さのなかで、厳粛な語り口がやがて個人のショボい妄想に帰結するといった、阿部和重ならではの作法をまっとうしているあたり、さすがというべきところか。『課長 島雅彦』という題名は、見たまま、島耕作と島田雅彦をかけたものである。いってみれば、島田雅彦への揶揄になっているわけだ。そうしたモチベーションがどこからやってきているのかといえば、作中において、〈A新聞の土曜版にて連載されている、作家SのBというコラムの八月二十七日付けの回〉で、〈作家のSが、同業者である後輩に当たり仕事上や私生活の面で厄介な問題を抱えているらしいNという人に向けて書いた〉一応は激励という体裁をとっている手紙を読んだ語り手が、〈このSという作家、本人はさぞご立派な作家先生のおつもりでいらっしゃるようさますが、しかし結局のところは、俺の周りにごろごろいやがる、うだつの上がらない課長どもと少しも変わらんな〉〈たとえば係長や平の連中を居酒屋で励ましてやるときの口調と、このSの文体は、明らかに瓜二つだからな〉といっているとおりだろう。なるほど。要するに、団塊の世代ないし全共闘に対して後発の世代であるがゆえに斜に構えていた島田雅彦も、もっと若い世代からみれば、団塊の世代ないし全共闘のヒーローである島耕作と同じ程度には胡散臭いよ、ということに違いない。しかしながら、ここ最近の阿部和重は作家Nとツルみすぎである。この『課長 島雅彦』は、まるで中原昌也の短編みたいな感じになってしまっているではないか。
参考→
こちら 『阿部和重対談集』についての文章→
こちら 『青山真治と阿部和重と中原昌也のシネコン!』についての文章→
こちら