ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年10月10日
 『文藝』05年冬号掲載。三並夏『平成マシンガンズ』とともに「第42回文藝賞」を受賞した作。青山七恵『窓の灯』は、若い女性の自意識を扱った内容の、小説である。そういうことであれば、ここ数年の『文藝』受賞者に限っただけでも、綿矢りさや生田紗代がいるのだから、もうそういうのはいいではないか、という気になってしまう。いや、しかし、文体はたしかにそんな風であったとしても、吉田修一や中村航を思わせるような、なにか不穏な空気を孕んだ状態で物語が進行するあたり、この作者の個性といえるかもしれない。話は、〈いかがわしい風俗店や居酒屋がひしめく地区の一番はずれ〉にある〈ミカド姉さん〉の店で、住み込みで働く〈私〉の語りを軸にして、展開される。彼女が住んでいる2階の部屋から、向かいのアパートの窓は近い。これまで誰もそこには住んでいなかったので、身なりを繕ったり、カーテンを引いたりなどの行為には無頓着であったのだが、あるとき若い男性が引っ越してくると、そうもいってられない。なぜならば、その部屋が〈私〉から丸見えであるように、きっと、向こうからも〈私〉の部屋が丸見えであるに違いないからだ。とすれば、ふつう、その住人と〈私〉との関係が発展することを期待しまいがちであるけれども、ふたりの間で言葉などはけっして交わされず、〈私〉が一方的に彼の生活を覗き見ることに終始する。そして、それは、〈私〉が誰からも一個の人間として認識されていない、そういった不安の感情と相関していると捉まえられる。おそらく〈私〉は、〈ミカド姉さん〉にこそ、ちゃんと自分のことを見て欲しいと願う人間なのである。しかし、もしそうだとすれば、そのへん、のちのち登場する〈先生〉という男性の存在も含め、作品のなかでうまく機能しているかどうか、あやしい。それと気になるのは、これはいったいいつの時代の話なのだろうか。もちろん、そんなことはどうでもいいじゃないか、という向きもあるだろう。けど、どの時代の誰でもいいわけではなくて、ある時代の〈私〉じゃなければいけない、そういった部分が、あるいは物語を駆動させるキーなのではなかったか、と僕は考える。つまり、ディテールにおける詰めの甘さを感じるのであった。そして、それは、異様に抽象的な冒頭部分にも現れているように思える。ところで選評で斎藤美奈子が〈女の子のピーピング・トム(覗き見常習犯)を描いた、これは本邦初の小説かもしれません〉といっているのだが、ん? 角田光代だか誰だかの短編にそういうのがなかったっけ。調べるのが面倒なので調べないが、たぶん、あった気がする。
posted by もりた | Comment(1) | TrackBack(1) | 読書。
この記事へのコメント
受賞おめでとう。どんな作品なのか見たいし、作品の作り方も知りたいし、見上げたもんだよ。
Posted by Hなかた at 2007年01月17日 11:15
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『窓の灯』青山七恵 を読んで
Excerpt: 窓の灯 (河出書房新社)青山七恵 内容紹介 大学を辞め、時に取り残されたような喫茶店で働く私。 向かいの部屋の窓の中を覗くことが日課の私は、やがて夜の街を徘徊するようになり……。 ゆるやかな官能を奏で..
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Tracked: 2008-11-16 23:03