ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年01月06日
 『野性時代』1月号(vol.50)掲載。教養のない人間なので、バイアブランカって何だったろう、と考えつつ、小説を読みはじめたのだが、ああ、そうか、アルゼンチンの地名である。作中では〈『母をたずねて三千里』のマルコが行こうしてたとこはバイアブランカやろ(略)にしても完全に地球の裏側やんけなあ〉といわれている。〈その時作朗は、サンディエゴから来たという揃ってぽっちゃりしたアメリカ人の中年夫婦に、ゼアイズテンプルノノミヤ、フォーエンムスービ、とめちゃくちゃな説明をしながら、彼らの顔をしかめさせていた(略)英語がぺらぺらのまやちゃんは、その日、用事があるとかで作朗に嵯峨方面の外人のガイドを交替してくれと当日に打診してきた。下宿で眠りこけていた作朗は、よく考えもせずにそれを引き受けたのだが、間違いだったのかもしれない〉。でもって、同じとき、まやちゃんという、つまりボランティアで京都は嵐山のガイドをやっている大学生の作朗の、恋人であるらしき女性は何をしていたかというと、どうやらべつの男と会っていたところから、津村記久子の『バイアブランカの活断層』は、はじまる。そういうわけで主人公はふられてしまうのだけれど、その、冴えないといってもいいような若い男性が、インターネット上のとある外国人コミュニティで、バイアブランカに住まう少女と知り合い、メールのやりとりなどをするうち、彼の国に興味を持ち、そこをきっかけに一皮むけてゆく、と、作品の概要は述べられる。が、あくまでもメインは、生まれてこのかた京都から出たことのない作朗の、友人やら家族やらを含む日常生活にほかならない。大学卒業後には〈基本的に地元で公務員にやることを考えていた〉彼は、友人のエンドーに〈本っ当に挑戦ということをせんやつやなおまえ、京都からいっぺん出たらどやねん、と眉をひそめ〉られてしまうほどなのだけれども、それを気にする様子もない。また、やや卑屈な傾向があるくせに、親しくなった女性がいるとすぐ、恋愛感情に結びつけてしまう。こうした単純ともとれる姿が、おもしろおかしく、どことなく切実に、語られる。心に屈折があったとしても、それを鬱陶しくしない点に、この作者らしさがあり、だからこそ、主人公の一生懸命な逆立ちと形容したいラストは、また一段と、さわやかな印象をつくる。正直な話、作朗とエンドーがほとんど衝動的に神社へお参りに出向く箇所で終わったほうが、余韻が良く残ったのでは、という気が最初はした。でもやっぱり、その先にまで足を伸ばさなければ見えない風景というものがたしかにあって、この物語には、それがとても相応しく、必要不可欠であるのかもしれないな、と思い返す。ところで、些細なことだが、雑誌のページ数でいえば236ページの下の段に〈もぐりこめそうな必修単位以外の初級英会話の講義はみづきちゃんが履修している〉の「みづきちゃん」は「まやちゃん」が正しいのではないだろうか。いや、みづきちゃんという登場人物もいるにはいるのだけど、ここはまやちゃんじゃないと、辻褄があわないような。こちらの読み違えかしら。

 『カソウスキの行方』について→こちら
 『冷たい十字路』について→こちら
 『炎上学級会』について→こちら
 『十二月の窓辺』について→こちら
 『花婿のハムラビ法典』について→こちら
 『君は永遠にそいつらより若い』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(08年)
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