ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年01月05日
 白井弓子の『天顕祭』は、07年の文化庁メディア芸術祭マンガ部門奨励賞ということで知った。つまりは、遅ればせながら、という次第なのだけれども、全4巻(+番外編1冊)で見事にまとまっている作品を、物語が完結した段階で、こうして通読できたのだから結果的にはラッキーだったと考えるようにしたい。それくらい、設定はしっかりしており、内容も身が詰まっている。舞台となっているのは、古風な伝統行事と科学的な終末とが折り重なり、そのうえに現代的な人びとの暮らしが成り立っているような、そういう世界で、題にある「天顕祭」の起源を挟み、一組の男女が、それぞれの宿命と対峙することとなる。大昔に「汚い戦争」があった。そのときにばら撒かれた「フカシ」と呼ばれる毒気が、国土を激しく汚染したが、作中では、地中から生える竹林がその浄化作用を果たしていることになっており、「フカシ」をたっぷりと吸った「浄化原種」は破棄されるしかないのだけれど、そうでないものは建設現場の足場などで、ひろく用いられている。主人公のひとり、真中は、危険を承知のうえで、かつては汚染区域で竹の伐採にあたっていたが、今は縁あって鳶職の若頭をつとめ、その彼が、たまたま知り合い、事情ありげなことから、自分の組へと招き入れた木島という少女が、ヒロインにあたる。じつは木島は、「天顕祭」においてもっとも重要なクシナダ姫の役を仰せつかりながらも、それをおそれ、逃亡している最中であった。それにしても、ふだんは野郎連中に交じり、高所での作業を厭わず、きつい仕事にも弱音を吐くことさえしない気丈夫だというのに、いったい、何に、脅えるのか。多くの人間にとってヤマタノオロチとはただの迷信だろう。しかし彼女には、竹をつたい、自分を求め、どこまでも追いかけてくる大蛇の姿が、はっきりと感じられた。こうして真中と木島の二人は、「天顕祭」の伏せられた背景へと深入りしてゆくことになるのだが、そこで展開されるのは、古代の諍いと近現代の悲劇とが、まさしく二重写しの状態で語られる歴史である。古事記と「汚い戦争」にまつわる怨念が、時空を超え、連結される。現在と過去、現実と幻想、肉体と意識とが、混濁し合い、たったひとつ、出口へと奔流するがごときクライマックスは、そのやわらかくも力強い絵柄もあって、否応なしに呑み込まれる。しかしまあ、特筆すべきは鳶職の若頭である真中の造形である。導入における職人や業者のやりとりからして、地に足のついた(あるいは地に足をつけようとしている)人物であることが伝わってくる。そうした部分が意外と重要だと思われるのは、これが、世界の側から個人の矮小さが捉まえられるのではなくて、個人の側から世界にとってできうるかぎりのことが捉まえられている、といったていの物語であるからだろう。そのことはエピローグふうの数ページによってうかがい知れるし、それ以前にもたとえば、囚われの身となった木島のもとを訪ね、窮地に追いやられるくだり、そこで真中は、ふと、明日こなさなければならない業務のことなどを考えたりするのだけれども、ふつう、男性が女性を助け出すかっこうのストーリーにおいては、次の日の仕事は忘れられているか、またはそんなことを思い出すと不純というか、どこか違和感を覚えがちなものだが、ここでは、穏やかなエンディングに、はっきりとピントの合い、すぐれて表現力のある描写になっている。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(08年)
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