ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年10月04日
 角田光代の小説には、不気味さのようなものが、含まれている。角田は、わりと売れているほうの作家だと思うが、大勢がその不気味さのようなものを共有していると考えると、おっかないものがある。
 この小説では、最初それは、和田レミというパラノイアちっくでストーカー気質の女性として現われる。そして、やがて物語中に拡散してゆくこととなる。というと、まるでホラーのようだが、そうではなくて、登場人物のほとんどは世間一般の普通な人々であり、和田レミがキーパーソンというわけでもない。
 話は、田所房子と宗二の一組の夫婦を中心にして、進む。幼い頃に、テレビ番組に出演するほどに記憶力のよかった房子は、自分のことをまるで記憶装置だという風に思う。今まで見聞きしてきた情報の蓄積された、ただの身体。彼女が自分のなかにある感情を口にした途端、それは借り物の言葉へと変質する。宗二は、人生を決定するのはビジョンだと考えている。ビジョンとはなにか、べつの登場人物の言葉によって、テーゼや仮定として言い換えられる。ビジョンやテーゼや仮定のないままに生きるとは、どのようなことかといえば、他者との関係性のなかで役割を演じるためだけの生を指している。房子と宗二の暮らしのなかには、アパシーとエンプティネスがある。それは触れられぬ秘密のせいとかではなくて、ただ、お互いにお互いの内面はけっして理解しえないという理解から発せられている。
 不気味さのようなものは、そこに宿る。共同体のなかに判り合えない他者がいる、そのことへの気づきは、日々の生活に亀裂を入れる。その亀裂がまるで他人事のように思えるとき、そこでは何かが死んでいる、あるいは、その何かはそもそものはじめから生きてさえいなかったとしたら、と考えることの重みが書かれている。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書。
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