ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年12月13日
 メフィスト 2008年 01月号 [雑誌]

 『メフィスト』1月号掲載。ははははは。これは非道い。すばらしく非道い。むろん最大級の賛辞として送らせてもらうのだが、とにかく、非道い、の一言に尽きる。浦賀和宏の『三大欲求』は、それこそこの作者でなければ書けないというか、いや、ま、それ以前に、この作者の他には誰も書こうとしないに違いない、度し難い内容の小説である。裕福な家庭に生まれ、偏差値も高く、さらには巨大な男性器を持ち、セックス・フレンドにも事欠かないほどのイケメン高校生である語り手の〈俺〉は、しかし、現実の女性を相手にするよりも、アニメ『天×突×グ×ン×ガン』に登場する美少女ヨーコをネタに、マスターベーションすることを至福だと考えている。だから〈グ×ン×ガンの世界の中にいけたら、最初にやることは決まっている。ヨーコを口説き、ヨーコをベッドにねじ伏せ、ヨーコのでかいパイオツに自分のそそり立ったペニスを挟んでパイズリして、ヨーコの顔に思いっきりぶっかけてやるのだ〉と、アニメの世界に猛烈な憧れを抱く。まあ、この時点ですこし頭のおかしい子なのだけれども、その彼が、ポニーテールで胸がおおきく、気の強い同級生のミドリにヨーコのイメージを見たことから、何としてでも彼女とセックス(性交)をすべく、狡猾に立ち振る舞う。言い換えると、オタク的な欲望をじっさいに実現させられるだけの能力を持った人間が、それを遂行してゆく過程となっているのだが、さすが浦賀和宏といわざるをえないだろう、尋常じゃない思考回路を作中人物たちの脳髄に滑り込ませ、結果的には、吐き気を催すぐらいのバッド・エンドへと導くのであった。作品のつくりは、同作者の八木剛士・松浦純菜シリーズと等しく、ミステリの形式はほとんどとっておらず、屈折した自意識と妄想のドライヴが大部分を占め、そこへ独自に展開されるサブ・カルチャー論が挿入される、というものになっている。〈どうしてわざわざ表紙が漫画の小説なんか読むのか理解に苦しむ。表紙を見て、おおこれは中々萌えるからオカズに使えそうだぞと思っても、所詮中身は小説なのだ(略)その表紙の女の子が萌えると思っていても、そんな女の子は小説の中にこれっぽっちも、まったく、完膚無きまでに登場しないのだ。あるのはただ、文章の羅列だけだ(略)文章で表紙の女の子を想像しろって? だったら最初っから漫画の表紙などつけずに全部読者の想像にまかせろって話だ(略)アニメだったら音楽だって流れるし、登場人物も軽快に動くし、ヨーコのパイオツもプルプルと震えるのだ。オタクだったら小説なんぞ読まないで素直にグ×ン×ガンのDVD観ろよ!〉。このような、おそらくはライトノベルや「萌え」のメカニズムに対する意見などは、作者のギャグなのかマジなのかは不明だが、けっこう興味深い。データベース云々という言葉を使えば、それが(多くの場合性的な)欲望を喚起するにあたって図像が絶対必要かそうでないかの判断は、その手のことを盛んに論じている人たち(たとえば東浩紀や伊藤剛)のあいだでも一致していない点ではあるからね。それから、先ほど後味の悪いラストというような旨を述べたけれども、考えようによっては、そこに至ることで物語は、サブ・カルチャーに割く想像力と、「他者に対する想像力」と世間一般でいわれるそれとに、異質だとの線引きをする、そういう結構であることを思わせる。

・その他浦賀和宏に関する文章
 『堕ちた天使と金色の悪魔』について→こちら
 『世界でいちばん醜い子供』について→こちら
 『さよなら純菜 そして、不死の怪物』について→こちら
 『八木剛士史上最大の事件』について→こちら
 『上手なミステリの書き方教えます』について→こちら
 『火事と密室と、雨男のものがたり』について→こちら
 『松浦純菜の静かな世界』について→こちら

 「リゲル」について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書(07年)
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