もうこういう90年代グランジのメロディとダイナミズムを流用した汎用型アメリカン・ヘヴィ・ロックみたいのを聴いても何も感じない、というか、やってる方も聴いてる方もよく飽きないねって思うだけだ。まだまだ言い足りないことがあんのかもしれないけれど、だったらその今まで言えてなかった部分を伝えてよ、先行するアーティストのフレーズをトレースすることにどんな意味があるのかハッキリさせろよ。
というような批判は、まあ的外れなのだろう。たぶん良い楽曲を書き、演奏すること自体が目的化されているのであって、それが手段として使われていないことに腹を立てることは、アーティスト側の意向とはまったくもって無縁なのだ。なるほど。デビュー作よりはソング・ライティングの面でのみ向上がみられるセカンド・アルバムである。他の同系統のアーティストとの差異が設けられていない、オリジナリティなどはぜんぜん存在していないが、それはきっとバンド側が自覚的にそうしているのであって、悪く言ってはいけない(皮肉ですよ)。正直なところをいえば、ビリー・コーガンがゲストで参加してるというトピックがなければ、個人的には、もう手を出すことはない類のサウンドとなっている。
どういう経緯でビリー・コーガンが参加したのかは知らないが、たしかタップルートの次のアルバムにもビリー・コーガンって関わっているんじゃなかったっけ?こういうタイプのバンドへの接近が、彼にとっていったい何を意味しているのかは気になる。単にレスペクトされて悪い気がしないという程度のことなのかもしれないけれど、おそらく、どのような形であれオーヴァーグラウンドのシーンと関わっていたいというのが、あくまでもメジャー志向の彼のなかにはあるんだと思う。
で、そのビリー・コーガンが共作した3曲についてちょっと言っておくと、コーラスではなくて、その直前の部分の歌メロに「らしさ」が感じられる程度に止まっている。
ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年10月03日
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