ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年11月25日
 ストロボ・エッジ 1 (1) (マーガレットコミックス)

 ああ、やっぱり、初恋と片想いだけは人類の偉大なる資産と讃えられてしかるべきだな。もちろん両想いを加えても良いんだが、そうしたら失恋のことも頭に入れなくてはならなくなってしまうのが、痛いところだよ。それにしても咲坂伊緒『ストロボ・エッジ』の1巻である。ここに展開されている恋愛の風景は、すばらしく、若々しく、そして、まぶしい。高校一年の仁菜子は、まだ、恋というのがどういうものかを知らない。中学時代から仲の良い大樹とのことを、同級生から〈あんたたち相思相愛でしょ〉と言われれば、〈そうか そうだったのか…これがスキって事なのか――〉と自分でも不思議がってしまうほどである。けれど、ほんとうの恋が、べつの、思いも寄らぬ方向から、やって来る。学年で一番人気の男子、蓮と、帰りの電車で偶々知り合い、すこしずつ言葉を交わすようになった仁菜子は、次第に、彼と会うたび胸を痛める自分のそれが、恋愛感情だということに気づきはじめるのであった。そのようなストーリーの流れは、少女マンガのシーンにありふれたものだといえる。また、それにしたがい三角関係あるいは三角関係以上の連なりが、作中に、成り立ってゆくのも、同様であろう。つまり裏を返せば、そうした出来事の、すくい方、捉まえ方、描かれ方において、『ストロボ・エッジ』のすぐれた点を見ることができる。仁菜子が、じょじょに蓮のことを意識していくあたりが、いい。そこで注視しておきたいのは、仁菜子の恋愛感情は、蓮との関係によってのみ、自覚されるものではないということだ。蓮と大樹との対照を経て、そうだと認識される。これはもちろん、単純に、異性間における恋愛と友情に差異の一線を引くていの表現となっている、おそらく作者はそう意図しているわけだが、読み手への作用は、そればかりではない。ある意味で、以前までになかった恋愛感情を知るということは、ひとつの世界が拡がることと同義である。しかしながら恋愛感情へのこだわりは、広くあったはずの世界を狭めてしまう(あなただけしか見えないというやつだ)。ラヴ・ストーリーは、多くのばあい、そうした遠近感を操作することで、登場人物の内側にグラデーションをつくりあげていくもので、これはもちろん『ストロボ・エッジ』でも等しくあるけれど、そのような感情の遠近図を描くさい、仁菜子の蓮に対する想いを託され、伸びるラインは、大樹とのあどけない付き合いが、いわば補助線の役割を果たし、それからの働きかけによって、太く、たしかに、定められている。たぶん、蓮と大樹のルックスと性格を、相対的に見たとき、どちらがどう勝り、どちらがどう劣るということはない。にもかかわらず、どうして仁菜子は、大樹ではなく、蓮を選ぶのか。仁菜子の、蓮へ向けられていた憧憬が、アイドル的な存在を好きというようなそれではなく、そもそものはじめから恋愛感情だったのでなければ、偶々、彼女の心がそう動いたというほかない。じっさい、根拠というほどのつよい理由は、作中に明示されていないふうに思われる。やさしくされたからというのはあるだろうが、読み手を説得するには弱い。しかし、その偶々が、絶対的な確信であるからこそ、たとえ蓮に恋人がいたとしても仁菜子の〈それでも蓮くんを好きって気持ちはなくなっていかないの〉ということになる。この、思いなし、あるいは、言い切りは、同じシーンでべつの登場人物たちにより、二度三度と反復され、一個のメッセージをつくっているわけだけれども、これがもしも印象に残るとしたら、それはつまり、そこへ至るまでの流れのなかで、いつの間にか、読み手が説得されているためである。換言すると、偶々が、偶々ではない、絶対でしかありえない、そういう表現が事前に為されている、ということで、おそらくは、先ほど述べたような、蓮と大樹の対照を用いた恋愛の遠近法とでもいうべきものが、それにあたる。この1巻は、思い詰めた表情の仁菜子が、告白をするのかしないのか、いずれにせよ蓮に歩み寄るところで、終わっている。まちがいなく山場だよね。だいたい2巻ないし3巻ぐらいの長さでまとまれば、ちょうどよい内容だと考えられるだけに、そうしてこの恋がどう転ぶのか、目が離せなくなる。

 『マスカラ ブルース』について→こちら
 『BLUE』について→こちら
 『GATE OF PLANET』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(07年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック