ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年11月21日
 仁義S 5 (5) (ヤングチャンピオンコミックス)

 主人公を変え、いちおうは無印『JINGI(仁義)』(注・ここでは便宜上『仁義』と表記させてもらいます)とは切り離されたところからスタートした『仁義S(じんぎたち)』であったが、前巻ぐらいから無印『仁義』の本筋にほとんど等しい、つまり、仁と義郎が、手持ちの駒を使い、自分たちに敵対する人間を、いかに排除してゆくか、というストーリーへと立ち戻っている。そして、その駒にあたるのが『仁義S(じんぎたち)』の主人公であるアキラと大内だといえよう。また、アキラと大内は、かつて仁と義郎がそうであったように、そのことに自覚的な存在である以上、年老いて引退する、か、死ぬ、まで降りることのできないゲームを、有利に進めるため、どう主導権を握るか、画策する。もちろん、こうした作中の構図は、プレイヤーとかキャラクターとかいった今ふうの言葉で捉まえ、読み直すことが十分に可能なものであるように思う。いや、むしろそれを、立原あゆみがこのシリーズにおいて80年代から描き続けている先駆性を、誰か指摘してもよいほどなのだけれども、以上は、まあ、余談である。ただし、政治的なイデオロギーや資本制、または恋愛に殉じた者から物語を退場してゆく、というマンガのつくりは看過されてはならない点だろう。指名手配を受けるほどのテロリストであった義郎が、やがて警察ですら手駒のひとつに数えるまで快進撃を続けるのは、自分が極左であることに魅力をなくし、興味半分で身を投じたヤクザの世界で、それこそプレイヤーとしての振る舞いに徹していたからに他ならない。この『仁義S』の5巻で、実質上の関東一円会トップでありながら〈義郎 オレは一円会会長なぞなりたかねえぞ〉と口にする仁に、義郎が〈おいおい そんな事言っちゃ困るぜ 登るのをやめたとこが頂上になっちまう〉と言い、それに仁が〈やつらが怖えのは 義郎 おめえだ オレはおめえの傀儡だと思っている〉と返すシーンは、作中の力学を的確に示し表している。さて、その義郎から、現在の関東一円会会長である柳澤が経営に絡む病院の崩壊を命じられたのが、アキラと大内の二人組である。敵対する組織の縄張りに入り、たった二人で、巨大な病院潰しを行うという難題だが、これを彼らは、利用できるものはすべて利用することで、じょじょに達成へと近づいてゆく。しかしそれにしても、あの柳澤が、仁や義郎の敵に回るとはね。〈欲のねえのが売りの柳澤が何故変わった?〉と仁が訝しむとおり、はたして驕ったのか。驕りだとすれば、その驕りからくる詰めの甘さこそを、アキラと大内は、見逃すことなく、着実に、突く。

 4巻について→こちら 
 3巻について→こちら

・その他立原あゆみに関する文章
 『極道の食卓』
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら 
 『ポリ公』2巻について→こちら
 『月の教室』について→こちら
 『喰人』1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(2) | TrackBack(0) | マンガ(07年)
この記事へのコメント
久しぶりにこちらを覗かせていただきましたが、
ここで「立原あゆみ」に会えるとは思ってもいませんでした。

「仁義」も知っておりますが、個人的には週刊チャンピオンの「本気!」にリアルタイムで接していたせいもあり、思わず過去に想いを馳せてしまいました。

そんな一読者として「80年代から描き続けている先駆性」については賛同させていただきます。(特にそれほどのファンでもありませんが、当時には無い視点のマンガでした。)

Posted by DNL at 2007年12月19日 01:42
DNLさん、コメントどうもです。
「本気!」もいいですね。物語のカタルシスでいったら「仁義」、作品のメッセージ性でいったら「本気!」といったところでしょうか。
そのへんは、たぶん青年誌と少年誌の違いで、作者が描き分けていた部分だと思います。
Posted by もりた at 2007年12月20日 18:08
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