ああ、なるほど、9分にも及ぶ長尺な2曲目「ジーザス・オブ・サバービア」には圧倒的なものがある。けれども全体を聴いてわかるのは、要するに、ソング・ライティングの優劣でしかないんだよね。うん。たしかにグッド・ソングの詰まったグッド・アルバムだと思うし、傑作かどうかと問われれば、傑作なのだとも思う。ただ、やっぱりここに込められたコンセプトみたいなものに、僕は、説得はされない。理由は簡単で、音楽性によって、それが表されているわけではないからだ。
たとえば、グランジやアメリカン・オルタナティヴの余波を受けて、グリーン・デイとかの90年型パンクが登場したのが、ロック・ミュージックにとって、ひとつのターニング・ポイントであったのは、結局のところ、それまでの歴史によってオートマ化されたメインストリームという地層に、ある種の断絶、強制的なギア・チェンジをもたらしたからだと思うのだ。っていうか、よくわかんないけど、そういう風に書いている人ってけっこういない?だけど、これは完全にアメリカン・ロックのフォーマットを継承し、そこに落ち着いてしまっている。要するに、アメリカ人って結局こういう音しか作れないんでしょ、みたいなところに収まってしまっているのである。そういった意味では、とても退屈だ。
ロック云々という物言いで測らなければ、ドラマティックだし、よく出来たアルバムなのだけれど、残念ながら僕の耳には、世界を更新するほどのメッセージとしては響き渡らない。つうか、もしもこれが全編「恋愛」を取り扱ってたとしても、聴くほうには、ぜんぜん問題は、ない。
ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年09月25日
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