
いやあ苦しかった。序盤にはけっこうわくわくさせられたのだが、中盤以降は読みながらうとうとと眠たくって仕方がなかった。そういえば『青春の終焉』も、かなり辛かった覚えがある。内容よりもむしろ、そちらの方が記憶に残っているかもしれない。まあそこらへんは、僕の読解力のせいというのもある。
さて。『出生の秘密』とは、三浦雅士の言葉を借り、簡単にいうのであれば、こういうことである。〈自身の出生に立ち会ったものはいない。生まれ出たのは自分自身のはずだが、自分自身はその現場に立ち会ってはいない。記憶が抹消されているわけでも隠蔽されているわけでもない。生まれ出たものはまだ自分自身になっていないのだ〉。つまり、人は誰しも誕生の瞬間には自意識を持ちえない、言い換えれば、自分がどこからやってきたのか、その起源を知らない、そのような由来の不確定さ、また、じっさいに体験したはずのことが未知のように感じられる、当事者でありながら当事者として感じられない、そういった認識の間隙が、ある場合には、妄想を生み出し、そうした妄想の類こそが、ある場合には、虚構ではあるが、しかし真実に近しい、普遍的な言語空間を作り上げるというわけだ。たとえていうなら、自分は捨て子でほんとうの両親はべつにいるといった体のファミリー・ロマンスなどは、そのいちヴァリエーションである、と。そういった着想を、三浦は、丸谷才一のメタ・フィクショナルな構造を持つ小説『樹影譚』から得、それをベースにしながら、さまざまな文学作品や精神分析などを糧に、ロジックを肥大させてゆく。
ただし、そのための論理的展開には、僕にはすこし、飛躍があるように思えるのだった。そのため全体の像がぼやけて見える。あれ? と目をこすっているうちに、いつの間にかとりとめもない話になってゆくような感じがした。
たとえば、ひとつの文字をじーっと見つめていると、それがなぜそのような形をし、どうしてそういう意味を持っているのかわからなくなる、そこにある不安が、自分への世界への懐疑へと繋がる、と中島敦に言及しつつ、象徴界、想像界、現実界といったラカンの鏡像段階、つまり知覚と自意識のズレに、筋をスライドさせるあたりは、こう書いてみるとシンプルなのだけれども、用いるサンプルがけっこう盛り沢山なのと、持って回った言い方にすぎるところがあり、文章に対しての理解速度が遅れる。だからまあ、その点は、僕の頭の悪さがあるのだとしても、やはり、やや明快さに欠けているみたいに思う。とはいえ、二度三度と読めば、印象も変わるのかな。

>こんなに難しく書く必要があるのでしょうか。。。
や、僕に言われても困ります。というか、たもとさんのほうが、ぜんぜん詳しく読解してるじゃないですか。
ただこの本の読みがたさは、三浦雅士のロジックの組み立て方云々、というよりは、彼のラカンに対する解釈の仕方(90年代以降における現代思想の悪い癖)に由来しているのかな、とは思いました。