ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年09月06日
 東京19歳の物語―もうひとりの自分が、ここにいる。

 帯には〈東京・19歳をテーマにした精鋭作家10名による短編アンソロジー〉とあり、長嶋有と柴崎友香、篠原一(10年来のファンなので、そう簡単には嫌いになれないなあ、やっぱ)を目当てにして、読んだ。他には山崎マキコ、千木良悠子、狗飼恭子などが参加している。のだけれども、いや正直なところ、どれもイマイチであった、残念すぎるほどに詰まらなかった。裏テーマ的に、携帯電話というのがあるのかどうかは知らないが、ほとんどの小説で、若者が携帯電話をぱこぱこやってる、あるいは、イマドキの19歳を描くにあたり、携帯電話というの絶対に外せないモチーフなのかもしれない。としても、そこらへん、ある世代の捉まえ方としては、ちょっとステレオタイプ過ぎない? と思うのだった。あと横書きという形態が、ちょっとね。読みにくい。横書きの小説というのは、ワープロが普及して以降、それほど珍しくもないが、しかし、それほど流行っていないのは、やっぱり、その形態に欠点があるからなのであって、そのことが気にかからない編集サイドの人間は、よっぽど読書に興味のないタイプなのだろう。小説家の河野多恵子は『小説の秘密をめぐる十二章』という本のなかで〈横書きの作品を書いたり、書こうかと思っている人があれば、横書きは禁物と言いたい〉、〈どれほど、横文字の外国文学に読み親しんできた人であっても、日本語の横書きの創作に創造性を発揮することは不可能〉と書いている。それはさておき。かつて篠原一は、パソコンで小説を執筆するにあたり、縦書きだろうが、横書きだろうが、自分はそのフォーマットに合わせて、文章を書くだけだ、というようなことを、なにかのインタビューで言っていた気がする。要するに、ハードに対して、自分を適応させる、ということである。それってきっと、ワープロは基本的に横書きという時代の名残であり、ひじょうに90年代的な考えである、と僕は思う。ところで、00年代の作家陣といえる佐藤友哉や西尾維新らが参加した『ファウスト VOL4』の「文芸合宿」という特集では、彼らの創作風景が、何枚かの写真として掲載されているのだが、誰もがパソコンの画面上で、縦書きの状態で執筆を行っている。またフォントなども、ずいぶんと弄ってあるみたいだった。それというのは言い換えれば、自分に合わせて、ハードをカスタマイズしている、ということである。そのへんのスタンスの違いというのは、デジタルな環境の変化というのが大いに関係しているのだと考えられるわけだが、そういったことを踏まえた世代論込みの批評を、誰かやればおもしろいんじゃないかしら。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
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