ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年11月10日
 ナンバMG5 12 (12) (少年チャンピオン・コミックス)

 〈この下衆野郎…オレがいつ金の話した…?〉〈金ばっかだなテメーは…〉。もちろんのように、金で買えるものもあれば、金で買えないものもあるには違いないのだけれども、まあ、だいたいのことは金で済むので、世のなかは便利に出来ているわけだ、が、そうしてこぼれ落ちるものだって、きっと、ある。そのことを忘れてはいけない。それにしても、小沢としおの『ナンバMG5』の12巻は、松と母親のエピソードが死ぬほど泣けてくるから、弱るよ。たしかに、犬や子供が辛い目に遭えば、悲しい物語が提供される、というのはあるだろう。しかし、このマンガは、そこでいじけていない。仕方がないことは仕方がないこととして、自分たちにやれるだけのことはきっちりとやる、そのところまでを、ちゃんと描いている。冗談半分(ということは、つまり本気半分)でいえば、小学校の道徳の授業(って今もあるのかしら)にテキストとして使っていただきたいぐらいである。難破家の愛犬というより、もはや家族の一員でしかありえない松は、そもそも傷つき捨てられていたのを幼い頃の剛に拾われてきたのだった。まだ子犬であった松を、母親から引き離したのがブリーダーの篠崎という男で、その篠崎が、剛の兄である猛が勤めはじめたペット・ショップの客であったことから、難破家は松の返却を求められることになる。この篠崎がとんだクソ野郎なのだが、いちおうは筋の通った言い分に、剛と猛は頭を悩ませる。当然のごとく松を渡すわけにはいかないし、さらには松の母親である秋風号が、篠崎の犬舎でひどい扱いを受けていることを知ってしまったのだ。読み手からすると、こんなむかつく奴はさあ、はやくぶん殴っちゃえよ、と思うのだけれども、そうも簡単にいかないのが世のなかであろう。その苦難において、松と秋風号、それから剛のため、最良の道を探す猛が、死ぬほどかっこうよい。かっこうよいんだが、なんだよ、MIKEって。おまえは、いつも良いシーンにかぎって、その、ふざけたデザインのトレーナー着てんのな。このへんのセンスがまたしびれる。ところで、エピソードが佳境に入るにつれ、だんだんと松が喋らなくなる(まあ、じっさいに喋っているわけではないのだけど)。このことは、テクニカルな面において、おおきくふたつの効果を上げているように思う。まずひとつには、松の自我が作中に描かれなくなることで、犬という存在に表象されるような、一種のイノセンスないし無力でありうる者に対し、他の登場人物が奉仕するという構図が浮かび上がる。要するに、まあ、犬と子供が辛い目に遭えば感動する物語のセオリーなわけだが、しかし、もうひとつテーマに沿って考えると、松からモノローグが排せられてゆくのは、つまり秋風号との再会を経て、松の内側が、秋風号のほんらいの子供である赤竜号へと遡っていることの表現に、じつはなっているのである。そうして、11巻に収められている松がはじめて難破家にやって来た場面と、ここに収められている剛が自分の非力さを松に謝る場面とが、見事なまでにオーヴァーラップし、こちらが涙を堪えきれないインパクトをつくり出す。このへんが、やはり流石で、意識的にだろうと、無意識にだろうと、一連の流れのうちで、そのような操作を自然に行ってしまう作者の力量には感嘆せざるをえない。

 11巻について→こちら
 10巻について→こちら
 9巻について→こちら
 8巻について→こちら
 5巻について→こちら
 4巻について→こちら
 3巻について→こちら
 1巻について→こちら

 1話目について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(07年)
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