ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年09月23日
 フルーツバスケット (15) 

 登場人物たちにかけられた十二支の呪いは、閉じた円環を成立させる。ひとつの完結した世界を作り上げている。その世界に囚われていることは苦痛であるが、しかし、その世界がなければ生きてはいけない。要するに、ダブルバインドに引っかかっているのである。そこでは社会通念や道徳などといったものは、ほとんど役に立たない。救いとならない。見えざる抑圧によって、無理やり封じられた自意識は、窮屈さのなかで次第に肥大してゆく。ささやかな躓きは、それを拾うネットワークが断たれているせいで、いとも簡単に死へと直結してしまう。『フルーツバスケット』における、影の部分は、そのようにして成り立っている。もちろん、それは90年代以降の表現のほとんどに、中核として存在している問題でもある。しかし、と僕が思うのは、おそらく作者は、これを無意識的に描いているのではないかということだ。や、それはけっして悪い意味ではなくて、作為がない分だけ、ここにはある種のリアリティ(読み手が感情移入する要素)が、もっとも汎用的な形で、備わっている。その結果として、生に新しい意味を与える光となって現われるのが、無償の愛に近しいものであることは注目に値する。ここでは邪悪さを表すものがイノセンスであるならば、それと相反する純粋さを表すものもまたイノセンスなのである。シンプルな二項対立が図式的に復活する一方で、それらに挟み込まれた感情が、矛盾を孕みながら大きく揺らぎだしている。

 さて、いよいよ15巻である。主要キャラクターの過去が徐々に明かされつつあるわけだが、これは伏線の回収がはじまった証拠である。と同時に、以前よりモノローグによって予告されていた破滅の到来が、いよいよ近づきつつあることを感じさせる。学園祭などの楽しいエピソードなどは、騒がしい内容ではあるけれども、むしろ嵐の前の静けさのように平和だ。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ。
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