ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年08月28日
 All We Know Is Falling

 このPARAMOREというバンドは、女性ヴォーカルの乗ったエモであって、それ以上でもなければ、それ以下でもなく、個人的には、まあどうでもいいよね、といった感じではあるのだけれども、聴いてしまった以上は、やはり思うところがあるのだった。たとえば90年代半ば以降における、ミクスチャー寄りのヘヴィ・ロック路線は、ヒップホップ的要素を薄め、歌メロを増強させ、やがてエヴァネッセンスのようなアーティストを生み出すことになるのだが、それというのはつまり、ラップであったり、ギターの硬質なリフであったり、また女性ヴォーカルであったりといった諸マテリアルを、いわゆる萌え要素的に用いることで、機能性を重視したポップ・ソングへと移行していったということになるわけだ。だが、そういった方法論がエモといったジャンルにおいても有効であるかどうか、などと本作『ALL WE KNOW FALLING』を聴きながら、思う。かつて渋谷陽一が指摘していたように、ハード・ロックやヘヴィ・メタルというのはカタルシスをカタルシスとして消化(消費)するためにカタルシスが提出される、今風に言い換えれば、サプリメント的な効果の強い音楽だとした場合、そこではエモーションやリアリティなどといったものは、それほど期待されない、あるいは芸として映えるべく様式化される必要がある。けれども、エモというところのエモはエモーションのエモだ風のことをいう人が後を絶たないサウンド形態においては、そうした様式化こそが、むしろ忌むべきものになるのだろう。リアリティよりも、フィクション性を優先させることになるからだ。本来であるならば。しかし、アンダーグラウンドないしインディではともかく、メインストリームのレベルに達してしまえば、どうもそうではないようだ。定型の感情への共感が、すぐれたメロディを生み出すというのなら、エモーショナルっていう言葉は、もはや無感情と同義だよ。死んだ想いを愛でてろ。それにエモ系のバンドが得意とする「きみとぼく」というテーマが、現代的な性差を越えたところで、表現しうるのかといった問題もあるのだが、いいや、面倒くさい。そのようなことを、つらつらと考えていたのだけれども、繰り返し聴いているうちに、ふつうに楽曲のよく出来たハード・ロックに思えてきたので、まあやっぱりどうでもいいよね、っていう気になった。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽。
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