ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年09月18日
 メモとして。
 ちゃんとしたものは、機会を見て書けたら書きます。
 
1
 とにかく叫び続ける声を聴くと、ふたつの疑問が沸く。なんでそこまで叫ばなければならないのか、というのと、何に対して何を叫んでいるのか、というのだ。要するに、原因と目的と結果のことであり、煎じ詰めれば、なぜ叫ぶのか、ということである。コンヴァージの轟音に含まれる叫びは、しかし、そういったことを僕に考えさせない。という意味で、圧倒的だ。

2
 コンヴァージには、進歩や進化といった言葉は、なんだか似つかわしくない感じがする。ふつう進歩というと、ある道筋があって、それに沿って前に進んでいく様子を思い浮かべる。ふつう進化というと、ある段階からまったく違うレベルへと到達する、そういう道程を想像する。しかし、前作『ジェーン・ドー』と本作の結んでいる関係性は、それとは異なるものだ。コンヴァージがやっているのは、ブロックを高速で積み上げる、積み上げたそばから突き崩す、というようなことで、つまり原因や目的や結果の追求は目指されていない、それはもちろんサウンドにも反映されている。

3
 ワーギャーズガズガという轟音が、コンヴァージのサウンドの基本線である。が、展開に次ぐ展開がダイナミックさを呼んで、過渡の盛り上がりを作るのでは、ない。むしろ行われているのは、パターンの反復である。それはアコースティックで鳴らされる8曲目「イン・ハー・シャドウ」によって明らかにされている。だが反復とはいっても、前の節を正確にトレースするわけではない。アクセントを微妙に調整しながら、少しずつ元あるカタチからズラしてゆく、そのズレのなかにノイズが含まれる。積み上げたブロックをすぐさま突き崩す、崩れて散らかったブロックを即座に積み上げるとは、要するに、そういうことである。

4
 正直なところ、僕はコンヴァージの音はカオティックというのとは違うと思っている。混沌をみるには、その軌道はあまりにも美しすぎる。や、僕がカオティックの理論(そんなのあるのか?)を知らないだけかもしれないけど。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽。
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