ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年09月17日
 やあっと読み終えた。けっこう好きな人も多いみたいだけど、僕なんかはわりあい苦手なのが、福田和也の文章である。そのなかでもこれは硬派なほうに入るので、かなり四苦八苦した。とはいえ、アウトラインはシンプルに取り出せる感じがする。
 「テクノロジー」「暴力」「自由」「信仰」「愛」の五つに章分けされているが、基本軸は同じである。ある種の極端を提示して、そこから現在という地点を演算するというものだ。「暴力」におけるニグロの箇所が、例としてわかりやすいと思われるので、引用する。

 「白人」たちに「自由」を贈られるのではなく、むしろ「人間性を否認」されることを「ニグロ」は要求するのだ、とファノンは云う。礼儀正しく、条理にかなった扱いをうけ、正義と自由を供与され、同じ人間として扱われること、つまりは法と理念によって人間として認められることは、けして「ニグロ」の人間性を回復しない。彼らに必要なのは、「《奴らに思い知らせる》機会」を求めること、つまりは法を侵そうが、警察につかまろうが、あるいは殴り返されて息たえだえになったとしても、生身の体で戦おうと挑むことだけが、「ニグロ」に尊厳を獲得させる。

 福田和也『イデオロギーズ』 P70


 まあ、だからヒップホップなどでうたわれるアレである。要するに、ある構造下で、人間として生かされることがあろうとも、その構造自体を容認することができなければ、それは、人間として生きているとはいえない、ということである。ここで福田がイデオロギーとして抽出するものは、言い換えれば、システムのことである。そのようなシステムというのは、我々という名の社会が、無意識のうちに、生成するものなのだ。
 そして思考は、そうした無意識の流れを怠惰にまとう、そのことを穿つ錐である、というようなことがいわれている。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
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