ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年09月16日
 さいきん僕のなかで絲山秋子の株が上がってるというのもあるが、これもおもしろく読んだ。ぐっときた。そのように考えると、僕は、デビュー作『イッツ・オンリー・トーク』以外のものはぜんぶ、好きなのかもしれない。
 
 絲山の小説には、性交しない男女というモチーフが頻出するが、ここにもそれは現われている。女は寝てもいいと思うのだが、男のほうで除けてしまうという構図もいっしょである。『海の仙人』では、寝ないことの理由に、男の側の抱えるトラウマが置かれている。すると、ふつうであるならば、どこかにトラウマからの解放が用意されていそうなものだが、しかし最後の最後(ほんとうの意味で、死がふたりを分かつまで)に至っても、彼らは性交することがない。深刻さは、日常の静けさのなかに溶け込み、スタティックな波として物語を揺らす。

 これは恋愛の話だろうか、と考える。たぶん僕たちが考える恋愛とはすこし違っている。性交をしたり、いっしょに暮らしたり、そういったごく当たり前のことのように感じられることが、ごく当たり前のこととして書かれていない。むしろ反対に、それらのないことが自然のように書かれている。それはつまり、人は誰しもひとりであるという、ごく当たり前であるが、ゆえに否定したい真実を、受け入れる姿形である。
 ファンタジーという名の〈役に立たないが故に神〉様が、次のようにいう。

「そうだ。だから思い出せないのが一番正しいのだ。真実とはすなわち忘却の中にあるものなのだ」 P151

 登場人物のなかでは、片桐という女性が、かなり素敵である。報われない愛情を胸いっぱいに抱いて、できるだけの明るさを総動員しながら生きている。その彼女が、最愛の人を見送ろうとするとき、駅の改札で感極まって涙してしまうシーンは、あまりにも愛しい。この小説には、いくつもの別れが用意されている。そのほとんどが悲しく胸に迫る。けれども悲しみのあることが、最後の場面に、やさしい奇跡の起こることを期待させるのであった。じつはものすごく寂しい物語だけど、読後感は、とてもあたたかい。血の通ったあたたかさだ。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書。
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『海の仙人』絲山秋子 を読んで
Excerpt: 海の仙人 (新潮文庫)絲山 秋子 孤独に向き合う男女三人と役立たずの神様が奏でる不思議なハーモニー。 芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。 宝くじに当った河野は会社を辞めて、碧い海が美しい敦賀に引越した。..
Weblog: そういうのがいいな、わたしは。(読書日記)
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