ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年10月15日
 ワーキングピュア 1 (1) (講談社コミックスキス)

 それにしても、マンガに限らず、小説や、あるいはマンガや小説を原作にしたものを含めたテレビ・ドラマや映画にしても、社会に出て労働する人間、会社勤めの人間などを扱うのは、いま現在、女性が主人公か、女性向けか、女性が作者のものが、ほとんど主流であるように思える。なぜだろう。小山田容子の『Working Pure(ワーキングピュア)』は、とある銀行で働く女性たちをオムニバス形式で描いた作品であり、オビなどを見ると、作者のOL時代の経験がふんだんに生かされているというのが、一個のウリであるらしいが、いやいや、そういった職種や性別の経験に関わらず、これ、すごく良いマンガじゃないか。最初は、ちょっと地味かな、という気もしたのだけれど、しかし何度も読むうちに、もうすこしやさしく、そしてつよく生きられたらいいな、と思うことしきりであったよ。すべてのエピソードに共通しているのは、一個の人間の自立とでもいうべき問題である。これは、社会的な領域とプライヴェートな環境を跨ぎ、望まれるという意味で、アイデンティティをめぐる困難と、言い換えても良い。とはいえ、登場人物たちは、極度に自分を意識しながら、日々を過ごしているわけではなく、毎日の業務や他人との関わりのなかで、不可避に、自分を省み、立ち止まる。第一話「ぼくは新入社員」の主人公である内原(これは男性)は、狭い了見を自分流と履き違えているような今どきの坊ちゃんであったが、それは当然、周囲の人間には仕事ができず、積極性がないととられてしまう。思わず彼が暗くなるのは、おそらく、自分が悪かったという気からではない、そうではなくて、自己評価が世間からの目と一致していないことに、苛まれるせいである。作中に明示されてはいないけれど、おそらく、このとき彼の内で働いているのは、誰も自分をわかってくれない、式の心理作用であろう。しかし、彼の教育係であり、女性社員の仲井が、自分よりも高い壁にぶつかってもなおがんばり続けているのを見て、それまでのことに恥ずかしさを覚える。エピソードの終わりぎわに置かれた〈オレの思っていたかっこよさって 一体なんだったんだろう〉というモノローグは、つまり、自己評価によってのみ支えられた世界の外側へ、彼が、一歩足を踏み出したことを意味している。第二話「駅まで10分」の主人公友部が、三十代を間近に、彼氏にふられ、仕事もうまくいかず、そのことを一緒に住んでいる母親のせいにしてしまうのも、結局のところ、自分のアイデンティティを見つめようとせず、できれば目をそらしていたいがためだ。だが、表向きは計画性のなさそうな同僚の福沢の、意外ながんばりを知って、自分が〈自分の意志でなにかを決めたことってほとんどない〉ことに気づくのであった。その同僚の福沢が、第三話「似たもの同士」の主人公で、彼女は強がりでも何でもなく〈わたしは今の一人の生活に満足してるし 正直けっこう幸せだ〉と思っているのだけれど、ときどきは誰かがそれについて、軽く、悪し様に触れることに傷ついてしまう。それももちろん、社会的な評価、言い換えれば、他人によって対象化されることの脅えから、やって来ている。〈自分は自分 人は人 わたしは全然不幸じゃないって〉自分に言い聞かせても、すでにアイデンティティそのものは揺らいでしまっているので、〈でもやっぱり悔しかった〉という気分は残る。問題は、にもかかわらずどれだけがんばってやれるか、だろう。『Working Pure』がすぐれているのは、そこまでをしっかりと描いていることにある。第四話の「お先にどうぞ」で、〈この勝ち気な性格のせいですでに 男性や上司から煙たがられる存在〉であることを自覚している主人公の土屋にしてみれば、他の社員に都合よく使われているだけの先輩社員大石には、〈正直なところ もう少しきちんと自己主張しないと〉といった部分が欠けている。家に帰ると、母親は父親や兄の横柄な態度に甘く、〈ねえ お母さん わたしたちは男の踏み台じゃないでしょう?〉と内心苛立つ。これはいっけん、同性の側に立って、社会を見ているふうだが、じつは違う。あくまでも土屋は、社会の側に立って、同性を見ているにすぎない。そうであるがゆえに彼女の母親や大石の内面は無視されてしまう。いや、だからこそ、その行動のひとつひとつには、ちゃんと彼女たちなりの意志が託されていることを理解したとき、土屋は〈ああ そうか そうだったんだ〉と思う。えらそうなことを言っても、〈優しさは いつも それが見返りを求めないほど 誤解されるし 踏みにじられる〉可能性を、他の人たちと同じように見過ごしていた、と、わかるのである。結局のところ、彼女の厳しさは、社会的評価に自分を一致させようとする態度の裏返しに他ならず、そのことの自覚が〈わたし 怖かったんだ だから いつも 肩ひじはって 自分の弱さに抵抗していたんだ〉とのモノローグに言い換えられるのであったが、しかし、そこから導かれる〈わたしにはまだ 見えてないことがたくさんあるみたい〉という微笑みは、視野の拡がりにともなうアイデンティティの更新を、嫌がることなく、受け入れている。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(07年)
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