ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年08月17日
 会社をリストラされた父親が退職金の4分の1を持って失踪した。14歳の次男、17歳の長女、27歳の長男、42歳の母、73歳の祖父、それぞれ語り手を交代しながら、残された家族たちがいかにして、家庭内における自分たちのポジションをキープしているのかを綴ったのが、これ、『厭世フレーバー』という小説である。「厭世」というのは、おそらく家族がみな一様に、どこか冷めている、他人に対しての関心が薄いという性格にかかっている。次男は学校など大して役に立たないと思っており、長女は人付き合いなど上辺だけで十分であると考えていて、長男は失業中であるにもかかわらず危機感に乏しい、母は酒によって昭和のノスタルジーに浸り、惚けかかった祖父が戦後を回顧する、と、はっきりいえば、石田衣良とか金城一紀とか、あそこらへんのラインでもって、家族とか青春とかが、いい話に回収されている。正直なところ、僕はこの手のものが、ちょっと苦手である。それはひとえに、説教くさいところが過分に含まれていて、その説教は語り手によってされるのではなく、むしろ説教される側に語り手を置き、その説教を理解してゆくという構図が、存在しているからだ。つまり、説教って嫌だねえ、と言っておきながら、いつの間にか、それが説教になっているという、そういったズルさのようなものを感じる。もうしわけないが。しかし、こうした小説を読むと、すべての問題は結局モラトリアムが原因なのではないか、という気がしてくる。働く気があるなしにかかわらず、誰も働かないが、それでも自分の拠り所は失われない、その庇護下で、権力についての批判は言いたがる。それはそれで、もしかしたら近代以降の普遍的な心理なのかもしれないが、ちょっとね。リアリティがどうとかこうとかよりも、小説に限らず、この国の多くの表現が、大人を描けなくなった、そのことの方にこそ僕の関心はあるのだった。といえば、ねえ大人ってどういうのさ、と君は訊くかもしれない。そのぐらい自分で考えろ。


posted by もりた | Comment(2) | TrackBack(0) | 読書。
この記事へのコメント
昔は元服が15歳だったわけで、明治になってから20歳くらいが大人といわれはじめ、戦後になってから明文化されたわけだけれども、もうそろそろ25歳とか30歳までは、「大人」と呼ぶことができないような、人類の、生物学的な発達の遅さがあるような感じがあります。知能の面でも運動能力の面でも。私が大学生のときにドイツの大学生の平均年齢が27歳だったからいまではもっと平均年齢が上がっているでしょう。ちなみにニュージーランドで友達になった歯科大学卒の中国人の女性は30歳でボン大学哲学科に進学しました。
Posted by 戸田 at 2005年08月17日 22:58
どうもです。

>もうそろそろ25歳とか30歳までは、「大人」と呼ぶことができないような、人類の、生物学的な発達の遅さがあるような感じがあります

平均寿命の延長が、フィジカル的にもメンタル的にもどっか作用している、っていうのはあるんでしょうね。ただ個人的には、だからといって老成せずとも成熟することは可能なのではないか、と思えたりします。そこらへん、うまく言語化できませんが。
Posted by もりた at 2005年08月18日 12:52
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